少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

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後日談 番外編

 鎮守府に設けられた『特別医務室』にて、武蔵は一つのシリンダーの前で佇んでいた。

シリンダーはベッドの様に横向きで固定されており、中は薄緑色の液体で満たされ、縁には金属の枠が蓋の様に嵌っていた。

その仰々しさ、物々しさからは、まるで儀礼用の大棺桶の様な印象を見る者に与える。

大掛かりな精密機械類と、幾つも並ぶモニターの列。表示された、膨大な数値とグラフ。

白色の強い照明と、金属に冷やされた空気。薬品の匂い。機器の低い駆動音。

無機質なこれらの要素が、この空間で複雑で絡み合い、ある種の神聖さを醸し出している。

そう感じるのは、シリンダーの中で眼を閉じ、穏やかに眠っている彼の姿の所為でもあるだろう。

シリンダーの中で瞑目している彼は裸形だ。酸素マスクが、彼の顔の下半分を覆っていた。

右眼の周り、右胸から右肩、右腕、右手には、制御術陣の複雑な紋様が刻まれている。

額やこめかみ、腕や胸、脚には、データを収集する為のコードが、何本も繋がれていた。

コードの先端は細いプラグ状になっており、注射の様に彼の皮膚に差し込まれている。

もう見慣れた光景では在るが、やはり慣れない。どうしても嫌悪感を抱いてしまう。

痛々しい姿と、穏やかな彼の表情が、武蔵の胸をざわつかせるのだ。知らず、奥歯を噛む。

 

「状態ハ、……安定……シテイル。脳波ニモ……、異常……無シ」

 

 シリンダーの中に居る彼を睨んでいると、後方から低く、艶かしい声を掛けられた。

いや、報告してくれたと言うべきか。モニターが並ぶ操作パネル前には、高価そうな機能椅子が置かれている。彼女は、其処に座っている。

肥大化した両手を覆う、禍々しい外骨格を器用に動かし、落ち着いた様子でパネルを操作していた港湾棲姫の声だ。

彼女は座ったままモニターから視線を外し、黙り込む武蔵を安心させるように、少しだけ笑った。

高身長に、困ったように眉をハの字にしたままの、何だか頼りなさ気な微笑みだったが、見る者をほっとさせるような優しい笑みだった。

「あぁ……。まるで昼寝でもしているような、心地良さそうな貌をしているしな……」暢気なものだと。武蔵も、港湾棲姫に口許を微かに緩めて見せる。

 

 武蔵の冗談めかした言葉に、彼女はハの字の困り眉をしたまま、可笑しそうに小さな笑みを零した。

深海棲艦であっても、こんなにも穏やかな表情を浮かべることが出来る。それを武蔵が知ったのは、彼が彼女達を秘書艦見習いとして鎮守府に招いてからである。

武蔵の価値観は、ここ最近で大きく変わった。かつては、武蔵達がその肉体を破壊し、沈黙させて鹵獲した戦艦棲姫とも、今では一緒に食事をすることだって在る。

鎮守府を強襲し、彼の腕を捻じ切り、右眼を抉り出して喰らった南方戦鬼に、秘書艦としての実務を教えたりする事も在る。今まで考えたことも無い状況だった。

無論。最初は戸惑った。流石に彼の決定であっても、素直に従うことに抵抗が在った。深海棲艦共を鎮守府、また戦力に招くなど。馬鹿馬鹿しい。不可能だ。そう思っていた。

何か在れば、すぐに深海棲艦共を力で捻じ伏せ、彼に考え直すように提言しようと思っていた。だが、そんな機会が訪れることは無かった。

深海棲艦である彼女達が、ただ静々、粛々と、彼や、艦娘達の言葉を聞き、従い、学ぶべき常識を身に付ける為の、真摯な姿勢を持っていたからだ。

恐怖や脅迫による強制で無く、彼が目指す理想の実現の為、彼女達がその力を貸してくれようとしていた。困惑こそしたものの、調子の良い奴らめとは思わなかった。

 

 彼女達は馬鹿では決して無い。賢く、思慮深い。だから知っている。

人類と艦娘を攻撃し、殺す為だけの存在として、海によって召ばれ、植え付けられた負の激情に衝き動かされるその先に、何も無いのだと。

人類が優位であろうと、深海棲艦が優位であろうと。自分達にまっとうな生き方など無いのだと。その絶望と虚無感の深さは、如何ほどだったか。

また、そんな彼女達を家族として迎えるべく、差し出された彼の手と想いが、彼女達にはどれだけ尊いものに見えただろうか。

彼女達は生きる意味や目的を、“海”から与えられるのでは無く、彼の目指す未来の中に見つけたに違い無い。

本営の命により、かつて解剖と拷問を受けた彼女達は、とうの昔に死の覚悟など出来ている。

解体破棄される事など、全く厭わない。彼の魂へと取り込まれるならば、喜んで受け入れるだろう。

 

 

 武蔵は、モニターの前に座る港湾棲姫に向き直った。

 

「深海棲艦の上位固体は、かつては艦娘であった可能性が高いらしいな。

 港湾よ……。お前は、艦娘として在った自身の過去を認識しているのか?」

 

 面と向って、武蔵は訊いた。

真剣な眼差しを向けられた港湾棲姫は、穏やかな表情を崩さなかった。

しかし、その紅の瞳が悲しげに揺れたのを、武蔵は見逃さなかった。

 

「彼ノ御蔭デ……完全ニデハアリマセンガ……覚エテイマス。

 幾人分モノ記憶ガ、私ノ中ニ在リマシタ。タダ……ソノ感情マデハ、思イ出セマセ ン」

 

 記憶は在っても、感情が希薄であったという事か。つまり、それは。

 

「……お前という存在を象った艦娘達は、“捨て艦”だったという訳か」

 

「ハイ……。恐ラクハ……」

 呟くように言って、港湾棲姫は、悲しげに少しだけ眼を伏せる。

 機能椅子に座り、膝に置かれた彼女の禍々しい手が、ぎゅっと握り固められていた。

 

「……そうか。よく答えてくれた、感謝する」

 

 短く言葉を返した武蔵に、小さく頭を下げた港湾棲姫は、無言のまま申し訳無さそうに微笑んだ。

港湾棲姫の苦しげ気で控えめなその笑みは、まだまだ続くであろう、人類と深海棲艦の戦いを憂いているのだろう。

停戦の為に彼女達が動くには、本営からの承認だけで無く、“艦娘の深海棲艦化”を含む、重要な情報の社会への公表をはじめ、他所の鎮守府との協力も重要になる。

彼や野獣が、深海棲艦を艦隊に組み込んだ『特使艦隊』を運用する一方で、他の鎮守府が深海棲艦を撃滅して回っていては話にならない。

今までの様な“撃滅”を目的とするのでは無く、“海域の防衛”へと、艦隊運用の目的を転換するには、足並みを揃える必要が在る。

現段階では、深海棲艦を用いた演習などは、まだ行う事を許されていない。運用テストの許可を得るのがやっとだ。

強大な力を秘めた彼女達は、まだ本格的には動けない。機が熟すのを、今は待つしか無い。

すまなさそうに微笑む港湾棲姫の表情には、少しの悲哀が滲んでいた。

 

「窮屈で歯痒い思いをさせているだろうが、私では我慢してくれと頼むしか出来ん。

 人間の世界とは、中々に面倒なものでな……。提督を恨まないでやってくれ」

 

「人ヤ貴女方ヲ……艦娘ヲ恨ンデモ……、何モ始マリマセン……。

 重要ナノハ……戦イヲ……止メル事……。止メナケレバ……ズット、続ク……」

 

「あぁ。何の手も打たないままならば、比喩でも何でもなく、

 我々は在り得ない勝利の影を追い、群雲を掴む様な戦いを続ける事になるだろうな」

 

 この戦いを止める為には、人間や艦娘達では見えないものを見て、聞こえないものを聞く彼女達の協力が要る。

武蔵の言葉に頷いた港湾棲姫は、深く頷いから、シリンダーへと眼を向けた。眩しいものを見る様な表情の港湾棲姫の視線の先では、彼が眠るように瞑目し、静かに佇んでいる。

彼が自身に移植した“右眼”は、かつて解剖にて摘出された港湾棲姫のものだ。本営直属の研究機関に保管されて在ったのを、本営の命により、彼に譲り渡された。

彼に移植された“右腕”は戦艦棲姫のものである。解剖によって右腕を奪われた戦艦棲姫に、復元と修復を行ったのも彼である。

サンプリングされてた戦艦棲姫の右腕も同じく、彼が異種移植の検体になった時に、本営の命により、彼が所有、移植する流れになった。

 

 彼は深海棲艦達と数奇な運命と、その力を共有している。

港湾棲姫の右眼は、遠方を見るだけの視力では無く、“海”の持つ見えざる力の流れを捉える。

戦艦棲姫の右腕は、怨念を造物に鋳込んで、姿と忠誠を鋳造し、命の無いものを怨嗟で起こし、徴兵する。

人ならぬ者達の力を取り込んだ彼の肉体も、深海棲艦化という特殊な変容を宿すに至る。

 

 そして今も、その己の身体を、再び検体として差し出していた。

右腕と右眼に、深海棲艦の肉体部位を移植した彼に、“自らの身体に起こる変化を、資料として提出せよ”と、本営が命じたのだ。

その為のデータを、この特別医務室で定期的に揃えている。彼が自身のデータを採るときの秘書艦は、決まって大和と武蔵のときだった。

彼が、自身の体に何らかの調律を施していることは、鎮守府が襲撃される前から薄々感じていた。身体が弱いので、強壮の為だという彼の言葉も、怪しいと感じた事は在った。

だが、彼なりの考えが在ってのことだろうと特に心配はしなかった。違和感を覚えたのは、野獣の執務室プレートパーティを途中で抜けた日の事だった。

あの日も、この特別医務室で彼はシリンダーに身を預けていた。その彼の胸に、今までには無かった筈の、不吉な黒い術紋が刻まれているのを見つけた時だった。

それが何の為かと聞いても、彼は『心配しないで下さい』と、あのひっそりとした微笑を浮かべるだけで、答えてはくれなかった。

まさかあれが、深海棲艦とのケッコン施術の準備だとは流石に思わなかった。今では右眼、右腕まで人では無いし、無茶苦茶なことばかりする奴だ。

本当に、困った提督だ。武蔵も港湾棲姫に倣い、シリンダーの中に佇む彼を見遣り、苦笑を堪えるように息を吐き出した。

「全く、……女のような貌をしている癖に、いつ見ても“モノ”は偉そうだな」 武蔵が言うと、港湾棲姫が軽く噴き出して、彼から眼を逸らした。

 

