少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

5 / 30
第5章

 日本では古来より、アニミズムの意識が根付いている。

人々は自然物や人工物には魂が宿ると考え、それらは付喪神と呼ばれていた。

優れた職工、職人達も、自らが造り上げる物に“魂を込める”、と言う。

例えば、母が子にマフラーでも編むときだって、“心を込める”と表現したりする。

物に“魂”や“心”が宿れば、次に芽吹くのが“意識”や“思考”、“感情”である。

それらを縫い綴じた“意思”を持ち、万物の内側から人々に語りかける者達を“カミ”として奉り、時に畏れた。

目には見えないこうした不確かな存在に触れ得る者が、現在では提督と呼ばれている。

 

 深海棲艦の上位個体には、確かに“意思”が在る。

人の話す言葉を理解し、また、意味の在る言葉を発することも出来る。

深海より出現する彼女達も“思考”を有し、“感情”としての憎悪と敵意を宿していた。

姫、鬼と称される彼女達は、金属から発生したであろう頑強極まりない肉体と、高度な知性の融合である。彼女達のオーナーの正体は未だ不明だ。

強いて言えば、“海”そのものと言えるだろうか。彼女達がどうやって生まれてくるのかも、諸説あるが、どれも確かでは無い。

だが、本営にとってはそんな事はどうでも良いのだ。提督の執務机に置かれてあった『鹵獲計画書』をパラパラと見て、龍驤は確信した。

この計画は、人類の勝利と平和だけを目的としている。要するに、海の支配を取り戻す事が肝要なのだ。

記された文面から滲み出ているのは、深海棲艦への征服というものに対する、本営なりのより残虐な解釈だけである。

 

 深海棲艦は、人型に近付けば近付く程、強力になる。

しかし、自我や精神が付随してくる以上、それが大きな弱点でも在るという事だ。

極論を言えば、人型の深海棲艦を相手にした時、その強固な肉体と戦う必要は無い。

反抗心。抵抗心。憎悪。殺意。そういった思考を取り除き、精神を抑えてしまえば良い。

自我へ手綱を掛ければ、如何様にも支配出来る。上手くすれば、深海棲艦を手駒に取ることも可能である。

 

 この鹵獲計画の目的は、その施術法を確立する為のものだ。

提督達の持つ、“艦”の金属から、“艦娘”という生命の造形を彫り起こす力。

これを利用して、棲鬼、棲姫達の精神を刻んで象り、完全な道具へと造り替える。

人類が思うがままに、彼女達から意思や思考を剥奪する為の研究である。

海と金属から発生した彼女達に宿る、“魂”や“心”を取り出し、都合の良いように精神構造を造り替えることを目的としているのだ。

“元帥”クラスにもなると当然だが、提督としての資質である、艦娘を召還する為の施術精度も高い。

艦娘召還の力は、其処から枝分かれして伸び、“改修”、“解体”、“補給”、“建造”などの施術へ繋がっている。

艦娘の肉体と精神へと深く干渉する、こうした提督の力を、深海棲艦を対象に取る施術へ流用しようと、本営は目論んでいるのだ。

 

 意思を持たず、命令にのみ従う従順な深海棲艦ほど、素晴らしい兵器は無い。

死を恐れず自己の力のみで肉体を修復し、海に沈んだ鉄屑や金屑を、艦載機や艤装として召び出す、自立する兵器だ。

特に、“姫”や“鬼”と称される彼女達の強さは、並みの艦娘の戦闘力を凌ぐ。個の力で艦隊を相手に出切る程である。

本営が欲しいのは、深海棲艦達の武力なのだ。平和とは、その支配と撃滅の結果に過ぎない。それもまた世の常か。

 

 

 

 頭の隅っこの方でそんな事をつらつらと考えながら、一つ息を吐き出す。

夕飯時の鎮守府。野獣の執務室に、龍驤はタコ焼きセットを持ち込んで、せっせと焼いていた。

 

『何かタコ焼き食べたい……、

タコ焼き食べたくない? 俺もソーナノ、……ソーナノ(フェードアウト)』

と、訳の分からない野獣からの連絡が、非番であった龍驤の携帯端末に入ったのだ。

相変わらず突飛な連絡だったが、まぁ断る理由も特に無かった。

 

 艤装の整備と、艦載機召還用の式神の用意以外は別に何をするでもなく、ぼんやりと考え事をしていただけだった。

夕食も、同じく非番であった大鳳と一緒に適当に済まそうと思っていたから丁度良い。

ただ、執務室でタコ焼きを焼けと言われた時には、流石にちょっと面食らった。

 

 提督達の使う執務室が、其々の鎮守府で、様相も間取りも全く違うのは知っていた。

ある鎮守府では執務室に檜風呂が在るらしいし、学校の教室の様に、机や椅子を揃えているところも在ると聞いている。

野獣の執務室には、洗面所とシャワールームが在る事は知っていたが、その奥に、小さなキッチンスペースが備わっているのは、今日始めて知った。

ちゃんと水道も出るし、コンロも備え付けられている。結構しっかりしたキッチンなのだが、比叡には絶対に此処の事は言うなと釘を刺された。

 

 食材に関しても、野獣は自身で色々と手回しして、面倒なものはある程度揃っていたりする。

タコ焼きの生地や具、トッピングなどを用意までしていた辺り、余程食べたかったのだろう。その行動力には驚かされた。

言ってる事もやってる事も無茶苦茶な癖に、変に用意周到なのだ。

 

「ソースと鰹節の香りが、あぁ^~、たまらねぇぜ! 

やっぱりRJが作る……タコ焼きを……最高やな(ご満悦)」

 

「もう直皆来るやろし、つまみ食いはアカンでー。……でも、我乍ら美味そうに焼けたわ」

 

 カセットコンロ式のタコ焼き機、生地の入ったボウル、トッピングなどを高級そうなソファテーブルに布巾を敷いて、その上に並べている。

龍驤のたこピック捌きも手馴れたもので、焼きあがるタコ焼きは綺麗な球状で、焦げ目のつき方も食欲をそそる。ここまで来ると職人技だ。

野獣は執務椅子をソファテーブルの傍まで引っ張って来て座り、龍驤の焼いたタコ焼きを小皿に取って、爪楊枝で口の中に放り込んでいた。

美味しそうにタコ焼きを食べる野獣を見て、龍驤はちょっとだけ笑ってから、自分もタコ焼きを口の中に放り込んだ。まぁ、ちょっとくらい摘んでもええやろ。

ちなみに、テーブルの上にはホットプレートも用意されており、タコ焼き以外も焼ける状態に大鳳がセッティングしてくれている。

『流石にタコ焼きだけで腹一杯にすんのは、ちょっとしんどいんちゃう?』という龍驤の意見からである。せっかくだし、色々持ち寄ろうという話なったのだ。

ちなみに、龍驤と大鳳は共に野獣では無く、提督に召還されており、二人とも激戦期を経ている。

 

