Φ φ
『避けられたじゃないか』
「カスッテルシ」
『潮時だな、一度下がれ。後ろと合流した方がいい』
「イヤダ」
『駄々っ子め』
レ級と尾が相変わらずの言い合いをしている。戦場では余裕より愚かと言えるその言動を、日向は隙と見ずに用心深く窺っていた。いつもの日向なら、とりあえず殴りかかれば解るだろうと行動を優先させるのだが、相手がレ級となるとそうもいかないようだ。
金剛が吹っ飛ばされ、日向も中破している。主力となる戦艦二隻が早々に戦線離脱に近い状況を見るに、艦隊の損傷は大きいと言えるだろう。
レ級と相対する日向を心配そうに見つめる伊勢。本当なら今頃撤退している予定だったのだが、結果的に戦闘が始まってしまったのだ。今回の任務は海域の拡大ではなく、どちらかと言えば現状確認の視察だった。基地に新しい提督が着任するということで、しばらく提督が不在だったラバウルでは他の鎮守府よりも出撃が少なく、周辺の海域が維持できているのか確認の為に出てきた。もちろん深海棲艦の進行を防ぐために出撃はしてきたが、新たな海域確保の出撃はほぼなく、積極的に出撃をしていないので海の変化が解りづらい。何もない海だが、毎日見ていると微細な変化も感じ取れるが、たまに見る程度では細かな変化は気づきにくいのだ。その結果、敗北する可能性が高くなる。できれば定期的に出撃はしたかったのだが、提督不在では作戦の立案も艦娘が行うしかなく、迂闊に新海域へ出撃するのを躊躇われた。
伊勢はやや離れた位置にいる空母の翔鶴を見やる。援護をしたいのだろうが、レ級以外の敵艦隊、四隻ほどが伊勢達残りの艦、航空巡洋艦の鈴谷と熊野が戦闘を行っているので難しいようだ。翔鶴が抜ければ四対二、駆逐艦二隻と言えど、相手には空母ヌ級がいる。片手間に戦える相手ではない。さらに間の悪い事に、元々偵察程度の目的で進軍していた。装備に関して万全のモノではなく、唯一翔鶴が烈風など上位互換の艦載機を積んではいるが、他のメンバーはそこまで強力な装備を搭載していない。
旗艦である金剛がいない今、指示を出せるとしたら唯一無傷の伊勢なのだが、対処を決めあぐねていた。
《引くか、戦うか……》
レ級の強さは噂以上だった。金剛が過去に一度、姉妹艦の榛名と霧島、空母の赤城、加賀、瑞鶴の艦隊で挑み敗北したと聞いていたが、予想よりも、想像よりもその強さは化け物じみている。伊勢だって艦娘であり戦艦だ。通常よりも強い深海棲艦と戦った経験はある。六隻という定石から外れ、大規模艦隊の決戦も一度経験していた。経験値で言うなら他に引けを取らない古株とも言える立場であり、戦歴で言うならいずれも轟沈することなく生き延びてきた古強者である。
だが、それら経験を嘲笑うかのように、凡人の行き止まりを痛感させられるかのように、レ級は強さは規格外だった。
航空戦で制空権を取ることなく突撃し、砲撃ではなく肉弾戦で突破してきた。
《普通だったら撤退するんだけど……》
金剛の安否も気になり、日向が中破、装備も不十分というこの状態では戦闘を継続するより一度撤退し、編成と装備を整えてから再出撃するべきだ。相手がいつも通りの深海棲艦ならばそうした。迷うことなく退路を確保し、翔鶴に援護を頼み鈴谷と熊野が魚雷で攪乱、その隙に金剛と日向を回収し砲撃しながらの撤退戦を行うのだが。