「急にそっぽを向いてどうした?」

 

「ソノ……眠ッテイル時ニ……

ジロジロト見ルノハ……イ、イケナイ事……ダカラ……、私ハ……見、見ナイ……」

 

 顔を赤くした港湾棲姫は、蚊が鳴くような小さな声で、モジモジと言葉を紡ぐ。

真面目なやつだな、と。その様子に、腰に手を当てた武蔵は可笑しそうに笑った。

 

「真面目だな。遠慮することもあるまい。役得と言う奴だ。

提督が服を脱ぐとき、お前だってチラチラ見ていただろう?」

 

「見、見テ……ナイ……」

 

「嘘を付け。絶対に見ていたぞ。この武蔵の眼は誤魔化せん」

 

「アゥ……アゥ……」

 

 わたわたとし始めた港湾棲姫に、くつくつと喉を鳴らすように笑った武蔵は、シリンダー越しに彼に向き直る。

少し笑った所為か。精密機器類に囲まれたこの医務室を包む、独特の無機質さや冷たさのようなものが和らいだ気がした。

そのタイミングを見計らった訳では無いだろうが、彼が入っているシリンダーに接続された機器から、ピー、ピー、ピー、という乾いた電子音が響いた。

データ収集の為のシーケンスが終わったのだ。港湾棲姫は一つ咳払いをして、機能椅子に座り直した。それからコンソールを叩き、パネルを操作する。

 

 シリンダーを覆う骨組みが持ち上げられ、中に満たされていた薄緑色の液体が排出される。

透明な強化ガラスがスライドするようにして開き、中に横たわっていた彼が、ゆっくりと身を起こした。

ふぅ……、と。小さく、細く息を吐き出した彼は、自身の体に差し込まれたコードプラグを、ひとつずつ抜いていく。

武蔵はシリンダーに歩み寄り、傍に置いてあった被術衣と、畳んであったバスタオル二枚を手に取る。そして、その内の一枚を広げて彼の肩に掛けてやった。

 

「……ありがとうございます」

 

 彼は顔を上げて、ほんの少しだけ気恥ずかしそうに微笑んだ。武蔵は、気付かれぬ様に唾を飲む。

濡れた髪と白磁のような肌。小柄でほっそりとしているが、引き締まり、瑞々しい躍動感に溢れた肢体。

未熟さ故の艶美さを湛えた彼の姿は、この施術を手伝うようになって見慣れたとは言え、やはり扇情的だ。冗談でも言っていないと、変な気分になってしまう。

武蔵はさっと視線を逸らし、身体からプラグを抜き、濡れた身体を拭いている彼に背を向けた。気持ちの昂ぶりを押さえ、気取られない様にするのは、意外と骨が折れるものだ。

チラリと港湾棲姫の方を見れば、彼女も意味も無く俯き、外骨格の指を膝の上で組んで、親指同士をイジイジと動かしている。まぁ、自分も平常心とは言い難い。

 

 手にしたもう一枚のバスタオルで、額ににじんで来た変な汗を拭いそうになるが、我慢する。

彼は、シリンダーに満たされていた栄養液を一度拭き取ってから、この特別医務室に備え付けられたシャワールームで、身体を洗うようにしている。

このタオルは、彼がシャワールームで身体を洗い終わってから必要になる。肉体の調律段階の頃は、シャワールームはまだ出来ておらず、大浴場を使っていた。

その為、龍驤と脱衣所で鉢合わせた事も在るらしいが、今ではそんな事も無いように完全に別けられている状態だ。

 

 シリンダー内に居る間は、殆ど眠っているようなものらしいから、その影響なのだろう。毎回の事だが、シリンダーから出た彼は、ぼんやりフラフラとしている。

今だってそうだ。彼らしく無いと言うか、何処かしゃっきりしていない。具合が悪そうというのでは無いのだが、有体に言えば、何と言うか眠そうだ。

取りあえずと言った感じで体を拭き終った彼は、眠たそうに微笑んで「すみません。シャワー室を浴びて来ますね」などと言っているし、やはりボーっとしている様だ。

今の彼の様子で、男と女で利用時間を分けている大浴室を利用していれば、時間を間違えても全然おかしくない。寧ろ、十分納得できる。

 

「提督よ。……いつも思うんだが、一人で大丈夫か?」

 

 武蔵は言いながら、出来るだけ彼の身体を見ないようにして、薄手の被術衣を羽織らせてやろうとしたが、出来なかった。

シリンダーの縁から外へ出ようとした彼の身体が、ふらっと前のめりに傾いた。武蔵は慌てて抱き止めてやる。丁度、武蔵の鳩尾辺りに、彼が頭を預ける様な体勢だ。

港湾棲姫が「ファッ……!?」と妙な声を上げるのが聞こえた。しかし、そちらへと意識を向けるほど、武蔵にも余裕が無かった。不味い。これは、不味いぞ。

無味無臭の栄養液を拭き取った彼の、しっとりとした髪。少し冷たい肌の柔らかさ。身体を預けて来る、彼の重さ。密着する息遣い。すべてが甘美な感触だった。

おぉう……。こ、これは。何という事だ。不意打ちとは。卑怯だぞ、提督よ。高鳴る鼓動を鎮めるように、武蔵は彼の身体を支え、立たせてやる。

 

「シャワー室でひっくり帰られては敵わんな……。

 港湾よ。付いて行ってやってくれ。私は、データを纏めて置く」

 

上手く笑えているかどうか分からないが、取り繕うようにして笑う。

声も表情もぎこちないのは自分でも分かるが、仕方無い。そうだ。悪いのは提督だ。

 

「エゥッ……!?」

 

「どうした、そんな潰れたカエルの様な声を出して」

 

「ソレハ……ソノ……! ム、武蔵ガ……行ッタ方ガ……」

 あばばばば! と、両手を高速でわちゃわちゃやり出した港湾棲姫に、彼が微笑む。

 

「い、いえ……僕は大丈夫です。

 すみません、武蔵さん。……ぼんやりしていました」

 

 彼は言いながら、武蔵の手からタオルと被術衣を受け取って身に付けた。

それから傍に置いてあった着替えを持ち、簡素な白スリッパを履いてから、武蔵と港湾棲姫の二人にペコリと頭を下げて、彼はシャワー室へと向う。

危うさの無い、しっかりとした足取りだったので、もう大丈夫そうだ。彼の背中を見送り、残された武蔵と港湾棲姫は、顔を見合わせた。そして、お互いにすぐに眼を逸らす。

 

 ちょっと気まずい感じだったが、すぐにまた顔を見合わせ、互いに苦笑を浮かべる。

ついでに溜息を吐き出してから、武蔵も港湾棲姫の隣に移動し、コンソール前の機能椅子にドカッと腰掛けた。

「……無邪気とは厄介なものだな」男の裸に免疫が無い訳でもない筈だが、彼の肌に触れただけで、酷く消耗した。

それだけ、興奮したという事か。軽い自己嫌悪を覚える。これでは、金剛や長門達を笑えない。

武蔵自身、彼に特別な感情を抱き、それらが仰慕、敬慕の類いだという事も自覚しているつもりだ。

それでも、この胸に宿る熱さや、感情の昂ぶりとはままならないものだ。戦闘に拠るものとは全然違う。

「私、モ……」疲れたような武蔵に、港湾棲姫もひっそりと小さく笑った。彼女の持つ感情が、己と同じ類いのものである事も、何となく分かる。

これは理屈では無い。彼女の表情や声音から、武蔵が感じ取ったことだ。怒りや悲しみと共に、喜びや親愛の情を持っている。

 

 仮にそれが悲劇であったとしても、戦いを終わらせる希望である事に変わり無い。

同時にその希望は、感情を踏み躙り、艦娘を消耗品として扱って来た人類の背中を、じりじりと焼いている。

深海棲艦化の種とは、艦娘の中に在る、人へと向けられる負の感情だからだ。

海では、天井も底も無く愛憎の情が廻り、無機と有機が巡っている。

 

 艦娘は沈み、海の底で鉄屑と金屑となり、また深海棲艦として、生きた肉体が成る。

手放された記憶と感情は海へ融けて、人類を誅戮すべく、激しい憎悪となって還される。

本当に、ままならないものだ。武蔵はもう一度、溜息を吐き出した。瞼を閉じる。

彼の小さな背中を思い描く。彼は、一人の艦娘も轟沈させていない。

一方で、各地の処理場では、艦娘達を一人残らず破棄し、その魂を飲み込んで来た。

そんな巨大な矛盾を抱えた彼が、実際にはどんな感情を人間に向けているのか。

 

 知りたい。だが、それ以上に恐ろしい。

彼の持つ正義や狂気に火を点けたのは、間違いなく人間だ。

それ故に、彼と“海”の魂の間に、何処か共通しうる分母が在るのではと思うのだ。

 

 数日前、彼は戦艦水鬼、戦艦棲姫の二人と『ケッコン』した。

ただ、既存の『ケッコンカッコカリ』では無い。

肉体の感覚を共有し、魂を結ぶ為の施術ですよと、彼は言っていた。

戦艦棲姫・水鬼達が聞こえると言う“海”の声。

それを己自身で聞くべく、彼女達の聴覚を共有する為に、彼は『結魂』したのだ。

力は力を生む。力と力は呼び合う。

彼は自身が苦しむだけで済むのなら躊躇無く、不要なものを捨てる。

必要なものを足す。次に彼が望むとすれば、“海”に語り掛ける為の“声”だろうか

何故其処までするのかと、武蔵は聞いた事が或る。

彼は、巡り合わせというものですよと、微笑んで答えた。

まったく、支え甲斐の無い苦行主義者め。

無私を貫くのも結構だが、もっと周りを見てみろ。

武蔵は、椅子に持たれかかったまま、天井を仰ぎながら苦笑を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて深海棲艦と戦いが激化し、艦娘を召還できる“提督”の確保と教育が進む中、前線基地としての機能を備えた拠点地が、幾つも建設されることとなった。

