少年提督と野獣提督   作:ココアライオン

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後日談 第3章

 野獣の執務室で、鈴谷は窓の外を眺めていた。緩い風の吹く外は良い天気で、今は昼飯時。

非番であった鈴谷は、野獣のところを訪れていた。一緒に昼食をとろうと思ったからだ。

ちなみに、今の野獣の執務室は更に拡充・増設されており、えらく高級なカウンターバーのスペースまで完備されている。しかし、野獣自身の娯楽の為だけでは無い。

営業時間などを設けない此処は、普段は店を開いている鳳翔や、食堂を預かってくれている間宮など、出撃以外でも鎮守府に貢献してくれている艦娘達を労う意図が強い。

まぁ、当然と言うか。呑兵衛の艦娘達からも好評で、鳳翔の店で飲んだ後に此処に梯子してくる者達も少なく無い。新しい艦娘達の憩いの場でも在る。

以前に拵えた耳掻きサロンだって更に高級度を増し、絶賛稼働中だ。確か今日の夜も、何人かの艦娘達が抽選の結果、施術の対象に選ばれていた筈だ。

最早、執務室という機能はオマケと化しつつある。実際、職場という雰囲気が全然無い。そのせいか凄くリラックス出来るし、ボーっとしてしまう。

鈴谷がカウンターの一席に腰掛けて頬杖をつき、窓の外を眺めていると、バーのキッチンの方から凄く良い匂いがしてきた。

一緒に昼食をとろうと誘いに来た鈴谷に、野獣がラーメンを作ってくれるという流れになったのだ。キッチンでは、今日の秘書艦の時雨が手伝いをしている。

鈴谷も手伝おうと思ったのだが、「二人居たら十分だから、ゆっくりしててくれよなー(優しさ)」と、野獣に言われたのだ。

もうじき赤城も来る予定らしいし、無理に食い下がっても邪魔になるだろうから、大人しく待っている事にした。ただ、じっとしていると色々と考えてしまう。

 

 

此処最近で、人類側の優位が意味を変えつつある。

艦船の持つ造形。そこに宿る栄誉と矜持から、艦娘達は現世に招き入れられる。

沈んだ鋼鉄の骸。そこに宿る敵意と瞋恚から、深海棲艦達は現世に成り零される。

これは、戦艦水鬼への精神や記憶への干渉により、彼が解き明かしたルールの一つだ。

未だ輪郭すら掴めない、“海”が覆い隠した真理とでもいうべき何かの断片である。

今まで、深海棲艦の正体については謎のままだったが、それを解き明かす重要な鍵だ。

ただ、艦娘達によって平穏を取り戻しつつある人間社会に、大きな波紋を呼びかねない事実だった。

 

それはつまり、どの艦娘達にも、深海棲艦化の種が埋まっているという事だ。

 

『艦娘達が沈めば、その精神や肉体は再構築されて、深海棲艦になる。』

『怨嗟の渦巻く海の底で、艦娘としての誇りや矜持を、殺意や怨恨に塗り替えられる。』

『人格や自我、意思や記憶、絆も、全て奪われて、心を憎悪で塗り潰される。』

『轟沈した艦娘達は、再び強靭な肉体を与えられ、植え付けられた激情に衝き動かされる。』

『深海棲艦の、特に人型であり巨大な力を持つ上位個体達は、艦娘達の集合体である可能性が高い』。

『人類を守る筈の艦娘達は、“海”の底で、人類の脅威となって帰って来る。』

 

彼や野獣が、こうした内容を本営に報告したものの、本営はまだ動きを見せていない。

恐らくは、社会に不要な混乱を招くことを避ける為だろう。本営も、今回は慎重だ。

言い方を変えれば、動揺しているとも取れる。表にこそ出さないが、本営は今になって及び腰になっている。

撃滅を目指す人類の敵が、味方の内から発生しかねない可能性は、以前から指摘されては居た。

ただ、以前まではあくまで仮説であり、可能性の話でしかなかった。そんな訳は無いと、眼を背けることが出来た。

しかし、彼が戦艦水鬼への巨大な精査術を成功させた事により、それが出来なくなった。深海棲艦との戦いの意味も変わりつつ在る。

 

海に沈んで、有機の肉体が無機の資材に還った艦娘達が、再び深海棲艦と成る。

その深海棲艦達と戦う為に、また艦娘が召喚され、轟沈させて、轟沈されて来た。

沈んだ艦娘はまた深海棲艦となり、人類は更に艦娘を召喚し、これを駆逐しようとする。

戦力を拡充させた人類が優位に立っていても、これでは最早、不毛な独り相撲である。

いや、どれだけ優位に立とうと無意味だ。人類が戦う意思を持つ限り、“海”の武器である深海棲艦達が尽きることは無い。

際限無く進化を続ける深海棲艦達は、何れ艦娘達を凌駕していくだろうし、そうなれば、再び人類に黄昏を齎す事になる。

矮小な優位の先に在る、約束された悲劇だ。“海”を征服しようとする人類は、その我執に喰われつつある。今回の彼や野獣の報告で、それが明らかになった。

彼は、その実態を薄々感じていたに違い無い。だからこそ、深海棲艦達と戦いながらも、今の人類優位の間に、停戦の必要性を訴えようとしている。

そして本営にも、彼や野獣の言葉に耳を傾け、深海棲艦の撃滅以外の道を探ろうとする動きが出て来た。その第一歩が、深海棲艦を編成に入れた『特使艦隊』の準備計画である。

彼が保有する“姫”や“鬼”を再活性し、その巨大な力を持って、敵対する深海棲艦達の駆逐・撃滅では無く、攻撃の意思を折って沈静化を図ろうと言うのだ。

艦娘達だけで無く、人類が深海棲艦側の戦力をも持っている事を示威し、力による『受容』を実現しようと言うのが狙いらしい。

 

