少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

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後日談 第5章

 其処はL型をした広い廊下だった。

全体的に薄暗く、窓が無い。雰囲気からして、洋屋敷の様だ。シックな壁紙には絵画が幾つか掛けられており、引き出しのついた小さな机が置かれてある。

机の上には、ちょっと古臭い感じの固定電話が置かれている。他には観葉植物とデジタル時計。その周りには何らかの薬物が散乱している。

廊下を歩いていって右へと折れると、ドアが三つある。曲がってすぐ右手に一つ。其処から少し歩いて左側に一つ。そして、更に歩いていった突き当たり正面に一つだ。

 

 小物を置いておく棚も在り、其処にはラジオが置かれていて、砂嵐に似たノイズ音が微かに漏れていた。

他には写真スタンドが並べられ、この屋敷の持ち主であろう家族の写真が何枚か飾られてある。

こうしたつい先程まで人が居たかのようなリアルな生活感の演出は、プリンツ達をこの場の雰囲気に引きずり込んで逃がさない。現実感を奪いながら、恐怖心を煽る。

窓の無い閉塞感と相まって、何と言うかこう、やばい場所に迷い込んだという感覚を呼び起こすのだ。

ただでさえかなり不気味なこのL字廊下、どうやら“ロの字”に配置されている。L字廊下のフロアを4つ組み合わせている様だ。

だから同じ光景が続き、まるでループしているような錯覚に陥らせ、凄まじく不安を煽って来る。実際、プリンツも最初は混乱した。

 

 開く扉は、基本的に突き当たり正面の扉だけ。そういった仕様なのだろう、戻ろうとしても扉に鍵が掛けられて居るのは確認済みだった。

前へ行くしかない。その癖、1回目、2回目、3回目とL字廊下を抜ける度に、廊下の雰囲気が微妙に変わって、より空気が澱んで来ている。

蛍光灯があるのは、L字廊下の始まりと突き当たり、それから曲がり角の三箇所しかない。演出なのだろう寒々しいこの蛍光灯の白い光も、この空間の異様さを加速させている。

その薄暗さの中を歩きながら、プリンツはおっかなびっくりと言った感じで、ビスマルクの後ろに着いて歩いていた。プリンツの背後にはU-511と長門が続いている。

更にプリンツ達の先頭を行く形で、携帯端末を片手に持った彼が、何処か楽しげに歩いていた。時折、此方を振り返る時に見える歳相応のあどけなさに胸が高鳴りそうになる。

まぁ、高鳴りそうになるだけで、実際にはそんな余裕は無い。正直、一杯一杯だ。さっきトイレに行って来て本当に良かったと思う。

 

 現在、プリンツ達は鎮守府祭に稼動予定である“明石屋敷.ver1.10”のテストプレイに強制的に参加させられている真っ最中である。

要するにお化け屋敷なのだが、謎解き要素的なものを導入しているらしく、ただ歩くだけでは無く、プレイヤー達のアクティブさが要されるとの事だった。

野獣からの説明によると、使われていない鎮守府庁舎を改造したこのアトラクションは四階建て。其々の階で、此処と同じ構造をしているらしい。

鎮守府祭当日には、このお化け屋敷を抜け切ったプレイヤーには、とある賞品が送られる予定だそうだ。

ちなみに、このテストプレイヤーとして選ばれた艦娘達には現在、艤装召還と肉体機能に制限施術が掛けられており、外見相応の女性程度の力しか出せないようになっている。

作動したお化け屋敷ギミックに驚き、その弾みでアトラクションを破壊してしまわないようにする為の配慮だった。

 

 先程まで会議室で居たプリンツ達は、テストプレイヤーを選ぶくじ引きで“アタリ”を引いてしまったのだ。いや、正確には、ビスマルクが“アタリ”を引いた。

プリンツとU-511は無事に“ハズレ”を引いたのだが、お願い見捨てないでぇ! というビスマルクの懇願を振り切る事が出来ず、道連れになったパターンだった。

長門は普通に“アタリ”を引いてソファの上に崩れ落ちていたが、彼が一緒に来てくれるという事で、何とか精神崩壊を免れた。

長門は結構頑張っていると思う。既にこの異様な雰囲気なL字廊下を10ループほどしているのだ。廊下を右へと曲がり、また歩く。

突き当たりの扉の近くまで来る。ラジオから漏れている微かなノイズが聞こえる。まだ何も起きない。大きな変化は無い。

プリンツは後方に居る長門をちらりと振り返る。長門は戦場海域に居る時と同じ真剣な表情なのに、顔色が青く、今にも吐きそうな貌をしていた。

「だ、大丈夫?」プリンツが心配そうに聞くと、長門は青い顔をしたまま無言で首を横に振った。どうやら大丈夫じゃないらしい。

 

「あ、あの……、ギブアップ制度も設けられているようですし……。

 あまり体調が優れないのでしたら、リタイアした方が……」

 

 ビクビクしながらも冷静さを失っていないU-511の方が、まだ余裕が在る様子だ。

プリンツと同じく、心配そうな貌で声を掛けてくれたU-511に、長門は深く頷いて見せた。

この遣り取りに聞き耳を立てていたのだろう。前を歩いていたビスマルクが此方を振り返った。

平気な振りをしようとして、思いっきり失敗した様な引き攣った笑みを浮かべている。

 

「だらしないわね。長門。

 ま、まぁ、長門がギブアップしたいって言うんなら、仕方無いわ。

 私は全然怖くないないんだけど、リタイアしましょうか。ねぇ、提督?」

 

 ビスマルクは所々で声を裏返しながらそう言って、前を歩く提督に声を掛けた時だった。『すみませへぇ~~ん、リタイアは稼働日からなんですよ~(孤独のグ●メ並感)』

不意に野獣の声が聞こえた。前方からだ。見れば、提督の持っている携帯端末に通信が入り、ディスプレイに野獣の貌が映し出されている。

ディスプレイの野獣はビスマルク達を順番に見てから、これ見よがしにクソデカ溜息を吐き出して見せる。

 

『あのさぁ……。これは一応ロケテみてぇなもんなんだから、

 お前らがこんな早々にリタイアしちまったらテストになんねぇだルルォ?

 なぁNGTァ? お前は強い子だよなぁ?』

 

「いや、もうホント怖いんで無理です……(素)」

 ディスプレイに映る野獣に、切羽詰り過ぎて消え入りそうな声で長門は言う。

 

『え、何ィ? 怖いなんて言葉は聞いた事ねぇなぁ!(ドチンピラ)

 本番は賞品も掛かってるんだしさぁ、もうちょい頑張って、どうぞ(半笑い)

 あ、そうだ!(唐突) 急遽、お前と俺で何か子供向けの劇する事になったから』

 

「劇だと? ふれあいコーナーのオマケみたいなものか?」

 

『おっ、そうだな。 タイトルは“美獣と野女”だゾ』

 

「誰が野女だっ!!?」

 

『何だよ、やっぱり元気じゃねぇかよ(お見通し)。

 それじゃあ、ちょっと他のプレイヤー共にも釘刺してくるから……(棒)』

 

 野獣は言いたいだけ言って、すぐに通信を切ってしまった。焦った様子のビスマルクは何か言い返そうとした様だが、間に合わない。

長門は表情を絶望に歪ませて立ち尽くしている。プリンツは不安そうなU-511と眼が合った。取りあえず「大丈夫だよー……多分……」と、ぎこち無い笑みを返した。

長門がリタイアしようとするタイミングを狙いすました様に通信が入ったところを見るに、野獣はモニター室か何処かでプリンツ達の動きを見ているのだろう。

アトラクションのギミックの管理は明石が担当している筈だから、完全に野次馬と言うか、余計なちょっかいを出しに来ているのは間違い無い。

こんな余裕の無い状態で賑やかしに来るのは勘弁して欲しいところなのだが、彼の方はそうでも無い様子だ。心臓に毛でも生えているのだろうか。

「では、もう少しだけ周回してみましょうか?」何処か楽しげに彼が微笑んだ。次の瞬間だった。

 

 ドンドンドンドン!! ガチャガチャガチャ!! と、すぐ近くで結構大きな音が響いた。

今まで静かだったから素で吃驚した。プリンツとU-511は肩をビクゥッ! っと跳ねさせる。

「ぬひぃっ!!?」と悲鳴を上げて、床に尻餅を着いたのはビスマルクだった。長門は無言のままで白眼をむき、立ったまま気絶していた。

まぁ、そんなのは良い。置いておこう。重要なのは、とうとうこのL字廊下のフロアに動きが在ったという事だ。プリンツは音のした方へと振り返る。

正直、ゾッとした。このL字廊下に三つある扉。そのうちの一つ。廊下を右に折れて左側の扉。その中からだ。何か居る。めっちゃガタガタ言ってる。

ドアノブとかありえないぐらい乱暴に回されているし、扉自体も揺れるというか軋んでいる。向こう側から強く叩いているのか。

宇宇宇。啞啞啞。餓餓餓。畏畏畏。呻き声まで薄らと聞こえる。怖い怖い怖い。こんなサイコな怖さはちょっと想定外だった。

 

 立体映像とか聞いていたから、ホーン●ッドマン●ョン的な感じだと思っていた。少なくとも、ファミリー向けと言うか、演出はもっとコミカルなものだと高を括っていた。

大間違いだった。「このリアルな演出は、流石は明石さんですね……」と、感心したように呟く提督は、興味深そうにその扉を観察している。

 

「ま、まぁまぁと言ったところかしら!

