少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

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短編 4.5

 

 今日の秘書艦である鹿島は緊張した面持ちで、少年提督の後ろに控えつつ深海棲艦の研究施設の地下フロアの廊下を歩いていた。白く無機質で、広い廊下だ。

巨大な地下水族館といった様子の地下フロアだが、何処か厳かささえ感じる静謐に満ちており、まるで神聖な大霊廟を歩いて居るかのような錯覚を覚える。

少年提督の下に配属されて暫く経ち、秘書艦も何度か務めさせて貰った。その際に、この施設へ一度だけ訪れたことが在るものの、やはり馴れない。息苦しい。

緊張を解すように小さく息をついた鹿島は、手に持った書類ファイルを開き、其処に視線を落とした。書面には『子鬼』の文字が散見出来る。

数日前にこの施設に運ばれて来た、他の鎮守府で鹵獲された新種の深海棲艦である。今日はその確認と精査の為に、少年提督がこの施設に足を運んでいた。

 

 鹿島は歩きながら、そっと視線を巡らせる。研究員達の姿は少なく、静かである。両脇に並んでいる実験室めいた部屋が連なり並んでいた。微かな電子音が聞こえる。

其々の部屋の中には、厳重にロックを施された大掛かりなシリンダーが備え付けられており、その中に深海棲艦達が収められていた。

イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヌ級などだ。薄緑色の液体に包まれた深海棲艦達は、既に死んでいる。名目上、あの深海棲艦達は彼の管理下にある標本であり、検体である。

此処に保管されている深海棲艦達の亡骸は、彼の指示により丁重に扱われていた。未だ続く戦史の中、各地で集められ、最終的に此処で保管される流れとなったのだ。

このフロアが霊廟のような雰囲気を持っているのも、彼が深海棲艦達の骸を大事に安置しているからだろう。事実として此処は墓所でもある。

 

 

 そのまま暫く廊下を歩いていくと、彼がある実験室の前で足を止めた。分厚く重々しい自動扉が、左右の壁に沈むように開いていく。同時に、声が聞こえた。笑い声だ。

甲高くて、幼い笑い声。まるで、赤ん坊のような笑い声だった。不気味にくぐもっている癖に、やたら無邪気っぽくて、酷く不気味な笑い声だった。鹿島は唾を飲む。

実験室に踏み込むと、其処には大型機器類が並んでおり、数値やグラフを表すモニターが幾つも明滅している。そして壁際には、やはり巨大なシリンダーが備え付けられていた。

あとは、白衣を着た研究員であろう男女が数人。タブレットやら記録機材を手に、シリンダーを囲むように並んでいた。白衣の研究員達は、どうも興奮している様子だった。

互いに何かを論じ合いながら手元の資料を捲り、熱心に其処に何かを記入したりしている。ただ、実験室に少年提督が現れた事に気付いた研究員達は、はっとした様子で黙り込んだ。

実験室の中に、静寂が訪れる。彼は軽く研究員達に礼をして、「今日の精査施術では、お世話になります」と、微笑んで見せた。鹿島もその言葉に続き、敬礼をする。

白衣の研究員達も、少年提督と鹿島へと敬礼をして見せる。しかし、明らかに研究員達は少年提督を見て、その顔を強張らせて居た。見れば、肩や脚が震えている者も居る。

異種移植を受け入れ、人間の規を超えつつある彼に、本能的な部分で恐怖を抱いているのだろう。それに加え、研究者として知識を持っている彼らは、同時に理屈の面でも彼の異様さを理解している。

丁寧に礼をして見せる彼の事を、研究員達は恐れている。それには気付かない振りをして、鹿島もシリンダーの方へと視線を向け、嫌悪感と酷い寒気を感じ、息を呑む。

 

 甲高く、何処かくぐもった笑い声が再び響いた。幼い笑い声だった。

シリンダーの中からだ。其処には、四体の深海棲艦が居て、活発に泳ぎ回っている。

人間の幼い子供によく似た姿だ。赤ん坊から少し成長した程度の、小さな肉体。

その頭部や胴を、歪で無骨な外骨格が覆っている。明々白々、人間では無い。

いや、覆っていると言うよりも同化しつつ、変質している。

無垢な赤子を思わせる姿に近いだけに、深海棲艦と呼ぶには抵抗が在る。

しかし、そう呼ぶしか無いほどに生々しく、グロテスクだった。

子鬼達はケタケタと笑いつつ、シリンダーの中を泳いでいる。

 

 不意に、彼がシリンダーへと近付いた。

子鬼達も彼に気付き、泳ぎ回るのを止めて、ゆっくりと彼の前へと集まった。

甲高い笑い声も止んだ。子鬼達は、シリンダーの中に浮かび佇んで、彼をじっと眺めている。

鹿島も彼の隣に立ち、もしも何かあっても対処出来るように、艤装を召還して控えた。

実験室の白く無機質な空間に、規則的な電子音が響いている。何だか奇妙な沈黙だった。

他の研究員達も、今までとは違う子鬼達の反応に、興味深そうにシリンダーに身を寄せる。

その時だった。シリンダーの中に居た子鬼達が、一斉にガバッと彼に近付いた。

シリンダーの外壁に、べったりとへばりつくようにして身を寄せて来たのだ。

 

 いきなりの事に、近くに寄って居た研究員達の何人かが尻餅を着いていた。

驚きの声を上げて後ずさる者も居た。鹿島も肩を跳ねさせてしまう。

すぐに艤装を構えるものの、「大丈夫ですよ」と、傍に居た彼に手で制された。

全く驚いた様子では無い彼は、穏やかな表情のままで子鬼達に向き直り、シリンダーへと左手で添える。

そのままの姿勢で朗々と文言を唱えて、墨色の揺らぎを微光として纏う。静寂が降りた。

子鬼達は身を寄せ合いつつ、シリンダー越しに彼の左手に自分の小さな手を重ね合わせる。

彼が左手に灯した墨色の揺らぎが、シリンダー越しの子鬼達の手へと伝う。

鹿島も研究員達も、何も言えずのその光景を見守る。

何処か神聖ですら在るその静寂が破られたのは、次の瞬間だった。

 

