少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

30 / 30
短編 終

 暮らしていた港町が深海棲艦の襲撃を受けるなんてのは、まぁ割とよくある、ありふれた悲劇だった。執拗な砲撃を受け、焼け野原みたいになった港町の無残な光景は、今でも良く覚えている。家族も友達も近所の知り合いも皆死んだ。残らずくたばった。生き残ったのが不思議なくらいだった。気が付いたら、皆死んでいた。朝方の出来事だった。学校へ行く支度をして、父と母と台所で朝食を摂っていた。何処にでも在るような、到って普通な家庭だったし、普通の朝の風景だった。変わらない一日が始まると思っていたら、急に港の方でサイレンが鳴った。すぐだった。遠くで爆発音が聞こえた。血相を変えた父と母が、此方に駆け寄って来た。其処までは覚えているものの、その直後からの記憶が無い。意識を失ったからだ。すぐ近所に砲弾でもぶちこまれたんだろう。気が付いたら、瓦礫の隙間で倒れていた。眼を醒ますと、血の味がした。耳鳴りがして、身体の感覚が殆ど無かった。さっきまでいた筈の台所じゃなかった。外だ。屋外だった。いや、違う。吹き飛ばされたのだ。家が。火と埃の匂い。何かが焼ける匂い。

 

 不思議な程、静かだった。現実感の湧かない光景だった。何と言うか、どこか遠い。フィルターが掛かっているような。そんな感じだった。奇跡的に、怪我は無かった。だから余計だ。痛みよりも先に、呆然とした。本当に世界が変わった。見上げると、さっきまで晴れ渡っていた空は、濁った灰色の煙霧と火の粉で曇っていた。視線を下ろして、煤塗れの自分を見た。生きている。両手を見る。やっぱり煤と埃塗れだ。口の中がじゃりじゃりした。砂でも入ったか。血と一緒に唾をこうとしたら。嘔吐した。其処から視線をずらして、ちょっと前を見た。其処には、やっぱり廃墟と化した町並みが広がっていた。彼方此方から細い煙が上がっている。熾火が燻るような、パチパチという音が聞こえた。

 

 何が何だか分からない様な。まだ夢の中でも居るような気分だった。崩壊した自分の家からも、細い煙が何本か上がっていた。灰色の空に吸い込まれている。散らばる瓦礫の下に。黒い塊が二つあることに気付いた。焼け焦げた木の表面みたいになった、真っ黒な人型の塊だった。それが、自分の両親だなんて思えなかった。夢なら醒めて欲しいと思ったが、喉を焼いて再びせり上がって来た胃液の味は、今までに無い程に現実的だった。いくら子供でも理解出来た。町は、瓦礫と煤と埃の山になったのだ。運が良いのか悪いのか。生き残った。

 

 

 そうして、今も生きている。この身体は、もはや人間では無い。陸軍の施設に収容され、其処で受けた施術により、この身は“艦娘”になった。そう。人間から“艦娘”へと造りかえられた。正確には、艦娘としての能力を付与された。肉体の強化と、艤装召還の力を植え付けられたのだ。今でも夢に見る。施術台の冷たい感触。精神を切り刻んで彫り出して来る、蒼い儀礼光。施設職員の無機質な眼。肉体に刻まれていく術紋回路。欠落する感覚と恐怖心。暗転する視界と、ストロボの様に瞬く意識。擦り潰されていく思考。どれもこれも、今となっては良い思い出だった。思い出すと血の味がする。施術が始まってみると、後悔する間なんて無かった。自分から体を差し出したからだ。文句を言う権利すら無かった。深海棲艦達に復讐したいという気持ちは在ったし、漂泊と孤児の身だった自分には、生きる道がそれしか残されていなかったというのも在る。打算的な選択だったものの、結果的にはそう間違ったものでは無かったと、今では確信している。

 

 