まぁ、狂気の沙汰だろうとは思う。そもそも、深海棲艦達を艦隊として機能させようと思えば、艦娘達と同じように運用出来なければ話にならない。

“姫”や“鬼”、ヲ級やレ級に関しては、『提督』達の扱う精神施術が効かないのは既知の事実である。彼女達の強靭な精神力を、完全に掌握する事は出来ないままだ。

意思や人格が生きたままの深海棲艦を再活性し、人類の味方として運用するなど不可能だ。力を取り戻した彼女達が再び海へ出て、人類を裏切らないという保障は何処にも無い。

故に、交渉人としての深海棲艦を組み込んだ『特使艦隊』の編成は現実味が薄く、賛成とする者の数は本営でも超少数派だった。ただ、状況は変わった。

 

深海棲艦達の精神や思考をコントロール出来ずとも、解体施術による艤装召喚能力の剥奪と、強靭な身体機能の弱体化など、その肉体をコントロールする術を人類は知っていた。

より“兵器”としての性質を色濃く残す深海棲艦達へは、艦娘達では耐えられないような、強力な肉体干渉施術にも耐える事が出来る。その特性に、本営は眼を付けた。

意思や思考を潰したマインドコントロールが不可能ならば、此方に噛み付く事が出来ない様に、その身体に枷と制限を与えて運用してやれば良い。

 

短絡的ではあるが、現実的でもあるその本営の要求に、彼が用意していた回答は、リモートによる超遠隔の解体施術である

予め、出撃させる深海棲艦達に、解体の為の施術紋を刻んでおき、洋上で反抗の動きが在れば即解体するという寸法だ。

解体され、艤装召喚を解かれて弱化すれば、いかに強大な力を持つ“姫”や“鬼”でも、人間の女性程度の力しか残らない。

今までの大きな作戦でも、艦娘達は通信により常に鎮守府と情報を共有していた。それを利用して、艦隊に組み込んだ深海棲艦を、艦娘達と共に彼が監視する形である。

勿論、この方法に問題点が多いことも、穴が多いことも、彼は承知の上だ。だが重要なのは、彼の下に居る深海棲艦が、“人質”では無く、“使節”としての機能する事である。

そして艦娘達の出撃に、殺戮と撃滅を目的とした今までの様な“侵略戦争”では無く、海域の防衛を目的とした、“攻性外交”の意味を持たせる事である。

 

彼が目指すこういった変化は、青臭い理想論だ。

そんな上手く行く訳無いし、深海棲艦達との対立関係なんて変わりっこ無い。

無駄な努力を続ける楽観主義にも見えるし、淡い希望的観測に塗れているとも思う。

多分。彼だって、そんな事は自分で分かっている。理解していない筈が無い。

すぐに何かを変えることなんて出来ない。人と海の戦いは、ずっと続いて行くだろう。

艦娘だって。深海棲艦だって。これから、まだまだ沈むだろうし。

もしも。自分の仲間が沈められたら、深海棲艦を許せなくなるだろうし。

そんな艦娘達や提督達だって大勢居るだろうし。やり返してやろうってなるし。

同じようなノリで、深海棲艦側にだって、人間や艦娘が憎い奴だって居るだろうし。

もうさ、無理だよね。こんな怨恨の連鎖の中で、仲直りなんて。できっこ無い。

理想は、どこまで行っても理想なんだよね。現実は、やっぱり現実なんだよ。

でも。本当に? 本当に無理なのかな。どうしようも無いのかな。それも、何だか嫌だな。

だってさ。もし。解決のしようが無くて。ずっと戦うしか無いのなら。誰も救われない。

人も。深海棲艦も。そして、いつか人間が敗れて。また多くの犠牲が出て。また追い詰められて。

そしたら今度は、艦娘の代わりに、また別の存在が人類の味方として現れるのかな。

虚しいな。だとしたら、本当に同じようなことを繰り返しているだけじゃないか。

 

もしかしたら。“海”は、こういう繰り返される様式や、歴史の神なのかもしれない。

念々と姿を変える波は、それでも引いては返し。重く冷たい潮流は、満ちては干いていく。

諸行無常、千変万化する世界の中でも、“海”はその遥かな深みに、途方も無い輪廻を沈黙と共に湛えたままだ。

いつまでも戦う人や艦娘や深海棲艦を嘲笑うでも無く、洋上で死んだ者達の怨嗟を持ち去り、その海の深みで刃に変えるのみ。

“海”は、戦いを廻らせる。穏やかで、決して止まらない。一体、誰が何を言えるだろう。

 

 

 

「……大丈夫かい? 食欲が無いなら、野獣に声を掛けて来るけど」

ぼんやりとしていると、隣から声を掛けられた。心配そうな貌をした時雨だ。

手には、お冷と湯気を上げるラーメンが二つ乗った盆を持っている。片方は鈴谷、もう片方は時雨の分だ。

メンマにカマボコ、モヤシにネギ、それからチャーシューが乗っている。良い匂いだった。

不覚にもお腹が鳴った。それを誤魔化すみたいに、鈴谷は時雨に笑って見せた。

 

「お腹空いて、ボーっとしちゃっただけだから。すっごい美味しそうじゃん!」

ラーメンを両手で受け取りカウンターに置いて、時雨から割り箸を受け取って手を合わせた。

 

「野獣提督! 先に食べさせて貰うねー!」

 鈴谷は座ったまま、ちょっと離れたキッチンの方へと向き直り、声を掛ける。

 

「おう美味そうに喰えよSZY~(お母ちゃん先輩)」

奥の方でラーメンを作ってくれている野獣が、笑いながら応えてくれた。

 

「隣、良いかな?」

 

「うん、どうぞどうぞ!」と。鈴谷が時雨に言った直後だった。

キッチンの方からくぐもった爆発音と、騒がしい大声が聞こえて来た。

 

 

 

おおぉっ!? ちゃんとやれ須藤さん!?(レ)

 

不知火です(半ギレ)。 沈め……! 沈めっ……!!(必死の消火)

 

鼻くそムービー!?(レ)

 

だーーっ! うるせぇ! つーか、火ぃ弱めろよテメェも! 燃えてる! 燃えてる!!

 

(‘‐^b)ハッ、Year~♪(レ)

 

『Year~♪』じゃねぇよ! あ~、もう無茶苦茶じゃねぇか……!

