名探偵 毛利小五郎   作:和城山

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4. 転回

 午後八時四十八分。

 パーティ会場のステージ横で控えながら、中森は鋭い視線で周囲を見て、急く内心を必死に抑えていた。

 

(予告の九時まであと十何分だ。もうすぐだ、もうすぐ奴が現れる……)

 

 そして左腕の時計を確認する。

 あと、十一分。

 

 ドキドキと高鳴る鼓動に、ふと、まるでデートの待ち合わせみたいだな、と中森の意識がそれた。学生時代、現在の妻と公園で待ち合わせをした光景が脳裏をよぎった。

 あの頃は彼女もまだお淑やかだったのに、なんで今は――

 

(――って、いやいやいや、オレは何を考えてんだ)

 

 頭を振って邪念を追い払う。それをそばの警官が不思議そうな顔で眺めていた。

 

 ゴホンと咳でごまかし、再び時間を確認する。

 午後八時四十九分。

 予告の十分前を切るまで、あと三十秒……

 

 二十秒……

 

 十秒……

 

 そのときだった。

 

 突然、客集団のうちの一部が騒がしくなった。

 

「え、なんで!?」

 

 そんな声が聞こえる。

 中森など警察だけでなく、その周囲の客らもそこに注意を向けた。

 中年の女性が、携帯電話を片手になにやら騒いでいる。

 

「おい」

 

 中森はそばの警官に声をかける。警官は「ハッ」と返事をすると、急ぎ足で女性のもとへと歩んでいった。

 

 中森は周囲を見渡す。

 怪盗キッドの予告時間が近かったこともあり、くだんの女性の周囲だけでなく、会場全体が「なにかあったのか?」という漠然とした緊張感で包まれ始めていた。

 同時に見たところ、不審な動きをしている人影はない。

 

 と、そこで様子を見に行かせた警官が戻ってくる。

 彼はなにやら難しげな顔で呼びかけた。

 

「警部」

 

「おう」

 

 そちらに向き直り、中森はつづける。

 

「で、なんだったんだ?」

 

 若い警官は少し言いよどんでから、

 

「どうも、電波が通じない――ということのようです」

 

 数泊置き、中森がすっとんきょうな声を出す。

 

「はあっ!?」

 

 それにびくりと首を縮めながら、繰り返す警官。

 

「いえ、ですから電話やメールがまったく通じない……圏外になっていると……」

 

「おまえバカかッ そんなことあるわけないだろう!」

 

 中森は怒鳴ると、自分の携帯電話を取り出し、

 

「ほら、よく見て――」

 

 そこで、画面に圏外と表示されていることを確認した。

 

「はあっ!?」

 

 再びすっとんきょうな声。

 

「おい、なんだコレ。どうなってるんだ!?」

 

 中森はそう言って周囲の警官を見渡す。

 彼らも諸々に自身の電話を取り出し、「おい」「マジだ」「なんだこれ」などとささやきあう。

 中森は胸のトランシーバを取り外し、口にあてがった。

 

「聞こえるか?」

 

 発信ボタンを押しながらのその問いに、同じく胸から取り外し耳へと近づけていた警官らが首を振る。

 

「ダメです。ノイズがひどくて聞こえません」

 

 中森は吐き捨てた。

 

「通信妨害かッ……!!」

 

 それに警官の一人が呟く。「怪盗キッドもやるようになったなあ……」

 

「おい、のんきなことを――」

 

 中森がその警官に向かってそこまで怒鳴ったときだった。

 

 

 突然、会場のすべての照明が落ちる。

 

 

 会場のあちこちでどよめきが起きた。

 先ほどにも演出で照明が暗くなったが、今度は完全なる闇である。

 「なんだ!?」「なに!?」「なんなの!?」という老若男女の声が暗闇の会場に響き渡った。

 

 中森はちらりと携帯電話を確認する。

 液晶画面には、20:59の文字。

 

 そして、それが今――

 

