艦これのレ(仮題)   作:針山

11 / 21
第二部  一天私海(いってんしかい)

 

 時間は遡り、巻戻り。

 金剛達との戦闘が終了し、勝利とも敗北とも言えない戦いの後の話。

 

 地平線が見えぬ、空と雲、水と波しか視界に入らない場所。

 海の上で、海上で、何かが漂っていた。

 あちこち擦り切れ破れ千切れ、ボロ雑巾の佇まいの物体が、波の揺れに身を任せたまま漂っていた。

 一見すれば海で不幸を迎えた、哀れな命なき死体。波の流れに乗って、海流に運ばれて、このまま何処かへ消え去る存在。

 衣服はどうやら真っ黒のレインコート。肩には何かを背負っていたのか、リュックサックらしき紐が千切れていた。

 もし近くを通りかかった船が見つければ、眉を潜め悲しみを胸に、供養をしてやろうと思う――――ことはない。

 海に出る者ならば誰もが知っている。

 悪魔とも死神とも呼ばれるソレを。

 深海棲艦という名の、異形の名前を。

 近づこうなどとしてはいけないし、近づこうなどとは思わない。

 それは正しい判断だ。

 深海棲艦の亡骸だと憎しみを持って、追い打ちをかけるような真似をもしもしていたならば、その船は非業の最期を迎えていただろう。

 何故なら、死体と見紛うボロ雑巾に成り果てたソレは、まだ生きているのだから。

「………」

 瞼を閉じることはせず、真っ直ぐに青空を見つめる。その顔には疲労の色が見えていた。さすがのレ級と言えど、満身創痍の状態。金剛達と戦い、暴走し自滅し味方に殺されかけたのだ。

 人類に恐れられる化け物だとしても、限界があった。

「………」

 四肢は力なく、顔と上半身が浮かんでいる。身動き一つ取れないのか、取らないのか、レ級は立ち上がることも起き上がることもせず、揺れる身体は抵抗しないまま、瞳だけは見開いて空を見ていた。

 その、頭上。

 横倒しの、頭の上。

『まだ、痛むか』

 レ級の尾が、呟いた。

 よくよく見れば、よく見れば。

 レ級は波に流されているだけではなく、尾がレ級の頭を背中に乗せ、今いる海域から出過ぎないように調整していた。

 ばしゃばしゃと泳ぎはしないが、それでも波に呑まれることなく、漂っている。

「………」

 尾の問い掛けにも返事はせず、レ級は何を考えているのか、想っているのか、疲弊した顔を隠さぬまま見据えている。

 その様子に、尾は悩んでいた。

 レ級は間違いなく天才の部類に入る。戦闘に関して、直観的な反応といい判断といい、反射的な動きさえも常人には不可能なレベルの偉業を成し遂げる。

 たった一人の艦隊と呼ばれるだけはある。

 だが、だからこそ、レ級はここまでかもしれないと、尾は考えていた。

 自分よりも遥かに弱い存在、艦娘達にここまでしてやられたのだ。さらには戦闘の邪魔だからと除け者にしていた味方の深海棲艦にもいいように利用され、一歩間違えれば撃沈していたかもしれない状態まで追い込まれた。

 初めての経験だった。

 初めての体験だった。

 レ級にとって、世界とは、戦闘とは……勝つためだけのモノだったのだ。

 それが、裏切られた。世界に、裏切られた。

 そしてそれだけではなく、レ級は世界に裏切られただけでなく、仲間にも裏切られたのだ。

 一度で二度、裏切られた。

 負けるだけならば、まだ良かったかもしれない。それだけならば、尾は負けぬお前が強かっただけで、強くない者は何度も負けるなどと、一般常識を言えただろう。諭せただろう。悟ることは出来なくとも、解らせることは出来ただろう。

 けれど、レ級は仲間にも裏切られたのだ。共に戦う、背中を預けるはずの仲間にも。

 

 レ級は本当に、孤独になってしまった。

 世界でたった独りに、なってしまった。

 

