統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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投稿します。自己解釈が多く含まれているので注意してください。


すてーじ7

 今晩は。色々略のハザマです。

 今日私は任務があります。勿論街の噂を調整するとかそういう任務ではなく、施設に侵入する偵察任務です。ちょっと違法研究やってるから、証拠見つけてきてねーっと、そんな内容でした。

 明らかに衛士に突入させて強制捜査した方が楽でしょう。上の方々は現場を知らないから困ります。

 抗議文でも送りつけようかと思っていました私でしたが、自身で調べてみると、どうやらその研究所にはお偉いさんの致命的な失態の証拠があるとのこと。

 そこで諜報部の出番です。秘密裏にその資料を回収して処分してこいと、そういう理由が裏に有りました。自分の失態は自分で何とかしてほしいところですけど……これだから使い走りは泣けてきます。

 それにそういう仕事(処理)は第零師団辺りに任せたいんですが……。

しかし、マコトさんにはただの諜報潜入任務だと伝えてあります。できればそういった裏については知らないで欲しいですね。

 ……さて、あまり気乗りはしませんけど、任務ならばそれに対して全力を尽くすべきなのです……が、

 

「ハザマ大尉、間もなく到着します。準備をお願いします」

 

「あ、ありがとうございます。あーっと、ナナヤ少尉?」

 

「……? どうかしましたかハザマ大尉?」

 

「あ……いえ、なんでもありません」

 

 いつものやり取りに見えますが、今回のそれは違っています。

 そう、何が違うかと言いますと、マコトさんの表情が……とくに浮かべるものも無く、無表情なんです。

 さて、この状況が私の今の悩みとなっていますね。

 今日はマコトさんに出会った瞬間から、任務への心構えができているかのように、言葉も最小限でわかりやすい言動で応えてくれます。

 仕事モードの中でもマジが付きそうなほど真剣…なんでしょうか? 真意は定かではありませんでした。

 無表情を読み取れというのは、諜報員大尉の私にとっても難しいんですよ。それが同じ諜報部となるともう……隠すことも仮面の重ね付けをしているぐらい表情が分かりません。マコトさんも最近習得してきたみたいなんです。

 なんでしょうかこのギスギスした空間? 

 ちょっとー、引き継ぎの諜報員さーん? 空気を読んで帰ってきてくださーい? 間が持たないんですよ。

 いつもなら任務だったとしても緊張ほぐしで、軽口ぐらいは叩くのですが、今回の会話の少なさと言ったらもう、過去最高と言えるでしょう。

 なにが原因? 私の記憶ないんです宣言にきまってるじゃないですか。絶対気を使わせてしまいましたよね、ええ。だから言いたくなかったんです。

 そうですか、と一言言って外を見続けるマコトさん。そこで終了する会話。

 重くなる空気。思わず私は呻いてしまいました。会話ができて、更に会話のネタがあるというのに話せないのは久方ぶり、というか初めての出来事のため、どうすれば良いか考え物なのです。

 視線を移すとそこには外を見てたたずむマコトさんの姿……と、心なしか落ち込んでいるように見える尻尾があります。

 ゆらゆらと揺れるそれですが、いつもよりも振れ幅が小さく、古時計のように左右に振れていました。

 

「………………尻尾」

 

 それは、まるで魅了の魔法のように見えます。

 同じ空間に居るなら、いつも話しているはずなのに話せないその状態は、私に余程のストレスを与えていたのでしょう。一種の欠乏症でしょうか?

 いつもマコトさん自身がふもふされてる尻尾に、なぜか今の私には猫じゃらしを前にした猫のような気分になりました。

 友人のみ、よく会話に出てくるツバキさんやノエルさんのみが触れる、至高の毛。そして、私は真面目な顔で決意しました。

 すっ、と頭を切り替えます。

 まず、気配をその場に残しました。そういった力は魔素の利用で何とかなりますが……これがまた難しい。ですが私はやり遂げます。

 気配を残しつつも接近したことに気がつかせない、無駄に高等テクニックを行う。

 そして私は諜報員として培ってきた気配の消去。そしてあとはゆっくりマコトさんに近づきました。

 三歩、二歩、一歩と近づいて……

 

 

 

 もふ

 

 

 

 

 

 任務へと向かう輸送機の中で、私はハザマさんについて考えていた。

 ハザマさんの正体、本人に聞いて返ってきたのは、何者であるか分からないという答えだった。

 考えてみれば無神経な言葉だ。一番不安だと言うのはハザマさん自身の筈だったのに。

 小さくため息をついて外を見た。雲の上に立っているような感覚は、統制機構の諜報員となって初めて感じる。

 

