統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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見直し完了。特に何も考えずに投稿。
ただ、ハクメンとか黒き獣とか、その他もろもろの情報のある小説版を、フェイズシフト2までは読んでおくと、もっと楽しめるかもしれません。


ザ・ウェールフェイトイズターニング

 上から地面を見下ろせば、赤と青の影は互いを補うように動き、剣の群れを躱し、落としていく。

 ぴたりと息の合った、とまでは行かずとも、互いの背中には安心がある。片方は自分が確かに此処に居るという実感を、片方は自分が一時的とはいえ背中を預けているという事実を踏みしめる。

 見たことが無い事象だった。未熟な精神はいつまでも成長することは無く、斬り殺され、喰われ、消えていくことが常であるはずだった。先を見ることができず、繰り返しを始めてしまうのが当たり前だった。

 だが、その事実は此処にはない。少女はぎゅっと自分の掌を握りしめた。その行為にどんな感情が在るのか、自分にも分かってはいない。ただ、意識を先に向けることだけは忘れてはいなかった。

 

「……急ぎなさい、『えいゆうさん』。何時までも赤鬼と遊んでいる暇はなくてよ」

 

ラグナが去ったすぐ後に、第七機関の赤鬼と対峙したハクメンへと、少女、レイチェルは、普段道理の口調に少しだけ焦りを見せて呟いた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 大剣を横へと薙ぎ払うように振り回せば、νは姿勢も変えずに後退し、術式を発動した。しかしそれをノエルの銃撃は見逃さなかった。

 爆発、ベルヴェルグの直撃をくらったνは宙に舞い、その合間にラグナとノエルを見下ろした。爆発によってつけられた傷は既に治癒され、手をかざすように前に出した。

 

「おいノエル! 庇えねぇから自分で避けろ!」

 

「言われなくても!」

 

 一度足を止め、ラグナはノエルに向かって叫ぶ。ノエルが飛来する剣を撃ち落し、回避することを見ずに、ラグナはνに向かって走る。

 背後からベルヴェルグによって銃撃が放たれるのが分かったが、その軌道を恐れることもせず、ラグナは大剣を肩に構える。

 

「よっと!」

 

 ラグナに向かう剣はノエルに撃ち落され、防御を考えずにラグナは大剣を上段から振り下ろした。νはそれを右腕で止める。ミシリ、という音と共に腕に付けられたνの剣が砕け、地面へと落ちていった。

 考えている以上に威力が出ずに、ラグナは舌打ちする。ラグナの迎撃を行うはずだった、νの周りに剣が浮かぶ剣が存在していないことを確認すると、蹴り上げるために体の重心をずらした。

 

「ラグナさん、後ろ!」

 

 ノエルの声に蹴り上げようとしていた足を止め、すぐにその場を飛び退いた。見れば自分の背後から剣を召喚され、自分が居た場所に突き刺さっている。そしてνの周りには鶴翼の形で八本の剣が浮かんでいた。

 追撃は無い。ノエルが術式を潰し、ベルヴェルグによって弾幕を張っている。空間を抜けて飛び出す銃撃をνは術式ごと破壊するが、ラグナに追撃する余裕はなく、避けるので精一杯だった。

 

「………………」

 

 ただ、異質ではあった。ラグナと戦っていた時はまるで恋する乙女のような口調でラグナへと話しかけていた。ノエルと戦っていた時も、自分を確かめるように機械的な口調であるとはいえ、無言ではなかった。

だが、今はそのどちらでもなく、一言さえも口を開こうとはしなかった。

 

 

「……ったく、化け物かよ。どうすりゃいいんだこいつは」

 

 砕けた剣が何の術式も発動した様子が無く、再生していくのを見て、ラグナは口の端を舌で舐めて呟いた。

 斬って、蹴って、打ち付けてもνの再生は止まる様子は無い。精錬されたムラクモユニットはこうまでも面倒な物なのか。冷や汗を流す暇もなく、牽制するように飛来する剣をその場を飛び退くことで回避する。

 その一瞬で、νは移動していた。執着しているように攻撃していたラグナに背を向けて、飛行術式での低空移動によってノエルに接近した。

 

「やべぇ、おいノエル!」

 

「っ! ベルヴェルグ!」

 

 

 ノエルはラグナの言葉よりも早く、小規模の術式をνの進行方向へと幾つも作り出す。通過に反応するその術式は、即席とはいえ機雷のような性質を持つ。

 しかしνはその術式を無視して突っ切った。爆発が繰り返し、νの肌を焦し装着された剣を砕く。巻き起こる硝煙の中からνが現れ、反射的に銃撃を放った。

 ギン、という音と共にνの額へ弾丸は直撃する。後ろに引っ張られるように顔を反らしたνは、数秒もせずにノエルへと向き直った。

 

