少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

7 / 30






第7章

 明らかにヤバイと感じる戦場海域に突入した時。姫とか鬼とか、そんなクソ強い深海棲艦共と対峙した時。他所の艦隊の艦娘達が、隣で沈みまくっていく時。

そういう死線とでも言うか、瀬戸際とでも言うのか。“あぁ、もう駄目かもしれねぇなぁ”みたいに思う時は、少なくなかった。だが、恐怖を感じた時は無かった。

ビビった事も無い。寧ろ、生きるか死ぬかみたいな感覚は、結構好きだったりする。神経を磨り減らす様なスリルが好きなのか。相手をぶっ殺すのが好きなのか。

そんな細かいことはイチイチ考えた事が無いから、自分では判断が出来ない。でも、多分、両方なんじゃねぇかなぁ。まぁ、戦えれば何でも良いや。

艦娘としてフォーマットされた俺の人格は、取り合えずそんな感じで、足柄とはまたちょっと違った種類の戦闘好きだった。

 

 そういう思考回路だったから、小破で撤退を繰り返す今の提督に召還されて最初の頃は、戦闘から遠ざけられている感覚に、苛立ちの募る毎日を送ったものだった。

その提督が、ナヨナヨした弱っちい感じの餓鬼だったのが、余計にムカついた。部下でもある艦娘にペコペコしまくってよ。何だよコイツ。

自分が召還した艦娘に、腫れ物でも扱うみたいに接してきやがる。いっつも引き攣ったみたいに貌を歪ませて笑いやがって。それで愛想笑いのつもりかよ。

何時までも執務と戦果に追われて、右往左往して、艦娘への進撃命令も必要以上に躊躇って、結局、何の成果も得られないまま無駄に時間が過ぎていく毎日だった。

 

 あぁ。コイツは駄目だ。仮に“提督”としての適正と資質が在ったとしても、致命的に向いてねぇよ。正直、そう思った。きっと不知火だってそうだった筈だ。

進撃指示もビビッてまともに出せないような臆病者と来たモンだから、鬱陶しがられて、他の提督共からリンチされてるのを知った時も、ふーん……って感じだった。

殴る蹴るに加えて、小便まで掛けられて、踏んづけられて。そりゃあ勿論、何度も助けに入ったが、自業自得だよなぁくらいの感想しか持てなかった。

艦娘達を海に出してはすぐに戻して来て、碌な戦果なんか挙がる筈が無ぇ。その癖、資材も入渠ドッグだってしっかり利用してたんだ。眼を付けられたってしょうがねぇよ。

分かり易く言えば、提督は“足手まとい”ってヤツだった。どうしようもねぇ。本営だってそう判断したんだろう。餓鬼だった提督は、単身で何処かに転属になった。

あれは、確か3ヶ月くらいの間だったか。その間も、提督が召還した艦娘達である俺達は、輸送船の護衛などに狩り出される事になった。

思えば、あの空白の期間が、大きく状況を変える事になる切っ掛けだった筈だ。

 

 鎮守府に帰って来た彼は、おどおどビクビクとした臆病な少年では無くなって居た。不自然なくらいに落ち着き払ったその様子は、奇妙を通り越して不気味な程だった。

鎮守府に提督が帰って来た時に、愛宕を連れていた事も気になる。あの3ヶ月の間に、何が在ったのか。

野獣から聞いたことだが、あの3ヶ月の間に本営では、提督の保持している艦娘を剥奪しようとする動きも在ったらしい。 

しかし、提督が何処で何をしていたのかは、野獣に聞いてみても、教えてくれなかった。「知wらwなwいwよ」と言われた。まぁ、だいたい言いたい事は分かる。

あれは多分、聞かない方が良いというサインだ。付き合いもソコソコだから、そういう雰囲気くらいは、いい加減分かって来る。

ただ、何か普通じゃないことをやっていたのは間違い無いだろう。そうじゃ無けりゃあ、人間はあんな変わり方なんかしねぇよ。

提督本人に聞こうと思った事も何度か在るが、結局、出来ずに居る。戦いでビビッた事は無いが、これに関してはちょっと足踏みしているのが正直なところだ。

 

 再会した時の事だ。『ただいま戻りました』と。出迎えた不知火達に、彼は、その幼さに全く似つかわしくない、ひっそりとした微笑を浮かべて見せた。まるで別人だった。

明らかに、彼は変わった。変節していた。感情や情動と言った、心の動きを全部押し潰して真っ平らにしたみたいな声は、今でも強烈に耳に残っている。

あの声を聞いた時は、血が凍った。誰だよお前。そう言いそうになった。だが、そんな言葉も出てこなかった。身体が動かなくなった。立ち竦んだ。

不知火達があの時、どんな感覚や印象を彼に抱いたのかは分からない。だが、天龍があの時感じた、魂が揺さぶられる様な感覚。あれは多分、強い畏怖だった。

あんな泣虫で弱虫だったガキ一人に、完全に呑まれていた。蒼味が掛かった彼の眼に、俺は鷲掴みにされた。震える声で、「お、おう……」と返したのは憶えている。

 

 それからだった。彼がその頭角を現して来たのは。艦娘第一主義を徹底していながらも、戦場海域へ艦娘達を送り出すことに躊躇をしなくなった。

無理強いた進撃命令こそ無かったものの、遠のいていた戦場の匂いが、一気に濃くなった。上等だった。ようやく、艦娘としての本分が果たせる。俺は嬉々として前線で戦った。

深海棲艦を殺して、殺して、殺しまくった。このまま、行けるところまで突き進んでみたい。そう思った時だって何度も在る。だが、それは無理だった。

提督からの撤退“命令”には逆らえない。これは理屈じゃない。艦娘はそういう存在だからだ。それでも、それなりに充実した毎日だった。

彼は、自身が保持する艦娘達から死を遠ざけようとする一方で、あの激戦期を誰よりも受け入れていた。そんな、ある種の矛盾を抱えた彼のもと、俺達は戦いの坩堝の中に居た。

 

 戦闘を繰り返すことで錬度も上がり、自分でもはっきりと分かる程に俺は強くなって行った。不知火を含めた、彼の保有する他の艦娘もそうだった。

何時の間にか、他の艦隊に比べても、俺達が所属していた彼の艦隊の強さは群を抜いている様な状態だった。その理由に、艦娘の人格成長を阻害しなかった事が挙げられている。

精神力と思考は、強力な武器だ。結果として、彼の艦娘第一主義は、非効率ではあるものの、艦娘達の強さを最大限まで引き出したと言えるだろう。

そして、とうとう大和型の二人を召還するまでに至り、これまでの多くの作戦の功労者として、その存在を知らしめるまでになっている。

各地の鎮守府に所属している多くの艦娘達が参加した、最近のMI・AL作戦でも、彼の艦隊は、野獣と並び大きな活躍を見せた。

 