 後は提督と、大和、武蔵、長門、陸奥の五人が此処に来る予定だ。

この組み合わせも野獣に何らかの意図が在ったと見るべきか。いや、考えすぎか。

とにかく、型破りな男だと思う。自分の執務室でプレートパーティをかます提督など、各地にある鎮守府の中でも此処くらいのものだろう。

キッチンも在るし、野獣が食堂に姿を現さないことも珍しく無いから、もしかしたら日常的に執務室で何か作って食べているのか。

執務机の下に、スプレー型の消臭剤を山のように常備しているのをさっき見つけたし、聞けば、明日には執務室の壁紙を取替えて、模様替えもするらしい。

どうせ替えるんだから、今のうちに匂いでも沁みでも何でも付けろ、というノリだ。そういう予定でも無いのであれば、今日の秘書艦である長門が許す筈が無い。

 

 

「あ、龍驤さんも食べてるじゃないですか」

 

 羨ましそうな声で抗議したのは、ホットプレートの温度を調節しながら、油を敷こうとしている大鳳だった。

小柄ながら、普段は大人びて落ち着いた雰囲気の彼女が、ちょっとだけムッとしている。いつもとは違う可愛らしさに負けて、龍驤も困ったみたいに笑った。

この良い香りの中。空腹を我慢している大鳳には、野獣達のつまみ食いが非常に羨ましく感じたに違い無い。

 

「いやまぁ、まだ焼くしええやん。許して」

 

「そ、そういう問題では……」

 

「大鳳も一個いっとくか? 共犯って事で、ウチも黙ってるさかい」

 

 龍驤は言いながら、焼きたてのタコ焼きの一つに爪楊枝を刺して、小皿に取る。

それを大鳳の方へと差し出してから、小皿を持っていない方の手でゴメンのポーズを作る。

『秘密にしといてや』の合図である。龍驤とタコ焼きを見比べた大鳳は、唾を飲み込んだ。

瞳が揺れている。くぅぅ……、という可愛らしい音が、彼女のお腹から聞こえた。

だが、大鳳は自分のお腹の音にも気付いていない。彼女の眼は、タコ焼きを見詰めている。

きっと、小皿のホカホカのタコ焼きが、キラキラと輝いて見えていることだろう。

大鳳はその魔力に直ぐに屈した。無言のまま受けとってから、「……頂きます」と呟いた。

「一杯食べてや。ちゅうても、この生地の量やったら、少ないかもなぁ」

龍驤は笑顔を返しながら、たこピックを操っていく。

 

 何だろう。

 本当に微細な、違和感とも何とも言えない、この妙な感じ。

 横目でチラリと大鳳の様子を伺う。

 今日会った時から思ったが、今日の大鳳は、何だかソワソワしていると言うか。

 そうかと思えば、ぼんやりしていたり、溜息を吐いたりしている。

 

 プシュッと、良い音がした。

 見れば、野獣が缶ビールを傾けて、一人だけゴクゴクやっていた。

 

「あぁ^~、うめぇな!(自分勝手)」

 

「乾杯は流石に待とうや……。まぁ、ええけど……」

 

 龍驤が苦笑を漏らしながら言うのと同時だった。野獣が窓を少しだけ開ける。

夕昏の涼しい風が入って来た。執務室に潮の香が微かに混じった。同時に、遠くで重機の唸り声が重なって聞こえてくる。

鉄のぶつかる様な甲高くも鈍い音も、小さく聞こえる。工事の音だ。龍驤は窓の方は向かずに、手元に視線を落とした。

鎮守府裏手に広がる山裾では、深海棲艦を捕らえておく為の施設の建設が進んでいる。

 

 皆、また彼や野獣の負担が大きくなるのでは危惧していた。

龍驤は、激戦期を生き延びた艦娘の一人である為、本営が深海棲艦に対する研究に、躍起になっていたのは知っている。

現在、『鹵獲計画書』なるものが各鎮守府にばら撒かれているが、そんなものが配布されるよりも遥か前に、研究自体は秘密裏に行われていたのも間違い無い。

激戦期の終盤には、龍驤が参加していない海域での戦闘で、大和と武蔵、長門と陸奥の四人掛かりで、一人の戦艦棲姫を捕らえたという戦果が在った筈だ。

捕らえられた深海棲艦達が何処へ送られたのかも、艦娘達の中で知っている者は、殆ど居ない。ごく一部だろう。少なくとも、龍驤は知らない。

本営が徹底的に情報を外に漏らさない様にしているのだろうが、どうせ棲姫は身体の隅から隅までバラして研究され尽くされて、標本にでもされたのだろう。

そんな噂が流れたりもしたが、あながち間違ってもいないとは思う。

 

 勝利と殺戮が紙一重で存在していた、あの地獄の様な戦闘は、煮詰まるにつれて狂気を増して行った。

人類の勝利に収束していきつつあった激戦期終盤は、その最高潮だっただろう。倫理や道徳など、二の次だった。

ダメージレースでの勝利を確信した本営は、ギリギリまで実利を求め始めた。深海棲艦の鹵獲と、利用を目指したのだ。

駆逐イ級に始まり、ロ、ハ、ニ、ホ、へ、ト、ヌ、カ、ヨ、ソ級などを捕まえる指示が、表立って出ていた。可能であれば、人型も捕らえて来いと言う通達も在った。

特に人型の上位個体はその強力さ故に、捕らえるのは非常に困難だったが、捕らえれば褒美として、多大な評価を本営から得られる事も事実だった。

 

 提督達は下級の深海棲艦を捕らえつつ、そのチャンスを伺っていた。加速する狂奔の中。

戦況の優位さに油断したのだろう。武勲の誘惑に負けて無茶な鹵獲に走り、保持している主力艦娘を全員轟沈させる者まで出始めた。

それが合図だったかのように、深海棲艦達の抵抗も激しさを増した。昼も夜も無く、艦娘達は戦い、敵を殺して、殺されて、沈んで、また召還された。

沈んだ艦娘は人数で数えるより、もう量で見るべきだろう。赤い海に浮かび、千重波に揺れる破片と金屑、臓物と肉片の群れは、今でも鮮烈に憶えている。

 

