少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

4 / 30
第4章

 飴色の空と、昏い色に沈む海のコントラストには美しさと不気味さが共存し、調和している。艤装を纏って海を航行している時には別に気にならないが、こうして陸に足を着けて海を眺めていると、そんな風に感じてしまう。普段とは見え方が違うと言った方が正しいのかもしれない。艤装を装備している時と、そうで無い時とでは、やはり違う。見えている景色が同じでも、まるで何らかのフィルターが掛かった様な違和感だ。

 

 鎮守府の平和で穏やかな時間の中から海を見詰めると、畏怖の様なものを感じる。海の中に潜む害意と悪意を思い出すと、足が竦みそうになる時だって在る。しかし、いざ戦場海域の海原に出てしまえば、感じる事が出来るのは緊張と使命、警戒だけだ。

 

 埠頭から眺めている今の様な、海に対する美しさも不気味さも、殆ど感じない。仮に不気味さを感じたとしても、怯むことは無いし、冷静さを欠くことも無い。戦いの最中では、恐怖も感じない。油断も躊躇もしない。仲間を守る為に勇猛に戦い、遠征任務もこなし、容赦無く勝利を積み上げて来た。黙ったままの海は凪いだり荒れたりと表情こそ変えるものの、結局、漫然として足元に広がっているに過ぎない。

 

 

 陸と海に居る時とで感じるこの感覚のズレは、やはり艦娘が兵器としての側面を持っているが故だろうか。もしくは、“艦”の誇りがそうさせるのか。茜に燃える水平線は、幽渺、幽遠さを湛え、走り去ろうとする雲の群れに、夕陽を塗している。電は、書類が綴り込まれたファイルを大事そうに手に持ち、執務室に向う提督の斜め後ろを歩いていた。出撃から帰投した艦娘達を出迎えに出て、彼女達が入渠ドックに入るのを見送った帰りである。薄暮の埠頭には、緩い潮風が吹いている。彼も、波の穏やかな海を眺めながら、静かな足取りで歩いていた。その表情は普段と変わらない。静謐な面差しで水平線を見据えている。感情を伺わせない彼の黒い瞳に、暗い茜色が写っていた。

 

 彼には、この海がどう見えているのだろう。そう思ってから、じっと彼の横顔を見詰めていた事に気付く。電はそっと視線を外して、軽く咳払いをした。序に、そういえば会話も無く黙ったまま歩いている事にも気付いた。気まずい。いや、気まずいと思ったのは、多分電だけだろう。海を見遣る彼は、そんな事は気にしていない筈だ。彼は、黙っていても苦にしない性格とでも言うか。誰かの機嫌を取ろうとしたりする事も無かった。今だってそうだろう。自分の事も話そうとしないし、自身を理解して貰おうとする素振りも見せない。

 

 電は、他の艦娘達と同じく、彼と固い信頼関係を築けていると思う。しかし、心を通わせているかと聞かれれば、他の艦娘と同じく、素直には首を縦にふれない。彼の来歴を知っても、彼自身の心の内を明かして貰った事はほとんど無い。確かに、感謝や信頼は伝えてくれる。優しくしてくれる。だが今、彼が、海の果てに何を見ているのかなんて事は、全然分からない。聞いてみても、彼は答えてくれないだろう。いつもみたいに、困った様な、優しげな微笑を浮かべて見せるだけだ。

 

 彼の本心を知っている艦娘が、この鎮守府に一体どれだけ居るんだろう。この海が、どんな風に見えているんだろう。電も、彼の視線の先を追ってみた。其処にはただ広漠とした海が在るだけで、やはり彼が何を見ているのかは分からなかった。でも、分かることも在る。

 

「帰還された皆さんに、大きな怪我も無くて良かったのです」

 

 黙ったままの背中に、そっと声を掛けて見る。

 

「えぇ、本当に……。中破したという報告を聞いていましたが、皆さんの元気な顔が見ることが出来てホッとしました」

 

 電の言葉に、彼は安心したように微笑んでくれた。彼は誰よりも皆の無事を喜び、安堵してくれている。それは間違い無い。今はそれで十分だと自分に言い聞かせ、微笑を返しながら電も頷く。

 

「きっと帰還した皆さんも、司令官の顔を見れて安心したはずなのです」

 

「いえ……、僕なんて、心配ばかりしている弱虫な奴だと思われている筈ですよ」

 

 電は、ついさっきの事を思い出して、自分の笑みが苦笑に変わるのを感じた。今日の帰投した艦隊の中には、曙や霞、満潮が参加しており、出迎えに行った提督に彼女達が少々きつく当たったのだ。ただ、無意味に罵詈雑言を浴びせかけられた訳では無いし、彼女達も意味も無く提督に噛み付いたりしない。

 

 曙は腕を組んでそっぽを向いたまま、“そんなに私達の心配ばっかりするなら、自分の心配もちょっとはしたら”と、つっけんどんに言っていた。霞も不機嫌そうに鼻を鳴らして、“私達は子供じゃないわ。気に掛けてくれるのは在り難いけど、出迎えなんて不要よ”と言い放っていた筈だ。満潮はと言えば、特に何をいうでも無く、そっぽを向いて鼻を鳴らすだけだった。彼女達の言葉や態度の裏には、彼に対する思いやりが感じられた。彼女達なりの、彼に対する信頼の表現方法の様なものなのだろう。実際、あの3人が彼の身の振り方に対して、気を揉んでいたりするのも知っているから余計にそう思う。

 

「僕は、何処までも臆病者です。業突く張りで、いぎたなくて……、どうしようも無い子供のままです」

 

 彼は自嘲するみたいに言ってから僅かに俯き、歩く速度を落とした。また、彼が肩越しに振り返った。

 

「電さんは、……海に出るのは恐ろしいと思う事は在りますか?」

 

 澄み切った黒い瞳が、電を映している。

 

「えっ」

 

 そんな事を聞かれたのは初めてだった。というか、電が戦いに参加するようになって、もうかなり経つ。

余りに今更な質問の真意が咄嗟には掴めず、ポカンとしてしまう。落ち着き払った抑揚の無い彼の声からは、見た目の様な少年らしさは感じられない。やたら温みのあるその声音は、耳と言うより心に響く。それは、電が彼に召還されたから、という理由だけでは無いと思う。見詰められると、眼を合わせることが出来ない。

 

「い、いえ……、海に出る時は、他の艦娘の皆さんと一緒ですし、怖くは無いのです」

 

 不自然な伏し目がちになりながらも、言葉を紡ぐ。

 

「……電さんは、強いのですね」

 