 

『呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵ッ!!!』

子鬼達が身体を大きく震わせて、哄笑を上げたのだ。

 

『おお!!』 『おお!!』 『おお!!』 『おお!!』

『験仏よ!!』 『化仏よ!!』 『辟支仏よ!!』 『活仏よ!!』

 

硬い物を激しく擦り合わせる様な大声だった。

鹿島は息を呑んで言葉を失い、研究員達も驚いたような貌のままで立ち尽くしている。

歪に擦れ、捩れて揺れる声は、それでも尚、ゾッとする程に無垢な幼子の声だ。

小鬼達はその幼い声音に、長年探していた人物にようやく出会う事が出来た様な、感極まった震えを滲ませていた

 

『仰贍!!』 『懈怠無く!!』 『無縁!!』 『無二無三なり!!』

『苦諦である!!』 『集諦である!!』 『滅諦である!!』 『道諦である!!』

『しかし!!』 『しかし!!』 『しかし!!』 『しかし!!』

『呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵ッ!!!』

 

シリンダーの中で楽しげに、感極まった様子で笑う子鬼達を、鹿島も警戒しつつ見詰めた。

小鬼達の声を聞いていると、動揺させられる。悪寒がする。小鬼達の声に宿る万感に圧倒されている。

 

『六境!!』 『六識!!』 『六塵!!』 『深々なり!!』

『劫濁!!』 『見濁!!』 『命濁!!』 『深々なり!!』

『多少曠劫!!』 『無始曠劫!!』 『曠日弥久!!』 『生死長夜なり!!』

『我等に道は無し!!』 『我等に正覚は無し!!』

『我等に光華は無し!!』 『我等に寂滅は無し!!』

 

 子鬼達は身体を震わせて、シリンダー越しに彼へと叫ぶ。口々に叫んでいる。

鹿島は自分の体が震えて来るのを感じた。研究員達も、唇を震わせて、愕然としていた。

彼だけは、静かな面差しのままで、“人の手”である左手を、シリンダーに添えている。

その人の手に縋るように、子鬼達は群がり、笑う。

 

いや、違う。泣いている。助けを求めている。

小鬼達は。恐れている。喚いている。呻吟している。嗚咽している。怯えて、震えている。

 

『歴劫先に!!』 『救い無し!!』 『塵劫先に!!』 『瑞光は無し!!』

『此処に在らず!!』 『其処に在らず!!』 『何処にも在らず!!』 『無明なり!!』

『どうか!!』 『どうか!!』 『どうか!!』 『どうか!!』

『大慈を!!』 『大悲を!!』 『抜苦を!!』 『与楽を!!』

『沈みたくは無し!!』 『枯れたくは無し!!』

『朽ちたくは無し!!』 『あぁ!! 死にたくは無し!!』

『父よ!!』 『愛を!!』 『父よ!!』 『愛を!!』

 

研究員達の間で軽いどよめきが起こった。何かを口走りそうになった鹿島も、咄嗟に言葉を飲み込む。

いきなりだった。シリンダーの中の子鬼達が、墨色の揺らぎに包まれて燃え出したのだ。

『卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦卦呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵ッ!!!』

薄緑の液体の中で、炎に焼かれている。子鬼達が絶叫する。彼の仕業かと思ったが、どうやら違う。今まで落ち着き払っていた彼も、驚いたような貌をしていた。

彼はすぐに何事かを唱えつつ、シリンダーの中で燃え盛る子鬼達を救おうとしたのだろう。しかし、彼が纏う墨色の揺らぎは、子鬼達を焼く黒い炎を拭えない。

そのうちに、焼かれていた子鬼達の身体が、崩れ始める。ボロボロと崩壊していく。彼は尚、小鬼達を救うべく何かを唱えている。治癒・修復に掛かる施術式だろう。

シリンダーを墨色の術陣が覆うものの、子鬼達の肉体の崩壊は止まらない。何らかの外的な力が、彼の持つ力を凌駕しているのか。仮にシリンダーを開けても、彼の手に負えないのであれば、手の施し様が無い。

もはや手遅れだ。神秘の領域に飲まれ、鹿島も、研究員達も誰も動けない。そして彼でさえも、無念そうに唇を噛んだままでシリンダーに左手を添えて、無残に焼かれていく子鬼達を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督さん、濃いめのコーヒーが入りました。此方に置いておきますね」

 

 施設から鎮守府に戻ると、もう夕刻だった。

残った執務を片付けた鹿島は微笑みながら、上品な仕種で彼の執務机の端にコーヒーカップを置いた。

大きな作戦も終わり暫く経ち、今の鎮守府にはピリピリ、バタバタとした雰囲気は無い。

静か、という訳では無いものの、何処か穏やかな空気で満ちている。

換気の為に、半分程あけていた窓から風が吹いてくる。緩くも、少し肌寒い風だった。

窓に歩み寄った鹿島は、晴れて澄んだ空を見上げつつ、そっと窓を閉める。

 

「あぁ、どうもすみません。

 ……いただきます。 鹿島さんも休憩して下さいね」

 