 MI・AL作戦は、今までに類を見ないほどの大規模な作戦だったが、人類は勝利と、大きな戦果を収めた。

数多くの深海棲艦の捕縛、海域の解放も進み、人類の優位はより磐石となった。そのコストとして多くの艦娘が沈み、また多くの艦娘達が召還された。

作戦成功に伴い、捕らえた深海棲艦の数も大きく増えたことを受けて、鎮守府裏手の山裾に設立された深海棲艦の研究所である此処も、その全機能を稼動させている。

深海棲艦用の研究設備だけで無く、艦娘に対する施術も行える様になっているらしい。山裾を拓いただけあって敷地も広いし、とにかく大規模な施設だった。

今日はこの施設に用が在るとの事で、提督は此処に足を運んでいた。その用件というのも、深海棲艦に関するものらしい。一緒に居る天龍は、今日の秘書艦である。

ちなみに、天龍はこの施設の敷地内に入るのは初めてだった。軍事施設特有のものものしさの様なものは特に感じられない。静謐で、落ち着いた雰囲気だった。

それがまた胡散臭いと言うか、薄ら寒い感じがして、どうもこの場所は好きになれそうに無い。

 

 

 「おい……」

 

 「? はい、何でしょうか?」

 

 頭の後ろで手を組んだまま、行儀悪く歩いていた天龍は、隣に並んでいる提督に横目で視線だけを向ける。

気の無い声の天龍の呼びかけにも、彼は静かな微笑みを浮かべてくれている。其処に、以前には感じられた、天龍を圧倒するような雰囲気は微塵も無い。

だが、彼の声は穏やかで優しいものの、気味が悪いくらい落ち着いていて、普段には感じられない不思議な重みの様なものを感じた。

場所の所為もあるだろう。天龍は彼から視線を外して、周りへと視線を巡らせて、鼻を鳴らした。「そんなに俺達ってもの珍しいか? さっきから凄ぇ視線を感じるぜ」

辟易したように言う天龍に対して、「……そうかもしれません」と、彼はまた微笑んだ。

歯切れの悪い彼の言葉に、天龍はまた鼻を鳴らしながら眉間に皺を寄せて、周りにガンを飛ばす。

 

 此処は、外も中も、とにかく白い建物だった。雰囲気としては病院に近い。さっきから歩いている廊下も広く、床も壁も天井も真っ白だ。

窓なんてものは殆ど無いから、圧迫感というか、かなりの閉塞感を感じる。その所為だろうが、この建物の白色が酷く傲慢で、容赦無い色に思えてきてしまう。

少し離れた所から此方の様子を伺っている、白衣を着た研究員達と眼が合う。研究員達は、慌てて天龍から眼を逸らした。

だが、すぐに何やらヒソヒソと言い合いながら、忌避する様な視線を此方に向けて来る。此処に来てからずっとこんな感じで、流石に居心地が悪い。

彼、或いは、彼女達研究員が視線を向けているのは、実のところは、天龍では無い。天龍の隣に居る、彼を見ているのだ。自分が見られるよりも鬱陶しく感じる。

見せモンじゃねぇぞ……。鬱陶しそうに呟いて、天龍は不機嫌そうに貌を歪めた。空気がこんなに不味いと感じたのは初めてだった。

 

やたら広くて長い廊下を歩いて行く。その突き当たりで、厳重なセキュリティが施されたエレベーターの前で、提督は立ち止まった。すげぇなコレ。天龍は思わず呟いた。

確かにそれはエレベーターだが、まるで巨大金庫の施錠扉みたいに、分厚い金属板が何層にも重ねられている。扉の中心には、円筒形のロックが掛けられていた。

見れば、エレベーター自体が建物から独立している様だ。上の階へと伸びる操作パネルは備え付けられていない。地下行きのエレベーターである。

重厚で、厳かささえ感じさせる鋼鉄の扉の両脇には、武装した警備兵が二人立っていた。体格を見ても、野獣より幅も厚みも在る。鍛え抜かれた、屈強な兵士達だ。

だが、提督の姿を見て、すぐに最敬礼の姿勢を取った警備兵達の表情は、酷く強張っていた。顎先と唇、指先と呼吸が震えていた。明らかに、怯えていた。

天龍はそれに気付かない振りをしながら、警備兵達がエレベーターを動かすのを待つ。その時だった。「あ、待ってくださいよぉ!(滑り込み)」と、声がした。

背後を振り返ると、小走りに駆け寄って来る、海パンとTシャツ姿の野獣と、それに続く、時雨の姿が在った。

 

 

 

 

 

「Fooo↑ 走って来たからアッツゥ~! 

なぁ、時雨もちょっと疲れたろぉ?(申し訳程度の気遣い)」

 

「ううん。僕は全然疲れて無いよ(天使の微笑)」

 

「お、そうだな(予知夢)」

 

 エレベーターに提督と一緒に乗り込んでから、野獣は手で顔を扇いでいる。時雨の方は涼しい貌で、手にしたファイルに眼を通していた。

普段、野獣の秘書艦を務めているのは、長門か加賀だ。ただ、時と状況によっては、鈴谷や熊野など他の艦娘が勤める事もある。

だから、時雨が秘書艦をしていても不自然では無いのだが、この二人の組み合わせは結構珍しいかもしれない。だが、仲が悪い様では無さそうだ。

長門や加賀が秘書艦のときは、しょっちゅう執務室から怒号が響いているのだが、そんな雰囲気は全然無い。寧ろ、時雨が何時もより活き活きしている気さえする。

野獣と割りと仲が良いとされている青葉や金剛と接している時とはまた違った、互いに対する信頼感の様なものを感じるのだ。

「なぁ……。ちょっと良いか?」天龍は、野獣と時雨を見比べてから、提督にそっと耳打ちした。

 

「野獣と時雨って、仲良いのか?」 

 

 怪しむみたいな聞き方になってしまったが、仕方無いだろう。

提督は天龍の問いに少しだけ笑って、ひっそりと頷いた。……マジかよ。

何だか軽い衝撃を受けてしまって、天龍は息を吐き出しながら後頭部を掻いた。

たまげたなぁ……。そう呟きかけた時だった。「時雨さんは、先輩の初期艦だったそうです」

野獣と時雨の二人には聞こえないくらいの声で、微笑んだ提督がそう教えてくれた。

天龍は何も言えなくなって、提督から視線を逸らす。やたら広いエレベーターの駆動音が、さっきよりも大きく聞こえた。

軽く息を吐き出してから、天龍は野獣に向き直った。

 

「おい、野獣……。こういう所に来る時は、提督服着て来いよ。

 時雨まで変な目で見られちまう。 ちゃんと持ってんだろ? 詰襟のヤツ」

 

「お、そうだな(適当)」

 

「いや、真面目に聞けよ」 天龍が呆れ顔になった時だ。

 

「僕なら、大丈夫。もう慣れちゃったよ」 時雨が微苦笑を浮かべた。

 

「余計駄目だろ。時雨からもビシッと言ってやれよ」

 

天龍が困った様に言うが、時雨の方は微苦笑を崩さない。

ちらりと野獣の顔を一瞥してから、肩を竦めて見せるだけだった。

 

「これが野獣の持ち味だし、格好良いところも在るから、僕はこれで良いと思うんだ。

今まで本営での会議もこの格好で参加して来たし、まぁ、多少はね?」

 

「お前、精神状態おかしいよ……(心配)、良くは無いだろ……。だって、お前コレ、

この格好で他所の提督達と顔つき合わせて会議するとか、ちょっと想像出来ねぇよ(困惑)」

 

 

 時雨の言葉に、天龍は戸惑いを隠せない。

本営も本営で、この野獣の自由過ぎる振る舞いを咎めないのは、何か理由や思惑が在っての事なのだろうか。

ちょっと良く分からないが、提督も穏やかな表情で時雨の言葉を聞いているので、まぁ、本当なんだろう。

戸惑う天龍の様子に、野獣が得意げな笑みを浮かべた。

 