「対象補足」

 

 そこには、ノエルの姿を映すνの瞳が在った。

 

「……え?」

 

 無表情ではなかった。ノエルの銃撃によって破壊されたνのバイザーは直る様子は無い。その下からノエルが見たのは、決して機械のような無表情ではなかった。

 確かに表情は硬く、人形のような顔に見えなくもない。だが、ノエルを見る眼に見覚えがあった。

 ジン=キサラギ、彼がノエルに向ける視線と、ほぼ全くと言っていいほど似ていた。違いは些細なものだ。顔の筋肉が動くかどうか、その程度しか違いは無い。だから、その眼の意味をノエルは知っていた。

 あれは、嫌悪だ。

 

「ノエル!」

 

「っ!?」

 

 ラグナの声に余計なことを考えた思考を元に戻す。ほんの数秒の隙は、ベルヴェルグによって構築された思考が身体を動かした事でなくなった。

 貫手による一撃がノエルの頬を掠め、髪を斬る。向けるのは銃口、至近距離での発砲と同時に、νはその銃を打ち付けることで銃口を逸らす。それさえも想定内というように、ノエルは少し後ろに下げた足を回す様にνを蹴り飛ばした。

 

「対象、捕縛」

 

 しかし、νはそれを掌で止め、残った片方の手でノエルの腕を掴んでいた。骨にひびが入る鈍い痛みが走り、ノエルは顔を歪ませる。振り払うよりも早く、νは術式を作り出す。

 シックルストーム、地面から剣を召喚する術式はノエルの真下に造られた。

 

「邪魔だ!」

 

 それを、ラグナが遮った。

 ノエルを掴むνの腕を狙い、跳躍したラグナは真っ直ぐに大剣を振り下ろす。術式を砕き、振り下ろした刀をνに向かって斜めに振り上げる。纏わりつく虫を払うように剣を振り回し、νの身体を裂く。

 νは後退しつつも術式を発動することを止めようとはしなかった。ソードサモナーによって生み出された剣は、ラグナを無視してノエルへと向けられている。

 それをラグナが前に出て、庇うように全て落としていた。後ろに通すことは無く、νにはノエルの銃口と、ラグナの剣先が向けられている。

 

「おいおい、テメェの相手は俺だろ。いつまでも無視してんじゃねぇよ」

 

「……」

 

 ラグナの軽口はνに向けられたものだ。しかし、それに反応は無かった。何も映していない視線が、ラグナへと向けられている。

 そこには何の感情も無かった。ラグナから見れば分からなかったと表すのが正しい。妙だと考えたのも束の間だった。今まで牽制のために放っていた筈の術式を、νは発動していない。

 機械的な思考では攻撃を止めることがあり得ない。νがそこで初めてラグナに向けて口を開く。

 

 

「ねぇラグナ、そんなにその女が大事なの?」

 

「……えっ?」

 

 

 呆けた声を上げたのはノエルだ。確かにラグナはノエルを気遣うように戦っているようにも思えるが、あくまで後衛を気にする前衛程度の反応だ。事実、攻撃は通るためノエルは迎撃し、躱す必要もある。

 

「……」

 

 ラグナは無言でνの言葉を聞き入れる。

 ノエルを気遣っているのは事実だ。それは傷つかないように、という意味ではない。命を奪わないように、という意味だった。

 ラグナの持つ蒼の魔導書は、本人へと魔力と再生力を供給する。その供給の元となるエネルギーは、魔素ではない。人の魂、つまり生命力そのものだった。

 適切な連携が在れば、戦力は掛け算の様に上がっていく。しかしそれはラグナには当てはまらない。蒼の魔導書が吸収する生命力は対象を選ばない、共に戦っている者の生命力まで奪ってしまうのだ。

 

「はっ、だからどうした。それがテメェに何の関係がある」

 

 ノエルの生命力を奪わないように、発動は最低限であり、せいぜいラグナ自身の身体能力を強化する程度だ。しかし、戦える。  それに、全力で発動したところですぐさま死滅するわけでもない。そして発動するとき真っ先に生命力を奪われるのは、その力を向けられているν以外に他ならない。

 

 戦えている、という事実をノエルは実感していた。まだ光明を見出すことは無い。しかし、共に戦っている者の背中は暖かかった。

 まだいける、自分は戦うことができる。思考は落ち着き、身体は十二分に動く。

 そう自分を自身付けたノエルは、会話を止め駆けだすラグナの後ろから、術式を発動する。前に出る者に被弾させることはありえない。術式の発動する隙を潰し、剣を振るうラグナの邪魔にならないよう、合間を縫って術式を発動した。

