瑞穂と海風には出会えませんでした(白目
ソロモン諸島から南西におよそ1755キロ。
小さな島々を抜けた先に、世界第六位の総面積を誇る国、オーストラリアが存在する。
先進国であり裕福な国でもあるかの地は、意外にも日本と密接した関係だった。
日豪関係は比較的良好であり、軍事面を見ても共同演習など幾度か経験している。経済に関しては互いに重要な取引相手でありながらも、近年のオーストラリアとしては第二次世界大戦の記憶が残る者が多く、脅威的な存在であると認識する人々が多かった。ただし、日本のバブル崩壊後は躍進することなく低迷を続ける日本国の惨状により脅威の認識は薄れていった。
大多数は、の話だ。
これらは、それらは、大多数の意見であり、また、裏を返せば反日国の側面も見せる。
太平洋戦争において委任統治領やダーウィンなどで日本軍の空爆や艦砲射撃を受けたことを忘れず、今もなおわだかまりとして胸に秘めている者もいる。
友好国でありながらも、反日国としての顔を見せる国。
一時は観光スポットとしてブームが起こったが、今や一過性の波は過ぎ去り年々観光客の減少が続く国。
それでもなお、そこで暮らす人々は穏やかに豊かに過していた。
世界は平和であり、平和だからこそ世界であるとでも言うようなそこで――――
「少シ、疲レター」
肩を落としながらも表情は変えず、黒きレインコートから下たる海水を撒き散らし上陸する、人類の敵と称される一匹の深海棲艦。
『激戦後の観光からの深海戦の末に二日間の海上横断航行、いくらお前でも疲れるだろう』
艦種なるは戦艦、戦艦にして枠組みという概念を破壊する存在――レ級が降り立った。
平和とは真逆の象徴。
破滅の権現とも言える、脅威なる災厄。
その究極なる極地に位置するレ級が、人の集う大地へと、歩を進めた。
海上ではないから、地上だから。
そんなことは関係ない。
ソレがソコにイル、それがすでに、悪夢に等しい出来事なのだ……が。
人が想像する恐怖よりも、実際の物事は得てしてあっけない事が多い。もし仮に、レ級を目撃した者がいた場合、その人物が深海棲艦の存在を知っていた場合、大騒ぎになっただろう。
だが、深海棲艦という存在が一般人には秘匿気味の世界情勢の中では、騒ぎになるだろうか。さらには、恐怖そのものが恐怖を撒き散らす行動を取らぬ、一見すればどこにでもいる女の子の振る舞いをしてしまえば、そこは最早、日常風景とさして変わらなくなってしまう。
「ウー」
『どうした?』
「疲レター」
表情にこそ出さないが、レ級の瞼は今にも閉じられそうだ。無表情に見えたのも、実は疲れ過ぎて表情筋を動かすのが億劫なのかもしれない。笑顔を作ることはできるので表情筋はあると思われるが、人体と同じ理屈かはさておき、疲労に関しては嘘偽りなく感じているようだった。
『少し休め。あの傷ならル級共は追ってこれんだろうが、艦娘はまだ索敵を行っている可能性がある』
「ウーアーグー」
『喧しい、座れ』
「砂ッテヤツガー、チクチクスルゥー」
砂浜に尻をつけ、普段の海上とは違い異物を感じながらも新しい感触に対し嬉しそうにしながら、レ級は腰を下ろした。寝転んだ。
さて、レ級が上陸したオーストラリア、その細かな位置は第二次世界大戦時に連合国の戦略拠点として、珊瑚海海戦の出撃拠点の一つとなった、空軍基地や飛行艇の基地が設けられた場所。今では観光地と変わった、1984年に空港が出来てからはオーストラリアの玄関口にもなった地、ケアンズ――ではなく。
そこからやや北の位置になる、距離的にはさほど離れてはいない電車で数駅分の距離になるマッカンズビーチ。
海沿いの道は車道と歩道に分けられており、また一直線に続く信号もほとんどない道路はバイクで走れば気持ちよく、また歩道側も幅が広く作られているためランニングをする地元住民も多く居た。もちろん、観光客もだ。
ケアンズでは道すがらホテルが立ち並んでいたが、マッカンズビーチでは民家が並んでいる。民家というより日本で言うなら別荘かもしれない。海を横手に通る道、オシェイ・エスプラネードの端、バー川で地域が両断されつつも砂浜で繋がるそこに、レ級は流れ着いていた。家はすぐ近くであり、ほんの五十から百メートルほどしか離れていない。