「俺みたいに純朴で、何処までも真っ直ぐなピュアな男は、

自分を偽る事なんて出来無いからね。しょうがないね(己を見詰める)」

 

「……少なくとも、本当に純朴でピュアな奴は、

そんなラフ過ぎる格好でうろつかねぇと思うんだけどな(名推理)」

 

 天龍がボソッと言った時だった。エレベーターの低い駆動音が緩まり、止まった。

僅かな揺れと、静寂。どうやら、地下施設に到着したらしい。円筒状のロックが重々しく回転し、幾層に編まれた鋼鉄の扉が、ゆっくりと解ける様に開いていく。

僅かな緊張と共に、天龍は開いていく扉に身体を向ける。時雨の表情も、少々硬い。天龍と同じく、緊張しているのか。野獣ですら無駄口を叩かず、黙ってしまった。

穏やかな表情のままなのは提督だけだ。ゴウン……と、腹の底に響いてくる音と共に、鋼鉄の扉が完全に開かれた。其処は白く、やけに広い部屋だった。

だが、地上階ほど殺風景では無い。だだっ広い倉庫か、地下駐車場の様な印象を受ける。或いは、巨大な手術室だ。傷一つ無い白一色の壁面は、特殊な金属の様だ。

何かを運搬する為のだろう。大型のフォークリフトが数台と、固定に用いるのであろう鎖やフックなどが壁に大量に掛けられている。

他にも、施術用の拘束椅子、施術用の拘束ベッド、天龍では使い道が分からない大掛かりな器具が並んでいた。

 

 時雨が軽く息を呑む気配がした。どうやら、寒気がしたのは天龍だけでは無さそうだ。

部屋全体の雰囲気と相まって、この部屋を染めている白色が、とにかくキツイ。かなり精神的に来る。落ち着かない。

天龍達が降りたエレベーターの反対側の壁には、やはり鋼鉄板を折り合わせ、円筒状のロックを掛けた様な扉があった。

ただ、天龍達が乗って来たエレベーターよりも、更に大型のエレベーターだ。鋼鉄の扉の大きさも、2回り以上大きい。明らかに、人が乗るものじゃない。

成る程な、と思いながら、天龍は部屋を見回す。向こうは、外から運ばれて来た深海棲艦が、生簀トラックごと此処まで降りてくる為のエレベーターだ。

多種多様な器具が置かれているものの、この部屋には余裕がかなり在る。装甲車程度なら、不自由無く方向転換も出来るだろう。

そして此処で“荷降ろし”を行って、適切な処置を行った後、あの奥の扉に運んで、捕獲しておく訳か。

天龍の視線の先には、やはり大掛かりな施錠が施された扉が在る。扉の横には、指紋やら顔貌、声紋などを認証する為の装置が備え付けられていた。

提督は穏やかな表情のままで、奥の扉に向って歩き始めていた。扉までの距離はそこそこ在る。

野獣がそれに続き、取りあえず、天龍と時雨もその後に続く。沈黙が降りた。足音だけが響いている。

天井には一応の空調設備も在り、空気は澱んで居ない筈だが、やけに息苦しい。嫌な感じだった。

 

「時雨は、此処に来るの初めてか?」

 

「ううん。初めてじゃないさ。二度目だよ。前に野獣に着いて来た事は在るけれど……。

 やっぱり、此処の空気はどうしても好きになれないな。正直、ちょっと怖いよ」

 

「俺もだ。初めて来たが、此処は好きになれそうにねぇ。

 この先に、捕まえられて来た深海棲艦共が居るんだろ? 生臭ぇ筈だな」

 

「そうかな? 別に、臭いはしないけれど……」

 

「ものの例えだ。空気が悪いって言いたかったんだよ」

 

 天龍と時雨が軽く言葉を交わしている内に、提督はもう扉の前に辿り着き、その施錠を解いていた。前を歩いていた野獣が、此方を肩越しに一瞥するのが見えた。

重く軋む音が響いて、大掛かりな鋼鉄板が、壁面に沈むようにして開いていく。野獣と天龍と時雨は、互いに顔を見合わせてから、歩く足を速めた。

天龍は唾を飲み込んでから、唇を舌で舐めて湿らせて、提督や野獣に続き扉を抜けた。相変わらず、白い通路が伸びている。その両側には、広い施術室が幾つか並んでいた。

人型の深海棲艦を飼っておく為の捕虜房でも在る。どの部屋にも、滋養カプセルとして、人間が楽に入ってしまえるだけの巨大なシリンダーが備え付けられている。

提督と野獣に続いて入った或る一室では、計四本のシリンダーが薄緑色の液体で満たされていた。その其々の中で、彼女達は眠る様に静かに佇んでいた。激戦期の終期に捕らえられたというのは、こいつらか。

提督や野獣の間を抜けて、天龍は彼女達に近付く。脳裏には、ホルマリン漬けの標本が浮かんだ。実質は同じようなものだろう。

だが、決定的に違う点が在る。彼女達も、天龍達の気配に気付いて、ゆっくりとその眼を開いた。

並んだシリンダーの左から順に、戦艦タ級、戦艦ル級、空母ヲ級、そして、戦艦棲鬼が並んでいる。彼女達は死んでなど居ない。生きているのだ。

彼女達は何も身に付けていない。その裸形の造形は、人間の女性や艦娘と変わらない。顔、胴、乳房、腕、性器、脚、指の一本に至るまで同じである。

彼女達が持つ頑強な白磁の肉体も、今では徹底的にスポイルされ、ほぼ見た目通りの人間程度の力しか出せない様にされている。シリンダーを破るのは不可能だ。

更に、解体施術を受けており、艤装の召還も不可能にされてある。肉体の機能を破壊された彼女達には、食事、排泄、睡眠といった行動の必要も無い。

ただこの培養液の中に浸されて、人類が納得行くまで、半永久的に生かされるだけの存在である。彼女達は、薄く開けた眼で天龍達を睥睨してくる。

 

 今の彼女達の眼には、海で対峙した時に見せる様な、殺意に満ちた煌々とした強い光は宿っていない。しかし、此方を射竦めてくるだけの迫力や存在感は健在だ。

彼女達は天龍が知っている、獰猛で狂猛極まり無い深海棲艦であった事を強く実感する。無数の艦娘達を屠り、海の底に沈めて来たであろう彼女達が、眼の前に居る。

それも完全に無力化された状態で、こんなシリンダーに押し込まれたまま何の抵抗も出来ない彼女達の姿に、改めて人類の容赦の無さを思い知った。

深海棲艦達が鹵獲され、研究対象として人類が捕らえるまでになっている事は、天龍も当然知っていた。だが、いざその現実を目の当たりにして言葉を失う。

時雨も、険しい表情で黙したまま、彼女達の視線を受け止めている。その隣に居る野獣は、欠伸をしながら尻をボリボリと掻いていた。

少しの沈黙が在った後。何かに気付いた彼女達に動きが在った。シリンダーの中に居た彼女達が、此方に身を寄せて来たのだ。流石に驚いて、うっ、と天龍は身を引く。

その代わり、彼がゆっくりと歩み出て、並んだ四つのシリンダーの前で、微笑んで見せた。

 

