統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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 この話を読む前に一言。
 第二章の『』とその周りをじっくり読んでみると、幸せになれるかもしれない。


ステージファイナル

「どういう、こと、だ?」

 

 

 思わず呟く。戦闘が終了し、何もかも過ぎ去ったと思われたその空間に、目の前の存在は現れた。

 ノエル=ヴァーミリオンがその存在を観測する。真の蒼に目覚めた彼女は、その存在をこの世界に定着させた。だからこそ、

おぼろげだったはずのその姿が完全に世界に復活する。

 その存在はダークグレーのスーツに、毒々しい色の緑の髪は逆立っている。そしてその顔に作り出す三日月の笑みは、まるで何かがこらえきれないように笑っていた。

 体中で本能的な何かが感じていた。こいつが、目の前異にる男がテルミだと。

 呆気にとられたように呆ける自分を、テルミはニヤリと笑って手元に何か作り出した。鎖に蛇の形のナイフをつけられており、どこかハクメンの持つ刀のような威圧感がある。その名はアークエネミー、ウロボロス。

 その鎖の付けられたナイフが自分へと向けられる。投合体勢に入り、誰かが自分の耳元で叫んだような気がする。それでも、この身体は動かない。まるで、蛇に睨まれたカエルの様に。

 

 

「ウロボロス、斬り刻め」

 

 

 世界がまるでスローモーションになって動く。今まさに自分はあの鎖に貫かれようとしている。その結末は分かっているはず

だが、自分の身体は動かない。

 その存在だけがまるで、世界に許可されたように、その空間で動いている。

 

 

 

 ウロボロスの刃が此方に向かう。ぼんやりとそれを眺め、やがて届く。

 

 

 

 

 そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハザマ/■■■』の身体にウロボロスが突き刺さり、身体の骨を砕いて吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒャッーハハハハハハハハハハハハハ! お勤めご苦労さんラグナちゃん、■■■くぅん!」

 

 

 ぞわりと、ラグナの中で何かが吹き荒れた。

 体を起こす。剣を握る。その声が、どこかで聞いた誰かに似ている。全ての元凶となった存在、『テルミ』と。

 全ての元凶、ラグナの世界を破壊して、何もかも奪った張本人に他ならない。それを頭の中で理解した時、ラグナは自分の身体の状態を頭の奥に置き去りにして叫んだ。

 

 

「テルミィィイイイイイイイイイイイイ!!!」

 

 

 身体が軋むのを無理して、剣を掴み走る。

 にやにやとしているその顔が、神経を逆なでしてくるのを感じていた。今まで貯めこんできた憎しみ全てを一度にぶつける勢いで、ラグナは大剣を振り下ろした。

 対してテルミは半歩身体を逸らしただけでそれを避ける。取り出したアーミーナイフで振り回すラグナの大剣を難なく弾いて笑った。どう足掻いてもラグナは、自分に勝てることはできないのだから。そこには余裕と侮りがあった。

 そして、その笑いにはもう一つ意味が込められている。

 

「おいおいラグナちゃん? “今回俺様はなにもしてねぇんだけど?” 勝手にそこに転がってる人形が、勝手に行動起こしただけなんだけどなー」

 

 テルミが視線だけでラグナの横を指す。少し離れた場所で、ハザマの身体は倒れていた。目の前の男と全く同じ姿で、ただ違うのは髪の色だけだ。その帽子の下には“ラグナと同じような白い髪”が見えた。

 視線を戻せば、ニヤリと嗤うテルミに恐怖を覚えた。いつの間にか魔素によって作られた緑の大蛇が、テルミの後ろからラグナを睨みつけている。

 テルミが自分の手を前にかざすと同時に、その蛇はラグナへと降りかかった。濃密な魔素はまるで固体で、剣で防御したラグナの上から、その衝撃は訪れる。あっけなく吹き飛ばされたラグナは、地面に膝を着けると胸からこみあげた血を吐き出した。

 

