統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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この話から二部へと入ります。


ステージ1

 右、左、前、後ろ、上も下も真っ暗闇な空間。私はまるで月の無い夜のような場所に立っていた。

 地に足が付いているのに、思考はふわふわと安定せず、ぼんやりとした頭は、なんとなくこの空間が夢の世界なのではないかと想像させる。

 しばらくその暗闇を眺めると、徐々に風景が見えてきたのが分かった。

 

 

『(…………?)』

 

 

 見えてきたのは古めかしい木でできた扉、その細部には自分では理解できないような高度な術式をかけられている事が分かる。その扉をまるで空気のようにすり抜け、その部屋の中へと入り込んだ。

 敢えて言うならば古城の牢屋……に似ている。

 大きく切られた長方形の石を、レンガのように積み重ねた周囲の壁が見え、さらに木でできた檻がその世界を隔てる結界のようだった。

 その部屋の一番奥には、壁を瀬にして座る人影があった。

 壁へ吊り下げられるように両手は固定され、その上からは古い木材でできた杭を手の平へ打たれている。そこからはまるで打ったばかりと言うように血は流れ続けていた。

 上半身は右半分の服が切り裂かれているためか、肌が大きく露出されている。そして見えたのは右腕に広がる『鎖の入れ墨』だった。腕に巻き付くように入れられた毒々しい緑の入れ墨は、手の甲まで入れられていた。

 

『…………ぁ?』

 

 俯いていた顔が上げられ、その表情を見た。

 逆立てられた緑の髪に、消えることの無い憎悪を宿した眼。顔は死人のように青白く、だというのに死ぬ気配は微塵も感じさせなかった。

 そして、その姿には全く見覚えは無いというのに、その体つきや顔の造形からはどこか蛇のような印象を与える。

 確かに似ている。『彼』の兄弟か何かだと言われれば信じてしまうほど似ていた。

 それでも、間違える事など出来そうもない。その人物をそのとき『初めて』見たとき、身体全体で恐怖を感じたような気がした。

 

『……んだテメェ。見てんじゃねぇよ、ぶち殺すぞ』

 

 

 濁った眼は確かにこちらを捕え、そして……

 

 それはいつかの夢。誰の記憶にも残らないような、既に消え去った情報に過ぎなかった。

 

−−−−−−−−−−−−−−−

 

 こんにちは、仕事疲れ残りますハザマさんです。

 現在は病院の病室で、椅子に座りながら林檎の皮を向いていました。

 今だに目を覚まさないマコトさんのところにお見舞いに来たのですか、よくよく考えれば目が覚めてないのだからすることがありません。切っては食べての林檎は四個目になります。お腹も膨れてきました。

 

「……まあー流石にそう上手く目を覚ますわけがありませんよね」

 

 小さくため息をつきつつ、持ってきた書類に目を通します。一部はマコトさんへ、もう何部かは私へと送られた書類です。

 その中にはマコトさんの体調についての記録簿がありました。見れば、悪いところは何もなく、もうすぐ目覚めてもおかしくは無いようです。

 

「ですけどまぁ……魔素中毒ですか」

 

 再度ため息。

 こうなった原因の研究所、『彼』の持っていた知識によりますと、人工的に造られた『窯』をさらに発展や応用を目的とされていた場所で、空間そのものが境界に極めて近い場所だったようなのです。

 あの場所では『知』という毒が魔素に含まれ、術式を使い身体に取り入れ過ぎれば取り返しの着かない状態になったかもしれません。

 幸いマコトさんは魔素に頼る事が少ないので、この程度ですが『審判の羽根』の方々は大丈夫でしょうか。

 ……まぁ大丈夫ですね。一応エリート部隊ですし、『テルミさん』が情報を送っていたから『大丈夫』でしょう。現に書類上では被害なしですが……果てしなく不安です。

 

「早く起きてください、マコトさん?」

 

 そんな情報を伝える訳にはいけませんけど、言わなければならない事は多数あります。それ以外でも『会話をしたい』という欲求がありますから。

 『私』という存在には繋がりが有りません。有ると言ったらマコトさんと『彼』ぐらいなものです。寂しい人生にも程が有ります。

 依存しているのか、と言われても分かりませんが。普通にしているだけですし。

 とは言え、マコトさんがもしもあの研究所で死んだら、と考えたとき、内臓を刺すような鈍い痛みが心臓にあったことは事実ですが。

 私は軽く頭をふって思考を戻しました。

 現実的な話ではありませんね。とりあえず後で『彼』と話でもしましょう。

 マコトさんもさっきからうねりを上げている私のせいか、尻尾の保温で寝苦しそうですし、寝汗でも拭いてあげましょう。

 近くの水道でタオルを濡らし、さあ拭こうとして……手が止まりました。

 