「……お久しぶりです。お変わりありませんか?」

彼女達を順番に見ながら、優しく紡がれた彼の言葉に、明らかに彼女達の様子が変わった。

今までの冷え冷えとした彼女達の無表情は一変して、まるで離れ離れになった家族か、想い人とようやく出会えた様な、安堵と喜びを滲ませた表情だった。

彼は、すぐ眼の前に在るヲ級のシリンダーに、そっと左掌を這わせる。その彼の動きを追う様に、ヲ級もシリンダー越しに自分の右掌を、彼の左掌に重ね合わせた。

タ級、ル級、戦艦棲姫達が見守る中。微笑みを浮かべる彼と、ヲ級が暫く見詰め合う形になる。

培養液の中に在っても輝きを失わない、琥珀色をしたヲ級の瞳が潤む様に揺れていた。少しだけ苦しげに、何かを抱きしめる様に左手を胸前でぎゅっと握っている。

それから、ゆっくりと眼を閉じたヲ級は、シリンダーの内側にそっと額を預けた。提督も彼女に応え、帽子を脱いで瞑目し、シリンダーに額を寄せる。

彼の身体からは、微かに蒼色の光が漏れていた。それが、シリンダー越しに触れ合う彼とヲ級の掌を、肉体の接触では無い何かで繋いでいる。神秘的な光景だった。

天龍も時雨も、黙ったまま、その光景を見ているしか無かった。

 

 お会イしとう御座いまシタ……。

数秒か。数分か。短いような、長いようなその沈黙の時間は、怖気を誘う様な妖艶な声で途切れた。

それはヲ級のものでは無い。右隣のシリンダーから提督を覗き込む様に身を寄せて来ていた、戦艦棲姫のものだった。

「僕もです。皆さんが元気な様で、ほっとしています」 彼は言いながら眼を開けて、そっとヲ級のシリンダーから身体を離した。戦艦棲姫に向き直り、また微笑む。

端から見ていて気の毒になるくらい、離れて行く彼の背を見詰めるヲ級が、名残惜しいというか悲しそうな貌になっていた。何だか、現実感の薄い光景である。

これも野獣から聞いた事だが、研究素体として扱われ、衰微しきっていたこの四体の深海棲艦を救い上げ、こうした形でこの施設に引き入れたのは彼である。

彼は激戦期後も、招集により本営に出向く度、データを収集する為に、身体を破壊されては修復されるを繰り返す彼女達に、活力を与え、苦痛を取り除いて来た。

戦艦棲姫の言葉が、若干流暢に聞こえるのは、そうした彼との接触の中で、コミュニケーションの機会に恵まれた故だろう。

そして最近になって、解剖と解体施術以外は、人型の上位個体には効果が上げられないという結論が出た事も、彼にとっては追い風だった。

彼は先程と同じように蒼い微光をくゆらせながら、戦艦棲姫のシリンダーに手を触れる。戦艦棲姫は陶然とした様子で、彼と掌を重ね合わせた。

 

「私モ……、貴方が壮健ナ様子デ居られル事ニ、心ヨり安堵して居リマす」

 

「僕には、支えてくださる優しい人達が居ますから」

 

 彼の言葉に、戦艦棲姫は天龍や時雨、それに、野獣を順番に見てから、目礼して見せた。突然のことだったので、流石にぎょっとした。

思わず目礼を返してしまった時雨を横目に見て、天龍はぐっと戦艦棲姫を睨んだ。だが、奴は敵意も殺意も無い、薄い笑みを浮かべただけだった。

すぐに彼に視線を戻して、彼に縋る様にシリンダーに身を寄せた。

 

「捕らエラレた他ノ者達の事モ、どうカ……、貴方ノ元に置いて頂きとウ御座いマス」

 

「全員は不可能ですが、出来る限りの努力はします」

 

「はイ………」

 

 赤い舌で、自身の唇をゆっくりと舐めた戦艦棲姫は、熱っぽい眼差しで、ひっそりと微笑む彼を見詰めている。時雨が少し赤い貌で息を呑んだ。

無理も無い。ヲ級の時と違い、戦艦棲姫の纏う雰囲気が官能的過ぎて、何とも言えず淫靡な感じがするのだ。天龍だって何だか気まずい。

 

「あ、そうだ(唐突)。

一昨日の夜にぃ、KUWNSIKも、此処に送られて来たらしいっスよ。

 じゃけん、捕獲状況の報告書資料の為に、そっちにも行きましょうね~(せっかち)」

 

 詰まらなそう貌で鼻をほじっていた野獣が、思い出したみたいに彼に声を掛けた。

丁度、戦艦棲姫のシリンダーから離れた彼が、今度はタ級、ル級の前に歩み寄った時だった。

野獣の言葉に頷いた彼は、野獣とタ級、ル級を見比べてから、すまなさそうに微笑んだ。

 

「また、会いに来ます……」すまなそうなその言葉と共に、

シリンダーから離れていく提督を見ていたタ級、ル級は、『あっ、あっ、あのっ、あのっ……』みたいな感じだった。

御褒美のお預けを喰らった子犬の様な、切ない貌のタ級と。唇を噛みながら野獣を睨み、内側からシリンダーをドカッと叩いたル級の姿が印象的だった。

 

 

 深海棲艦に壁ドンされる提督なんて、多分、野獣が人類史上初じゃないだろうか。

何だか凄ぇなぁ……、などと思いながら、提督と野獣の後に続き、また別の施術室兼捕虜房へと足を運んだ。

その房室も、やはり厳重なロックが施されており、中に捕らえられている深海棲艦が、強力であった事を伺わせる。

房室は二部屋に分けられていて、天龍達が入った部屋からは、奥側の部屋の様子が見える様に、大きくマジックミラーが張られていた。

ミラー向こうの真っ白な部屋には、養液で満たされたシリンダーが二つと、簡素なベッドが一つだけ置かれている。殺風景なその部屋に、彼女は居た。

白い肌と白い長髪。額から伸びる角。袖から覗く、装甲に覆われた禍々しく大きな手。十分過ぎる程に女性らしい、豊満な肉体。右眼に黒い眼帯をしている。

港湾棲姫。眉をハの字にした彼女はベッドに腰掛けたまま、心細そうな様子で、じっと床を見詰めている。凶暴さや獰猛さとは無縁の雰囲気だ。

奥側房室への解錠を行っている野獣の背中と、港湾棲姫を交互に見ながら、天龍は色々と記憶を手繰ってみた。

提督や野獣が関わったという話は聞かないから、他所の鎮守府の提督達が鹵獲したんだろう。

しかし、よく鹵獲して来たもんだと思う。生きて捕まえるのなんて、ただ撃沈させるよりも遥かに難しいし非効率だ。

イ、ロ、ハ、ニ、ホ、へ、ト級、或いは、ワ、カ、ヨ級などとは違い、戦艦や“鬼”、“姫”クラスになると、強過ぎて麻酔弾も捕獲トラップも通用しない。

スマートに捕まえるなんてのは、実際のところ不可能だった。結局、一番シンプルで、艦娘達に一番労力と負担の掛かる方法しか残って居ない。方法自体は簡単である。

対象となる“鬼”や“姫”クラスの深海棲艦の艤装だけで無く、自己再生が追いつかないレベルで、腕や脚などを破壊し尽くす事で、抵抗力を奪うのだ。

死ぬ寸前までそれを続け、行動不能になって沈黙した深海棲艦を、生き残った艦娘達で曳航してくる。踏まなければならないステップは少ないが、過酷である。

大和や武蔵、それに長門や陸奥が協力して、戦艦棲姫を捕らえた時も、この方法だった。胸糞の悪い話だが、多分、港湾棲姫も同じだろう。

現場に居合わせたことの在る天龍は、鹵獲の難しさや負担の大きさを知っている。ただ、その過酷さ故に、本営からの多大な評価も約束されているのだ。

くだらねぇな……。天龍が呟いた時だった。

 

 野獣が扉を解錠した。重々しい音と共に、鋼鉄で編まれた扉が軋みを上げて、壁に沈むようにして開いていく。

その低い音に、中に居た港湾棲姫がビクッと肩を震わせて、マジックミラーの方へと顔を向けて来るのが分かった。

 

「一々報告書送って来いとか、は~~面倒クサッ!