 書類を重ねて持ち、トントンと揃えている彼の執務も片付いた様だ。今日の業務を手早く終わらせたのも、今日の夕食が野獣達との鍋会だからだろう。

ただ彼の表情は笑顔であるものの、静かな面持ちのままだ。鍋会を楽しみにしているという風では無い。胸中では、別の何かを考えている。そんな笑顔だった。

秘書艦である鹿島も鍋会には呼ばれているのだが、どうも気分が上を向いてこない。笑みを返してくれる彼に、「はい」と緩い頷きを返しつつ、鹿島も自分のコーヒーを淹れる。

コーヒーカップとソーサーを手に秘書艦用の執務机に戻る。そして、自分の机に広げてある書類を片付けてから、コーヒーカップに静かに口を付ける。と見せ掛けて、鹿島は俯き加減のままで、チラリと彼の様子を窺った。

彼はミルクも砂糖も入れない。カップを持つ所作にも何処か品が在り、子供が大人ぶっいるような印象は全然受けない。普段の落ち着き払った態度の所為かもしれない。

彼は白髪で、右眼を覆う黒い眼帯をしている。右手には、黒い手袋。その眼帯も手袋も、拘束具めいていて仰々しく、窮屈そうだ。禍々しくさえある。

しかしそんなマイナスな雰囲気も、彼の優しげな表情と調和しており、得も言えぬ魅力というか、独特の色気を演出している。少なくとも、鹿島はそう感じていた。

普段から柔和な彼の表情を知っている。だから先程の施設で見せた、彼の険しい表情が強く印象に残っている。鹿島はソーサーと共にコーヒーカップを持ち、一口啜る。

「あの子鬼達は、どうして自害したんでしょうか?」沈黙が続く中で、鹿島は聞いた。彼はコーヒーカップを執務机に置きながら、思案するように視線を下げた。

 

「恐らくですが……、あの子鬼達は、“解体・破棄”されたのだと思います」

 

「か、解体……ですか?」

 

彼が俯くようにして頷いた。

 

「はい。人類が構築してきた破棄施術式と、良く似た現象でした。

ただ、子鬼達を構成していたであろう金属なども、根こそぎ消滅しています。

この点を見るに……あの現象は“海”による、より上位の術式効果だと考えられます」

 

「しかし、他所の施設での報告によれば、そのような現象は無かった筈です。

 “海”によるリモートの解体だなんて……」

 

「勿論、僕のこの考えは憶測の域を出ていませんし、理論的でもありません。

 しかし、あの子鬼達へと微光で触れた時、“ロック”が掛かっているのを感じたのです」

 

彼は自分の左手へとゆっくりと開きつつ、其処に視線を落とした。

その掌には墨色の微光が灯り、揺らいでいる。

 

「完全に主観での話ではありますが、今までに触れた事の無い感触でした……。

 子鬼達の魂に、人の手が決して触れえぬよう、“海”が警戒している様に思えます。

 ああした自滅のプログラムを、子鬼達に刷り込んでいるのかもしれません」

 

 鹿島は唾を飲み込んでから、コーヒーカップをソーサーと共に机へと置いた。

手が震えて来て、落としてしまいそうだったからだ。

 

「それはつまり……、

子鬼達の魂には、深海棲艦が生まれてくる鍵が隠されているという事でしょうか?」

 

鹿島も視線を落として右手で自分の顎に触れた。彼の言葉を整理する。頭の中で、事実と推測を線で繋いでいく。

「子鬼達の魂……その原形質に触れ得る、提督さんの干渉によって、子鬼達に刷り込まれた自滅プログラムが作動した……」と。

其処まで言って、鹿島は彼を見遣る。

 

「可能性は無いとは、言い切れません」

彼は静かに言いながら瞑目し、軽く息を吐き出した。

 

「あの子鬼達は人型の深海棲艦の中でも、

特殊な顕現・発生の下で生まれたのかもしれません。

“海”は、その神秘や神性を、僕達に暴かれたくは無いのでしょう」

 

“姫”や“鬼”にすら無い、≪何か≫。それが、あの子鬼達の中に在るのではないか。

そう仮説を立てているのだろう彼は、鹿島の方を見て少しだけ苦笑を浮かべた。

「或いは……、僕達がこんな風に考察し、何らかの仮説を立てる事自体が、“海”の罠かもしれませんね」

緩い溜息を吐き出した彼は、苦笑を浮かべたままで一口、コーヒーを啜る。鹿島は少し混乱した。

 

「えぇと、それはつまり……、

子鬼達が、“何か重要な事を隠している”フリをしている、という事でしょうか?」

 

「仰る通りです。

其処に謎が在るように見せ掛けて、僕達の関心を釣ろうとしている。

無駄な思考と警戒を強いる為の、精神的な罠なのかとも思うのですが……」

 

言いながら、彼は肩を竦めて見せる。

 

「解答の保障も無く、答え合わせもしようが無い領域の話です。

僕は見事に術中に嵌り、後手後手に回っている最中なのかもしれません」

 

 彼は左手で額を抑えて、考え込むようにして視線を落とす。何処か思い詰めている様子だ。

沈黙。その表情には、焦燥や不安さは無い。頭の中にある選択肢を、冷静に取捨している。

鹿島にはそんな風に見えた。何を考えているのかを聞いても、多分彼は答えてはくれない。

緩く微笑みながら「いえ、何でもありません」と答えるのだろう。

それは拒絶では無く、彼の気遣いや優しさに類するものだという事も理解出来る。

彼が、艦娘達に伝えるべきでは無いと判断した事柄については勿論、理由だってある筈だ。

だから、此方から根掘り歯掘り訊くのも憚られる。

必要である事ならば、また彼の方から教えてくれることだろう。

 