 巻き上がる爆発、そこでνが自分の身体に衝撃が来るのにも関わらず、無理やり術式を発動した所がノエルの視線に入った。

 

「空間状況を把握、以後対複数への攻撃へと変更する」

 

 νから離れた場所にソードサモナーの術式は発動される。ラグナへ向かう剣を躱せば、その剣はそのままノエルへと向かって行った。

 両者とも躱し、その隙にνは術式を作り出す。その剣の向けられる先は、全てノエルだ。一斉に発射された剣の群れは、弾幕となってノエルへと向かっている。

 撃ち落した。ある物は躱し、銃で払いながら。そして全ての攻撃がノエルに向けられれば、ラグナは自由に動くことができる。

 

「だから、俺を無視してんじゃねぇぞ!」

 

 ラグナは蒼の魔導書を部分的にさえ発動させず、剣を身体の強化のみでνへと振るった。

 その一撃を、νは無視した。

 

「!?」

 

 防御を捨て、術式を発動。ラグナの斬撃と共にνの剣が現れる。ラグナのすぐ上から現れたそれは、ラグナがνの腕を切り落としたと同時に、ラグナの剣を握る左腕へと沿う形で突き刺さった。

 νの左腕が宙に舞う。残った右腕に付けられたブレードを、痛みでひるむラグナへと向けた。

 

「ラグナさん!」

 

 その一撃をノエルが止めた。νへと放たれた銃弾がその攻撃を中断し、後退させる。移動しながらの正確な銃撃は、ノエルの得意とするものだ。

 負傷するラグナを庇うように前に出る。ノエルは前衛も後衛もできる、負傷を治療する程度の時間は稼ぐことはできると判断した。

 

「……余計な世話だ、俺はまだやれる」

 

「無茶しないでください。大丈夫、時間稼ぎ程度なら問題ありません」

 

 ノエルは対峙するνの姿を改めて見直した。そこには左腕がなくなっていた。二の腕から下は無く、そこから血が地面へと流れている。

 

 ラグナは相変わらずνの表情を窺う事ができない。勝手に再生していく左腕は、ノエルの生命力を若干であるが吸い取っている結果だろう。

 ラグナの表情が苦々しいものに変わった。対象を選んで発動することができないことに、苛立ちもあったのだろう。その様子は十分にノエルを気遣っているものとして見て取れた。

 

 

 

 

 

 

「ずるい」

 

 

 

 

 

 

 その声は静かであったが辺りに響き渡った。

 その声を発したのが誰であったのか、ラグナは最初分からなかった。しかしそれが、自分の前に立つノエルでなく、νのものだと気が付いた。

 

 

 

「ずるい、ずるいよ」

 

 

 

 ぞわり、と背中に冷たい物をノエルは感じていた。その原因が、目の前に居る存在が出した憎悪であることに、一瞬であるが身体を震わせた。

 きっ、と前を向いて睨む。その程度で自分はひるまない、その意思を見せる。

 

 

 

「どうして貴女がそこに居るの? どうしてラグナはその女を守るの?」

 

 

 

 静かにνは語る。本当はその問いの意味を求めているわけではないのかもしれない。向けられるのは憎悪。

 本当に?

 よく見れば、それはジン=キサラギが自分に向けていた者と違う、そうノエルは考えた。

 νは口を開く。そこに込められていたのは、嫉妬。

 

 

 

 

「貴女も、νと同じなくせに」

 

 

 

 

 視界が動く。νの言葉を区切りに、何もかもが遅れてきたかのように景色が動き、視界いっぱいにνを捉えていた。どうしてこんなに早く景色が動くのだろう、そうノエルは考えすぐに気が付いた。動いたのは自分だ。

 自分の目の前で爆発が起こる。巻き起こる硝煙の中に飛び込み、νへと銃口を向け引き金を引いていた。

 放たれる銃弾は防御術式によって阻まれる。構わない。そうノエルは判断し、銃を鈍器として扱い、そのままνへと振り下ろした。ごっ、という頭へ直撃する音が響くも、νは倒れない。

 

 だめだ、はやくたおさないと。はやく、めのまえの、そんざいを、せんめつしろ。

 

 それは命令だった。ノエルの頭の中で作られたその命令は、ベルヴェルグが出したものではない。他の誰でもなく、ノエル自身が自分に命じた物だった。

 

 

「黒き獣となるために造られた、ほんの少しだけ、事象が変われば、此処に居るのは貴女なのに」

 

「っあああああぁぁぁぁあああああああ!!!!」

 

 

 言われている単語の意味は分からないはずだった。それでも、ノエルは自分の中から溢れ出す焦燥から身体を突き動かされる。

 

 黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい。口を開くな、声を出すな、その言葉を、(ラグナ)へと聞かせるな。

 

 零銃フェンリル、機関銃の様に打ち出される弾丸を、νの8つの剣が防御方陣を作り上げ防ぐ。打ち尽くした弾丸は一つもνに届くことは無かった。

 それを見届けることすらせず、すぐさま破棄して両手に銃を召喚し、前傾姿勢でνへと突っ込んだ。滑り込むように姿勢を低くして飛んできた剣を躱し、足元へと術式による弾丸を撃ち込んだ。

 成果を確認する暇は無い。術式を発動、νの周りに浮かぶ剣が迎撃に向かうも、どれがどう動いたかの空間は既に把握していた 。

 

 

「ねぇラグナ、νが嫌いならこの女も嫌いでしょう? だってこの女は」

 

「黙れぇぇええええええええ!!!!」

 

 

 向かう剣を避けつつ横を取り、脇腹へと銃口をνへと押し当てる。ブルームトリガー、銃口付近で爆発した術式により、νの身体は吹き飛んだ。

 肩で息を吐く。ペースも何も考えない、体術と術式による連撃は、本来あるはずのペースを乱し、体中に酸素を求めさせる結果となった。

 硝煙の中に消えたνの姿は見えない。倒れたのだろうか、そう判断するノエルの視界に入ったのは、防御術式を張るνの姿だった。

 νは倒れない、黙らない。ラグナに知らしめるように、νは口元を歪ませた。

 

 

 

「次元境界接触用素体No12、μ。νと一緒の存在なんだから」

 

 

 

 

「……あ……」

 

 

 

 言ってしまった。聞かれてしまった。私という存在が、どういうものなのか、(ラグナ)が知ってしまった。

 

 

 ラグナはνの言葉に思わず目を見開いた。まさか、と思っていたことであった。しかし、本当にノエルが素体という存在であることに確信は無かったのだ。

 νが言葉を発し始めたとき、ノエルの変化に対応する暇もなかった。ラグナの腕は勝手に治療されるものの、その行為はノエルの生命力を勝手にとってしまう事でもあった。

 息が上がるのが早い、それでもラグナにノエルを援護する術はない。ラグナが前衛を務めていたのは、自身が単独での戦闘行為しかできないことを知っているからだ。

 

「ノエル、お前早く……」

 

 下がれ、そう言おうとしたラグナは、ノエルの目を見て固まった。

 

 

「ぃ……ぁ……、違う、私……は」

 

 声は震え、ラグナを見る目が先ほどまでと全く違っていた。恐ろしい物を見るような眼、と似ているが違う。

 それは、親に怒られる子供の眼に似ていた。知られたくなかったことを知られ、追及されることを恐れる目。ラグナにその眼は見覚えが無い。ただ、戦闘中に向けられるものではないことは分かっている。

 

「っちぃ、この馬鹿! 動けねぇんだったらさっさと下がれ!」

 

 素体がどうだとか、そんなことを今気にしている暇無い。ノエルに目を取られたが、νは今どうなっている。

 ラグナがそう思い辺りを見渡せば、νは既にノエルへと接近している。治療中は蒼の魔導書が発動しているだとか、連携はできないだとか、そんなことはどうでもいい。ラグナは地面を蹴り飛ばすと二人の間へと駆けた。

 しかしνとノエルの接近は間に合わない。νの周りに浮かぶ8つの剣がノエルの周りに広がると、それらは一斉にノエルを中心として集まった。

 ラグナの声ではっと自分を取り戻したノエルに、それら全てを迎撃する術は無い。殆どは弾いても、一本がノエルの足へと突き刺さる。さらに独りでに抜けたその剣の痛みを歯で食いしばることで耐え、νへと視線を合わせた。

 

「違わないよ、何も。μもνも、ラグナが言ってた通りの化け物だよ」

 

「違う、違う、違う! いやっ、聞きたくない!」

 

 何も心配いらない、と。そうノエルに伝えるように。動揺するノエルを嘲笑うように、νは顔に笑みを張り付ける。

 怖かった。νへ対して憎悪を向けるラグナに。戦っているのはただの化け物、だから何も考える必要はなかったのに。

 その憎悪が、自分へと向けられたら。νと同じ存在である自分は、その憎悪を受ける理由がある。もしもあの人が、自分に向けて殺すつもりで剣を向けたら。

 元の場所に戻った剣が再度ノエルに降りかかる。耳を塞ぎ、目を塞げばνの言葉から逃れられると、勝手に判断してしまった体は、今迫る脅威という現実から目を逸らした。

 

「ぅおおぉらぁああ!!!」

 