 “艦娘人間”とでも言うべき生体兵器になった自分は、似た様な境遇の者達と肩を並べて、すぐに戦闘訓練を受ける事になった。野獣と言う男に出会ったのは、この時だ。あの頃から、野獣は変わった男だった。“強化兵”だとか呼ばれる施術を受けたらしい事は、本人から聞いた。すんなり話してくれた。別にどうでも良かったのだろう。野獣はとにかく、朝も昼も夜も無く、時間さえあれば憑かれたかの様に刀を振っていた。何かを必死に掴もうとするかの様だった。そういえば、この時に野獣と良くつるんでいた人物が二人居た。三人で互いに組み手を行っていたのを何度か見た事がある。ただ、野獣達は提督の身でも在った為に、かなり短い期間で戦闘訓練を切り上げ、元の鎮守府に戻って行った。野獣と共に居た二人も、恐らくは提督の身だったのだろう。野獣が訓練所を去ったのと時を同じくして、彼らも居なくなった。ただ、彼らが刀を握っていた時間の密度は、誰よりも濃かったように記憶している。

 

 激戦期の軍功によって大きく昇進した提督が二人居り、それが野獣と昵懇であった二人だとあきつ丸は考えていた。政治力を頼りに出世したものも多い上層部の者達と、徹底した現場主義の野獣の仲は良いとは言えない。そんな中でも、野獣に便宜を図ってくれるお偉いさんが居るというのは、つまりはそういう事なのだろう。深海棲艦達が上陸までしてくる事態は未然に防がれていた為に、野獣達が共に戦う様な機会は無かったものの、肉体の改造被術者同士、激戦期を跨ぐ強い絆で結ばれていてもおかしく無い。

 

 活躍の機会は無かったものの、劣勢末期を想定した本営が、陸でも十分に力を発揮出来る強化兵や艦娘達を欲しがっていたのは事実である。自分もその内の一人だ。艤装の運用方法を身体に叩き込み、知識を大急ぎで吸収し、艦娘としての召還能力の安定化を図った。艦娘としての第二の自分が、此処で生まれた。ただ、人間を艦娘化させ、急造的ではあるものの戦力として運用しようなんていうこの陸軍主体の計画にも、大きな問題が浮上してきた。艦娘化された人間=“艦娘人間”達は、精神制御に関わる洗脳施術の利きが薄い上に、普通の艦娘に比べて、想定よりも大きく能力に劣っていた。おまけに艤装召還の精神負荷も大きかったから、訓練中に廃人になる者が続出することになった。欠陥兵器のレッテルを貼られる中、自分達“艦娘人間”達は、宿舎とも牢獄とも試験管とも言えない研究施設に戻されて、長く保管される流れとなった。兵器というには未完成で不完全だが、それでも戦力であり、捨て駒程度の使い道は在ったからだろう。

 

 そのうちに、自分以外の“艦娘人間”達も発狂したり、自殺したり、突然死したりして、バタバタくたばった。面白いように死んだ。だが、次は自分の番だとは、不思議と思わなかった。実際、自分は自我を保ち続けた。独房みたいな部屋で、一人膝を抱えて、海原で深海棲艦を殺しまくる事だけを考えていた。そんな自分に声が掛かったのは、激戦期の最中だった。ある鎮守府に割り振られるような形で配属される事になる。面白いのは此処からだった。何せ海に出れば、うじゃうじゃと深海棲艦が居るのだ。胸が躍った。自分を引き受ける形になった提督は、貧乏籤を引いたような貌をしていた。そりゃあそうだろう。向こうからしてみれば、精神施術が効きにくい癖に戦力としては不全なんていう、絵に描いたような足手まといの厄介者だ。本営からの指示が無ければ、誰が引き受けたがるものか。「欠陥兵器め……」と。面と向って言われても、特に気にはならなかった。実際、自分でもそうだと思っていたからだ。

 

 当然、生きた消耗品みたいな扱いだったから、深海棲艦の群れに突っ込まされたりする様なヤバイ命令を何度も受けた。その度に、走馬灯方式の飛行甲板から艦載機を飛ばして盾にしながら斬り込んで、軍刀を振るい、深海棲艦を殺しまくった。当たり前だが、こんなものは訓練所で学んだ艦娘としての戦い方では無かった。艤装運用の熟連度も、仲間との連携もクソも無い。もう無茶苦茶だった。しかし、自分は生き残った。生き残り続けた。その間に、大破した経験も無い。意外な事に、自分はどうやら異常な程に強いらしい。そんな事に気付くようになった。自我を破壊された艦娘達が、フォーマットされた人格だけで命令を受けて動いている中でも、自分は違った。提督の指揮や作戦など、それが下策だと判断すれば、容赦無く独断専行するようになった。

