統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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最新話になります。四話ほどまとめて投稿したので、初めての方は読み直すことをお勧めします。


ステージ8

 ぺたんと地面にそのまま座り、ノエルは心臓の音を確かめるように胸へと手を当てていた。

 稼働するエレベーターの音は単調であり、その小さな箱の中の乗客であるノエルにはもう一つ音が聞こえている。

 とくん、とくんと自分の心臓は何かを求めるようにその音を鳴らす。いつもよりも早く動く心臓と少し火照った顔が、自分を今何かを楽しみにしているという事実をはっきりとさせていた。

 

「……ラグナ」

 

 胸中にある言葉を口から零し、ますます心臓の鼓動が速くなってしまうことに思わず慌ててしまっていた。

 こんなことじゃいけない、任務中だと頭の中では切り替えようとしているのに、そう思えば思うほど鼓動は早くなっていくような気がしてた。

 

 合流時間になっても影も形も表さないハザマに対して、時間ピッタリに支部へと戻ったノエルに移った光景は、ボロボロになった自分の上司の姿だった。

慌てて声をかけるも反応は無く、心臓と脈の音だけがジン=キサラギが生きていることを表している。

応急手当程度は済ませたものの、すぐさま医療施設に運ぶべきだろう、そう判断しハザマへと連絡を求めると、帰ってきたのは意外な言葉だった。

 

『キサラギ少佐は私が回収します。とりあえずヴァーミリオン少尉は奥へと進んでください。そこに死神が向かいました』

 

 その言葉だけでノエルはなんの疑いもなく統制機構支部の地下へと向かっていた。寧ろそれを望んでいたと言ってもいい。

 本来ならばノエルは自分の上司が瀕死の重傷で放置することに意義を唱えるべきだったのだろう。だが、その思いは自分の欲求に敗北し、死神、ラグナ=ザ=ブラッドエッジを追っている。

 

「らぐな、ざ、ぶらっどえっじ」

 

 その言葉を呟くだけで顔が火照るのが分かった。そんな状態の自分は、自分の身体とも思えなかった。

 どうして話したことも会ったことさえない人に対して、自分はこんなにも思いを寄せているのか。訳の分から ない熱が勝手に沸き、自分を沸騰させているようだ。

 

 エレベーターを出て薄暗い鍾乳洞のような統制機構の地下へと足を踏み入れる。ノエルはハザマから渡されたデータをもとに足を進め、地下の奥へと向かっていた。

 ラグナ=ザ=ブラッドエッジは統制機構の支部を壊滅させた後、地下で何かを破壊しているとの報告が入っている。それが何か、については機密という事で情報は入ってきていない。自分の知る必要のないことだ、ノエルはそう判断した。

 ハザマに、そんな機密がある場所へ自分が行っても良いのかと尋ねると、許可は貰っているので問題は無いという言葉を返された。しかし臆病風に吹かれたのか、段々と不安になっていたのが分かる。

 一応もう一度確認しよう。足を進めながら自分の携帯端末に手を伸ばすと、ハザマ大尉の返信を確認しようと電源を入れた。

 

「……あ、充電きれてる」

 

 むう、と呟き真っ黒な画面のまま起動しようとしない携帯端末を睨みつけ、小さく溜息をつく。

 進まない、という選択肢は無い。自分は『ラグナ=ザ=ブラッドエッジに会わなければいけない』

 

 数分ほど歩いたころだろう、自分が周りの景色とは違う場所に着いたのは、地面の地質が変わった辺りだった。

 今までは岩に近い地質だったが、その場所だけ鉄のような材質の地面へと舗装されている。

 その舗装された地面の中心に”それ”は存在していた。すり鉢状で地面のプレートが不自然に重なったようなその場所は、”たった今開こうとしている”。

 

「……なに、ここ」

 

 それは”窯”だ。自分はこれを知っている。どこかでここを見たことがある。

 それは原初の記憶、イカルガで自分が見た光景、破壊された紅色の景色に自分が佇んでいた時の、その時と同じ既視感を感じている。

 その記憶がなんの前触れもなく蘇えり、足元を失ったかのように視界を揺らしていた。

 

「あれ……? 私、わたし、 わた し は ? 」

 

 違和感が体の中を走る。違う、そうノエルは思い直す。自分という存在の意識が違和感であり、私という記憶が偽りであり、私という存在が間違い。その結論にたどり着いていた。