 何も言わぬのは嗚咽を漏らさぬため。

 瞼を見開くのは泣き顔を作らぬため。

 だから尾は、迂闊なことが言えないでいた。懸命に耐えるレ級の意を組んで、慰めることも、労うことも出来ずにいた。

 代わりに、尾は悩む。

 このままもう、レ級は表舞台から消えるべきではないのかと。

 ここまで折れてしまったレ級に、これ以上の戦いは無駄に傷を増やすだけではないかと。

 何も尾が過保護なわけではない。傷つかぬまま生きることが最良ではないことくらい、尾だって理解している。成長するには傷つくことを恐れてはいけないのだ。

 傷つきたいくないから、失敗したくないから、挑戦しない。

 そんな心根では、いつまで立っても成長はしない。

 だが、そんなことが解らぬ尾ではないのだが、それでも。

 これ以上、レ級の心を傷つけてまで、戦わせる必要性が見つからなかった。

 いくら戦っても、レ級は独り。

 誰からも求められず、誰からも望まれない。

 このままどこか、遠い場所に行ってしまった方がいいかもしれない、そんなことを考えていた。

 それこそ、流れに身を任せたまま、波に身体を委ねたまま、何処かへ。

「……イタイ」

『ん?』

 レ級が、先ほどの尾の問い掛けに答えた。随分と時間をかけ、間を空けた返事。

 何のことか一瞬わからなかった尾だが、自分の問い掛けに答えたのだと解り、素直に弱音を吐いたことを知り、目を細める。

 最強が朽ちていく様を、今まさに、目にしているのだと理解して。

『そうか……痛いか……』

「ウン」

『どうする? 海底に――深海に還るか?』

 このまま永久に、誰にも傷つけられぬ場所に行くかと、問う。

 レ級は視線を変えぬまま、変わらぬ空を、流れる雲を見ながら答えた。

「空ヲ、見タイ」

『……空?』

「ウン」

 空を見ていたい――と。

 レ級は言った。

 変わらぬ空を、変わらぬままの空を。

 深海よりも、海上にいたいと。

 レ級は深海棲艦だ。例え深海に潜っても死ぬことはない。だから尾が深海に還ると言ったのは、それまで尾が考えていた、誰にも傷つけられない場所に行くかという意味だった。

 しかし、レ級は拒む。

 海の底の故郷とも言うべき景色よりも、レ級は今まで飽きるほど見た、空を見たいと言った。

『……そうか、この海域をお前は気に入っていたからな。なに、艦娘が出れば隠れればいいだけの話だ。お前が望むなら、俺はそうしよう』

 優しい声色で、尾が言う。

 レ級が求めるならば、もうこれ以上の苦しみを負うことはないと。必要はないと、尾は言外に込めて、慈しむようにレ級を運ぶ。

「――タイ」

『ん、痛むのか? 自然治癒するとはいえ、すぐにはいかん。もう少しだけ我慢だ』

 こんなにも弱音を吐くレ級は初めてで、尾もいつも通り接するわけにはいかず、普段の会話からは想像もつかないくらい優しい言葉をかけていた。

 だが、そんな尾の心配を余所に、レ級は今度こそはっきりと、言った。

「出タイ」

『……ん?』

「ココカラ、出タイ」

 この海域から――と。

 あの艦娘達がまた来るかもしれない、この海域から。

 それもそうだ。ここまでの状態に追い込まれたのは、ここにいたから。ならば、ここにいたくない、離れたいと思うのは当然の心理であり、摂理だ。軽いトラウマになっていたとしても不思議ではない。