 

 海の上での艤装運用の熟練度や性能は、確かに他の艦娘達とは劣っていた。しかし、状況判断能力と身体能力だけは別だった。仲間の艦娘の数多く轟沈するような戦闘海域からでも、自分は深海棲艦を殺しまくって無傷で帰投してきた。何度もだ。安い勝利を捥ぎ取って来た。そんな自分を、提督は恐れていたように思う。人格を破壊された艦娘達は黙ったまま、光の無い眼で笑っていた。

 

 どうでも良かった。どうせ次の作戦で出撃すれば、また多くの艦娘がバタバタくたばって沈んで入れ替わる。仲間だなんだと思うのもアホらしい。提督だってそうだ。自分の事を重宝するなんて事は無かった。相変わらずだ。深海棲艦の群れに突っ込まされる。そうして、深海棲艦を殺して来いと命令される。自分は作戦という蚊帳の外に居た。丁度良かった。気楽でいい。それからは、なかなか楽しい激戦期だった。ただ、提督の馬鹿な作戦に従った艦娘達が全員くたばった時は、流石に参った。帰投についた夜の海の上で「あっはっはっは!」と、一人で大笑いしたのを憶えている。もう笑うしかなかった。涙を浮かべて呵呵大笑し、夜空を見上げた。朧に雲掛かる、大きな満月が浮かんでいたのを憶えている。

 

 生還した自分が帰ってからが、また傑作だった。何時もの様に命令も指揮も作戦も無視していた。そうしていつも通り、自分だけが無傷で帰って来た訳だから、提督と顔を合わせた時の気不味さと言ったら無かった。半狂乱になった提督に、肉体拘束施術で身動きを奪われて、思うさまに殴られて蹴られた。自業自得と認めたくない自尊心と、行き場の無い激情をぶつるべく行われた幼稚な暴力は、強靭な肉体を持った自分にとっては些細なものだった。ただ、痛がる素振りも見せず、冷ややかな視線で己を見詰めてくる自分の事が気に食わなかったのだろう。提督は、肉体機能を奪った自分を廃棄・処分しようとした。艦娘達の処理施設へと送られたのだ。本来なら、其処で死ぬ筈だったのだろうが、運命とは数奇なものだ。彼に出会ったのだ。何もかもが出来過ぎたタイミングだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 秘書艦用の執務机に腰掛けたあきつ丸は、処理を終えた書類を揃えて、机の端へと重ねて置いた。これで今日のデスクワークは一応の終わりだ。日付けが変わって、少し経った。片手で肩を軽く揉みつつ、執務室の窓から空を見遣った。雲の無い夜天には満月が悠々と浮かんでいる。その月暈に抱かれた星屑も、波音に合わせてひっそりと瞬いていた。あきつ丸は一度眼を閉じて、軽く息を吐き出す。紙が擦れる音と、緩い空調機の音が微かに聞こえる。

 

「お疲れ様です。助かりました」

 

「礼には及ばないでありますよ。これも秘書艦の務めであります」

 

 執務机に座り、分厚い書類の束に眼を通している少年提督へと、あきつ丸は向き直る。彼は顔を上げて、あきつ丸に微笑みを浮かべて見せた。見れば彼の執務も、じきに終わりそうだ。彼が手にしている書類の束で最後の様である。休憩でも入れればどうかと言おうとしたが、その必要も無さそうだった。あきつ丸は、軽く伸びをした。視線だけで、また窓の外の夜空を見遣ろうとしたが、止めた。そろそろ執務を終えるであろう彼に、コーヒーでも淹れようかと思い席を立つ。それとほとんど同時だった。彼が、手にしていた書類を執務机に置いた。どうやら彼も、今日の分の仕事は片付け終えたようだ。

