名探偵 毛利小五郎   作:和城山

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08.探偵

 

 

 

 

「それは本当ですか!?」

 

 若い刑事が、高城へと詰め寄った。

 

「は、はいっ」

 

 高城はうなずくと、轟木のほうを見て再度言う。

 

「ず、ずっと、言おうかどうか迷ってました……違うと……信じたかったんです。でも、轟木さん、待ってても……ずっと言わなくて……だから……」

 

 そこまで言って、彼女は顔を伏せた。

 対する轟木は、依然として静かにたたずむだけ。

 

 いや。

 

「……そうか」

 

 小さく、本当に小さくだけ、そう呟いて黙り込んだ。

 そしてその呟きを、偶然の産物だった。小五郎は聞き取ってしまう。

 

(……今のは)

 

 小五郎は振り向くが、目を伏せる轟木の心中をうかがうことは叶わない。

 しかし、先ほどの呟きに含まれていたものは、おぼろげにだが伝わった。

 

 字面だけを見れば、犯行現場を見られていたのか……という観念の言葉にも見えた。だが、違う。あれは――。

 同時、小五郎の脳裏に先ほどの彼の背中がよみがえって。

 

(――違う)

 

 その瞬間、小五郎の奥底の、心の深いところで誰かが叫んだ。

 

 

(――こいつは、犯人じゃない!)

 

 

 店に飛び込んだ時と同じだった。咄嗟に……ふと頭によぎった確信に近い、何か。

 刑事として、探偵として。長くあり続けた際に磨かれた、勘。予感。

 

 刑事時代に火災犯捜査第一係にいたころ、とある上司がよく言っていたことを思い出す。

 

『ドラマなんかでよくあるだろう。刑事の勘ってやつ。あれ、本当にあるんだぜ。

 そりゃあ、毎度毎度に都合よく出るわけでもねえけどよ。関係者なんかと話したり、目があったり、背中を見たり……とにかく、ふとしたときにな。たまにフッと頭の裏側に走るんだ。予感が。

 こいつは何か知ってる、だとか。こいつは犯人じゃねえ、だとか。間違いないこいつだ、とかさ。

 天啓染みて、これが本当に当たるんだ。だからな、毛利。そういうとき、もしも行き詰っていたならな。その感覚に身を任せちまうってのも、ひとつの手だぜ……』

 

 ……まさか、これがそうなのか?

 

 思わず固まって、目を白黒とさせる小五郎の前で、しかし事態は動く。

 

 静かにたたずみ、反論も何もしない轟木のほうへと刑事が寄っていった。その表情には、訝しんでいる様子が余すことなく現れている。

 

「彼女の言っていることは本当ですか? 轟木さん」

 

 対する轟木は、しばし間をおいてから、

 

「……試作品を置いておいたことは、事実です」

 

 静かに、そう語った。

 

「意見をお聞ききするつもりで、事務所の机に置いておきました。それが今、ないのなら……蒲生さんがお食べになったのでしょう」

 

 聞いた刑事が振り向くと、事務所を調べた鑑識が首を横に振る。

 

「ないそうですよ?」

 

「……そうですか」

 

 うなずく轟木に、刑事がずいと詰め寄る。

 

「ところで轟木さん。なぜ、それを今まで黙っていたんです?」

 

 顔を寄せる刑事の眼光が光った。そして、「それは……」と轟木が若干に口ごもったところで、

 

「刑事殿!」

 

 店の奥から別な警察官が慌てて飛び出してくる。

 

「ロッカールームのその男の持ち物から、こんなものが!」

 

 彼がビニール袋を掲げると、その中に入っていた密閉状態の小瓶が揺れる。

 

「鑑識に回して詳しく調べなければ言い切れませんが、中に付着しているものはおそらく……」

 

 そのそばに寄った年配の鑑識が、軽く検めてから言い継ぐ。

 

「シアン化カリウムですな」

 

 それを聞くや否や、

 

「容疑者確保ォ!」

 

 若い刑事はそう言って轟木の腕を拘束した。

 

「証拠が出てきた以上、もう言い逃れは出来ませんよ!」

 

「い、いや、僕は……」

 

 言いよどむ轟木だが、それが刑事の目には余計に怪しく映るようだった。

 

「精々、言い訳は署のほうで聞かせてもらいましょうか!」

 

「いや、だから……」

 

 片方は興奮した様子で、片方は静かにされどうろたえた様子で言い合う。

 今にも連行されそうなその様を眺めて、小五郎は、

 

(違う! そいつじゃねえ!)

