名探偵 毛利小五郎   作:和城山

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今話以降、月曜20時更新の週一連載を(できる限り)心がけます。


04.過去の世界

 

 顔にかかる明るい朝陽に、小五郎は目が覚めた。

 なにごとか呻きながら瞳をこすり、ゆっくりと上体を起こす。

 まだ少し寝ぼけた頭で周囲を見回すが、そこには昨日に意識を手放す前となんら変わらぬ光景が広がっていた。

 散らかっている、自身の部屋。

 穏やかな朝に包まれた、過去の世界。

 

「……いよいよもって、現実か」

 

 つぶやいて、よっこらせ……などと漏らしながら立ち上がる。

 あくびをしつつ、部屋の隅にある姿見の前へと立てば、そこには同じく若りし頃の姿が映しだされた。

 15歳の頃の、まだ少年の体。

 肌に張りがあり、髭も生えてきていない。

 最近まで190近くあった身長も、まだ170と少し程度しかなかった。

 

「うーん……」

 

 片手で頭を掻きつつ、それを眺めて。

 

「……とりあえず、着替えよう」

 

 そう言って、顔を洗うべく部屋を後にした。

 

 

 

             ◆

 

 

 

 昨日にさんざんに悩んだ結果として、小五郎はこの過去の世界を現実であると、とりあえずそのように考えることに決定した。

 そしてその末に、今際の際の後悔やらを思い出したり、人生のやり直しを思ったりだとか、なんだか色々と考え込みもした。

 我ながら似合わずセンチメンタルになっていたなあ……などと今になって自覚する。

 

 だが、それらも一晩明ければ、なんだかんだと落ち着いていた。

 

 小五郎は居間にて座り、味噌汁を啜りながら思う。

 

 

 ――何を思ったって結局のところ、なるようにしかならないのだ。

 

 

 それが人生。それが人間。

 ……なんてことを澄まし顔で考えながら、焼き魚へと箸を進める。

 

 実際のところは、これ以上考えることをやめただけである。いくら考えたってわかりはしないことなのだから、思い悩んだってしょうがない。

 

 一度寝て覚めたことで、そのように割り切った。

 

 割り切った……と、小五郎は頭で考えている。

 本当に実際のところでは心のどこかに未だしこりは残っているのだが、とりあえずは、「割り切った」。そう考えることが大事なのだった。

 

 小五郎自身がもともとの性分として、難しいことにはあまりかまけない主義なのである。

 

 一種お気楽ともいえるそのような性質だからこそ、小五郎はその短い人生の晩年に対峙したあの症状、それを一年間という長い期間にわたって「ひたすらに道化を演じる」という対応でもって隠し続けることができたのだった。もとよりそのような気質だったからこそ、殊更に彼がわざとそのように振舞っていても、だれも不審に思わなかったのである。

 

 

「あら、今日は早いのね」

 

 そう言って入ってくるのは英理だった。小五郎と同じく、中学生だったころの姿である。

 制服に身を包んだ彼女は鞄を椅子に置くと、

 

「おはよう」

 

「……おう」

 

 小五郎も返して、朝食に戻る。

 その様子をどこか注意深げに眺めながら、

 

「よく眠れた? もう具合は大丈夫?」

 

 それらに「ああ、もう平気だ」と言うと、彼女は「ふーん」とつぶやきながら小五郎を依然として見続ける。

 

「……あんだよ」

 

 気の散った小五郎が目をやると、

 

「いや、べつに……」

 

 英理も目を外して、常のごとくテレビを点けた。

 椅子に座ってチャンネルを変える彼女を少しだけ眺めてから、小五郎も食事をつづけた。

 

 

 

             ◆

 

 

 

 小五郎の母親に見送られ、彼と英理は連れ立って家を出た。

 2月の朝の肌寒い道を、黒い学ランと青いセーラー服で身をまとめた二人が歩いてゆく。

 

 なぜか道中、会話がない。

 