 KUWNSIKの捕獲状況の整理、イクゾォソオオオ!!!

 ♪デデデデッ♪ デッデッデッデェェェ―――――――……「カエレッ!!!」

 

 ズズズズ……、と扉が開き切った時だった。

意味も無く何故かテンションを上げ、室内に乗り込もうとした野獣の濁声を遮り、さっと小さな人影が立ち塞がった。

なかなか鋭い踏み込みだった。小さな人影は叫び声と共に、捻りの効いたストレートパンチを、野獣の股間にぶち込んだのだ。

「ヌ゜ッ!!!!!!????(一つ上の男の危機)」 裏声で悲鳴を上げた野獣が、股間を押さえてその場に崩れ落ちる。

捕獲された深海棲艦の反逆かと思ったが、それは在り得ない。解体施術により艤装召還を不可能にされ、肉体の力も封殺されているのだ。

彼女達は人間の女性と変わらない。或いはそれ以下だ。仮に港湾棲姫と野獣が取っ組み合いになっても、軍属の野獣が負けるなんて事はないだろう。

野獣が悶えているのも、単純に当たり所が悪かっただけだ。だが、黙って見ている訳にも行かない。天龍と時雨は、野獣を庇う形で前に出る。

 

「ア……ダ、駄目……!」

 

 それと同時だったろうか。ベッドに腰掛けて居た港湾棲姫が駆け寄って来て、野獣の股間を殴りつけた彼女を、後ろから抱きしめた。

この場合、優しく羽交い絞めにしたといった方が正しいかもしれない。彼女は、港湾棲姫の腕の中で、「カエレ、カエレ……!」と言いながら、ぶんぶん腕を振り回している。

彼女がマジックミラーよりも背が低かったせいで、天龍は港湾棲姫しか見えなかった。北方棲姫。港湾棲姫と良く似た容姿だが、かなり幼い。赤みが強い橙色の瞳が印象的だ。

 

 天龍と時雨は、一応臨戦態勢で飛び出したものの、反応に困った。

此方に敵意満々な北方棲姫も、解体施術によってスポイルされている以上、見た目通りの少女程度の力しか無い。

その北方棲姫を抱きかかえる格好の港湾棲姫にしたって、怯えた様なその表情には反抗の意思なんて微塵も感じられない。

艦娘としての力を有する天龍達がこのまま攻撃しようものなら、捕虜への虐待行為になってしまう。天龍と時雨は顔を見合わせてから、臨戦態勢を解いた。

敵意は在っても、戦意の無い相手に艤装を召還するのも気が引ける。面倒そうにガシガシと頭を掻く天龍を見て、時雨は苦笑を浮かべている。

その様子に、港湾棲姫はホッとしている様だったが、すぐに表情を強張らせた。

心配そうな貌をした提督に、腰の辺りをトントンと叩いて貰いながら、「アー死ニソ……(ゴールデンブレイク)」と呻いていた野獣が、ふらふらと立ち上がったからだ。

 

「HPPOUSIKも一緒に居るの、忘れてたなぁ……(痛恨のミス)

 出会い頭に人のマンモスにパンチくれるとかさぁ、いい度胸してんねぇ! どうりでねぇ!(半泣き)」

 

 内股になってぷるぷると脚を震わせている野獣の憤怒には、言葉ほどの迫力は無かった。

これからどうなるのかと戦々恐々としている港湾棲姫に比べ、北方棲姫はムッとした貌のままで、全然怖がる様子が無い。

「ホ……ホラ……、教エタ通リ……、チャント、謝ッテ……!」 港湾棲姫は慌てた様子で、北方棲姫に何事かを言い聞かせている。

狼狽する港湾棲姫に、北方棲姫は可愛らしくコクンと素直に謝ってから、トテテっと、野獣の前まで移動した。それから、じっと野獣を見詰め出した。

野獣の方は、「ヌッ!?(警戒)」と、あからさまに身構えている。『ごめんなさい』でもすんのかな。天龍はふと思った。傍に居た時雨も、雰囲気的にそう思った筈だ。

だが、違った。「カエレ!!(二撃完殺)」 フワフワ手袋を嵌めた拳を握り固めて、北方棲姫は再び野獣の股間を狙った。

ブオンと音がする、救い上げる様ないい感じのショートアッパーだ。だが、野獣も伊達に“元帥”では無かった。

「ヲッ!!(緊急回避)」 腰を引く様にして、咄嗟にかわして見せた。

 

「謝れって言われてんのに二発目来るっておかしだルルォ!?(正論) オオォン!? 

 俺が女の子になっちゃったらどうしてくれんだオラララァァ~~~ン!!?」

 

 最初の一撃のダメージが抜けていない野獣は、まだへっぴり腰だ。

そんな野獣を見据えながら、北方棲姫は、ふんすふんす! と鼻息を荒げて、ファイティングポーズを取って見せる。「カエッテ、ドウゾ(問答無用)」何て腕白さだ。

見れば、港湾棲姫の方は青い貌をして、あわあわしている。このままでは、無礼を働いた北方棲姫が、野獣に解剖でもされるんじゃなかろうかと心配しているんだろう。

天龍が港湾棲姫をチラッと見てみると、まだ消え切って居ない傷跡が、その白い肌に幾つも在る。あれは、戦いで負った傷じゃない。解剖の痕だ。

大分派手にやられた上に、眼球の摘出までされたのだろう。右眼の眼帯も、近くで見ると酷く痛々しい。

 

 鹵獲・研究が行われる中で、深海棲艦の上位個体には、精神拘束施術の効果が薄いことが分かっている。だが、その肉体の分析はかなり進んでいた。

深海棲艦は、艦娘を上回る生命力を持つ。身体の部位や、臓器などを破壊しても、人の手によって修復が、いや、もっと言えば、“復元”する事が出来る。

勿論、これには妖精達の協力に加え、高等な施術を扱える“提督”の存在が前提では在るが、本営直属の研究機関でならば、そういった人材には事欠かない。

艦娘では廃棄するしか無い様な損傷でも、深海棲艦ならば蘇生させる事が可能なのだ。これを利用して本営は、鹵獲した深海棲艦に対しての解剖、拷問を是としていた。

人型の深海棲艦が“捕虜”として扱われるのは、身体を弄繰り回され、切り刻まれて、生と死の淵から蘇生術で無理矢理引き摺り上げられた後である。

先程のタ級、ル級、ヲ級、戦艦棲姫も例外じゃない。全員、一度バラバラに分解される様な憂き目に遭っている筈だ。それが事実だから、変な噂も広まったりした。

以前、報告書に纏められて鎮守府に送られて来た、深海棲艦とのケッコン施術についての研究も、こうした活動の延長線上に在るものだ。

ただ、北方棲姫に関しては、まだ解剖も行われていない。港湾棲姫を解剖するのなら、同型である北方棲姫にまで、同じ施術を行うのは非効率だとして、野獣が本営に噛み付いたからだ。