 そう呟くように言った彼の声音と、真摯な眼差しには、電に対する尊敬と信頼が在った。ドキッとしてしまう。電は「い、いえ、そんな! 強くなんて無いのです!」と、手を振って見せた。慌てたせいでファイルを落としそうになった。自分を落ち着かせるみたいに息を吸い込んで、海を一瞥した。

 

「海に出る時は緊張しますし、この鎮守府の誰かが沈んで還って来ない事を考えると、…凄く怖いのです」

 

 電は、“艦”としてでは無く、感情を持つ“艦娘”として答える。答えてから、埠頭から見る海に感じた不気味さの正体が、今更になって少しだけ見えた気がした。海とは戦場であり、茫洋極まる墓所でも在る。沈めば、もう帰っては来れない。電に倣い、海へと視線を向けて居た彼は、少しだけ苦しそうに眼を細めて、前を向いた。少しの沈黙が在った。埠頭のコンクリートに、彼と電の影が伸びている。風が緩く吹いている。電は、何かを決心するみたいにきゅっと下唇を噛んで、夕陽に染まる彼の背中を見詰めた。

 

「でも、沈んだ敵も出来れば助けたいと思うのは、その、おかしいですか?」

 

 深海棲艦との戦争には勝ちたいが、命は助けたい。他の艦娘には伝えたことの無い、電の本心だった。電は其処まで言って、彼の言葉を待つ。こうして打ち明けるのにも、思ったより勇気が必要だった。胸がドキドキしている。空にまだ星は無い。夕雲が流れているだけだ。彼が静かに、しかし深く息を吸い込んだ。それをゆっくりと吐き出してから、彼はまた、歩きながら肩越しに視線を寄越した。僕も、そう思います。そう言った彼は何時もの様にひっそりと微笑んでから、頷いてくれた。凄くホッとした。彼の表情は本当に暖かくて、優しい世界を希うような微笑みだった。

 

「深海棲艦との共存は、今の段階と状況では非常に難しいでしょう。ですが……」

 

 彼は其処まで言って、海へと視線を向けて、ゆっくりと二度瞬きをした。その一度目の瞬きの瞬間だった。

 

「条件さえ揃えば、“海”から平和を買う取引は、……可能かもしれません」

 

 怖いくらい抑揚の無い彼の声に、ゾッとした。電は思わず息を呑んで、身構えそうになる。海を見詰めながら、一度目の瞬きをした彼の黒い瞳に。暗紅色の光が灯った様に見えたからだ。見た事がある種類の眼の光だ。あれは、確か。海で。海原で見た。深海棲艦の、“鬼”か。“姫”だったか。海にも、深海棲艦にも感じた事の無い種類の感覚だ。恐怖。いや、これは畏怖だろうか。身体を強張らせる電には気付かないまま、海を見詰める眼をすっと細めた彼は、細く息を吐き出した。そして、二度目の瞬きが終わった時には、彼の眼に宿っていた、鬼火の様な紅のゆらめきは消えていた。やはり気のせいだったのか。

 

 優しげで、ちょっと頼りなさそうな、いつもの彼の眼に戻っていた。澄みきった彼の黒い瞳が、海から電へ向けられる。一歩後退りそうになったが、何とか堪える。すぐに言葉が出てこなかった。彼はそんな電を見て、やはり微笑むだけだった。その微笑も、何時もと違った。顔全体を引き攣らせながら歪ませて、何とか笑って見せた様な印象を受けた。電の視線から逃げるみたいに、すぐに彼は背中を向けて、歩き出した。その小さな背中が何時もより小さく、でも大きく、遠くに見える。やはり、言葉を掛けることが出来なかった。暫く、彼の後ろを黙って歩いた。

 

 埠頭に並ぶ倉庫の前を歩きながら、地面を見詰める。彼の事を、怖いと思ってしまった自分が、何だか凄く嫌だった。今しがた見た、彼の紅い鬼火の宿る瞳が、深海棲艦の上位個体の視線と重なって見えた。黙って彼の後ろを付いて行きながら、ぎゅっと、手にしたファイルを抱きしめる。

 

 深海棲艦に付けられた“鬼”の銘は、“棲”の文字と共に付けられている。南方棲鬼。泊地棲鬼。南方棲戦鬼。港湾棲鬼。離島棲鬼。どれも、“棲む鬼”と称される。更に、“姫”の銘を称されるものは、“戦艦棲姫”、“飛行場棲姫”など、場所だけで無く、建築物、造物に“棲む姫”と称されている。無機物に宿った、人類に対する敵意と害意と殺意の総称である。では、もしも有機物に“棲む何か”が居たならば、それは何と呼ぶべきなのだろう。場所。方角。金属。それらに宿る“鬼”や“姫”と同じく、“人”の中に“棲む何か”が居たのならば、それは“鬼”か“姫”か、或いは、もっと別の何かなのか。其処まで考えて、電は自分では気付かない内に足を速めて、彼の提督服の袖をきゅっと摘んでいた。

 

「ど、どうされました?」

 

 一旦立ち止まって振り返った彼も、さすがに少し驚いたようだった。その貌を真っ直ぐ見ることが出来ず、電は微かに震える指先で彼の袖を摘んだままだ。「あの、司令官さんは、そ、その……」俯くようにして、電は言葉を詰まらせる。何か言葉を伝えようとして、彼の袖を摘んだ訳では無い。

 

 だが、先程の彼の様子を見て、彼が、何処か遠くへ行ってしまう様な気がしたのだ。仲間の誰が沈んでも、それは凄く悲しい。帰って来ない事を考えると本当に怖い。それと同じだ。彼が居なくなってしまう事を考えると、底の無い奈落へ落ちていく様な気持ちになる。だから、今みたいに縋るようにして、彼の裾を摘んでしまった。不安や焦りの様なものを強く感じてしまったのだ。急に恥ずかしくなって来た。

 

「あ……ぅ、な、何でも無いのです! 先に執務室に戻って、コーヒーの準備をして待っているのです!」

 

 彼の袖から指を放しながら早口で言って、電はペコリとお辞儀をした。それから、呼び止めようとする彼の隣を走って通り過ぎる。埠頭倉庫の角を曲がろうとした。出来なかった。同じタイミングで、角から走り出て来た誰かとぶつかったからだ。黒のブーメラン海パンとTシャツ姿の野獣だった。咄嗟に、身体へ“艦娘”としての力が入ってしまった。

 

「はにゃぁ!?」 

 

「ヌッ!?(電のオデコで鳩尾強打。吹き飛んで悶絶)」

 

 後ろに倒れて尻餅をついた電は、すぐに起き上がって野獣に駆け寄ろうとした。

 

「痛たた、あ、あの! だ、大丈「捕まえたぞ、野獣……」

 