 瞬間、身体が放り出された。それは二人の間へと走ったラグナが、ノエルの腕をつかみ、無理やり投げ飛ばして起きたことだ。

 到着したラグナは大剣を振り回すことでνの剣を纏めて弾き飛ばした。そしてそのまま大剣をνに向かって構える。視界に入ったνは、既にラグナを見ていなかった。

 

 

 

「だから、貴女は消えちゃえ、全部」

 

 

 

 ノエルへと向かってνは手をかざす。空間が歪み、現れたのは大量の術式方陣だった。レガシーエッジ、ラグナを無視して向けられた剣は全てがノエルを殺すために造られたものだ。

 今ならνを切り伏せられる。蒼の魔導書を起動、全ての魔力をνを消すために使えば、ムラクモユニットを破壊することは可能ではないか。

 蒼の魔導書にコードを打ち込んだ。解放するために集中したはずだが、ラグナの視線はνの向ける剣の先にあった。

 

 

「……あ」

 

 

 呆けた声が聞こえる。統制機構の、ラグナ自身の全てを奪われ、壊され、憎悪する。そして、自身が壊したいと望むこの世界の秩序である場所の、一番壊したい場所に存在する衛士の声だった。

 背後にあるのは窯だ。逃げることはできない。どだい、その足は負傷してさらにラグナに生命力を取られている。ペースを考えずにいたその体には既に、酸素も足りていない。

 無視しろ。

 自分が望んだ展開だろう。壊したい者達がお互いにその身を砕いている。自分が手を下すまでもなく、その命は散るだろう。

 視線が合う。どこかその表情が、ラグナの記憶の中の人物を掠めた。

 

 

 

「馬鹿が!!」

 

 

 

 誰に言ったのでもなく、ラグナは叫んだ。蒼の魔導書の発動を抑える。腰の大剣を逆手で持ち、機械でできた地面を壊す勢いで踏み出す。

防御に使う魔力も、攻撃に使う魔力も全部自分自身の強化に使った。ほんの少しでも早く、”そこ”にたどり着くために。

 背に何かを庇うように立つ。何度もその衛士が自分の前に立ったように、ラグナは視界いっぱいに広がる剣の前に立った。

 

 

 ノエルの眼に入ってきたのは、ほんの数分前の焼き増しだった。

 自分を守る背中。どこか暖かさを感じ、隣に立った時は安心をもたらしたそ人の背中。ただ時間の経過を表すのなら、その服についたものだろう。

 

 

「ラグナ、さん?」

 

「……っち。無事か、ノエル?」

 

 

 ラグナの身体に、剣が突き刺さっていない場所は無かった。突き刺さった剣がラグナの背中から生えている。身体を掠めた剣は傷跡を残し、皮膚から血を噴出させている。ラグナの経つ場所の地面には、本の数秒も立っていないと言うのに、赤い血だまりができていた。

 ぷしゃ、と。ノエルに赤い雨がかかり、視界を真っ赤に染めた。それと同時に、ラグナの背中からどこか見覚えのある剣の刃が生えた。

 

 

「やっぱり、庇うんだ。優しいね、ラグナは」

 

 

 白い影がラグナの前から見えた。何処かで見たことのある人影だ。身体には既に剣は無く、インナー姿でそこに居る。ぎゅっと、愛おしそうにνはラグナを抱きしめる。

 

 

「早く、逃げろ」

 

 

 後ろを流し見るラグナは、肺に辛うじて残った息を吐き出すように、ノエルに呟く。そして、ノエルの横を剣によって貫かれた二つの影が、窯へと向かっていく。その光景をノエルはどこか遠い物に感じていた。

 ぐちゃり、という音と共にラグナの身体が黒い何かに変わった。νに浸食されていくように、その黒は二人を包み込む。まるで、ラグナという存在がこの場所からなくなってしまうような気がした。

 正しくは、変質している。ラグナが、ラグナだったものへと変わっていく。固体の物が液体になって名称を変えるように、世界にとってラグナという存在が曖昧になっていく。

 

 

「いや……」

 

 

 身体が動く。頭の中に勝手に何かの情報が入ってくる。ラグナが別の何かに変わってしまう事を、自分は知っている。

 逃げろと言われた。逃げる理由ができた。だったら。

 

 

「いやっ!」

 

 

 子供の様にノエルは声を上げた。

 何が何だか分からなかった。それでも、いまここで座っていたら、逃げ出したら、何もかも正常に全て終わってしまう。当たり前の事象として、全て終わってしまう。

 二人だったものが、窯へと堕ちていく。窯は、大量の魔素の渦巻く場所。人が入れば、その情報によって、その形を失ってしまうだろう。

 躊躇は無い。影を追いかけるように、ノエルは窯へと飛び降りた。

 

 