とりあえず、北方棲姫とまだ睨み合うと言うか、じゃれ合うと言うか、その腕白さに付き合っている野獣に、何時まで遊んでんだよ……、と声を掛けようとした時だった。

彼が、野獣と北方棲姫の間に、すっと入った。

 

「どうか、そう警戒しないで下さい。

 僕達は何もしません。ただ、お二人の様子を見に来ただけです」

 

 北方棲姫は、野獣から微笑む彼に向き直り、上目遣いで、じっと睨むようにして見詰める。

彼はその視線にも動じない。ただ、その警戒を解すかのように、穏やかな表情を浮かべている。

ただ、ガタイの良い野獣はともかく、華奢な彼に北方棲姫が掴み掛からないとも限らないので、それを防ぐ為に天龍も彼の隣に並ぶ。

しばらく黙ったまま、北方棲姫と港湾棲姫を交互に見ていた彼は、左の掌に蒼い微光を灯した。微笑みを深めて、一歩だけ北方棲姫に歩み寄る。

怒りや凄み、威圧感とも違う。こういう時の彼には、無視出来ない独特の迫力が在る。怯えた様に顔を強張らせた北方棲姫が、二歩後ずさった。

彼が纏った雰囲気に、危険な何かを感じたのかもしれない。港湾棲姫がまた慌てた様子で走り寄って膝を着き、北方棲姫を庇う様に抱きすくめる。

彼は穏やかな表情を崩さないまま、右手で提督服のボタンを上から三つ外した。そして、その懐から、黒い板状の金属塊を取りだした。丁度、携帯端末くらいの大きさだ。

 

「何だよそれ?」

隣に居た天龍は、彼が右手で持つ鋳塊を覗き込んだ。見た感じ、ただの鋼材では無さそうである。

 

「深海棲艦の肉体と親和性の高い、特殊合金です。

此処に来る前に妖精さんにお願いして、特別に用意して貰いました」

 

 落ち着いた声で答えながら、彼は掌に灯した蒼い光を、炎の様に強く揺らめかせる。

それと同時に、彼の左手の中に在る黒い鋳塊の輪郭が崩れて、熔解を始めた。

蒼い微光の揺らめきは、鋳塊を更に光の粒子にまで分解し、彼が掌に宿す蒼色に融けていく。

金属儀礼の施術を極めつつ在る彼は、優れた職工でもあり、工匠でもある。造物から招き入れた命に、提督である彼に鋳込めぬものなど無い。

「……少しだけ、じっとしていて下さいね」 彼は北方棲姫から、港湾棲姫へと視線を移してから、ゆっくりと歩み寄る。港湾棲姫は頷きもしないが、抵抗もしない。

ただ、彼から眼を逸らせない様だ。身体を硬直させている。しかし、北方棲姫の方は違った。港湾棲姫の腕から飛び出して、彼に組み付こうとしたのだ。

 

「おぉっと、お前も大人しくしてろって」

 

 そんな北方棲姫を、艤装を召還した天龍は、ひょいっと持ち上げる様に羽交い絞めにした。

ハナセ! ハナセ! と、北方棲姫がジタバタするものの、スポイルされた身体の力なんて、本当に微々たるものだ。

艦娘としての力を発揮している天龍からしてみれば、どんなに激しく暴れたってヌイグルミみたいなものである。

身動きが出来なくなった北方棲姫に、野獣が「もう許さねぇからなぁ?」と、容赦の無いくすぐり攻撃を開始した。

北方棲姫が身をよじりながら、悲鳴にも似た笑い声を上げる。「止めなよ野獣……」と時雨に諫められていた。

 

 

 野獣達の平和な様子を横目で見て、少しだけ可笑しそうに笑った彼は、膝を着いたままの港湾棲姫の右眼を覆う眼帯に、左手でそっと触れた。

上背の在る港湾棲姫は膝を着いたままでも、頭の高さは立ったままの彼と同じくらいだ。港湾棲姫と眼を合わせた彼は、彼女の不安を払拭する様に一つ頷いて見せる。

同時に、彼の掌に宿る微光の蒼い揺らぎが、ゆっくりと濁る様に血色へと変わり始めた。いや、微光の色だけでは無い。彼の眼にも、鬼火が宿り始めている。

あの色は、“姫”や“鬼”の眼に宿っているものと同じだ。怪しい暗紅色の揺らぎは、彼の手が触れている港湾棲姫の眼へと注がれ、流れ込んで行く。

それは、深海棲艦達にとっての活力の波だ。金属の経。造物の経。彼が朗々と紡ぐ文言に合わせて、脈打つ様な赤黒い明滅が、白い部屋を暗く染める。

その度に、港湾棲姫の身体から傷跡が拭われて消えていく。天龍も、天龍の腕に捕まっていた北方棲姫も、その光景に眼を奪われていた。

ふざけていた野獣も、それを諫めていた時雨も、今は黙って彼の施術を見守っている。やはり、それしか出来ないからだ。

恍惚の表情を浮かべた港湾棲姫は吐息を漏らし、自身の顔に触れている彼の左手、また左腕に、その禍々しい装甲に覆われた両手で、縋るように触れた。

大きな力のうねりが、彼の膨大な精密作業によって、実体と輪郭を持ち始める。その正体は、摘出された眼球の復元と、奪われた視力の復活である。

港湾棲姫の顔に触れていた左手で、彼は彼女の右眼の眼帯を外した。きつく閉じられた港湾棲姫の右瞼からは、透明な雫が伝っていた。

「瞼を開けてみて下さい。……見えますか?」 彼が言葉を紡いだ時、血色の明滅は薄れ、代わりに、澄んだ蒼い光がその掌から漏れ始める。

しかし、すぐにその光も煙の様に呆気無く霧散した。彼の眼に宿っていた暗紅の鬼火も消え、まるで何も無かったかのように静寂が満ちていく。

 

「……! ……見エ、ル……」 

彼の左手、左腕を縋るように両手で包む姿勢のまま、港湾棲姫は右眼をゆっくりと開き、彼の蒼味掛かった昏い瞳を凝視している。その声は、驚愕に震えていた。

空洞だった筈の眼窩に、ちゃんと彼女の眼が在った。それは、鎮守府で行われる“修復”、“改修”とはまた違う、より万能に近い施術に見える。

艦娘召還の応用になるのだろうが、この出鱈目な治療施術を目の当たりにして、正直なところ天龍もかなり驚いていた。

 

 今の人間は、艦娘や深海棲艦という存在に対して、此処まで干渉することが出来るのか。

提督一人で此処まで出来るんだったら、工作艦の明石や妖精が居て、設備が整ってさえいれば、死んだ艦娘を蘇らせる事だって出来るんじゃねぇのか。

いや、そうじゃない。感覚が狂いそうになるが、提督なら誰でも、彼の様に高度な施術応用が出来る訳じゃない。彼が持つ、提督への資質や適正が特殊なのだ。

だからこそ、あれだけ足手まといだった提督が、保持している艦娘の剥奪命令を免れたのだ。それを確信したのはもう随分前だが、改めて薄ら寒さを感じる。

天龍は軽く頭を振ってから、呆然とした様子の北方棲姫を地面に降ろしてやった。北方棲姫は天龍の方なんて振り返らずに、港湾棲姫の元に駆け寄って行く。

北方棲姫に気付いた彼は、そっと港湾棲姫の巨大な手を解き、数歩下がって距離を取る。そのすぐ後に、北方棲姫が港湾棲姫に抱きついた。

パシャッ、と、シャッターが切られる音がした。携帯端末を構えた野獣だ。

 

「鹵獲状況の報告資料用に、写真の一枚も、まぁ、……多少はね?