 開き切った窯に剣が現れる。空からゆっくりと訪れた“それ”は余りにも人間に似た形をとっていた。

 鋼のような銀色の髪に片眼は眼帯で隠され、身体に丁度合わせたような薄水色のインナーの上に、ひらひらとした白い羽織を肩へと纏っている。

 妖精のような少女、と言うには聊かその少女は無機質すぎた。まるで剣みたいだ。そう呟いたのも無理はなかった。

 背後の巨大な剣が消え、少女の身体に纏われる。身体の周りには六つの剣が身体を守るように浮かび、足は機械のような剣で鎧の様に装着されていた。

 

 

「起動、起動、起動、起動、起動、認識」

 

 

 その視線が此方へと向けられたような気がした。バイザーのようなもので目を覆われていたので、あくまでも自分の想像だった。

 

「対象、照合、同一体と認識」

 

 恐怖を感じていた。獣に襲われた時とは違う、声も出せず身動きもとれないこれは別質の何かを感じる。

 目の前の存在が言葉を発していることさえもどこか遠い場所の出来事にも思え、言葉を失っていた。

 

「貴方、なに?」

 

 私という存在、決まっている。世界虚空情報統制機構第四師団、ノエル=ヴァーミリオン少尉。言おうとした言葉は宙に消え、代わりに”わたし”が口を開く。

 

「私は、次元境界接触用素体、No,12、μ。対象を対三輝神コアユニットと認識。検索、対象なし。後期生産型素体であると推定。情報開示を求む」

 

「次元境界接触用素体、No,13、ν。不正同一体の稼働を認識、現在対象の存在は不適切。速やかに自壊を勧告する」

 

「拒否、自身の生存を優先する。対象の敵対行動を認識、魔銃ベルヴェルグ召喚。戦闘形体へと移行する」

 

 なにを、いっているの?

 

 ノエルはそう思わずにはいられなかった。

 自分の物であるはずの自分の身体は意志と全く関係のない行動をし、全く関係のない言葉を発している。

 目の前にいる現実とは思えない存在にしてもそう、訳の分からない言葉を言う”わたし”という存在もそう、ノエルの理解の範疇には収まり切らない。

もしかして、という思いはノエルにもある。アークエネミー、ベルヴェルグ、精神制御されていることも分かる。これも、そのせいだと言うのならば。

砂が解けるように意識が分からなくなっていく。この自分の意思が私自身であるのか、それとも”わたし”であるのか、それさえも分からなかった。

 

「敵対固体、アークエネミーベルヴェルグの装備を確認、検索、不正同一体の敵性反応を認識、存在の排除を適正と容認する」

 

 

「「対象の殲滅を開始します」」

 

 

 ただ、その遠い出来事である光景を見ていることしかできなかった。

 

―――――――――――――

 

 白と紅の影が交差する。

 大量の赤黒い術式をその白い影は斬り伏せ、まるで何も存在していなかったように対象へと突っ込んだ。

 大剣と太刀が鍔迫り合いをはじめ、ラグナは目の前の存在が行動したことの確認もそこそこに、小さくそこから飛び上がっていた。

 蓮華、とその存在が呟いたかと思ったのもつかの間、半歩下がった次の瞬間にはラグナの足元を地面を抉られた。地面はその白い存在が蹴り飛ばした結果だと分かり、身体を回し放たれた二撃目の脚撃を自身の大剣で受け止め、流す。

 体勢が崩れた今を狙い、振り回すように大剣をその存在に向かって切りつける。ぞわり、という悪寒と共にいつの間にか術式陣を目の前に展開され、相手は腕で守るように構えていたことを見た。しかし反応するより先に自分の身体はすでに地面へと叩きつけられていた。

 見切られ、斬りつけたはずの自分が投げられて地面を寝転がる羽目になった。無論、そのまま転がっているわけにもいかない。自分の頭を踏み砕こうとしている姿を見れば、無様な回避な仕方であろうと、無理やり飛んで距離を置くしかなかった。

 

「糞っ、訳わっかんねぇし意味分かんねぇ、反則だろそれ!」

 

「………」

 

「おいおいだんまりかよハクメンさんよ。訳分かんねぇまんま切りつけて来やがって、そんでもってそいつは余裕のつもりか?」

 