 思慮が足りなかったかと反省する尾。今日はとことん優しかった。

『そうか、そうだな。じゃあ、誰も来ない、どこか遠くへ行こう』

 そこで、共に朽ちようと、口にはせず、言葉にせず、心中に隠す尾。

 ずっと一緒に居てやると、一人の二人は、二人の一人は思った。

「ウウン」

 けれど、半身であっても意識の共有はなく、半身であっても意志の共有がない尾は、少しだけ思い違いをしていた。

「モット、見タイ」

 続けた言葉は、決して後退ではない。

「モット世界ヲ、見テミタイ」

 このどこまでも続く、変わらぬ風景の先を――と。

 レ級は負けた、レ級は敗れた。

 尾は当然、レ級は今回の戦いの尾を引いているだろうと考えた。尾だけに、というわけではなく、誰でも、誰もがそうであるように、考えたのだ。

 ただこの時、レ級は少しだけ違った。

 先の戦闘を忘れるなんて真似はなく、けれどもそれだけというわけではなく。

 知ったのだ、風景の先の風景を。

 知ったのだ、景色の先の景色を。

 初めて頭に血が昇るなんて経験をして、初めて満身創痍の状況も体験した。

 こうやって尾の背に乗って漂っているのは、無気力からではなく、動けるほど回復が済んでいないからだ。

 それに、新しい発見はまだまだある。

 伊勢と日向のコンビネーションは驚愕だった。あんな攻撃を今まで見たことはなく、砲撃ではなく斬りつけてくるなど新鮮で斬新だった。

 金剛のドロップキックは一瞬放心してしまった。今の今まで生身で挑んで来るバカなどいなかった。

 レ級は知った、海の先に何があるのか。

 レ級は知った、海の向こうに何がいるのか。

 だからこそ、レ級は初めて、生まれて初めて自分から会いにいきたいと思った。

 もう一度、会いたいと思った。

 誰かに会いたいと、一人の独りが思った。

 ここに居ては会えぬ、ここ以外で会える新しい景色と風景。

 それらに会いたいと、思ったのだ。

『世界を……違う海に、行きたい、ということか?』

「ウン。ナンカネ、ドキドキスル」

『どきどき?』

「ウン。ナンデダロウ? ワカンナイ」

 でも、このドキドキは嫌いじゃないと言った。

 だから、それを聞いた尾は、だから。

『くっ……くははははっ!』

「アレ? クスグッタイ?」

 尾の背に頭を乗せるレ級が、そんなことを言う。

 とぼけたように、とぼけたことを。

『いいだろう、連れてってやる。俺がお前に世界を――世界に見せてやろう』

 レ級という存在を、見せつけてやろう。

 先ほどとは打って変わった、嬉しくて堪らなさそうな尾の声を聞きながら、レ級はまだ見ぬ世界へ想いを馳せる。

「ネェネェ、世界ッテ広インデショ?」

『ああ、広いぞ。それに海だけではなく陸もある。果たしてお前が陸に上がれるか解らんが、海の方が広いから安心しろ』

「陸? 陸ッテナニ?」

『人間が住む、土の塊みたいなものだ』

「ダッタラ、陸モ海ニスレバ行ケルネ」

『ん? 海に?』

「沈メチャエバ、行ケルヨ」

『くくくっ、はーっはっはっはっ! そうだな、それがいい、それでこそお前だ。陸に行くためにどうするかじゃなく、陸そのものをどうにかするのがお前だな!』

「ナンカ、テンション高クナイ?」

『うるさい、今、最高に気分がいいんだ』

 こうして、レ級はしばし姿を消す。

 あの海域から、この海域から。

 けれどもそれは、良かったことなのだろうか。

 ――なんて、問う必要などない。愚問だ、それは。

 大海原に浮かぶちっぽけな一人の一匹。

 辺り一面が海で覆われたそこで、戦艦レ級はついに――動き出す。

 小さな箱庭から、大きな箱庭へ。

 箱から箱の、外側へ。

 恐らく、この時。

 ことの重大さに気づいているのは尾ただ一人。

 レ級が世界に興味を持ったという、決して見逃してはならない事実。

 それを知るのは、尾のみ。

 尾以外が知るのは、しばし先。

 では語ろう。戦艦レ級の一人旅を。

 箱入り娘の如く世界を知らなかったレ級が、世の中を知っていく様を。

 果たしてそれは成長か、はたまたただの道楽か。

 最強と化け物と呼ばれる唯一の深海棲艦……戦艦レ級の、旅行記を――。

 

 戦場と血煙と哄笑の、舞台に演出と音色を合わせて。

 

 ―― ヤァ コンニチハ 世界 ――

 





 こちら、第二部では全七話程度の構成を予定しています。
 ただ前編後編などで少し増減するかもしれます。
 
 また、第二部ではレ級がほぼ8、9割を占める予定です。
 しばしかの最強の深海棲艦の長旅に、お付き合い頂けると幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。