 空調や自身の熱からか少しだけ赤くなった頬に、小さな玉になった汗は前髪を少しだけ濡らしています。

 見方を少しだけ変えてしまえば、それは直前にシャワーを浴びたようにも見えなくありません。

 それを見てつい一言、何気なく私は呟きました。

 

「……美味しそうですね」

 

 そう、まるで剥いたばかりのゆで卵! ほんのりと感じる蒸気にモチモチの肌! あの美しさと一致します!

 いやはや素晴らしいですね。まさかマコトさんがゆで卵の素質があったなんて!

 思わずガッツポーズです。『彼』がゆで卵を美しいと見る理由が分かりますね、ええ。

 

「……ハザマ……さん?」

 

「ひょえっ!?」

 

 と、そんな馬鹿な事を考えていたからかもしれません。

 ガッツポーズから出戻り椅子に急いで座り直した私は、目を擦りながら身体を起こするマコトさんと対面しました。

 何度か目を擦り、意識を覚醒させようとしているのでしょう。あちこちを見渡し最後に私の一部分を見て、一言呟きました。

 

「……白?」

 

「そこには触れないで下さいお願いします」

 

 完全に油断していました。そう、何を隠そう今の私はレリウスさんの陰謀による白髪ヘアー。

 急な意にも寄らないイメチェンに私は思わず頭を抱えたくなりました。心なしかマコトさんも若干引いているような気もしてきました。(被害妄想)

 

「……もしかしてイメチェン? うーん、ハザマさんは元が良いから似合わなくもないけど、スーツは変えた方が良くない? 赤とか」

 

「どこぞのブラッドエッジと同じセンスなんて嫌です! いいから、頭には触れないで下さい!」

 

 本の少しの静粛はマコトさんの言葉に破られ、私はいそいそと髪を帽子の中に隠しました。

 そんな私の動作がおかしかったのでしょう。くすっとマコトさんに小さく笑われてしまい、思わず顔に血が昇ってしまったようです。

 ほら、カッコイイ上司で居たいんですよ、部下の前では。(完全に手遅れ)。なんか悔しいです。

 

「笑わないでくださいよ。全く、せっかく寝汗を拭こうと思っていたのに、そんな気も無くなりました」

 

「寝汗を拭く……? はっ!? なんてことだぁ! ハザマさん私の身体に手を出すつもりだったんですね!?」

 

「寝汗を拭くの表現がおかしいですって! 100%の善意です!」

 

「いいや、ハザマさん。前回私のお尻を揉むという変態的行動にでたよね? 明らかに私の身体に興味があった事は確実でしょう!?」

 

「スゴイです、尾という言葉が足りないだけであっという間に私が変態に!? 」

 

「不潔だハザマさん! 私の尻尾には絶対に近づかないでよ!」

 

「まさかのモフり拒否だなんて……私はどうやってマコトさんの友情を確認すればいいのですか」

 

「男女の間に友情なんて成立しない……それでも進むと言うなら、それは修羅の道だよハザマ中尉!」

 

「大尉です! そんな道理、私の無理でこじ開ける! 今の私は阿修羅すらも凌駕する存在であることをここに証明してみせましょう!!」

 

「……………」

 

「……………」

 

 そう言って私は両手で宙を揉むように構え、マコトさんは尻尾を隠す。

 

「くくっ」

 

「あはっ」

 

 

 ……ええ、やはりこれですね。こんな下らない会話がどうしようもなく楽しく感じます。

 思わず手を挙げ二人でハイタッチ。寝起きのテンションですることではありませんが、マコトさんも勝手に剥いた林檎を摘む程度には回復したので良しとします。マコトさんのお見舞い品ですし。

 

「んぐっ…ん……ふぅ、おはようハザマさん」

 

「第一声か二声で言うべきですけどね、というかもう三時ですが。ついでに言うなら頬に林檎を詰め込まないで下さい。ツッコミ所満載ですけど、おはようございますマコトさん」

 

 お互いに言ってる事が下らないと思ってはいますが、それをやめられません。

 ああ、やっぱりこの空気は心地よい、そう思い私は口元で笑みを作りました。

 

 

――――――――――

 