「(……らしくないな)」

 

  本当にそう思う。いつもの天真爛漫な私はどうした。こんなキャラは私に似合うようには思えない。

これではツバキやノエルに出会う前の私よりらしくない。前の私は周囲に反発してたけど、まだ前を向いていた。

 なんでこうなったか考えてみる。

 私のやってしまったことと言えば、ハザマさんに失言しただけだ。友人を傷つけるような事を言ってしまった事の自己嫌悪しているのだろう。

 

「(……ん?)」

 

 考えてみると私がブルーになっている理由が、最初からおかしい。

 上官とは言っても、友人としてはもうハザマさんには謝った。だったら私はもう何時もの通りになっているはずだ。事実、私も学生時代はジン・キサラギ先輩という男の友人ともいえる人も居た。

 以前家族のことを尋ねたとき、ハザマさんのときと同じように地雷を踏んだのを覚えている。だけどそのはすぐに切り替えることができた。だけどそれが無いのは……

 

「(……寂しい、のかな? そういう友達としてのやり取りが、ノエるんたちと出来ないのが)」

 

 だからハザマさんとやり取りをしているとき、そう感じてしまった。

 任官してまだ一年目。ノエルといいツバキといい、部隊に馴れるのに精一杯で、直に会うことはまだできないと考えた。

 今はまだ忙しい二人に迷惑をかけるわけにはいかない、多分私はそんなことを考えていたのではないかと思う。

 ……うわ、ますます私らしくない。

 メールもあるし電話もあるし無線さえもある諜報部、連絡する手段はいくらでもあるだろう。

 だったら連絡すればいい。そう考えてみると、ブルーな空気を出してハザマさんに迷惑をかけているのが、申し訳なく感じてきた。

 諜報員になったのだから、顔に今の感情を表すのを改めた方が良いだろう。

 ふっ、と息をついて私は顔を上げた。とりあえずハザマさんに迷惑をかけたのは後で謝るとして、今やるべきは任務への集中だ。

 意識を切り替える。普段の私から、任務を行うための自分へ。

 

 …………よし!!

 

 

 

 

 もふ

 

 

 

 

 

 

 …………出鼻をくじかれた、というのはこういうことを言うのか。

 集中し、思考をシリアスに変えようとした次の瞬間、尻尾からの感触にその集中は四散した。

 ハザマさんは動いていないはず、部屋からの気配が動いていないないからそう思っていたのに、いつの間にかその気配は私のすぐ後にある。

 どうやらハザマさんは動いていない、という気配を気で維持したまま気配を隠して私に近づいたようだ。諜報能力の無駄使いだと思うのは、私だけなんだろうか?

 もふもふ

 ……というか、ハザマさんは私をなんだと思っているんだろう。

 尻尾と言うからには、尾の逆で一番先にあるのは私のお尻だし、一応これでも私の性別は女なんだけど。

 もふもふもふ

 遠慮なんてなかったかのようにもふもふするハザマさん。手つきがいやらしいとか全くなくて、完全に愛護動物を愛でる手つきだ。

 私は叫ぶべきなのだろうか? いや、ハザマさんは友人だし、友人に尻尾を触られるぐらいで怒鳴るほど私も狭量じゃない。

 でもなんだろう、初めての男性の抱擁が尻尾にもふもふというのはいかがなものか。

 もふもふもふもふ

 

「…………」(#^ω^)ビキビキビキビキ

 

「ふんっ!」ボフン!

 

「ぎょえへ!?」

 

 とりあえず尻尾に力を込めてハザマさんを吹き飛ばす。そこにはガツン、と見事に後頭部が壁へとぶつかるハザマさんがいた。勿論私は上官相手だけど後悔はなかった。

 

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 気分は……そう、剥かれたてのゆで卵。艶やかな白い身体を見せ付けるように、私の表情も艶やかで素晴らしい笑みを浮かべているのでしょう。

 ……こぶができた頭以外は。

 

「……聞いてるんですかハザマさん? もう到着したんですから支度して下さい」

 

「ええ、大丈夫。もう準備万端ですよマコトさん?」

 

 そうして笑う私にジト目で返すマコトさん。どうやら私が無断で尻尾に触った事に対して怒っているようです。

 でも仕方ないじゃないですか。会話したくてもできないフラストレーションの蓄積状態で、あんな魅力的な尻尾を振るのが悪い。ええ、そうに決まっています!