 

「少し、部屋の換気をしましょうか」

 

 柔らかい声でそう言った彼は、音も無く椅子から立ち上がって、窓の方へと歩いていく。確かに、暖房の熱が少し篭っている。言われてみれば、少しの息苦しさにも似た暑さを感じた。あきつ丸も立ち上がり、彼の後にゆっくりと続いた。彼が窓を開けると、ひんやりとして澄んだ夜気が流れ込んで来た。冷たさが心地よい。その夜気を吸い込みながら、あきつ丸は再び夜空を見上げた。

 

「今日は月が綺麗でありますなぁ」

 

「えぇ、本当ですね……」

 

 あきつ丸に短く応えて頷いた彼も、同じく夜空を見上げた。少しの間、二人は無言だった。黙に冴える柔らかな月光を、肩を並べて眺め遣る。そのうち、あきつ丸が軽く笑った。

 

「初めて提督殿にお会いした時の事を思い出しますな」

 

「そう言えば、あの日も満月でしたか。……時間が経つのは、早いものですね」

 

「あっはっは! 何を年寄りの様な事を仰るのです」

 

 可笑しそうに言うあきつ丸の首には、ハート型の“ロック”ネックレスがしてある。しかし、これはあくまで形だけだ。精神プロテクトがされていない。あきつ丸は、厳密に言えば艦娘ですら無い。深海棲艦でも無い。元人間の、歪な欠陥兵器の変異種である。それでも彼は、あきつ丸を見捨てるでも無く、嫌悪するでも無い。自分を仲間として迎え、力を貸して欲しいと言てくれた。艦隊の一員としての役割を与えてくれた。戦場海域に出ても、単身で突撃させられるなんて事はなかった。仲間が出来た。居場所が出来た。己が己である価値が生まれた。久しく忘れていた、家族という言葉が脳裏を過ぎった。“あきつ丸”になる前の名前と、父や母の顔が浮かんだが、それらはそっと胸の奥に大切にしまった。

 

「そ、そうですか? お年寄りみたい、でしょうか……?」

 

「ええ。そんな懐かしむ様に言うほど、昔の事でもありませんよ」

 

 あきつ丸も言いながら、可笑しそうに小さく笑う。それから、あきつ丸は横目で彼をチラリと見た。人畜無害で、人の良さそうな笑みを浮かべる彼は、眼帯で右眼を隠している。右手にも黒い手袋をしている。深海棲艦の異種移植を受けた彼の、その人では無い部分を隠している。あきつ丸は彼から視線を外し、また夜空の月に視線を移した。月を見上げたままの彼が、緩く息を吐き出したのを感じた。

 

「でも、何だが随分前の事のように思います」

 

「お忙しい身でありますからな。提督殿は。余計にそう感じるのでありましょう」

 

「皆さんの助けが無ければ、僕は何をするのもままなりません」

 

「秘書艦の仕事まで奪ってしまう御方は、言う事が違いますな。なぁに。皆、提督殿の役に立ちたいのでありますよ。ですから、もっと頼ってみればよろしいかと」

 

 あきつ丸は、また横目で彼を見た。彼もまた、あきつ丸に視線を返した。彼は何やら思案顔になってから、困ったみたいに床に視線を落とした。甘え下手な彼が何を考えたのかは分からない。その儚げな横顔を、あきつ丸は視線だけでそっと見詰めた。彼は、すぐにまた苦笑を浮かべて、窓の外へと顔を向けた。

 

「……なんだか、難しく感じますね」

 

「はっはっは! まったく、提督殿には可愛げが無い!」

 

「うっ、以前も良く言われました……」

 

「その様に気を遣ってばかりでは疲れましょう? 甘える練習をした方が良いですなぁ」

 

「甘える練習、ですか……?」 

 

彼があきつ丸へと向き直った。あきつ丸も向き直って、肩を竦めた。

 

「そんな難しい顔をしないで頂きたい」

 

「うっ、すみません」

 

「うーん、これはいけませんなぁ。良く無いでありますよ?」

 

「良く無い……、ですか?」

 