 

不知火に何か落ち度でも?(キレ気味の威圧)

 

すいましぇ~~ん!  許してや天龍!(レ)

 

 

ヌッ!!(驚愕)

ヌッ!?(心停止) 

ヌッ!!(成仏)

ヌッ!!(蘇生)

ヲッ!!?(現状確認)

ア゜~~~!!(やってられねぇという貌)

冷凍餃子の調理でコンロ周りが煤塗れなのはおかしいダルルォ!?(正論)

ポップコーンみたいになってんじゃねぇか餃子ィ!! もう許せるぞオイ!!(憤怒)

 

 

座ろうとしていた時雨も肩をビクッと跳ねさせて、キッチンの方を凝視している。

それから鈴谷の方へと振り返った時雨の笑顔は、ぎこちなく引き攣っていた。無理も無い。

取り合えず片付けの手伝いに行こうと、鈴谷と時雨が腰を浮かし掛けたが、すぐにまた野獣の声がキッチンの方から聞こえて来た。

 

「あ、そうだ(未来予知)!

 SZYとSGRは、こっちの事は気にせずゆっくり喰っててくれよなー!

 片付けはこのポンコツトリオにさせとくから、ヘーキヘーキ!(優しさ)」

 

どうやら、気を遣ってくれているのだろうか。珍しいことも在るものだ。

鈴谷は時雨と顔を見合わせる。しかし、すぐに時雨が可笑しそうに小さく笑みを零した。

「野獣もああ言ってるし、僕達は先に食べちゃおうか。のびちゃったら勿体無いし」

カウンター席に座り直した時雨も、行儀良く手を合わせてから、割り箸を割った。

「片付けろ! 片付けろって言ってんだYO! YO!!」と、キッチンの方から聞こえて来る。

落ち着かないなぁ……、などと思うものの、せっかく野獣が作ってくれたラーメンが伸びてしまっては勿体無い。

時雨と肩を並べて、鈴谷はラーメンを食べることにした。「いただきまーす!」 まずスープを一口啜る。「……!」 美味しい。

続いて、麺を一啜り。「……!!」感動するくらい美味しかった。もうちょっと落ち着いて食べれたら、もう本当に言うこと無かったんだけどな……。

 

鈴谷は何だか残念な気分で、キッチンの方をチラリと見遣る。

 

其処には、艦娘では無い少女が一人居た。

滅茶苦茶綺麗なのに、何処かくすんだ白い髪。青白い肌。紫水晶の様な瞳。

人間の脚に、蹄の様な足先。黒いパーカーに、黒地に白のチェック柄のマフラー。

小柄で、愛嬌のある可憐な貌。その癖、纏っている存在感が、あからさまに半端じゃない。

戦艦レ級だ。黒焦げになったコンロを、天龍や不知火と一緒に、スチール束子で一生懸命擦っている。

こんなシュールな光景を目の当たりにする日が来るなんて、思ってもみなかった。

 

 

 

先日から彼は、研究施設の捕虜房に隔離していた深海棲艦達を秘書艦見習いとして、交代で鎮守府に置くようになった。

『特使艦隊』編成の為の準備として、本営からの通達が在ったのだ。配下の深海棲艦達に、艦娘と同じだけの常識を身に付ける事が目的らしい。

その話を聞いた時は、艦娘達も動揺したし、暫くは鎮守府の空気も張り詰めていたものだ。ピリピリギスギスした日が続く事になるのかなぁ~、嫌だなぁ~、なんて思っていた。

 

だが、実際に深海棲艦達を鎮守府内の業務に組み込んでも、特に大きな問題は起きなかった。悪意や害意の代わりに、彼の下で礼節や道徳という概念を得たからだろう。

彼女達は、贅沢や暴力、殺戮に喜びを見出す素振りも全く見せない。艦娘達からの警戒の視線のもとで、彼女達は一部を除いて、今も粛々と過ごしている。

その一部も、現在、キッチンで大はしゃぎしているレ級や、この場に居ない北方棲姫の事を差すのだが、別に暴れ出すとか、他の艦娘を襲うとか、そういう事をする訳では無い。

あの二体の場合は能天気というか、怖いもの知らず故のフレンドリーさが作用して、割と人気者だったりする。

最初は恐れられたレ級の方も、今では天龍、不知火と共に、この鎮守府の名物になりつつある。

 

鎮守府が強襲された際、最もレ級に手酷くやられた天龍と不知火、そして野獣が、今の様に率先してレ級とつるむようになったのも、彼女達なりの理由が在るのだろう。

例えば、少年提督が目指す理想の為の、純粋な実践だったのかもしれない。また、彼の庇護下にある深海棲艦には、共存の意思が在ることを周囲にアピールする為かもしれない。

長門や陸奥、山城や大鳳もレ級の攻撃を受けたそうだが、とくに遺恨を残しているようには見えなかった。レ級に野獣を襲われた時雨も、恨んでいるという訳では無い様子だ。

他にも、彼からの信頼も篤い大和や武蔵は、彼の右腕と右眼を奪った南方棲鬼を丁重に扱うことで、他の艦娘達の敵意が、彼女に向き難いようにしている。

大和や武蔵、天龍や不知火、時雨も、最初は心穏やかでは無かった筈だ。鈴谷だって、まぁ、正直微妙な気分だった。深海棲艦を迎えることに抵抗が無かったと言えば嘘になる。

 

だが、彼や野獣が嫌な素振り一つ見せなかった。あの二人の価値観の大きさには面食らう。深海棲艦との殺し合いも、彼らが目指す未来のほんの一部にしか過ぎないのだろう。

野獣達の態度をそう解釈・消化し、二人を信じて深海棲艦に歩み寄ってみようと思った艦娘は、きっと鈴谷だけじゃなかった筈だ。

その御蔭もあって、この鎮守府特有の緩い空気と言うか、居心地の良い雰囲気が大きく崩れたりする事は無かった。拍子抜けするくらい、割と今まで通りである。

鈴谷は、この鎮守府の事が好きだった。だから、ホッとしているのが正直なところだ。キッチンから聞こえてくる怒声を背中で聞きながら、ラーメンを啜る。美味しい。

隣を見ると、時雨も美味しそうにラーメンを食べている。「ねぇ」と、意味も無くキョロキョロしてから、鈴谷は声を掛けてみた。

 

「野獣提督ってさ、最初の頃はどんな感じだったの? 