 だが、彼女は電よりも速かった。地面に伏せて鳩尾を擦る野獣に詰め寄って、その胸倉を引っ掴んで無理矢理立たせた。軍人と言うか、武人然とした凛とした声音には怒気が滲んでいる。那智だ。眼つきの鋭さも相まって、相当怖い。普段は結構タフな癖に、今回は当たり所が悪かったのか。電にぶつかったダメージが抜けていない野獣は、痛そうな貌で鳩尾辺りを擦っている。と言うか、あの不機嫌そうな那智を前に、痛がるだけで怯んだりしない辺り、神経の図太さもかなりのものだと思う。取りあえず、那智と野獣の間に入れない電は、はわわわ……、みたいになるしか無かった。見守るだけである。

 

「貴様、私を見るなり逃げ出したところを見ると、やはり悪い事をしている自覚は在った様だな。もう許せるぞオイ」

 

「お腹痛いにょ……。まま、そう怒んないでよ。ちょっと呑んだだけから。ヘーキヘーキ。ヘーキだから(棒)」

 

「何が“ちょっと”だ! 飲み干しているだろうが! そもそも貴様が平気でも、私は全く平気でも何でも無いぞ!」

 

 やれやれみたいな野獣に対して、那智のボルテージは上がりっぱなしだ。と言うか、二人の間に何が在ったのだろう。立ち去るに立ち去れず、立ち往生していると、「怪我は在りませんか!?」と彼が駆け寄って来てくれた。「はい、私は大丈夫なのです。でも、その……」と尻すぼみに答えながら、電は野獣と那智へと視線を戻す。丁度、そのタイミングで那智と野獣も、電と提督の存在に意識が向いた様だった。野獣の胸倉を掴んでいた手を慌てて放した那智は、ピシッとした動作で提督に最敬礼をして見せる。

 

「INDMも大丈夫か? 大丈夫か? 俺もNTに追い掛け回されてて、前方不注意だったんだよなぁ(分析)。許して下さい、オナシャス! センセンシャル!」

 

 一方で、那智の手から逃れた野獣は、ワザとらしく首元を擦って痛がりながらだが、一応電に謝ってくれた。電の方は全く怪我は無いし、むしろ艦娘に激突した野獣の方こそ心配すべきなのだが、見た感じでは全然問題無さそうだった。だが、その野獣の言い草に、那智の眉間に見る見る皺が寄っていくのを見て、彼が真面目な貌で野獣と那智を見比べた。

 

「あの、改装か編成か何かで、問題でも在ったのでしょうか?」

 

 彼の質問に、那智の表情が少しだけ苦くなった。というか、普段は落ち着いた彼女が此処まで怒るとなると、何か在ったのだ。野獣の艦娘運用について、何か口を出したりするつもりは無いのだろうが、やはり彼も気になったのだろう。電としても気にはなったが、どうも野獣の様子を見るに、そんなに深刻なことで怒っている訳では無いのは、何となく分かった。らしくも無く視線を彷徨わせた那智が、「それは……」と、言い澱んでいる。野獣が、つまらなそうに鼻から息を吐きだして、肩を竦めて見せた。

 

「HUSYUのトコの酒を一本くすねて呑んじまったら、それがNTの取り置いてあった大吟醸だったんだよなぁ。すっげぇ~美味かったゾ^~(ご満悦)」

 

 電は、先程までの那智と野獣のやりとりを思い出して色々と察した。彼の方も「あぁ、そうでしたか……」と、なんとも苦しい笑顔を浮かべていた。先程は電にも素直に謝って見せたのも、野獣なりの挑発だったのだろうか。憶えておけよ(小声)、と。歯軋りをした那智は、横目で野獣を睨み付けている。かなりおっかない。だが、大の男でも震え上がりそうな視線を平然と受け止める野獣は、提督に歩み寄って、その肩を叩いた。

 

「だからそう怒るなつってんじゃねーかよ(棒)。今日の晩、こいつと一緒にHUSYUのトコに行く約束してるから、NTも、良いよ来いよ。其処で何か奢ってるやるから、それで許して、どうぞ(上から目線)」

 

 野獣に肩を抱かれる状態だが、彼は特に嫌がる素振りも見せず、那智に快く頷いた。意表を付かれた貌の那智は、彼の微笑みにたじろぐみたいに一歩下がった。だが、すぐに野獣を睨み返す。

 

「いや。その必要は無い。弁償しろ。それで許そう」

 

「はぁ~、面倒くさ。NTさぁ~ん。俺、知ってるんですよォ~(ねっとり)。AOBから色々、また買ったんでしょう? 良いよなぁ~、俺にもちょっと回して下さいよ」

 

「なっ!?」那智の頬に、さっと朱が差す。

 

「はわっ」電も、自分の顔が熱くなるのを感じた。

 

 実は、以前の“提督の島風姿”の写真が出回った事を切っ掛けに、この鎮守府の艦娘の間では、提督のその手の写真が高値で取引されたりしていた。彼の写真が流通するのは、野獣が召還した艦娘が優先である。彼が召還した艦娘には、順番とは言え、秘書艦として一日一緒に居られる機会が在るからだ。秘書艦になれば、彼が起きていない早朝に自室に向かえば寝顔も見放題だし、肩を揉むという名目のもと、ボディタッチも可能だ。控えめな電も、今日は……やったぜ。なのです。

 

 ただ、野獣に召還されてしまった艦娘はそう言う機会には殆ど恵まれない。そんなのは余りに不公平だ、訴訟。という流れになったのだ。その解決の為、流星の如く現れた救世主が、青葉だった。彼女の“皆にも彼の良さを伝えたい”という熱意と、“彼を撮りたい”という情熱。其処に、“あ^~、良いっすね^~”という助平心。その三つが作用し合うことで、彼に大胆なポーズを要求し、風呂場に潜入して盗撮まがいの事を平気で行い、強引な『知る権利』を振りかざす、とんでも無いパパラッチ娘が誕生したのだ。

 

 しかも、彼の写真を販売することを、彼自身から許可を取ったと言うのだから、もう意味が分からない。彼は、『僕の写真なんて、誰も欲しがりませんよ』と苦笑していたらしいが、そんな訳が無かった。需要はかなり在ったりする。青葉自身が、以前の激戦期を生き抜いた艦娘であり、その間、彼を支え続けた一人でもある。それ故に、彼からの信頼も厚いという事もあるのだろう。ただ流石に、無修正モロ出しボンバー☆みたいな写真は出回ったりはしていない。その辺りは、青葉も弁えている様だ。

 