 と、どうやら私の強攻策が上手くいったのか、マコトさんの表情もほぐれたため、結果オーライとしましょ う。ある程度の緊張感は必要ですが、必要以上に固いままでは上手く動けませんから。

 まあ、慰謝料に高級料理店奢りという代償が出ましたが、大したことでも在りませんし。

 

 ……? そういえば私はどうしてそこまでマコトさんに気をかけているんでしょうか?

 そもそも私がやったことってパワハラですか? 嫌がる女性に対してお尻(尾)を触る私……やばいですね。気をつけなければ。

 どうも、マコトさん相手だとスキンシップが行き過ぎてしまうようですね。なんででしょう?

 

 そう考えたのもつかの間、多分私が『楽しい』からだと考え直しました。

 

………………

…………

……

 さて、と。任務です。おふざけはこの辺りまでにしておきましょう。

 とある階層都市の下部に位置するその場所に、諜報先の研究施設はありました。

 軽口を叩きながらも此処まで来ましたが、マコトさんも任務に入るための表情へと変わっています。研究所入口が見える森の中から、マコトさんと最後の打ち合わせをしました。

 

「私はバックアップである事と、別任務が有るため指示は出しません。どうしても判断不能の場合のみ、渡した通信機で連絡してください」

 

「はい」

 

「ナナヤ少尉、任務の成功を祈っています」

 

「はっ」

 

 別任務、とは此処に関与している上層部(お偉いさん)の証拠を消せ、という奴ですね。流石にそれをマコトさんにやらせるわけにはいきませんから。

 マコトさんは研究所を潰すための証拠を取ってこいと。あと事前情報ではそこまで危険な場所でも無いので、見つからなければ楽に行けるでしょう。

 さて、そこで私はマコトさんと別れると、すぐに研究所へと侵入しました。簡単に侵入した、とは言いますが、事実侵入するのは簡単です。以前私がイカルガ戦の敵本陣に突っ込まされた件の隠密術式の魔導具が、一応の完成を見せたのですから。

 ローブのような、防寒着のような黒い衣装ですが、隠密性は抜群。師団長クラスの実力者でなければ、同じ部屋に居ても認識できないというスグレモノですよ? 赤外線は自力で避けましたが、侵入は余裕でした。

 ……装備した人が術式を使うと隠密性がぶっ壊れるのは変わりませんけど。これ欠陥品ですよね明らかに。

 つまり、何もしない限りは見つかる可能性も無いのです。

 

「(しかし……変な場所ですね)」

 

 研究所、と言う名称には偽り無く、白を基調とした空間には独特の薬剤の香りがします。

 扉から研究員が出てきたため、入れ替わるように部屋へと入りました。

 

 そこには、窯がありました。

 

 部屋の中心に位置する床には円状の穴があり、その少し周りを分厚いガラスが他界を区切るように存在していました。

 穴を直接見ることはありませんが、そこになんとなく存在すると言うことだけが身体で感じることができます。ガラスで阻まれているはずなのに、窯から洩れる熱のようなものが私の身体を吹き抜けていくような気がしました。

 

 

「(……なんですか、ここ)」

 

 

 妙な場所であることは確かです。そしてこの床に存在した穴を迷いなく『窯』だと私は断言しました。

 記憶に関わりがあるのか、とも思いましたが、それ以上に今は任務を達成しなければなりません。ひとまず意識をあたりの風景の観察へと配りました。

 数台の情報端末に、重ねられるように置かれた多数の書類があります。

 実は、重要な案件については、媒体が紙であることが多いのです。電子端末の方は、レリウス博士特製ウイルスに任せておきましょう。

 私は何枚か書類を手に取って目を通しました。

 ……ふむふむ、外的要因による術式敵性の増加、薬に於ける魔素運用法、魔素抗体細胞の開発……。

 おお! 素晴らしいですね! 魔素の利用についての考察は統制機構でも行われていますが、それを利用した魔獣の精製などには手をつけていません。ですから、この研究成果を統制機構に送れば、かなりの待遇が期待できるでしょう!

 ……無論それが違法でなければ、ですけどね。

 被験者の待遇、……まあこれは言うまでもないですね。

 実験を行った被験者は一応、生きてるといったとこですか?で、その被験者と言えば、浚ってきたか貧困層から買ってきたか。

 まあー調達先が階層都市の最下層からなら不思議でもありませんけど。

 で、実験の内容は……

 

「……あらら。これ、マコトさんが見たら怒るでしょうねぇ」

 

 実験内容は……一般的に残酷非道と呼ばれるものですか?