――――――――

 

 事象は此処で終わる。そう確定している。

 

 ある者は盛大な舌打ちをする。何かが変わると考えた事象に、なんの意味もなかったことに。人形遊びも、中途半端に終了することに。

 

 ある者は無言で帽子を押さえた。本当を見つけた自分は此処で消える。消えたくないのならば、同じように窯へと向かい賭けるしかない。

 

 その存在は刀を仕舞ながら駆けた。対峙していた人物を無視し、僅かな確率があるのなら、と。その刀を振るうため、ある存在を定着させるために。

 

 

 そして、その少女は空を見上げた。

 すべてを終わらせる雷、それがすぐ此処に降り注ごうとしている。冬の吹き付ける様な冷たい風を無視し、原初のアークエネミーを仰ぎ見た。

 

 

―――――――――

 

 

 

 ”ラグナ、もういいよ。”

 

 ラグナの中に暖かい声が聞こえてくる。初めて聞いたときは嫌悪しか抱かなかったその声に、ラグナは安らぎすら感じていた。母体に包まれる感覚とは、こんなにも気持ちの良い物なのだろうか。

 

 ”ラグナの壊したかった世界は、もうなくなるから。”

 

 世界が、何もかもが自分を責める様な。楽しさも、安らぎも、暖かさも、全て世界によって壊され、自分はただ、世界を恨んでいた。

 統制機構だけではない。その悲劇を知らず、なんの思いも抱かずにのうのうと生きている者達が。そんな嘘の世界で生きている存在が。ただ、憎悪した。それで自分が楽になるはずもないのに、憎悪する以外の選択肢は存在しなかった。

 

 ”世界を壊そう? 憎い、憎いこの世界を。ラグナを傷つけるこの世界を、一緒に壊そう?”

 

 その提案は魅力的だった。自分はただ、この声に従い、この暖かさに包まれればいい。ただ自分という存在を溶かしていくだけでいい。

 この声の主も、自分も、世界が憎かった。苦しみを与え、そうする自分たちを嘲笑い、その運命通りに夢見るこの世界が。

 黒い世界だ。薄眼を開けて見た世界は、何も見えず真っ暗で、それでも自分にはもう一人、この声の主が居る。

 

 

 それは正しいのだ。正しい形で世界は回っている。だから、このまま…………

 

 

 

 

 

 

『貴様はまた、蒼の少女を喰らい尽くすだろう』

 

 

 

 

 

 

 男の声が、頭の中に響いた。

 はっと瞼を開き辺りを見渡した。

 視界は固定され、自分の意識があるのにもかかわらず自分の身体を動かすことができない。まるで自分が誰かに乗り移り、その視点を奪い取っているようだった。

 視界にはまた、どこか見覚えのある少女が現れる。青い帽子の下には金の髪が見え、背中には布が無く、動きやすそうな姿のその少女は、誰かを突き飛ばしてラグナの前に出る。

 その少女が迫る。そうラグナは錯覚し、違うと呟く。ラグナ自身が迫っているのだ、その少女へと秒も置かずに近づいて……

 

 ぐちゃ、という音と共に、少女の右半身を喰らい尽くした。

 

 

 味は感じることは無い。食っているという感覚もない。ただ自分が目の前の少女を食い殺したという事だけが事実だった。

 右腕も右足も無くなり、倒れた少女に誰かが駆け寄った。何を言っているのかは聞こえない。ただ、その誰かが顔を上げたとき、深い憎悪を溢れさせていた。

 

 それは、ラグナの知らない事象の話。

 誰かが■■■と呼んだ、その少女が喰われるその事象。窯は全ての世界とつながっている。その情報の波が見せた、ほんの一部分だった。

 その情報をもたらしたのはある男の言葉だった。『その世界の住人だった者が』言ったその言葉が、ほんの少しまで隣に立っていた少女の声が、縁となってラグナにその情報を窯の中で引き寄せる。

 だからラグナは理解した。自分がこのまま流されれば、どうなるのかを。その結果がどうであったのかを。

 世界を破壊することになる、結果を簡単に表わすとこの言葉だった。だが、それでもいい。この世界を壊すことに、戸惑いは無い。

 

 ただ、浮かんだのは一人の少女の顔。

 

 

 

 

 

「そこから先に、行っちゃダメ! ラグナさん!」

 

 

 

 

 うるせーよ。

 

 

――――――――

 

「ここは捨てられた事象、世界のひずみ、確率事象によって起きた、既に変質した事象に他ならない」

 

 少女は口元に笑みを浮かべて、誰に言うのでもなく呟く。

 

「私は既に信じると決めたわ。人として戦う、その言葉を」

 

