艦隊これくしょん―軽快な鏑矢― 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
それでは、抜錨!
『それでは次の種目、障害物競争を開始いたしましょう』
大淀のアナウンスが響く中、高峰は足を止める。
「……席を間違えていませんか?」
「はて……おぉ、これは失礼したね、この席番号、わかりにくいね、肘掛けに書いてはどちらがどちらか判らん」
そう言った男性が隣に移る。その刹那、方向性を著しく制限した声が高峰の耳元へ向けて発せられた。
――――――7秒遅れだぞ。
空いた席に高峰は腰掛けた男性。定年を迎えていてもおかしくないその男性は今どき珍しくなった紙媒体の新聞を広げている。何回も畳んだりしているのだろう。一面の新聞紙のカドが折れている。
「……」
それを横目に見つつ高峰は制服の内ポケットから手帳とペンを取り出し、手帳に何かをしたためようとするも、インクは出ないようだった。カリカリと紙を削る音だけが響く。
「万年筆の手入れは怠ったらいかんよ?」
「すいません。あまり使い慣れてないもので……お借りします」
そう言って差し出された黒い万年筆をこれは失礼と高峰は恐縮しながらも借りる。その反応に横の男性も苦笑いだ。
席間違い、所定の角度に折られた新聞、7秒遅れに書けない万年筆。ここまでは“打ち合わせ通り”だ。ここから浮かび上がる情報は――――――
高峰は前で行われている“競技”の内容を軽くしたためるとペンを持ち主に返す。否、規定通り書けない方の万年筆とすり替えてそれを返す。
『それではこの種目は各チーム二人一組での参加です。それではメンバーを紹介していきましょう! まずは第一コース……』
「―――――もっといい場所を選んでほしいものだな」
「こちらも急だったんだ。御足労頂いてすまなかったね」
高峰は前を覗き込むようにしながら相手の愚痴に返す。互いの声はよく制限され、二人にしか聞こえないだろう。互いが手馴れているのが見て取れる。それでも大淀のアナウンスに被せて万が一にも誰かの耳に入るという最悪のリスクを回避する念の入れようだ。この業界では迂闊な奴から消えていく。生き残っているにはそれなりの理由があった。
「ハイフォンの情報をもらおう」
「横領だが一応は黒。現地の地権者への賄賂といった所だ」
「地権者の必須情報は?」
「自警団組織の組長をやっているのだが、どうやら私兵をため込んでいるらしい。その私兵のエサに消えているというのが実情だろうな」
沿岸部周辺は国連特別区を除いては基本的に国連関係者以外の立ち入りを禁止している。そこで出てくる“地権者”は退去命令に応じずにその場に残ることを選択した者たちのグループの有権者を指す。違法バラックが設置されているが黙認せざるを得ないのが現状だ。沿岸部から立ち退かせても内陸部は内陸部で泥沼となっているのだ。
「自警団組織に肩入れするメリットは?」
「そちらも裏がとれてるよ“海軍”」
隣の彼は笑ったのだろうか。アナウンスが一回止んたために会話が一時中断される。
まえに広がるコースのスタートラインでは各選手が並んでいるのが見える。人一倍気合が入っているのは駆逐艦チームの陽炎と白露だ。ジャンプをしたり柔軟をしたりと準備に余念がない。逆にその隣でカチカチに緊張しているのは隣のコースにいる大鯨。横でしおいこと伊401が笑顔で励ましているのを見る。
『今回の見どころはどこになるんでしょうね、月刀大佐』
『そうですね。一番の鍵はチームワークでしょう。特に……』
「―――――裏というのは?」
アナウンスが再開したことをきっかけに聞き返す。
「地権者が
「……天然麻薬か」
「ハイフォンでは処理できない武装系の廃棄物、特に工廠などの艤装関連の廃液や廃棄物は水上用自律駆動兵装の情報の漏洩を予防するためにも日本やグアムで処理される。そして国連内部での移動にとどまる廃棄物輸送は概してチェックが甘い。……こうなってくると出ていっている食品も“本当に食品かどうか”すら怪しいんじゃないかね?」
そのヤマは確か五課の連中が噛んでいたはずだ。まさかここから繋がるとはと内心驚きつつも、真顔でそれを受ける
紙の新聞を畳む男性。これ以上の情報はないというサインだ。―――――少なくともリークしてくれる情報はこれ以上ないらしい。
「ここから先は国連海軍側の問題だろう。これ以上を教える義理もない」
「助かったよ、陸軍のジョンドゥさん」
彼が鼻息を鳴らして新聞を畳む。ちょうどスターターが鳴ったところだった。
駆逐艦の速力は伊達ではない。真っ先にロケットスタートを切ったのは当然だった。
「とりあえず平地で逃げ切るわよ!」
「いっちばんにゴールするんだから当然っ!」
小柄な体躯を躍動させ一気に周りを突き放す。その後ろから軽巡チームの球磨とすでに焦り顔な夕張、重巡チームの青葉と加古が追い上げる。