 目の前の存在、白い肌とも鎧ともいえるモノを纏い、背中には大太刀の鞘が添えられている。

 何よりも目立つのはその名を指すとも言える、白い面だった。体中から見られている、という感覚はあるのだから、視覚自体は存在しているのだろう。

 それよりも驚いたのは、ハクメン、という名だった。

 ほんの百数年前に実際に存在していた本物の英雄という存在だ。自分の師匠もその英雄の一人ではあったが、それが自分の敵に回っているという時点で、面倒なことこの上なかった。

 力ではない、全ての攻撃するタイミングを見切られ、攻撃され続けていることを当然のようにこなすものを見れば、反則だと言わざるを得なかった。

 

「(師匠が入っていた“奴”っていうのはコイツの事か)。……クソ、どいつもこいつも肝心なことだけ伏せやがって!」

 

 この白い姿に感じた本能的な恐怖、足が震え逃げ出したいと思う気持ちを潰し対峙したときには、こいつが師匠の言っていた人物であったとも理解した。

 自分がここに来る前のレイチェルについてもそうだった。

 ハザマの使った術式について口に出そうとしたものの、結局は口を紡ぎ話してはくれなった。

聞いてどうなる物でもない、理解はしているが納得するとは別の話だ。事実、目の前のハクメンにしたってそうだ。何を問おうとしても「剣を交えればわかる」と一蹴した。訳が分かるわけがない。

 

「…ラグナ=ザ=ブラッドエッジ、何故貴様は本気を出さん」

 

「あん? ……コレのことを言ってんのか? さーな、少なくとも切り札を使うタイミングぐらい俺に選ばせろ」

 

 視線を自分の右腕にある蒼の魔導書に目を向ける。解放するつもりはあったが、その隙が無いだけだ。解放させるつもりもないくせによく言う、とラグナは舌打ちする。

 

「油断はいかんな」

 

 それが終わるよりも先に前傾姿勢で走り、一瞬で目の前に現れたハクメンに目を見開いていた。鬼蹴、力を凝縮し地面を蹴った。真正面に居るのにもかかわらずラグナにはその姿を捉えられず、ラグナは剣を盾にするように構えた。

 火蛍、その言葉と共に低い姿勢のまま、打ち上げるようにラグナのガードを抜き、顎へと直撃させていた。脳が揺れ視界がぶれる。

 しかしハクメンが腰に刀を構え横薙ぎに一閃しようとしているのを見て、ラグナは術式を爆発させることを選んだ。

 

「うぉおおおおおおお!!」

 

「ぬぅ!?」

 

 障壁破棄、戦闘中に纏う障壁を外向きに爆発させ、相手を吹き飛ばす方法の一つだった。

 しかしこれは諸刃の剣でもある。術式障壁を組み直すには時間がかかる、その上解いた状態では旧時代の銃弾一発でも致命傷になる。

 だがこの時点ではラグナの判断は正しかった。術式ごと斬られ絶命するぐらいなら、保険の一つを解くことに戸惑いは無い。

 ラグナは剣を構え立て直すと、脳内で術式障壁の張り直しを試みる。目の前のハクメンがそんな時間を与えるかどうかも分からない、ただ途中であっても何もないよりマシ程度にはなる。

 

「呆れるな……この程度か、黒き者よ」

 

「……ちっ」

 

 剣を地面へと向け、失望したようにハクメンは首を振った。

 無論戦闘中であるはずだが、ハクメンが目の前で構えを解いていたことに思わず呆けていた。しかしそれもつかの間、その行為が自分を馬鹿にしているという事に気が付き、思わず頭に血が上る。

 しかし冷静ではあった。仕掛けてこないのならば好都合であり、術式障壁のコードを造り続けた。

 

「貴様は、何を成す。ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 

「なに?」

 

 片手に持ち、地面を指していた刀をラグナへと向け、ハクメンは尋ねた。

 油断させるための行動か? と考えたが、それも違う。そもそも目の前の存在が六英雄であるハクメンであるのなら、蒼の魔導書を起動すれば勝てるかもしれないが、起動する前に斬り伏せている。

 目的は何かと察知する前に、その仮面の下で声は響き渡っていた。

 

 

「世界は繰り返す。貴様がどう足掻こうと此処で世界は終焉する。真の英雄であるブラッドエッジは終焉を避けるために、人として強大な存在と戦った。答えよ、その名を継いだ黒き者よ、貴様はいったい何のために、何を成す」

 

 