横須賀や舞鶴、佐世保、大湊などの鎮守府とは別に設けられたこれらの拠点地も、便宜上、『鎮守府』と呼ばれ、今も多くの“提督”達が配属されている。

建造と召還、改修と補給を行い、艦娘達を運用する基地としてのこれら『鎮守府』は、出来るだけ人の暮らす地域とは離れた場所に造られていた。

ただ僻地に建てられたと言え、此処の『鎮守府』も立派なもので、広い敷地を有し、宿舎や工廠、入居ドッグが備えられ、生活の為の雑貨店や理髪店なども完備されている。

艦娘達を運用する為の十分な機能を持ちながら、多くの人間が其処で暮らせる、小規模な街とすら言えた。住み心地も悪く無いし、結構気に入っていた。

艦娘達を召喚できる“提督”としての適正を見出された者は、軍属の教育機関に預けられ、ある一定の基準を満たせば、各地のこうした『鎮守府』に配属される。

 

 激戦後期。女性の“提督”として此処に配属された私は、その適正不足からか、何度試みても戦艦の艦娘を召還する事が出来なかった。

私が召還出来た艦娘達は、球磨型の艦娘が五人。それから、軽空母の瑞鳳。それから、磯風、野分、秋月などの駆逐艦達だ。皆、大切な仲間だった。

人格を生かした彼女達の錬度は、かなり高いレベルである事は自負している。今までの作戦でも、戦力差を覆すほどの十分な活躍を見せてくれた。

彼女達の装備、艦載機は、全て私独自のチューンを施した特別仕様で、戦艦不在の艦隊の火力不足を必死に補った甲斐も在った。

私自身も、装備開発分野での貢献が認められて、“元帥”の称号を得ることになった。私は、提督と言う召還術者では無く、技術者として大きく評価された。

 

 それに対する嫉妬か。

この『鎮守府』にはもう一人、男性の提督が居たのだが、常に彼の眼の仇にされて来た。

無能、有能だなどと言うつもりも無いし、人間同士がいがみ合っていても無益だ。

だから、基本的に相手にしてこなかった。それが、また彼の神経を逆撫でたのだろう。

もともと彼は、徹底して武勲を求める人物で、召還した艦娘達には自我を与えていなかった。

“捨て艦法”などは当たり前で、深海棲艦の上位個体を対象にした無理な鹵獲にも、積極的に艦娘を投入して来た。

その成果も在り、以前の作戦では空母棲姫、中間棲姫を捕えるという功績を挙げた。同時に、彼は主力艦娘の多くを失うことになった。

しかし、手柄は手柄だ。彼の階級は大きく上がったのだろう。本営から異動の通達も在った。現在、この鎮守府の提督は私のみ。

また、その通達の後。今度は私に、捕らえていた空母棲姫、中間棲姫を、ある二人の“元帥”に引き渡す指示もあった。

この二人の“元帥”は、専門的な研究施設を抱えた、別の『鎮守府』に配属されており、引渡しに指定された日付は今日だ。

二人はこの『鎮守府』に訪問することになっている。と言うのも、彼も私も、空母棲姫、中間棲姫への解体・肉体弱化の施術を行う事が出来なかったからだ。

深海棲艦への上位個体への干渉は、“提督”としての資質や、その術力の強さによる為、知識や理論だけではどうしようも無い部分が在った。

彼や私が出来たのは、封印と拘束制御までである。彼女達の肉体機能が生きたままでは、例え身動きを封じていても運搬するのは危険だ。

よって、より力在る“元帥”の二人に、此処の『鎮守府』まで直接出向いて貰い、空母棲姫、中間棲姫の二体に、解体・弱化施術を行うように、先方にも指示が在った。

今までなら、本営直属の研究機関から“提督”適正の高い研究員を数人寄越す程度だった筈だが、今回は妙に念入りだ。本営らしく無いというか、えらく慎重な印象を受けた。

スポイルした深海棲艦の運搬は、艦娘達に曳航させる形で今回は海路が指定されてある。その為の艦娘も、“元帥”の二人が寄越してくれる手筈となっていた。

何でも、特別な艦隊の運用テストも兼ねているらしいが、実態は私が知るところでは無い。本営の指令がキナ臭いといえばキナ臭いが、まぁ今更だし、いつもの事だ。

 

 ぶっちゃけると、私の仕事なんて殆ど無い。

施術は、わざわざ足を運んで来てくれる“元帥”達が行ってくれるし。

深海棲艦達は、“元帥”達の艦娘が曳航していってくれる。楽なものである。

問題は、捉えてきた二人の“姫”の強さを、把握し切れていなかった事だった。

つい先程のことだ。海鳴りが響いて、潮風が止んだ。不吉な静寂が、この鎮守を包んだ。

明らかに、ここら一帯の空気が変わり、彼女達の暴走が始まった。

封印・拘束施術自体に不備は無かったが、単純に、その拘束力が不足していた為か。

こんな例は聞いた事が無いが、何らかの外的要因が在ったのは間違い無い。

建物が崩れる音。砲撃音。熱波。いろんなものが混じって、この鎮守府を包んでいる。

空母棲姫、中間棲姫の二体は、捕虜房を破って外に出たと言うのに、海の方へと行かない。力も衰微しているというのに、逃亡しようとしない。逆だ。陸の方へ進撃して来ている。

今の鎮守府は、封印拘束を自力で破った彼女達の、強烈な逆撃に遭遇している最中だ。

事態は悪い方、悪い方へと向っている。まさか、こんな事になるなんて。

 

 

 

 「北上! 後ろから来てる!!」

 かっ飛ばし、激しい振動に揺られる軍用ジープの後部座席から、運転席の北上に叫ぶ。

開けた窓から顔を突き出して、後ろをもう一回見る。凄い速さで追いかけてくる。

深海棲艦の艦載機だ。白くて丸っこい形で、猫耳みたいなのがぴょこっと生えている。

勿論、可愛いなんて事は全然無い。裂けた口に鋭い牙が並び、獣そのものだ。

丸い体には暗紅の紋が燃え、理性の光の無い眼には獰猛さを湛えている。数は、五機。

だが、妙だ。空爆や銃撃などは行ってこず、体当たりと噛み付き攻撃を行ってくる。

空母棲姫、中間棲姫が封印されていた間、彼女達には補給などもされなかったから、弾薬が尽きているのか。

いや、この場合では、弾薬を自力で構築・練成したり出来ない程度には、衰弱状態にあると考えられる。

それでも、軍用車の装甲を煎餅みたいに噛み千切る、あの猫艦戦たちの存在が脅威である事は変わり無い。

 

 「しっつこいなぁ、もう……!」

 運転席からチラリとバックミラーを見て、レースドライバー顔負けでハンドルを切りながら、北上は舌打ちをした。

助手席では、揺れる車体にぶん回されて眼を回しかけている大井が、必死にシートにしがみついている。

この二人は、今日は非番で宿舎に残っていたのだが、警報が響いてすぐに動いてくれたのだ。

空母棲姫、中間棲姫を取り押さえ沈静化すべく、即座に捕虜房へ向ってくれたのは、球磨と多摩、それから木曾だ。

駆逐艦からは、磯風、野分、秋月、清霜の四人。あとの艦娘達は、鎮守府のエリア内に居る職員達を逃がしてくれている。

私達は、鎮守府の敷地内をジープで駆け回りながら、工廠を目指す。

 

 『中間棲姫の奴が工廠へ向かってる。 

 球磨姉さんと多摩姉さんが行ってくれてるが、フォローを頼む。

 どうも様子がおかしい。明らかに危険だ』

 

という、木曾からの無線連絡を受けたからだ。嫌な予感がする。

 

 すぐに本営にも連絡し助けを頼んだが、すぐに応援が到着するなんて不可能だ。まだ時間が掛かる。

それに、ジープに乗って走っていても気付く。地面に、複雑な力線が奔っている。暗い紅の微光が、コンクリを灼いているのだ。

今、この鎮守府に渦を巻く力の潮流は、全て工廠へと注がれつつ在る。“提督”適性の無い者であっても、肌で感じる筈だ。

鎮守府の海側半部をすっぽり囲ってしまう程の術陣か何かを描き、何か巨大な力が、この土地に働きかけつつあるのは間違い無い。

鎮守府に於ける、工廠での艦娘召還や改修施術は、鎮守府に於ける機能の心臓でもある。それを、深海棲艦達が知っていても不思議では無い。

考えたくは無いが、中間棲姫は、まさか工廠で何かを行うつもりなのか。彼女達の目的は、召還か。改修か。分からないが、碌なことにならないのは間違い無い。

工廠とは、この艦娘召還だけでなく、装備の開発や、そこに妖精の力を宿し、付与する場所でも在る。

では、これらの機能を全て反転させ、神秘、神聖さを暴かれ、深海棲艦達の手に落ちた時、それが何を意味するのか。

分からない。ただ、血が凍るような感覚が在った。何か、取り返しのつかない事が起こるような、そんな気がしてならない。

 

 