 艦娘の轟沈数が一向に減らなかったのは、あの泥沼化が要因の一つだろう。

救えない話だが、人型鹵獲の為に動いた艦隊は、野獣達の艦隊を除き、ほぼ碌な成果無く沈んだと聞いている。

ル級、ヲ級、タ級などを捕らえたという報告も、片手で数える程度だった筈だ。つまり、後の艦娘達は残らず沈んだという事だ。

結果として、欲に眼が眩んだ本営とそれに賛同した諸提督達は、艦娘達に大出血を強いたのだ。

下手をすれば、人類優位が揺らぎかねない損害だったあの状況で、戦艦棲姫を捕らえた野獣達の功績は、一体如何ほどだったのか。

確かな事は分からないが、あの一件があったが故に、野獣と提督は同じ鎮守府に配置されているのだろうと、龍驤は勝手に思っている。

再び深海棲艦を捕まえる計画が立ち上がった時に、野獣と提督をセットで事に当たらせる為だ。戦艦棲姫を捕らえた実績は、それだけ本営にも魅力なのだろう。

深海棲艦を飼い殺し、或いは手懐ける為の研究施設の工事も進んでいる。また、あんな下らない事を本気で始めるつもりなのか。

人類が優位に立ってからでも、野獣や提督が本営に何度も召集されていたのも、今思えばかなり怪しい。

戦果報告、会議、その他諸々の為の招集だったのだろうが、本営の真意は恐らく、深海棲艦の研究絡みだったのではないか。

何となくだが、龍驤にはそんな確信が在った。出そうになる溜息を飲み込んで、視線を上げる。

すると、タコ焼きをふーふーして口に放り込もうとする大鳳と眼が合う。

 

 

 

 ちょっと気まずそうな感じで、先に眼を逸らしたのは大鳳だった。

「お腹空いて来ると、頭冴えて来て色々と考えてしもてアカンなぁ」龍驤は誤魔化すみたいに笑って、タコ焼きをもう一個つまみ食いしようと思った時だ。

ノックの音が響いて、執務室の扉が開いた。最初に入って来たのは長門と陸奥だった。提督と大和、それから武蔵の五人がぞろぞろっと入って来た。

長門達の両手には、食堂から分けて貰えるように野獣が手配していた焼肉用の牛肉や、ウィンナーやフランクフルトなど加工品が詰まったビニール袋を提げている。

凄い量だが、大和型、長門型が揃っているのだ。あれでも足りない。

 

 丁度、熱々のタコ焼きを口に入れた大鳳には、かなり最悪なタイミングだったことだろう。

五人全員の視線が、とりあえず大鳳に注がれた。

 

「むぁ!? はふっ!! あふ! あ、あも! 

 ほれはっ! はのっ! はふ、む……! ほふ! ほふっ!」

 

 めっちゃ慌てた大鳳が、口元を片手で押さえながら立ち上がり、ハフハフしながらワタワタし始めた。

「みんなを差し置いて喰うタコ焼きは美味いかぁTIHUぅ~、(自分の事は棚上げ)」と、野獣が言い出したから堪らない。

 

既に一人ビールをあおっている奴の台詞とは思えない。なんて奴だ。

大和達も、大鳳では無く野獣を非難めいた眼で見詰めている。そりゃそうだろう。

野獣の口の周りにはソースがついているし、手にした缶ビールは言い訳の仕様が無い。

 

「むふぁっ!? はふっ! はほふっ! 違いまふっ!!」

 野獣の言い草に驚いた大鳳が、もう泣きそうな貌になりはじめたので、「まぁまぁ」と、龍驤が助けに入る。

 

「つまみ食いっちゅーか。

ちゃんと焼けてるか、大鳳にも試食してもろてたんや。

ウチも一個食べてるさかい、堪忍したって」

 

 龍驤の言葉に、提督もいつも通り、ひっそりと微笑んで頷いてくれた。

「いえ、遅くなったのは僕のせいですし……。準備をおまかせしてしまって、すみません」

 

 

 

 

 

 それから全員でソファテーブルを囲み、食事会のようなものが始まったのだが。

何と言うか、戦艦達がその気になって食べ始めたら、食料が幾らあっても足りない。それを改めて実感した。

龍驤はタコ焼きを焼きながら、ちょろちょろっと焼いた肉やらを摘んでいるが、見ているだけでもうお腹一杯だった。大鳳も似たような様子である。

別に乱痴気のドンチャン騒ぎをしている訳でも無く、普通に食べているだけなのに、凄い迫力だ。皆の箸が止まる気配が無い。

大和や武蔵、長門や陸奥は本当に美人だし、食べている姿に品がある。だが、その妙な迫力のせいで台無しだ。

普段、食堂で食べている量では、絶対に満足していないだろう。

 

 あれだけの量の食材を用意して食べ始めたのに、もう終わりが見えている。

まるで竜巻みたいだ。食べ物が吸い込まれて消えていく様な、奇妙な錯覚に陥った。

まぁ、ウチも今日はソコソコ食べたしな……。腹大きいわ(感覚麻痺)。

序に食欲まで周囲に吸い上げられ、龍驤はそろそろ、生地の続く限り延々とタコ焼きを生産し続ける機械となりつつあった。

戦艦達は龍驤のタコ焼きをえらく気に入った様で、作った端からタコ焼きが消滅していく。ウチは魔法使いか。

 

 ただ、幸せそうな貌で食べてくれる大和達の貌を見ていると、やはり嬉しいものだった。大和や武蔵、大鳳とは激戦期からの付き合いだ。同じ海域で共に戦ったことも何度も在るし、龍驤は絆の様なものを確かに感じている。

野獣や長門、陸奥達のことも強く信頼しているし、掛け替えの無い仲間だと心から思っている。

提督に対してだってそうだ。龍驤は彼を敬愛している。彼の為になら、幾らでもこの身体を張れるつもりだ。

 