 魔素中毒汚染を軍事利用へ移せるか。獣が魔素に汚染されたのなら魔獣になる。ならば人を汚染した場合の『魔人』へ進化させる事は可能か、といった仮定を、実際に実験していますね。

 で、使えなくなった被験者は魔獣に食わせるか、焼却するか。まったく、大したリサイクルです。環境に悪くないだけ幸いですか?

 送られてきた情報には、危険性とかぐらいしか書いていなかったため、こういった存在があるのは予想外でした。

 

「ん~、流石に参りますねぇ。情報に差異が有ると困るのはこちらなんですから……」

 

 きちんと纏めて、注意点ぐらいは書いといてくださいよ。私は 情報を纏めた下士官を想像して、軽くため息を吐きました。

 相手はこちらを機械か何かと勘違いしているのでしょうか?  行動するのは私たち、肉体がある人間なのですから、紙に書いてあるよう動けるとは限りません。

 と、どうやらクローバー大佐のウイルスが処理が完了したようです。

 機械的な音が辺りに響き、窯を隔てるガラスが開かれました。それと同時にコンピュータのモニターには、ざくざくと言わんばかりの情報が表示されています。

 ……? 変ですね。お偉いさんの失態の証拠は無いように見えますが。あることと言えばここの機密だけです。

 どうやらこの場所にも『窯』と呼ばれるものが存在してますし、研究を続けているようです。

 

 そして……最終目標としては、人は神へと至れるか。『蒼』へと辿りつく事ができるのか、それを調べる実験………………

 

 

 

 

 

 

 蒼?

 

 

 

 

 

 

「……あ……お?」

 

 

 

 その言葉は、まるで私の中に最初から存在するかのように、すとんと頭の中に染み渡りました。

 勝手に体は窯へと向けられ、その中を確認しようとしています。そして、いつの間にか私は窯の淵に立ち、覗き見ていました。

 全ての感情が単調に感じて、そしてただ『蒼』という言葉のみに頭の思考性が向けられる。

 まるで私の感情という感情が、全てが嘘であり、私の全ては蒼のためにあったかのように……

 

 私に、本当に、感情が、有る?

 

 私がこの情報を、被験者となった人達の情報を見て、私は何を感じた?

 被験者に対する悲しみ? 無い。実験者に対する憎しみ? 無い。

 違う、興味が無いだけです。例えば今現在進行形でどこかで傷ついてる人が居ても、私は何も感じません。

 それが、この研究所で行われているとしても。

 諜報部に居る私にとっては当然でしょう。私が『私』ならば人が死ぬことに何か思うのは……

 

「……あ…れ? お、おかしいですね?」

 

 ぐらりと視界がぶれて、私は思わず眼をつぶりました。

 死に対しての嫌悪感。それは確かに私にも存在するのに、それが頭の中では嘘であると回答します。

 嘘? 嘘なのだろうか? 私の、私の、……

 

 ほんの数秒、私は眼をつぶっただけです。

 

 だと言うのに……

 

『なにが可笑しいんだ? ハザマちゃんよ』

 

 『彼』が、私が普段見ているはずの顔と同じ人が、私の視界へ入り込んでいました。

 

 

---------------------------

 

 

 そこは、私には、擬似的な地獄でも作り上げたかのようにも見えた。

 潜入に成功し、違法研究の証拠となる物は集めたから、任務もほぼ成功した。その時に感じていたのは歓喜と安堵だった。

 もちろん油断はしていない。渡された隠密の術式を装着させた魔導具があるとはいえ、使い慣れていないものに頼るほど未熟でもなかった。

だけど、次に感じたのは憤怒。

 この研究所で行われていた研究の残虐性、物理的外圧耐性の調査、新薬投薬、獣人が保持する魔素汚染による耐性調査、新型細胞の移植……

 それは明らかに非人道的な研究であり、このような扱いをする研究者たちには嫌悪感しか浮かばなかった。

そして、三つ目に感じたのは……

 

「(……うっ……おええ)」

 

 その光景に対する、はっきりとした拒絶。

 空調ダストの合間からその光景を見たとき、私はたまらずその場に胃の中身を吐き出した。

 元より胃に入っているものなんてない。それがけが不幸中の幸いで、暗闇でも胃液ばかりの吐瀉物がやけにリアルに感じた。

 再度、その光景を視界に入れる。情報を得ること、それこそが諜報員の本質であり、やらなければならないこと。

 だけど、それは私は見たくはなかった。

 