 本当にくだらない、ですが楽しいと感じている私ですから、本来するべき話を放置してマコトさんとの談笑は続きました。

 勿論いつまでも高いテンションでいるわけでは有りません。

 たわいのない話を続けては居ましたが、私としてもその時間が“楽しい”と思っているのは事実です。ずっとこの時間が続いてほしいと思った程ですし。

 だからこそ、“その”話題から避け、私から切り出すことはできませんでした。

 

「ん〜流石はツバキ。いつ来てくれたか分からないケド、お見舞い品は一級ものだね!」

 

「現金ですねぇ……まあー確かに心配していたようですから、あとで連絡するといいですよ」

 

 数日間とはいえ何も食べずに居たからでしょう。私が切り身を食べるの繰り返しをしながら話していましたが、不意にその手が止まりました。

 

「……あれ? ハザマさんってツバキと面識あったの?」

 

「あー……はい。研究所の私達の後任が彼女の部隊でした」

 

 研究所、という単語を言った瞬間、しんと当たりの空気が冷えたような気がしました。

 一応、私としてもその話題は避けていたつもりでしたが……ええ、NGワードを踏んだようですね。

 その時間は数秒だったでしょう。小さく息を吐いたマコトさんは、服装と姿勢を軽く直し、改めて私へと身体を対面させました。

 

 ……さて、私としても何時までもふざけているわけにもいきませんね。

 

「話、あるんですよね、ハザマ大尉」

 

「……ええ。命令通達と貴女自身の処分について少し」

 

 処分、という単語にマコトさんは少しだけ顔を強張らせました。

 自身が何をして、そこにはどのような責任があるのかは多少の理解は有るのでしょう。

 私は鞄の中から封筒をを取り出し、中の書類をマコトさんへ手渡しました。

 

「結果から言えば任務は失敗です。ですが本来行われる筈だった後続の部隊によって施設は押さえられました。人的被害はありません」

 

 誰が指示したか調べたところ、な ぜ か! 審判の羽根を動かしたのは私ということになっていました。

 勝手に名前を使われるとか物凄い迷惑ですよね。私の名前が独り立ちしたりしませんよね……。

 

「まあ任務の失敗という点は私の責任です。故に考慮しません。ですが命令違反という点においては、流石の私も無かったことにするわけにはいきませんね」

 

「……はい」

 

「ナナヤ少尉には二週間の謹慎を、私には山のような始末書が渡されました。今回の件で理解したことも多いでしょう。その体験をまとめ私に反省文でも出してください。他に聞きたいことは?」

 

 淡々とした口調で話しては居ますが、心配だったことも事実です。被験者達は……同情はしますがマコトさんが無事だったことを喜ぶのが先ですし。

 ですが何が失敗の原因だったのか、それさえ理解してくれれば私としては謹慎期間は無くても良いぐらいなんですが。まあー一応内外に見せるけじめは必要ですから。

 マコトさんはしばらく押し黙り、じっと何かを思案しているように見えます。

 

「……得に質問はありません。今回は私の力不足で手数かけてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 ――――どこか、その言葉が引っ掛かり、息が詰まりました。

 

 

「いえいえ、マコトさんの力量は十分なものです。ですが今回は行動が悪かっただけですから。次回に生かしてください」

 

 そういった私の言葉には返答がありません。

 表情にも出しているように、慰めようという気持ちが大半を占めているはずです。

 ですがどこかに、違和感を感じました。

 ギュッと握り締められた毛布へと、俯かれた視線は私と重なることはなく、どこか私の中で引っ掛かり続けています。

 

「ハザマさん、私、間違ってたのかなぁ?」

 

 表情は窺えません。うつむく姿を見た私は、心のどこかで締め付けられるような気がしました。

 

「目の前でさ、殺されそうになってたらやっぱり助けるよね? それって悪いことだったのかなぁ?」

 

「……人間としては間違っていないでしょう。ですが、諜報員としては間違っていたのでしょうね」

 

 根拠のない感情による特攻、どうやって考えても命を投棄しているようにしか思えません。

 他の人を巻き込んだらさらに最悪でしょう。被害は増えていくばかりです。そんな最悪をやってしまって被害なし、良い経験ができたと考えるべきでしょう。

 

「あの場面で貴女は、被験者がどのような実験を受け、どのような状態になっているかを記録し報告するべきでした」

 

 任務だけを考えるのならそれが一番です。任務達成が明らかでついでに助ける程度なら私も何も言いませんね。

 しかしそのせいで命の危機にさらされるのなら、私はそう言うしかありません。

 

「……そう、ですよね。あーあ、……くやしいなぁ」

 