 魔方陣を展開される。それは、都市一つを覆い隠すほど大きなものだった。三輝神ユニットの一つ、ツクヨミの名を持つその方陣を作り上げ、少女は空の監視者を見上げながら呟く。

 

「だから早く目覚めなさい、ラグナ。貴方を縛り付ける世界は、もう貴方に何も強要していないのだから」

 

 

――――――――

 

 

「第666拘束機関解放……、次元干渉虚数方陣展開!」

 

 

 

 それは、ただの意地だったのかもしれない。

 自分が嫌悪した世界を、結果的に守ることになってしまったとしても、それ以上に自分の気に入らない奴が言った言葉通りになってしまうことが苛立った。

 化け物になって戦うのではない、世界と戦うのは人間としてであると、そう大口を叩いたその言葉を。気にくわない男に言ってしまった正義とやらを、何時も見下して此方を見る少女が信じた自分を、簡単に裏切る自分にむかついた。

 

 黒く変質したものが形を作り上げる。一つだった影は二つとなり、ラグナは剣に貫かれたまま目の前で目を見開くνを見下ろした。

 今ここで、ラグナは観測された。変質していく身体は既に元に戻り、上位の観測者によって世界は塗り替えられた。

 

 何よりも、自分の前に出て、どう考えても敵対すべき相手だと言うのに、そんな自分の前に立った少女を、自分自身で殺すことに嫌悪した。

 

 

 

蒼の魔導書(ブレイブルー)、起動!」

 

 

 

 作り上げられた身体の一部分、右腕が直ぐに変質する。大きさは人の手と同じぐらいで、黒い魔素によって固められた形状はそのままだった。

 νが作り出した表情は驚愕だった。信じられない物を見たようなその表情へと向かって、ラグナはその右腕を押し付けた。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「いゃぁあああああああああ!!!!」

 

 

 叫ぶ、喉が枯れることも無視して、ただ目の前の存在を消そうと、全てを飲み込もうと。自分の持つ魔導書はそれができると信じ、ただ魔力を注ぎ込む。

 腕を押し付けた先でνがもがくのを感じていた。蒼の魔導書によって魂を、その存在を削られていく苦しみから逃れようと、ラグナの腕を放そうとラグナの手を掴み、叫ぶ。親指と人差し指の間からはνの右目が、涙をこぼしながらラグナを見上げている。

 

 

「いやだ、いやだよラグナ! どうして拒絶するの!? なんで分かってくれないの!? とても、素敵なことなのに」

 

「ふざけるな……っ。俺の未来をテメェに、テメェ等に決められる筋合いなんざ無ぇんだよ!!」

 

 

 生きることも死ぬことも全て世界によって決められ、その運命によって最期の時も同じように終わる。

 そんなもの家畜と同じだ。本当の明日も見えず、ただ箱庭の中で笑って、そして、その運命に流されて最期を迎える。その最後の後さえも利用される。

 それが世界の選択なら、そんな世界、破壊する。

 ぐちゃり、ぐちゃりと、境界から入り込む情報が、νという存在から吸収した魂がラグナの体を崩壊させる。とある研究者が境界に触れ、魔素の怪物に成り下がったようにその体は崩壊を続ける。

 しかしそれと同じ速度で身体が定着される。蒼の継承者、その観測者によって観測されるラグナの身体は形を取り戻している。

 

 

「いやだよ……離れたくないよ、ラグナぁ」

 

 

 νは顔を涙でぐしょぐしょにして、ラグナを見上げる。ラグナの右腕を掴む手に、力がなくなった。それはただの懇願だった。大好きな人と離れたくないと、泣きじゃくる子供の様にνはラグナに声を上げる。

 ラグナは息をのんだ。しかし、蒼の魔導書を止めようとはしない。理解していた。今から自分が何をしようとしているのかを。

 壊すのではなく殺すのだ。自分と同じように、世界を憎み、何の温かみも無く、ただ、自分にすがることだけが存在理由だったその少女を。その、人間を。

 

 

「悪い、ニュー」

 

 

 ラグナは呟くように口を開く。その口調は悔いる様な、謝るような、ラグナ自身を責める様な、静かなものだった。

 

 

「テメェの憎しみも、何もかも全部持っていく。だからすまん、先に逝け」

 

 

 

「……あ」

 

 

 その言葉を最後に、νの眼には光が失われていた。

 ラグナはぞぶり、と自分の腹の剣が抜ける音を聞いていた。痛みは感じない。自分よりも早く剣と共に落ちていくνを、ラグナは見下ろしていた。

 どうして自分は見下ろしている? そう思い直して窯の入り口へと見上げた。

 ノエルが手を伸ばしていた。声が聞こえず、ノエルが何かを叫んでいるのを見て、ただラグナは手を伸ばす。

 