 ちょっと吃驚しちゃうけど、やっぱり娯楽の範疇ね! 大した事ないわ!?

 さ、先を急ぎましょう!」

 

 尻餅を着いた事を誤魔化す様に早口で言いながら、ビスマルクは急いで立ち上がり、声を上擦らせて提督に相槌を打つ。

それから引き攣った顔のままで、逃げるように突き当たりの扉へと歩み寄り、手を掛けた。演出が余りに怖いから、さっさと次のL字廊下へ行こうとしたに違い無い。

しかし駄目だった。「あ、あれ……、あ、開かない!?」 焦った様子のビスマルクがドアノブを回そうとするがビクともしない。

その間にも、ドンドンドンドン!!! ガチャチャガチャ!!! と激しく扉を叩く音が大きくなっていく。「亞亞亞虞虞虞虞宇宇宇畏畏畏畏死死死死死」

其処に混じる呻き声も大きくなり、意識を取り戻した長門が咄嗟にプリンツの背後に隠れる。そして、ビスマルクはU-511の背後に隠れた。

その様子に、彼も何だか微笑ましいものを見るような優しい笑顔を浮かべている。長門とビスマルク姉さま、かっこ悪い……(悲しみ)。

 

「あ、あ、あのっ……! も、もうっ! うるさいんで!!

 そんなにガチャガチャやったら、……ド、ドアが壊れちゃうんですって!」

 

 だが、盾にされた筈のU-511はちょっと砕けた口調で、ビスマルクを庇うようにしてドアの向こうに言い放つ。プリンツはちょっと感動した。ゆーちゃん格好良い……!

勇気凛々のU-511の気迫に押されたのか。ドアを叩く音が止み、呻き声も薄れて消えた。再び不穏な静けさが戻ってくる。ラジオのノイズが、少し大きくなった気がした。

気のせいか。分からない。突然だった。皆が見守る中。ギィィィ……、と。先程まで激しく叩かれていた扉が、ゆっくり、ゆっくりと開いた。怖っ!!

彼以外の全員の肩が、再びギクゥッ!! と跳ねて、飛び下がる。扉は向こう側に開いていき、15~20センチ程の隙間を空けたところで動きが止める。

扉の向こうは真っ暗だ。何も見えない。「少し開きましたね。中はどうなっているんでしょう?」と言いだしたのは、涼しい貌した彼だった。

彼は傍に居たU-511に懐中電灯を手渡してから、無造作にドアノブに手をかける。そんな気軽に開けようとしないで欲しい。

怖い物知らず過ぎるその行動に、思わず変な声がでそうになる。見ている此方の心臓に悪い。プリンツも身体が強張った。

ビスマルクとU-511が何かを言おうと口を動かしたが、間に合わない。長門も制止の声を掛けようとしたに違い無いが、彼がドアノブに掛けた手に力を込める方が早かった。

 

 しかし。扉は動かない。開かない。彼はドアノブを持ったまま視線を此方に戻し、少しだけ笑った。「……何かで固定されていますね。これ以上は開かない仕組みの様です」

一定までしか開かないのも演出のようだが、半開きの扉は偉く不気味だ。だが彼は全く躊躇せず、その暗がりの隙間を覗き込んで中の様子を窺った。

 

「中も……、特に何もありませんね……」

 音と振動による演出効果は恐ろしいが、扉の向こうの部屋自体に仕掛けは見えないようだ。

 彼が覗き込んでも何も起こらなかったことで、ちょっと安堵した空気が広がる。

 

「提督。其処の床に何か落ちてないか?」

 半開きの扉の隙間を覗きこむ提督の背に、そう声を掛けたのは長門だった。

彼の後ろに引っ込みながらも、長門も恐る恐ると言った様子で扉の中を窺っていたのだ。

「あっ……」っと声を漏らしたU-511も見つけたようだ。半開き隙間から見えるところに、何か落ちている。

プリンツもドアに近寄り、その隙間から中を覗き込んでみると、確かに何か落ちている。棒状で光沢が在る。あれは、鍵だ。

鍵は、手を伸ばせば届きそうな距離に在る。恐らくアトラクション的な意味で、此処から手を伸ばして鍵を取れという事なのだろう。

その鍵を使って、施錠されている突き当たりのドアを開ける。先へ進むには、そういうアクションが必要なのだろう。

恐怖を煽る演出も去り、ホッとした様子のビスマルクがU-511の後ろから出てきて、ふふん、と引き攣った貌のままで鼻を鳴らした。

 

「本当のお化けが居るワケじゃないんだし、そんなに怖がらなくても大丈夫よ」

 

 ビスマルクはちょっと上擦った声で言いながら、U-511の肩を軽く叩いた。あの様子で平気な振りをしているつもりなのだろうか。

プリンツや長門、それから、ちょっと苦笑いを浮かべたU-511の視線を受け止めつつ、ビスマルクは扉の傍に提督の隣に移動して、その隙間を除く。

向こうに何も無い、何も居ないのは提督が確認済みだからだろう。そこまで躊躇う素振りも無かった。扉の前で両膝を着いてしゃがみ込み、ビスマルクが右腕を突っ込む。

長身のビスマルクだから、あっさりと鍵まで手が届いたようだ。

 

「掴んだわ。手の込んだ仕掛けね」

 

「有り難う御座います、ビスマルクさん」

 

 扉の隙間に手を突っ込んだままのビスマルクは軽く笑って、提督を見上げる。

そんな短い遣り取りの最中だった。プリンツは寒気と同時に全身の毛が逆立つのを感じた。

提督に視線を向けているビスマルクは気付いて居ない。ドアの隙間。その上の方。

顔だ。長い髪の毛と、逆さまの顔が在る。眼の無い、血塗れの女の顔だった。

長門が貌を引き攣らせ、U-511が「ぁ……!」と言葉を詰まらせてへたり込んだ。

提督とビスマルクも異変に気付いた。次の瞬間だった。ドアの隙間から腕が出て来た。

青白く、細い腕だった。一本や二本じゃない。多い。ぱっと見じゃ数えられない。

二十本くらいだ。一斉に溢れ出て来た。プリンツは悲鳴を上げるよりも先に後ずさる。

ドアの前に両膝を着いていたビスマルクは、その無数の腕にしがみ付かれた。

青白い腕はビスマルクの腕を引き、首を掴み、軍服を握り締めて、ドアの隙間に引き摺り込もうとしていた。

 

「びゃぁああああぁあああああああああああああああああああああ↑↑!!!!!!」

必死に逃れようとするビスマルクは、本気の悲鳴を上げていた。

 

「OOOEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEぇぇッ!!!」

その衝撃的な光景に当てられ、長門が激しくえづいた。

 

 次の瞬間だった。ブツンという音がして、L字廊下の明かりが全部消えた。

ホントに真っ暗闇だ。何にも見えない。恐怖が加速する。ビスマルクの悲鳴が最高潮に達した。

そんな中、遠くで音がするのを聞いた。ドアが開く音。それから、足音。

どっ、どっ、どっ……。低くて勢いを感じさせる。何かが走って来る音だ。

何も見えない中、何かが近づいて来ている。ヤバイ。ヤバイヤバイ。怖い怖い、こわいよぅ!

「UUUEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEぇぇッ!!!(えづき)」 長門が蹲る。

「うー☆!! うー☆!!」プリンツもパニック状態だ。だが、傍に居た彼だけは冷静だった。

 

「こんな演出も在るんですねぇ。

 ゆーさん、すみません。ライトをお願い出来ますか?」

 

 混乱の極地にあるこの状況でも、アホみたいに悠長な彼は、U-511に声を優しく掛ける。

 

「ひゃっ! は、はいっ! が、がるる^~~~ッ!!!(ライト点灯)」

 

 焦りまくった声で応えたU-511が懐中電灯を点け、明かりを廊下に向けた瞬間。

ビスマルクを掴んでいた青白い腕や、此方に走って来る足音が忽然と消えた。

静まり返った暗闇だけが広がっている。静寂。ドサッという何かが倒れる音が2回した。

U-511が音のした方へライトを向けると、長門が泡を吹いてその場に崩れ落ちていた。

ついでにドアの隙間に腕を突っ込んで、お尻を持ち上げた姿勢のまま、ビスマルクも白眼を向いて気絶している。

酷い状態だ。だが、まだ終わらない。生温い風を感じた。頭上からの空気の流れだ。気配。

ライトを持っているU-511が、プリンツの頭上を見上げて、両目を見開いて全身を強張らせている。

彼も、何だか楽しそうな貌でプリンツの頭上を見ていた。最高に嫌な予感がした。アー漏レソ……。

プリンツがゆっくりと自身の真上を見上げるのと、眼の無い血塗れの女が降って来るのは同時だった。プリンツの記憶は、其処で途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まったく。お化け屋敷などと。本当に下らない。鎮守府祭で稼動させるらしいが、どうせ子供騙しのチープなものだろう。そう高を括っていた。

だから、テストプレイに参加しないかと声を掛けられ、今日は非番で暇だからという軽い理由で参加した。

その駄賃代わりに間宮のタダ券もくれるというので、割りの良い雑用程度に思っていた。大間違いだった。

L字廊下を歩きながら、磯風は今までに無い程に激しく後悔していた。何だ、此処は……。とてつもなく怖いじゃないか……。

分かっていれば絶対に参加しなかった。間宮のタダ券を貰えるとしても、流石に遠慮した。

野獣提督から携帯端末に連絡が在った時、もっと警戒しておくべきだった。幾ら後悔しても後の祭りだ。

 

 磯風の前を歩いているのは、懐中電灯を持っている天龍と手ぶらの木曾。磯風の隣には、霞と曙、そして満潮。現在はこの六人パーティーで明石屋敷を攻略中である。

天龍、木曾はくじ引きで選抜され、曙達は『可愛いぬいぐるみ達が一杯の、ふわふわ☆もこもこ系アトラクションだから(大嘘)』と騙されての参加らしい。

だから、案内されたL字廊下フロア、その異様な雰囲気で色々と察したであろう曙達のキレっぷりは凄まじく、今にも艤装を召還しそうな勢いだった。

だが、艦娘達が艤装を召還できないように、この建物自体にも特殊な儀礼が施されている。おまけに先程の野獣からの通信で、ギブアップも禁止されてしまった。

結局、曙達はフロアを散策することになり、怒りと怯えを綯い交ぜにしたような貌で歩を進めている。天龍も木曾も、軽口一つ叩かない。それだけ余裕が無いのだろう。

唐突だった。「あっ、そうだ……(天佑)」磯風の背後に居た 霞がそう呟いたのは、L字廊下を5ループほどした時だった。

 

 一体何だと思い、磯風が無言で振り返ると、霞がパンツを脱いでいるところだった。

磯風は軽く吹き出し、周りに居た曙や満潮もギョッとした様子だ。振り返った天龍と木曾だって戸惑うような表情を浮かべたまま固まっている。

だが、当の霞本人は全く気にした様子も無い。いたって真面目な貌のまま、脱いだ白いパンツをくしゃくしゃと丸めてスカートポケットに突っ込む。

はぁ~~、と溜息を吐き出した霞は、磯風達の視線に気付いた。「……何? 私のパンツ欲しいの?」「要らんわッ!」反射的に答えてしまう。

どうやら霞は、見た目ほど冷静という訳では無いらしい。テンパっている。曙と満潮が互いに顔を見合わせた後、霞に向き直った。

 

「いや……、急にパンツ脱ぎ出したら誰だって凝視するわよ……」

曙の声は困惑に揺れている。

 

「ねぇ、ごめん。聞いていい? 何で急にノーパンスタイルになったの?」

満潮も霞のスカートを一瞥してから、なんとも言えない貌で聞く。

 

霞は軽く鼻を鳴らしてから全員の顔を順番に見て、そっぽを向いて唇を尖らせた。

 

「此処って明石さん謹製なんでしょ? 万が一の事が在ったら、下着が汚れちゃうわ。

 自分の意志じゃどうしようも無いし、出来る対策なんてこんなモンだし……。

 あんた達も、まぁ……、脱いどいた方が良いんじゃない?」

 

 歯切れ悪く言う霞に、曙や満潮も思い当たる節があるのか。

二人は、あ~~……、みたいに得心が行ったようだ。深く頷いていた。

それだけで無く、曙や満潮までがおもむろにパンツを脱ぎ始めた。流石に驚愕する。

おまけに天龍まで脱ぎ出して、「お前も脱ぐのか……(困惑)」と、木曾が低い声を漏らしていた。

「う、うるせぇなぁ! 念の為だよ! 念の為!」 脱ぎ終わった天龍が木曾に言いながら、スカートの裾をぐいっと下に引っ張っている。

磯風が今の状況に置いてけぼりを食らっていると、霞と眼があった。

 

「脱ぐか脱がないかは自由よ。

でも、ジョババババっ(意味深)てなっちゃうと、もう、ね?」

 

切なそうに言う霞の声音には、妙な重みが在った。

あの口振りからすると、やらかした事が在るのだろうか。

分からないが、冗談や軽口で言っている訳では無いのは間違い無い。

霞の眼は真剣だった。

 

「どうせ今は俺達しか居ねぇんだ。 

穿いてようが無かろうが関係あるかよ。つーかもう、さっさと終わらせようぜ」

 

 乱暴に言いながら、天龍がL字廊下を曲がろうとして動きを止めた。

続いて、天龍に並んでいた木曾が「ぉ……っ!?」と、変な声を詰らせている。

磯風も廊下を曲がろうとして、二人の間から廊下の先を見てみる。総毛立った。

薄暗い廊下の向こう。突き当たりのドアを遮るように、誰か立っている。

襤褸を着た黒い影が佇んでいる。体格からして男だ。人の形をしている。でも、首が無い。

あれが立体映像なのか。なんてリアルさだ。得体の知れない存在感は十分に恐怖を煽る。

霞と曙、満潮も、首無しの襤褸男を目の当たりにして、表情を強張らせて居た。

そして、余りの恐ろしさに逆にテンションが上がったのか。

 

「何よあのおっさん!!?(驚愕)

 うざってぇ!!(暴言) ごめんなさいじゃすまないのよ!?」

曙が一杯一杯の様子で吼えまくり、

 

「そうわよ!!(怒り便乗)

 何勝手に入り込んでるのよ!? 不法侵入よ!! 不法侵入!!」

満潮がそれに便乗して、

 

「多分、お化けだと思うんですけど!(迷推理)

 やはりヤバイ!!(確認) 憲兵に言いつけてやるったら!」

霞が更に続いた。三人ともへっぴり腰だ。

 

「ちょっと落ち着けよお前ら! り、立体映像なんだからよ(震え声)」と声を掛けた天龍も、脚がガクついて居た。

「何よ、自分だってフルスィングでビビッてるじゃん!」曙が首なし襤褸男だけで無く、天龍にまで噛み付き始める。

「ばっ、馬鹿野郎お前! 俺は勝つぞお前!!」天龍も負けじと言い返す。

そんな不毛過ぎる遣り取りを横目で見ながら、磯風は震える呼吸を整えつつ、首無しの襤褸男を見遣る。

 

「し、しかし、あれがホログラムとは……強烈だな」

 

「あぁ。……悪い。

どうやら俺は、こういうのは余り強く無いようだ」

 