「こういう時こそ、『ゴメンね、お姉ちゃん』と言った感じで、あざとい可愛さを醸しだして甘えるところでありますよ?」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「冗談であります」

 

「えっ」

 

「半分ほどは、まぁ本当であります」

 

 彼の反応を面白そうに見ながら、あきつ丸は笑みのままで切なげに眼を細めた。彼の方は、困惑したように眉尻を下げている。普段の落ち着き払った貌では無い。歳相応の、子供らしい表情だと思う。初めて会った時も、彼は奇妙な程に凪いだ貌で微笑んでいた。時には、顔全体を引き攣らせて、歪ませるようにして笑顔を浮かべていた。彼は、笑うのが異常に下手糞だった。その癖、彼が向けてくれる真心の様なものは本当に暖かく、打算も野心も感じさせなかった。

 

 彼の青み掛かった昏い瞳で見詰められると、殺戮の味を忘れられない自分を思い知る。自分は、恵まれた場所に居る。部下想いの彼の下で、自分の居場所が出来た。人類の為に戦うという大儀の下、己の価値が生まれた。それは間違い無い。しかし。しかし。忘れられない。深海棲艦を殺しまくっていた頃に貪った、命を奪うリアルな感触。拭う事が出来ない。この両手にこびり付いている。あの感触を欲してしまう自分が居る。あぁ、提督殿。出来るのであれば貴方にも、この胸の内を見せて差し上げたい。これだけ満たされて尚、生き死にのスリルを求めて、誰も彼も死にまくった激戦期を恋しく思う、この心の醜さを。貴方はそれでも、事も無げに微笑んで受け入れてくれるのでしょう。なんと業の深い御仁か。

 

あきつ丸は唇を歪めて、婀娜っぽく笑った。

 

「甘え上手な者は、世渡りも上手いと聞きます。練習しておいても損では無いでありましょう?」

 

「い、いえ、僕は損得については、その……特に気にはしません」

 

「そういう所が甘え下手だと言っているのでありますよ? 遠慮ばかりで本当に可愛げの無い子供でありますなぁ、提督殿は」

 

「うっ、す、すみません……」 

 

 彼がしょんぼりと俯いた。その隙に。あきつ丸は気付かれないように、クスクスと艶笑を浮かべる。割とぶっ飛んだ感性と天然ボケで、相手を翻弄して振り回す時が多い彼だが、今は違う。あきつ丸は容赦無く彼に絡んで弄り倒すので、立場が逆転するのだ。あきつ丸は窓の縁に手を付いて、やれやれと肩を竦めながら、首を緩く横に振った。

 

「おやおや? 提督殿は、つい先程の自分の話を覚えておいででありますか?」

 

「えぇっと、ご、『ゴメンなさい、お姉ちゃん』……?」

 

彼は少々恥ずかしげな上目遣いになって、ぽしょぽしょと言葉を紡いだ。

 

「んぅ^~、良いでありますよぉ^~(御満悦)。では、もう一度お願い出来るでありますか?」

 

「えっ」

 

「もう少し切なげな表情だと尚良しであります。あぁ、そうだ。服も脱ぎましょう」

 

「えぇっ」

 

「下半身だけで良いでありますよ?」

 

「失礼致します!!!!!!!」

 

 あきつ丸が無茶な事を言い始めた時だった。ドスの効き過ぎた低い声と共に、執務室の扉がノックも無しに勢い良く開けられた。ぶち破るような勢いで入って来たのは不知火だった。手には盆を持っていた。上品そうな碗が二つ。春雨スープが湯気を上げていた。

 

「二人のお夜食をお持ち致しました……」

 

 低い声で言う不知火は赤い貌をしている。鋭過ぎる眼つきがミスマッチだが、可愛らしい。あきつ丸達が仲も良さげに話を弾ませているので、入るに入れなかったのか。入室する直前、扉の外で聞き耳でも立てていたのだろう。あきつ丸の暴走を感じ取った時点で、インタラプトに入ったという所か。何ともいじらしい忠犬ぶりである。あきつ丸は、不知火に軽く敬礼をして見せた。不知火が睨んでくる。おお、怖い怖い。口の端を僅かに歪ませて、斜め上の方へと視線をずらした。