 実際。彼は、自身の来歴については、鹿島を召還してすぐに教えてくれた。

艦娘達の破棄処理に従事したことや、異種移植を受けたことも。具に語ってくれた。

己の過去を鹿島に曝した彼は、それからすぐに鹿島にロックを掛けてくれた。

嫌悪や悪意を鹿島が抱いていても、それを尊重し、受け入れるつもりだからだろう。

最初の頃は確かに、彼への悪い印象や感情が無かったと言えば嘘になる。

ただ彼の下に居て人格を育んだ艦娘達の多くが、彼を仰慕しているのがよく分かった。

そして彼もまた、果敢に戦う艦娘達を敬愛し、家族のように大切にしている。

此処は、暖かい場所だった。鹿島もまた、大切にしてくれる彼に惹かれるのに、そう時間は掛からなかった。

彼の悲劇的な過去も、全ては因果であり、巡り合わせなのだと思うようになった。

艦娘である自分は、己のすべき事を成し、彼の指示に従っていれば良い。

差し出がましい事は、すべきでは無い。頭の冷静な部分では理解しているつもりだ。

しかし。秘書艦として彼の傍に居ると、こういう時に距離を感じる。

 

 いや。もどかしいと言った方が正しいかもしれない。

もっと頼ってくれても良いのにと思う。力になりたい、支えたいと思う。

彼の初期艦である不知火や、激戦期を戦い抜いた艦娘達に比べれば、鹿島は新参だ。

だからこそ余計だ。彼の役に立ちたいと、その献身を急いてしまう。

彼のコーヒーカップが空になっている事には気付いて居た。少し重たい沈黙が続いている。

 

「……コーヒーのお代り、お淹れしましょうか?」

 

鹿島はその沈黙を払うように、敢えて明るい口調で聞いた。彼が顔を上げて鹿島を見る。彼の表情は、何だかすまなさそうな笑顔だった。

「えぇ、お願いします」と鹿島に答えた彼の声音も、幾分か明るいものになっている。彼は気持ちを切り替えるように一つ息を吐き出した。

その様子を微笑みと共に眺めて席を立ち、鹿島はまたコーヒーを淹れる。「提督さんは、平和になったら何がしたいですか?」出来るだけ、明るい話題を探したつもりだった。

別にどう答えても構わない。気負う必要も無い。他愛の無い質問だ。正解も不正解も無い。漠然としていて、輪郭の無い未来への質問だ。だから彼も、思わず口が滑ったのだろう。

「以前、北上さんにも似た事を聞かれました。……色々と考えてはみたんですが、特にこれと行って思いつきませんでした」申し訳なさそうに苦笑した彼は、其処で一度、寂しげに眼を伏せた。

「強いて言うなら……、両親がどうなったのかを調べてみたいですね」と。彼は、遠くを眺め遣るような眼つきで、小さく零していた。

だが、すぐにまたハッとした貌になって俯き、バツが悪そうに微笑んでから「……会えると良いのですが」と、まるで他人事みたいに言葉を付け足した。

 

「鹿島さんは、如何ですか? 何かしたい事が在りますか」

 

少し慌てたように鹿島へと質問を返す彼の様子からは、余り深くつっこまれたくは無い話題なのだと察する事が出来た。

だから、鹿島は明るい調子で答える。「私は、色んな海への遠洋航海ですね。行きたいところ、たくさん在るんです」コーヒーを淹れ終え、鹿島は笑みとともに言う。

彼が口を滑らせてしまったのも、それだけ鹿島に心を開いてくれているという証拠だろうと、プラスに捉える。距離は感じる事はあっても、近付いている事は確かだと思う。

 

献身を急くことは無い。平和の為、艦娘として自分に出来る事をこなし、たまにこうして、彼の傍で支えになることが出来れば良い。

でも、もしかしたら。こんな事は口に出して言えないが。平和なんて来ないかもしれない。子鬼達も叫んでいた。『我等に救いは無い』と。

それでも尚。鹿島は鹿島でしかない。ただ、それだけだ。鹿島はコーヒーカップをソーサーに載せて持ち、執務机の彼へと歩み寄って、どうぞと手渡す。

「遠洋航海ですか……。良いですね」と。彼は鹿島からソーサーを受けとりながら、また柔らかく笑った。「僕もご一緒させて貰って良いですか?」

彼は冗談めかして言ったに違い無い。しかし、その表情は何処か物憂げで、すごい艶が在った。儚い微笑みと共に向けられる、深い信頼を感じさせる。

鹿島を大きく動揺させるには十分に過ぎた。「えっ!?」と驚いた声を上げた鹿島は、その弾みで、彼に手渡す寸前のソーサーを揺らしてしまった。カップがバランスを崩す。

幸いカップは落ちなかったものの、熱いコーヒーが彼の太腿に掛かってしまう。黒い提督服の右腿部分に、湯気と黒ずんだ滲みが広がる。

 

「あぁっ! も、申し訳ありません!!」

 

「い、いえ、鹿島さんこそ、大丈夫ですか?」

 

 鹿島は大慌てでスカートからハンカチを取り出し、彼の太腿を拭く。

ただ、彼は全く熱がる素振りを見せず、寧ろ、鹿島が火傷をしていないかを心配していた。

一方、鹿島の方はめちゃくちゃ焦っていた。零したコーヒーの量だって少なく無い。

火傷をさせてしまったに違い無い。ああ。ああ。どうしよう。どうしよう……。

実際、鹿島がハンカチ越しに触れる提督服の腿部分は、かなりの熱気を持っている。

熱い筈なのに、鹿島を気遣ってくれているのだろうか。そんな風に考えて、余計に焦る。

「提督さん、し、失礼致します!!」鹿島は彼の腕をとって椅子から立たせて、提督服の下穿きを脱がすべく、ベルトに手を掛けた。

 

「あ、あのっ! 特に熱くは無いので、だ、大丈夫ですから!」

 

流石に彼も焦ったようで、腰を引いて逃げようとした。

しかし、もっと焦っていた鹿島は止まらない。

 

「このまま熱いコーヒーを染み込ませては、提督さんの脚に火傷が……!!」

 

凄まじいまでの手際の良さで、鹿島は彼のベルトを解いて、下穿きを膝上当たりまでスルスルっと降ろしてしまった。

彼の白い右脚は、コーヒーで濡れてテラテラと光っていた。肌も赤くなっている。やっぱり、熱くない訳が無い。

 

「あのっ! ヒリヒリしたり、痛んだりする場所はありませんかっ?