 応えてくれた木曾の方もちょっと顔色が悪かった。

磯風からは冷静に見えるが、其処まで余裕がある訳では無いらしい。

というか、磯風も怖く無いと言えば嘘になる。むしろ、もう逃げ出したい。

だが、あの首なし襤褸男を何とかしないと立ち往生だ。

一斉射撃みたいに威嚇するのも結構だが、それだけでは埒が開かんぞ。

磯風が天龍達にそう言おうとした時だった。首無しの襤褸男が忽然と消えた。

音もしなかった。同時だったろうか。キィィ……、と軋みを上げて、ドアが少し開いた。

L字廊下を曲がってすぐ右手に在るドアだ。今までのループでは鍵が掛かっていた。

どうやら、アトラクションとしてのギミックが作動し始めたのだろう。怖い。

 

 全員が身体を強張らせて、ドアの方を凝視する。長い沈黙が在った。誰も動かない。

Prrrrrrrrrrr。磯風達の背後にあった棚から、電子音が聞こえた。固定電話のコールだ。

突然のコール音に磯風は腰が抜けそうになった。何てタイミングだ。こんなの誰だって吃驚する。

隣に居た木曾を含め、全員が肩というか身体全体を跳ねさせていた。Prrrrrrrrrr。コールは止まない。

全員が顔を見合わせてから、唾を飲み込んだ。これ、出るの……、みたいな空気だ。

 

「……私が出るわ」言いながら電話の前に立ったのは曙だった。

此処ですぐに動ける辺り、なかなかに豪胆だと思う。Prrrrrrrrrrr。無機質な音が響く。

一つ深呼吸した曙は受話器を上げて耳にあてる。全員が息を呑みながら見守る。

受話器から声が聞こえた。『お、大丈夫か大丈夫か?(愉快そうな声)』 野獣だった。

曙がブチ切れた。「あんたねぇ!! 携帯端末に掛けて来なさいよ!! クッソビビるでしょ!?」

 

『せっかくのロケテだし、小道具の調子も見ないと、まぁ多少はね?(楽しげ)』

 

「ムカつく……! って言うか、これゴールあんの!? 無いとか言ったら殺すわよ!」

 

『お前らはもうそっから出れないんだよ!!(宣告)』

 

「はぁぁああああああああああああああああああああああん!!!?(激昂)」

 

『冗談だゾ(お茶目)。フロア毎に設定されてるギミックを全部消化するんだよ!

そしたら左手のドアが開いて、出口用の通路に繋がるようになってるからさ(係員先輩)』

 

「じゃあ……」

呟いた曙が視線だけで振り返り、半開きになったドアを見遣った。全員が曙の視線に続く。

 

『要するにィ、起きてる現象は基本的に無視出来ないようになってるらしいっすよ。

 近くのドアが開いとるじゃろ?(O―KD)スルーせずに、ちゃんと調べてくれよなー』

 

 ふざけんなよおい……。小声で呟いた天龍は何とも苦い表情だ。

磯風もドアへと眼を遣る。ドアの向こうは暗がりだ。此処からではよく見えない。

もっと近付くべきだし、野獣の言うギミックが部屋の中に無いとは限らない。

 

『ちなみに未稼働のギミックが残ってると、同じ状況が延々とループする仕組みだから。

 早く帰りたかったら隅々まで調べるんだよ、あくしろよ(せっかち)』

 

「急かさないでよ! やれば良いんでしょ! やれば!

ホントもう、覚えてなさいよ!? 私達を騙したこと後悔させてやるわ!」

 

 曙は受話器を叩きつける様に置いてから、息を吐き出した。次の瞬間だった。

声が響いた。小さく、幼い声音。赤ん坊がぐずる声だ。何処から? 決まってる。

あの開いたドアの中からだ。怖過ぎる。だが、クリアする為には行くしかない。

全員でドアに近付いて中を窺う。天龍がライトで照らしてくれた其処は、バスルームだった。

薄暗くても分かる程、床や壁のタイルには罅が入り、黒ずんでいた。まるで廃墟の一室の様にも見える。

バスタブの他に、トイレや洗面台が付いてあるタイプで、結構広い。だが、六人全員が入るには手狭だ。

中に入って見て回るとなれば、広さ的に3人程度が限界か。それを決めようという流れになり、此処は後腐れの無いようジャンケンをした。

結果、負けたのは満潮と霞、そして磯風だった。ホッとしている様子の天龍と、すまなさそうな貌の木曾が恨めしい。

「やっぱり私も入るわ。……まぁ、何か起こっても四人なら大丈夫でしょ」憮然とした貌で言いながらも、天龍から懐中電灯を受け取った曙が、一番乗りでバスルームへ。

磯風も曙に続こうとしたが、その前に、そっとパンツを脱いで、スカートポケットに仕舞う。トイレに行っておくべきだった。後悔が深まる。

今にも吐きそうな青い顔をした霞と、血の気の引いた真っ白な顔の満潮も入る。バスルームは薄暗い。磯風達の手元を照らす為、曙が懐中電灯を随時向けてくれた。

四人でバスタブの中や、洗面台の棚、様式便器の裏側まで見てみたが、めぼしいものは何も無かった。

 

 そのせいで油断した。洗面台の棚を調べ終わった磯風は、ふと視線を上げて気付く。鏡だ。暗くて分からなかったが、煤けるように黒ずんだ曇り鏡がある。

鏡に映る磯風。その背中に、何かがしがみ付いていた。赤ん坊だ。異様に頭が大きく、針金のような頭髪が疎らに生えている。口も鼻も無い。

代わりに、顔中というか頭部全体に無数の眼がギョロギョロと蠢いている。いひひひ。異形の赤ん坊は、鏡の中からこっちを見詰めて、口も無いのに笑った。

「うぁあああああああああああああああ!!??」 磯風はひっくり返った。同じタイミングで、曙の持っていた懐中電灯の明かりが消えてドアが閉まる。真っ暗闇だ。

本当に何も見えない。悲鳴を上げるよりも先に混乱する。「ちょっ……!? な、何で消えるのよ!?」焦る曙が悪態を付きながら、懐中電灯をカチカチとするのが聞こえる。

「何閉めてんのよ!!? お化けさんに怒られちゃうでしょ!!(錯乱気味)」 近くに居た霞が、外に居る天龍達に叫びながらドアを蹴飛ばした。

「あ~~っ! 駄目駄目駄目!! 暗過ぎるッピ!!(涙声)」 恐らく、一番こういうのに耐性が無いのであろう満潮は壊れかけだった。

 

「俺達が閉めたんじゃねぇ! 

 勝手に閉まりやがったんだ! クソったれ! マジで開かねぇぞコレ!」

 

「外側からじゃノブが回らん、中からも開けられないのか!?」

 

 閉じたドアの向こうでは、天龍や木曾達もおおいに焦っていた。ノブを回そうとしているのだろう。金属が軋む音と、ドアが揺れる乱暴な音が聞こえる。

「ドアロックのツマミが動かないのよ! あ゛~もうおしっこ出ちゃいそう!!」半泣きキレ気味の霞もドアノブをガチャガチャやっているようだが開く気配は無い。

その時だった。「どわぁああああああああああああああ!!」「きゃあああああああああああ!!!」ドアの向こうから天龍と木曾の悲鳴が響いた。

 

 流石に、霞も満潮も曙も黙り込んだ。磯風は座り込んだままで動けていない。耳が痛いほどの不気味な静寂が、この暗闇のバスルームを包んだ。

長い沈黙だった。一分。二分。誰も身動きが出来無なかった。普段は武人然とした凛々しい磯風も、こんな追い詰められ方をしたら流石に消耗する。

正直、磯風はベソをかく寸前だった。なんでこんな怖い目に遭わなければならないのか。理不尽だ。やだやだ。ほんともうゆるして……。

しゃっくりがでそうになる。横隔膜が震えて来る。鼻の奥がツーンとして来た。多分、此処に居る全員が似たような感じに違い無い。

 

 磯風が洟を啜りかけると、曙の持っていた懐中電灯が復活した。暗がりに光が戻ってくる。

カチャ……、と。小さな音がした。ドアノブからだ。曙が生唾を飲み込んで、其処をライトで照らす。

トイレが在るのだから当たり前なのだろうが、ドアノブの下部分には施錠の為のツマミが在る。緊張した面持ちの霞は、そのツマミに触れる。

「あ……、これ回りそうだわ」さっきまでは動かなかったようだが、今度は動くようだ。霞がツマミを回し切って、解錠しようとした時だった。

 

「ビビり過ぎなんだよなぁ、木曾はよぉ! 何も起こんねぇじゃねぇか!」

 