 

「あぁ、態々どうもすみません」

 

 彼は柔らかく言いながら、不知火から盆を受け取るべく歩み寄ろうとした。その彼の肩を指でトントンと叩いたあきつ丸は、ワザとらしく咳払いした。きょとんとした彼だったが、すぐに何かに気付いた様に「が、頑張ります」と小声で応えて頷いた。彼は不知火の前まで歩いて盆を受け取って、微笑んで見せた。はにかむみたいな控えめな笑みだったが、余りに嫣然とした雰囲気が滲み出ており、甘えるというよりも誘っているみたいだった。

 

「ぁ、ありがとう、お姉ちゃん。大好き」

 

 アドリブまで入れた彼の言葉に不知火は、とんでも無い衝撃を受けた様な貌で肩を跳ねさせて、白眼を剥いて固まってしまった。あきつ丸は肩を震わせて、吹き出すのを堪えた。だが、まだ面白く出来そうだ。あきつ丸は、彼にそっと耳打ちする。「もう一息でありますよ」。何がもう一息なのか、自分で言っていて割と意味不明だったが、彼は真面目な貌で頷いてくれた。頭が良いのに馬鹿なのが、彼の残念なところだ。彼は数秒だけ、逡巡するように視線を落とした。しかし、「僕のを半分こして、一緒に食べて行かれませんか?」と。またすぐに不知火に向き直り、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。

 

「不知火お姉ちゃんに、その……、あ、『あーん♪』って、して欲しいです」

 

 こんな事をあきつ丸に言わせられている時点でもはや罰ゲームの類いではあるものの、彼は真面目にやり遂げた。やり遂げてしまった。あきつ丸は右手で口元を隠して、笑ってしまったのを誤魔化した。意識を取り戻した不知火も、彼の言葉を理解するのに少々時間が掛かったようだが、「期待に応えて見せます!」と、すぐに出撃する時の貌になって敬礼して見せる。

 

「ではまず、シャワーを浴びて参ります!」

 

「えっ」 天然ボケを錯乱ボケで返された彼は、何を言ってるんだろうみたいな、素の様子で瞬きをした。

 

「不知火殿、それではせっかくの夜食が冷めてしまうでありますよ?」

 

「では、シャワーを浴びながら、『あーん♪』させて頂きます。不知火です(落ち度)」

 

「ちょっと落ち着くでありますよ」

 

 あきつ丸は軽く笑いながら言って、彼と不知火を見比べた。それから、不知火とすれ違うようにして歩いて扉に向かい、途中で振り返って彼の方へと向き直った。「自分は、そろそろ自室へ戻らせて頂きます故」と、軽く笑って敬礼をする。

 

「折角のお夜食でありますが、自分は太り易い体質でありましてな。世も更けておりますし、今回は申し訳無いのですが遠慮させて頂くのであります。自分の代わりに、不知火殿が召し上がってくださると有難いのでありますよ?」

 

 薄笑いを浮かべるあきつ丸を見て、不知火は何かを察したのだろう。少々気恥ずかしそうに視線を逸らした。ヅケヅケと物を言うあきつ丸だが、彼とその初期艦が語らう場を提供するくらいの気遣いは出来る。秘書艦の仕事も終わったし、彼を弄って楽しむ事も出来た。上々である。さぁ、邪魔者は退散すべきだ。軽く頭を下げてくれた彼に一つ微笑みを返して、あきつ丸は執務室を後にする。廊下を歩いて、庁舎の外へ出る。舗装道を歩きながら、また空へと視線を向けた。肥え太った望月が、先ほどと変わらず悠々と浮かんでいる。たしか少年提督は、満月よりも欠け細って瘦せた月の方が好みらしい。

 