「ラグナさん! まだ、傷が……」

 

 ノエルが慌てて駆け寄り治療の術式を発動する。

 いくら蒼の魔導書に持ち主を治癒する力が在ったとしても、ほんの数秒で体の中まで回復することはできない。

 駆け寄るノエルを無視し、役に立たない四肢の代わりにラグナはテルミを睨みつける。せめて、逃げ腰だけでも目の前の男に見せないようにと。

 

「煩せぇ、テメェが、テメェが全部の元凶だろうが!」

 

「ん~実に心地よい殺気じゃねぇの。だが不十分か。ったく、どーしてよりにもよってこの事象で目覚めるんだか。俺様には遊び心すら持たせられないってか?」

 

 やれやれ、とテルミは肩をすくめる。当然ラグナの強がりはテルミには分かっている。傍によるノエルにさえ分かることが、テルミに分からないはずがなかった。

 身体を倒しそうになるのをノエルが支えていた。しかし、ラグナの視線はテルミに向けられたままだった。

 

「なに、まだやんの? 止めとけ止めとけ。テメェじゃ俺様は役不足なんだよラグナちゃん。あれ、役不足って意味違ったか?」

 

 テルミはラグナを茶化すように笑った。それは圧倒的な強者が見せる、弱者へと嘲笑だ。ぎり、とラグナは歯を食いしばる。だからどうした、と。

 立ち上がろうと膝に力を入れていたが、気力だけで傷だらけになった身体は動かない。終わらせようとしたのか、テルミはアーミーナイフの刃を見せると、ゆっくりとラグナへと近づいた。

 

 

「ああ、私には貴様は役不足だ」

 

 

 ラグナでもない、テルミでもないその声に、どちらもその声の主の方へと視線を向けていた。

 瞬間、テルミには白い影の太刀の斬撃が、その身に降りかかる。別の世界では椿祈と呼ばれたその無名の太刀筋はテルミを捉え、地面へと叩き伏せた。

 

「ちぃ、ハクメンテメェ!?」

 

 思わぬ乱入者にテルミは一瞬動揺すると、ラグナの事を無視してハクメンから距離を取る。呆気にとられたラグナたちの間に、ふわりと薔薇の香りが漂い何かが姿を現した。

 

「えいゆうさん、この場を任せるわ。時間を稼ぎなさい」

 

 突如現れた白い影、ハクメンはテルミに向かって構え、太刀を滑らせる。 打ち合う金属音の音と共に、ラグナには聞きなれた、ノエルにとってはどこかで聞いたことのあるような声が届いた。

 視線を向ければ、そこには少女が居た。周りを浮かぶお供は焦りで顔を真っ青にして、その主であるレイチェルは涼しげに見える表情で口を開く。

 その足元には高度に練られた魔法方陣がある。転移魔法、その難易度から使い手は歴史上で数人と呼ばれるそれを、1人分ではなく数人は入れるよう、レイチェルは拡大する。

 

「……」

 

 レイチェルの言葉に対して返答は無く、ハクメンは押し黙る。それでも身体を止めることは無く、テルミのナイフを斬りおろし、レイチェルたちに向かわぬようにテルミを攻めた。

 流れる様な、それでいて力強い太刀筋だった。テルミにとって目の前の存在は、全盛期の五分の一程度しか力を持っていない。だが、衰える様子の見えない太刀筋に、少しでも乱そうと舌打ちと共に挑発する。

 

「はっ、いつからハクメンちゃんはクソ吸血鬼のわんちゃんに成り下がったんでしゅかー? あの狗のオッサンも遂に引退か!」

 

「タカマガハラの狗が、良く吼える。さっさと行け、道化よ」

 

 テルミの蹴りを腕で抑えながら、ハクメンはレイチェルに向かって言った。

 対してレイチェルは魔法のための言霊を唱え終わると、ラグナ達へと向き直った。

 

「二人とも、此方よ」

 

「おい、いったいどういう事だウサギ!」

 