「おっ、そうだな(落ち着いた肯定)。 こっちは何も無い。出てきても大丈夫だぞ」

 

 ドアの外から天龍の快活そうな声と、落ち着いた木曾の声が聞こえた。

仲間の声に磯風はホッと安堵する。その空気は他の面子にも伝わり、脱力しそうな程の緊張の緩みが来た。

だが、様子がおかしい事にすぐ気付く。ドアノブが、外からガチャガチャと乱暴に回されているのだ。

安堵の表情から一転。怯えた貌になった霞は、施錠のツマミから手を放して、ドアから離れるように後ずさる。

 

「おい、どうした? 早く開けろって」

 

「俺達が信じられないのか? 臆病な奴らだな。さっさと出て来い」

 

 ドアが開かれないと見て、二人の声が荒くなった。おかしい。

明らかに、ドアの外に居る存在は、天龍と木曾では無い。ヤバイ。どうしよう。閉じ込められた。

全員が戦慄する中。あひひひ。しひひひ。いひひひ。くひひひ。暗がりに笑い声が聞こえた。耳元には、ぬるい呼気。

磯風、霞、満潮、曙の四人が、其々全員を見回す。そして、見た。全員の肩に、異形の赤ん坊が抱きついていた。

この時の四人の大絶叫は、アトラクションの外まで聞こえたと言う。

パンツを脱いでいて正解だったと、磯風は振り返る。本当に災難だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明石屋敷のテストプレイヤーとして少年提督他、長門や高雄、それからビスマルク達が駆り出された今も、野獣の執務室では先程までの会議が一応続いていた。

「……ねぇ、この格好になる必要在んの?」 執務室の真ん中に立たされた鈴谷は眉をハの字にして、ソファに腰掛けて脚を組んでいる野獣を半眼で見据えた。

鈴谷は現在、野獣の指示でナースコスチュームを身に纏っている。しかも凄いミニスカだ。ちょっと体勢を変えると中身が見えそうなくらい短い奴である。

白ストも穿いているが、だから何だというレベルだ。鈴谷はさっきからずっとスカートの裾を両手で下に引っ張っている姿勢である。下手に動けない。

ソファに座りたいが、座ったら100%下着が見えてしまうので、立ったままだ。恥ずかしげに顔を伏せ、「う~~……」と呻るくらいしか出来ない。

もう少しすれば、時雨や赤城、その他の艦娘達も別コスに着替えて此処に来るらしい。もう不安しかない。Tシャツ海パン姿の野獣は、鈴谷の視線にも動じない。

 

 現在、執務室に居るのは鈴谷と野獣、それから、少女提督と陸奥の四人だけだ。陸奥は、駆り出されてしまった長門の代わりに、これから野獣の秘書艦を務める流れである。

少女提督の秘書艦であった野分も、テストプレイヤーとして“アタリ”を引いたので、今は明石屋敷のロケテに参加中だ。ただ少女提督は代わりの秘書艦を呼んでいない。

彼女は一人ソファに腰掛けて脚を組み、難しい貌をして企画書類に眼を通している。年齢的には、少年提督と同じくらいだろうか。

肩程で切り揃えられた黒髪に、気の強そうな唇。生意気そうなツリ眼には聡明さが窺える。実際、優秀な頭脳の持ち主なのだろう。

聞いた話だが、彼女は装備開発の分野で評価を受けた“元帥”らしいし、彼女が運用する艦隊錬度の高さも相当なものだ。

女傑という表現が正しいかどうかは微妙だが、実力者である事は間違い無い。そんな彼女が不味そうな貌をして視線を落としている書類には、ケッコンの文字。

野獣が提出し、認可を得た案の中に『体験コーナー・ケッコンカッコカリ』というものが在った。よくもまぁ、こんな戯けた案が協議に通るものだと思っているに違い無い。

鈴谷だって、「は?」と思ったものだが、野獣が無茶苦茶な要求を本営に飲ませるのは何時もの事だ。別にもう驚かない。

 

 どうやらこの企画、一般参加者と艦娘達との間に、より娯楽に近い感覚でのコミュニケーションの場を、この祭りの中に設けようと言うのが主な趣旨らしい。

簡単に言うと、可愛い格好した艦娘達と楽しく過ごせる空間の提供だ。その裏の目的としては、艦娘達へのイメージ操作の色合いが強い様にも思える。

 

「結局、この体験コーナーって何するの……?

 企画書の内容がガバガバ過ぎて、趣旨以外なんにも載ってないんだけど」

 

 野獣の隣のソファに腰掛けた陸奥が企画書から顔を上げ、視線だけで野獣を見た。何かを警戒するみたいな、ジトッとした半眼だった。

「そんな身構えなくてもへーきへーき! そんな大した事しないから!(悪魔の囁き)」野獣の方は肩を竦めて、面白がるみたいな半笑いを浮かべて見せた。

 

「明石屋敷クリアの景品にぃ、ケッコン指輪(レプリカ)が進呈されるらしいっすよ?

 それを好きな艦娘に渡してぇ、甘い言葉を掛けて貰うみたいな感じっすね!」

 

「何か貢がせてるみたいで悪質じゃない、それ? ……で、具体的には?」

 陸奥は表情を変えないままで聞く。

 

「握手したり、一緒に写真撮ったりとか、そんな程度だから安心!

 まぁ、アイドルのファン感謝祭っていうか、サイン会・握手会みたいなノリだゾ。

 個室も用意してあるから、艦娘達とちょっと親密な感じになれるって感じでぇ……(フェードアウト)」

 

「既にいかがわしさ全開じゃないのよ……(呆れ)」

陸奥は渋い表情のまま溜息を吐き出して、企画書に視線を落とす。

その陸奥の意見については、少女提督も同意見だったらしい。

「まぁ、本営が許可を出したという事は、話題性だけは十分だと考えたんでしょうね」

彼女はソファに深く腰掛けて、疲れたみたいに息を吐き出した。

 

「書面では何か色々と御託並べてるけど……。、要するにコレ、

 艦娘達を餌にして、お化け屋敷にチャレンジする費用を巻き上げる訳でしょ?」

 

「(人聞きは悪いけど)まぁ、そうなるな(HYUG並感)」

野獣は悪びれた風も無く、しれっと言ってみせた。

 

「鈴谷達は客寄せパンダじゃ無いんだけどー!」 

鈴谷はスカートの裾を引っ張った姿勢のままで、憮然とした貌で野獣に向き直る。

 

「書面通りの真面目な側面も持ってるから、まぁ多少はね?

 “艦娘は可愛い女の子”っていうのを、お前ら自身が外に向けてアピールするんだよ!

よし、じゃあMTも(メンバーに)ぶち込んでやるぜ!」

 

 何だか真面目なことを言い出した野獣は立ち上がり、執務室に置かれた箪笥へと向う。陸奥と少女提督の「えっ」と言う声を背中で聞いている筈だが、野獣は振り向かない。

そして箪笥の中からジーンズと白Tシャツを取り出して、こっちに戻って来る。野獣は何だか力強い笑みを浮かべているし、陸奥の嫌な予感もMAXだろう。

野獣がああいう笑顔を見せる時は、だいたい無茶振りが来ることを鈴谷も知っている。このナースコスを渡してきた時の野獣の貌も、確かあんな感じだった。

 

「MTはNGTと違って、“色っぽい隣のお姉さん”って感じだからね。

 こういうちょっとラフな感じの格好で行こうか、じゃあ(コーディネーター先輩)」

 

 すっとぼけた事を抜かしながら、野獣は持って来たジーンズと白Tシャツを陸奥に手渡した。

白Tシャツにはデカデカと『ばくだん●わ』の文字がプリントされていて、ジーンズの方はコレ以上無いくらいビリビリだった。

少女提督が理解不能なものを見る眼で「“隣のお姉さん”ポジションにダサTをチョイスするの……(困惑)」と、小声で呟いていた。

鈴谷はノーコメントだ。沈黙を選ぶ。ナースコスも相当アレだが、陸奥に用意された服装も大概だ。ラフという言葉を盛大に履き違えているのはワザとなのか。

 

「本番はノーパンノーブラで頼むゾ!(サービス満点)」

 

「やるワケ無いでしょ!!(憤怒) 

シャツ一枚とか余裕で透けるじゃない!! それに何よこのボロ雑巾!!」

 