 龍驤は横目で彼を伺ってみた。

彼はやっぱり、薄い微笑みを浮かべていた。

まるで、この場に必死に溶け込もうとしているみたいに見える。

しかし同時に、この場から消えてしまおうとしている様にも見える。

今も、大和が彼の名を呼ばなければ、そのまま消えてしまっていたかもしれない。

そんな風に錯覚する時がしばしば在る。秘書艦になった時などは余計だ。

考えすぎだ。気のせいだと、龍驤が自分に言い聞かせている内に。

彼はまた別の誰かに声を掛けられて、その微笑みに、ようやくまた暖かみが宿る。

戻ってくる。彼が、彼になる。そんな印象を受ける。それは、激戦期の頃から変わらない。

彼があんな風に笑うようになったのは、一体何時からなのだろう。

龍驤が彼に召還された時には、すでに彼は、今の彼だった。

少なくとも龍驤は、彼が泣いたり、怒ったりする感情の起伏を見た事が無い。

もっと古株の不知火達ならば知っているかもと思うが、詮索するのは気が引けた。

龍驤の前では、彼は、ずっと彼のままだ。それが少しだけ寂しい。

タコ焼きを引っ繰り返しながら、出来上がった一個を口に運んだときだった。

野獣がソファに座りなおした。

 

「そういや本営から、また『広報用の映像撮って送ってこぉ↑~~~い!』って、

指示書が来たんだよなぁ……。お前らにも協力してもらうから、覚悟しとけよしとけよ~(事前通告)」

 

「そう言えば、数日前に来ていたな。そんな書類も……。

お前が中々言い出さんから、もう無視するものだとばかり思っていたぞ」

 

 タコ焼き三個を丸呑みするみたいに食べた長門が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

それでも、その凛とした美貌故か、所作の一つ一つに品が在って、妙にちぐはぐだ。

長門の隣で、へぇ……、と感心したみたいな声を上げたのは陸奥である。

 

「前に野獣が撮って、本営に送ったフィルム……、あれ好評だったんだ?」

 

「そうらしいな」 

低い声で言ってから、タコ焼きをまた口に放り込んで、長門は視線だけを野獣に向けた。

 

「カメラマンが優秀だったから、まぁ、多少はね?(撮影者の風格)」

その視線を受け止めた野獣は、得意気な貌でビール缶を傾ける。

 

 龍驤も一応、以前撮影されたフィルムについては知っている。

長門達が執務室に訪れる前に、野獣から話のさわりだけは聞いていた。

金剛や加賀、それにビスマルク達の島風姿をしたPR映像に目を付けた本営が、

艦娘達の存在を兵器としてでは無く、もっと親しみ易い形で発信する為の映像を、試験的に何パターンか欲しいと通達を寄越して来たとの事だった。

 

 可能ならば、短い映画の様なものが望ましいとのことであり、つまりは、プロパガンダ用の映像作品などを作る素材が欲しいのだろう。

今までもこういう取り組みは、映画会社などに依頼して少しずつ行われていたが、そのどれもが『命令によって動く、従順な兵器としての艦娘』に焦点が当てられていた。

それは艦娘という存在に対する、人々の恐怖心と猜疑心を取り除く為のものだったからだ。反抗心を持ち得ない、完成された兵器としての艦娘の姿が必要だった。

深海棲艦の脅威に曝される中で、艦娘達からまで反旗を翻されては、もう人類は目も当てられない。そういった人々の不安を払拭するのが目的であった。

艦娘達が、より人間に近しい存在である事をアピールするような宣伝は、極少数だった。悪い言い方をすれば、あれは電化製品の宣伝映像に近い。

映画会社などに依頼して、計算し尽くされた構成と演出であった今までの広報映像では、艦娘の人間性などは表にあまり出てこなかった。

 

 しかし、“元帥”としての野獣が撮影した映像には、自我や意思を強く育ませた、艦娘達の持つそれぞれの人格を見ることが出来るものであった。

造り物では無い、表情や感情、生気の篭る声と、他者と触れ合う艦娘の姿に、彼女達を大切にしようとする他の提督達にも大きな反響が在ったと言う。

一方、艦娘を完全な道具として見る提督達からは不評ではあったが、本営は、野獣が啓示した艦娘の“人間性”に、何らかの有効性を見出しつつ在るのだろう。

人類にとっては、何処まで行っても艦娘は道具であり兵器でしかない。そういう考え方に異議を唱えながら、

深海棲艦に対して人類が優勢に立っている今、新しいプロパガンダのモデルとして、野獣の提出したPR映像が注目されているという状況だ。

本営としては、より洗練された映像では無く、ハンドメイド感の在る映像が欲しいとの事である。

 

 野獣本人も、本営からこんな要請が来るとは考えていなかった様だ。

短い映画の様なもの、とかいう抽象的な表現だけして、満足するものを要求する辺りは、もしかしたら嫌がらせの類いなのか。

現場を理解しない上層部の無茶振りと言うか。まるで、執務や出撃、演習などの合間にでも、パパパッと撮って、終わりッ! とでも思っているのだろう。

迷惑な話だが、完全に無視する訳にも行かない。考え様によっては、各地の艦娘達の待遇を改善するチャンスでも在る。

それを活かすべく、この集まりで色々とアイデアを吸い上げたいと、野獣は言っていた。

 

 

「撮る映像としては、此処はやっぱり王道を征く……ドラマものですか(王者の風格)」

 

 その野獣の言葉に、一同が顔を見合わせた。

大和、武蔵、長門、陸奥も、揃って『は?』と言った貌である。龍驤だって、手を火傷しそうになった。

提督だけが、静かな表情で野獣を見ている。

 

 野獣な突飛なことを言い出すのは何時ものことだが、此処までぶっ飛んでいるのは珍しい。いや、今日は敢えて更にぶっ飛ばしているのか。

権力や上下関係に頓着しないと言うか、鬱陶しがっている様なきらいが在る野獣の事だ。これは、本営に対する嫌がらせ返しなのかもしれない。

 

「あ、あの、ノンフィクションと言いますか……。

本営からは、ドキュメンタリー的な映像が求められているのでは無いでしょうか?」

おずおずと手を挙げた大鳳は、困惑した貌で言葉を紡ぐ。

 

「私達が、その…、劇みたいなものを演じるんですか?」

大鳳に続く形で野獣に向き直った大和も、反応に困った様な表情を浮かべている。

というか、全員そうだ。野獣の言っている意味が、いまいち理解出来ない。

 

「そうだよ(肯定)」だが、野獣は大和に頷いて見せた。

武蔵は、『何言ってんだコイツ』みたいな貌だ。長門も陸奥も同じ様な貌になっている。

怪訝そうな一同を見回して、「はぁ~~~~~~……」と、野獣はこれ見よがしにクソデカ溜息を吐き出した。

 

「あのさぁ……。勿論、ドキュメンタリーと言うか、もう幾つか

そういうのは用意したけど、それだけじゃちょっともの足りないダルルォ!?」

 

「ちょっと野獣」 

やんちゃな弟を諫めるみたいな声で、陸奥が割り込む。

 

「別にそんな奇を衒う必要無いんじゃないかしら?