 いろいろと妙な噂は聞いたりするけど、……何かしっくり来ないんだよね。

 信じられないって言うかさ。野獣だってさ、悪いひとじゃ無いじゃん?」

 

野獣についての不名誉な噂は、艦娘達の間では割と知られている。

声を掛けられた時雨は、誰も居ないのに先程の鈴谷と同じように周りを見回した。

それから、「……うん」と短く答えてから、何処か嬉しそうな苦笑を浮かばべて見せた。

 

「野獣に対する噂は、やっかみや嫉妬から来る流言飛語に過ぎないよ。

 出る杭は何とやら、っていう事なんだろうけどね。僕が初めて会った時から、野獣は野獣だったし……。

その……、男性に乱暴を働くような人じゃなかったよ」

 

「やっぱり、ああいう噂って出鱈目だったんだ。

でも、好き放題言われっぱなしていうのも、何だか野獣らしく無くない?」

 

「そうかもしれないね。 でも僕は、在る意味で野獣らしいと思うな。

 “言いたい奴には言わせておけ”を、地で行っているところが在るからね」

 

「あー……。言われてみれば確かにそうかも」

そう言って鈴谷も、ちょっとだけ笑った。野獣は、誰に何を言われても自分を曲げない。

それでいて、自分の間違いを認める謙虚さや冷静さ、自身を取り巻く状況を把握する視野の広さを持っていると思う。

どれだけ悪評を吹聴されようと、野獣にとってはどうでも良いのだ。野獣の行動が、野獣のものである事に変わりは無い。

批判は他人のもの。行動は俺のもの。たしか、勝海舟の言葉だったろうか。

 

「変な噂が流れても、それを信じるかどうかは人それぞれだし……。

鈴谷みたいに、噂に惑わされない人がちゃんと居る事を、野獣は知ってるんだと思うな」

 

「そりゃあ、噂だけで人となり判断してたら、誰も信じられなくなっちゃうしね~」

 

鈴谷は軽く笑いながら、そっと眼を逸らした。

優しげな貌で野獣の事を話す時雨の蒼い眼は、いつもよりキラキラしている様に見えた。

雰囲気も大人っぽく見えるし、何だか色っぽくも見える。駆逐艦じゃないみたいだ。

伊達に初期艦をやってないなと思う。やっぱり野獣の事を良くしっているし、良く見ている。

ちょっとだけ胸の奥がチクリとしたが、ラーメンを啜って誤魔化した。

 

「鈴谷のそういう冷静なところは、凄く頼りになるって野獣も言っていたよ」

 

「えっ」

時雨の言葉に、鈴谷はラーメンを口に運ぼうとする姿勢のまま固まってしまった。

だが、すぐに苦笑いを浮かべて、鈴谷は時雨にひらひらと手を振って見せた。

 

「ぅ、……。ぅ、うっそだぁ。

確かに鈴谷の錬度はソコソコかもだけど、頭の良い艦娘なんて他にも一杯居るじゃん」

 

「野獣は、何も『鈴谷』の能力だけを見ている訳じゃないさ。

何でも一生懸命で、自分の事を良く見てくれている鈴谷自身を信頼しているんだよ」

 

微笑む時雨の言葉は余りに真っ直ぐで、茶化したりなんて出来なかった。

確かに鈴谷は、野獣に纏わる暗い噂では無く、自分が見て、知っている野獣を信じている。

野獣も、そんな鈴谷の事を、信頼し、重宝してくれていると、時雨は言う。

“頼りになる”と、評してくれていると言う。その言葉が、自分でも戸惑う位、凄く胸に響いた。

「あ、そっかぁ……(赤面)」と、短く言葉を返して、鈴谷はラーメンに視線を落とした。

 

顔が。顔が緩んでくる。駄目だ。戻んない。両手でほっぺたを抑え、深呼吸する。

あれ、何だろう? 気持ちと言うか、心がウキウキぴょんぴょんしてきて、ヤバイ。

確かに鈴谷は、褒められて延びるタイプだと野獣に言った覚えが在るし、実際そうだと思う。

ただ、こんなに自分はチョロかっただろうか。変な汗が出てきてモジモジしてしまう。やだもー。恥ずかしい。

少年提督の耳掻きの抽選に選ばれ、「とおおぉぉぉ↑おぉおうう↑!!!」と雄叫びを上げ、左拳で天を突いていた熊野を、チョロいなぁなんて笑えない。

でもやっぱり、心の奥の方で、またチクリとした痛みが在った。鈴谷だって、時雨を強く信頼している野獣を知っている。

野獣と時雨の間には、仲間というだけでは無い、強い絆を感じていた。その度に、しょうがないよねー……、と。自分に言い聞かせてきた。

「でもさ。やっぱり、野獣が一番頼りにしてるのは、時雨だと思うな」今更、別に凹むようなことでも無いし。鈴谷は顔を上げて、悪戯っぽく笑い返した。

 

 

「前に熊野と一緒に、野獣の執務室に遊びに行った時だったかな。

野獣ってば、二日酔いで仕事どころじゃなくてさ。呆れた長門さんや陸奥さんは何処かに行っちゃてるし。

そんなんで良く元帥まで行ったよねって、冗談めかして笑いながら執務の手伝いする事になったんだよね。

その時に、野獣が言ってたよ。『今の俺が在るのは、支えてくれたSGRの御蔭だってはっきり分かんだね』って」

 

ちょっとしんみりした声で、鈴谷はそこまで話して時雨に視線を戻した。

鈴谷を見詰める時雨は、思わぬカウンターを喰らった様な、驚きの貌で瞬きをしている。

初めて見る表情だった。鈴谷だってちょっと驚いてしまう。あ、あれ、何その反応?