 かつて人々に六英雄と呼ばれた存在の他に、英雄と呼ぶに値する者が存在していた。その身は人であるにもかかわらず、たった一人で絶望へと挑んだ存在。ブラッドエッジ、その英雄のことを話したのは、ラグナの師匠である獣兵衛とレイチェルだけだった。

 だからラグナには言っている意味は分かる。六英雄と呼ばれた存在とは別の、自分の師である獣兵衛や目の前のハクメンが英雄として認めた存在。

 ブラッドエッジ、この赤い外套と剣を渡されたときに師匠が話した、英雄。自分が今名乗って居るものだった。

 

「私は貴様という存在を斬る。剣を合わせて確信した。この世界の真理も運命も無力な貴様では変えられず、貴様は堕ちた世界の破壊者以外に成りえない」

 

「……」

 

 どういうことだ、と内心で呟く。

 ブラッドエッジが何を成し遂げたのかは知らない。自分が取っている行動がブラッドエッジを語るのに相応しくないから、目の前にいるハクメンは俺自身を殺そうとしている?

 なら破壊者、運命という意味は? 自分が統制機構の支部を襲い、世界を混乱させている張本人だからこそか? その行動もその運命とやらの示した通りだったという事か?

 多くの過程がラグナの頭を駆け巡る。がりがりと頭を掻き毟り、混乱している頭を取り戻そうとする。恐らくハクメンは誰よりも多くの真実を語っているのだろう。だが自分自身が理解できないのだから、語る意味が無いとレイチェルなどから言われることも理解できる。

 だがもう限界だった。いくらレイチェルに愚鈍扱いされようが、許容範囲外の話にはついてはいけなかった。

 

「だーーーーーーっっ!!! 俺がそんなこと知るか!」

 

「……む?」

 

 敵陣で敵が目の前に居るのに、頭を抱え思わず大声で叫ぶ。

 術式障壁を張り直せたことや、声を出したということもある。幾らか頭もすっきりして改めて問いを返すことができた。思考を止めたとも言うが。

 

「世界の破壊にも真理とやらにも興味はねぇよ、俺はただ……」

 

 兄弟とシスターがいた自分たちのあの世界を壊し、生かすことも殺すことも他人に決められた。そして未だに自分の妹は弄ばれ続けている。

 どこにでも転がっているような世界の悲劇であり、それを行った者達が世界自身であると言うのなら、成程自分の目的は世界の破壊という事になる。

 だが本当の意味で世界を破壊したいわけではない。統制機構は憎い、だがそれも兵士末端全てに至るわけでもない。

 

「納得ができないだけだ。俺達の世界を壊した連中が、のうのうとまだ存在し続けていることが」

 

 その言葉を出したとき、すっとハクメンの殺気が辺りへと溢れ出す。

 引くように太刀を構えたハクメンを見て舌打ちするも、右腕を前に突き出しとある術式を解放するためのコードを入力した。

 

「愚かな、復讐のためにその力を振るうと言うのか。……餓鬼に堕ちたな、黒き者よ。貴様の末路は世界を喰らい破壊する化け物でしかない」

 

「堕ちてねーよ。人のことを勝手に判断するんじゃねぇぞ、このお面野郎が。いったい何様のつもりだテメェ」

 

 ガキ、確かにその通りだ。何百年も生きている英雄や吸血鬼に比べれば、自分などという存在は子供のようなものだろう。

 だが、もう子供でいられるわけでもなく、そのつもりもない。

 決心する。誰に言われたわけでもなく、それは確かにラグナ自身がこの場所で決めたことだった。

 

 

「俺が破壊者って言うんなら、その運命とやらを破壊してやるよ。化け物にも堕ちるつもりはねぇ、『最後まで人間として戦ってやる』」

 

 

 その言葉に、ハクメンの殺気が緩む。その変化に思わず自分もコードを唱えることを一旦止めていた。

 表情は見えることは無かったがどこか唖然としているようにも感じる。自分の言ったことがそんなにもおかしかったのかと思うが、その後のハクメンの行動にさらに首を傾げる羽目になった。

 太刀を体の前に構え柄に手を添えた。何処か神秘的にも見えるその姿に驚くも、自分も魔導書のためのコードを唱えること進めた。

 

「……成程、それは貴様の正義か、黒き者よ」

 

「はぁ? ……なんかよく分かんねーけどそうなんじゃねーのか」

 