 奇遇だった。あきつ丸もだ。傷の無い綺麗に過ぎるものは、どうも苦手だ。だからだろうか。脛に傷の在る少年提督や野獣が、割と好きだった。他にも龍田や愛宕など、彼の下にはそういう暗い部分を持った艦娘達が居る。自分も含めたそういう者を、彼は排除しない。疎がらない。拒絶しない。自らも血と傷に塗れて、手を差し伸べて来た。御人好しも過ぎると狂人だが、それを更に突き抜けてしまった彼は、もはや聖人とでも呼ぶべき心境に居るのかもしれない。いや。少し違う。彼は人では無い。艦娘でも無い。深海棲艦でも無い。野獣やあきつ丸のような、強化改造被術者でも無い。そう。彼は何者でも無い。酷い話だ。

 

 いつも微笑んで誰彼構わず手を差し伸べる少年提督は、自分自身、救われたいとは思わないのだろうか。彼にとっての幸せとは何なのだろう? 彼ぐらいの年齢なら普通、優しい両親が居て、学校に通い、仲の良い友達も居て、好きな娘だって居て、勉強して、ケンカして、泣いて、笑って、成長して、誰かと愛し合い、結ばれて、子供が出来て、孫も生まれて、慈しみと愛に暖かく包まれて、家族に囲まれて、穏やかに眠る様に死んでいく。そんな未来が、彼にだって在っても良かった。ただ、そうはならなかった。それだけの事だ。彼はそれを残念がったり、羨む事も無いだろう。かつて彼が、己の内に艦娘達の魂を飲み込んだ時点で、其れ迄の彼は打ち捨てられた。彼にとっての死とは終わりでは無く、経験だった。ある国では、死者の眼の上にコインを乗せる風習があるという。前のイベントで彼が鋳造して被った、左眼部分に六文銭を載せた狐の面。あれは人間の眼である左眼を、六文銭で隠す事を意味している。彼は、自身の人間としての生を否定している。

 

 何故、他国の風習に倣うのかと聞いたら、その国の言葉で言われたそうだ。

 

 “お前は死者である”と。

 

 誰に言われたのかを聞いてみた。

 

 すると、“海から謂われた”のだと、彼は微笑んで答えてくれた。

 

 それは何時だと聞いた。

 

 “少女提督と出会った日である”と、彼は答えてくれた。

 

 他に何を言われたのかを聞いた。

 

 “お前は幸せか?”と聞かれたそうだ。

 

 何と答えたのかを聞いたが、彼は微笑むだけだった。

 

 はっはっは! と、その時のあきつ丸は笑った。

 

 

 前に捕まえてきた小鬼共が、彼の事を験仏だ化仏だのと言っていたという話も聞いた。仏教と西洋の教義が混ざるのは、国籍の違う艦船が沈み、其々の骸から成った深海棲艦達に、神性への観点の違いが現れるよる事を示唆しているのか。海も同じく、神仏と共に、西洋の神々にも通じる神秘を湛えているのだろう。彼が、墨色の積層術陣の向こうに何を見て、何を持ち帰って来たのかは分からない。しかし恐らく、彼が手を伸ばした術陣の向こう側は、生きとし生きるものが死んで辿り着く彼方の場所なのだと、何と無く思う。海の言う“死者”である彼は、其処に何が有るのかを確かめるべく、赴く事も出来るかもしれない。そんな荒唐無稽で気宇壮大な考えが浮かぶものの、強ち馬鹿にも出来ない想像であるようにも思えた。そんな果ての果てでも良い。どうか、彼に幸あれと。あきつ丸は満目の星空と月を見上げながら、深く息を吐き出した。

 















 最後まで読んで下さり、有難う御座いました! 今回の更新で、この『少年提督と野獣提督』の最後の更新とさせて頂きたいと思います。過去や世界観に関する描写について、最後の2話で駆け足気味での描写になってしまい、申し訳ありません……。現在、全体的に加筆修正を行い、文体を整えさせて頂いております。

 書きたい内容もまだまだ消化し切れず仕舞いでしたので、新作としてタイトルを一新し、より気軽に読んで頂けるような字数と内容のものを投稿させて頂きたいと考えております。読み難い文章と迷走してばかりの内容ではありましたが、沢山の御感想、評価、閲覧回数、推薦まで頂き、感謝の念に絶えません。暖かく見守り、支えて下さり、本当に有難う御座いました!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。