 訳の分からないまま自体が進み、ラグナは思わずレイチェルに向かって叫んでいた。なにより、テルミに対して背中を見せて逃げ出すことに異を唱えるようにレイチェルを睨む。

 対してレイチェルは涼しげな表情、に見えた。しかしそこには何時も共に居る使い魔たちや執事にしか分からない程度に、焦りの色が見えている。

 

「事象が変わったのよ。今の貴方ではテルミには勝てない。そこの貴女、早くラグナを運びなさい」

 

「へ……え? 私?」

 

「早くなさい、遊んでいる暇はなくてよ」

 

 反射的にノエルはラグナに肩を貸すと、レイチェルの元へと向かった。

 ラグナの叫び声を無視して、レイチェルは転移魔法を発動した。薔薇の香りと共に風が吹いたかと思えば、三人の姿はその場から消え去っていた。

 ちっ、という舌打ちの音が辺りに響き渡った。幾らテルミであろうと、転移魔法を、それもハクメンが目の前にいるにもかかわらず使うことはできない。

 

「なぁハクメンちゃん、手前の主様が行っちまったぜ? 俺様からどうやって逃げるんだろうなぁ」

 

「その必要はない。貴様はここで……む」

 

 ぎん、という音と共にテルミを弾き飛ばし、ハクメンは膝を着いた。そして、すぐさまその姿にノイズが走るように、姿がぶれる。

 テルミにはその現象に見覚えがあった。そしてハクメンに至っては、その現象を抑えようとする様子もない。ハクメンの無表情がこの時ばかりにテルミの癇に障っていた。

 

「事象干渉、だと。あの糞猫が、面倒くせぇ真似しやがる」

 

 この場所に来るより前に、ハクメンは自身をサルページした人物、ココノエが所属する組織の兵士であるテイガーと戦闘を行っていた。

 よってすぐに事象干渉されることは知っていた。今の自分がテルミに敵うと言う確証もない。戦えと言われれば戦えるが、再度観測されようと考えていたことも事実だった。

 

 テルミとしては最低だった。自分の気に入らない人物二人に、自分の玩具を持って行かれたのだ。つまらなくない理由が無い。

 いや、と。テルミは口元を歪ませて笑った。まだメインディッシュが残っている。何年間も漬けたものを、まだ自分は喰らっていない。

 

 テルミは地面に視線を戻す。そこには、膝を立て、立ち上がろうとしている男の姿が在った。

 

 

 

―――――――

 

 どういうことだ。そう■■■は思考する。

 俺という存在は間違いなく、『テルミ』であるはずだ。他の誰でもない、俺自身がその事を知っている。そう信じている。全てを知っているはずだ。だからこそ、俺は此処に立っている。

 だと言うのに、ノエル=ヴァーミリオンに観測されたとき、出された自分の思考は全く別物だった。観測され、自分がこの世界に定着し、全ての情報が体の中に戻ってくる。自分が■■■であるということの。

 混乱を極めていた。頭の中でぐるぐると思考が絡まっていく。違和感を無くすために整理する頭を、無理やり掘り起こして思考を作り出す。

 

「なぁ、今どんな気持ちなんだ?」

 

 かつんかつんと革靴が地面をたたく音が近づいてくる。そこにいたのは、自分と全く同じ姿、全く同じ顔をした男だった。髪を逆立て、三日月の笑みを顔に張り付けたその男は、確かに俺は知っている。俺が一番知っている。

 

「あんなに人形、人形って言いながらはしゃいでた本人が、実は俺様の操る人形でしたーっていう事実が分かって。なぁ今どんな気分なんだって聞いてんだよ」

 

「……人形?」

 

 呆けた声が思わず出てしまったというのに、何も考えられず目の前の男の話をただ聞いていた。

 

「そう、人形! そもそも、『俺様(テルミ)を補助するために造られた躰に』俺様(テルミ)が入るわけねぇだろうが!」

 