「ならば堕ちてはくれるなよ、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。でなければ貴様はまた、『蒼の少女を喰らい尽くすだろう』」

 

 また意味が分からない言葉を言っていることに頭が痛くなる。

 どうやら目の前の存在も言葉に納得はしてくれたらしいが、此方と拳を引く理由もない。ならばすることはあと一つ、術式構成も終わった、何時もと変わらない力技で進むだけだろう。

 すっと腕を前に構え、蒼の魔導書の起動コードを唱えだす。

 

 

 瞬間、視界がブレて足元からの振動に思わず発動を止めていた。

 

 

「っ、なんだ!?」

 

「……早い。もう出てくるか」

 

 出てくるか、という言葉にラグナはある可能性に気が付いた。そもそもラグナがこの場所に訪れたのは、ハクメンの遮る場所の先にある窯、正しくはそこにある素体が目的だった。

 精錬されまだ目覚めていない状態であればそれでよかった。だがもしも先ほどの振動が、窯が開いたという事を示すものだとしたら。窯が開いたというは既に精錬は始まっている。蒼の魔導書を発動し、ハクメンを速攻で倒したとしても間に合うかどうかは難しい。

 そもそも使わなければ本当に倒せるかどうかも怪しいのだ。起動コードは唱えてあるので、あとは術式として発動させるだけでよかった。

 

「止めておけ」

 

「……なんだと?」

 

 その光景にラグナは思わず蒼の魔導書の起動を止めていた。

 構えていたはずの刀を軽く振り、鞘へと納めたハクメンは、くるりと後ろを向いてその場を離れようとしていたのだから。

 ラグナは完全に解放しようとしていた蒼の魔導書の起動を無理やり止め、その反動で震える腕を抑えるようにしてハクメンへと視線を移した。

 ハクメンは完全にラグナの方へと向いてはいなかった。遠くを見据え、なにかを探ろうとしているのか。ただラグナは最早眼中にないという事実だけが、ラグナの頭を沸騰させた。

 

「テメェ、どういうつもりだ」

 

「今の貴様と剣を交え続ける意味が無い。ソレをここで使う必要も無い、それだけの話だ」

 

 そう切って捨てるハクメンは確かに戦闘する意思が無いように見えた。

 油断をするな、とハクメン自身がラグナへと言ってはいたが、刀も既に鞘へと仕舞い自然体でいる姿は、目の前に居るのが敵だと認識させまいとしているにも思える。

 ハクメンと戦う必要はない、それを理解しただけでラグナの本能や理性は安心したと静めていた。しかし、感情は全く別物だった。

 

「ふざけんじゃねぇぞこのお面野郎が! 構えろ! 勝手に仕掛けておいて勝手に終わるだ? 人を嘗めんのも大概にしやがれ」

 

 剣を向けるラグナをハクメンは一瞥すると、深く重い息、ラグナにも聞こえる程度に溜息を吐きだした。

 まるで人を馬鹿にするような、鼻で笑う音が聞こえたということもあり、ラグナの感情が収まることは無さそうだった。

 

「何度も言わせるな、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。今此処で貴様を滅する意味は無い。私にどこまで手加減しろと言うつもりだ?」

 

「……上等。今ここでテメェは潰す」

 

 自分の本能が馬鹿止めろと叫び続けるのを無視して、自分の右腕を前に突き出し、今度こそ蒼の魔導書を発動しようとコードを再構築し直す。

 流石にそれを解放されて構えも無く居られるはずもない。ハクメンが刀に手をかけ、ラグナが蒼の魔導書を起動しようとした時だった。

 

 ふわりと、薔薇の香りがした。

 

 ラグナは自分の右腕に目を下す。ラグナの右腕に添えるように置かれた小さな白い手は、まるで蒼の魔導書を発動させるのを止めているようにも見える。またしてもラグナは発動を止めてしまっていた。

 ほんの少し視線を移せば、そこには見下ろす形で少女の赤いリボンが見えた。ウサギの様に立てられたリボンの下では、紅い瞳がラグナをじっと見つめていた。

 

 

「やめなさい、ラグナ」

 

 

 転移魔法を使った後の赤い魔方陣が、役目を終えて足元から消えた。

 静かではあったがその声色には冷たさは無い。見つめる視線も無表情ではあったが、ラグナが普段知っているような見下すものではない。

 少女……レイチェルがくるりと後ろを向き、ハクメンと対面するのをラグナは呆気にとられたように見ていた。

 