 ぼすん、と背を倒しベッドへと倒れこむと、マコトさんは片手で目を抑えながらそうつぶやきました。

 力不足であの結果が出たわけではありません。現に私があの立場に立たされたとしたら、記録だけしてさっさと帰還します。

 それに他人である被験者よりも、私は部下であるマコトさんの身を心配します。一言声をかけようとして、喉から洩れかけた言葉は出す前につぶれました。

 表情は見えずとも眼尻から洩れる涙は頬を伝りました。

 たったそれだけのことの筈なのに、まるで心臓は杭でも打たれたかのように痛み、私は思わず帽子を押さえて視線を隠しました。

 何かを言うべきなのでしょう。ですが、上司という立場である私は、安易な言葉をかけるわけにもいきません。

 口を開く、何かを言わなければならない。そうして私の口から言葉はこぼれました。

 

「……言うべきことは全て言いました。私はこれで失礼しておきます、ナナヤ少尉」

 

 嘘です。

 言わなければならないことはまだ有るはずです。

 ですが、一秒でも早く、私は彼女の姿を見ていたくありませんでしたから。

 それは嫌悪から発生したことではなく、もしかしたら私にとって初めての恐怖心だったのかもしれません。

 怖い、誰かとの繋がりが消えることが。もしかしたら彼女は死んでいたかもしれない、そんな純粋な恐怖に私は震えていました。

 だから私は逃げました。

 『彼』というフィルターを挟んでいたとはいえ、『私』の価値観は、その行為をすることを否定していたとしても。

 

――――――――――――――

 

「……あー、思ったよりもきっついなぁ……」

 

 ハザマさんが部屋を出てから数分後、起こしていた体をベッドに倒した私は、袖を目元に当ててそう呟いた。

 微妙に声は掠れ、目に当てた袖は濡れていた。思ったよりも私という奴は泣き虫だったのかもしれない。

 静かに怒られたこと、それ以上に信頼を失うこと、理解しているつもりだったのに、精神的な負担は大きかったみたいだ。

 研究所での命令違反……これを後悔したかと聞かれれば、今の状況を考えても後悔するのは必然だし、逆に犠牲者は成す術なく死んでもよかったのか、と聞かれても、私は否定するだろう。

 どっちつかずな状態で、答えは見えないままだった。

 分かっていたはず。自分がどういう行動を取り、その結果がどうなるか、ということを。

 何も語らず部屋を出たハザマさんはどう思っていたのだろう。もしかしたら失望したのかもしれない。

 私の勝手な行動で迷惑をかけたのは私だ。私は何の文句も言えず、むしろ言わなかったハザマさんが甘すぎるのではないか。

 それでも、友人として見ていたはずの人からの信頼を失う、それは今の私にとってはひどく辛いものに感じた。

 

「やっぱりきっついなぁ……」

 

 小さくもう一度呟いた言葉は宙に消え、私は自分自身に対して溜息を吐いていた。

 

―――――――――――――――

 

 うぜぇ。

 

「死にたいですね、うん」

 

 本当にうぜぇマジうぜぇ。

 

「ああ、もうちょっとやり方があったじゃないですかもう! やってしまいました……死にたいです」

 

 本当にうぜぇ。俺にどうしろってんだ。

 机に突っ伏したまま呪詛のように愚痴を言い続けるハザマに、俺は遠慮することなく舌打ちをする。

 先ほど病院から戻り自分の執務室に戻った瞬間、急に溜息を吐いたハザマは、俺の言葉を無視して愚痴を続ける。いや、イラつく発言ばかりを繰り返してやがる。

 本来、俺もハザマも、自分の思考を全て共有しているわけじゃない。

 ハザマが俺の知識を手にしたのは、『俺』と『ハザマ』が曖昧であり、一人の精神世界に二つの魂があったからこそ起きた現象だ。あそこでハザマは、世界から俺を観測()て『俺という存在の知識』を得た。使いこなせるかどうかは別だが。

 冷静になって考えれば、『俺が蒼の魔導書を使えることを前提に入れた躰だ。“蒼”の知識を伴う浸食を防げてもおかしくはない』。

 だから今現在、俺とハザマは全くの別物へと変わった。故に行おうと思わなければ知識、思考を共有することもない。

 ……が、だ。

 

「うう……また病室に行くのも気まずいですよねぇ……せっかく仲直りできたと思ったのに、これじゃ私のストレスが溜まりっぱなしじゃないですか……どうしたらいいんでしょうか……」

 