 小五郎はといえば、とりあえず割り切ったつもりとはいえ未曾有の事態であることには変わりなく、やはり少しは気が張っていた。そのために自然、言葉数も少なくなる。

 長年を別居していた妻、その過去の少女に対してどのように接したらいいのか、よく考えるとよくわからなくなった、という事情もある。

 

 対して英理はというと、どういうわけなのか、今朝に小五郎と会ってからこちらもやはり口数が少ない。小五郎の記憶では、もう少し会話のある登校風景だったような気がするので、少々おかしかった。

 この英理の様子が少々おかしい、という点も、小五郎がどのように接すればよいのか戸惑う気持ちに拍車をかける。

 

 少しだけ居心地の悪い空気が、二人の間に広がっていた。

 

 と、そのときだった。

 

「おっはよーっ、おふたりさん!」

 

 言って、背後から駆け気味にやってきたその少女は、小五郎と英理の両者の背中をいきおい平手した。

 

「いって!」

 

 思わず声を出し、小五郎は前へよろけるようにたたらを踏む。英理のほうも少しだけよろける。

 

「えっへへー」

 

 そんな二人の間に空いていたスペースに、彼女ははにかみながら入り込んだ。

 長い黒髪を後ろの肩口で結び、分厚い眼鏡をかけた少女。

 

「もうっ、いたいじゃないの瑠璃ちゃん!」

 

 英理が彼女に振り向いてふてくされたように抗議する。

 そんな彼女の左腕に軽く抱き着きながら、少女、土井垣瑠璃は笑いながら謝った。

 

「ごめんごめん、英理ちゃん」

 

 横の二人の様子を見て、一瞬だけ目を瞬かせてから、

 

(ああ、瑠璃っぺか……)

 

 小五郎も彼女が誰だかを理解した。

 同時、瑠璃の口元のほくろを見ながら、大人になった彼女の姿と、そして再会した際に起こった殺人事件を思い出す。あの事件はもの悲しい真相だったが、それとは別に、小五郎にとっては特別な事件でもある。数少ない、彼が意識を飛ばすことなく解決した事件の一つなのだった。

 事件後などは普段の演技以上に浮かれていたことを覚えている。病院の薬が効いたのか……などとも思っていたが、その日も事件前の撮影時には一度症状が現れていたし、結局、その後の事件でも変わらず症状は続いて行った。

 

「あれ? どうかしたの小五郎ちゃん」

 

 黙ったまま己の顔を見やる小五郎に気づいた瑠璃が、不思議そうに尋ねる。

 

「ああ、いや……」

 

 小五郎は少しどもって、

 

「ひ、久しぶりだな。瑠璃っぺ」

 

 対して瑠璃は一瞬だけきょとんとしてから、

 

「もうっ、なに言ってるの小五郎ちゃん。会ってないの、たった一日じゃん!」

 

 言って、明るく笑った。

 

「そ、そうだっけか?」

 

 慌てたように小五郎も笑う。

 

(そうか、一昨日までの俺は学校で毎日会っていたわけだ……)

 

 内心でそう納得し、ふとそのまま視線をずらして、と、そこで今度はぎょっとする。

 

(げぇっ!?)

 

 小五郎と笑う瑠璃の向こう、そこで英理が若干訝しむような視線を彼に送っていた。

 

(――まさか英理のやつ)

 

 小五郎がそう思うと同時、英理は普段の澄まし顔に戻ると瑠璃と会話を再開した。

 しかし、彼女らの隣を歩く小五郎は、今しがたに目撃した英理の一瞬の表情が頭に残って離れない。

 

(まるで、なにか疑っているかのような表情だった……)

 

 もしかすると英理は、小五郎が未来から遡行してきたことに気が付いているのでは……?