「見たかったものは見れた? 『えいゆうさん』?」

 

 頭の中が真っ白だった、というのがラグナに最も当てはまる。表情を見せずにいる二人の姿に、自分だけがこの空間で浮いているような違和感を覚えていた。

 何故レイチェルがここにいるのか、何故ハクメンとの戦いを止めろと言ったのか。

 

「……貴様には関係のない話だ」

 

「そうね。それでも、貴方という存在を捻じ曲げるほどの強い思いが在ったことに、少し驚いただけかもしれない」

 

 微かに笑ったレイチェルはハクメンとの話をいったん切ると、再度ラグナへと向き直る。

 思わず一歩後ずさっていた。未知に対する微かな恐怖だったのだろうか。一歩二歩とラグナに近づき、見上げる形でラグナへそっと優しく頬に触れた。思わず悪寒にも似た感触が体を走り、思わず口を開いた。

 

「う、ウサギ……? なんたってこんなところに……てか気持ち悪いぞ、んだよその面」

 

 憎まれ口にも反応せず、レイチェルはじっとラグナの目を覗き見ていた。

 数秒、何かを言おうとしてはレイチェルは口をつぐむ。やがて小さく溜息を吐き、手を放した。

 なにか自分に対して思う事でもあったのだろうか、普段見ない態度からそうラグナは判断したものの、なんと声をかければいいのか分からない。

 

「……羨ましいわ。他の誰にでもない、私自身にそう思うなんて。私が貴方に言えることなんてもう何もないのに」

 

 自嘲する様に呟いた言葉の意味は、予想通り訳の分からないものだった。

 ぐしゃぐしゃとラグナは自分の頭をかき、その意味を考えようとしても分かるはずがない。それは自分の頭が悪いのではなく、説明もろくにしない相手が悪いのではないのか。

 

「なんだか知らねーけど、ウサギテメェ馬鹿か? 一人で納得してんじゃねーよ。こっちにもわかるように言いやがれ」

 

「困ったわね。愚か者に合わせられるだけの言語を私は持ち合わせていないわ」

 

「うっせ! ……説明する気が無ぇならさっさと失せろ。今忙しいことぐらい見りゃ分かんだろうが」

 

 先ほどの表情はなんだったのか、いつの間にかラグナを小馬鹿にするレイチェルは、クスリと笑っていた。

 レイチェルが何時もの状態になったことに、思わずラグナの頭は冷えていた。ハクメンと戦うことは危険だ、だから止めた。そう考えることは楽だろう。事実幾らか捻れば筋が通らないわけでもない。

 ラグナとしてはそれは面白くない。お前では勝てない、そう言われて何も思わないほどラグナは無感情でもなかった。

 

「……早く行け、黒き者よ『我』がまだ殺さずにいる内にだ」

 

 不意に、ハクメンから声がかかる。レイチェルとの会話を見ていただろうその姿は、どこか呆れたような雰囲気をも感じさせている。

 元々ハクメンはこれ以上ラグナと戦うつもりは無く、ラグナもレイチェルの介入によってどこか気が削ぎれていた。

 目の前のお面野郎は気に入らない、だが優先順位ぐらいはわかる。どのみち先のことを考えてしまえば、ハクメンを相手取るには危険だった。冷えた頭はそう判断している。

 レイチェルの横を通り過ぎ、ハクメンの横へと差し掛かる。そこで一旦足を止めると、その場でハクメンに聞こえるように呟く。

 

「テメェは後で潰す」

 

「貴様は『我』が殺す」

 

 ぞわりという悪寒が体中を走る。それを隠すようにハクメンの返答に対して舌打ちすると、ラグナは今度こそ窯へと向かって歩き出した。精錬が始まってしまい、今から行ったとしても面倒は避けられないだろう。

 先ほどのレイチェルとハクメンのこと、面倒くせぇ、と未だ分からない関係に、苛立ったように頭を掻きながら呟く。それでも今すぐ考えるべきことでもなく、ラグナの頭の中では既に切り替え始めていた。

 

 

――――――――――――――――――

 

「あらーマコトさんじゃないですか。任務中に電話はダメですよ。もしもこれが潜入捜査中だったら私、いやーんあはーんなことされてしまいますよ?」

 

「“それ、任務中に電源切らないハザマさんが悪いんじゃないですか? 私としては繋がるとは思っていなかったんだけど”」

 