 胸騒ぎがする。猫艦戦達も、ジープを追ってくる癖に、鎮守府の外へ外へと行こうとしない。

さっきから数え切れないくらいの猫艦戦達をかわして来たが、まるで、この一帯を制圧することのみを目的としている様だ

何が起ころうとしているのか、分からないままだ。爪をガジガジと噛んで考える。事態は悪い方へ悪い方へ突き進んでいくのに、その輪郭が見えて来ない。

ジリジリとした焦燥と胸騒ぎを感じていると、「うへぇ……、マジ?」ジープを飛ばしていた北上が呻くように言う。

「どうやら、よっぽど私達を工廠に行かせたくないようね……!」大井が舌打ちをするのも聞こえた。

後部座席から前を見る。煉瓦づくりの建物と、植え込みが並ぶ舗装道。その先の前方には、パッと見では数え切れない程の猫艦戦が、低空に陣取っている。待ち伏せか。

空に佇む猛獣の群れだ。ガッチガチ、バッキバキと、歯牙を噛み合わせる音が此処まで聞こえる。駄目だ。あの数は多過ぎる。突っ込めない。だが、どうする。

Uターンしようにも、後方から猫艦戦が迫って来てる。スピードを落とせば、寄って集って丸齧りにされてしまう。何とか突っ切るしかない。

北上はそう判断した様だ。「提督、しっかりつかまっててよ。ちょっと無茶するからさ!」普段の間延びした声では無く、芯の通った力強い声だった。

ハンドルを握る北上の隣で、大井は艤装召喚準備の為、蒼い微光を纏いつつ、前を見据えている。状況に応じて応戦するつもりだ。

大井や北上の対空値で、この数を相手にするのはギリギリ。猫艦戦達も、攻撃手段が物理のみ。突っ切るだけなら、何とかなるか。

正直恐い。でも、二人を信じるしか無い。「分かったわ。……工廠に着いたら起こしてよね」震える唇を噛んで、私は俯き、ぎゅっと眼を瞑った。その時だった。

後ろから、低いエンジンの呻りが聞こえた。はっと顔を上げて振り返った時には、追って来ていた猫艦戦五機が、両断されて地面に落下している最中だった。

 

  ジープを猛追してくる、戦車とでもいうべき一台の大型のバイク。

軍用バイクを弄ったものなのだろうが、凄い速度と迫力だ。巨大な軍馬を連想させる。

フルフェイスのヘルメットを被った男と、半ヘルの少年が、二人乗りしている。

男は白の、少年は黒の提督服を着ていて、男の手には、一振りの長刀が握られていた。

物干し竿と言うのか。とんでも無い長さだ。あれで、猫艦戦達を斬り飛ばしたのか。

バイクは、更にスピードを上げて、私達が乗ったジープの脇を抜き去る。

抜き去り際だった。半ヘルの少年が、北上に『速度を落とせ』のサインを見せた。

咄嗟に、北上はアクセルを放し、慣性に任せる形で減速に入る。

バイクがジープの前を陣取り、そのまま盾となって猫艦戦の群れに突っ込むのは、あっという間だった。

 

 猫艦戦達は、速度を落としたジープでは無く、突出して来たバイクに標的を変え、一斉に群がって行った。

まるでバイクを包み込み、押し潰すかのような勢いだ。鳥肌が立つような光景だったが、それ以上に眼を奪われる。

フルフェイスの男は北上が運転するジープの道を開けるべく、右手でバイクを駆りながら、左手で握った物干し竿で、群がる猫艦戦を縦横無尽に斬り捨てていく。

振るう腕の動き、刀の切っ先が見えない。バイクに襲い掛かる猫艦戦が、容易く両断されていく様は、まるで斬撃の結界でも張ってあるみたいだ。

僅か数分で猫艦戦を全て斬り伏せたフルフェイスの男は、敵の艦載機が周囲に居ないことを確認してから、バイクの速度を落としてジープと並走する。

そのまま少しいくと、もう工廠が見えて来る。その煉瓦壁に寄せてジープを止めて、車の外に出たところで声を掛けられた。

 

「ぬわぁぁぁん、面倒な事になってるもぉぉぉぉん!

 つーか怪我無いかぁ、お前らぁ! よーし、それじゃあまず、

鎮守府に残ってる連中を教えてくれるかな?(緊急)」

 

 フルフェイスの男は、バイクに跨ったままヘルメットも取らず、挨拶も無いまま質問をぶつけてくる。

彼らは、今日此方に訪れる予定だった二人だ。軍服にバイク姿なのは、送迎車のスピードでは遅いと判断して、護衛の軍用バイクを掻っ攫って来たのだろう。

 

「有り難う、助かったわ。

 もう本営から通信が在ったと思うけど、見ての通り緊急事態よ。

 ……今、鎮守府に残ってるのは、球磨、多摩、木曾、磯風、野分、秋月、清霜。

 それから、此処に居る北上と大井、私の十人。他の娘達は、職員達を逃がしてくれてるわ」

 

 取り合えず私は、短く礼を言ってから答えた。北上と大井も、咄嗟に敬礼の姿勢を取っている。

その時だった。近くで砲撃音と爆発音、建物が崩れる轟音が聞こえた。熱い風が吹き抜けていく。

其処にバシバシバシバシと、硬い物に亀裂が入る音が混じり、身体にぶつかって来た。

巨大な力を持った何かが、こっちに向って来ているのを感じた。手足が震えそうになる。

緊張の中。大型バイクから降りた半ヘルの少年が、携帯端末を操作しながら周囲を見回した。

 

「先程、雪風さん達に誘導され、職員の方々が避難されたのを、僕達も確認しています。

ただ、……新たな問題として、深海棲艦の艦隊が、この鎮守府に接近していると報告を受けました」

 

 其処まで言ってから私に向き直った少年は、右手に拘束具めいた手袋をしており、右眼にも、仰々しい眼帯をしている。

顔立ちや背格好は、私と同じくらいしかない。その癖に、纏う雰囲気が尋常じゃない。私だって、全然子供っぽく無いと言われたりもしたが、少年の場合は種類が違う。

前に、彼は配属されている鎮守府を強襲され、その際に大怪我を負ったという話を聞いた。そして、深海棲艦の肉体を移植したという噂も聞いた事が在った。

故に以前から、本営での会議に集まった際に、周りの提督連中から“魔人”などと揶揄されていたのも知っている。納得出来る表現だと思う。

こんな表現はどうかと思うが、前々から思っていた。確かに、彼は人間っぽく無い。私の隣で、僅かに体を強張らせている北上や大井だって、そんな印象を抱いた筈だ。

 

「敵艦隊の規模はそこまで大きく在りませんが、恐らく、

捕えられていた空母棲姫、中間棲姫の二人に干渉している個体が居るのでしょう。

彼女達が自らの意思で動いているならば、海への逃亡を選んでいる筈です」

 

 あの二体の暴走は外的要因と踏んでは居たが、愕然とする。

 

「なるほど、トロイの木馬って訳ね。……してやられたわ」私は右手親指の爪を噛む。

 

中間棲姫がこっちに向って来てる。

空母棲姫は陽動だろうが、あの方角は多分、ドックに向かってる。

おまけに、この土地と工廠にまで干渉出来る術陣まで張ってくれてるし。

そして海には敵艦隊。まったく嫌になっちゃうわね。

 

また近くで、建物が崩れる破砕音と、ヴォーーー!!、という裂帛の気合が聞こえた。

更にその遠くで、無茶苦茶に暴れまわるような激震音が轟く。崩落した建物の土煙が昇っている。

ぐずぐずして居られない。焦る。陸の上で皆、決死で戦ってくれている。どうすれば良い。

装備知識や術式理論が幾ら在っても、頭が上手く回らない。突然だった。

 

「はぁーーーっ! アッツゥーーーッ!!

 何でこんな動き難いんすかねぇ、提督服ゥ!(パージ) 」

 

 傍に居たフルフェイスの男が、バイクから降りて何故か提督服を脱ぎ出した。北上と大井が噴き出した。私だって、ギョッとする。

提督服をその場に脱ぎ散らかし、Tシャツとブーメラン黒海パン、フルフェイスマスクという、通報不可避の格好になった男は、バイクに括っていたスニーカーに履き替えながら、少年に顎をしゃくって見せた。

 

「此処は協力しませんか? その為の俺? あと、その為のコイツ? 

運用テストも兼ねてるけど、ちょっと特別な艦隊も其処まで来てるんだからさ(励まし)。

何とかなるって、ヘーキヘーキ!」

 

 表情は見えないが、声音には妙な力強さが在り、此方の緊張を解してくれるような響きが在った。私は深呼吸して、自分を落ち着かせる。

火の匂い。土埃の匂い。戦いの音。今の状況を、五感で感じる全てを、冷静に受け止め、思考に回す。考える。今、鎮守府に在る脅威は二つ。

空母棲姫、中間棲姫の二体だ。近海には敵艦隊も居るそうだが、そっちは眼の前の“元帥”二人が派遣してくれている艦隊に任せるしか無い。というか、迷っている間は、もう無い。

少し離れたところにある建物が崩れた。濛々と煙る粉塵の中から、とうとう来た。

豊満な肉体を、上品で、それでいて禍々しい白いドレスを纏っている。中間棲姫。

庁舎をぶち抜いて突き崩したのは、彼女がビットみたいに引き連れた猫艦戦だ。

無数の猫艦戦と共に、操り人形のようなぎこち無い動きで、こっちに近付いてくる。

だが、その眼は何処も見ていない。焦点が完全に合っていない。意識が無いのか。

中間棲姫の背後には、まるで超特大の猫艦戦にも似た艤装獣が象られていた。

「怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨」

艤装獣は吼えて、地面の石畳を捲り上げ、瓦礫を融かして引き摺りこみ、景色を歪ませながら迫ってくる。言葉を失う。

彼女の足元に浮かぶ術陣は、周りにある物質を分解し、再構築しながら猫艦娘戦へと造り変えている。信じられない規模での艦戦召喚を維持していた。

機能不全に陥っていて、尚、この力なのか。出鱈目過ぎる。いや、正確には、操られているのだろうが、本当に無茶苦茶だ。

数多くの術陣を引き連れて維持している彼女自身が、深海と陸地を繋いでいる。ルーターと化した彼女が、海の底に眠っている神性をこの場に顕現させている。

 

海と陸を繋ぐ、一種の戦争門と化した彼女が、迫ってくる。

 

 

 逃げるべきだと、頭の中の冷静な自分が言う。

同時に、艦娘達が居る以上、指揮を執るべきだと、提督としての自分が言う。

一つ呼吸をして、私は、北上と大井を順番に見た。二人は、余裕の無い私に頷いてくれた。

このハイパーズは、本当に頼りになる。私は、少年と男に向き直る。

「お願い……、力を貸して」私の言葉に、「はい、勿論です」少年は微笑を浮かべ、「当たり前だよなぁ(正義)?」と男は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 野分は歯噛みする。何て艦載機の数だ。本当に、落としても落としてもキリが無い。中間棲姫を囲う様は、まるで塁壁だ。