 どうせ形だけのレポートだから、基本的には『異常ナシ』なんだよなぁ」

 

「はい。有り難う御座います。

 港湾棲姫さんへの治療も済みました。そろそろ鎮守府へ戻りましょうか」

 

「お、そうだな。もうオヤツの時間も過ぎてるゾ。

 早く帰って、昨日取り寄せといたイチゴのケーキ食べなきゃ……(使命感)。

 おいSGRぇ! ビールも冷えてるか~?(呑んべぇ先輩)」

 

「来る前に一応、執務室の冷蔵庫に冷やしておいたけど。

 野獣は、ケーキをツマミにしてビールを呑むつもりかい……?(困惑)」

 

「時雨も気が利き過ぎだろ。まぁ、突っ込むトコは其処じゃねぇな。

 普通に仕事残ってんだろ? 呑むなよ、野獣。またぞろ長門にどやされんぞ?」

 

「ヘーキヘーキ! 

 お前とTNRYUにも分けてやるから、帰ったら俺の執務室に良いよ! 来いよ!」

 

「マッテ!」

 

 馬鹿な事を言い合いながら、天龍達がこの捕虜房から出ようとした時だ。声がした。

天龍達が振り返ると、北方棲姫が彼の提督服の裾を、これでもかと両手でギュッと掴んでいた。傍には港湾棲姫も歩み寄って来ており、ちょっと身構えそうになる。

彼にしてみても、裾を掴まれたのはいきなりだったので、後ろにコケそうになっていたが、倒れずには済んだ様だ。体勢を立て直した彼も、振り返る。

彼が立ち止まった事で、一応満足したのか。北方棲姫は彼の提督服の裾を放して、一歩彼から離れた。

そして、「アリガトウ」と言葉を紡いでから反応を待つように、真っ直ぐ彼の顔を見詰めている。

あの“アリガトウ”は、港湾棲姫の眼を治してくれて有り難う、という意味と捉えて間違い無いのだろう。

だが、やはり衝撃的ではある。今日は驚くことばかりだったが、これがハイライトだ。

深海棲艦の口から、ありがとうなんて言葉を聞く日が来るとは。

 

 人類と深海棲艦の意思疎通は、今まで成功した例が無いとか何とか聞いた気がするが、アレ、嘘じゃねぇ? 出来てんじゃねぇか。意思疎通。

いや、まぁな。さっきの戦艦棲姫とかでも言える事だが、話くらい普通にしてたしな。バッチリだったじゃん? 何だこれ。本営の野郎、適当な情報くれやがって。

いや。違うな。そうじゃない。やっぱりこれに関しても、彼が特殊過ぎるせいだ。常識じゃ測れないというか、判断出来ない部分の事象なのだ。俺は大丈夫。OK牧場だ。

若干錯乱気味な頭をフル回転させていると、今度は「……感謝……スル」と、静かに頭を下げた港湾棲姫が、呟く様にして続く。

彼は二人をまた交互に見てから、黙ったまま静かに微笑んで、頷きを返した。

 

 

 

 

 

 鎮守府に帰って来た天龍と彼は、取りあえず一服も兼ねて、野獣から分けて貰ったケーキを突きながら、コーヒーを飲むことにした。

今日はいろいろ在って、出撃した訳でも無いのにどっと疲れた。甘いものが喰いたい気分だったので、丁度良い。生クリームがめちゃんこ美味い。

特大の溜息を吐き出しながら、天龍はソファに凭れかかったまま天井を仰ぎ、ぐでぇ~と四肢を投げ出している。「秘書艦向いてねぇな、俺」

何気なく零した言葉に、彼が此方を一瞥してくるのが分かった。天龍も視線だけを返しながら、へへっ……、と力なく笑った。

 

「そう言や、地下の特別捕虜房に行ったのは今日が初めてだったのか?」

 

「はい。何度か訪問させては頂いていましたが、実務で関わる方々への挨拶周りが中心でしたので。

先輩の方は、そういうのを無視して、色々と独自に動いていたみたいですけど……」

 

「あぁ……。野獣が、もう何度も地下房に足を運んでるふうに見えたのは、そういう理由か」

 

 アイツは何処でもやりたい放題だな。

そう呟いた天龍に軽く笑った彼は、コーヒーを啜った。

執務室に差し込む日の光には、微かに朱が混じり、茜色に変わりつつ在る。

遠くに聞こえる波音を聞きながら、天龍もコーヒーを啜る。

 

「あの港湾棲姫共も、やっぱり本営に押し付けられた訳か。

わざわざ足を運んだのも、治療してやる為だったんだろ?」

 

「……飾らない言い方をすれば、そうなります。

彼女の解剖の傷については、報告を受けていましたから」

 

「上位個体には、精神施術の類いは効かねぇそうだしな。

 そういう手に負えない奴らを此処に集めて、お前が『何とかしろ』って訳だ」

 

「えぇ。“姫”クラスの強靭な精神を、自由に制御出来るだけの施術式を編め、という事なのでしょう。

 ただ今の所は、生きたままで彼女達を保持し、状況を報告するよう指示が出ているだけですから……。

本営としても、これ以上の研究成果は期待していないのだと思います」

 

「まぁ、仮にお前が新しい施術式を編めなくても、

“姫”共がお前に懐いてれば、利用出来る機会まで飼い殺す事も出来るしな。

 ……良い様に使われ過ぎだろ。文句の一つでも言ってやれよ」

 

 不機嫌そうに言う天龍に、彼はそっと微笑むだけだった。

 

 彼の微笑みには、幾つか種類が在る。嬉しそうだったり、悲しそうだったり、困ったみたいだったりする。だが、今の微笑みは、そのどれとも違った。

以前、彼が単身転属から帰って来たときの微笑みに近い。落ち着いていて優しげな癖に、絶対に相手を心の内にまで踏み込ませない微笑みだ。

他の艦娘達はどうか知らないが、全然子供っぽく無い彼のあの笑顔が、天龍は余り好きじゃない。まるで仮面みたいに見えるのだ。もっと言うと、人形染みてる。

こうしてサシで一緒に居ると余計に思う。言葉の真意や、感情を伺わせないあの笑みは、時に、彼が何を考えているのかマジで分からなくさせる時が在る。

感情の動きを押さえ付けて、覆い隠して、何もかもを我慢してるみたいな、あの、ひっそりとした微笑みを見ると、胸がムカムカしてくる。

だが、気持ちを乱したところで、何の意味も無い。それは、天龍が一番良く理解しているつもりだ。

彼の負担が減る訳でも無いし、何かをひた隠しにしている彼の心を、軽くしてやれる訳でも無い。

自分を落ち着けるみたいに一度ゆっくりと瞑目してから、ソファにだらしなく座ったままの天龍は、再び天井を仰いで深呼吸した。身体を起こして、彼に向き直る。

 