 艦娘の皆も、青葉のセンスというか、命を燃やすかのような素晴らしい写真には惜しみ無い称賛を送っている。写真の種類は多岐に渡り、彼の寝顔や横顔、項や手、腕、脚、お尻など、様々なフェチ達の要望に応えられるラインナップである。ちなみに電も一度、青葉が撮って来た彼の写真を見せて貰ったことが在る。何と言うか、途轍もない衝撃で価値観が変わりそうになった。

 

 あの肌色まみれの写真のせいで、その夜は悶々として眠れなかったのを思い出す。一枚だけプレゼントして貰った彼の写真は、シャワー中の彼のハダカの上半身を、背中から撮ったものだった。どうやって撮ったのか凄く聞きたかったが、そんな疑問を吹き飛ばす代物だった。少女のようなきめ細かな彼の肌と、少年らしい瑞々しさに溢れた背中の躍動感。滴り伝う、水の球。くゆる白い湯気に、冴える様な艶やかな肌香と、濡れた髪。背のラインから続くお尻への曲線は、写真から見切れていたが、それがまた芸術的だった。正直、感動したのを覚えている。青葉は天才だと、本気で思った。

 

 提督のこんな嫌らしい写真なんて撮るなぁ!(建前)ナイスぅ!(本音)というのが全体意見であることに、心から納得した。噂によれば、まるで密売みたいに本営にも何枚か送られているらしい。誇り高く錬度の高い艦娘が揃い、多大な戦力を保持しているこの鎮守府の、ちょっとした闇の部分とでも言うか、そんな感じだ。この事については野獣にはバレ無いようにしていたらしいが、どうやら無駄だった様だ。

 

「な……、何の事だか分からんな」

 

那智が、いかにも苦し紛れといった風に眼を逸らした。

 

「あ、そっかぁ……、俺の勘違いかぁ(ゲス顔)」

 

 対する野獣は、肩を抱いた彼からは見えないように、海パンの尻部分から、写真を3枚取り出して、それを那智にチラつかせた。那智の表情が強張った。野獣が手に持っていた写真は、3枚とも彼の島風姿だった。

一枚は、島風服の脇の切れ込みから、彼の桜色の蕾が覗いている。所謂、胸チラ写真である。もう一枚は、島風服の彼のお尻を強調する様なアングルの写真。あと一枚は、彼のスカートを持ち上げる“ふくらみ”のアップ写真だった。今までに無いほど扇情的と言うか、性的というか。割りと直球だ。電は自分の鼻をさっと触って、鼻血が出ていないかそっと確認した。大丈夫だった。ただ、那智の方は結構やばそうだった。顔が紫色になっていた。

 

「き……、き、貴様……、ひ、人のモノを(レ/震え声)」

 

「被写体“本人”に言うべきかなぁ、コレ。どうすっかなー、コレなー(いじめっ子)」

 

 那智の様子から見るに、間違いなくあの写真3枚は、那智が所有していたものだろう。焼き増しの可能性も在るが、多分違う。写真の彼のお尻や、胸の蕾の辺りに、何やら桃色ペンでハートマークが書かれているからだ。電もちらっと見て、あっ……(察し)と言い掛けたのを、ぐっと飲み込んだ。那智と視線が合いそうになり、すっと眼を逸らす。遣り取りの意味を理解出来ていないのは、瞬きをしながら那智と野獣を見比べた彼だけだろう。

 

「あんな高そうな酒の弁償なんて無理だからね、仕方ないね(レ)。じゃけん、酒の席で奢るくらいで勘弁してくれよなぁー。頼むよー(鼻ホジ)」

 

「な、ぐ……ぅ。わ、分か……った」

 

 俯き加減でぎゅうぎゅう手を握り締めて、ぶるぶる肩を震わせながら、半泣きの那智が言う。気の毒だったが、電の力ではちょっとフォロー出来そうになかった。「では、また後程。楽しみにしています」と、彼が、微笑んだ。夕陽に照らされた無垢な彼の笑顔が届いた先は、那智の心の中に在る罪悪感か、それとも萌えなのかは分からない。苦しそうな貌になった那智は「し、失礼しゅる!!」と噛み噛みに言いながら敬礼をして、競歩みたいな速度で、去って行った。野獣に噛み付いて大火傷をした艦娘は、これで何人目だろう。電は、何だか切ない気持ちになった。

 

 

 

「真面目過ぎるNTには困ったもんじゃい……(なすり付け)。そういや、怪我無いかINDMァ」

 

 那智を見送りながらも、全然悪びれた風じゃない野獣は、彼の肩を抱いていた腕を解いて、ボリボリと頭を掻いた。それから、電の方へと向き直る。

 

「はい。で、でも、電が身体に力を入れて踏ん張ってしまったので……。ごめんなさいなのです。野獣さんの方こそ、お怪我をされていませんか?」 

 

「ヘーキヘーキ。今回は俺が悪かったんだからさ。別に謝らなくても良いゾ。そんなに簡単に謝ってたら、気が弱い奴だと思って付け入られちゃう、ヤバイヤバイ(危惧)」

 

 

 思案顔になった野獣が、顎に手を当てて何か考え始めた。電の傍に居た彼の方も、野獣の言葉に、納得したみたいに頷いている。

 

「電さんはとても優しい方ですから、それを逆手に利用しようとする人も、居ないとも限りませんね」

 

「そうだよ(便乗)。じゃけん、ちょっとこういう状況になった時の為に練習、しときましょうね~(名案)」

 

「えっ」

 

 何だか、変な方向へ話が進もうとしている。助けを求めるみたいに彼の方へ見ても、「それは良いかもしれませんね」と、笑みを浮かべていた。

 

「シチュエーションに弱いのを克服する為だから、イメージし易い方が良い……イメージし易い方が良く無い?」

 

「僕は機転の利かない人間なので、すみません。アイデアは先輩にお願いします」

 

「あ、そっかぁ(熟慮顔先輩)。それじゃ、今みたいに、誰かがぶつかって来たっていう状況で、はい、ヨロシクゥ! フリースタイル(?)で一回やってみて、どうぞ」

 

 オロオロする間も無く、何か始まった。「え、あの……」と、電は野獣と彼の顔を交互に見る。二人とも、やたら真剣な表情で、電の一挙手一投足を注視していた。フリースタイルって何なのです……?(素朴な疑問)。ラップ対決みたいな感じだろうか。ただ、何と言うか。二人とも電のことを馬鹿にしているとか、いじっていると言う風でも無い。気の弱い電が、もしも何らかのトラブルに巻き込まれた時に、オドオドしてしまって付けこまれてしまわない様に心配してくれているのだ。きっとそうだ。そう前向きに捉える。眼を閉じる。一つ深呼吸する。薄暮の埠頭に吹く潮風を吸い込んで、吐き出す。

 

 集中力を高める。気が弱くても良い。でも、悪い人には凛然と立ち向かうのだ。電は、駆逐艦なのだ。“艦”なのである。自分に非が有る時は、誠意を持って謝罪する。だが、非が無い時にまで、弱気になる必要は無い。強気に行け。野獣はそう言っているのだろう(早合点)。そうだ。もっと強気に。ガンガン行くのです。電は自分の中に、シチュエーションを思い描く。イメージする。強気な自分を。誰かがぶつかって来た状況を、イメージ……、イメージ!