ゾンビの様に歩く中間棲姫は、白い球体状の艤装獣の他にも、足元に無数の術陣を引き連れている。

術陣は、瓦礫の余燼や、砕けた地面の岩滓を資材の代わりに飲み込み、其処から、次から次へと猫艦戦が錬成、構築されて、飛び出してくるのだ。

海の底で行われているのだろう、大規模召喚の現象が眼の前で行われているという事実に、肌が泡立つ。中間棲姫にも、途轍もない負担が掛かっている様だ。血の泡を吹いている。

だが、心配している余裕は無い。生まれたばかりで補給もされず、噛み付きや体当たりなどの、本能的な物理攻撃しか出来ない猫艦戦達だが、あれだけの数は流石に脅威である。

 

 磯風と野分、秋月は、襲い掛かって来る猫艦戦を相手に立ち回り、中間棲姫へと砲撃を仕掛ける球磨や多摩を支援しているが、思うように行かない。

猫艦戦達の壁が厚過ぎる。やつらは防壁であり、同時に破城槌だった。群れの体当たりで建物を突き崩しながら、中間棲姫は一直線に工廠に向っている。

中間棲姫の眼には、敵意や殺意どころか、意識が無いようにすら見える。意思や思考の光が見えない。人格を破壊された艦娘の様子にそっくりだ。

地面に走る術陣の力線が、おそらく中間棲姫を誘導しているのだろう。意識も無く、ただ艦戦召喚の機能だけを起動させている彼女は、止まらない。

球磨と多摩が、迫ってくる猫艦戦を撃墜し、避けて、その間を縫うようにして砲撃する。

砲撃は、中間棲姫にも届くコースの筈なのだが、その射線上に、また別の猫艦戦が盾として割って来る。ジリ貧だった。

そうこうしている内に、次々と建物を崩しながら進み、とうとう工廠の真近くまで来てしまった。

 

「舐めるなクマー!!」 「いい加減、止まるにゃっ!!」

 

 野分は瓦礫を踏み越え、濛々と立ち上る砂煙を抜ける。

向こうから、球磨と多摩の、苛立ちの混じる声が聞こえる。

磯風、秋月に続く。瓦礫を踏み越えようとした。

風を切るような音がしたのはその時だ。猫艦戦。背後からだった。

右手に持った連装砲を向けず、咄嗟に左手に錨を召喚した。

体を捻るようにして軸をずらしながら、振り向く。ガチンッ!! という良い音がした。

さっきまで野分の頭が在ったところで、猫艦戦が歯を噛みあわせた音だ。

短く、鋭く息を吐きだして、野分は体の回転を利用して、その猫艦戦を錨で殴り飛ばす。

即座に体勢を立て直し、左右から迫ってきていた猫艦戦を連装砲で撃墜しながら、正面から体当たりしてきた猫艦戦を錨で叩き落とす。

呼吸が乱れてきた。だが、動きを鈍らせてはならない。「えぇっ!?」「あれは……!?」

秋月と磯風の声が聞こえた。

連装砲を握り締め、野分も前を見る。「なっ!?」そんな余裕なんて無かったはずなのに、変な声が出てしまった。

ドッシン! ドッシン! ドッシン! ドッシン! ドッシン! ドッシン! と。

土埃を掻き分けて、猛進してくる。白い巨人のような艤装獣だ。デカイ。もの凄い巨躯だ。

家くらいの大きさが在る。白磁の肌には、深紫色の紋様が回路の様に奔っていて、かなり禍々しい。

深海棲艦の新手かと思ったが、「そのデッカイのは味方よ!」と、土埃の向こうから聞こえた。

生意気そうで意志の強そうな、それでいて可憐な声だった。聞いていると、不思議と落ち着く。私達の提督の声だ。

 

「落ち着いて! 貴女達は、すぐに中間棲姫から一度離れて!

今から北上と大井が飛んでいくから! 魚雷に巻き込まれるわよ!!」

 

 中間棲姫の歩みを阻む為、包囲しようとしていた球磨や多摩、それから秋月、磯風も一瞬、立ち止まる。

しかし、飛んでくる猫艦戦に其々が冷静さを取り実戻し、対処しながら、瞬時に全員が全員に眼配らせをした。これは、命令だ。

 

「すぐに離れて! あと、動こうとする艦戦達の対処をお願い!」

 

 野分は襲いかかって来る猫艦戦を連装砲で打ち落とし、ぶん殴りつつ、中間棲姫から距離を取るために離れる。

迫ってくる巨人艤装獣のプレッシャーも大概だし、あれが味方だと言われてもすぐには信じられない。

それでも、命令に応える。疑問に思うのは、後からで良い。今は、とにかく動かねばならない。噛み付きに来た猫艦戦を撃ち落としながら、横合いへと駆ける。

提督の指示は、中間棲姫や猫艦戦にも聞こえた筈だ。実際、猫艦戦は野分達だけでなく、白い巨人艤装獣にも殺到しようとした。それで構わなかったのだ。

 

低いエンジン音。これは。単車のものだ。

聞こえる。かなり大きい。艤装獣の向こう側からだ。

行きますよー! 行く行く!(フルスロットル)

偶には良いねぇ、こういうのも……、痺れるねぇ!(強心臓)

ほ、ほ、ほあああああああああああああ!!(涙混じりの絶叫)

 

 男の声。北上の声。大井の声が聞こえた。

その声に答える様に、白い巨人艤装獣が走りながら姿勢を低くして、腕を斜め上に伸ばす。

猫艦戦が迫ってきているのに、あんな不自然な体勢になって何をするつもりなのか。

次の瞬間、野分は絶句した。艤装獣の背中から腕の先へ爆走して、何かが発射されたのだ。

さながら、カタパルトから射出された艦載機の様だったが、違う。

改造されまくったのだろう、やたら攻撃的なフォルムをした大型の軍用バイクだった。

しかも三ケツ。フルフェイスヘルメットにTシャツ海パンの変態と、北上と、大井だ。

あのバイクをぶっ飛ばし、艤装獣の背中を駆け上がって、腕を走り、飛翔したのだ。馬鹿なのかな?

おまけに、艤装獣が若干、放り上げるように腕を持ち上げた為に、かなり急な放物線を描いている。

丁度、艤装獣に殺到した猫艦戦達を飛び越える形になる。猫艦戦たちが象る防壁の、その死角を取った。

それだけじゃない。あのスピードと角度と勢いなら、中間棲姫すら飛び越える筈だ。直上に陣取れる。

勿論。猫艦戦達がバイクを黙って見ているなんて事は無かった。

自分達の上を飛んで行こうとするバイクの存在に気付いた猫艦戦達は、急上昇した。

先程の提督の、動こうとする艦戦達の対処をお願い、という言葉の意味を理解した。

猫艦船達はバイクに襲いかかろうとしたに違い無いが、その行動を、今度は野分達が狩る。

球磨と多摩、秋月と磯風が、空を睨み、次々と猫艦戦を撃墜する。

艤装獣もその豪腕を振り回し、猫艦戦達を殴り、砕いて、叩き落した。

 

視線をバイクの方へと向けると、北上と眼が合った。ウィンクをしてくれた。

ありがとね♪ 野分の方を見てそう唇を動かしたあとだ。

北上はバイクの上で、艤装の魚雷発射管を召喚した。

三ケツ状態だからだろう。武装のみの召喚だ。大井もそれに続く。

彼女達が召喚した魚雷発射管からは、今まで見た事の無い、深紫色の微光が漏れていた。

燐光と術陣を纏っている。どうやら、何か特別な儀礼が施されている様だ。

 

 数秒の間。すべてがゆっくりに見えた。

「陸の上だけど、取り敢えず藻屑に……!」「なりなよー……!」

北上と大井はバイクで中間棲姫の上を飛び越えながら、儀礼済み魚雷の雨を降らせた。

世界広しと言えど、あんなスタントマン紛いの大ジャンプを決めつつ、自分の魚雷発射管で空爆モドキを敢行した艦など、彼女達だけだろう。

だが角度も、タイミングも、何もかもドンピシャだった。巨大な火柱が上がる。大爆発だ。周りにいた猫艦戦どもが、炎のうねりに飲み込まれていく。

中間棲姫から離れていた野分も、その威力で後ろに押されて尻餅をついた。すぐに体を起こして、腕で顔を庇う。前を見て舌打ちが漏れそうになった。

 

 儀礼済み魚雷の炸裂は、中間棲姫が纏う防壁結界に阻まれている。

だが、連繋する深紫の爆炎は、中間棲姫が引き連れた艤装獣と、術陣の帯を焼き潰した。

地面に大穴が幾つも空いて、熱風が吹きつけて来る。

怨怨怨怨怨怨怨。忌忌忌忌忌忌忌忌。啞啞啞啞啞啞啞。卦卦卦卦卦卦卦卦。

硬い物を激しく擦り合わせる様な音がした。恐らく、艤装獣の悲鳴だ。

 

 まだ終わっていない。

すかさず野分は立ち上がって、残った猫艦戦の掃討に掛かる。

捩れ昇る炎に惑う猫艦戦達は、容易く撃破できた。秋月、磯風も続く。

中間棲姫を守るものが、防壁だけになった。だがその結界も、すぐに呆気なく砕け散る。

深紫の術紋が描かれた微光の帯に包まれるようにして、解けて行ったのだ。

これは、解体施術か。それも、深海棲艦の上位個体に干渉出来る、かなり高度なものだ。

野分達を召喚した少女提督は、一応“元帥”ではあるものの、此処までの術式を扱うことは出来なかった筈だ。少女提督が得意とするのは、装備開発などの工作分野である。

では、誰が……。頭の隅にそんな思考が過ぎった時。中間棲姫は崩れ落ち、その場に倒れ伏した。意識の無い彼女の体を支え、動かしていた力が消えたのだ。

それと同時だったろうか。少しはなれたところでバイクが、低く、重い音を立てて着地した。

あの高度からの落下だというのに、後輪から着地しつつ衝撃を殺し、崩れそうになるバランスを制御している。

「うっ……!?」「あぅんっ!?」北上と大井が、短く呻いたのが聞こえた。着地した衝撃が尻に響いたのだろう。

バイクは二人を降ろしてすぐにギャギャギャっと、後輪を空転させてから、そのまま走り去る。あの方向は、木曾達が居る方角だ。

 