 苦手意識からかそんなことまで考えて、いやいやありえない、と自身で打ち消す。

 

 過去にやってきて、登校初日。

 はやくも波乱の予感がしていた。

 

 

 

             ◆

 

 

 

 帝丹中学。

 のちに毛利蘭や工藤新一も卒業することになるその中学校が、小五郎や英理たちの通っている学校である。

 学年は三年。クラスは一組。

 小五郎と英理はどういうわけなのか三年間を通して同じ学級で、瑠璃は一年と三年が同じだった。

 

 本日の時間割は、一限が数学、二限が物理、三限が歴史で、四限が体育だった。

 現在は四限目ののち、つまり昼休みである。

 

「だあーっ、やってらんねー……」

 

 校舎の裏、記憶にある限り普段から人の寄り付かない、一日中が日陰となるその場所で、体育ののちに着替えた小五郎はそのままその足で訪れて、それからの時間をずっと裏口の前の一段上がった床にて寝転がっていた。

 彼のそばには包まれたままの弁当箱が転がっていて、その視線は青空にただよう雲を眺めている。

 背に感じるコンクリートの床が冷たく、時折に吹いてくる風もまた寒い。

 しかしそれらは同時に人が寄り付かないことも意味していて、だから小五郎はこの場にずっと居座っていた。

 

 23年ぶりの学校は、苦痛の連続となった。

 

 まず、数学の公式がわからない。

 次に、物理の公式がわからない。

 さらに、歴史事件の年がわからない。

 卒業して23年、社会人になって16年が経っているのである。ほとんどの知識が薄れて忘れ去っていた。

 

 唯一にまともだったものは最後の体育のみである。

 

 選択実技が柔道だったので、午前三教科のストレスを発散するかのごとくに大立ち回りを演じてしまった。今日の授業内容が試合形式だったこともあり、驚異の五人抜きをして見事に学級内男子最強の座を手に入れた。

 クラスメイトたちは「さすが柔道部」と絶句して、柔道部顧問でもある担当教員は「もともと強かったが、さらに腕を上げたなあ……」と彼を褒めそやした。

 

 結果。

 

 なんの慰めにもなりはしなかった。

 小五郎の認識では、38歳の己が15歳の少年らを相手に大真面目に組手してしまっただけなのである。

 午前授業の鬱憤があったとはいえ、自分はなにをしていたのだろう……と、すべてが終了してから正気に戻った。

 電光石火のごとき早さで着替えを済ませ、教室に戻り、弁当を引っ掴んで、だれに何を言われる前に人気のない場所へと走り去って。

 そして、ここにいた。

 

「あー……やってらんねー……」

 

 空を仰いで呆けたまま、同じ文句を再度つぶやく。

 風は凍てつくように寒く、寝転がるコンクリートは氷のように冷たかった。

 だが、それらは同時に彼に、ここが現実なのだ、という感覚を強烈にもたらす。

 

 お前はたしかにここで、この過去の世界で息をし生きているのだ、という感覚を。

 

(まあ、死んだままよりはマシっちゃマシなんだが……)

 

 忘れてしまった座学の知識を、これから再び勉強しなおさなくてはならないという事実が、小五郎の気分を強制的に落ち込ませてゆく。

 ただ一つ、高校受験がすでに終わっていた点についてだけは、不幸中の幸いというべきところだった。

 もしもひと月でも早い時期に戻っていたら、彼は以前のように帝丹高校には合格できなかっただろう。……スポーツ推薦という手もあるが、小五郎は致命的なまでに「本番」に弱く、これまで公式試合でその真価を発揮できたことは殆どなかった。

 

(……それよりも)

 

 ようやく体育からくる自責が弱まり、少しずつ気分が落ち着いてきた小五郎は、ふとまた別の懸念に意識をそらす。

 本日に湧いた、もう一つの懸念。

 それは英理の態度であった。

 

(あいつのあれは……)

 

 今日の朝から、どうにも英理の様子がおかしい。ふと気が付くと、じっと小五郎を観察するように見ているのである。

 自分に対してだけ口数が少ないし、なにか考え込んでいる様子でもある。

 

(まさか俺の事情に気が付いているだなんてことはないだろうが……)

 