『だぁぁああああああああ!! うるっっせぇんだよハザマちゃんよォ!!! ぶち殺されてぇか、ああ!?』

 

 独り言もいい、落ち込むなら勝手にやってろ、だがハザマはわざわざ俺に思考を共有してくる。俺に話しかけるように、だ。

 正直うざい、面倒くさい、耳障りにも程がある。やることはないがわざわざ封印してくれた相手に誰が好き好んで話しかけるか。

 そんな俺の思考を無視して話しかけるこいつに、聞こえもしない舌打ちをした。

 

「殺されたくはないんですけど……正直今のところ殺されるよりもショックですよね」

 

『テメェのヘタレ具合をテメェで失望してちゃ世話ねぇな。獣の人形相手によくやるもんだ。』

 

 人形、というのは黒き獣への戦力として、獣の遺伝子を受け身体強化された者たちの揶揄だ。俺の知識を得たこいつなら知っているだろう。

 どうでもいいが、俺が使うことになるだろう躰があの獣の人形とともに居ることすら、苛立って仕方ない。

 いや、苛立つどころの話じゃない。ハザマとあの女と笑っている光景、『なぜか俺ははっきりとあの光景に嫌悪を抱いている』。

 

『なんだったら俺がお前を殺して躰を貰ってやるが? 悩みは消えて綺麗さっぱりだろうが』

 

「いえそれ綺麗さっぱり私が消えてますから! いいですよねぇ……貴方は悩みがなさそうで」

 

 書類仕事も全くしていませんでしたし……そ、そう続けるハザマを鼻で笑う。やる必要がなかっただけだ。『面倒を無くすために』作ったこの躰と(ハザマ)に任せない理由が存在しない。

 そもそもハザマの今抱いている悩みすら、俺じゃなくても笑い種のものだった。

 

『お前がバカなだけなんだよ。何時まで苦虫噛み潰したような面してやがる』

 

「いやそうなんですけど、ですが……」

 

『ですがも糞もあるか。俺がお前の立場だったらあの女なんざ疾うの昔に切り捨てている。魔獣にでも公開レイプされてんのがお似合いだろうよ』

 

 どうせこの世界でもループ前にはイカルガへと出張させている。

 獣の末裔であることに一応警戒はしてるが、カグツチ、舞台に上がることすらない人形だ。俺としては死んだとしてもなんの問題もない。

 むしろここまで俺を苛つかせることを考えれば、進んで死んでくれるとありがたい。

 

「……そう、ですか?」

 

『そうに決まってんだろ。そもそもお前が何を間違えた? わざわざミスをカバーするために負傷してそのことについて注意して。そんでなんでお前が悩む。悩むのはあの女の役目だろうが」

 

 だから苛立つ。鬱陶しい。反吐が出るほどあの女にとって善人的な行動をとっておきながらこれだ。

 

『俺から見れば無駄だらけだが、なにも間違いをしてるわけじゃねぇだろ、お前は。んなどうでもいいことを俺に愚痴るんじゃねぇ』

 

「――――――」

 

 その言葉を言ったとき、なぜかハザマは言葉を止めた。

 言葉はなかったが思考をダイレクトにぶつけていたこいつからは、なんとなくだが驚きを読み取ることができた。

 

『……んだよ』

 

「あーいえ、貴方がそう言って擁護してくれるとは思わなかったので……少し驚きまして。ありがとうございます」

 

 聞いて内心舌打ちする。なに助言するようなことを俺は言っているのだと。明らかに『俺』らしくない。

 その言葉を区切りに、俺は言葉を返すことをやめた。

 「ふふふ、そうですね、私からは立場的にほめれませんけど他の人なら……」となにやらハザマは呟き、 その表情から自分の悩みに対して終着点を見つけたことを理解する。

 意味が無いことだ。どうせループする世界。すぐ先に終わりが見えているというのなら、たかが一回程度の足止めは許容できる。

 今の俺という存在に睡眠は必要としない。意識を落とすことが睡眠と呼べるのなら、今から俺がやろうとしていることがそうなのだろう。

 ただ、ハザマという存在が居るこの世界、その異常がこの世界のループを止めたとしたら?

 それでもかまわない。数分程度なら、俺の意思で俺という存在がこの躰を動かすことができる。真の蒼が現れた場合、観測()られるのに、数分は長すぎる。

 俺がやることは大きくは変わらない。

 それを確認したのち、相変わらず自身の悩みの解決策を考えているハザマに小さく舌打ちし、俺は意識を落とした。

 

 


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