「いえいえ、任務中とはいえ情報集めがメインですから、別に電話ぐらいなら問題ありませんでしたし」

 

「“そっか、残念だな。ハザマさんいやーんあはーんなことされてなかったんだ”」

 

「それっていったい誰が得をするのでしょう」

 

「“もちろん私かな。ハザマさんって外見は悪くないし、体型もいいし。ほら!”」

 

「え、ほらって言われても私なんて反応すればいいんですか? ドン引きしとけばいいんですか?」

 

 統制機構の支部に向かう際中、かかってきた電話はマコトさんからでした。

 何時ものようなくだらない雑談をしながらも歩みを止めることはやめず、それでいて楽しいと思える気分になれるのは案外悪くありません。

 

「まったく……死神に男色の趣味があるとは思いたくありませんね。大変なことになってました」

 

「“え? 死神って……ハザマさんあのラグナなんとかかんとかと会ったの?”」

 

「ええ、まったく危ない所でしたよ」

 

 これは別に機密という訳ではありませんから、話してしまっても問題ないでしょう。

 下手したら殺されてしまっていたでしょう。一般人ならともかく、ラグナさんが統制機構の衛士に対して手加減する理由がありませんよね。

 

「そちらの任務はどうでしたか? ああ、守秘義務があるので話せないのなら話さなくても大丈夫です」

 

「“……まあ、いろいろ大変だったよ、こっちも”」

 

 しみじみとした声が届き、私は任務中に何か掴んだのかとも考えましたが、考えても詮無きことです。

 統制機構支部の入り口が見えてきたことで、そろそろ電話を切ろうと口を開きました。

 

「ではそろそろ任務に戻りますので切りますよ」

 

「“あ、ちょっと待ってくれるかなハザマさん”」

 

 何かを思い出したように話すマコトさんの声に、切ろうとしていた指を止めました。

 正しい意味でこれがマコトさんと最後の会話になる可能性もあります。名残惜しいという気分もあり、私はマコトさんの声に耳を傾けました。

 

「“ハザマさんさ、私に何か言っておくこと、ない?”」

 

「―――そうですね。任務が終わったらまた飲み会でもしましょうか?」

 

「んー、そういうことじゃないんだけどなー。ま、いっか。それじゃあまたね、ハザマさん」

 

「ええ、それではまた」

 

 そのまま電源を切って端末をスーツのポケットへと入れると、私は止めていた足を動かしました。

 言っておくべきこと、というのはもしかしたら全てなかったことになってしまうかもしれないので、さようならとでも言っておけばよかったのでしょうか? どうもまだ人の付き合いというのは慣れかねるようですね。

 

『おいおい、最期かもしれないっていうのに残酷なことを言うねぇ』

 

 歩み始めて数分経った頃でしょう、『彼』が出した発言はどこか苛立ちがこめられていたものでした。

 統制機構の支部までたどり着き、扉を開ける最中、私はその言葉について考えました。成程、と知った知識から思い浮かべた理由がありましたが、それは口に出さず溜息を洩らしました。

 

「さあ? ですが『最期に傷つけていくよりは良い』とは思いますけどね』

 

 支部の開けた場所までたどり着き、私は人一人いないその場所で血まみれになっている人間がいることに気が付きました。

 どこか見覚えのあったはずの顔は頭からの血で汚れ、ボロボロになった衣装の下にはどうにか応急手当てを済ませた後の包帯がチラつきます。

 そんなボロ雑巾のような姿でしたが右手に握られた刀は離さず、私にとってはまるで呪いの様にその場へと居続けています。

 

「あーらまぁ随分とボロボロにされてしまいましたね、キサラギ少佐。おっと流石にこの怪我では気も失っていますか」

 

 足のつま先で小突くように頭を蹴っても反応は無く、呼吸音はあっても呻くことすらしていません。

 利用したようで悪い、とは思いませんでした。私には私なりの目的があってキサラギ少佐を動かしたのであって、私にとって既にどうでもいい人間となったキサラギ少佐に、何の感慨も浮かびませんでした。

 それどころか抗体という存在は利用出来なければ、私にとっては癌以外の何物でもありません。そしてそんな存在が無防備に転がっているのを観察し続けるほど、私も悪趣味になった記憶はありません。

 

『殺るのか』

 

「ええ」

 