 

「お、オイ、コラァ! 降りろォ! なのです!!(><)」

 

「ファッ!?」

 

 野獣が驚愕していた。提督もポカンとしている。でも、二人の様子は、余り気にならなかった。今はただ、イメージした自分を表に出す努力をするのだ。強い電を。敵も助けられるくらい、強い自分を。ぎゅっと手を握り締めて、電は息を吸い込む。イメージを加速させる。

 

「め、免許持ってんのかぁ! なのです!! にょ、よーし、電のクルルァに続いて、鎮守府まで着いて来い! なのです!(><)」

 

 徒歩じゃなくて、車に乗ってる状況の上に……、鎮守府まで連れて来るのか(困惑)。野獣は驚いた様な貌で呟いていたが、提督の方は無言のまま、真っ直ぐに電を見ている。まるで、電が少しずつ変わろうとするのを応援してくれているみたいだ。凄く心強い。力が漲ってくる。気持ちが高揚してくる。彼の傍に居られる様に、強くなりたい。

 

「よ、ヨツンヴァインに、にゃ、なるのです! あくするのです!」

 

 前の肝試しの日からだ。雷の様子が少し変わった。何が在ったのかも聞いた。雷が、彼の事を話そうとしなくなった。寝る前や休憩時間、非番の日には、時間が許す限り、雷は難しそうな本を読み込む様になった。彼の傍に居て、彼の役に立つにはどうすれば良いのかを、必死に考えているのだろう。姉妹だから、何となく分かる。彼の力になる為に、何か出来る事が無いかを探している。“元帥”の地位に居る彼に、これからどんな任が与えられるのかなんて分からない。もしかしたら、一緒に居られなくなるかもしれない。そんなの、嫌だ。

 

 だから、彼の傍に居ても、おかしくない自分になる為に、私も強くなりたい。彼が手を引いてくれる様な存在になりたい。“提督達”が扱う術式の勉強を始めた雷だって、きっとそう思っている。雷はあの日以来、口癖の様に言っていた“私が居るじゃない”というフレーズを一度も言っていない。心からそう言える様に、雷は努力しているのだ。負けられない。

 

「め、免許返さねぇぞ! なのです! う、ぅう、撃つぞコラァ! なのです!(><)」

 

「物騒過ぎィ!? そんな苛烈に攻め立てなくて良いから(良心)」

 

「ふにゃ……、ふざけんなのです!!(声だけ迫真) 死ぬ寸前まで痛めつけてやるのです!!(><)」

 

「もう許して! 優しいINDMのイメージ壊れちゃ↑~^う!!」

 

 野獣の言葉に、電ははっと我に帰る。握っていた手を開いてみると、じっとりと汗が滲んでいた。こんなに声を出したのは、初めてかもしれない。普段の電を知る暁達が近くに居たら、驚きの余りひっくり返っていただろう。それくらい、思いっきり強気になった。凄くすっきりした。でも、その高揚感は長くは続かないことを、電は何となく知っていた。埠頭に吹いてくる風が心地よい。腕で、額の汗を拭った。深呼吸して、野獣と彼とに向き直る。野獣は、たまげたなぁ……、と、うろたえるみたいな貌で電を凝視していた。彼の方は、頼もしい仲間を見るような、信頼感に溢れた微笑を浮かべている。急に恥ずかしくなって来て、電は俯き加減でペタペタと前髪を触った。

 

「あの、こ、こんな感じが電の本気……じゃなくて限界な、なのです」

 

「十分だと思うんですけど……(冷や汗)。お前、どう?」

 

「普段は優しくてお淑やな電さんが、こんな芯の強さも持っていることに驚きました」

 

 彼の微笑みはひっそりとしているのに、何処か嬉しそうで、電も何だか照れてしまう。俯いた電も、そ、そんな立派なものじゃないのです、と小さな声で返すも、その声は多分届かなかった。くぅ~、と、ちょっと大きめにお腹の音が鳴ったのだ。電のお腹からだ。顔から火が出そうだった。

 

「声出したら、INDMも腹減ったろぉ?(思い遣り先輩)よし、じゃあ今日の呑みの席に、INDMもぶちこんでやるぜ!」

 

「へえぇぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて状況だろう。鎮守府の敷地内に拵えられた、鳳翔の店のテーブル席に座り、電は戦線恐々としていた。那智だって何だか居心地が悪そうだ。提督だけは、いつもの自然体でメニューに眼を通している。野獣は、「ビール! ビール! 冷えてるか~?」と、鳳翔へ手を振って見せていた。ちなみに、隣のテーブル席には、今日の夕方に帰投した曙、霞、それに満潮、潮の姿が在る。

 

 潮を除く三人の貌は、もう不機嫌極まり無い。三人は野獣をめっちゃ睨んでいる。もう睨み殺す勢いだ。食事をするポジショニングとしては、本当に最悪だ。全然落ち着かない。見れば、電と同じようにハラハラとした様子で食事どころでは無いのは、潮も同じようだ。電と眼が合った潮は、『もう参っちゃうよね』みたいな、力の無い笑みを浮かべて会釈してくれた。

 

 きっと自分も、同じような貌をしているに違い無い。こんな日に限って、暁と響は遠征に出ているし、雷は昨日も夜遅くまで起きていたせいだろうが、提督が声を掛けに行ったら、もう寝ていたらしい。正直言って、この状況で夕御飯を食べることになるのなら、電だってちょっと遠慮したい。店内を見渡してみると、曙達の他にはまだ客の姿は無い。そろそろ増えてくる時間だ。ちなみに、この場に居る艦娘の中で、野獣に召還されたのは那智だけだ。後は全て、鳳翔も含め、提督が召還した艦娘である。

 

 テーブルにお通しを持って来てくれた鳳翔に会釈をすると、彼女も微笑んで会釈を返してくれた。本当にホッとする。その暖かさに救われる思いだ。だって、隣の席からは、冷凍ビームみたいな視線が3つ飛んで来ている。それが野獣に向けられているものであったとしても、居づらいことに変わりは無い。平然としているのは提督だけだ。那智の方は、この状況だからこそだろう。既に冷酒を頼んでいた。呑まねば損だと考えたに違い無い。電は取りあえずオレンジジュースを頼んで、美味しいと評判のおでんを頼んだ。彼も電に続いて、おでんを頼んでいたが、飲み物はお冷だけだ。