レインコートのお蔭か、一見すると雨も降っていないのにレインコートを羽織っている変な奴、程度の認識だ。尾は上手いこと砂の中に身を潜らせたので、立ち上がらなければそうそうばれないだろう。
さらに言えば、マッカンズビーチでは別荘家が中心であり、ケアンズでは観光客が多く砂浜やテトラポットに身を乗り出すが、こちらではまばらな人しかいない。
レ級は寝ころんだまま陽の光を反射する海を眺める。何もないただ海水が広がる景色は、しかし右手に少し視線をずらせば遠くに霞んで見える山々が見え、もう少し右に顔を傾ければ家屋が見える。左手は同じような砂浜が広がっているが、同じくもう少し左に顔を傾ければ家屋が見える。
それだけで、レ級はなんだか楽しかった。
少しだけ、嬉しかった。
そんな感情をおくびにも出さずに、レ級は深い溜息と共に言葉を吐き出す。
「アー疲レター」
『ル級があそこまでやるとは、俺も思わなかった。正直、あの程度の手持ちでどう太刀打ちするのかと思えば、まさか突撃してくるとはな』
「スゴカッタネー、タ級ハチョット、困ッテタケド」
『残念なことに、あそこでは正常なモノが異常として認知されてしまう場だったからな……タ級はタ級で、悪くはなかったが』
「横カラ、ゴチャゴチャ、ウルサカッタケドネー」
『それが指揮というものだ。あの艦娘達が使う、戦略というやつだよ』
「戦略……」
レ級が呟いた、その時。
「お嬢ちゃん、ここは今一般人立ち入り禁止だよ」
背後から、声をかけられた。
性別は男。年齢は四、五十を過ぎた辺りだろう。どこかゆったりとした独特な喋り方だ。
尾は息を潜め、さてどうするかと考える。
殺すか、殺さぬか。
無理に殺す必要はないし、何よりレ級に人の血の味を覚えさせる必要はない。
純真に戦いたいと想うのと、純粋に殺したいと思うのでは、世界が違う。
戦う為に戦うのか、殺す為に戦うのか、その違いは、何より大きい。
出来れば、我儘ではあるのだが、尾としてはレ級に人を殺させたくなかった。
ただもっと単純に、戦わせてやりたい。
殺すとか殺さないとか、そんなことは関係なく。
もっと簡単に、戦いを教えたかった。
だから、尾はタイミングを見計らう。
レ級はとぼけた顔で、緊張も警戒もなく振り返る。振り返るというより、寝転んだまま顔を向ける。これは予測済みだ。顔を見せればマズイなどとは考えない、純心無垢だからこそ、レ級なのだ。
だから、尾はタイミングを見極める。
このまま男が気づかず去るなら良し。正体がばれたり少し面倒になりそうならば……。
「ンー? 疲レテルー」
「海にでも入ったのかい? まだ寒いだろうに若いってのは羨ましいねぇ。うちのカミさんなんかも……ん?」
怪訝な声を、尾は拾う。
それはまさしく、疑いの声。
何かを決する、言葉。
「……お嬢ちゃん、まさかとは思うけど、名前を聞かせてもらえないかね」
問われて素直に答えるのはバカか自信家か。
尾はどちらだろうと考え、バカというには純真すぎるなと思った。
問われれば応える。
知っていた。
「特ニナイー。人間ハ、ナントカッテ呼ブ。ナンダッケ?」
最後の方は砂に潜った尾に向かい聞いたもので、隠れた意味がないと頭を抱える尾だった。
「戦艦レ級」
そんな、尾とレ級に。男は答える。
一般人が知らぬ、恐怖の名を。
「深海棲艦の化け物、戦艦レ級だろう、お嬢ちゃん」
「ンー、確カ、ソウ」
今更ながら、レインコートの下にはビキニという煽情的な格好のレ級だが、そんな無垢なる色気に惑わされることなく、男は苦笑しながら一歩下がった。
慎重に、確かめるように。
決して奢らずに、見定めるように。
「そうか、二日前はお疲れさんだったねぇ」
「?」
「ああ、いや、気にしないでくれ」
巡視船でありながら”艦長”と呼ばれた古き軍人。
ル級とレ級の対決を、遠方から覗いていたオーストラリア海軍所属の男は、頬をかきにながら言った。
「ドーナッツでも、食べるかい?」
【後編へ続く】
また前後に分かれてしまいすみません。
ここでは戦闘シーンはなく、ちょっと休憩。
次の話からまた戦闘があるかもです。ちょっと展開をどうするか修正中。
後編は今月中出す予定です。
※ちょっと見直しをあまりせず投稿してしまったので、今度の機会に今回のお話を多少直すかもです。大筋は変えず、言い回しや表現などを変えようかなと考え中です。