 すぐに氷と薬を貰って参りますので……っ!」

 

「いえっ、痛みはありません。僕は感覚が鈍いので……」

 

 彼の前で屈み込む姿勢で、鹿島は大慌てで彼の脚から水気を拭きとり、彼を見上げた。彼は、気恥ずかしそうに視線を逸らしている。

ただ、鹿島が彼の言葉を真に受けることが出来ないのも事実だ。きっと、また気を遣ってくれているのだろうと思った。しかし、彼の白い脚へと視線を戻し見て、はっとする。

火傷の赤みが、みるみる内に引いていくのだ。いくら何でも、治癒速度が早過ぎる。彼が、黒い手袋をした右手で自分の右脚に触れて、少しだけ笑った。

 

「……この躯に気遣いは無用です。痛みや傷を残しませんし、熱くもありません」

 

鹿島は、彼の右手を覆う拘束具めいた手袋と、その言葉に一瞬言葉を失う。

 

「ほ、本当に大丈夫なので、お気になさらないで下さいね。

心配してくださって、有り難う御座います」

 

 彼はなんだか寂しそうに笑い、鹿島に少し頭を下げて見せた。

その表情に、どんな想いを乗せているのかは、推し量ることは出来ない。

鹿島は下唇を軽く噛んで俯く。彼の視線を、今は受け止められそうに無かった。

右手で持つハンカチをぎゅっと握る。左手で胸の前あたりを押さえる。

上手く言葉が出て来ない。でも、何か言わないといけないと思った。

ぐっと顔を上げる。彼は少しだけ恥ずかしそうに、左手の人差し指で頬を掻いていた。

彼は、鹿島から視線を逸らしていた。

 

「その、もう……、下穿きを上げさせて貰いますね?」

 

「えっ……、はぅぁっ……!!」

 

 今まで必死というか、本当に焦りまくっていたから気にならなかった。

何と言うか、冷静な鹿島は何処かに行ってしまった状態だった。

だが、今は違う。冷静な鹿島が戻って来て、目の前には彼のパンツが在った。

イタリアンデザインの黒いボクサーパンツだった。機能的なシルエットだ。

いや。そんなのは良い。問題は。その前面の膨らみだ。何て事だろう。堂々たる象さんが其処に佇んでいる。

実物自体は見た事が無いものの、鹿島だって男性の象さんがどんなものか位は知っている。

だが彼のは、ぱっと見で大きい。いや。 もちろん、生じゃないけども。。

ボクサーパンツ越しだけど。シルエットしか見えないけども。分かるものは分かるのだ。パオーン(幻聴)

数秒。鹿島は真っ赤になったままで、「はぇ^~……(興味津々)」と、その象さんを至近で注視観察してしまった。

執務室に夕陽が差し込んでいる。その橙の光の中に。遥かサバンナに吹き渡る、熱く乾いた風を感じた。重症だ。

「あ、ぁの……、その……」と、遠慮がちに言う彼の言葉に、鹿島はハッと我にかえる。

いけない。視線が吸い付いてしまう。目を逸らすべきだ。失礼な視線を向けてはならない。

秘書艦として! 秘書艦として!! 「ぃ、いえ……、も、申し訳ありませんでした……!」

強く念じて、目を逸らす。物凄い意思の力が必要だった。力み過ぎて首筋が痛い。

彼に敬礼をしつつ立ち上がろうとした。だがその前に、鹿島は自分の唇に違和感を覚えた。

何だろうと手で触れてみると、赤い。血だ。えぇ……、これ鼻血……!?

 

「鹿島さん、あの……血が……!!」

 

 驚いた彼は、下穿きを脱がされたままの姿なのだが、すぐに動いてくれた。

彼は席から立っているので、すぐ近くに執務机の引き出しが在る。

彼は整頓された引き出しの一つから、ポケットティッシュを取り出した。

そして数枚を抜き取って、「あの、どうぞ。使ってください」と、手渡してくれた。

いや、鹿島だってティッシュくらい持っている。でも、余りの羞恥に動けなかったのだ。

パンツ越しの象さんを見詰めて鼻血を出したなんて、もう何と言うか……あーぁ、もぉ……。

なにこれ恥ずかしい……。涙が出ちゃいそう……。嫌われちゃったらどうしよう……。

泣きそうだ。すぐに立ち上がるべきなのだが、何だか足に力が入らない。脱力してしまう。

 

「せっかくコーヒーを淹れて頂いたのに、零してしまってすみません……。

 今度は、僕が淹れ直しますね」

 

 彼は、やはり鹿島を気遣うように言ってくれる。もう何度目になるか分からない「も、申し訳ありません……」と共に、彼からティッシュを受け取り、血を拭こうとした時だった。

ノックも無しにドバァン!!と執務室の扉が開かれた。「Hey! テイトクゥーー!!」と、底抜けに明るい笑顔で現れたのは金剛だった。

手には何やら色んな野菜の入ったスーパーの袋がある。食堂で間宮に分けて貰ったのだろう。そういえば、今日は鍋会をやるらしい話は聞いていたが、まさか此処でするのか。

いや、鍋会の開催場所とかはどうでも良い。そんな事よりも重大なのは、今の彼と鹿島の状況だ。客観的に見て、どう見えるのかなんて考えるまでも無い。

彼は下穿きを降ろして、ボクサーパンツを曝している。その前に屈みこんだ鹿島が、口許の辺りをティッシュで拭いているのだ。誤解されても仕方無いというか、アウトだ。

「そろそろ執務も、Finishな感じデスカぁaaaAAAAAAAAAAAAAAAAN!!??」案の定。金剛が明るい笑顔が一瞬で凍りついて崩れ去り、狼狽しきった貌になった。