 尻と腰を手で押さえながら、ひょこひょこと此方に歩いて来る二人に、思わず安堵の吐息が漏れた。

後の脅威は、木曾と清霜、それから、瑞鳳が放った艦載機達が相手をしてくれている空母棲姫だ。

先程の変態バイクは一応味方で、木曾達をフォローすべく向ってくれたのは間違い無いだろう。

すぐに自分達も応援に向うべきだ。球磨や多摩をはじめ、秋月、磯風、野分自身も、小破程度である。まだまだ戦える。

 

 そう提言すべく、野分は工廠の方から、此方に駆け寄って来る提督に向き直る。

提督は、気が強そうで生意気そうな、それでいて、泣きそうな貌だった。

野分は軽く微笑みを返そうと思ったが出来なかった。体が強張る。息が止まった。

提督の少し後ろを、白い艤装獣を連れて歩いて来る、黒い提督服の少年と眼が合ったからだ。

 

 提督と同じく、彼も、皆が無事であることに安堵してくれているのだろう。

彼は深紫の陰影を纏い、優しげに眼を細めて此方を見詰め、首を微かに傾けている。

先程、北上や大井が放った魚雷にも、深紫の儀礼陣が付与されていた。

中間棲姫の防陣を解いたのも、深紫の術紋が浮かんでいた筈だ。

あれらは、彼が施したものなのか。いや、それよりも。何だ。この戦慄は。

連れている巨躯の艤装獣などよりも、彼自身の方がよっぽど危険な存在に見える。

周りに居る球磨達も同じ様子だった。近くに居た磯風が、唾を飲み込むのが聞こえた。

ただ歩いて来るだけの彼から、眼を逸らすことが出来ない。

 

 間もなく、提督が野分達の前で立ち止まる。

黒い提督服の彼は、倒れ伏した中間棲姫の傍にしゃがみ込んだ。

その時だった。中間棲姫の真上に、積層型の術陣が浮かび上がった。

暗紅色を基調にした術陣が、少しずつ零れ、欠けて、崩れていく。

あれが、陸に居た中間棲姫と深海の神秘を繋いでいたのだと、直感的に理解した。

解呪されて、光の粒に還ろうとしているのだ。

あの光の向こうには、人智の及ばない、遥かな深淵に繋がっている。

深海棲艦達が生まれてくる、海の底の底。獄の獄。

 

 野分は悲鳴をあげそうになった。

少女提督が後ずさる。全員が立ちすくむ。

その向こうから。声が聞こえたのだ。

言語という形を成していないが、それは間違いなく“声”だった。

少年提督だけが、冷静なままで左眼を細め、提督服の懐から指輪を取り出した。

それを手袋をしたままの右手薬指に嵌めてから、彼は、自分の右耳を右手で押さえ、『Engage』と唱える。

 

“声”は虫食いのように途切れ途切れの様でも在った。

同時に、其々の響きが独自の意味を持っているのかもしれない。

笑っているようにも、泣いているようにも、憤っているようにも聞こえる。

子供のようにも、大人のようにも、老人のようにも聞こえる。理解はできないが、感じる。

とにかく一定じゃない。不思議な揺らぎを湛えて、響くと言うよりも、頭に染み入ってくる。

恐ろしい。意味不明な、“声”としか言い様の無い何か。

少年提督には、何が聞こえているのだろう。じっと、只管に耳を傾けている。

深遠の海底なら響く“声”が、消え入ろうとする寸前だった。

ほんの束の間だったが、野分でも聞き取れるだけの形と意味を持った。

 

A   r      e  

y       o u

h    a p p   y ?

 

 最後の最後だけ。野分にも確かに、聞こえた。“お前は、幸せか?”と。

余りに衝撃的な現象を前に、誰もが言葉を失う中。少年提督だけが、その声に応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連装高角砲で猫艦戦を撃ち落しつつ、清霜は、空母棲姫と対峙する木曾をフォローする形で立ち回っていた。

周囲を飛び交う猫艦戦達の数は相当なものだが、瑞鳳が放ってくれた烈風や零が、蹴散らしてくれている。

召喚者である空母棲姫本体の衰弱の為か、猫艦戦達には弾薬を用いた攻撃手段が無い様だった。制空権を奪われるという事は無いだろう。

 

 やはり問題は、空母棲姫本体だ。

工廠へと向った中間棲姫は、意識の無い操り人形にも似た動きだった。空母棲姫の方は似ているようで、少し違う。

彼女の眼には、意識や意志の光は見えない。やはり何処も見ていない。だが、その顔貌は。激しい敵意と殺意、憎悪に歪みきっていた。

彼女は、衰微した己の召喚能力の限界を、理性では無く、本能的な部分で感じ取ったのだろう。

その弱体化を補うべく、彼女は艤装獣を召喚するだけでなく、更に変形、進化させて、上陸形態とでも言うべき姿で身に纏っている。

 

 彼女の腕や脚を覆う、黒金の鎧甲冑は、もともとは艤装獣の装甲だったものだ。そして、両の手に携えている身の丈ほどの黒い大剣は、滑走路だったものである。

大剣は柄から剣先まで、微光を漏らす赤のラインが刻まれており、鈍く明滅している。黒い祭礼甲冑を着込んだ、女騎士のような出で立ちだ。

飛び道具代わりの猫艦戦の召喚に併せての、単純な暴力での力押し。これが普通に脅威だった。さっきから空母棲姫が両手の大剣を振り回す度に、周りの建物が崩れる程だ。

衰弱していてこの力である。もうやってられない。

 

「貴様も中々に味な真似をするじゃないか。

 やっぱり戦いってのは、懐に飛び込んでやるモンだよなぁ」

 

 それでも改二となった木曾は、カトラス風の刀剣を右手で抜き、艤装の連装高角砲、連装副砲を向けながら、真正面から空母棲姫に対峙している。

清霜は、その木曾の隣に陣取っている。襲ってくる猫艦戦を迎撃しながら、空母棲姫を牽制するのが役割だ。

木曾の攻撃と防御に厚みを持たせる為、清霜は神経を研ぎ澄ます。

 

「惜しむらくは、一対一ではないことだが、貴様も猫共を連れているんだ。お互い様だな」

 

 鼻梁を伝う血を唇の端でチロリと舐めて、木曾は不敵に笑っている。

余裕の様に見えるが、実際はそこまで優位には立って居ない。

この空母棲姫の暴走は、恐らく陽動だ。本命は、中間棲姫による、工廠のコントロール。

さっさとこの場を片付けたいところだが、正直、一杯一杯だ。

 

 空母棲姫と向かい合っている木曾と清霜の周囲には、バンバン猫艦戦が飛んでいる。

木曾が無事というか、まともに空母棲姫の相手を出来るのも、今も木曾の背後から襲いかかろうといた猫艦戦を撃ち落した清霜の御蔭だ。

ついでに言えば、瑞鳳が飛ばした烈風や零達が猫艦戦を狩り立ててくれていなければ、木曾も清霜も、こうして対峙することも出来なかっただろう。

 

 人数ギリギリの戦線維持だ。疲労は感じるが、動きが鈍るほどでは無い。

ただ、これ以上長引いても、うまくないのも間違い無い。それは向こうも同じか。

フー……! フー……! と。正に暴走真っ最中みたいな、獣じみた荒い呼吸をつきながら、空母棲姫は両手の大剣を持ち上げて見せた。

木曾と空母棲姫の距離は、役10メートル程。結構近い。木曾も、すっと重心を落として左眼を細めた。右手に持つ刀剣の切っ先を、僅かに下げる。

 

 同時だった。木曾と清霜目掛け、正面、左右の斜め上から猫艦戦が二機ずつ、急降下してきた。計六機。

清霜は即座に反応して、左から来た猫艦戦を二機撃墜してから、正面からきていた一機を、手にした連装砲でぶん殴って地面に叩きつける。

そいつを踏み潰しながら、体を倒して前へ出る。木曾に続く。疾い。木曾は前へ出ながら、右側から来た猫艦戦を副砲で薙ぎ払い、正面から来た一機を両断していた。

 

 火の匂い。黒い煙霧。掻き分ける。瓦礫の上を疾駆する。

木曾と清霜は、空母棲姫に迫る。当然、向こうも黙っていない。

同じ様に前へ出てくる。瓦礫を踏み砕き、地面を震わせて、肉薄してくる。

両手に握った滑走路という大剣を振り上げている。互いが、互いの間合いに入った。

距離が詰ろうとする。空母棲姫が、剣を振り下ろそうとした。

そのタイミングで、木曾は右へ、清霜は左へと逸れて踏み込む。惑乱するのが目的だったが、空母棲姫は惑わなかった。ちゃんと眼で追ってきていた。

なんて反応速度だ。空母棲姫は、左手の大剣を木曾目掛けて袈裟懸けに振り下ろし、右手の大剣で清霜を切り払おうとした。

 

 木曾は徹底して冷静だ。踏み込みながら、半身になる最低限の動きで体の軸をずらす。

ついでに、降ってくる黒い大剣を、自分が構えた刀剣に沿わせるようにして、往なした。

大剣を振りぬいた空母棲姫の右側、横合いへと滑り込む。

 

