彼女は孤独だった。
「右舷! 敵艦発見!」
空は遠く青く、
空は高く白く、
波は穏やかに、
世界が上下に揺れる。
「射界良し! 撃ちます! Fireー!」
静かな場所だ。静かな場所だった。
ここはとても静かで落ち着いていられて、そして誰にも邪魔されない場所だった。
海鳥の鳴き声も届かないほど遠く、人が造る豊かな光で変色しない青空。
澄んだ空気が世界を広く感じさせる高い頭上に、ゆったり静かに馴染む白い雲。
きらめきかがやく、海の色。
そんな静かな場所で、世界に轟く爆音が響く。
黒煙、爆炎、一直線。
早く、速く――疾風。
風を切り裂き、世界を分割する破壊音が、彼女の左右に数メートルの水柱を生んだ。
巨大な豪華客船だろうと、軍が所有する軍艦だろうとも揺れ動く衝撃に、彼女は見上げていた空から視線を外し、水柱の原因の彼方へ目を向けるだけだった。
そこにいたのは、異質。
世界が歪む非常識が、騒いでいた。
「Shit! 狙いが甘かったネ! やっぱり天龍のエクスカリバーみたいな武器、ワタシも欲しい霧島ー」
「拳法家の拳は武器です、金剛姉さま。とりあえず様子見で殴ってみてはどうでしょう?」
「あの、金剛お姉様に霧島? 駆逐艦の子が真似するので主砲を使ってくださいね?」
「オゥ、榛名は砲塔でパンチング? 大丈夫デスカ?」
「金剛姉さま、榛名なら大丈夫ですわ」
「ああああああもうっ! 榛名は大丈夫じゃありませんっ!?」
妙な服を纏う少女達が見える。下地は巫女服に近い。肩が出ており下も短いので巫女服と言い切るには語弊があるが。
黒の髪の長い少女が金髪とメガネをやたら弄るショートヘアの少女に向かって、頭を抱え叫んでいた。よくよく見れば半泣きの黒髪少女は、近接格闘戦に邪魔だからと砲塔を投げ捨てようとする二人を必死で止めている。
そんな少女らを見て、そうだあれは、そう、知っている。彼女は知っていた。
あれは……ミニスカートだ。随分と短く、穿く意味があるのだろうかと彼女は思った。しかしどんなに動こうと絶対に見えない領域を考えると、意味はあるのだろう。
喧しく姦しい巫女服少女の横では、これまた弓道着に近い服装の弓を構えた三人の少女が見えた。一人だけ弓道着ではなくミニスカートを穿いていた。
「先輩! 被弾してるんだから、下がっててくださいよ!」
「鎧袖一触よ。心配いらないわ。五航戦が下がってなさい」
「加賀さん加賀さん、魚がいます。今日の夕飯は何でしょうか? そうだ瑞鶴、貴女のツインテールで魚を釣るのはどうでしょう? きっと大量ですよ」
「お菓子あげるんで赤城さんは黙っててください!」
「五航戦、私の分は取っておきなさい」
「あっ、第一次攻撃隊、発艦してください」
赤が目立つ一人が弓を引き解き放つ。
心地の良い風切り音が滑らかに風を纏い、次の瞬間弾けるように光を放ち、いくつもの艦載機と化し編隊を作り向かってくる。
誰もが余裕を持ちつつ油断はしていなかった。
バカ話をしながらも、彼女の動きにいつでも対応できるように気を配っていた。
さながら、よく訓練された軍人のように。
誰もが余裕を持って緊張などしていなかった。
彼女は一人、一人だったのだから。
その海で、彼女は独りだったのだから――
海は穏やかだった。
海は静かだった。
海は孤独だった。
海には誰もいなかった。
少女達が来るまで、この海には何もなかった。
――― だから ―――
「……アハ」
彼女は嗤う。
嬉しくて嬉しくて、悲しくて悲しくてたまらない。
あまりにも嬉しすぎて破顔して、あまりにも悲しすぎて破顔する。
彼女は考えない。考えないで考える。考える前に動いて、動く前にも考えた。