 なにかおかしいとは、感づいているのだろう。

 思えば中学時代の小五郎と言えば、普段からなにかと騒がしいやんちゃ坊主、小学校男子がそのまま成長したかのような振る舞いだった気がした。

 それが唐突におとなしくなった上に、なんだか周囲に対する様子も謎のぎこちなさがある。

 クラスメイトなどは病気明けだからおとなしめなのだろうと考えているようだったが、幼馴染だ、それ以上に根本的なところでおかしい、変わったとわかるのかもしれない。

 もしかすると、午前の授業での「一昨日までは理解できていたはずなのに、現在は授業についていけていない」という問題についても気が付いている可能性もあった。

 

「どうすっかなあ……」

 

 ぼんやりと空を見続ける。

 

(……英理に事情を話すか?)

 

 それは良い手のようにも思えた。

 英理は昔から頭が良く、高校二年のときには東都大学の入試問題を正解したし、司法試験だって一発合格だった。成績もたしか中高とずっと学年一位を保持していた。

 もちろん最初は冗談だとありえない話だと一蹴されるだろうが、小五郎が真面目に説明し続ければ、彼女ならば理解を示してくれるだろうと思う。相談相手としてならば、彼女以上の適任はいない。

 同窓会にも参加したことがないために今や顔・名前が朧げとなってしまったクラスメイトたちのなかで、彼女と瑠璃だけが、現在のところの小五郎にとって安心して相手をできる人間でもある。

 

 だが。

 

(――それはダメだ)

 

 小五郎は、だからこそ、彼女に事情を話すことはしたくなかった。

 

 

(あいつにだけは――知られるわけにはいかない)

 

 

 小五郎の事情とは、すなわち、この時点から対する未来において死亡し、どういうわけなのかこの時代の体へと戻っていた。この特殊な事態による戸惑いやなんや、それが彼の異変の原因である、というものである。

 だがこれは、この「過去の体に戻っていた」というものは小五郎の主観であって、必ずしも第三者からの見解ではない。

 穿って見てしまえば、これは――

 

 

 ――「未来の小五郎」を自称する何者かに、小五郎の体が乗っ取られている。

 

 

 そのように見ることも可能なのである。

 さらに「一昨日までの当時の小五郎」の意識がどのような結末を迎えたのか、現在においてどうなっているのか、それがまったくとして小五郎自身にわからない以上、彼はもしかすると、この当時(げんざい)の英理にとっては――

 

 

 ――幼馴染を殺してその体を奪った人間。

 

 

 あまりにもファンタジーで、SFで、オカルティックで、ぶっ飛んでいるが……そのように考えることも、たしかな事実として可能なのだ。

 

 もしも英理がそのように考えてしまったら――。

 

 そうして、彼女に拒絶されてしまったら……。

 

 ――それは、小五郎にとって考えたくもない事態だった。

 陽気でおちゃらけた気質を持つ小五郎も、生前の最後の一年間は、色々と精神的に()()ものだった。そんな日々で、彼の心を支えた思いがあった。諦観や諦めもあったが、それでもそんな彼の心を守っていたものがあったのだ。

 それは何を隠そう、「このまま有名となれば、もしかすると別居した妻が戻ってくるかもしれない」というそれだったのである。

 いざ実際に顔を合わせば大人げない対応ばかりをとってしまう小五郎だったが、別居して10年、長く離れるほどに彼のなかで妻の存在は、実際のところでは大きくなっていたのだ。……まあ、それでも生前は自分が折れようとは考えもしなかったが。

 

 そんなわけなので、時間を遡行した現在においても、実のところをいうと小五郎にとって英理は大きな意味を持つ存在だった。

 昨日だって若い母親を見ても過去だと実感しなかったが、若い彼女を見た途端に驚愕したし、見舞いに来た彼女を見たことで大荒れしていた彼の気分も落ち着いた。

 彼女との関係も、別居という結末を変えられるのでは……などと夢想した。

 