《こいつ相手だと、そんな定石が無意味にしか思えないのよね……》
どんな行動をするか解らない、トリッキーなレ級相手では作戦の組みようがない。こういう時に提督がいれば、指示を任せ戦闘に集中できるのだが、今は無い物ねだりだ。
追って来られない程度に損傷を与えるか、それとも撤退行動を優先するか、伊勢が思案していると、日向が。
「伊勢、やるぞ」
「日向?」
後退しつつ伊勢に近づいた日向が、小さな声で言う。
「さっきの見たろ、下手に撤退戦すると危険だ。こいつは何をするか解らない。沈んではないと思うが、金剛も心配だ。こいつを叩けば楽に撤退できる」
「そりゃ、そうだけど……」
そのレ級を叩くのが難しい。ようはレ級を撃破し、残りの深海棲艦は無視して撤退しようということなのだが、それが出来れば苦労はしない。
「何か考えがあるの?」
「ない」
きっぱりはっきり言い切る日向。
あまりの潔さにぽかんと口を開けることしかできない伊勢。
無為無策、よりはマシのとりあえず戦ってみようという、日向らしい考えだった。考えと呼べないものだが。
互いの距離は数歩分しかなく、砲撃では動作が鈍く当たらないと踏んでの肉弾戦となってしまう。先ほどレ級の腕力を見てその決断をするのは、無謀に等しい。
だが、それでも―――。
「なに、あいつも損傷している。二人掛かりで畳みかければ何となる」
「……出来なかったら?」
「その時はその時だ、あの世とやらを見てみよう」
ニヒルに笑う日向に、伊勢は苦笑を返した。
「ま、全員生きて帰るには、結局あいつをどうにかしなきゃだしね」
「ああ、ここで仕留めておくか」
「そうね」
そして二人は、覚悟を決める。
額に汗、 喉に生唾、 掴む右手に抜刀。
呼気を整え、 心を震わし、 視線の先。
この時、レ級は初めて自然の景色以外に、心を奪われた。
腰に差していた、飾りに見えた細長い棒を抜き放つ二人の航空戦艦。
それは民族の名が与えられた一振りの刃。
簡単に刃こぼれし脂巻きする軍刀ではなく。
斧より薄く、槍より短く、剣より細い、
波紋は芸術品とも言える、世界最強の鉄の棒。
弾丸すら二つに分かつ日本刀を、向け構える。
「伊勢型二番艦航空戦艦、日向」
「伊勢型一番艦航空戦艦、伊勢」
「「 ―― 参る ―― 」」
初速は鈍足、加速は不足――――気迫は十二分。
陽を跳ね返す、水面の輝きとは別の、冷たさと鋭さを感じさせる輝きがレ級を襲う。
ゆらりと舞う眼光に、
くらりと霞む閃光と。
生まれて初めて、レ級は背筋を凍らせた。
敵意ではなく、悪意でもなく、純粋に純朴に研ぎ澄まされた殺意。
あの光に触れるのは危険だと、本能が告げさせられている。二人に、無理矢理に。
本当はそんなことがないとしても、日向に伊勢、二人の気迫が信じさせる。
――― そぅら、受けてみろ ―――
どちらが言ったのか、気が付けばレ級の目前に躍り出ている影。
左から伊勢、右から日向。
残光の尾を引き、斬りかかる!