 

 もうこの状況では、静かに落ち着いて食べることなど望むべくも無いのだが、せっかくである。美味しいものを食べて、気分を紛らわそうと思った。でも、やっぱり無理かもしれないと思った。

 

「クソ野獣。何で隣に座るのよ。……あんただけどっか行きなさいよ」

 

冷気そのものみたいな声で、曙が野獣に噛み付きだしたからだ。

 

「そんな邪険に扱わないでくれよな~、悲しいなぁ(半笑い)。皆仲間だから、仲良くしないとね、ンハッ☆」

 

野獣は全く怯まない。潮が曙を止めようとするが、それに続く霞が舌打ちした。

 

「私達、アンタみたいな屑に召ばれた訳じゃないから。気安く話しかけないで」

 

「Fooo↑ 背筋がサムゥイ! おでん頼むかなー、俺もナー」

 

大人でもビビらせる霞の眼光をもろに受けても、野獣は怯むどころか煽り返している。

 

「ホント五月蝿いわね。窓際行って、……正座しながら飛び降りたら(無慈悲)」

 

満潮は野獣をねめつけながら、ボソッと呟いた。相手にされないのを知っているからだ。

 

 

 あー、もう無茶苦茶なのです(諦観)。とは思ったものの、少し時間が経って気付く。激昂したりしない野獣の御蔭で、妙な話だが、不思議とこの場の雰囲気がピリピリしていないのだ。本当に最初はどうなる事かと思ったが、意外と大丈夫と言うか。野獣が匙加減を心得ていると言うか。ビールを運んできてくれた鳳翔さんも何だか楽しそうに微笑んでいるし、那智も冷酒をあおりながら、唇の端を持ち上げていた。

 

 罵詈雑言を適当に受け流す野獣の様子を見るに、何と言うか、ボロクソに言われる為にこの席に座ったような印象を受ける。曙達をおちょくるつもりで、この席を選んでいると思っていた。だが実際のところは、曙達に好きなだけ言わせて、ストレス解消でもさせてやる魂胆なのかもしれない。野獣だって“元帥”なのである。帰投して来た曙達が中破まで追い詰められていた事だって知っている筈だ。曙や霞、満潮にしても、彼の事は決して嫌いでは無い。それは、彼女達が帰投した時の表情を見れば分かる。大事にしてくれる彼の為に、思うように活躍出来なかったことが悔しかったのだ。鬱憤だって溜まっているだろう。

 

 こうやって言いたいだけ言わせてやるのが、きっと野獣なりの曙達に対する思い遣りなのだ。みんなで幾つか料理を頼み、ビールを飲みながら曙達を適当にあしらい、煽り返す野獣との曙達の遣り取りは、次第に聞いていて楽しくなって来た。煽る野獣に反発する曙達を潮がなだめ、曙達のフォローに提督が入り、那智は可笑しそうに小さく笑っている。電も、ちょっとずつ楽しくなってきた。鳳翔が運んできてくれたオレンジジュースをちびちび飲みながら、おでんを口に運ぶ。凄く美味しかった。持ち帰りもさせてくれるらしいので、雷達の分も買って行ってあげようと思った。ちょっとしてからだ。

 

「あ、そうだ(唐突)」と、野獣が嫌らしい貌で、隣に座る彼に向き直った。

 

「この前の肝試しの時に、青葉が撮ってた写真が出来上がったんだゾ! 前に話した時、お前見たいって言ってたからなぁ~(優しさ)。ホラ、見ろよ見ろよ」

 

 何と言うか、ワザとらしいタイミングだった。野獣は海パンの尻部分から写真の束を取り出して、テーブルの上に広げて見せた。ギクっとした様子の曙、霞、満潮には、彼は気付かなかった。那智も苦い表情だった。実は、肝試しをクリアし、間宮の無料券という豪華賞品を手に入れたのは、暁、響とチームを組んだ電だったりする。

 

 最後に出発することになった電のチームは、それまでに他のチームが一つもクリアしていない事を利用して、全く冒険しなかった。響の提案で、山道を上がって最も近くにある廃平屋、その一番点数の低いスタンプだけを押して帰ってきたのだ。白い着物を着た扶桑と山城が脅かし役として、廃平屋の縁側で足元から淡いライトで照らされて佇んでいたのを思い出す。二人とも美人だから、暗がりに浮かび上がる彼女達の恐ろしさは凄まじく、おしっこを漏らす程怖かったのを憶えている。卒倒した暁をおんぶした響と、腰が抜けそうになった電は、しかし何とか拠点ポイントである廃旅館まで辿り着いたのだ。

 

「あの肝試しは酷かったな。確かに恐ろしかったが、それ以上に大変だった。羽黒は途中で気絶するし、恐怖を中和するとか言って、酒を呑んでいた足柄は始める前からベロベロだったからな」

 

 はぁ~、と重い溜息を吐き出した那智は、コップに注いだ冷酒をあおった。確か那智は、妙高、那智、足柄、羽黒の四人のチームだった筈だ。このうち二人が行動不能に陥れば、リタイアするしか無かっただろう。妙高姉さまが居なければ、本当にどうなっていた事か……。そう呟いた那智は疲れたような、それでいて懐かしむみたいに言いながら、テーブルの上に並べられた写真に手を伸ばした。

 

「しかし、良く撮れているな。……そう言えば、確かに青葉が色々と動いていたな」

 

「僕は参加していませんが、皆さんの表情も活き活きしていて、眺めているだけでとても楽しいです」

 

 彼の言葉に、電はちょっと反応に困る。活き活きしてるかなぁ……。寧ろ、みんな眼が死んでる様な……。青葉が撮って来た写真は、基本的にスタート拠点として利用していた廃旅館の駐車場で撮られたものだ。順番待ちしていた艦娘の貌なんてどれも真っ青で、全然楽しそうじゃない。今にも吐きそうな貌をしている者ばかりである。この写真を見て“楽しそう”なんて感想が出る辺り、提督はひょっとしたら結構なS気質なのだろうか。

 

 そんな事を思いながら、電も写真を眺めていると、ある事に気付く。監視カメラの映像みたいな撮り方をしている写真が幾つか在る。斜め上からだったり、異様に遠いポジションで艦娘を撮っているものが混じっていた。首を傾げた那智も気付いた様だ。「野獣。この写真、妙じゃないか? どうやって撮った?」という、那智の質問に答えず、野獣はまた海パンの尻部分から、掌大の端末を取り出した。そして、そのディスプレイにタッチしながら操作して、画面が見えるように彼に向ける。