「お前が何考えてんのかなんて、俺には全く分からねぇし、

 何を背負い込もうとお前の勝手だけどよ。まぁ、何だ……。無理すんなよ」

 

 コキコキと首を鳴らしながら言って、唇の端をニッと持ち上げて見せた。

 

 天龍は置いてあったフォークを、残っていたケーキに乱暴にぶっ刺した。

ケーキを口の中に放り込んで、コーヒーで流し込む。ついでに立ち上がって、大きく伸びをした。

それから、執務机に座る彼に歩み寄って、彼の頭をぐしぐしと撫でた。

彼は珍しく驚いた様な貌で、天龍を凝視していた。彼の仮面みたいな微笑がちょっとだけ剥がれた。

取り敢えず、今のところはそれで満足だった。

 

「初めて会った時は、何だコイツと思ったけどよ。今じゃ、俺の提督はお前だけだ。

 付き合いも長いし、世話にもなった。やべぇと思ったら何時でも言えよ。……力になるぜ」

 

見上げてくる彼の貌を覗きこんで、笑ったまま頷いてやる。

 

「お前が何をやらかしたって、俺はお前の味方だからよ」

 

 頼りにしろよなぁ? と、冗談めかして言った次の瞬間、天龍は、ばっと彼から離れた。

天龍を見上げる彼の眼から、ぽろぽろっ、と涙が零れたからだ。あぁん、何で?(レ)

彼が今まで心の内に押さえ込んでいた何かが、天龍の優しい言葉でせり上がってきたのか。

ちょっとよく分からないが、正直、クソ焦った。え、マジ? 泣く? 泣いちゃう? 

馬鹿みたいに動揺していると、最悪のタイミングで扉がノックされた。待ってくれよ。

入って来たのは不知火だった。ウッソだろお前、笑っちゃうぜ……(ふふ恐)。

 

「失礼致します。司令、少し御相談したい事が……」

 

 其処まで言った不知火が、涙を拭っている彼に気付いた。

それから、その傍に突っ立っている、強張った表情の天龍を見た。

きっと、天龍が彼を苛めたとでも思ったに違い無い。

もともと鋭い不知火の眼が、刃物みたいに細められて、艤装が召還された。

 

「不知火です(強襲姿勢)」

 

「知ってる知ってる!!(喰い気味) お、おい! フザケンナヤメロバカ!!」

 

 戦闘海域では恐怖を感じた事は無いが、割りと洒落にならない殺気を放散させながら近寄って来る不知火は、素で怖かった。

涙を拭い終えた彼が、「すみません。不知火さん。見苦しいところをお見せしてしまって……」と、声を掛けてくれなかったら、どうなっていたのだろう。

想像するとちょっと良い気分では無いが、一先ずは胸を撫で下ろす。「い、いえっ、その様な事はありません」

よく訓練された猟犬みたいに、不知火はすぐに艤装を解き、彼の傍に控えた。

 

「しかし、どうなされたのです? 

 やはり天龍さんが、何か性的な嫌がらせを……」

 

「失礼過ぎィ! してねぇよそんな事!

 ちょっと元気づけてやってただけだっつの!」

 

「やっぱりセクハラじゃないですか(憤怒)。 不知火です(覚醒)」

 

「お前は助平な事しか考えられないのか……(焦り)」

 

「いえ、……天龍さんからは、本当に元気を貰いました」

彼は、言い合う天龍と不知火の言葉を間を縫って、やはり微笑んで居た。

それは、仮面の様な微笑みでは無く、信頼する家族に向けるような、無垢な笑みだった。

「有り難う御座います。天龍おねぇちゃん」などと彼が言ってしまった辺り、

凝り固まった彼の心を、先程の天龍の言葉が解してくれたのかもしれない。

 

「えっ」 余りに急な事に、天龍は間抜けな声が出てしまった。

 

「!……!?……!??」 

驚愕した様子の不知火が、天龍を二度見、いや、三度見した。

 

 言ってしまった彼の方も、気付いたようで、「あっ、す、すみません……! 失礼なことを……」と声を漏らしていた。

少し赤くなった貌を隠す様に、彼は恥ずかしげに帽子を目深く被って、天龍達から眼を逸らす。

 

「いや、べ、別に構わねぇよ。呼びたい様に呼べば良いけどよ……」

その仕種に不覚にもトキメキを覚えてしまい、天龍も何だか気恥ずかしくなって来て、うまく言葉が出てこなかった。

ただ、今の彼の発言が、無意識の内の言い間違いであるのならば、普段から彼は天龍の事を、“おねぇちゃん”として認識していたと推察出来る。

嫌な沈黙が続くかと思ったが、そうはならなかった。「司令」と、嫌に真剣な貌で、不知火が彼を見詰めたからだ。

 

「不知火の事も、“不知火おねぇちゃん”と、そう呼んで下さっても構いません」

天龍は、思わず不知火の横顔を凝視してしまう。糞真面目な貌で何を言い出すんだコイツは。

言葉の端々に妙な迫力が在って、隣にいるのに気圧されそうだ。

「えぇ、と……」と、反応に窮する彼に、不知火は力強く頷いた。まるで威圧してるみたいだ。

 

「不知火おねぇちゃんは大丈夫です(HRN並感)」 

 

 自分から言っていくのか……(困惑)。

天龍が戸惑う前で、執務机に座っていた彼が「不知火……おねぇちゃん?」と、ちょっとだけ恥ずかしそうに、不知火をそう呼んだ。

中々の破壊力と言うか、顔があつくなるのを感じた。提督LOVE勢などと揶揄されたりする艦娘達の気持ちが、ちょっとだけ分かった気がした。

恍惚とした様子で大きく深呼吸をした不知火は、今度は天龍の方へ顔を向けて来た。その表情には、自信と誇りが満ちている。

 

「ぬいぬいおねぇちゃんです(達成感)」

 

「呼び方変わってんじゃねーか……。何勝手にランクアップさせてんだ。

 あと、ライバルを見るみたいな眼で俺を見詰めて来るのを止めろ」

 

「では、……ぬ、ぬいぬいです(お気に入り)」 

 

「誰だよ(一刀両断)。つーか、照れてんじゃねぇよ……。

 もう、“おねぇちゃん”通り越して“恋人呼び”みたいになってんじゃねぇか……。

 お前も、もう普通に呼べよ? こんなのに付き合わなくて良いからな?(良心)」

 

 天龍と不知火の遣り取りに、彼は可笑しそうに小さく笑って頷いた。

その彼の様子を見て、不知火も何処か安心したように目許を緩めている事に、天龍は気付く。今更ながら思う。こうして三人で色々と話をするのも久ぶりである。

不知火は彼の初期艦だし、天龍も彼が召還した艦娘の中では、一番の古株メンバーに入る。互いに付き合いも長いし、信頼出来る仲間だ。

あれから、本当に仲間の数は増えた。此処の鎮守府には野獣が居て、他の艦娘達だって大勢居る。

こうして結ばれた今の絆が、彼が抱えた苦悩の火を、少しでも緩めてくれればと。

一人の艦娘に過ぎない天龍は、ただ願うばかりだった。

 

 













▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。