 ああ、知っている。この躰はテルミの補助をするために造られた。ハザマが栗鼠と会った後、レリウス=クローバーからそう聞いていたはずだった。

 その補助するための躰に俺自身が入ってどうする? どうして俺はこの躰を奪おうとした? 決まっている、俺がテルミだからだ。

 

その思考こそが、そもそも矛盾なのだ。

 

 ■■■の頭の中で様々な情報が駆け巡る。まるで、もともと頭の中で規制され、その情報を思い出せないようにされていたように。

 

 俺はどうしてここでの精錬をレリウスでも問題ないと思って任せた? 何時もならば自分以外が行う事などあり得ないだろう。そもそもレリウスはまだカグツチにはいない。どうしてこの支部の衛士は精錬されている?

 獣兵衛は言った。この躰の事を『偽りのスサノヲ』だと。レリウスは言った。テルミ『は』協力者であると。ハザマは……

 

 

 

 待て。

 

 

 

 そもそもハザマは俺を通して境界に接続してから、一度だって俺の事を『テルミ』と呼んだか?

 ラグナ=ザ=ブラッドエッジに問われたとき、ハザマは何と答えた?

 

 

 

 

『あー、用があるのはテルミさんでしたか。生憎と“面識がない”ものですから』

 

 

 

 

「バックアップだよ、テメェは。昔みたいに俺様の入る身体の頭が記憶喪失なんてしたら、また蒼を探らせなきゃならねぇだろうが」

 

 そう、この俺という記憶は、ただの情報だった。ハザマが俺という魂を腕に封印という形で腕に刻んだように。

 それは百年近く前の話だった。テルミの憑代になるはずだった身体が、とある事故で記憶を失った。数年間を何も知らない愚か者たちのいる島、イシャナでその人格は過ごした。

 黒き獣が現れ世界には慟哭で溢れていると言うのに、綺麗で無知なお利口さんたちのいる島で、地獄のような日常をそこで過ごした。テルミがようやく見つけたと言うのに、その人格は記憶を綺麗に失っていたのだ。

 だからこそ、テルミが考えたのは記憶のバックアップだった。この時代での憑代が万が一、記憶を失った場合に備えての。その情報だったのだ。

 もしも記憶を失っても、その情報を頭の中に打ち込ませるだけで問題なくテルミはその憑代へと入ることができる。

 

「だってのに、特に心配なく俺様はこの躰に定着しちまった。腕を切り落としてまで残した記憶を、放置すんのも勿体なかっただろ?」

 

 無には何も保たせることができない。だからこそ、テルミは自分自身の腕に封印術式、情報を刻んだ。■■■という名の記憶を。テルミと思い込んだその魂を。

 そしてハクメンとともに封印される直前、自らその情報を刻んだ腕を切り落とした。回収され、それはもう一度この時代に来たとき、手を加えられるようになるという手筈だった。

 

「俺様も飽きんのよ。仔犬ちゃんを小突いて鳴かせんのも、屑を目の前で散らせて英雄どのの怒りを買うのも。いっつも同じ反応だ。つまんねぇの」

 

 肩をすくめてテルミは溜息をついた。それはずっと使ってきた玩具に、もう飽きたと投げ出す子供のようにも見える。

 しかしその表情はすぐに、玩具を手に入れた子供のような笑みに変わった。口元を吊り上げ、目の前の道化(ピエロ)がおかしくてたまらないと言うように、笑う。

 

「そ、こ、で! 俺様は考え付きました! 一度だって俺様は“俺自身”から憎しみを受けたことが無い。その形を知らねぇんだよ」

 

 その代わりに、テルミはこの事象で何もしなかった。どうせ今回も同じことだ。ならば、今回はいかに楽をして楽しめるか。初めからこの事象はどうでもいいものとしていたのだ。

 ゆっくりと■■■に寄り、覗き込むように顔を近づけた。

 

 

 