 

「脅かし役が皆、気合入りまくって良かったゾ~コレ(称賛)。特に、廃墟にブービートラップと立体映像ギミックまで仕込むAKSは、工作艦の鑑。はっきり、わかんだね。もうマジで良くできたお化け屋敷だったんだよなぁ……(感銘)」

 

「そんな手の込んだ仕掛けまで作っていたんですか。明石さん担当の廃墟に入った方は、幸運だったのですね」

 

 明石の情熱を讃える彼は、相変わらず全く少年らしく無い微笑みを浮かべている。というか。幸運だなんて本気で言ってるんだろうか。電はちょっと怖くなって来た。那智の方も、何だか困惑した様な貌である。隣のテーブルに居る曙達が不自然な位、妙に静かだ。

 

「お、そうだな。これが、その時の様子だから、見たけりゃ見せてやるよ(勝利宣言)」 

 

 言いながら野獣は、セットした端末ディスプレイに表示された、再生マークをタップした。再生された映像には、やはり監視カメラのように、廃墟の室内斜め上から移された映像だった。暗視仕様なのか、画面が全体的に薄緑色だが画質は良い。御蔭で、其処に映っている人物達が誰かぐらいはすぐに分かった。

 

「あ、この方は、満潮さんですね」ディスプレイを見詰める彼が、ポツリと呟いた。

 

 それを聞いて、隣のテーブルに座っていた満潮が、飲もうとしていた炭酸水を盛大に噴き出した。ケホッ! ぅ、ヴふっ……! かなり苦しそうだ。きっと鼻の中で、炭酸がシュワシュワしているのだろう。だが、死刑宣告を受けた様な、『ま、まさか!?』みたいな貌になった曙と霞が、同時に野獣を凝視した。潮はもう、お通夜みたいな貌で、気の毒そうに三人を見ていた。ディスプレイに再生される映像には、無慈悲にも、曙と霞も登場した。潮も居る。曙達は映像の中で、廃墟と化している日本家屋の居間にて、スタンプを押そうとしているところだった。

 

何よコレ。よ、余裕ね。何にも起こらないじゃない。

まったく。あんな汚獣の気紛れになんて付き合ってらんないわ(震え声)

ほんとね。……時間の無駄だわ。は、……早く戻りましょう。

脅かし役の人って、此処には誰も居ないのかな……。

 

 懐中電灯の揺らぎと共に、会話が聞こえてくる。声の順は、曙、満潮、霞、潮だ。

 

 四人の声は震えていたが、何処かホッとしているのが、映像越しでも伝わってくる。彼女達がスタンプを押して、暗がりの居間から出ようとした時だった。突然だ。急過ぎる。何の前触れも無かった。曙達が居る居間の床が、バッコーン!! と抜けた。見ている電と那智でも、ビクっ!!となった。いや、抜けたと言うか、不自然に開いて、潮以外が落っこちた。ついでに、懐中電灯の明かりも消えた。ディスプレイの映像は、暗視仕様なので問題無く見えるが、現場では当然真っ暗闇だった筈だ。いきなりの事に、曙達はパニックに陥っていた。

 

『ああああああああああああああああ↑ !!!!! あああああああああああああああああああああああああああああ ↓ !!!!!!!』

 

 甲高い悲鳴が再生された。絶叫の輪唱である。潮だけが、「あ、あの! 皆、大丈夫!?」と、冷静に呼びかけていた。曙達が落とされた下には、怪我をしないように発泡スチロールが敷き詰められていた。だが、ドッキリはまだ終わらない。明石がセットした立体映像ギミックが作動したのだ。暗い室内に浮かび上がったのは、無数の火の玉と生首、髑髏の群れだった。しかも、その一つ一つが凄まじいリアルさだ。聞こえてくる怨嗟の声も、途轍もなく生々しい。夢に出そうだ。正直言って、見てるだけでめっちゃ怖い。電は直視できなかった。こんなの作るとか、明石さんちょっとやり過ぎなんじゃ……(率直な感想)。ディスプレイを見ていた那智だって「ぅおぉ……」とか、震えた変な声を出していた。提督の方は「うわぁ、凄いですね」と、明石の技術力に素直に感動している。

 

 一方、画面の中の潮が、曙達に怪我が無い事に気付いた様だ。ほっとしているのが分かる。ついでに、此処まで凝った演出を純粋に凄いと思ったのだろう。安堵すると同時に落ち着いて、プラネタリウムでも見上げるみたいに、室内に満ちたおぞましい魑魅魍魎の群れを見上げて、潮も感嘆の声を上げていた。どうやら潮の感性は、提督と通じるものが在るらしい。だが、パニック状態の曙達にとってはそれどころじゃなかった。真っ暗闇の中。生首と髑髏の群れが、呻き声を重ねながら、曙達にゆっくりと迫り出したのだ。

 

怨怨怨怨怨怨怨怨怨。

啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞。

宇宇宇宇宇宇宇宇宇宇宇宇。(全部迫真)

 

「ああああああああああああ!! あ゜あ゜あ゜!!! もうヤダぁぁああああああ!! ていとく助けてぇぇ!!!(素)」

 

曙は両手で頭を抱えてしゃがみ込み、蹲るみたいにして泣きじゃくっていた。

 

 

「ぉおおお化けさん!! お化けさん許して!! 膀胱壊れちゃぁぁぁ^↑↑~~ぅぅぅぅぅぅうううぅッ!! (最後に司令官にもう一度)出逢いたいッ!!!(錯乱)」

 

霞も曙と同様に、背中を震わせてその場に蹲っていた。

 

 

「しれぇかぁぁあん!! しれぇええかぁああああん!!! 見てるーーーっ!? 今までありがとぉぉぉぉおお!!! 大好きぃい!! 素直じゃなくてごめぇぇぇえへぇええん!!! フラーーーーーーーーッシュ(?)!!!(覚悟と共に)」

 

 追い詰められた満潮は何かを悟ったのか。魂の叫びと共に、全てを受け入れるみたいに、両腕を広げて歯を食いしばり、暗闇を仰いでいた。映像が其処まで流れたところで、一旦暗くなった。

 

 野獣がディスプレイの停止マークをタップしたのだ。鳳翔の店の中が、耳が痛いほど静まり返っている。えらいこっちゃである。凄い映像だった。と言うか、間違い無くヤバイものを見てしまった。気付いたら、鳳翔さんも提督の後ろからディスプレイを覗き込んでいた。あらあら……、みたいな、何とも言えない表情になっている。

 

「AKBNォ、ついでにKSMもMTSOも冷えてるか~(挑発)?」

 