時雨は、「そ、そうなんだ……」とぽしょぽしょと呟いて、頬を両手で抑えて俯いた。

先程の鈴谷と同じような状態だ。頬が緩んで来るのを、必死で堪えているのが分かった。

献身的な時雨は、見返りや評価を求めることが殆ど無い。だから、褒められ慣れていないのだ。

きっと今は、時雨の心もウキウキぴょんぴょんしているんだろう。

端から見る恥ずかしそうな時雨が可愛いくて、こっちまでぴょんぴょんしそうだ(錯乱)。

おかげで、妙な空気になってしまった。会話が途切れてしまう。……これ私の所為なのかな?

テンパった鈴谷はラーメンを啜って、スープまでゴクゴクと飲み干した。

それに時雨も続いたあたり、時雨の方も、らしくも無く動揺しているのかもしれない。

気まずくこそ無いものの、何だかムズムズする沈黙の中。

ラーメンを食べ終わり間が持たなくなり、さてどう話を切り出そうかと思っていた時だ。

 

 

「あら、いい匂いがしていますね」

バーのフロアに、柔らかな、それでいて芯の強さを窺わせる、澄んだ声が響いた。

赤城だ。胸当てこそしていないが、赤と白を基調にした、いつもの弓術装束を纏っている。

カウンター席から一度立って、鈴谷と時雨は挨拶をしようとしたが、手で制された。

 

「今はお昼休憩ですし、そんな他人行儀は良いですよ。……野獣提督は、居られますか?」

 

「野獣ならキッチンに居るぜ。つーか何だよお前ら……喰うの早いな……(満身創痍)」

優しげな笑顔を浮かべた赤城に答えたのは、丁度キッチンから顔を出した天龍だった。

何だか疲れた様な貌をしている。天龍は、「おーい野獣!」と、キッチンの中に呼びかける。

「おぉん!? AKGも来たのか? もう準備は出来てるから、ちょっと座ってろお前!」と、すぐに中から声が野獣の返事が聞こえた。

 

「……つー訳だ。すまねぇ。ちょっと待っててやってくれ」

そう言った天龍は一度キッチンに戻って、すぐに出て来た。

手には四人分のラーメンを乗せた盆と、さっきまで調理していたんだろう餃子が山盛り詰まれた大皿。

黒焦げの餃子はチリチリに焼けて、黒いポップコーンみたいになっている。大惨事だ。

鈴谷は「げっ……」と小声を漏らし、時雨も「うわぁ……」と何とも言えない貌になっていた。

 

天龍に続いてキッチンから出て来たのは、不知火だ。

「……ハァァァ~(無言のまま溜息)」無表情ながら疲労困憊した様子だった。

先程の騒ぎを思い出してみると、どうやら不知火が何らかのミスをしたのだろう。

眼つきの鋭さで分かり辛いが、ちょっとしょんぼりしている様子だった。

 

「(^ω^)あっは☆ごちそう!!(レ)」

一方で、キッチンの方から鈴谷達へ駆け寄って来たレ級は、何がそんなに楽しいのか。

無邪気な笑顔を振り撒いて、おいしそうな匂いに眼を輝かせている。

 

「落ち着けよレ級。手ぇ洗って来たな。

まぁ、何だ。不知火もそう落ち込むなって。得手不得手は誰にだってあんだろ?」

 

三人は鈴谷の隣の席に並んで腰掛けた後、天龍がラーメンを二人に手渡した。

「Thanks!(レ)」 「有り難う御座います……」 礼を言う二人を交互に見た天龍は、困ったような苦笑を浮かべた。

 

「ぬわぁぁあぁあああん! お腹空いたもぉぉぉおぉん!!」

其処に、野獣もキッチンから出て来た。手には、大き過ぎる土鍋を持っている。

土鍋は山盛りの具と、山盛りの麺。合宿所で出されるような鍋煮込みラーメンだ。

 

「すみません野獣提督。私の分まで用意して頂いて」

それを笑顔で嬉しそうに受け取る赤城を見て、鈴谷は軽く戦慄する。

あぁ、やっぱりそれ一人用なんだ……。見れば、時雨も苦笑を浮かべている。

キッチンの片付けを終えたこの四人も、赤城と合流して今から昼食だ。

誰があのダークマター餃子を食べるのかという当面の問題も、呆気無く解決した。

「あ、これ美味しいですね」と、ひょいひょいと摘んでいく赤城の御蔭で、見る見る内にに餃子が減っていく。

どうも、コンロを煤塗れにしたらしいが、フライパンを使わずに直火焼きでもしたんだろうか。

あの餃子の黒焦げ状態をチラリと見て、鈴谷は恐くて聞くのを止めた。食べられるんなら、まぁ、結果オーライだよね(思考停止)。

 

 

四人が食べ終わるのもあっという間だった。

特に、赤城はお代わりまでしたのに、野獣達と食べ終わるのが同時だった。

見ていて胸ヤケしそうな食べっぷりだ。流石と言うべきか、何と言うか。

鈴谷と時雨は一緒にキッチンに立ち、使った食器を洗ってから、人数分の茶を淹れた。

 

 

 

 

 

「あぁ^~、うめぇな! 

 やっぱり……SZYとSGRの茶を……最高やな!」

 

昼過ぎのカウンターバーで、緑茶を飲んで一服している提督なんて、各地の鎮守府を見ても野獣だけだろう。

赤城は、さっきまでの食べっぷりが嘘の様な上品な仕種で、湯吞みを静かに傾けていた。凄いギャップだ。

天龍や不知火の二人も、ホッとした様なリラックスした様子で茶を啜ってくれている。

「これおいしぃ(レ)」と、湯吞みをふーふーしながら、レ級も嬉しそうに緑茶をちょびちょびと飲んでいた。

 

 

一息ついて、鈴谷もカウンター席に戻り茶を啜る。

窓から吹いてくる緩い風が心地よい。息を吸い込んで吐き出した。

やっぱり野獣達と過ごす、こういうのんびりして、まったりした時間が凄く好きだった。

ボーっとしたままの心地よい沈黙の中に、また緩い風が入って来た。欠伸が出そうだ。

昼ごはんを食べて身体もポカポカしているし、昼寝でもしたくなる。

 