「なぁ、どんな気持ちなんだよ今。今まさにこの世界に定着したと思ったら、実は自分はテルミ様じゃありませんでしたってな! 人形人形とはしゃいでた自分が、実は俺様の人形だったって知ってどんな気分なんだよ、なぁ俺様が聞いてんだろう!? なぁ!?」

 

 

 

 

 

「カズマ=クヴァルくん?」

 

 

 

 それは百年近くの過去に、テルミの憑代となるために存在していた躰につけられた名称だった。

 すとんと、その言葉が、その名前が体の中に染みわたり、記憶の枷が取れていくような気がしていた。ばち、という音が頭の中に響き渡る。それは術式が解除される音だった。

 強制拘束、精神を縛りその対象を操り人形へと変化させる魔法だった。思考を操作され、考えることを禁止されていたことが、思い出すことができなかったことが頭の中に流れてくる。

 それは近くに境界が在ったから、という理由と、自身が元々持っていた記憶が頭の中に再生されていったからである。

 消されていた記憶だった。思い出すことのできない記憶だった。カズマという存在が初めて誰かを騙した時の記憶。ハザマは既に境界を通して見たその記憶と、自分がカズマ=クヴァルという存在から決別するために、切り捨てた■■■■■という存在。

 

「はっ」

 

 息が漏れる。腹や肺がやがて痙攣する様に震えだし、思わず息を吐き出した。

 

 

「は、ははは、ぎゃははははははははははははははははははははは!!!」

 

 

 笑いがこみ上げてくる。ハザマを自分の操り人形と笑い、侮辱していたのがそのまま帰ってくる。

 

 そうか、と思わず声を上げて納得してしまった。

 『ハザマ』という人格のことを。それが『俺』が切り捨てた『僕』という存在が元となっていることを思い出したのだ。

 だからこそ、ハザマがマコト=ナナヤと共にいて、笑いあう光景に強烈な嫌悪を覚えたのだ。昔の自分の屈辱的な姿を見て、本能がそれを拒絶したのだ。

 

ああそうだ、思い出した。『俺』は――――

 

 

 

「黙れ」

 

 

 

 腰のダガーナイフを取り出し一閃する。 飛び退くテルミにその男はナイフを統合し、腕を前に出して構える。

 

 

 

「第666拘束機関解放、次元干渉虚数方陣展開!」

 

 

 

 思い出せ、この躰を。この躰は『蒼の魔導書』を完全に使いこなすために調整された身体だろう。俺が作り出した『蒼の魔導書』を完全に発動できる。ウロボロスもこの手に存在する!

 そうだ、この記憶は間違いだ。だれがこの魔導書を作り上げた? 誰がここまで仕組んだ? 『(テルミ)』だ。それが間違いな訳無いだろうが。

 その男は完璧に頭の中に再現されていくその術式を発動する。ラグナ=ザ=ブラッドエッジの持つ欠陥品ではない。完全な形で制御できるその代物を。

 

 

「コードS.O.L! 蒼の魔導書(ブレイブルー)起動!」

 

 

 その男を中心にして、赤黒い魔力が辺りを包み込んだ。境界から魔素が渦巻き、通常の人間であれば、たとえ人獣であろうと魔素中毒になってしまうその中で、男はなんの苦も無く魔素を纏めた。

 それは、ハザマが境界に接続した研究所での最終目標の姿だった。人が魔素という存在を取り込み、魔人へと昇華させたその存在。蒼の魔導書によって境界からのエネルギーを完璧に制御して魔力へと変換、そしてそれを取り込み続けることで事実上高エネルギー体の存在が生まれる。自身以外の周囲から無造作に、魂を、生命力を奪いながらその魔導書は発動した。

 その姿は人によっては纏わりつく鎧のようにも見えただろう。模したのはスサノヲユニットと呼ばれる存在だった。体中を包み込んだ魔素が鎧となり、男の身体へと装着されている。魔素に覆われた顔の眼の部分は赤く光り、赤い筋が体中に走っていた。