「ダメージジーンズも知らないの? そんなんじゃ甘いよ?(更なる高みへ)」

 

「ダメージが深刻過ぎィ!! もうフンドシじゃないこんなの!!」

 

「しょうがねぇなぁ……。

 じゃあ、Tシャツのプリントは『ボ●兵』に変えとくからさ(譲歩)」

 

「誰が●ム兵よ!! おちょくってるの!?」

 

「『お姉さん、知らないゾ~(裏声)』とか言っとけば、

何やっても許されると思ってる爆弾お姉さんだからね、しょうがないね(優しい貌)」

 

「私の台詞は関係無いでしょ!!?」

 

 憤激する陸奥と、ソファに座ったまま余裕の野獣を見比べ、鈴谷は乾いた笑みが漏れた。

どうも長門型は、野獣に弄り倒される宿命にあるらしい。少女提督も顔を顰めて、野獣と陸奥の遣り取りを見守っている。

 

「おちょくってなんか無いんだゾ。お前だって鎮守府の中じゃ、

『爆弾☆マイマイ』とか、『ボムサーの姫』、『地獄火花の精霊』とか呼ばれて、

駆逐艦達から恐れられてるじゃん、アゼルバイジャン?」

 

「何その物騒な二つ名!? ……え、ホ、ホントに?」 陸奥も流石にショックを受けたような貌だ。

 

「下手してMTの機嫌を損ねると、バビューーーン(爆殺)されるって噂だゾ。

 どう? 実際、今月に入ってレンジが7回ほど爆散したけど? 

マジシャン(紅蓮魔術士)みてぇだなぁ、お前な?」

 

 野獣の言葉に、陸奥は何かを言い返そうとしてやめて、もう一度何かを言おうとしたが、やっぱり止めた。

陸奥は黙ったままソファに座った。多分、何も反論出来なくなったのだろう。ぶっすぅーとした貌でそっぽを向いている。

ドアがノックされ、「し、失礼するね、野獣」と、声が聞こえたのはその時だった。時雨の声だ。それに、複数人の気配。時雨の他にも何人か居るようだ。

「お! 入って、どうぞ!」野獣はドアへと視線を向けて声を掛ける。ドアが開かれた。あまりの光景に、少女提督が持っていた書類を取り落とした。鈴谷も硬直する。

 

 

「一応、着てみたけれど、は、恥ずかしいな……」

赤い貌を俯かせ、おずおずと執務室に入って来た時雨は、黒のバニーガールコスだった。

ウサ耳、フワフワの丸尻尾、網タイツとヒールが刺激的だ。よく似合っている。

 

「どうでしょう? 似合いますか、野獣提督?」

次に入って来たのは赤城だ。着物にエプロンを合わせている。和装メイドと言う奴か。

しっとりとした雰囲気の赤城にぴったりで、彼女の落ち着いた魅力を引き立たせている。

 

「…………いい加減にして欲しいものね」

今度は、青ブルマ体操服を着用した加賀だった。しかも、若干サイズが合っていない。

見た感じ、小さい。だから何だかムチムチしていて、異様に淫靡な感じだ。

加賀自身も美人だから余計に際立っている。律儀に着替えている辺り、弱味でも握られているんだろう。

 

 時雨、赤城、加賀の三人は、鈴谷と眼が合うと静かに目礼をしてくれた。

鈴谷も目礼を返すのだが、彼女達の姿を思わず凝視してしまう。

少女提督と陸奥も、『何だこれは……、たまげたなぁ(素)』みたいな貌だった。

 

「取り合えず揃ったな。ちょっと其処に並んでみよっか、じゃあ」

半笑いの野獣に言われ、取り合えずと言った感じで横に並ぶ。野獣は満足そうに頷いて、四人を順番に見遣った。

 

「おー、良い格好だぜぇ? 

(時雨を見ながら)可愛い! 

(鈴谷を見ながら)エロい! 

(赤城を見ながら)癒し系! 

(加賀を見て半笑い)ちょっとキツイ! って感じだな!(暴言)」

 

「頭に来ました……(静かなる憤激)」

 加賀は、青ブルマ姿のままで、艤装を召還した。その貌は完全な無表情なのに、こめかみには無数の青筋がビキビキと走っている。

このままでは執務室が烈風塗れになってしまう。「加賀さん!? ストップストップ!!」 鈴谷が大慌てで宥め、赤城も「まぁまぁ……」と気を静めるように言ってくれた。

仕方無しと言った感じで加賀も艤装の召還を解いてくれたが、青筋は浮かんだままだ。野獣の言い草は流石に腹に据えかねたのだろう。

流石に時雨も野獣を責めるような視線を向けているし、陸奥や少女提督も同じような様子だ。だが、野獣は半笑いのままである。

 

「ちゃんと指示に従ってくれているのに、そういう言い方はどうかと思うな……」

時雨が野獣を窘める。

 

「そーだよ(便乗)って言うか、私も全然褒められてる気がしないんだけど!」

それに続き、鈴谷もミニスカ裾を下に引っ張りながら唇を尖らせた。

 

「そもそも、何でコスプレしてるのか理解に苦しむわね(こめかみトントン)。

 普段の格好で十分じゃないの? みんな飛び切りの器量良しだし、飾る必要無くない?」

少女提督がジト眼で言う。野獣がソファに凭れかかって、やれやれと肩を竦めて見せた。

 

「野暮ったい格好より、こういう狙ってる格好の方がセクシー、エロいっ!(確信)

それに、エンタメカテゴリのアプリ開発に向けて、データ収集も兼ねてるから多少はね?」

 

「えっ、何それは……(恐怖)」

 

 あまりにも不穏なワードに、陸奥が真顔になって野獣に向き直った。

いや、陸奥だけじゃない。少女提督も険しい表情だ。時雨だって怪訝そうな貌だし、鈴谷だって思わず無言になってしまう。

加賀は眉間に深い皺を刻んで野獣を睨んでいるし、いつもの様に微苦笑を浮かべているのは赤城だけだ。

 

「恋愛ADVみたいなゲームアプリ『艦娘メモリアル+(要するにバッタモン)』を開発中だゾ。

近いうちに本営のホームページでダウンロード開始予定、ご期待ください……(マグロ)」

 

「まさか、さっきの大淀3Dモデルって……」

そう言いながらクソ不味そうに貌を歪めたのは少女提督だ。野獣がニヤッと笑った。

 

「そうだよ(邪悪な笑み)。 全員、立ち絵は3Dにするから。

艦娘達の素モデル(意味深)は大方出来てるんだけど、音声データが不十分でさぁ」

 

野獣は別の携帯端末を取り出しながら、隣で絶句している陸奥にウィンクして見せた。

 

「ちゃんとMTのモデルは、おっぱい☆も―りもり♪だから。 安心して、ぞうぞ」

 

取り出された携帯端末のディスプレイには、超クオリティの3Dモデルが出力されていた。

紐ビキニを着て、セクシーな笑みを浮かべている陸奥だった。

 

「ちょっとォ!! 何勝手に人のモデル作ってるワケ!!?(BRNT)」

 

「大丈夫だって、他の奴らのも出来てるんだからさ。

特にMTのはモデルだけじゃなくて、火遊びPV『乳首BINBIN The Night』も収録するから安心!

だから、はやく着替えろ(豹変)」

 

「収録しなくていいからそんなの!

 どうせ裸同然で踊れって言うんでしょ!? もう許せるわよ!!」

 

 陸奥がソファから猛然と立ち上がり、吼えた時だ。

不意に電子音が響いた。どうやら何らかの連絡が入ったようだ。

野獣は手に持ったままの携帯端末を耳にあてた。憤懣する陸奥も、一旦黙って座り直した。

「おっ、どうしました?(すっとぼけ)」と、野獣は気軽な感じで応答する。

 

『どうしましたじゃねぇ!! 