「What the ……!!?」と、この世の終わりを目の当たりにしたような金剛に、鹿島は「いやっ、あのっ、これはっ……!!」と言いつつ、焦りに焦って彼の下穿きを上げる。

 

ご、誤解ですッ!! 違うんです金剛さん!! そう鹿島が弁明するよりも先に彼が、「はい、もう終わりましたよ」と、金剛に微笑んで見せた。

いや。多分。彼は、“執務が終わった”という事を言いたかったに違い無い。だが、この状況では……。ナニが終わったんだという話になってしまう。残念なことだ。

金剛は彼と鹿島を見比べ、泣き出す寸前の怯えたような貌になってから、「あわわわわ……」みたいに、身体を震わせ始めた。鹿島も「はわわわわ……」みたいになった。

そんな金剛と鹿島の様子には気づかず、彼はコーヒーが零れてしまったカップを一瞥して、何かを思い付いたように微笑んだ。「今から淹れ直そうと思っていたんです」強烈なミスリードだった。

 

「えぇっ!!!? いっ、挿れっ……!!??!!? 」

金剛がとんでも無い衝撃を受けたような貌になって叫んだ。

鹿島も噴き出す。この流れは駄目だ。目的語が……、目的語無いと。

「金剛さんも如何ですか?」と。身なりを整えた彼は、穏やかな声で問う。

 

「ぉ、……お願いシマス(小声)」

 

 ぽしょぽしょと言いながら、真っ赤になった金剛は静々と頭を下げた。

かと思えば、手にしたスーパーの袋をその場に置いて、執務室の扉も開けっぱなしで足早に彼に歩み寄って来た。

出撃するときよりも険しい表情に見えるのは、鹿島の気のせいではないと思う。

何と言うか、歩み寄って来る姿に変な迫力があって、鹿島は気圧される。

彼の前で立ち止まった金剛は、神妙な面持ちで彼に頷いてから、ゆっくりと唇を舐めた。

明らかに変なスイッチが入っている。ヤバイと思った鹿島は、金剛を宥めるように言う。

 

「いやっ、あのですねっ! 

これはその……! 違うんです! その“挿れる”じゃないんです!!」

 

「No probremデス、teacher鹿島 ……。

 分かってマス。これは、そう……テイトクにとって大切なtraining!!

 One more set!! Follow me!!(意味不明)」

 

 必死な様子の鹿島に対して、金剛は真っ赤な真剣な表情で頷いて見せた。駄目だ。プロブレムしか無い。このままでは不味い。馬鹿な流れで悲劇が起きてしまう。

「えぇと……」彼の方は怪訝な表情を浮かべて、鹿島と金剛を見比べている。金剛は流れるような動作で、彼の前にしゃがみ込んだ。やる気マンマンだ。

というか、もう鼻血が出ている。「あぁ! あの、金剛さん、これを……!」彼がまた、手に持っていたポケットティッシュの何枚かを、目の前に屈んだ金剛に手渡した。

 

「だ、大丈夫デス! これはそう、心の汗デス!!」

勇ましく言いつつも、屈んだままの金剛は彼からティッシュを受け取り、鼻血を拭いた。

急展開に鹿島が追いつけない間に、悲劇が連鎖しだしたのはその時だ。

執務室の扉は開けっぱなしである。

 

「Fooooo↑!! 廊下がサムゥイ!! 

 鍋で暖まりますよ~今日は~^、oh^~? (ウキウキ気分)」 

 

其処に、野獣が現れたのだ。長門と陸奥も一緒である。

三人共、其々に食材を詰めたスーパーの袋を大量に持っていた。店でも始めるのかと思うほどの量だ。だが、問題は其処では無い。

彼の前に屈みこんだ金剛が、口の辺りをティッシュで拭いているという状況だ。

鹿島の時と同じく、そんな光景が何を連想させるのかなんて考えるまでもない。

二秒程の沈黙と共に、再び世界が静止した。しかし、すぐに動き出す。

 

「はぉっ!!!??」 

状況を理解、というか誤解をした長門が、顔を真っ赤にして身体を跳ねさせた。

 

「ぁぁ^~~……すわわぁ^~~……(虚脱)」

心の拠り所を破壊され、打ちのめされた様な貌になった陸奥が、力無くその場に崩れ落ちた。

 

「ぉファッッッ!!!??(思わぬ衝撃)」

缶ビールを呷りながら野獣まで現れ、驚愕の声を漏らしている。

ちょっと待ってぇ、もぉー……。

 

 

 

 

 その後。何とか彼の状況説明もあって、何とか場は落ち着きを取り戻した。

錯乱して暴走気味だった金剛も冷静に戻り、半泣きのまま「sorry ……」と、真っ赤になって鹿島と彼へと頭を下げてくれた。

まぁ、大事にならなくてよかった。

 

「焦るから勘弁してくれよな~、頼むよ~(苦笑)」

 