 

 21:00に変わった。

 

 

 

 そして。

 

「レディーーーッス、エェーーーーンドッ、ジェントルメンッ!!!」

 

 拡声器で拡大された、そんな(中森にとって)憎たらしい声が会場中に響き渡った。

 

 会場の前方、中森らの真横――ステージ上が、突然のスポットライトで照らし出された。

 

 そこには、純白の衣装に身を包み、天使像の安置されたガラスケースのその上にたたずむ、怪盗キッドの姿があった。

 ケースの上で器用に立ったまま、そこで優雅に一礼してみせるキッド。

 

 それに、中森はたまらず叫んだ。

 

「キッドだっーーー!! 捕まえろっーーーー!!!」

 

 指さす中森の左右を駆けて、数多の警官がステージ上に集合する。

 

 それを、キッドはにやりと笑って眺めていた。

 

 

             ◆

 

 

 会場の照明が暗転し、そして次の瞬間にはステージ上に現れていた怪盗キッド。

 

「わあ、キッドっ」

 

 そんな明るい声を出す蘭の横で、コナンは鋭い視線で壇上のキッドを眺めていた。

 

(現れたな。しかし今回、逃げ場なんて全くないぜ? さあ、どうする……)

 

 そうこうする間に、キッドはすでに多勢の警官に包囲されている。こん棒を構える警官たちはキッドの乗るガラスケースを円形に囲み、じりじりと近づいていく。

 そしてそんな警官たちの後方には、ニヤニヤと口を緩める中森がいる。

 

「よく来たな、キッド。だが、貴様もこれでおしまいだ。大人しく逮捕されろッ!!」

 

 それに、キッドはことさら明るい声で答えた。

 

「お久しぶりです、中森警部。本来ならば、このまま共に再会を喜び合いたいところ……なのですが、残念ながら今宵の私には先約があります」

 

「せ、先約ゥ?」すっとんきょうな声で聞き返した中森に、キッドは声を張り上げた。

 

「ですので」

 

 と、ここで中森は何かに気づく。慌てて負けじと声を張り上げるが、遅い。

 

「しまったッ!! さっさと捕まえろッ!!」

 

 と、中森が叫ぶのと、

 

「今宵はこれにてお開きです。それでは御機嫌よう!!」

 

 キッドがそう言い放ち、白い煙幕を放ったのは同時だった。

 煙幕はたちまちにステージ上に広がり、さらには会場も巻き込んでいく。

 

「え、なにっ!?」

 

 白く染まった会場に蘭が困惑する横で、コナンはメガネのモードを切り替えた。煙幕を透かせないかと暗視モードを使用するが、案の定、見えはしない。

 そして数秒して煙幕が収まり始めたとき、コナンと、そして中森の懸念は的中した形で姿を現す。

 

 ステージ上には、キッドはおろか、天使像の姿もなかった。

 

 

 天使像は、ガラスケースごと持ち去られていた。

 

 

(そうきたかっ!)

 

 コナンが内で得心すると共に、中森はあせらずに叫ぶ。

 

「予定通りだッ! C班は入口の警護! A班、B班は身体調査を開始だッ!! いいか! まずは同僚! 次に客だ! くまなく調べろ! 全員をだ!!」

 

 周囲の警官たちが一斉に返事をし、各々の役割へと散開しようと動き出す。

 

 コナンは思う。出入口は封鎖されている。そのうえ、キッドはケースに入った天使像という大きな荷物を持っている。それを擬態させて会場に隠しておき、後日に回収、という手段も考えられるが、だとしてもなんらかの変装をしている以上、今夜、この場から逃げおおせることはそう易しくはないはずだ。

 

 ――事件が、キッド捕縛というエンディングに向けて早くも収束し始めている。

 

 余裕そうな中森に、冷静な警官たち。会場全体にそのような空気が流れ始めていることを、コナンはその鋭い感覚で敏感に感じ取っていた。

 