「あ、そうだ(唐突)。

この前の身体検査の結果が上がって来てたんだよなぁ……。

 おいSZYぁ、それにTNRYU、お前ら最近、チラチラ体重増えたろぉ?(直球)」

 

眠気が飛んで、一気に顔が熱くなった。天龍が舌打ちするのが聞こえた。

せっかく幸せな気分になっている時に、なんて事を言うんだ。

 

「かなり挑戦的じゃなぁい!? その聞き方ぁ!?(憤怒)」

 鈴谷は声を裏返しながら言い返す。だが、野獣の方は割と真面目な様子だ。

 

「お前らの健康管理も、俺達の仕事だからね(沈着先輩)。

SZYとTNRYUの体重の振れ幅が、他の奴らより大きかったから気になったんだゾ」

 

言いながら湯吞みをカウンターに置いた野獣は、座ったまま携帯端末を取り出した。

そして、ポチポチと操作して、何かのファイルを開いているようだ。

 

「海で命張ってるんだから、コンディション崩しそうなら遠慮無く言えよ?(イケボ)」

その野獣の言葉に、奇妙な違和感を覚えた。だが、その正体に気付く事は出来なかった。

 

「いや、だから太って無いし! そ、そりゃ重くなったかもしれないけど……!

そんなお肉付いて無いもん! トレーニングだってしてるもん!」

 

「これは……、ダイエット(が必要)じゃな?(賢者の眼)」

 

「いや、鈴谷の話を聞けよ。らしくねぇ余計な心配なんざ要らねぇって。

 肉の身体なんだからよ。基準値超えて減ったり増えたりもするっつーの」

 

必死な鈴谷な叫びに、やれやれと続いた天龍は気怠そうに言葉を濁す。

 

「これは……、ダイエット(が必要)じゃな?(反復詠唱)」

 

「下らねぇ事二回も言ってんじゃねぇよ……」天龍が疲れた様に言った直後だった。

「そういうの知ってんし!(レ)」と、レ級が元気良く笑いながら挙手した。

 

全員がレ級を見た時には、レ級はカウンター席から立ち上がり、準備運動を始める。

この話の流れの中心に居た鈴谷は、凄く嫌な予感がした。

微笑ましいものを見るような、にこやかな貌で居るのは赤城だけだ。

天龍も不知火も、野獣や時雨も、急なレ級の行動に面食らう。

 

「スポーツ的にはハードワーク?(レ)」

言いながら、レ級は来ていた黒パーカーを脱いだ。

 

「ワイと一緒にやらないか♀? いいぞ♀!」

インナーの黒スポーツブラと黒ホットパンツ姿になったレ級は、鈴谷に手招きして見せた。

えぇ……(困惑)。何するの? っていうか、ほんと何すんの? 恐いんだけど……。

 

「知っている……、というのは、ダイエットの事ですか?」

聞くのを躊躇してしまう鈴谷の変わりに、赤城が聞いてくれた。

 

「おぅよ!(レ) 専門だぁけん!(レ)」 

 

何でそんな楽しそうなんだろう。

レ級は笑いながら、ぐっと腰を落として、構えを取って見せた。

バーフロアの真ん中で、深海棲艦が下着姿でファイティングポーズを取っている。

この現在の状況は、今までの戦史の中でも、トップ3に入るカオスっぷりだと思う。

 

「えっ、何、深海棲艦達のトレーナーか何かだったのお前(素)?」

 

「流石に違うと思うな……」

鈴谷の隣では、すっとぼけたことを言う野獣に、時雨が控えめに突っ込んでいた。

 

「あいつの言う専門って何だよ……(哲学)」 

天龍が難しい貌で呟き、隣の不知火を見る。

 

「恐らく、捕虜房に居た時に彼女が読んだ、スポーツ雑誌に拠る知識の事だと思いますよ。

 エクササイズを履き違えている様ですが……。構え的に相撲、いや、レスリングでしょうか」

不知火の方も糞真面目な貌のまま、顎に手を当てて思案しながら、レ級の動きを分析している。

 

「ヘイ、ワイを倒してみぃ!(レ) ♀スタイリッシュに決めろ♀(レ)」

その間にも、スポブラとホットパンツ姿のレ級は、やる気満々だ。

執拗に鈴谷を誘うだけでは無く、天龍や不知火にまで声を掛け始めた。

 

「おいレ級。取り合えず服着ろって。

喰ったばっかだろ? 鈴谷も困ってるし、取っ組み合うのもまた今度にしようぜ?」

 

鈴谷とレ級を見比べた天龍が、テンション上がりっぱなしのレ級にストップを掛ける。

さっきから黙ってニヤニヤしている野獣は、鈴谷が困ってるのを見て楽しんでいるのか。

くそぅ。なんて奴だ。時雨と赤城は、話に割って入っては来ない。成り行きを見守ってくれている状況だ。

ふと眼が合った時雨は、苦笑を浮かべて肩を竦めて見せた。まぁ確かに、なんかもう笑うしか無い状況だよね。これ……。

 

「あれか、天龍? 見せ掛けで超ビビってるな?(レ) ち●こちっちゃい(レ)」

 

駄目だ。鼻水を噴いてしまった。鈴谷は慌てて手で顔を隠した。

多分、心意気というか、勇気と言うか、そういうものを差しているんだと思う。

でも、よりによってそんな……。「あぁっ!?? ち、ちん……!? 生えてねぇよ!!!」 

天龍が叫んだ。「嘘をついちょる!(レ)」と、レ級が更に被せる。

野獣が笑う。赤城が噎せて、時雨が椅子からひっくり返りそうになっていた。

不知火は無言のまま天龍の股間を見て、次に天龍の顔を見てから、ふっと微笑んだ。

「不知火は、……大丈夫です(燃え立つ慈悲)」

 

「ちょっと待てコラ! 何だその反応!?」

 

「ほっそいTNTNねぇ~ww ちょろ~~んwww!(レ)」 レ級は更に煽る。

 

「あったま来た……」

 

天龍は上着を脱いでからカウンター席の椅子に置いて、コキコキと首を鳴らした。

とうとう、バーフロアで一戦交える流れになってしまい、鈴谷は戸惑いを隠せない。

と言うか、鈴谷をほったらかしでガンガン状況が進んでいって、ついていけない。

疎外感よりも、置いてけぼり感を強く感じる。ダイエットの話だったよね、コレ?