静かな海を取り戻すため、騒がしい海を迎えるため。
彼女は嬉しく悲しい笑顔で殲滅する。
「アハハハハハハハハハハッ!!」
その日、とある基地の艦隊が完全なる敗北で帰投する。
それまでは一隻二隻、多くても三隻程度が大破する、戦闘不能状態にされることはあったが、この時、その艦隊は六隻全てが戦闘不能の状態に追い込まれていた。負傷の度合いも下手をすれば轟沈、海の底に沈み二度と帰ってくることができないかもしれない状態に近く、無事、いや不幸中の幸いにも全員が揃って帰投できたのは奇跡に等しかった。
巨大な大砲を備え軍艦の中でも最強の火力と装甲を持つ戦艦が三隻。
飛行甲板を持ち時代を変えた航空戦を主力とする航空母艦、通称空母が三隻。
その力と記憶を持つ、『艦娘』と呼ばれる少女達。
少女達は妖精さんと言われる、人間ではなく、しかし生物とも言い難い存在が造った兵器を使用し海上で戦闘を行う。海から来る侵略者、深海棲艦と呼ばれる存在と対抗するためである。
不思議なことに、何故か普通の人間は妖精さんが作った装備を使用することは出来ず、艦娘という存在だけが使用することができる。
当初、敵の存在を確認した時は通常の艦で応戦したのだが、相手が人間サイズであるため砲撃は当たりづらく、また機動性に関して天と地の差があったため、人類の通常兵器では苦戦を強いられていた。
そこで登場したのが、艦娘である。
だが、深海棲艦もそうだが、艦娘に妖精さんがいったいどこから来たのか、そしてどういう存在なのかは明確に解っていない。第二次世界大戦頃の軍艦の名前を持ち、そして記憶も持っているのは解っているのだが、そこまでだった。
軍上層部は何らかの情報を持っている、というのが前線の指揮を執る提督達の噂だったが、その真相は闇のままである。
とにかく、十分な練度と装備を持ち、数多くの敵艦を屠ってきた少女達は、話を聞けばたった一人の、一隻の戦艦に敗北したと言う。
正直、あり得ない話だった。如何に敵が戦艦であろうとも、こちらも同じ戦艦でありさらには空母いる状況で、たった一隻が壊滅的な被害を出すなど不可能だ。
現実的ではなく、もしそんなモノがいるとすれば、子供が思い描く『ぼくのかんがえたさいきょうのふね』みたいなものだ。誰もが一度は思い描き、そして現実に敗北する。
そんなモノが作れれば苦労はしないと、挫折する。
だからこそ、戦艦と空母が唯一手出しできない潜水艦が潜んでいた可能性など、伏兵の存在がいたのだろうと考えられた。少女達が気づかないところで被弾したのではないかと疑われた。
誰も信じない。
誰も疑わない。
たった一隻で数を覆すなど。
たった一隻で何か出来るなど。
信じて疑わない。
だが、次第にその噂は現実味を帯びて来る。
提督と呼ばれる者達が、次第に戦闘の範囲を広げて、多くの者が伝聞し始める。
孤高の存在を、知り始める。
あまりの被害に、人類は此度の深海棲艦に、正式名として『戦艦レ級』と名付けた。
いろは歌の十七番目の文字であり、十七とは素数の最初の二、三、五、七を足した数だ。
つまり、もっともゼロに近い、無に近い四つの数字を足した文字。
四の、死の数字の集合体。
いろはに置いて最も死を内包し、ゼロに近しい集合体。
『戦艦 レ級』
残念ながら、その名が使用されることは少なかった。作戦会議などでは提督が口にするが、相対し戦闘する艦娘は違う名称で呼んでいた。
あまりにそれらしく、あまりにそうとしか思えない。
だからこそ、下手な意味を付けるより、単純にそのモノを表現するのに明解な呼び名を。
みな一様に、艦娘は震える唇で一言だけ紡ぐ。
――― 『 化 け 物 』 ――― と……。