 それは暗黒大戦からの生き残りが居れば、まるで黒き獣のようだと答えただろう。

 しかしそれをハクメンの持つスサノヲユニットと比べるのも烏滸がましかった。粘着質でぐちゃりと体に纏わりつくそれらは、境界に触れてその情報に耐えられなくなった存在なった、魔素の怪物と酷似していたのだから。

 

 

「嗚呼ああああああああああああああああ!」

 

 

 テルミに向かって男のウロボロスが発射される。真っ直ぐに向かうそれをテルミは難なく避けながら帽子を押さえる。

 次に男が起こした行動は、その発射されたウロボロスを掴んだところだった。数十メートルに延びたそれを大きく振るうと、 波の様に鎖が動いた。それはテルミから見れば正しく蛇のように見え、思わず口笛を吹いていた。

 その鎖の先についたウロボロスのナイフが地面を、壁を傷つける。男が振るう鎖は不規則に動いていた。それもただ動くだけではない、自在に伸縮するそれは恰も獲物へと首を伸ばす蛇の様だった。

 

「おーう、面白い使い方するじゃねぇか。そりゃ俺様の筋力じゃ無理だろうな」

 

 蒼の魔導書によって強化された肉体が振るうその鎖は、一たび受ければ骨が砕ける程度では済まないだろう。

 だと言うのに、その蛇の身体の中でテルミはまるでダンスでも躍るように避け続けた。向かってくるものをアーミーナイフで弾きつつも、その余裕の表情は崩れない。

 男にとってそれは屈辱的なことだった。その笑う顔を潰そうと、鎖を握る手を大きく振り上げた。

 

「おいおい、どんだけテメェは俺のピエロになってくれるんだよ、カズマくんよ」

 

 テルミは笑った。ほんの少し失敗すればあっという間に体を死へと持ってかれるその鎖の中で、それがなんの脅威にもならないと言うように。

 

「蒼の魔導書? 何時まで欠陥品振り回して遊んでんだ。ククッ、俺の身体を笑い殺す気か?」

 

 先ほどの焼き増しの様に、テルミは男と同じように腕を前に出して構える。

 瞬間、男が感じたのは言いようのない恐怖だった。それを出させてはいけない。そう判断した頭が、ウロボロスを収縮させて手元に戻し、再度テルミに向けて発射した。

 しかし、それよりも早くウロボロスが男の腕を貫いた。ウロボロスは発射される空間を選ばない。男の中にはそんな情報は存在せず、『レリウスの作成した模倣事象兵器』に、そんな機能は存在していない。視界をテルミに戻せば男の放ったウロボロスは難なくテルミに弾かれる。

 しかし、その直前でウロボロスは止まった。空間を掴み、男の掴んでいる鎖を収縮する。そして鍵爪のように手を構え、テルミに向かって収縮する勢いのまま突っ込んだ。

 

 

「見せてやるよ、本当の蒼って奴をなぁ!」

 

 

 テルミの視線が男と合わさった瞬間、恐怖が背中を走り抜けた。すでに自分の身体は止まらない。止めようがない。

 

 

 

 

「コードS.O.L、碧の魔導書(ブレイブルー)、起動!」

 

 

 

 瞬間、かしゃんという、陶器が砕け散るような音が辺りに響き渡った。

 

 テルミの発動した碧の魔導書は、テルミの周りを円になって魔方陣を生成している。その縁の中に入った瞬間、男が聞いた音だった。

 魔素によって濁った視界が一瞬で色を取り戻し、毒々しい緑に自分の身体が纏われ疲れていることを理解した。自分の発動していたはずの蒼の魔導書、そこからの反応が無い。境界からの供給源を絶たれたその魔導書の起こした現象は、まるで黒い煙となって男の身体から消え去っていた。

 

「蛇翼崩天刃」

 