「ッ!?」
咄嗟に後方へ跳ぶレ級。いくら気圧されていても、気負い負けしていたとしても、それでやられるほど簡単な存在ではない。
後方に跳ねると同時、置き土産として魚雷を空中に放つ。着水した同時に爆発し、損傷を与えるだけでなく怯ませ、その隙に砲撃を叩き込む算段を本能で行動しようとした矢先。
切先。
先ほどまでレ級がいた空間を鈍く鋭く走る刃の軌跡が、バツ印に魚雷ごと通り抜ける。
「!?」
『ほぅ、やるな』
尾が感心した言葉を漏らすが、レ級にそんな余裕はなかった。一呼吸の間も開けずに、日向に伊勢は立ち止まることなく、刃を握り直し、垂れる眼光を背後に流し、追撃してくる。
そし 繰 す 右の斬
て り返 左 撃
決して変わることのない、同じ軌道からの刃先。
右から日向の小手と面が来れば、
左から伊勢の胴と足払いが来る。
来る場所が解っているのに、それでも尚、執拗に同じ側から斬りかかる。
取舵伊勢に面舵日向。
かつてレイテ沖で艦載機の爆撃から生き延びた、二隻の戦法。
貫き変わらぬ軌道は、だからこそ読みづらい。
日向が右から振りぬけば被せるように伊勢が左の下段から逆袈裟斬りで退路を封じ、返す刀で斬りかかって来ると思えば、日向は独楽の如く回転しまた右から袈裟斬りする。
右から右から右から、
左から左から左から、
左右から、上下から、止まることなく斬り続ける。
あのレ級をも下がらせる、猛撃――に見えた。
それは遠くから様子を見る翔鶴が、二人の剣術に見惚れてたと言ってもいい。このまま押し切れると蚊帳の外の第三者はそう思える光景だった。
だが、当の本人たちは気づいている。大事なことに、気が付いていた。
斬り続ける。
斬り続けている。
つまり、幾度も数度も何度も振り下ろし振り上げる切先は、一度もレ級を捉えられていないということに。
しかし、それはお互い様でもあった。レ級が反撃にと魚雷を発射するも、避けながらのせいか一つはレ級の後方へ、もう一つは右斜め側、日向の方向に手裏剣のように回転しながら落ちていく。まともに狙いなどつけられていないし、まともに発射すら出来ていない。だが、これはレ級がまだ攻撃する暇がある事実でもある。完全に、追い詰めきれていない。
「ちっ!」
日向が舌打ちし居合いの構えを取る。伊勢がレ級を押さえるために前に出て一瞬の間を作り出す。変わらぬ攻防に痺れを切らした日向が、勝負に出たのだ。
『……ああ、そうか』
尾が他人事のように呟く。伊勢が左に回り進行方向を妨害し、日向がレ級を待ち構える。多少の被害を受けてでも決する覚悟で、二人が敷いた必殺の一撃。それを見抜いたからこそ、尾は呟いた。
『これは、避けられんな』
レ級が砲撃しようと尾の砲塔を動かすが、間に合わない。さらに伊勢が突きでレ級の後方を封じ、日向の右側へと押し出す。尾の動きも封じられたレ級は伊勢に打撃を、伊勢の伸びきった腕、右肘に裏拳を叩き込み骨が折れる音が聞こえるが、それでも伊勢は突進してきた。
下手をすれば伊勢もまとめて斬ってしまう可能性がありながらも、日向は細く息を吸い、レ級を眼球に捉え、怯まない。
渾身の一撃。
必殺の間合い。
いくらレ級と言えど、これを避けるのは不可能。
尾の言う通り、避けきれないわけがなかった。
《――え》
伊勢が気づく。突きの体勢でレ級の後方を封じた結果、レ級の背後に視界が広がった。
また、もし尾の呟きを聞いていた者がいたならば、納得しただろう。避けきれないと言った本当の意味を。
青き海に境界線を。
後方から、真っ直ぐとレ級へ向かう一筋の白線。
《あれは――っ!?》
魚雷だ。先ほどレ級が放った魚雷が、手裏剣のように回転し飛び出し海中に落ちた魚雷が、戻ってきた。
偶然か、必然か。