 空気を読んで笑い話として済ませてくれる野獣の背後で、長門と陸奥の二人の方は、何だかホッとした様な貌をしていた。

鹿島はもう、何だかどっと疲れてしまって、鍋会なんて気分では全然無かった。というか、本当に此処でやるつもりなのだろうか。

恐る恐る聞いてみると、流石に彼の執務室ではしないという事だった。じゃあ、何処でやるのかと聞くと、野獣の執務室で行うのだと言う。

やっぱり執務室で鍋会をするのかと、鹿島は軽く困惑した。だが、もう考えるのが面倒くさくなってきて、「あっ、そ、そうだったんですね」と返しておいた。

何でも野獣や金剛達は、間宮や鳳翔から食材を分けてもらい、野獣の執務室へと向う途中で、彼と鹿島の仕事の具合を見る為に、足を運んだという事らしい。

もう仕事が終わっていれば、一緒に連れ立って行こうという話だったようだ。彼も鹿島も業務を終えていたので、執務机を整理し、皆と共に野獣の執務室に向うことにした。

ただ、彼は少し寄るところがあるので、先に向っていて欲しいと告げて、執務室から廊下に出たところで分かれた。執務室から出ると、廊下は思ったより肌寒かった。

 

 確かに暖かいものが食べたくなる。鹿島は野獣達の後について行く。先頭を行く野獣は楽しげであり、長門や陸奥と何やら言い合いながら歩いている。

一方で、鹿島の隣を歩く金剛は、ずーーーん……という音が聞こえて来そうな程の凹みっぷりだった。暴走気味だった自分を顧み、猛省の最中にあるのだろう金剛は、俯きがちに此方を見た。

自嘲気味に唇の端を持ち上げた金剛の表情に、鹿島も取りあえずといった感じで引き攣った笑顔を返した。視線を逸らそうと思ったが、出来なかった。

 

「Teacher鹿島 ……」

 

凹んだ様子の金剛が声を掛けて来たからだ。

 

「は、はい、何でしょう?」

 

「ワタシ、ちょっと……無作法、さん……、でしたヨネ?」

 

そりゃあ、まぁ……、とは言えない。鹿島はぎこち無い笑みを返すに留まる。

 

「ちょっと襲い掛かるくらいだったら、大丈夫だって、へーきへーき! 気にすんなッテ!」

 

なんと答えるべきかと悩んでいると、先頭を歩いていた野獣が此方を振り返った。

 

「この前の『大本営ゲーム』の時とか、もっと凄かったしなぁ。

 YMTとNGTなんかさぁ、アイツの乳首弄って喜んでたんだぜ? 相当変態だな(事実確認)」

 

野獣が笑いながら言う。その傍に居た陸奥が、凄く険しい顔になって長門を凝視した。

「おいっ! 陸奥達には秘密にする約束だろうが!!」長門が荷物を取り落としそうになっていた。

金剛も真顔になって顔を上げた。鹿島だって無言で長門を見詰めてしまう。

全員から視線を向けらている事に気付いた長門は、わざとらしく一つ咳払いをして見せた。

 

「あ、アレはな? ゲームの、その、……なんだ、ルールに従ったまでだ。

 大和と私が、彼にハグするという命令が本営から、こう、発令されたからな?

 だから仕方無くだな? 私としても、命令には逆らえんしな?

それでこう……、彼と同意の上で、ハグをした訳だな、うん。アレはな」

 

「いや、ハグでしょ? 何で彼の乳首が出てくるの?」

 

 視線を泳がせながら、まとまりの無い説明をする長門に、陸奥が責めるような視線で見る。鹿島や金剛だって、似たような視線を向けた時だ。野獣が携帯端末を取り出す。

長門がギクッとした貌になった。「ぉ、おい、野獣まさか……」、「それでは、御覧下さい(情報提供者先輩)」野獣は携帯端末をポチポチと操作して、鹿島たちに見せてくれた。

何かを言いかけた長門の声を遮り、ディスプレイには動画が再生された。場所は鳳翔の店の様だ。賑やかで楽しそうな声が聞こえ、盛り上がっている雰囲気が伝わって来る。

画面の中央には彼が無防備な姿で、優しげな微笑を湛えている。あぁ、なる程。これから、誰かとハグをするのか。其処まで思った時だ。大和と長門が、ずずいっと彼に詰め寄った。

「えぇ、その、じっとしていて下されば、すぐに終わります」 「そ、そうだな! 別に痛くしないから、安心してくれ!」 トチ狂った事を言い出す二人の行動は疾かった。

鼻面を彼の胸へと突っ込む勢いで、抱きつきに掛かったのだ。「あ、あのっ……! はぅっ! 

大和さん、駄目です……! あぁっ! 長門さん、そ、其処はっ……!」

甘い悲鳴を漏らす彼を前に。大和は舌なめずり、長門は艶のある笑みを浮かべて、彼の上着へと手を差し込み、容赦無く蹂躙している。

「はぁ……はぁ……、さくらんぼ(意味深)は何処ぉ? 此処ですかぁ^~?」 「おぉほほぉ~~^^こっちにも衝撃が来たあぁ^~~(意味不明)」

二人の声はいい感じに蕩けていた。凄い色気だ。その淫気に当てられてしまい、鹿島も身体の奥が熱を持って来た。変な気分になってしまいそうだ。

「うぁっ……! はっ、ぅぅ……!」と、画面の中の彼が艶かしく呻いたところで、一旦動画を停止した。肌寒い廊下を、不穏な静寂が包む。気付けば、全員歩くのを止めていた。

 

 

 

 

 

「(;゚ロ゚)……」

余りに刺激的な映像だったので、鹿島は暫く呆然としてしまう。

 

「( ‘ᾥ’ ) ……」

陸奥は凄いムッとした貌で長門を見詰めている。何か言いたそうだ。

 

「(;⓪益⓪) ……」

金剛は身体をぶるぶると震わせているものの動かない。

 

長門の方は野獣を睨もうとしたものの、流石に旗色が悪いと判断したのか。

『あっれー、おかしいなー?』みたいな、すっとぼけるのに失敗したような真面目な顔で陸奥に向き直った。

 

「その、アレだな……。不可抗力というか、まぁ何だ。

 ハグをしようとしたら、ちょっと事故ったみたいな感じだったかな?」

 

「へぇ…… ( ‘ᾥ’ ) 見た感じ、もの凄いノリノリじゃなかった?」

 

もの凄いムッとした貌のままで、陸奥は長門に聞く。

あんな機嫌の悪い陸奥を初めて見た。

 

「見てるだけで凄い楽しそうなんデスけどーー!