 

 あげそうになった声を抑えた。

 轟木は犯人ではない。そんな予感が小五郎のなかにはあったが、それは他人を説得できる類の根拠では到底ない。

 なにしろ無実の証拠がない。そのうえで疑惑を決定づけるかのような物品がある。

 

 だけれど。

 

(違う……!)

 

 それでも小五郎には、彼が犯人であるとは思えない。これまで培ってきた経験ともいうべきものが、先ほどに垣間見た轟木の様子を思い浮かべるたびに、警報を鳴らしていた。

 

 ……あの若い刑事を筆頭に、警察や関係者たちの間には早くも「事件収束」の空気が流れようとしている。このまま轟木が連行されれば、関係者らは連絡先だけ登録したのちに解散となるだろう。

 

 そして――それはつまり、真犯人に「本当の証拠」を処分する時間を与えるということだ。

 

 轟木の無実と、真犯人の真実を暴くことができるのは、今、このときの、轟木が連行されるまでの僅かな間しか存在しないだろう……そんな考えが瞬間にして小五郎の中を駆け巡る。

 

 だから。

 

(別の証拠を探さなければッ……!)

 

 なにか、真犯人につながるような。あるいは、無実を証明するような。そんな証拠を――。

 

 ……ごく自然に、そんなことを思って。

 

 が、二回目ともなれば、そこから一歩を踏み出そうとしたところでさすがに我に返る。

 再び硬直する体。

 

 

(今、俺は――)

 

 

 ――何をしようとしていた?

 答えのわかりきっている自問が、胸の内に響く。

 

(今、俺は――)

 

 胸の底で、誰かが答える。

 

 ――探偵を、しようと。

 

 瞬間、脳裏に再びよみがえる暗黒。恐怖。――見知らぬ己。「眠りの小五郎」。

 途端に顔が青ざめて、腕や足が震えそうになる。

 

 

 ――だが。

 

 

 同時に、ふと思い返すのは、先ほどに見た、聞いた、轟木の――。

 

 次の瞬間、小五郎は静かに一歩を踏み出していた。

 いつのまにかうつむいた顔を上げて、刑事と言い合っている男を見る。

 その顔を見て、……ああ、やはり、と。小五郎は思う。

 

(――あいつは、犯人じゃねえ)

 

 ならば。

 

(――やるしかねえだろ)

 

 冤罪は、迷宮入りよりもあっちゃならねえんだ……。そう小さくつぶやいて。

 

 未だ血の気の引いたような顔色のままではあったが、小五郎は、ひとり。辺りをうかがいながら踵を返し、そっと歩き始めた。

 周囲の注意が刑事と轟木に集まっていることが手伝って、どうにか彼は、店の奥へと潜り込むことに成功をした。

 

 

 

             ◆

 

 

 

 カウンターそばの扉から入り込んだ先は、どうも事務所のようだった。

 左側を見れば、扉と、そして大きなガラス窓が壁に埋め込まれている。その向こう側には、閑散としている調理場が見えた。

 事務所の奥にも扉があり、上側に「更衣室」と札がかかっていた。

 

 小五郎の頭の中で、店内の位置関係がおおよそ整理される。

 つまり、奥に長い構造をしているこの店は、正面入り口から見て右奥から、更衣室、事務所と続き、それら二部屋の隣に調理場がある。これら三部屋の手前に接客や販売をするエリアがある。

 事務所は更衣室と調理場、接客エリアにつながっており、調理場は事務所と、そして接客エリアのカウンター裏側につながっている。

 

【挿絵表示】

 

 ふと、ガラス窓の向こうの調理場で動く人影が、横目に映った。慌てて物陰に隠れて、そちらを見る。

 青い制服の中年男性……鑑識だ。

 幸いなことに事務所のなかには小五郎のほかに人影は見当たらないが、そういつまでも時間があるわけではなかった。

 物色する小五郎が警察官に見つかることも時間の問題であるし、そもそも表にいる刑事が轟木を連行して解散の流れになるまでについても、あまり時間は残されていない。

 