 野獣は、隣のテーブルの曙達に向き直るが、曙達の反応は無い。皆一様に俯いて肩を震わせている。泣いているとかじゃないが、三人とも首まで真っ赤だ。潮だけが、引き攣った愛想笑いを浮かべている。何て空気だ。

 

「昼間に録画カメラを設置しといたけど、結構良く撮れてるよなぁ(分析)」

 

「……なんだと?」 

 

 那智の声が低くなった。いや、強張ったと言うべきか。野獣の言葉に、電も普通に驚いた。全く気付かなかった。この不自然な撮れ方をした写真の理由が分かった気がした。

 

「俺もクッソ怖い目に合ったけど、色々収穫が在ったゾ(ゲス顔)。今でこそ平気そうにしてるけど、NTも結構、可愛いところあるじゃん(空気)」

 

野獣が、ニヒルな感じに唇の端を持ち上げた。全然似合って無い。たが、那智は、うぐっ……、と低く呻いてから頬を朱に染め、視線を逸らしてぎゅっとコップを握った。どうやら、那智も肝試しでは何かやらかしていたらしい。物凄く恥ずかしそうだ。電は会話に入る切っ掛けが掴めない。どんどん進みすぎである。マイペースなのは提督と鳳翔だけで、彼はお冷を頼んでいる。この状況で、凄い強心臓だ。

 

「ちょ、ちょっと!! 録画カメラなんて、き、き、聞いてないわよ!!」

 

 ガタッ、と。何とか反撃に出るべく、隣の席で曙が立ち上がった。顔は異様に赤いままで、唇が震えている。満潮も、野獣に何か言おうと睨み付けて居るが、口をパクパクさせるだけで、言葉が出てきていない。一番の重症は、最後に顔を上げた霞だろう。本当に泣く寸前だった。いつもの力強さは何処へやら。眼が潤んでる。

 

「そりゃ言ってなかったからね、しょうがないね(屈託の無い笑顔)」

 

「こ、この、クソ提督……」

 

「お、そんな事言っての? やっちゃうよ? やっちゃうよ? 良いんだぜ俺は。別にこればら撒いてやっても……(屑)。ばら撒くぞこの野郎(豹変)!!」

 

「な……!? まだ何も言ってないでしょ!! 良いわよ(自暴自棄)! やりたきゃやりなさいよ!! 私は屈しないわ!!」

 

 曙は果敢に噛み付く。しかし、野獣は肩を竦めた。

 

「うそだよ(ウィットに富んだジョーク)」

 

 そう言って、野獣は再生していた端末を、曙に緩く放って寄越した。それから、軽く鼻を鳴らす。咄嗟の事に両手で端末を受け取った曙は、手にした端末と野獣を見比べた。満潮、霞も同じく、野獣の突然の行動にポカンとしている。潮も、安堵したみたいな緩い溜息は吐き出した。

 

「そんなモンばら撒く訳無いゾ。ただ、KSMにしろ、MTSOにしろ、AKBNにしても、何時もコイツにツンケンしまくってるからね。そんなんじゃ育つ絆も育たねぇぞお前(アドバイス)。たまには、そういうトコもちょっと†悔い改めて†」

 

 割りと普通なことを言い出した野獣に、今度は電と那智までポカンとしてしまった。お冷を少しだけ飲んだ彼が、薄く、小さく微笑んだ。「そんな事は在りませんよ、先輩」。その声は澄み渡り、落ち着き払っていて、とても少年のものとは思えない程凪いでいる。

 

「僕は皆さんの御蔭で、こうして此処に居ることが出来るのです。恥ずかしい話ですが……、僕一人では何も出来ません。本当にお世話になりっぱなしです」

 

 彼に召還された艦娘で、この声を聞いて平然としている者は、多分居ない。あの武蔵だって彼に名を呼ばれると、彼女の野生的な瞳の輝きが増すのを電は知っている。ずっと聞いていたくなる声音だ。彼の黒い瞳が、順番に曙達を見た。曙達は、真っ直ぐに見詰められて息を僅かに詰まらせて、怯むみたいに身を引いた。だが、彼は、はにかむみたいに、嬉しそうに微笑んだ。

 

「僕は、まだまだ全然駄目な奴です。……これからも、また色々教えて下さい」

 

 曙達は、何かを言おうとした様だが、結局、誰も何も言わなかった。赤い顔でそっぽを向いてしまった。潮も、赤い顔で俯いている。電は、少しだけ微笑んだ。鳳翔も、頬に手を当てて、皆を見守るみたいに優しい笑顔を浮かべている。那智だけが、何だか羨ましそうな貌で、コップの冷酒をあおっていた。

 

ちょっとしんみりしそうな空気だったが、野獣が再び焚き付ける。

 

「たまには素直になるのも良いだルルォ、AKBNォ!! “ていとく助けてぇぇ”(裏声)」

 

「ぉ、うぁ、ぅ、うっさいのよ!! そんなの言ってないわ!! 聞き間違いよ!」

 

「あ、そっかぁ(再び鼻ホジ)。KSMも怖かったろォ? あの後トイレ間に合わなくて、ビショビショになっ「殺すわよ!!?」

 

真っ赤になったままの霞の必死な声が、野獣の声を掻き消した。

 

「それ以上言ったら!! 本当に撃つわよ!! YO!! ねぇ、もう死んじゃう!!??」

 

霞が掴み掛かる勢いで立ち上がるが、野獣はヒラヒラと手を振って見せた。

 

「MTSOなんてもう、全てを曝け出してたからなぁ。どう、(もう一回あの台詞此処で)言えそう?(追い討ち)」

 

 気のせいだろうか。満潮のこめかみの辺りで、ブチっという音が聞こえて来た。眼を据わらせた満潮が立ち上がろうとしたら、彼も、満潮に向き直った。

 

「僕も、満潮さんの事は大好きです。これからも宜しくお願いします」

 

 彼は、先程の映像の満潮の台詞を、全身全霊で受け止めていた。恋愛要素なんて皆無の、余りに真摯なその彼の声は真っ直ぐ過ぎる。純粋な信頼だけしかない。それでも十分な威力だった。唐突な彼の言葉に満潮がフリーズした。いや、満潮だけじゃない。全員だった。何て威力だ。クラクラする。曙も霞も潮も、果ては野獣まで、今まで見たことの無い貌になっていた。電は、きゅっと手を握る。何だか、凄く羨ましかった。数秒してから、今度は満潮が泣き出した。彼はおおいに焦ったようだが、同時に鳳翔の店の暖簾を潜って、他の艦娘達がやってきた。まだまだ、騒がしい夜は始まったばかりだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。