 普段通りの此処の鎮守府を映せば、それで十分だと思うけれど」

 

「陸奥の言う通りだ。

 意思や自我を育んだ艦娘達が、此処まで人間性を確立させている鎮守府も少ない……。

 だからこそ、此処の“元帥”のお前にこんな要請が来たんだろうしな」

 

 提督やお前が召還した艦娘達の姿が在れば、それで本営も満足するだろう。

其処まで言ってから、長門は眉間に皺を寄せたままで茶を啜った。

 

「映像を撮って寄越せなどと言ってくるのは、野獣に対する圧力かもしれん。

 ……まぁしかし、踏ん反り返っている本営の度肝を抜いてやるのも、一興だろうがな」

 

 言いながら書類から視線を上げた武蔵は、喉の奥を低く鳴らすように小さく笑う。

嫌味の無い笑い方だった。意外なことに、武蔵は野獣の意見には割りと好意的な様だ。

「何となくですが、先輩の言いたい事も分かる気がします」提督も小さく頷いて、武蔵の言葉に続く。

 

「自分以外の何かを演じ、観る人の心を動かすには、演じる人に感情が無ければ不可能でしょうし……、

それが出来ればドキュメンタリーより、もっと身近に艦娘の皆さんを感じて貰うことが出来るかもしれません」

 

 そういう事なんだよなぁ……。野獣は言いながら、大和や大鳳、長門と陸奥の方を見た。

 

「こういうのは、下手糞でも拙くったって良いんだよ。

心の篭ったマジの演技なんて、ただの機械には無理だからね。

人間にしか出来ないことを艦娘が出来るって事は、それは人間って事で良いんじゃない?(調和への光明)」

 

今までとは少し違った、真剣味のある貌だった。

 

「『こいつらにも感情とか人格あるな』って、パッと見で伝わるんだから、

今までみたいに、押し付けがましくて胡散臭ぇ御託並べる必要なんて無ぇんだよ!(せっかち)。

難しい話は見てる方も眠たくなってくるって、それ一番言われているから」

 

長門は少し驚いた様な貌をしていたが、すぐに唇の端を持ち上げて見せる。

「強引な理屈だな……」。陸奥も肩をすくめて、小さく笑う。「野獣らしいわ……」

提督も微笑みを深めて、缶ビールをあおる野獣を見詰めていた。

龍驤と大鳳は、顔を見合わせて、お互いに肩を竦める。

 

「その攻めの姿勢、私は嫌いでは無いぞ」 武蔵が頷きながら言う。

 

「しかし、そういう視点で映像に残されると思うと、緊張してしまいますね……。

 野獣提督には、撮影内容についての案も、もうお在りなのですか?」 

 

 その大和の問いに、野獣は「お、そうだな」と頷いて見せた。一応の案も、野獣は幾つか考えていた様だ。

やおら立ち上がり、ビール缶を傾けながら執務机に置いてあった紙束を手に取り、それを大和達に配り始めた。

その時だった。ピピピピピっと電子音が響いた。提督の懐からだ。

彼は、「失礼します」と皆に一度断ってから、取り出した端末のディスプレイを確認する。

龍驤には、その彼の横顔がほんの少しだけ曇った様に見えた。微細な表情の変化だったので、気のせいかもしれない。

彼はすっと立ち上がって、すまなさそうに皆に頭を下げた。

 

「医務室からの連絡でした。申し訳ありません。……この辺りで少し席を外させて頂きます。

僕の事は気になさらず、ゆっくりとしていて下さいね」

 

 着いて行こうとして立ち上がろうとする大和や武蔵を手で制しながら、彼はまた微笑んだ。

こういう時の彼の微笑みには、奇妙な圧力を感じさせる。言外に、“一人にして欲しい”と言っている様に見えるのだ。

壁とも溝とも言えない、遠い距離を感じる。御蔭で、大鳳と龍驤も何か言おうとしたが出来なかった。

黙っている長門や陸奥も同じだろう。しかし丁度立ち上がっていた野獣だけが、黙って彼の頭をぐしぐしと乱暴に撫でた。彼も、それを拒まなかった。

 

「そういうことなら仕方ないね(レ)。

あと、一人で行くんじゃなくて、YMTとMSSも連れてってやれよ?(イケボ)」

 

 そう言えば、彼の今日の秘書艦はあの二人だったか。

「……はい」 彼は素直に頷いてから、大和と武蔵を交互に見遣った。

その彼の視線に応え、二人は立ち上がる。「では、失礼致します」静かに頭を下げた彼に、続き、大和達も執務室を後にした。

その背中を見送ってから、野獣が緩く息を吐き出した。まるで弟を心配する良き兄みたいな表情だった。

こうしていると、野獣という男には色々な貌がある事に気付く。

普段のちゃらんぽらんな貌や、ムチャばかりする馬鹿な貌は、それこそ野獣なりの演技なのだろうか。

ふと、そんな事が脳裏を過ぎる。だが、すぐに野獣が身を翻して、ニカッと笑って見せた。

 

「すっげぇ考えたんだゾ~、コレ(自信満々)。オラ見ろよ見ろよ」

丁度タコ焼きを作り終え、ソファに座った龍驤にも一部渡してくれた。企画書類である。

撮影案と銘打たれた幾つかの仮題タイトルと、登場人物達の設定などが、必要以上に細かく記載されている。

仮題には、『駆逐艦達のさくらんぼ』、『巡洋艦は欲求不満』、『夜戦主義(ハート)の戦艦達』、『男達と長門(直球)』という文字が並んでいた。

龍驤は眩暈がした。他にも、『空母達の熟れた午後』、『びすまるく☆みるく』、『アイスティーロマンス』『陸奥と夜の火遊び』とかも在るが、……まぁええわ。

眼をぐるぐるさせて体を硬直させた大鳳は、赤い顔のままで手と肩を震わせながら、企画書の文字を追っていた。

陸奥は、仮題タイトルだけを見てから、溜息を吐き出して書類を読むのを止めた。

「おい野獣っ!!」テーブルを蹴飛ばすみたいにして立ち上がったのは、顔を真っ赤にした長門だった。

 

「今までの真面目な話の流れで、何でこんな糞戯けたピンクドラマの撮影の話に繋がるんだ!?

仮題なんて、どれもいかがわしさ全開だろうが!! 私と陸奥なんて名指しだぞ!!?」

 

「良く見ろよなぁ。ビスマルクも居るダルォ? 

モザイクも目線もバッチェ入れるし、時間も30分くらいで短いから、バレないって! 