 まだ二日目であるのに、この過去の世界において小五郎が現在を比較的安定した精神で過ごしていられることも、彼の生来の性質もあるが、その意識していない深層ではそばに英理がいるという事実が大きかったりもした。

 

 だからこそ。

 この事情を、彼女に知られるわけにはいかなかった。

 小五郎は寒空を眺めたまま、再度ぼやく。

 

「どーすっかなあ……」

 

 

 

 ――だが今回は、そのつぶやきに対して返答がやってきた。

 

「なにが?」

 

 驚いた小五郎がそちらに振り向けば、校舎の角から、明るい光に照らされた校庭を背にして少女が歩いてくる姿が目に入る。

 瑠璃だった。

 

「どうしたの、小五郎ちゃん。こんな寒い場所でひとりで……」

 

 彼のそばまで歩み寄ると、彼女は覗き込むようにして小五郎に問いかけた。

 

「ああ、いや……」

 

 咄嗟に言葉が出ずにどもってしまい、視線をそらす。

 瑠璃もまた、現在の小五郎にとっては数少ない「安心して話せる」……きちんと覚えている友人だ。

 幼稚園から英理と親友で、だから彼女を介して小五郎ともそこそこに仲が良い。

 

「英理ちゃん、なんか心配してたよ。まあ、いつも通り認めなかったけど」

 

 彼女は黙り込む小五郎を横目に、彼が寝転がるそばに腰を下ろした。

 そこで彼の弁当箱の様子を見て、

 

「あれ? もしかして小五郎ちゃん、まだお昼食べてないの?」

 

 不思議そうに声を出した。

 

「あー……まあ、な……」

 

 口ごもる小五郎。そんな彼の様子を見て、少しだけ瑠璃も沈黙すると、

 

「……なにか悩みがあるなら、聞くけど?」

 

 ためらいがちにそう切り出した。

 小五郎が呆気にとられたような表情でそちらを見れば、瑠璃は膝の上で組んだ両手の指を少しだけもじもじとさせながら、

 

「ほら、近さゆえに、ってのあるじゃない。英理ちゃんには言いにくいことも、わたしになら話せたりとか……しない?」

 

 小五郎と反対の方向を見てそう言った。

 髪を真ん中できっちりと分け、さながら牛乳瓶の底のような厚さの眼鏡をかけた彼女は、どこから見てもガリ勉とか委員長だとかそういう印象を与えるが、しかしこのときのその様子はとてもかわいらしかった。

 精神年齢38歳の小五郎にとっては15歳の現在の瑠璃は「かわいらしい」止まりだったが、さすがは未来の「癒し系女優ナンバーワン」だと感心する。

 

「……そうだな」

 

 友人の健気な優しさに触れた小五郎は、少しだけためらってから軽く話した。

 突然にちょっとした事情を抱えることになったこと。そしてそれは、英理には絶対に知られたくないということ。だけれど、彼女はなんだか様子がおかしいと感づいているようであること。

 ただそれだけのことを、少しだけぽつりぽつりとこの場で漏らした。

 とくに意味のわからないだろうそれら言葉を、しかし瑠璃は真剣そうに聞いて、しばし考えたのちに口を開く。

 

「――いいんじゃないかな」

 

 寝転がったままの小五郎の瞳に見下ろすようにして目を合わせ、

 

「誰だって、人には話したくない秘密を一つや二つは持っているもの。英理ちゃんだってそうだろうし、わたしもそう。だから小五郎ちゃんも、話したくないなら話さなければいいの」

 

「んなこと言ったって――」

 

 言いかけた小五郎の前に人差し指を立て、

 

「英理ちゃんに聞かれたって、ちゃんと秘密だと言えばいいのよ。……それにわたしにだって、今日の小五郎ちゃんがおかしいって。なんか変わったってことは、わかったんだから」

 

 小五郎の息が止まる。しかしそんな彼の視線を気にもせず、瑠璃は静かに言葉をつづけた。

 