何で軽巡と戦艦が、酒場で取っ組み合う必要なんかあるの?(正論)。

 

「おい。覚悟しろよ、もうこうなったら従順になるまでやるからな(静かな闘志)」

 

「思い知らせてあげる!(レ) 行くぞオラァ!!(レ)」

不敵に笑うレ級は、体勢を低くして飛び出した。

 

それなりの広さが在るバーフロアの真ん中。

カウンター席から離れ、開けたフローリングの上で両者がぶつかる。

天龍もレ級も、大激闘に発展しそうな迫真の気合を纏っていたが、勝負は3秒程で付いた。

当たり前の事だが、レ級の肉体能力には枷が嵌っていて、見た目相応の力しか無い。

多分、レ級自身もその事を失念していたっぽい。

 

組み合った瞬間、天龍は目にも止まらない早業でレ級を持ち上げた。

そしてそのまま、スタイリッシュ♀にバックブリーカーをガッチリと決めたのだ。

一瞬で勝ち目が無くなり、レ級も『あ、ヤバイ(確信)』と思ったに違い無い。

「あわわわわ……あわわわわわわ……!!(レ)」 担がれた状態で、レ級はジタバタと暴れようとする。

だが、スポイルされたままで天龍の力に敵う筈も無い。

 

「ちょっ……、待ってッ!!(レ) アカンもう勘弁してぇ(レ)!!」

 

「あーー? 何ィ? 勘弁ってのはしたことねぇなぁ!!(ドチンピラ)」

レ級を持ち上げたまま、天龍はへっへっへと笑った。

 

「(>ω<;)あーうー!!

分かった分かった……っ! 負けや負けや負けや負けや負けや……!(レ)」

天龍の背中の上で、レ級は半泣きになって喚き出したが、もう遅い。

 

「天龍様の攻撃だぁ! オラオラァ!(ゆっさゆっさ)」

 

「ぉ、おまっ……! ふざけん……っ!!(レ) アッーーーーーー♀!!」

 

絶叫するレ級の元に、コソコソっと不知火が近付いた。

そして、くすぐり攻撃のアシストを始めた。レ級は悶絶しながら大爆笑する。

「アッハッハゲッホッホ……! さ、最悪やでカズヤぁ……!!(レ)」めっちゃ苦しそうだ。

 

「いえ、不知火です(楽しそうな半笑い)」

「天龍様の攻撃だぁ! オラオラァ!(×2復唱@迫真のカットイン)」

「んごぁあーーッ!!(´;д;`) ごめんっ……!! ごめんっ……!!!(レ)」

(本格的♀三馬鹿トリオ)

 

とうとうレ級が泣き出して、とっても省スペースで騒ぎが収拾されつつある。

彼が育んで来た天龍や不知火の人格は、己を傷つけたレ級を受け入れているのだ。

三人がじゃれ合うのを眺めながら、鈴谷は小さく笑顔を零した。

天龍達のように、人と艦娘、深海棲艦が皆、相互に理解し合える時が来るだろうか。

青臭い理想だと思う。実現なんて無理に思える。でも、もしかしたらとも思える。

その縷々とした希望を綴る為に、彼は己の強い意思に従い、巨大な力を引き連れている

いつか、この世界に大きな転機が訪れた時。彼が救世主になるか。それとも滅世主になるか。

どちらに転ぶかは、彼を隣で見守っている野獣次第なんじゃないかと本気で思う。

そんな野獣は低く喉を鳴らして笑い、天龍達を見ていた。

鈴谷の視線に気付き、野獣もこちらに視線だけ向けて来る。

 

「あそこにSZYも混ざって来て汗掻いてさ、

ダイエットはもう終わりで良いんじゃない?(適当)」

 

「だから! 太ったんじゃないって言ってるじゃん!」

 

「ちょっと失礼しますね、鈴谷さん」

 

デリカシーの欠片も無い野獣に、鈴谷が噛み付いている時だった。

全く気配を感じさせず、赤城がそっと距離を詰めて来ていた。「ぅひゃああぁ!!?」

カウンター席に座った鈴谷の後ろに立った赤城は、鈴谷の胸を両手でそっと持ち上げてきた。

それから、腕や脚やお腹や肩を、ぺたぺたと触られまくった。

赤城はすぐに手を放してくれたが、びっくりし過ぎてひっくり返りそうになる。

両手で胸を隠すようにして、慌てて振り返った。

 

「ちょっと赤城さん! 何するんですか!? もう!!」

 

「ごめんなさいね。……うふふ」 

悪戯っぽく小さく笑う赤城は、凛とした美人なのに可愛さも在って、何と言うかズルイ。

相手を強く出させないと言うか、あのふわふわした空気で包み込まれてしまう。

う~~……と恥ずかしげに呻る鈴谷に微笑んで見せてから、赤城は野獣に向き直る。

 

「鈴谷さんは筋力も落ちていませんし、お腹にお肉が付いた訳でもありません。

つまり太ったのでは無く、より女性らしい体つきになったのですよ」

 

「僕達も、野獣から“生きている身体”を与えて貰ったからね。

 筋力の増減や肥満化以外にも、体重の数値変動は起こりうるよ。

 まぁ……僕には、まだそういう変化は無いんだけれどね」

 

言い聞かせるように言う赤城の言葉に、ちょっと寂しそうに言う時雨も続いた。

それから時雨は、鈴谷や赤城、それから、未だバックリーカーをレ級にお見舞いしている天龍の一部を、順番に見ていく。

切なげに吐息を漏らした時雨の様子に、野獣もようやく何かに気付いた様だ。「あ! これかぁ!(鈴谷の胸を見ながら)」

 

「デリカシー無さ過ぎィ!! もう! 