何だよコレ、ちっとも終わらねぇぞ!!!(若干涙声)

もうギブだ、ギブ!! ギブアップ!!』

 

 だが、端末から漏れて聞こえた声音には、余裕など微塵も感じられない程切羽詰っていた。

 

 ただ事じゃない感じだ。

時雨や赤城も真面目な表情に戻り、陸奥と少女提督も野獣に視線を向けた。

耳を澄ましてみた鈴谷は、端末の向こうから聞こえてくる声が誰のものか分かった。

摩耶だ。そう言えば……、摩耶は明石謹製アトラクションのロケテ参加組だった筈だ。

「だからもうちょい頑張れって言ってんじゃねぇかよ(棒)」野獣は気の無い返事をしながら立ち上がる。

それから、執務机の上に置いてあったタブレットを手に取り戻って来て、ソファにドカッと座った。

 

「そりゃお前、先に進もうにもフロアのギミック動かしてないからね、しょうがないね。

 さっきも言っただルルォ? ホラホラ、もっとフロアを隅々まで調べてみてホラ」

 

 野獣は良いながらタブレットのディスプレイに触れて操作し、何らかの管理画面を呼び出した。

次に複数のウィンドウが表示され、其処には怯えきった様子の摩耶、卯月、吹雪、睦月、夕立の姿が在った。どうやら、アトラクション内のモニター映像らしい。

 

「あっ、そうだ(唐突)。

 そういえば俺の端末にぃ、MYを絶頂させるアプリ、来てるらしいっすよ(悪魔)」

 

野獣の言葉に、この場に居る全員の表情が強張った。

『あ゛あ゛っ!?!? ざっけんなっ!!』流石の摩耶もかなり動揺している。

 

「“イキスギMY様スイッチ”っていうアプリでぇ……(ピーポーピーポー)」

 

『怖過ぎるアプリ名やめろ!! 

 って言うか、こんなタイミングで訳の分かんねぇ事言ってんじゃねぇ!!』

 

「ちょっと待って、動作テストも兼ねて一回押させて貰うね(試し撃ち先輩)」

 

『やめろォ!!(本音) おいっ! マジでやめろォ!!(絶叫)

いや、ちょっ、ほんとゴメン!! 頑張るからゆるして!!(懇願)』

 

「おっ、そうだな(もう聞いてない)」

 

 野獣は端末をポチポチと操作し、何かのアプリを立ち上げる。

そして軽くディスプレイをタップした。次の瞬間だった。

うぁ……ッ!? と声がして、顔を紅潮させた加賀がその場に崩れ落ちた。

咄嗟に、傍に居た時雨と赤城に支えられた加賀は、明らかに様子がおかしかった。

脚がガクガクと震え、ピクンピクンと小刻みに肩が震えている。

野獣が端末のディスプレイと加賀の様子を見比べ、軽く笑って見せた。

 

「あ、ごめんごめん! 

間違えて“イキスギKGさんスイッチ”を起動してたなぁ……(分析)

おいMY、どうすんだよコレェ!!(責任転嫁)」

 

『アタシの所為で被害が広がってるみたいな言い方やめろ!!』

 

「しょうがねぇなぁ……(悟空)

 お前らが早く出られる様に、こっちでギミック全部動かしてやるからさ。(優しさ)

 嬉しいダルォ? じゃあ俺、改めてMY様スイッチ押すから……(処刑執行)」

 

 だが、全く悪びれた様子の無い野獣は再び端末を操作し始める。

ゴウン……、という低い駆動音がタブレットのモニターから聞こえた気がした。

次の瞬間だった。摩耶達の居るフロアに、突如として魔物が溢れ返った。

古今東西の妖怪、怪物、魑魅魍魎の類いだろう。それらが、立体映像として浮かび上がる。

上半身だけの女。首だけの男。逆さ吊りの老婆。空間に浮かび上がる顔。壁に現れた血手形。

開いた扉から伸びる、腕。腕。腕。ラップ音。笑い声。啜り泣く声。怨嗟の呻り。怒号。

それらが全て一斉に現れた。怪奇現象のオールガンズブレイジングだ。

 

 見ているだけの鈴谷でも、盛大に鳥肌が立って脚が竦む光景だった。

野獣の隣に座っている少女提督が、「ひっ……!」と短い悲鳴を上げている。

陸奥と時雨も青い顔だし、加賀が軽く失神して、慌てた赤城に支えられた。

当たり前だが、現場に居る摩耶達の恐怖は想像を絶した事だろう。

 

『うびゃああああああああああぁぁぁあああああああっ!!!!!(卯月@ガン泣き)』

『にゃしいいぃいいぃいぃいいぃいいいいいいいいいい!!!!!(睦月@ガン泣き)』

『ぽィィィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!(夕立@ガン泣き)』

『うぁっ!!? ひぁあっ!!? ぐっ!? あぁああっ……!!(摩耶@イキスギ)』

『あの! パンツ!! パンツです!! じゃなくて! ふ、吹雪で(ミーンミーン)』

 

錯乱気味の吹雪の絶叫だけ、何故か迫真の環境音に掻き消されていたが、大惨事である事に変わり無い。

四人の断末魔と共に、タブレットのモニターがブラックアウトした。誰も、何も言わなかった。

沈黙が何秒か在った。そんな中でも、しれっとしているの野獣だけだ。皆、「うわぁ……」みたいな貌のままで固まっている。

ナースコスさせられるぐらいなら、まだマシだったと思わざるを得ない。明石謹製のアトラクションはもう拷問だ。恐ろし過ぎる。

 

 

 

「おっと、話が脱線したなぁ……。あっ、そうだ(話題転換)。

 ケッコンカッコカリ体験コーナーの前に、お前らに渡すモンが在ったゾ」

 

 野獣はタブレットをテーブルに置いてから立ち上がり、今度は執務机の引き出しから何やら高級そうな小箱を四つ取り出して、まず時雨に小箱を手渡した。

 

 バニー姿の時雨は、ちょっと驚いた様な貌でそれを両手で受け取る。

次に、鈴谷へも渡してくれて、その流れで、少し神妙な様子の赤城、嫌な予感を感じ取ったであろう、不味そうな顔をした加賀にも手渡した。

何を始める気なのよ……。呆れたような貌の少女提督の声が聞こえた。陸奥の方は、何かを察したのだろう。肩の力が抜けた様な、苦笑とも微笑みとも付かない表情だ。

「開けてみて、どうぞ(ちょっと真面目顔先輩)」野獣は鈴谷達を順に見てから、顎をしゃくって見せる。ほんの少しだけ、野獣の雰囲気が変わった。

 

 時雨は手元の小箱と野獣の顔を見比べてから、少し緊張した面持ちでゆっくりと小箱を開ける。

「あっ、これ……」 小箱を開け、その中身を見詰めた時雨の声は、微かに震えていた。時雨の手元を見詰めて居た鈴谷も、思わず口を手で押さえてしまう。

小箱に収められていたのは、『ケッコンカッコカリ』に用いる、儀礼術用の指輪だった。緻密で複雑な術紋が刻まれ、神秘的な淡い蒼色の微光を湛えている。

鈴谷も、自分の手の中に在る小箱を恐る恐る開けてみる。やっぱり其処には、時雨の手元にあるものと同じ指輪が在った。

赤城、それから、加賀も同じだ。いきなりの事に、二人とも言葉が出てこない様子だった。鈴谷も同じだ。呆気に取られてしまう。

 

 そんな鈴谷達を見て、野獣は軽く笑った。嫌味の無い笑みだった。

ソファに座っている陸奥も、何かを祝福するように柔らかく微笑んでいる。

少女提督の方は真面目な貌だ。『ケッコンカッコカリ』について、何か思う所があるのか。

 

 しかし。でも、あの、これ。やっぱり、本物の『ケッコン』指輪だよね?