 清霜は、迫ってくる大剣をくぐる。ダッキングだ。単純だが、動きに無駄が無い。

回り込む。空母棲姫の左側面へ。刹那の攻防で、木曾と挟み撃ち出来る形に持ち込んだ。

攻撃を空振りした空母棲姫は、身体を泳がせていた。隙だらけだった。

行ける。清霜は即座に連装砲と機銃を、空母棲姫の顔面を目掛けてぶっ放した。

同時に、木曾は刀剣を、胴目掛けて打ち込む。間違いなく、これで仕留めたと思った。

信じられなかった。あの不安定な体勢でも、彼女は首を逸らして砲撃を避けて見せたのだ。

それだけじゃない。木曾と清霜に挟み込まれたままで、空母棲姫はそのまま体をグルンと一回転させた。

身体を振り回すついでに、両手の剣も一緒にブオオオオン!!と振り回したのだ。

「チィっ……!!」木曾は刀剣を弾かれ、そのままぶった切られそうになっていた。

間一髪。大きく踏んだバックステップが間に合った。その前髪が僅かに斬られて、舞う。

清霜も、飛び下がって剣の間合いに出る。体勢を整えつつある空母棲姫と一瞬、眼が合った。

 

 不味いと思った。次の瞬間には、腹にズドンと来た。踏み込んでくるのが見えなかった。着地の硬直を狙われた。

空母棲姫が黒甲冑を纏った右脚で、清霜の胴をサッカーボールみたいに蹴飛ばしてきたのだ。一瞬、意識が飛んだ。

すぐに視界が戻って来たが、頭が上手く働かない。体がふわふわする。重力を感じない。って言うか。

 

 

 痛った……。なに此れ。ちょっと。どうなってんの。飛んでない? 何か、空中を移動してる。

あぁ、そうか。蹴っ飛ばされて、ふっとばされてるんだ。そんな事を思ったら、今度は背中に衝撃があった。

瓦礫の上に落ちたのだ。次に、肩や胸や脚に衝撃があった。凄い勢いで転がっている事は分かった。

痛みは、勢いが止まってから来た。気付けば、清霜は仰向けになって倒れていた。ゴホッと、口から血が溢れる。

呼吸が戻ってくるのに、数秒掛かった。頭の中で、ヒヨコの泣き声みたいなのが聞こえる。

誰かの声も聞こえる。きよしも。おい。おきろ。きよしも。きよしも。おきて、りだつしろ。

声が遠い。きよしもって誰? あぁ、自分のことか。声の御蔭で、意識と言うか、思考が戻ってくる。

空。空が。空が見える。曇天だ。雲。それから。猫。それら全部が真っ赤だった。

血だ。眼というか、顔中、血塗れだ。あぁ、くそ。いやだなぁ。くやしい。くやしいなぁ。

本当に、嫌になる。たった一撃で、このザマだ。こんな呆気無くやられちゃうなんて。

ここまで保ったのになぁ。体のあちこちが痛いけど、悔しさが勝った。横隔膜が震える。涙が出て来た。

でも泣いてる場合じゃない、まだだ。まだ負けてない。連装砲だって、手放していない。

身を捩るようにして仰向けから、うつ伏せになる。手を着く。上半身を持ち上げようとする。

ゲホッ、と血の塊を吐き出す。ヤバイものを吐いたような気がしたが、どうでも良いや。

最中に、零や烈風に、まだ撃墜されていない猫艦戦が、飛んでくる。喰いに来る。

空母棲姫と斬り結びながら、木曾がその猫艦戦を撃ち落してくれている。助けてくれている。

御蔭で、木曾は防戦一方に追い込まれていた。早く。フォローに入らないと。助けないと。

「ぐ、ぅう、あぁああああああああああああああああ……!!!」吼えながら、立ち上がる。

連装砲を握り締める。重い。腕が上がらない。でも、前へ出る。ふらつく。膝が崩れる。

こけるな。倒れるな。脚を。前へ出せ。鼻血と吐血で、呼吸が詰る。苦しい。視界が霞む。

構わない。止まるんじゃない。犬のように駆け巡るんだ。行け。走れ。間に合え。

お願い。間に合って。間に合ってよ。向こうで、木曾と空母棲姫が、瓦礫の上で斬り結んでいる。

 

 空母棲姫は、一見すると、両手の大剣をメッタクソにぶん回しているように見える。

だが違う。実際は、かなり繊細な体捌き、足捌きを駆使して滑走路大剣を振っていた。

一種の剣術とでも言うべき技が在る。

マントを翻し対峙する木曾も、艤装による砲撃で牽制しながら、刀剣の間合いへと距離を詰めようとする。

その木曾の行動を締上げるように、零や烈風から逃げ回る猫艦戦どもが襲い掛かる。流石に、その全部を対処するのは無理があった。

 

 空母棲姫が振った大剣を往なした木曾は、一旦距離を取りつつ、迫ってくる猫艦戦をぶった切った。

バックステップを踏みながら、艤装で撃ち落した。だが、流石に疲労が在ったのだろう。動きに精彩を欠き始めている。

「ぐぁっ!?」その隙を突かれた。背後から、地面スレスレを飛んで来た猫艦戦に喰われた。背負った艤装の一部と、左脚が持っていかれた。

木曾は倒れそうになるが、残った右脚で地面を蹴っていた。後ろに倒れこむ様にして跳んだ。空母棲姫が振り下ろしてきた大剣をかわしたのだ。

だが、もう次は避けられないだろう。地面が陥没し、周りの瓦礫が跳ね、崩れ掛けの建物が崩落する程の一撃だった。喰らえば、確実に終わりだ。

絶体絶命の状況でも、木曾の眼は死んでいない。刀剣を杖のようにして立ち上がろうとしている。空母棲姫は、その木曾に止めをさすべく、両手の大剣を持ち上げる。

 

 

 清霜は、その空母棲姫の背中に、連装砲をぶっ放す。

直撃した。だが、ダメージを与えられなかった。疲れも痛みも知らないのか。

空母棲姫は体を捻り、大剣の腹で砲撃を防いで見せたのだ。怪物め。

だが、これで良い。空母棲姫の注意が、此方に向いた。

相変わらず、その綺麗過ぎる貌を憎悪と怨嗟に歪めたまま、こっちに突進してくる。

木曾の焦った声が聞こえたが、よく聞き取れなかった。

だから、代わりに清霜が木曾に叫ぶ。にげてください。

そう言ったと思う。上手く言えただろうか。分からない。でも伝わったと思う。

 

 清霜は大きく舌なめずりして、血を拭う。唇を湿らせて、鼻血を啜った。

よく耐えた方だと思う。これはもう、何て言うか、もう勝ちで良いと思う。

瑞鳳が艦載機を飛ばしてくれたおかげで、職員達も逃げおおせただろうし、清霜達だって時間を稼げた。

工廠の方から聞こえていた炸裂音も止んでいるし、球磨や多摩達は中間棲姫を止めてくれている筈だ。大勝利じゃないか。

あとは、陽動として大暴れしているのは、この空母棲姫だけだ。流石に、本営からの応援が駆けつければ、駆逐されるだろう。

木曾だって生き延びてくれれば、提督達と合流して修復施術を受けて、また第一線に戻れるだろう。

やっぱり、私達の勝ちじゃないか。へへーんだ。ばーかばーか。心の中で、空母棲姫にアッカンベーした。

このばから、りだつしてください。もう一度、木曾に言う。今度は、上手く言えた。

何だか嬉しくなって、笑えて来た。

 

 

 戦艦になりたいと思っていた。ずっと思っていた。

でも、多分、為れないんじゃないかとも、心の端っこで思っていた。

そもそも艦娘とは、艦船に宿る魂や誇りに造形を与えられ、成り、生まれるのだ。

現世に、“清霜”として招き入れられた時点で、もう“清霜”は“清霜”でしかない。

逆立ちしようが、錬度が上がろうが、時間が経とうが、ケッコンしようが。

何処まで行っても。突き詰めれば突き詰めるほど、清霜は、どうしようもなく清霜だ。

別に、誰かに教えられた訳では無い。はっきりと、そう誰かに言われた訳でも無い。

それでも、何となく解かった。予感と言うか、確信に近いかもしれない。

何時からだったかは、よく覚えていない。気付けば、そういう失意を受け入れている自分が居た。

御蔭で、其処まで落胆はしなかった。強く、眩い憧れは残ったままだが、清霜は冷静だった。

自分では出来ない事、出来る事を冷静に考えるようになった。

それから、自分に出来ることに優先順位を付けて、実践して、この鎮守府に貢献してきた。

艦隊の皆に、信頼されるようになった。名を呼び交し合うだけの絆を結べたと思う。

それはきっと、清霜が、清霜だったからこそだと思う。それで良い。構わない。

今も清霜には、自分の出来ること、やるべき事が、割と見えている。

命を捨てる覚悟なんて、とっくに出来てる。あとは、実践するだけだ。

木曾が離脱するだけの時間を稼ぐんだ。とにかく、それまでは立って、避けて、ぶっ放す。

人格だって生きてるんだもん。最後くらいかっこつけたって良いだろう。

大戦艦清霜、推して参る。調子に乗って、そう言おうとした。

 

 出来なかった。「勢い……余ってッ……ソイヤ!!(レ)」

何かが飛び込んで来て、清霜と空母棲姫の間にドッシィィン!!と着地した。

飛んで来たソイツは、空母棲姫が叩き込んで来た二本の大剣を、両手に一本ずつガッチリバッチリ掴み止めて、楽しげに笑って見せた。

ソイツの両手は滅茶苦茶のグチャグチャになったが、すぐに再生し始めている。「(^ω^)おー、激しい(レ)」痛みを感じないのか。

 

 空母棲姫の貌が、更に歪んだ。吼えて、大剣の連撃を無茶苦茶に放って来た。

それでも、ソイツは楽しそうに笑いながら、その斬撃全部を素手でガッツンガッツン、ドッコンドッコン受け止めていた。馬鹿げている。有り得ない。

「(^ω^)おっほっほ~、元気だ!(レ)」大剣を受け止めまくっているソイツは小柄だ。セーラー服を着ている。見た事のあるデザイン。確か、暁型が着用しているものだ。

そのセーラー服の上に、黒いパーカーを羽織っている。背格好や弾んだ声の調子から、三番艦の雷かと一瞬思った。だが、そんな訳が無い。尻尾だ。

太い尻尾が、パーカーの中から伸びていて、その先には獰猛な金属獣の頭が在る。明らかに、艦娘じゃない。深海棲艦だ。

うっそでしょ……。それも戦艦。レ級。死神とか呼ばれてるのだって聞いたことが在る。

 