ヘーキヘーキ!(意味不)」

 

「目線が在っても名前が既に出てるだろうが!! 

 時間の問題でも無い!! それに、“男達”とはどういう事だ!?」

 

「心配すんナッテ。 とりあえず匿名OKで、これから適当に募集かけるから(棒)」

 

「そんなもの募るんじゃない!!」

 

 長門の怒鳴り声に曝されても野獣は落ち着いたもので、全く動揺するような素振りも無い。

飲んでいたビール缶をソファテーブルに置いて、腕を組んだ。

いつもの、似合わない思案顔だ。

 

「あと一応、『アイスティーロマンス』は、俺とアイツが共演する予定だゾ。

 健全な友情ストーリィだから(大嘘)。安心して、どうぞ」

 

「艦娘の人間性をアピールする為の広報映像を、男だけで撮るのか……?(困惑)」

 

 長門が戦慄した声で呟いた。

 一般広報の中にボーイズラブ映像が混じることになるのだろうが、それは大丈夫なんだろうか……。

 

「ロマンスとか言ってる時点で友情じゃないわよね……(お見通し)」 

言い合う野獣と長門を横目で見て、陸奥は苦笑を浮かべて、疲れたみたいな溜息を吐き出した。

釣られて、龍驤も溜息を吐こうとした時だった。野獣が周りを見回して、半笑いを浮かべた。

「あ、そう言えばTIHUさ、お前もさ。朝一に大浴場に行って、ラッキースケベに遭遇したよな(脱線)」

何で知ってるんだ、という疑問は別に抱かなかった。どうせその情報も青葉経由だろう。

 

 突然の野獣の言葉に、大鳳は弾かれた様に顔を上げて野獣に反論しようとした。

だが、何かを言いかけて止めた。ぎゅっと手を握り締めている。

耳まで赤くした大鳳は、下唇をきゅっと噛んで俯き、また無言で座りなおした。

あれは、事実上の敗北宣言だろう。興味深そうに「あら^~」と呟いたのは陸奥だ。

長門も「む……」とか低い声を漏らして、ちょっとだけ頬を染めて大鳳を見詰めた。

 

「ウチもやりかけた事あるけどなー。男湯と女湯の時間帯、見間違えたんやろ?」

ちょっとだけ同情するみたいに龍驤が聞いてみると、大鳳は小さく頷いて見せた。

「その……。何と言いますか……」赤い顔のままで、大鳳はぽしょぽしょと蚊が鳴く様な声で言葉を紡ぐ。

ただ、龍驤にも答えてくれているところを見ると、大鳳もワザとでは無かったのだろう。

 

 他の鎮守府と同じく、この鎮守府にも艦娘用の入渠ドッグの他に、大浴場が完備されていた。ただ、これは予算の都合で男女兼用である。

時間帯で入る時間を分けているのだが、旅館や銭湯の様に入り口に暖簾を掛けて、大きく男湯、女湯と表示している訳では無かった。

入り口に、男湯と女湯の時間帯が表示された表が張ってあるだけである。龍驤も、これについては、意外と優先して改善されるべき点では無いかと思っていたりする。

時間帯が固定されていたならば間違いも少ないのだろうが、浴室の掃除をしてくれる鳳翔の都合も在る為、その日その日で全然違ったりするのだ。

前の日に時間帯をチェックしていても勘違いしていたり、寝惚けていたりすると普通に間違う。龍驤も寝惚けてやらかしかけた時が在った。

だが、脱衣所で服を脱ごうとした瞬間、浴場の方から“fooo↑”という野獣の声が聞こえたので、慌てて外に飛び出し事無きを得た経験は、今でも憶えている。

大鳳の様子からすると、どうも遭遇したのは野獣では無い。ということは、提督と遭遇したのか。何や……、……えぇやん(素)。

朝から様子がおかしかったのは、その所為か。

 

 野獣は言い合う長門の前からすっと移動して、今度は大鳳の前に立った。

それから、全然似合わない優しげな微笑みを浮かべて見せた。

「アイツの裸は見れましたか……(小声)」 野獣が聞いた。

 

「あの……。は、はい……(小声)」 

らしくも無く照れ笑い、え、えへへ……、といった感じで大鳳が答えた。

次の瞬間だった。「じゃあオラオラァ!! ペナルティだ来いよオラァッ!!!(豹変)」

野獣の動きを眼で追えなかった。一瞬の早業だった。

 

 スパパァンっと言った感じで、大鳳の両手首が、まるで手錠でもするみたいに革ベルトで縛られていた。

さらに同じベルトで、大鳳は目隠しをされていた。というか、何処に仕込んでいたのか。

「ファッ……!?」大鳳が驚愕した更に次の瞬間には、もう一度スパァンと音がした。

今度は、大鳳の両足首だ。ベルトでガッチリ固定してしまった。此処まで、ものの数秒だ。

龍驤だけで無く、呆気に取られた長門と陸奥が呆然としている間だった。

その間にも野獣は、ソファテーブルの隅に置かれたスーパーの袋を右手で引っ掴んだ。

 

「アイツの象さんのサイズは、野菜で言うとどの位だ?(セクハラ)」

言いながら、野獣は左手で大鳳の縛られた両手首を掴んで、抵抗を封殺した。

拷問椅子に座らされたみたいな状態の大鳳は、あれでは立ち上がる事は出来ても移動は困難だろう。

「え……、それは……」目隠しをされた大鳳は何かを思い出したのか。

困惑した表情に、さっと朱が差した。龍驤だって困惑した。

そこは照れるトコちゃうやろ……。

 

 大鳳の様子を見下ろしながら、野獣はスーパーの袋から太いきゅうりを取り出した。

食堂で貰っては来たものの、プレートで焼くには不向きだったので、手をつけないで置いていたものだ。

野獣はそのきゅうりで、大鳳のほっぺをペチペチと軽く叩いたり、突っついたりし始めた。

とんでも無く卑猥な感じだった。

 

「ホラホラホラホラ(鬼畜)」

 

「あ、あの、やめ、あぁっ! こ、これ……、く、屈辱的過ぎィ!!(興奮)」 

若干ハァハァした大鳳が悲鳴(?)を上げる。

 

「やめんか馬鹿タレ!!(憤怒)」

 

 我を取り戻した長門は、野獣と大鳳の間に割りもうとしたが、出来なかった。

体を沈めた野獣がすっと身を引いて、迫ってくる長門から距離を取ったからだ。

それから肩を竦めて見せて、ワザとらしく溜息を吐き出した。

 

「そんな怒ることじゃ無いんだよなぁ。TIHUもちょっと嬉しそうだったダルルォ!?」

 

「た、大鳳の趣向嗜好の話では無い! 風紀の問題だ! 