少年提督が行った『ケッコン』施術を見るに、『結魂』と表現すべき、軍用の儀礼術だ。

 

 や。でも。何て言うか。特別な術式である事に変わりは無いし。

野獣はその相手に、私達を選んだと言う事だし。

これは、つまり、えぇっと……。どういうことなの?(レ)

鈴谷は眼がぐるぐると廻り始めるのを感じた。

だって、突然と言うか、急過ぎやしないだろうか。

もっとこう、会話の流れと言うか、ムードと言うか。

顔を上げると、野獣が時雨の前に立っていた。

 

「本営の決定で、とうとう俺も保有艦何人かと『ケッコン』する事になってさぁ……。

取り合えず、今回本営から送られて来た儀礼指輪については、お前らに渡しとくゾ」

 

 野獣は少し硬い声音で言いながら、自分の手の中にある指輪を呆然と見詰めている時雨の頭をぐしぐしと撫でる。

現在。これだけの艦娘の人格と錬度を育み、長門や陸奥まで召還出来る人材は、野獣や“彼”以外にはまだ居ない。

艦娘をより強化出来る『ケッコンカッコカリ』。それを複数人の艦娘を対象に取れるならば、本営にとって越した事は無い。

『ケッコンカッコカリ』に必要な条件は、艦娘の人格、錬度。そして、各々の提督との絆。それらが揃っていることも、本営も調査済みなのだろう。

鈴谷はキュッとした唇を噛んだ。浮かれ掛けている自分が、ちょっとだけ嫌になりそうだった。この『ケッコンカッコカリ』も、仕組まれたものだという事は容易に想像が付く。

野獣の笑みが、ほんの少しだけ、すまなさそうに見えたのは鈴谷の気のせいでは無いと思う。

 

 

「『ケッコン』するのは確かに上からの指示だけど、貴女達を選んだのは野獣よ」

そんな野獣をフォローするみたいに、陸奥が微笑みを深めつつ、時雨達を順に見た。

 

「本当なら、私と長門が野獣と『ケッコンカッコカリ』する予定だったんだけどね。

 貴女達と『ケッコン』するって、頑なに譲らなかったのよ。

御蔭で、本営での会議でも随分揉めたみたい」

 

ね、野獣? と。

ソファに座ったままの陸奥は脚を組みかえつつ、手の掛かる弟をからかうみたいに野獣に言う。それから、鈴谷達の方を見てから、ウィンクして見せた。

野獣の方は、何だか破れかぶれで、申し訳無さそうで、自嘲するみたいな表情だ。それでいて、鈴谷達に向けてくれた眼差しは真剣で、まっすぐだった。

 

 いつもとは雰囲気の違う野獣と、何かを察した様な先ほどの陸奥の様子に、鈴谷はふと思う。

この“『ケッコンカッコカリ』体験コーナー”という滅茶苦茶な企画の正体。

それは、野獣が鈴谷達に指輪を渡す流れをつくる為の、ダミー企画なのでは無いか。

わざわざ派手なコスに着替えさせたり、3Dのモデルまで作ってみたり。

或いは今の様に、陸奥や摩耶達を過剰に弄ってみたりするのも、野獣なりの立ち回りだ。

いつだってそうだった。周囲を振り回すことで、野獣は本心を煙に巻く。

今回だって、野獣は飄々としたまま、鈴谷達に指輪を渡そうとしたに違いない。

でも、今日は失敗したんだと思う。今の野獣の表情は、平然とは程遠い。

それだけ、指輪を渡すという行為は、野獣にとっても深い意味を持つのだろう。

 

 

「普段は無茶苦茶なことばかり言って怖い者知らずの癖に、

 こういう肝心な時にちょっとヘタレな野獣の、精一杯の特別扱い……。

 受け取ってあげてくれるかしら?」

 

陸奥のその優しい言葉に、手元の指輪から顔を上げた時雨は、野獣を見詰めて洟を啜った。その唇が震えていた。

みるみる内に、その綺麗な碧い瞳が揺れ、潤んで滲み、透明な雫があふれ出して、白い頬を伝う。

一方で、バツが悪そうな貌になった野獣はつまらなそうに鼻を鳴らしてから、時雨から眼を逸らしてから、撫でている手を引っ込めようとした。だが、出来なかった。

時雨が、野獣のお腹あたりにぎゅっと抱き付いたからだ。「ファッ!?」珍しく、野獣が驚いていた。時雨は何も言わない。ただ、ぎゅうぎゅうと野獣に抱きついている。

いつもの落ち着いた時雨じゃない。肩や腕が、嗚咽を堪えて震えていた。その端整で可憐な貌も、大粒の涙で、もうぐちゃぐちゃだ。やっぱり嬉しいんだろう。

 

「何だ何だSGR~、どしゃぶりの大雨じゃねぇか!(ポエマー先輩)」

 

野獣は、大泣きする時雨の頭を撫でながら笑った。

 

「“雨はいつか上がるさ”ってお前は良く励ましてくれたよなぁ(遠い眼)。

よし! じゃあ、お前の雨が上がったら、今度は俺が虹を掛けてやるからさ!

お前の為に(優しさ)。嬉しいだルルォ」

 

カッコいい事言おうとしてるみたいだけど、ちょっと滑ってるわよ。

外野から野次を飛ばすみたいに言いながら、陸奥がくすくすと笑った。

若干キモイわね……。冷静な貌の少女提督の言葉に、ほんのちょっとだけ時雨が笑った。

 

「“一航戦・赤城”。その分霊として貴方に召ばれて、私は本当に幸せです」

 

 時雨と野獣を見守るような優しい眼差しで、赤城は熱の篭った言葉を紡いだ。

徹底して任務を遂行するその姿から、他所の鎮守府では“戦闘マシーン”などと揶揄される赤城の目尻にも、涙が滲んでいる。

瞳には今までに無い輝きが宿っていて、その微笑がどれだけの想いを秘めているのか、鈴谷には推し量る事は出来そうに無かった。

手渡された小箱を、大事そうに、大事そうに両手で持つ赤城は、ゆっくりと呼吸を吐き出してから静かに瞑目し、野獣に深く頭を垂れた。

 

 そんな二人の姿を見ていると、鈴谷の視界までぐちゃぐちゃになり始めた。

我慢しようとしたが無理だった。涙が出て来た。もう駄目だ。水位が一気に上がって来る。

何か言わないと。軽口でも良いし、お礼でも良い。早く笑わないと。

このままじっとしていると、本当にぼろぼろ来ちゃう、ヤバイヤバイ……。

ぐずぐずしていると今度は洟が出てきて、それを啜るともう限界だった。

ドバーッと涙が出てきて、顔中、涙と鼻水塗れになった。かっこ悪いなぁ。でも、嬉しい。

左手で小箱を持ち、右腕で顔を隠すみたいにして、漏れそうになる嗚咽を堪える。

こんなミニスカナース服着て、ベソベソしてさ。ムードもへったくれも無い。

 

「何だ何だ、お前ら~! ちょっと湿っぽいんじゃないこんな所で~!

 おいSZYァ! お前も泣いてないで、何か面白い事やってホラホラ!(無茶振り)

 ひょろしくね! ひょろしくね!!(二連撃)」

 

「ぐすっ……! うっさいなぁ、もうっ! それ止めてって前も言ったじゃん!」

鈴谷も、泣きながら笑みが零れた。

 

「あの、野獣提督……。私、感情表現が……、その……」

 

 無茶苦茶低い声が聞こえたのはその時だった。

見れば、在り得ないほど嫌そうな貌をした加賀が、小箱を開けずに持ったまま佇んでいた。

身体全体から黒いオーラを発散させまくっていて、ブルマ姿なのに威圧的ですら在る。

 

「これ以上無いぐらい感情表現出来てるだろ! 良い加減にしろ!!

死ぬほど不機嫌そうな貌してんじゃねぞォオラララァァァァアアン!(半笑い)」

 

「私……、これでも今、とっても不服なのだけれど……」

 

「見りゃ分かんだYO!!!!」

 

 野獣の言い草と加賀の冷め切った対応に、少女提督と陸奥が爆笑し、時雨、鈴谷、赤城が噴き出した。

御蔭で、空気が幾分明るくなった。時雨も、もう野獣から離れて、涙を腕で拭っている。

加賀は湿っぽい空気を読んだ上で野獣に気を遣って、敢えて不貞腐れたような言い草をしたのかもしれない。

 

「まぁ……、私も野獣提督の事は認めてはいます。

 強化施術としての『カッコカリ(強調)』ならば、誠意を持って受けましょう。

 勘違いしないで下さい? 飽くまで強化施術として受けるだけですので」

 

 強く念を押し、クールビューティー(ショタコン重篤)を貫く加賀に、「……ありがとナス」と、野獣も頷いた。

こんなバタバタとした会議の中で、四人同時に『ケッコン』の話が進もうとしている辺り、この鎮守府と言うか、野獣らしい。

鈴谷がもう一度、小箱の中の指輪に視線を落とす。指輪に宿る蒼い微光は、海色に似た深みを持ちながらも、輝きを増して何処までも澄んでいた。

 

 もしも。もしも鈴谷が沈む時が来ても。この輝きは水底に灯り続けるのだろうか。そうであれば良いと思う。

碧落の果てで、身も心も、旭に照らされて余波に消えようとも。この指輪に絆の耀う限り、鈴谷が鈴谷として生きた証は残り続けて欲しい。

それくらいは望んでも罰は当たらないだろう。鈴谷は小箱を持つ手に、少しだけ力を込めた。













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