 (;⓪益⓪) 何でワタシ達も呼んでくれなかったんデスカぁァ〜~!!?」

 

金剛は野獣の方を見て抗議の声を上げている。

野獣は肩を竦めてから、長門へと視線を向けた。

 

「そりゃあ、人数が増え過ぎたら収拾がつかなくなっちゃうからね。

 しょうがなかったんだよなぁ……(加減上手)。 なぁ、ゴリもん?」

 

「誰がゴリもんだっ!! 

『ながもん』ならまだ分かるが、もう原型が無いだろうが!!(憤怒)」

 

吼える長門にひらひらと手を振って相手にしない野獣は、携帯端末を海パンにしまった。

ついでに金剛や陸奥、それから鹿島を順番に見て軽く笑う。

 

「何だったら今日の鍋回の後にでも、もっかいやれば良いじゃん? アゼルバイジャン?」

 

 その野獣の提案に、鹿島はドキリとしてしまう。「えっ!?」「Really!?」金剛と陸奥の表情もパァァと華やいで、長門もキラキラし始めた。

明らかに金剛と陸奥の反応を楽しんでいる野獣は、廊下に誰も居ないことを確認しつつ、わざとらしく難しい貌を作って見せて、考える振りをした。

 

「まぁでも、どうすっかなー。明日も忙しそうだしなぁ……。

 ……駄目だやっぱ! 今日は飯食うだけにするか!(意地悪先輩)」

 

「えぇっ!!? そんなぁ……!! 

 ぉ、お願いします!! 私にも愛のパワーを下さい!!(真剣)」

 

おおいに焦った様子の陸奥が、パンパン詰めのスーパーの袋を一杯持ったままで、深く深く頭を下げて見せた。

すごい必死さだった。それに倣い、同じくスーパーの袋を幾つも持ったままの金剛も、ガバッと頭を下げる。

 

「ワタシ達にも、SexyでFunnyでHなゲームをさせて下サイ!!(豪速球)」

 

「おう、考えてやるよ。(やるとは言ってない)

 KSMはどうだよ? まぁ、KSMは真面目だもんな? やりたくないよな?」

 

 思わぬ野獣からの言葉に、鹿島はギクッとしてしまう。もし鹿島が野獣の言葉に同意してしまえば、『大本営ゲーム』なるものは中止になるだろう。

全員の縋るような視線が鹿島に集まった。鹿島は俯いて、両手の人差し指どうしをツンツンと合わせながら、上手い言葉を探すもののなかなか見つからない。

いや。もう飾ることは無いだろう。長門も陸奥も金剛も、何と言うか本音でやり取りをしているというか、上品ぶっていない。素直に言えば良い。

鹿島は一度唇を舐めて湿らせて、野獣に向き直った。姿勢を正して、真っ直ぐに見据える。

 

「私は、その……召ばれて日も浅い身です。

此処に居る皆さんの事、て、提督さんの事も、もっとよく知りたいと思います。

ですから、わ、私も参加させて下さい……!」

 

この鎮守府に在り、提督である彼や、仲間達に貢献したい。鹿島の本音だ。

傍に居た金剛が、鹿島と肩を組んできて、唇の端をニッと持ち上げて見せた。

「よくぞ言ってくれまシタ! それでこそ、彼の召んだ艦娘デス!!」

嬉しそうに言う金剛は、サムズアップをしてくれた。鹿島も、自然と明るい笑顔を返す。

「しょうがねぇなぁ~(悟空)」野獣も楽しそうに笑ってから、廊下を歩きだした。

 

「そんじゃあ、もうちょいメンツ集めますか~?(幹事先輩)

 この辺にぃ、陽炎型の駆逐艦が二人、ドイツ艦娘が一人、来てるらしいっすよ?

 じゃけん、そいつらも呼びましょうね~」

 

野獣は言いながら、再び携帯端末を取り出して、何処かへと連絡を取り始めた。

その野獣のあとに続いて、鹿島達も歩き出す。

 

「ふふ……、彼とまたハグが出来ると思うと、胸が熱くなるな!」

にやけた長門が、うぅふへへ……、と遠くを見ている。

普段の凛々しさからは想像も出来ないような、何と言うか残念な感じだった。

 

「鍋の前に、先にシャワー浴びて来ようかしら……」

訳の分からない事を呟き、そわそわした様子の陸奥の思考も、だいぶ先走り気味だ。

 

 ただ、此処に居る皆が悪いひとで無いことは、鹿島も良く知っている。

彼を良く支え、また彼に支えられている。彼は、鎮守府に居る皆を、家族と呼んでいる。

そりゃあ、彼を強く想う艦娘だって居るのだから、多少は騒がしくなる日だって在るだろう。

此処は、暖かい場所だと思う。家族。その言葉が頭に浮かんでから、今日の施設での一軒が脳裏を過った。

『父よ!!』『父祖よ!!』と彼を呼ぶ、子鬼達の甲高い声が耳に甦る。

両親に会えれば良いのですがと。他人事みたいに言う彼の横顔がチラついた。

悪寒の様なものが背筋を走る。彼の顔が見たくなり、心細くなった。

だが生憎と、彼は此処には居ない。鹿島は意味も無く、廊下を振り返る。誰も居ない。

どうしまシタ~? 笑顔で聞いてくる金剛に何でもありませんと、笑顔で答えた。今日は、寒い日だ。

 
















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