 とにかく! 難癖付けては艦娘を弄り倒すその悪癖を改めろ!

愛宕が男性恐怖症に陥ったのも、そもそも貴様が原因だろうが!」

 

「あ、ちょっと待って! ビスマルクに電話させて貰うね(唐突)」

 

「おい! は、話を聞け!」

本当に唐突だった。野獣は携帯端末を取り出し操作して耳にあてる。

その様子を見ながら、龍驤と陸奥は、大鳳を縛るベルトを解いてやった。

「あの、その……、ご、ごめんなさい」解放された大鳳は、恥ずかしげに俯いた。

微かに息が乱れて、頬が上気していた。こんな艶っぽい大鳳を見た事が無い。

龍驤は気づかれない様に唾を飲み込んだ。陸奥だって、何だか照れた様な貌だ。

だって……。提督の象さんを思い出すだけで、真面目な大鳳がこんなになってしまうのか。

一体、どんな象さんだったのか。想像だけでは、届かない。興味は尽きない。

とろんとした眼の大鳳は、ゆっくりと手を伸ばして、テーブルの上に転がったきゅうりを手に取った。

そのきゅうりをじっと見詰めて、「……提督」と、熱っぽい声で呟く。それを聞いた龍驤は、「えぇ……(赤面)」と呻いた。

きゅうりがデカ過ぎる。「何て立派な……」陸奥も今まで聞いたことの無いような、うっとりとした声を漏らした。

 

『な、何かしら……? 今、ちょっと取り込んでいるのだけど…』

丁度そのタイミングで、野獣の端末がビスマルクに繋がった様だ。

執務室は異様な空気の割に奇妙なほど静かだったから、端末から漏れるビスマルクの声が、龍驤達にも聞こえた。

野獣が長門の説教をかわす為に、適当なことを言っている訳では無い様だ。通話が繋がってしまったので、長門も野獣を睨むに留まっている。

 

「あ、もしもし! BSMRKですか!? 

ウチの鎮守府にィ、提督の手袋を勝手に持ち出して、

今まさにセルフエンジョイ(意味深)してる変態戦艦が入り込んでるんですけど!

不法行為ですよ、不法行為! ちょっと俺の執務室まで来て下さい!(迫真)」

 

 野獣が言い終わったと同時に、ドンガラガッシャンと端末の向こうでかなり派手な音がした。

家具が倒れるというか、椅子から何かが落ちたというか。硬いもの同士がぶつかるような音だった。

『何で知っ……!!』っと、尋常じゃなく焦りまくったビスマルクのくぐもった声が微かに聞こえた。

しかし彼女はすぐに咳払いをして、数秒の無言を返した後、『あ、あら……、よ、よく聞こえないわ』と切り返して見せた。

さすがは戦艦。中々に豪胆だ。端から見ていた龍驤と陸奥も、何と表現すれば良いのか分からないが、ビスマルクを応援したくなった。

 

『で、電波障害かしら?(すっとぼけ) 

 何言ってるか分からないから、えぇっと、……ど、ドイツ語でお願い出来るかしら?』

 

「お、やべぇ! 110番だな!(少年提督への報告)」

 

『ちょ、ちょっと待って!! ごめんなさい!! 聞こえてます聞こえてます!!(必死)』

 

「まず俺の執務室さぁ、ちょっとこれから重大会議始めるんだけど……、参加してくれない?」

 

『えぇ!? あの……でも (パ ン ツ を 穿 く)』

 

「つべこべ言わずに来いホイ」

 

『……うん(涙声)』

 

 野獣は其処まで言ってから端末ディスプレイを操作して通話を切り、長門に向き直った。

 

「お ま た せ(完全勝利)」

 

「だからそういうのを止めろと言っているんだ!」 長門が詰め寄る。

 

「BSMRKは貴重な海外艦やし、御蔭で広報対象も広がるから、ま、多少はね?(よくばりセット)」

 

 だからまぁまぁ、怒んないでよ。

そう言いながら長門に手をひらひら振って見せた野獣は、あれで宥めているつもりなのか。

噛み付くだけ無駄だと悟ったのだろう。長門も、右手を腰に当てて、左手でこめかみを押さえた。

 

「役者も揃いそうだし、此処はいっちょ、広報映像は学園モノにでもすっぺすっぺ。

 明日の執務室の模様替えで、教室セットぶちこめば良いんだ上等だろ?

NGTとMTの二人が、駆逐艦からビッグ7にまで成り上がる、努力と友情、恋のストーリィで良いんじゃない(迷案)」

 

「……ちょっと待て、既におかしいぞ。私と陸奥は生まれながらビッグ7だ。

 そもそも艦船は、駆逐艦から戦艦へ成長するとか、そういうものでは無いだろう」

 

「だから分かり易さ重視だっつってんじゃねぇかよ(棒)

 NGTとMTはさ、レスリング部とウェイトリフティング部、あと柔道部を掛け持ちする、内気な女子って設定だから(小学生のノリ)」

 

「百歩譲って、私と陸奥のキャラ被りと、頭の悪そうな狂った設定には眼を瞑ろう。

だが、私達と駆逐艦のフィジカルの差を考えろ。正々堂々でも何でも無いぞ」

 

「細かい事は良いんだよ! お嬢様キャラ的ライバルポジは、YMTで決まり! 

 MSSは……、土方の兄ちゃん役で、NGTの恋人ポジだな(ナイスアイデア)」

 

「劇中で武蔵は艦娘ですら無いのか……(困惑)」 

 

「しかも男役やしな…」

 長門と同じく、唐突な土方の兄ちゃんの登場には、流石に龍驤も驚きを禁じえない。

「じゃあ、私の恋人役は誰なの?」ソファに深く凭れた陸奥の貌が、不安そうに曇った。

 

「俺かな?」

 

「あっ、ふーん……(艤装召還)」陸奥の眼はえらくマジだった。

 

「冗談に決まってるんだよなぁ(冷や汗)」 

 

焦る野獣を見た陸奥は艤装召還を解いて、つまらなそうに小さく鼻を鳴らした。

それに続いて、あの、ちょっと良いですか……、と大鳳がすっと挙手する。

 

「野獣提督は、先程役者が揃ったと仰っていましたが、私も出るのでしょうか? 