陽炎は最初の平均台目がけて飛び上がる。高さ1.2メートルの体操競技用の平均台に足を掛け、バランスを保ったまま一気にその上を駈けた。ワンテンポ遅れて白露が渡り切る。二位で追う軽巡チームだが飛び乗った時にバランスを崩しかけた夕張が時間をロスする間にも、青葉が追い抜いて二位に躍り出た。加古は眠そうにしながらもなんだかんだで青葉についていけているあたり基本的にスペックが高い。
その後ろで痛み軽減のために胸を抱えて走っていた飛龍と軽やかに飛び乗った赤城の正規空母チーム(ある軽空母が舌打ちをしたことは公然の秘密である)、瑞鳳龍鳳の龍コンビの軽空母チームが超えていく。扶桑大和の戦艦チームは扶桑が平均台に乗りそこなって涙目になっている。その間にも堅実に潜水艦チームが超えていった。しおいが大鯨をエスコートするようにリードして進んでいく。
「案外みんなはやいっ……!」
先頭で焦るのは白露だ。横の陽炎は焦ってはいないようで、いつもの様子で次の障害のネット潜りに突入する。この時ばかりは胸部装甲の薄さに感謝した。最低限度の抵抗で抜けられる。
「うわっ、ちょっと、突っかかって……いっ」
案外加古が苦戦していて隠れ巨乳説が持ち上がったころには夕張たち軽巡チームが再び再浮上して二位。一位の駆逐と肩を並べるようにして直線を走る。この先には二つの関門が連続する。ピンポン玉をスプーンに乗せて運ぶスプーンレース、それが終わればパン食い競争だ。
ここで脅威の追い上げを見せたのが正規空母チームである。
「待ってなさい粒あんパン――――――っ!」
「ちょ、赤城さん!?」
そう絶叫して上手いこと風圧を利用してスプーンにピンポン玉を押さえつけて全力疾走する赤城。スプーンレースは各チームの代表二人のうち一人がやればいいのだが、何も持たずに全力疾走している飛龍よりも速度を出して赤城は駈ける。スプーンレース終了のラインを超えるや否や、これ以上ないほどのきれいなフォームで両手を振って加速する。体育の教科書に載っていそうなきれいなストライド走法で速度を上げて、その加速度を蹴り込みで斜め上方へと推移させる。運動エネルギーを位置エネルギーに変換しつつ目標を見定め、その目標に文字通り食らいついた。
その顔はとても幸せそうだったという。
そうして振り返って一言――――――
「ねぇ、もう一ついいですか?」
「多聞丸に怒られますよっ!?」
なんだかんだで通常運転になっている赤城達を置いて競技は進んでいき、最後の難関、塀越えへと差し掛かる。
高さは大体3メートル弱といった所だろうか。進路を大きく塞ぐようにして塀が作られている。その塀からはロープが何本か垂れているから乗り越えられることには乗り越えられるだろうが大きくロスすることが予想される。
――――――そのはずだったのだ。
「白露、足台いる?」
「まっさかぁ」
駆逐艦の二人は並走したまま壁に向かって走る、大分距離を残して先に飛び上ったのは白露だ。その勢いのまま塀の縁に手をかけて飛びつくとそのままよじ登る。
「へぇ、やるじゃない……のっ!」
それを見てニヤリとした陽炎は塀の足元ギリギリで十分についた加速度を上に変換、塀の中ほどに右足を置き、壁を蹴り込んだ。その時には左手は塀の上の平な面を捉えており、そこを軸に大きく足を振り上げれば、側転の要領で一気に飛び越えた。スカートを盛大に翻し、暗い色のスパッツを日光に輝かせながら一気に飛び越えた彼女たちの姿に周囲からは驚きのどよめきが響いた。真っ先に飛び抜けた彼女たちは余裕の笑みを浮かべながら見えてきたゴールに向けて速度を上げる。
「うそぉ!?」
何の疑問もなくロープのところに駆けていた夕張が驚きの声を上げる。あれなら早いが、自分にあんな身体能力が無いことも重々承知していた。素直にロープで登ろうとそれを掴む。その横に影が飛び込んできた。
「これは負けてられませんねっ!」
壁の足元に滑り込んだ青葉がそれを見てどこか楽しそうに笑みを浮かべた。勢いを殺すと同時、振り返って腰を落とす。そのタイミングで駈けてきたのは加古だ。軽く飛び上がった加古の足を掬い取るように青葉の両の手が捉える。
「そぉい!」
全身のばねを解き放つようにそれを持ち上げると、弩に弾かれたように飛び上がる加古。跳び箱でも飛び越えるかのようにして消えていったその影を見て青葉は満足そうにうなずいた。
「よっと」
垂直跳びの要領で飛び上がって両手を塀に掛けた。
「こういうときだけは……高峰さんに感謝かなぁ」
こういう技術ばかり上手くなったとぼやきながらも、つま先で壁を蹴ると同時に腕の力で体を振り上げる。陽炎が飛び込み側転なら青葉のそれは倒立前転。逆立ちを経由してそのまま塀の裏に飛び降りる。それを見て改めて驚愕する夕張。こいつら本当に『水上用』自律駆動兵装か?