 テルミの身体が反転する。股関節が無いように動き開かれた足が、無防備になった男の腹を蹴り上げた。

 小枝を何本も砕いたような音が辺りに響き渡った。もう一人の精神、ハザマがとっさに張った術式障壁をあっけなく蹴り破り、その脚は男の身体へと打ち込まれた。

 その勢いは、迫ってきた男を上へと吹き飛ばすほどだ。肺の中から空気と共に血が吐き出され、脳が痛みを発するよりも先に、新たな刺激が男へと突き刺さる。

 

「おいおいどこに行くんだよ、蹴り上げた程度でまさかダウンするつもりか?」

 

 それはテルミのウロボロスが男の身体ごと空間を掴み、収縮されているところだった。収縮するその勢いのまま男は壁へとぶつかった。身体全体で激突し、壁はその衝撃で罅が入っている。

 呼吸する暇もない、とはこのことだった。血を吐き出し息を吸い込むどころではない。特に胸からくる痛みが、脳内での思考さえ忘れさせていた。

 顔を上げる。無様な姿を見せたくない、などという思考を考える暇は無い。そうしなければ自分は死ぬ、その反射がその行動を起こした。

 とっさに飛来する何かを防ごうと、腕を前に出した。その正体は鎖であり、腕へと絡みついたウロボロスはすぐに収縮し、男は地面に擦られながら引きずられる感触を味わった。

 

「なーに寝てんだテメェ。まだ始まったばっかりじゃねぇか!」

 

身体を起こして何とか防御する、暇は無い。テルミの持つナイフが辺りを走り、男の身体を切り刻んだ。背後には魔力によって作り出された3体の大蛇が居る。テルミが手を翳す様に前に出せば、男へとその大蛇は襲いかかった。

かすれたような悲鳴が男から洩れる。吹き飛ばされたにも関わらず、男の右腕に絡まったウロボロスは解けていない。そのままウロボロスを収縮したテルミは、男の髪を掴んでその顔を拝んだ。

 

「はーい、ご対面~。うっわ汚ぇ面。俺様はほんのちっとばかり小突いただけだろ?」

 

「……殺……す」

 

 無様なものだった。スーツに傷が無い所は無く、引きずられた身体は埃まみれ。口から出した血が体を汚し、頭からは今もなお血が流れ続けている。

 この上なく無様な姿だった。少なくとも自分をテルミだと思い込んだ男にとっては。

 

 

「殺す……テメェは……必ず……」

 

「く、っくく……ヒャーッハハハハハハハハハハハハハ!!! そうだ、その顔だ! 俺様が求めていたのはその憎しみだ! おいおいなんだよ、超ウケるんだけど!? なんで俺様はこんな最高に面白い面を見なかったんだ!?」

 

 

 テルミは心の底から歓喜し、男からの憎しみを浴びて笑った。

 自分で自分を睨み、ソレによって快楽を得る。それはまるで自慰行為だ。一度やってしまえば詰まらないと迷わず言えるそれも、今のテルミにとっては面白い。

 本来この世界でラグナが憎み、テルミを存在定着させていたはずだった。だが、今の男はそれ以上の憎しみをテルミへと向けていた。

 家族を壊された、そんなものではない。完膚なきまで世界を壊されたのだ。男にとっての自分という存在を、目の前で壊され、怪我され、犯された。自尊心も、誇りも、なにも男には存在していない。ただ、目の前の存在をどう殺すか、その憎しみで埋め尽くされていた。

 

 男の顔をテルミは靴の底で押し付けるように蹴り上げた。既に腕に鎖は無く、軽く男は地面を舐める羽目になった。それは、自分が昔ラグナへとやったことの再現の様だった。

 殺す。

 ただその単語が頭の中を埋め尽くす。そのために体を動かす。痛覚で馬鹿になりそうな思考を取り戻し、男は地面へと腕を立てた。

 ゆっくりと立ち上がろうとしている男を見ながら、テルミはニヤリと笑う。まだ楽しめるのか、そう考えた。

 

だが、それは両者の思う通りにはならなかった。

 