時雨と赤城さんが遠まわしに言ってくれてるのに!!」

 

「じゃあ天龍も同じか……。

何だよ……、心配して損したゾ(溜息)」

 

「サイテー!!」

ぷりぷりと怒りながら鈴谷は言うが、野獣がこういう思い違いをするのは珍しい。

普段なら、体脂肪率やその他の数値、鈴谷の様子なども吟味して、その体調を判断する筈だ。

先程まで野獣が携帯端末で開いていたファイルが、検査結果に関係するものなら、そういった数値についても記載がある筈である。

にも関わらず、体重だけしか見ていなかった辺り、ちょっと変だ。鈴谷は、先程感じた違和感の正体に気付いた気がした。

 

「野獣……、ひょっとして疲れてる?」

心配そうな時雨に聞かれ、野獣は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

鈴谷と赤城も、カウンター席に腰掛けたままで、野獣の言葉を待とうとした。

だが、その必要も無かった。「いや、全然!(王者の風格)」と。

すぐに野獣が答えながら笑って見せたからだ。

 

「なら良いんだ。変な事を聞いたね。ごめん」

時雨も、それ以上は聞こうとしなかった。

どうせ聞いても、野獣は自分が疲れているなんて認めないだろう事を知っているからだ。

 

「でもお疲れになりましたら、私達にも遠慮無く仰って下さい。

 お手伝い出来ることなら、何でもさせて頂きますよ。……無理をなさらないで下さいね」

いつものように微笑んだままの赤城の声音には、深い優しさが在った。

 

「そうだよ(便乗)。

『身体に不調が在ったら、遠慮無く言え』って、さっき野獣が言ってたけど、

 これ、そのまんまブーメランなんだから。そこんトコよろしくね!」

 

鈴谷も悪戯っぽく言って、野獣の顔を覗きこんだ。

野獣が怯むように身を引いたのを見て、ちょっと愉快な気分だった。

普段、イジり倒されているから、こんな時くらいお返ししたって罰はあたらないだろう。

鈴谷と時雨、赤城の顔を、何とも言えない表情で見回した野獣は、カウンター席に腰掛けた姿勢のままで笑う。屈託の無い笑顔だった。

 

「あ、良いっすよ(快諾)。此方こそ、ひょろしくね!(SZY)」

時雨と赤城が顔を隠すように俯いて、軽く吹いた。

 

「ちょ……! それ止めてって言ってるじゃん!」

忘れもしない。艦娘としての鈴谷が顕現した際、初めて野獣に挨拶した時のことだった。

よろしくね! と言おうとしたら噛んでしまって、“ひょろしくね!”と言ってしまったのだ。

御蔭で鈴谷は顕現したその日に、半泣きになるまで“ひょろしくね”一本でイジリ倒されたのだ。苦い記憶である。

 

 

 

「よーし……、どうだよ!(完 全 勝 利)」

鈴谷が野獣に向き直ったと同時だったろうか。

腕を突き上げた天龍が、座り込む姿勢のレ級の前でガッツポーズを決めている。

天龍とレ級のタイマンが終わった様だ。無論、天龍の圧勝である。ちょっと大人気ない。

バーフロアの真ん中でバックブリーカーを掛けられていたレ級は、鼻を啜りながら涙を腕で拭っていた。

 

「(´;ω;`)もうやってられへん……っ!(レ)おつかれっした……っ!!(´;ω;`)」

 

「天龍さん、ちょっとやり過ぎですよ。泣いてるじゃないですか。

 抵抗する力の無い者をいたぶるなんて、流石に引きますね……(第三者気取り)」

 

ぐしぐしと涙を拭うレ級の頭を、よしよしと撫でているのは不知火だ。

自分だって面白がってくすぐり攻撃を仕掛けていたのに、非難するような眼で天龍を見ている。

あれ、ツッコミ待ちなのかな……? 天龍だって、眉間に皺を寄せている。

 

「ドSの癖に良く言うぜ」

 

「いえ、私はMです(毅然)」

 

「聞きたくなかったな、その情報……」

 

はぁ~~、と息を吐き出した天龍は、座り込んでいるレ級の後ろに回りこんだ。

それから立たせてやって、ひょいっと肩車した。「わーぉっ!?(レ)」

頭上で喚声を上げるレ級に、天龍はニッと笑って見せる。

 

「オラ、泣き止めよ。

 昼休憩はもうちょい在るから、間宮にアイスでも喰いに行こうぜ?」

 

その天龍の言葉に、潤んだレ級の瞳がキラキラと輝きを宿した。

「ふわふわアイス!? えぇぞ! えぇぞ!!(レ)」 

 

「あぁ、良いですね。私も丁度、何か甘いものを食べたいと思っていました」

不知火は天龍に頷いたあと、スカートポケットからハンカチを取り出して、レ級に渡した。

これで涙を拭けという事だろう。ハンカチを受け取ったレ級は、すぐにチーンと鼻をかんだ。

 

「お、何だよお前ら、MMYのトコに行くのかぁ?

 俺達も仲間に入れてくれよな~、頼むよ~(財布の中身確認先輩)」

 

天龍達の会話を聞いていた野獣も、おもむろに席から立ちあがった。

 

「えっ、何? 野獣提督が奢ってくれんの?」

鈴谷が笑いながら冗談めかして言ってみると、野獣は鈴谷や時雨、赤城を見回しながら、「しょうがねぇな~(悟空)」と頷いてくれた。

やったね。今度お返しに、何か元気のでる美味しいもの作って、野獣にお返ししなきゃ。野獣の好きなものって何だろう。時雨か、赤城に聞いてみようか。

時雨や赤城は、知っているんだろうか。だとしたら、やっぱり二人には敵わないのかな。鈴谷の知らない野獣を知っている時雨や赤城が、羨ましい。

席を立って出口に向う野獣と、楽しげにその後に続く時雨と赤城の背中を、ちょっと切ない気持ちのまま見詰めながら、鈴谷は軽く息を吐きだした。

 







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