 ざっと事務所内を見渡す。

 まず目につくものはと言えば、店長用の物だろう執務用のデスクに椅子、小ぶりな二対のソファーに挟まれたテーブル、流し台、段ボール箱に本棚、スーパーのビニール袋……。

 執務デスクの上には電灯、書類の他、ペンケース、薬袋、コーヒーカップが置いてある。

 流し台には急須やコーヒーメイカー。カップや湯飲み、小皿がある。

 本棚には、専門らしき料理書のほか、スイーツ特集などの文字が躍る雑誌が収められていた。

 

「これは……」

 

 小五郎は薬袋を手に取った。白い紙袋で、表面の印刷には眼科の文字。そしてボールペンで花粉症用と書かれている。中身を見れば目薬が二つ入っていた。

 デスクに戻し、そばにあったコーヒーカップも手に取ってみる。内側が濡れていたが、透明な滴なのでコーヒーではなく水道水だろう。

 それももとに戻したところで、ふと流しのそばのビニール袋が目についた。

 

 中を見てみれば、ただの買い物袋のようで、様々なものが入っている。

 茶葉にコーヒー豆、茶請け用だろう煎餅に、スポーツ新聞、スイーツ特集の雑誌……。

 

「……ん?」

 

 そこで小五郎の頭のどこかでなにかが引っかかる。だが、それが何かがわからない。

 

 だけれど、なんだかそれは重要なことのように思えた。

 

 よく纏まらぬ思考に、苛立ちからか片手で髪を掻きむしったところで、彼の目にテーブルの上のメモ帳が留まった。

 ホテルなどでよく見かけるタイプの、メモの台帳とペン立てが一体化した代物だった。

 

 と、そこで気が付く。

 

「あッ!」

 

 慌ててそちらに飛びつき、検分すると、表面のページにはうっすらと筆圧の跡が残っていた。イケそうだ。

 学校帰りで荷物を持っていたことも幸いだった。

 小五郎は学生鞄から筆入れを、そしてそこから鉛筆を取り出すと、慎重にメモ帳の表を塗りつぶす。

 すると……。

 

「やっぱりな」

 

 浮き上がってきたものは、物品の列挙。先ほどに見た覚えのあるものがつらつらと並んでいる。つまり、これは買い物のメモだ。

 書いてあるものは、コーヒー豆、茶葉、茶請け、薬、新聞、雑誌、砂糖……。

 

「――そうか!」

 

 ようやくだった。そこまで来て、小五郎の頭の中で先ほどに感じた違和感がつながる。

 

 急いで買い物袋に飛びつき、やはりコーヒー豆が未開封だったことを確認すると、するやいなや、今度は執務デスク横のトラッシュボックスを検める。

 腕を突っ込んでがさごそとするが、きりがないので、ついにはそれをひっくり返した。

 

 掃除されていたカーペットに、ごみがばらまかれる。 丸められた書き損じの書類やなんやが転がる。

 そしてそのなかに、小五郎の求めていたものが、あった。電灯の光を反射して、白銀色に輝いている。

 

 それをハンカチで慎重に取り上げて、そこで小五郎は、なんだか胸が高鳴っていることを自覚した。

 

「……本当に、あった」

 

 震える声で、小さくつぶやく。

 先ほどまで青ざめていた顔に、色が戻り始めていた。

 

 小五郎は、自問する。

 

 ――俺は、起きていたよな?

 

 胸の奥底で、誰かが答えた。

 

 ――ああ、起きていた。

 

 ならば、これは、つまり。

 

「俺が……解けたのか」

 

 声だけでなく、証拠品をつまんでいる腕まで震え始めるが、しかしそれは恐怖からではなかった。

 言い知れぬ興奮が、彼を支配する。

 

(眠りの小五郎は、出てこなかった……)

 

 小五郎の中で、その事実だけが浸透していった。

 

 

 

 




犯人暴きは次話。
犯人の指名は現時点では厳しいですが、トリック自体のヒントは一応すべて出ました。……たぶん。まあ、トリックといえるような大層な代物でもありませんが。
なお執筆時間的な都合により後半が駆け足気味だった気がするので、のちのちに修正を入れるかもです。

2017/03/20 誤字修正

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