『蒼、アオ! 蒼!蒼!蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼キィシシシシシシィ!』

 

『体が消 る早く オを 求め けれ 、いや 食う? 消える? 食う、食う、食う! 食う! 食う!』

 

 人の形だったはずの者が、黒い液体状の物質へと変わる。左右の目が別の方向を向き、口から涎を流し呻く者がいる。

 隣に居た者の姿を見て、舌を噛みちぎり絶命している者がいる。

 降ろされたガラスのシャッターのみに遮られ、次の死を待つ被験者がいる。

 それを見ても何の感慨もなく資料片手に書き込みをする研究者がいる。

 その現象を私は知らない。魔素中毒の結果がこれではないはずなのに、私は人間から黒い魔素の塊になった存在に気持ち悪いと考えた。

 違う、本当に気持ちが悪かったのは、この研究所全体から流れる空気だ。淀み濁り、それを良しとして汚染を続けるこの場所の空気。まるで正常であることこそが異常であると言わんばかりの光景。

 最初から感じていた。潜入任務としても、二人という少人数での行動は私は初めてだった。だからこの淀んだ空気に深刻には思わなかった。

 全部、"正常"なのだ。人が喰われることも、死へと向かうことも、それを肯定さえすることも。この場所、この空間では。

 

「(……どう、しよう)」

 

 腕で口を拭い、私は停止していた頭を動かし始めた。目の前の光景に対して思い描いたことは一つだ。

 この研究を壊し、被験者たちを助ける。自分には今成せるだけの力があり、すでにそのための気力は問題ない。意気は消沈している。だけど、目の前に広がる光景にいる者たちが敵だとするならば。

 装備した十字のトンファーを握りしめ、小さく息を吐いた。

 本来諜報員に戦闘技能はそこまで重要ではない。だけど私がここにいるのは、世界を知りたかったから、それも勿論あるけれど、友と呼べる二人の力になりたかったから。

 共に衛士になると思っていたノエルはキサラギ先輩の秘書官として引き抜かれ、ツバキは始めから私達とは違う部隊に行くと決めていたようだ。

 私が彼女達と共に立つ事は無い。だから私は諜報員となった。諜報員という立場なら、二人が本当に困ったとき、力になれると思ったから。そんな単純な理由もある。

 私が此処に居るのはそんな因果だ。諜報員としても、衛士としても私は今十分戦える。

 だけど、

 

「(……越権、いや逸脱行為、かな)」

 

 諜報員が情報を集め、衛士は武力をもって摘発する。

 早く事件を解決するために、一番始めに情報を集めるという立場。私のしようとしていることは、ここから大きく外れていた。

 小さく息を吐いて、通信機の術式コードを入力する。砂嵐の音が聞こえたのも束の間、糸がちぎれたような音が聞こえて向こう側と繋がった。

 

「……TGMJDAJ」

 

『AGTGPMDG。はい、何が起こりましたかマコトさん?』

 

 規定の暗号文を伝え返ってきたのは、いつもの飄々としたハザマさんの声だった。

 だけど、心なしかその声は暗い。

 

「ハザマ大尉、実験内容と資金源のデータを回収しました」

 

『ご苦労様です。では、今から撤退しますので準備を……』

「そして今実験を行っている場所へと立ち合いました」

『----。』

 

 ハザマさんが小さく息をのんだのが聞こえる。その反応に私は分かった。

 

『そうですか。ですが今は撤退しますよ』

 

『ハザマ大尉は実験がどのような内容なのか分かっているのですよね?』

 

『……ええ。資料に書いてない場所の事は予想外でしたけど』

 

 目の前の、人を人として見ない光景を、ハザマさんは知っていると言った。だけど、私には退けと言った。

 当然だ。諜報員としてそれは模範解答だ。私の行動はそれから真っ先に反発するものだから。

 

『……データは私の端末から本部へと送りました。私は少し用事ができましたが、合流時刻までには帰還します』

 

『マコトさん? 貴女は何を考えているんですか!?』

 

「……」

 

 私はハザマさんのその言葉を最後に通信を切った。

 やらないといけない事がある。

 目の前の光景をぶっ潰して、皆助け出して帰還すること。口の中でゴメン、と小さくハザマさんに謝った。だけど、それでも私は納得ができないから。目の前の人だけでも救いたいから。そのための力を振るうために、私はゆっくり拳を振りかぶった。

 


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