 掴まれた腕が、離されることは無かった。

 

 

――――――

 

 

 懐かしい夢を見る。まだ自分の周りが平和で、穏やかながらも幸せな日々が続いていた時の夢だ。

 木からの木漏れ日がラグナの肌を撫で、その気持ちよさに思わずごろりと草原へと寝転んだ。

 自分を誰かが見下ろしている。ラグナの視界に入ったのは自分の妹であるサヤだった。柔らかな金の髪が風に揺れ、その口には笑みを浮かべて微笑んでいる。

 今日は身体の調子は良かったのだろうか。声が出ず、ラグナはぼんやりとそんなことを考える。

 自分の頭が何か温かい物に乗せられた。枕の様に頭が落ち着き、暖かい。同じように心が安らぎ暖かくなっていくのを感じていた。

 そのまま眠ってしまおうかと眼をゆっくりと瞑る。意識が落ちていくその直前に、ラグナは自分の顔に降り注ぐものを感じていた。

 

「雨……?」

 

ぽつん、ぽつんと自分の頬を濡らしている。

 おかしなもんだ、と内心で呟いた。暖かい日差しがさしたその場所は、当分雨なんて振りそうもないのに。

 何かを思い出す様に、ゆっくりと目を開く。何なのかを、確かめるために。

 

 

 

「目は、覚めましたか?」

 

 

 そこには、目の下に涙を貯めて見下ろす、ノエルの姿が在った。体はぼろぼろで、帽子はいつの間にかどこかに吹き飛び、纏めていた髪は下されている。

 どこか自分の妹と似たその姿に、思わず息を呑んでいた。

 頭に暖かいものを感じている。地面に寝かされた自分の状況を思い出し、その柔らかい感触がなんなのかを思い出す。

 ノエルはラグナの頭を自分の膝に乗せていた。ラグナの近くに居れば蒼の魔導書が、勝手にその生命力を奪ってしまうと言うのに。その現状を思い出したラグナは思わず口を開く。

 

「おい馬鹿! お前俺の近くに……」

 

「ばか」

 

 ラグナの言葉を遮って、ノエルはラグナに向かって呟いた。

 

「ばか、ばか、ばか、ばか」

 

「ノエ……ル?」

 

ぽつ、ぽつと涙がノエルの頬を伝って流れ落ちる。眉を寄せ、俯いて目を瞑るノエルは、誰に言うのでもなく呟く。それは、自分自身であり、ラグナに向けていた。

ノエルとラグナの視線が合った。ラグナにはノエルが、どうして、と。そう尋ねている様な気がした。

 

「無茶しないでください、って。言ったじゃないですか」

 

 ラグナは、自分の今の状態を思い出して、小さく呆れたような息を吐いた。

 ノエルが自分の隣に立った時、言った言葉だった。自分の無力を嘆く意味と、ラグナを責める様な、そんな風にノエルは尋ねる。

 ああくそ、と。ラグナは体中の力を抜いて身を任せた。自分の頭を撫でる手がどこか心地よい。心配そうに見下ろすノエルに、視線を合わせると口元に笑みを浮かべて答えた。

 

「ばーか、無茶しないわけにはいかねぇだろうが、この馬鹿が」

 

「……バカバカ言わないでください」

 

 つられたようにノエルも小さく笑った。その笑みを見て、ラグナはただ安堵した。

 自分が窯の中で見た別の可能性、そこではこの少女は壊される。他の誰でもない、ただその身を任せて、逃げ出した別の可能性の自分によって。

 だから、思わず安心した。この世界で自分は、人としてこの少女と同じ場所に居ることを。

 ノエルが小さく笑った。ラグナも、それにつられて口元に笑みを作った。

 

辺りは戦闘の跡が見え、破壊されている。しかし、二人の間には穏やかな空間が流れていた。

 

 

 

 

―――――― 

 

 

 

 

 

「くくっ、くっく。ぎゃぁっはははははははははははははは! とんだ茶番も見せられたもんだなぁ、そうだろうハザマ!?」

 

笑う、その存在は二人の前に現れる。

ノエルがその存在を観測することを止める者はいない。

ラグナが声に反応するも、身体を起こして剣を握り、それだけで観測を妨害するには至らない。

その体の中で誰かが叫ぶ。何を言っているのか、何を言おうと関係ない。ただ、その存在はなすべきことをするだけだ。

笑う。何もかもがおかしいと言うように、ハザマの身体にいたその存在は笑った。

 

 

「さあ、俺を観測()ろ、ノエル=ヴァーミリオン!!」

 

 

誰かが、口元に三日月の笑みを浮かべて嗤った

 




次話はさっさと出したいと思います。

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