(結局今回は、オレやおっちゃんの出番もなさそうだな)

 

 

 そして、そのように気を緩めたときだった。

 

 

 

 ――会場に、一発の発砲音が響き渡る。

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 瞬間、すべての人間がその動きを止めた。

 

 つづいて、一発、二発。三発。

 

 計四発の銃声は、不自然なほど静まった会場に、異様に大きく響いていく。

 そして、どさり。と。

 

 誰かが一人、倒れ伏した。

 給仕の格好をした、若い男だった。

 白い制服に鮮血がにじんでいき、床へと血だまりが広がってゆく。

 男は悔しそうに、憎々しげにつぶやいた。

 

「く、……そ……まだ、パンドラを――」

 

 なにかを言いかけ、そのまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場中の皆がそちらを見ていた。

 動かなくなった男に注目が集まったまま、不気味な静寂が広がっていた。

 

 一秒か、二秒か。それとも十秒か。

 やがて静寂が一転し、そして、

 

 悲鳴。

 怒号。

 

 会場中がパニックになる。

 

 ある女性が泣き叫び、ある男が喚き散らす。出口前や周囲の警官に詰め寄り、封鎖を解けと叫ぶ。

 警官たちは皆緊迫した、あるいは混乱した、青ざめた表情で慌ただしく動き出す。

 

 中森が叫ぶ。

「どこだ!? 誰が撃った!?」

 

 撃たれた男に駆け寄っていた警官が叫ぶ。

「警部! キッドです! 射撃されたのは、キッドです!!」

 

 蘭もまた、混乱し、恐怖の混じった声を漏らした。

「え、あの、今、なにが……?」

 

 慌ただしく転回した周囲の状況に、コナンも、驚きの顔のまま硬直する。

(これはなんだ!? 撃たれたのは、キッドなのか!? なぜ!? いや、そもそも、どこから――)

 

 はたから見て呆然としているように見えたそんな蘭とコナンの腕を、誰かが力強く引っ張った。

 見ると、英理である。

 

「あなたたち、なにしてるの!? 早くこっちにいらっしゃい!!」

 

 鋭く叫び、そのまま会場隅の物陰まで引きずるように連れて行く。

 大きな装飾の影までくると、そこには栗山の姿もあった。

 

「ちょ、ちょっと、お母さん」

 

 蘭が戸惑ったように抗議すると、英理はぴしゃりと言い放つ。

 

「黙りなさい! 人が撃たれているのに、なんでいつまでも広いところに突っ立っているの!? もしあなたが撃たれたりしたらどうするの!?」

「い、いや、えっと……別に無差別だとも限らないんじゃ……」

 

 どもる蘭に、英理は悲しそうな顔で囁いた。

 

「それでも! 流れ弾だって、あるでしょう……?」

 

 母はとにかく心配でたまらないのだ、やっとそう察した蘭もまた、悲しそうな顔で呟く。

 

「ごめんなさい……」

 

 

 

 親子のやりとりをする彼女らの横で、コナンは鋭い目で会場中を見渡し、状況把握に努めていた。

 

(なんだこれは。いったい、なにが起こっているんだ)

 

 周囲はまさに映画でよくみるパニック状態だった。

 人々が口々に騒ぎ、わめき、怒鳴っている。もしや喧々諤々とはこの様子を指すための言葉なのではないのだろうか、などとも思う。

 

 人々の多くは封鎖されている出入口に詰め寄っており、――と、そこでコナンはそのそばに中森の姿を発見した。

 中森はもう一人の警官とともに撃たれた男――意識不明のキッドを担ぎ、周囲の警官らとなにやら騒いでいる。

 

 いったい、なにを騒いで……?

 

 耳を澄ませたコナンのもとに、その怒声はよく響いた。

 

 

「――扉が開かないだとォ!? そんな馬鹿なことがあるか!!」

 

 

 




2017/02/07 まえがき・あとがき編集

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