私達は駆逐艦では無く、空母ですけど……」

 

「どうせ野獣の事や。

 ウチらのおっぱいが駆逐艦並みやって言いたいんやろ? もう許せるでオイ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな馬鹿馬鹿しいことを言い合っているうちに、更に時間が経ち。

執務室にビスマルクが現れて更に収拾がつかなくなり、結局、何も決まらず解散と相成った。

本当にビスマルクにとっては災難だったことだろう。終始半べそだった彼女が可哀相で仕方無かった。

取りあえず、野獣の執務室の片付けも終えて、タコ焼きセットも自室に片付けた龍驤は、着替えとタオルを引っ掴んで大浴室へ足を向けた。

今日のこの時間なら、艦娘が使用できる時間だという事は把握している。龍驤は長湯をする方でも無いので、さっと入って来るつもりだった。

今は夜だから無理だが、大浴室は海に面していて、昼間や朝に入れば、ちょっとした眺望を楽しむことが出来る。

ウチも風呂入りに行ったら、脱衣所に裸の提督居らんかなぁー。えぇなぁ大鳳。……えぇなぁ。

 

 ぼんやりとそんな事を考えながら大浴室の脱衣所に入った。

時間表を確認すると、やはりこの時間は艦娘達が使用出来る時間だ。

脱衣所に、龍驤以外の人の気配は無い。

……妙な期待をしていた自分がちょっと恥ずかしくなった。

変な溜息を吐き出しながら、自分を落ち着けながら服を脱いでいく。

そらな。見たいで? ウチかてな? 彼の事をな。熟知したいで? ん? あかんのか?

熱を冷ますみたいに自分に言い聞かせる。と言うか、居もしない誰かに心の中で熱く語りかけた。

 

 だって知りたいやん? 仲良くなりたいやん? 

大切にしてくれるんやもん。惹かれるやん。色々知りたいと思うやん?

ちょっと、彼はその。アレや。ショタっちゅうんか? まぁ聞けや。ちょっと教えたる。

彼のな? 無邪気な腕白さとはまた違った、無防備で儚げな感じとかな? えぇやろ? 

ウチの事をな? 信頼しきった声でな? 『龍驤さん』とかな、呼んでくれるんやで?

あんな透き通った声で呼ばれたらな? なぁ、たまらんやろ? まぁええから聞けや、な?

こんなな? 年上のお姉さんをな? イケナイ気分にさせる子にはな? やっぱりな?

お仕置きが必要やな? そう思うやろ? 嫌らしい意味と違てな? 彼の象さんをな? 

勃っ……パ、パオーンさせてな? こうやってな? ビュルルルってな具合でな? 

一番絞りをな? あ^~、たまらんなぁ。「あ……、龍驤さん?」お! せやな? 分かってるやん。

この声やな? ええ声やろ? ちょっと戸惑ってる感じもな。セクスィーやな? うん。

ちょっと待って? 今の声、どっから聞こえたん?

 

 取りあえずタオルで前は隠して在るが、龍驤はもう全裸だ。

ゆっくり顔を上げて、高級旅館みたいに立派な浴場入り口の石畳へと視線を向ける。

うせ(嘘)やろ……? 心臓が凍りつくと同時に、身体が燃え上がるように熱くなった。

汗が噴出してくる。驚いた様な貌をした彼が、其処に立っていた。勿論、裸だ。

一瞬、いつも掃除をしてくれている鳳翔が、彫刻でも買って来て飾ったのかと思った。

それ位、水滴を滴らせる彼の裸形は美しくて、神秘的ですらあった。

 

 彼は少し恥ずかしそうに頬を染めて、龍驤から視線を外している。

もう全部見られているから、今更隠すのも変だと思ったのか。手にした手拭で前を隠そうとしない。

手拭を掴んだ手は、胸の前できゅっと握っているだけだ。女の子みてぇな反応しとんなぁ、とか、湯だった頭の隅の方で思った。

彼の濡れた肌に落ちる陰影と、微かに湯気を纏う華奢な肉体の造形に見惚れた。

眼を奪われる。龍驤は動けなかった。魔性に魅入られたと言うか、金縛りに会ったというか。

とにかくそんな感じだった。彼は頬を微かに染めたまま、呆然とする龍驤に頭を下げた。

 

「ごめんなさい! ぼんやりしていました。

 艦娘の皆さんが入られる時間だったのですね。申し訳ありません、すぐに出ます」

 

「いや……! 別にウチは、気にして無いで!? こっちこそ何か、ごめんな!?

キミさえ良ければな? 一緒に入ろか! ぐらいのノリやしな! うん!

寧ろ、ありがとうって言うかな! その、今からもう一回一緒に入ろか! 違うか!?

まぁアレやな! 他の艦娘が来たら、また騒ぎになるやろうしな! 出た方がええな!?

ざ、残念やな! ま、また見……、ちゃうちゃう! えぇと!」

 

 混乱の極地にあった龍驤は、大慌ての早口で捲くし立てた。

彼が身体を拭き、被術衣を着るまでガン見していた自分自身が、ちょっと嫌になった。

しかし、彼には龍驤の言葉に優しさ(誤解)を感じてくれたようだ。

顔を上げた彼の悄然とした表情が、少しだけ明るくなった。

「誰にも言わんから、あ、安心しぃや! 今度からは気を付けやなアカンで!?」

舞い上がってしまっている龍驤へと、すまなさそうに頭を下げた彼は、足早に脱衣所を出て行った。

 

 

 その背中を見送り、脱衣所に残された龍驤は一人、万感を込めた深い深い溜息を吐き出した。

身体が熱い。熱くて熱くて仕方が無い。爆発しそうだ。もうどうしようも無い程に、心臓がバクバクしている。

ふらふらとした足取りで取りあえず浴室に入り、並ぶ洗面台の一つに腰掛けて、シャワーを手に取る。

もう一度溜息を吐き出し、先程の光景を思い出す。きゅうりよりデカいんちゃうか……あれ。

そんな切なげな呟きが思わず零れてしまう。そう言えば。彼が手拭で隠した胸元に、何か黒い紋様のようなものが見えた気がした。

だが、彼は刺青なんてしていなかった筈だし、先程は気が動転してしまって冷静ではいられなかったから、まぁ見間違えか。

そこまで考えると、また彼の裸が脳裏に浮かんで来て、身体が熱くなってくる。

いかんいかんいかん、危ない危ない危ない危ない……(レ)

頭を冷やす為に、龍驤は深呼吸して、シャワーで冷水を頭から被る。

「冷たぁっ!?」思ったより水が冷たくて、龍驤は椅子からひっくり返った。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。