 何でこんな怪物が此処に。それに、何で清霜を助けてくれているのか。

混乱する。色んな疑問が、頭に浮かぶ。だが冷静になる間もなく、新たな闖入者が現れた。

低いエンジン音。瓦礫を踏みしめる音。「 お ま た せ(乱入)」今度は何だ。

木曾を庇うように、猛スピードで走り込んで来たのは、大型のバイクだった。

やたら攻撃的と言うか、鋭利なフォルムである。駆っているのは、男。酷い格好だ。

Tシャツとブーメラン海パン姿に、フルフェイスヘルメットとスニーカーを身に付けて居る。

しかも、腰には太刀を。背中には長刀を、ホルスターのような革ベルトで吊っていた。

不審過ぎる。「何だお前(素)」左脚を失った木曾が、男を見上げながら素に戻っている。

清霜だって死掛けだったが、誰だよ? と心の底から思った。

だが、状況は動いている。空母棲姫は健在なのだ。

 

 まず動いたのはレ級だった。「どっこいしょ!(レ)」

無造作に、両手で受け止めていた空母棲姫の大剣を押し返す。

あの小柄な体に、一体どれだけの膂力を秘めているのか。空母棲姫が尻餅をついた。

その隙に、レ級は清霜に振り返り、ひょいっとお姫様だっこして来た。「うぅゃっ!?」

変な声が漏れてしまう。レ級の腕に抱かれて、正直、生きた心地がしなかった。

身体を強張らせる清霜の貌を見て、レ級は、シシシシシシ、と、子供っぽく笑った。

「君は強い艦娘だ!(レ) 好きになる!(レ)」そう言うが早いか、レ級は跳んだ。

凄いジャンプ力だった。きゃあ。空母棲姫を飛び越え、海パン男と、バイクも飛び越える。

そして、刀剣を杖にして、何とか立ち上がろうとしている木曾のすぐ近くに着地した。

 

 どうやらレ級は、清霜だけでなく、木曾まで守ろうとしている様だ。

勿論、ただ突っ立っている訳じゃ無い。何かを唱えている。人の言葉でない詠唱だ。

すぐにレ級の周囲に無数の術陣が浮かんだ。術陣は、瓦礫や鉄屑を光の粒子に変えて引き摺り込み、濁った青紫色の鬼火と共に、黒いフォルムの艦載機が溢れさせた。

無数の鴉が飛び立ったみたいだった。黒い艦載機達は、烈風や零達に加わり、猫艦戦どもを駆逐していく。清霜は、チラリと、レ級の腕の中からその表情を窺う。

その視線に気付いたレ級が、清霜の顔を覗き込んでから、木曾にも視線を向けた。身構えようとする木曾を見て、レ級はやっぱり子供みたいに笑う。

 

「あとで病院に行くべ!(レ) 元気になりやす!(レ)」

 

「おっ、そうだな(便乗)。

 傷が広がるから、じっとしとけよしとけよ~(優しさ)」

 

 海パン男はバイクから降り、一息で腰の太刀と背中の長刀を抜いていた。

刀身の潤色に刻まれた銘が見えた。長刀には、“邪剣『夜』”。太刀には、“聖剣『月』”の銘。

男は二刀流になり、二振りの刀の切っ先を、両腕と共にすっと下げた。空気が変わった。

 

 空母棲姫はもう立ち上がっている。右手に握った滑走路大剣を担ぐ様にして持っている。

ぐっと腰を落とす姿勢で、左手に握った大剣は、地面に置くようにして構えていた。

あれは、飛び出す為の溜めを作っているのか。空気が、ビリビリと震えている。

空母棲姫にしても、艦載機の機能不全に加え、召喚出来る数まで衰微している状態で出来る、アレが最後の抵抗手段なのだ。

鬼気迫らない訳が無い。文字通り、彼女は全存在を掛けて、人類と対峙している。今のままでは、言葉など届く筈も無い。

 

 海パン男も、静かに重心を落とす。清霜も木曾も、黙る。固唾を飲む。

眼を逸らせない。空母棲姫が、地面を蹴った。さっきよりも疾い。「AAAAAAHHH……!!」

一息で距離を詰めた空母棲姫は、両腕で矢継ぎ早に斬撃を繰り出す。振るう。突く。凪ぐ。払う。

それらが、どういう訳か当たらない。海パン男に届かない。海パン男は、まるですり抜ける様にして、荒れ狂う斬撃の暴風をかわしている。

素早く動いているようには見えない。円を描く様に、ゆったりとした体捌きで、空母棲姫の間合いを外したり、タイミングを潰したりしている。

「(太刀筋が)見える見える、遅いぜ(心眼)」 海パン男は言いながら、何度か刀を振るった。そう見えた。いや、見えなかった。

気付けば、空母棲姫の握る両手の大剣が、中ほどから断ち割われ、瓦礫の上に落ちた。重い音を立てる。あれを斬ったのか。信じられない。

空母棲姫は、驚愕した様子で、己の剣を見詰める。それが致命的な隙だった。海パン男は、両手の刀を逆刃に持ち替えて、音も無くすっと踏み込んだ。

逝真鐘音。ヘルメットから、低く呟くような声が聞こえた。海パン男の両腕が、一瞬、消えた。次の瞬間には、何十ものくぐもった打撃音が重なって聞こえた。

何が起こったのか分からなかったが、とにかく、あの海パン男が両手で握った刀で何らかの攻撃を加えたのは間違い無い。

あれは、峰打ちの連打か何かだったのか。勝負はもう付いていた。空母棲姫が、その場に崩れ落ちる。あっという間に決着が付いた。というか、あの海パン男は何者なのか。

 

 

 海パン男は、二振りの刀を鞘に納めてから、倒れ伏した空母棲姫に掌を翳した。それからヘルメットを外し、文言を唱える。

葵色の光が、空母棲姫の腕や脚を覆う、艤装を変形させた甲冑を解いていく。光の粒子となって、霧散はじめる。間違い無い。あれは解体施術だ。

ふざけきった格好だが、空母棲姫を対象に取るような高等な術式も扱えるのか。海パン男は“提督”という事である。

そう言えば、今日は他所の鎮守府から、ある意味で悪名高い“元帥”が二人、此処を訪れるという話を聞いていたのを思い出す。

 

「お、大丈夫か大丈夫か?(心配顔)」

 

「あぁ、何とかな。見ての通りだ」

レ級の腕の中に居るままの清霜は、取り合えず何か言おうとした。

だが、先に口を開いたのは、レ級と海パン男を見比べた木曾だった。

刀剣を杖のようにして身を起こし、立ち上がった木曾は、唇の端を歪めて見せる。

 

「深海棲艦が何故、俺達の味方として此処に居るのか聞きたいところだが……。

 まぁ良い。とにかく、危ないところを助けられたな。感謝する」

 

 普段から武人然としている木曾は、左脚が半分無いのに、刀剣を杖に立ち、律儀に深々と礼をして見せた。

艦娘としての肉体は頑強だ。木曾の脚からの出血は、もう止まっている。修復施術を受ければ、再構築、再活性される。

だからと言って、痛いのが平気という訳でも無い。清霜も、体中かギシギシ言っていて変な声が出そうだ。それを我慢して、「あ、あの……!」と、おずおずと言う。

清霜は、レ級と海パン男の顔を交互に見て、「本当に、あの……、ありがとうございます」

「おぅよ!(レ)」レ級は腕の中の清霜を見て、また、「シシシシシ」と笑った。

 

海パンの男も、安堵したように軽く笑って見せた。その表情からは、噂ほど無茶苦茶な人物には見えない。

野獣。彼は、確かそんな風に言われていた筈だ。

 

「さてそれじゃ、他の奴等と合流しなきゃ(使命感)」

 

「ぬっふ♪ OK!(レ)」

 

 抱いた清霜を地面に降ろすときのレ級の手付きが繊細で優しくて、驚く。

慣れない。それは清霜だけで無く、木曾も同じ様子だった。やはりレ級を凝視している。

その視線に気付いたレ級は、子供っぽい笑顔を深めて、トテテテテっと木曾の傍に近付いた。

いきなりのことに、「むっ……!?」っと、流石の木曾も、僅かに身構えている。

楽しそうな笑顔を悪戯っぽく弾ませたレ級は、木曾を見上げながら顔を傾けた。

 

「Do you like watching me?(レ)」

 

「な、何だ? 何か、俺に……」

レ級の言葉を上手く聞き取れなかった木曾が、反応に困っている。

だが、そんな事はレ級には関係なかったのだろう。レ級は「It’s OK(レ)」と笑った。

次の瞬間には、大胆にもガバァッと木曾に抱き付いた。

いや、脚を怪我している木曾をだっこしてあげているつもりなのだろう。

実際、木曾は抱き上げられている。

 

「(>ω<)ぎゅううううううううううううううううううううう!!(レ)」

 

「ぅおあっ!!? お、おい! は、離れろ! 変なところを触るな!」

 

「(>ω<)離さんぴょん!!(レ) 

あーもーー! おっぱい!! わーお!!(レ)」

 

「馬鹿、おいっ! やめ、やめ……!」

 

 いつもは凛々しい木曾の顔が、僅かに紅潮しているのを見て、清霜は笑ってしまった。

そうこうしている内に、瓦礫の向こうから、ジープのエンジン音が聞こえて来た。

木曾と清霜を呼ぶ声も聞こえる。どうやら、提督達が来てくれたらしい。

 

海パン男、いや、野獣の携帯端末が電子音を鳴らしたのも、同じタイミングだった。

野獣は、倒れた空母棲姫の手脚に拘束陣を展開しつつ、携帯端末で通話を始める。

 

「俺たちはヘーキヘーキ、安心しろって、もー。取り合えず片付いたゾ。

今から此処の提督と合流するから、お前らも上陸してきて、どうぞ」

 

短い遣り取りを終えた野獣は、海の方を一瞥してから、清霜に向き直った。

「ねー、今日キツかったねー(半笑い)」

笑えない冗談に、苦笑するみたいな言い方だった。まったくだと思い、清霜も苦笑を浮かべた。

鎮守府は無茶苦茶だし、体中痛いし、もう笑うしか無いって感じだった。

 














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