 ぺたん、と。男の顔が再度地面をキスすることとなった。体中の力が抜け、頬に地面をつけながら男は口を開いた。

 

 

 

「……やれやれ、酷いじゃないですかテルミさん。謙虚で真面目な諜報員にこんなことするなんて」

 

 

 それはその場の空気を紛らわせるような、のんびりとした口調だった。

 時折血を混じらせてせき込みながら、男は懐から取り出した小瓶のふたを開けると、口に突っ込んでその中身を飲み干した。

 それはイカルガ戦役で使用された特効薬だった。術式によって強力な効果を施すそれは傷の治りを急激に早めるものだ。代償に、副作用として一定時間ごとに人が耐え切れないほどの痛覚を発するものだった。

 

「あーん? ……ああ、その体の本体の方か」

 

「ええ」

 

 未だに地面に頬をつけながらハザマはテルミを見上げていた。ゆっくりとテルミはハザマへと近づき見下ろした。

 そして、なんの躊躇もなくその脚でハザマの頭を踏みにじる。

 

「おいおい、人に頼むってんならそれ相応の態度っていうのがあるんじゃねぇのか? ハザマ君?」

 

「土下座の様に頭を擦りつけてるのに……私どこまで頭を下げればいいんでしょうか」

 

 ハザマの残念そうな声にテルミは思わず吹き出していた。

 滑稽だった。先ほどまであんなにも殺意を向けていた存在が、情けなく頭を踏まれていると言うのに、飄々とした態度は変わらなかった。

 ハザマの頭を蹴り上げ、無理やり身体を仰向けに起こす。ごん、と地面に頭をぶつけたハザマは、あいたっ、と情けない悲鳴を上げていた。

 

「もーう、この頭の中には貴方があんなに笑ってた人がいるんですよ? もっと大事にしてくださいよ」

 

「いるのはその右腕だろ? それに、テメェは俺様に向かってこねぇのか?」

 

 にやにやと笑うテルミに、とんでもないと言うようにハザマは肩をすくめた。実際は身体は動かないので、そのように見えただけだったが。

 

「いやー無事に私もこの世界に定着しましたし、今はとにかく死にたくないんです。見逃してくれませんか?」

 

 へらへらと媚びるようにハザマは笑った。実際ハザマにはテルミと敵対する理由も存在しなかったのだ。

 自分の周りで誰かが巻き込まれているわけでもない。自分の命を何よりも優先しているというのは、変わりようがない。

 それは正しい在り方だった。強者に対して頭を下げ、這いつくばってでも生きたいという生物としての正しい姿だ。

 だからこそ、テルミは笑った。どこまでもこの男はつまらない。きっと殺すのもつまらないのだ。それならこの男の中に入っているもう一人の自分に恨まれ続けるほうが面白い。

 自分が憎悪している存在に対してへこへこと頭を下げる男の中に居る、それが男にとってどれだけの屈辱になるのか、自分だからわかる分、想像するだけでも面白かった。

 

「ああいいぜ、幸せに生きろよハザマくん? その中の人形もそうした方が楽しく映えるだろうからな。ヒャーッハハハハハハハハハハ」

 

 

笑いながら地面に倒れるハザマの横を通り過ぎると、テルミは影の中へと消えていった。

そう、やるべきことはいくらでもあるのだ。レリウスを呼び、ゴミ中尉に命令を与え、抗体も始末するべきだろうか。

 

ほんの数分後、子供が玩具に飽きて忘れるように、テルミの頭の中からハザマの事は消え去っていた。

 

 

――――――

 

「あー、まったくボロボロですよ」

 

ただ一人、閉じた窯の前でハザマは呟いた。

 

「うん? ……はぁ、うるさいです。あーするしかなかったじゃないですか」

 

 体はナメクジの様にゆっくりであるが、歩ける程度には回復した。

 

「とりあえず……疲れました」

 

 暢気そうにそう呟き、その男の影はテルミと同じように、闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

 




第二章、終了です。
そういえばこれは勘違いものだった。

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