 取り出したのは一本のダガーナイフ、戦闘用に造られたそれは武器であり、その武器が頭に直撃して死んでいるという事は稀でしょう。英雄と呼ばれようが、人間である以上、脳を破壊されて生きているほど化け物であるとは思えません。

 正直に言えば会話したことのある仲の存在を殺すことに多少の躊躇いはありますが、リスクと比べた結果なら仕方ない。そんな思考をすること自体、どこか人から離れていると自覚し苦笑しました。

 

「ではさようなら、キサラギ少佐。次は無いのでこれでお別れとなるでしょう」

 

 

 

 

「いや、案外そうとは言えんかもしれないな」

 

 ふと、その声が聞こえたのは私がナイフを振り下ろしたと同時でした。

 疾風の様にその身体は駆け抜けたかと思えば、キン、という小さな音を立てて私のナイフが地面へと転がっています。

 ふと前を見れば視野いっぱいに広がる足の裏。踏みつけられたと感じるのはその衝撃で地面へと押し倒された後で、直ぐに体勢を立て直してみれば、そこに居るのは小さい生き物に担がれたキサラギ少佐の姿でした。

ぐるり、とキサラギ少佐の頭が此方を向いたかと思えば、身体で隠れていた存在が姿を見せ……。

 

「あ、あわわわわじじじじじ獣兵衛様でしたかかかかkk」

 

「おいおい、俺はお前に様と呼ばれるような人物じゃないつもりなんだが?」

 

 トラウマスイッチオンでした。苦笑するような笑みを見せているその猫は、まぎれもなく六英雄の1人の獣兵衛さんでした。

 7年ほど前に教会だった炭の前で会ったきり、ようやく忘れかけていたはずのその人、その獣、その獣兵衛様は何故か私の目の前に居ます。

 

「いいいいえ、別に気のせいではありませんか多分。いやー、奇遇ですね、こんなところで六英雄に会えるだなんて。サインもらえますか? 私の部下がファンでして……」

 

「……ふむ、確か俺は統制機構に昔に指名手配されていたはずなんだが……いいのか?」

 

 良くないです。確かにそんな情報が在ったような気もしますが、何十年前の話かも知りません。そのころの話は私良く知りませんし。所詮は『彼』の知識ぐらいしか私は知ってません。

 それとここ最近の世界の情勢についてとか。そんな全部窯から取り出していたらあっという間に許容範囲がパーンでした

 

「お前とは友好を深めあう仲でもないだろう。それで、だ。コイツは此方が預かる。手は出させんぞ」

 

「あー、えー、そ、そうですか」

 

 良くはありませんが、事実目の前の存在が本気を出されたら、私にはどうしようもありません。蒼の魔導書? 窯の近くなら使えるかもしれませんね。

 そんな私の答えが意外だったのか、わずかに目を見開いた獣兵衛さんは此方を何か確かめるように見つめました。照れるとかそんな次元じゃありません、背中には冷や汗がいっぱいでした。 『彼』? 出てこないように強制的に奥の方へ行ってもらっています。『会話は聞こえるかもしれませんが、出てきませんよ』。

 

「なんというか意外ではあるな。お前には『奴等』とは別に、悍ましいもんは感じない。まぁ、それが擬態だったとするなら大したもんだがな」

 

「あ、ありがとうございますですか? いや結構私自己中心的ですよ?」

 

『彼』とは違い、私は自己中心的なだけです。『彼』は他人が悲しみに陥ってしまうのを笑いますが、私は興味がないだけです。見捨てますし利用します。病原菌みたいな『彼等』とは別に、触れない方が良いのは変わりないとは思います。

 

「さてな、そこまでは知らんさ。…………ただな、『偽りのスサノヲ』。お前がこいつらの未来を閉ざす存在なら、俺は迷いなく切り捨てる」

 

 朗らかな表情を一転させ、感じさせたのは辺りへとまき散らされた濃厚な殺気でした。

 身体が思わずすくみ上がり、無様な姿を見せたことに意識の奥から『彼』が怒鳴ります。どうもかなり頭に来ていたようでした。ただその中には『困惑のようなものも感じられましたが』。

 

 キサラギ少佐を抱え、一瞬で移動した獣兵衛さんは、軽業師の様に屋根を走りあっという間に見えなくなってしまいました。

 ここまで来てようやく、私は本当に糞ったれな神様に祈る程度しかできないことを悟りました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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