「なにか悩んでいるのは、すぐにわかった。急におとなしくなった原因が、その悩みにあるってことも。でもね。落ち着きができたことは良いことよ。さっきも言った通り、なにか隠していたとしても、それで思い悩むことはなにもないわ。

 だって、小五郎ちゃんは小五郎ちゃん。それには、なにも変わりはないでしょう?」

 

 うっすらと微笑みさえ浮かべてそう言って。

 言い終わったと同時、今更ながらに自分の発言が恥ずかしくなってきたのか、瑠璃は頬を赤くして再び小五郎から反対方向へと顔をそらした。

 

 そんな彼女の様子をしばし呆然と眺めて。

 

「……ふっ」

 

 小五郎の口元が緩んだ。

 

 ――自分が自分であることに変わりはない。

 

 おそらくもなにも、瑠璃は小五郎の問題を「常識的な範囲での悩み事」だと仮定したうえでの発言をしたに過ぎないようだったが、しかし、その言葉は先ほどまで悩んでいた自身をぶん殴るかのごとき威力を持っていた。

 

(……たしかに、俺は俺か。今だろうが昔だろうが、変わりゃしねえ)

 

 それにさしもの英理だって、小五郎からそのような話をさえしなければ、普通は「未来から遡行した」などとは考えつきまい。思うわけがない。

 

(……ま、フツーはそうだよな)

 

 そう結論して息をつく。

 なんだか、随分と心が軽くなったような気分だった。

 

 やがて未来、というよりも小五郎の生前での彼が知らぬところにおいて、彼の娘が「特殊な薬品によって幼児化した幼馴染」に対して(すぐのちに誤魔化されはするものの)一時は自力でそのファンタジックな事情を察することになるなどとは思いもよらない。

 自身の事情で精一杯だったこともあって、彼は江戸川コナンに対してはただの小生意気なガキだとしか思っていなかった。

 

 まあ、とにかく。だいぶ悩みも晴れてきた気分の小五郎は、勢いをつけて体を起こすと、並んで座っている瑠璃に向き直って礼を言った。

 

「ありがとな、瑠璃っぺ。だいぶ助かった」

 

「あ、うん。それならよかった……」

 

 小五郎と瑠璃が微笑みあい、と、そこで遠くから聞きなれた放送が聞こえてくる。

 少し電子的な鐘の音。昼休憩終了十分前を告げるチャイムだった。

 

「げっ、やべっ」

 

 小五郎は慌てたように立ち上がると、結局一口も食べることのなかった弁当を拾う。

 そこで同じように立ち上がる瑠璃を見て、ふと思い出すことがあった。

 

 やがて未来、女優となった彼女の美人ぶり。

 

 それが脳裏に浮かんで、気づいたとき、小五郎は口走っていた。

 

 

「――そういや、瑠璃っぺ。おまえ、眼鏡外してたほうが綺麗だぜ」

 

 

 何気のない一言、というやつだった。特に含むところのない、ただの雑談。そんな。

 

 しかし、声をかけられた少女にとってはそうではなくて。

 

「……え?」

 

 固まる。呆けたように硬直する彼女を見て、小五郎は首を傾げた。

 

「ん、どうしたんだ? さっさと教室戻ろうぜ」

 

「……え? あ、え……うん」

 

 不思議そうに見やる小五郎に我に返り、瑠璃は小さくうなずくと彼の後を追った。

 顔を見られないようにうつむいたまま、小さくつぶやく。

 

「……やっぱり帝丹高校にすればよかったかな……」

 

 思うところあってわざと小五郎や英理と違う高校を受験した瑠璃は、少しだけ過去の選択を後悔した。

 

 

 




注意:この作品のヒロインは英理です。二股やハーレムなどの展開もありません。ヒロインは英理です(大事なことなのでry)。でも修羅場はありますん。
また、同様に新一のヒロインも蘭です(唐突なネタバレ)。でも作者はコナンのヒロインは哀だと思ってます(ん?)。

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