「追いかけるよ!」
「当然ですっ!」
先に乗り越えた加古は青葉が塀の上にみえるころにはすでにスタートを切っていた。飛び降りた青葉は柔らかな脚のばねを使って衝撃を受けとめその勢いを前への動きに転化する。
「うおおおおおおおおおおっ!」
雄叫びと共に加速する重巡コンビ、余裕綽々と思っていた陽炎の顔が驚愕に染まる。ゴールテープに二つのチームがなだれ込んだ。
「結局あたしたちがいっちばーん!」
「くぅ、画像判定負けとは……」
青葉が歯噛みする横で何時ぞやの高校球児よろしく人差し指を掲げて喜びを表すのは駆逐艦チームだ。もちろん輪の中心には立役者の白露と陽炎の姿がある。
「上位の皆さんは本当に上手いんですねぇ運動が……」
「そう言う龍鳳もちゃんとがんばってたじゃない。姉妹揃って塀越えでバランス崩して宙吊りになるとは思ってなかったけど……」
「もう言わないで下さいよ瑞鳳さん……」
ブービー争いでデットヒートしていた潜水チームと軽空母チームだったが、龍鳳と大鯨が塀越えのロープに足をひっかけてまさかの逆さ吊りとなってしまったのだ。最後の順位の違いはその宙吊りからの復帰が明暗を分け、龍鳳たち軽空母チームに軍配が上がっていた。
「まぁ仲良しでいいんじゃないの?」
「まぁ、大鯨姉さんには負けたくなかったからまぁ良しなんですけどね」
人知れず負けず嫌いなところは龍鳳も大鯨も実は似た者同士だったりする。その反動でずーんと沈み込んでいる大鯨をしおいが慌ててなぐさめているのはどこかほほえましい。―――――のだが、その隣で本日二回目の正座説教モードに入っている赤城と大鳳のせいで素直に微笑めない。どちらが説教されているかは言うまでもないだろう。題名をつけるなら対食欲慢心会議だ。他のアンパンに魔の手が伸びるのを押さえようと飛龍が孤軍奮闘していたからこそ反則負けで得点なしという事態だけは回避できているがその間にあっさりと他のチームが勝ちあがったため最下位に甘んじている。この事態にさすがの加賀も無表情だ。
(まぁ、いつも通りということですかねぇ)
それを見て青葉は笑う。さてと、そろそろ上官からの連絡があるのかなとぼんやりと考える。数少ない観客席にちらりと眼鏡のフレームが光ったのを見てわずかに微笑んだ。どうやら向こうの用事も終わったらしい。
(……さて、こちらも用意しますかね)
青葉が一人喧騒から抜けていく。そこにはどこか妖しい笑みが浮かんでいた。
障害物走における順位と獲得得点報告
1位:駆逐 70点
2位:重巡 60点
3位:軽巡 50点
4位:戦艦 40点
5位:軽空 30点
6位:潜水 20点
7位:正空 10点
中間集計
駆逐:170
重巡:158
潜水:137
正空:123
戦艦:122
軽巡:124
軽空:105
啓開本編でまともな活躍をさせてあげられない高峰さんに出番をと思った結果がこれだよ!
感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回の演習編は軍隊で競技と言ったらこれだよ! な話になりそうです。……ハイポート走じゃないですよ? おそらく読み切りを一遍挟むかと思いますが……。
それでは次回お会いしましょう。