偶然にしては出来過ぎで、必然にしては異常過ぎる。狙ってやったのなら、本当に化け物だ。連撃の最中、しかも二人掛かりで斬り込んでいる最中に、そのような曲芸染みた真似をするなんて。
けれど、魚雷が来たからといって日向の一撃は止められない。魚雷の位置も遠く、例え自爆覚悟の攻撃だとしても、日向の刃が先に世界を分断する。魚雷だからなんだと言うのだなどと、楽観的な思考を、伊勢はできなかった。
知っているから。伊勢は、レ級が魚雷は艦載機をどのように使うのかを、知っている。
魚雷を敵にぶつけて爆発させるなどといった本来の使い方を、しないということを。
だから、気付いた時には遅かった。
だけど、気づけた時には遅かった。
日向の居合いが放たれる――それより、数瞬前に。
レ級が海中へ砲撃する。伊勢の突きにより中途半端に動いて、海中へと砲身が向いた砲撃が。
真っ直ぐ向かってきた、魚雷を撃ち抜くように。
「なっ――」
水飛沫を上げ爆風と共に浮き上がるレ級。
それほど近場で爆発が起きたわけではない。しかし、波を起こし風を引き起こすには十分の威力。
ほんの少し、レ級の身体が浮いた。
ほんの少し、日向の身体が動いた。
爆風で、
波風で、
二人の位置が、ほんのわずかに、ずれた。
空を斬る日向の居合い。
踏み込んだ日向の目の前に現れるレ級。
攻撃を試みるも肘を壊された伊勢。
全てが詰んでいた。
避けられない。
尾が言ったのは、この事だった。
両腕両足に尻尾を広げ、木の字で浮かぶレ級。
日向と伊勢の瞳が驚きで見開かれる……が。
「……うな」
日向の眉間が、皺がよる。
浮かぶレ級に向け、震える声で、我慢ならないと言った具合に。
怒気を孕んだ、悲痛な絶叫を重ねて。
「笑うなああああああああああああ!!」
破顔し開眼しワラウ。
伊勢からは見えない、日向の眼前に浮かぶその笑顔が、世界を嘲笑う。
何者も叶わず届かない、全て一人で出来るレ級は、だからこそ嗤う。
目じりを下げ、口角を上げ、歯をむき出しに、嘲笑に微笑に哄笑に失笑を含んだ、満面の笑みを向ける。
広がる四肢の一つ、右腕に、拳を握り。
無防備となった、憐れな犠牲者へ向けて。
レ級が現実を突き付ける。
「フタリ――」
「バァァァァァアニングゥゥゥゥゥゥ!!!!」
レ級の視界が消える。
星が輝く夜空の如く暗く、しかし星々の煌めきが見えぬ暗闇の世界。
「ラァァァァァァァァァァブッッッ!!!!」
「ギュッ!?」
衝撃。
弾け飛ぶ。
錐もみ回転しながら、レ級は吹き飛ばされた。
明滅する視界、顔面には不可思議な感覚が残り、天と地が幾度も移り変わりながら、レ級は海面へ叩きつけられ、跳ね、落ちる。
盛大な噴水を巻き起こし、レ級はうつ伏せに倒れ伏す、が。
「ギ……ガ……」
すぐさま震える腕で身体を起こし、立ち上がろうとする。何が起きたのか、確かめるために。
「ハァッ、ハァッ……」
レ級の視界の先、吹き飛ばされた発射地点では、一人の艦娘が仰向けに倒れ荒い息をしていた。その体勢には理由があり、それがレ級を吹っ飛ばした理由であった。
レ級の顔面には、二つの足跡が付いている。
金剛がレ級の顔面目がけて放った、ドロップキックの足跡が。
「オ……マエ……」
「てめーの……相手は、私ネ」
戦艦、金剛が人を小バカにする笑みを浮かべていた。
金剛の後ろ、そこには爆炎が上がっていた。よく見れば金剛の装備もいくつか消えている。そこから導き出されるのは、つまり。
金剛はレ級と同じように、自身の装備を誘爆させ加速したのだ。
まるで、レ級の攻撃を真似るように。
「いつまで調子に乗ってるフロッグヤロー」
「ゴ、ノッ……!」
金剛が中指を立て、レ級を睨み、笑う。
不遜で、挑発を孕みながら。
「まだ、終わってないネ」
戦争は、まだ終わらない。
こちらは後で少し加筆修正すると思います。
ただ言葉を増やしたり表現を変えたりするだけなので、基本は同じままです。