統制機構諜報部のハザマさん   作:作者さん

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すてーじふぁいなる

 『一杯のコップには二杯の水は入りません。たとえ入れたとしても、満杯になったコップからは溢れ出し、残りは床へと零れるだけです。

 ですが絶対に一杯のコップへ二杯の水を入れなければならないならば、その水を零しながらも入れ続ける必要があります。

 そして零れた水は何処へと行くのでしょうか。恐らく雑巾で拭かれて、太源へと戻るのが関の山ではないでしょうか?

 では、水を零さずにそのまま保つにはどうすればいいのでしょうか。

 簡単です。コップを、もしくはその代用品を用意すればいい』。

 と、『彼』はそんなふうにしてここに存在しています。私にとってどうでもいい話です……と言えたらどんなに楽だったのでしょう。

 しかし、これも運命というなら、受け入れなければならないのかもしれませんね。なんて、カッコイイ事を言ってシリアスに始めようとするハザマです。

 

「だってそんなことでも考えてないと気がぶれてどっか吹っ飛んじゃうじゃないですかもー!!!!!!」

 

『ぎゃははははははは! ほら走れ走れさっさと走れ! 早く逃げねぇと魔獣の餌になんぞ!』

 

 騒がしい右手からの声を睨みつけると、私は担いでいない首の左側から後ろを確認しました。

 追ってくる魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、×2占めて8匹。魔素によって黒く染まった毛並をなびかせる姿はカッコいいとも思えますが、尋常じゃない量の涎を垂らしながら走る様はちょっとしたホラーです。

 ナイフを投合、壁に突き刺し錬金によって頑丈にした糸を収縮の繰り返し。相変わらずの疑似ウロボロスは便利すぎます。そして競争する相手が忍者に続いて魔獣というのがいやすぎます。

 ウロボロス? いや私が仕えたのは精神世界の中の話ですから。使えなくもないですが、体力とかがごっそり持ってかれます。

 それに、私を含めた『二人』を運ぶのに体力がなくなったら多分追いつかれると思いますから。

 

 

「…………」

 

 

 私の右肩に俵のように担がれているのは、気絶したマコトさんです。

 応急手当てをしたとは言っても所詮は応急ですね。さっさと見せないと肌に傷が残るかもしれません。

 と、そんな状況に陥ってしまったのは自業自得ですけどね。私も上司ですから。部下の尻拭いも仕事の内ですよ。……部下でもなんでもない『彼』の尻拭いは完全にボランティアですけどね……。

 

「ああああああああ!! 久々の任務は久々にクソッタレですよもう!」

 

 月明かりが微妙に見えるスライド式の扉に向かって、私はナイフを投げつけ糸を収縮しました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 『彼』を拘束し沈んでいった意識は、失った瞬間に元の世界へと浮上しました。

 ゆっくり眼を開き見えたのは、喉を切り裂かれ絶命している異形の狼たちです。私の片手には魔素で汚染された血が大量に付着しているあたり、私、もとい『彼』がやった惨状であることは簡単に理解できます。

 研究所の廊下、位置は……実験場近く? 一発やってきたばかりということですか?

 

「……なんでしょうこのデジャヴュ」

 

 具体的に言いますとイカルガでお城の中に潜入した時。敵陣で気を失って数分経ったあと、大量の忍者さんたちと追いかけっこが始まっていました。

 彼が好き勝手やった後の尻拭いは殆ど私がやっています。……え? 今回も?

 

「いやいやいやいや、大丈夫ですよ今回は。ほら、魔獣も打ち止めじゃないですか」

 

 考えたことを否定するように頭を振っていると、視界にクリーニングに出さなければならないほど汚れた私のスーツが視界に入ります。

 とりあえず身体に纏わり付いた『黒い血』を軽く払い落とし、油でギトギトになったナイフをハンカチで拭いました。

 ……気持ち悪いです。タールでも頭から被ったような感触に、気持ち悪い以外の言葉が有ったら教えてください。

 『彼』がこの惨状を作り出しました。外の世界では魔獣を狩りつつ、精神世界で私と対峙していたことを考えると、やはり『彼』の実力は確かなもののようです。

 まあこの私の状態も『彼』のせいですか。どれだけ私を虐めたら気が済むんですか。

 

『そいつは悪かったな』

 

「ひょえっ!?」

 

 頭の中へと急に響く声。音質の悪い器材で録音したかのような私の声が、私の右側から聞こえました。

 

「あーなんと言いますか……夢じゃないんですよねぇ……なにやってるんです貴方?」

 

『お前がそいつを言うのかハザマちゃんよ?』

 

 私が声が聞こえた方向、右腕を見ますと、手の甲には頭に口が付き蛇を模した鎖、ウロボロスの入れ墨あり、その紋様は手の甲から肩へ向かって鎖が何かを縛っているようにも見えます。

 夢と言うにはリアル過ぎる精神世界で封印しました『彼』の声が、右腕から聞こえていということは、つまりそういうことなんでしょう。

 

「……封印しきれませんでしたか」

 

『糞が、成功してんだろうが。でなかったら俺がこんな状態に甘んじてると思ってんのか?』

 

 思えませんよ、そう答えて私はめくっていた右腕を戻し、黒い血だらけの壁へと寄り掛かりました。

 精神世界での出来事であったのに、身体が鉛でも付けられたかのような重さが圧し掛かっていました。身体に纏わりつく『黒い血』が生暖かく、落ち着くには聊か不便です。

 無事に『私』が世界(ここ)に居る。消えずに存在することができる。これが分かっただけでも有り難かったんです。

 ゆっくりと手の甲を仰ぎ見て、紋様を見ました。

 『彼』は『私』を消そうとした。そう考えるには些か誤謬があり、『私』と『彼』が一つに成ることは、決して消えるわけではありません。

 『私』は『彼』として生き続け、『彼』が『彼』として生きるだけ。そうなっても問題ないとは思ってはいました。

 ただ『彼』が私の『真実』を消そうとしたから、『私』は『彼』を否定したのでしょう。

 

――!?

 

『ああ、なんだよ。まだお前が此処でのんびりしてんのは、諦めたからだと思ってたんだがな』

 

 頭の声が響くよりも先に私は立ち上がり、私は足を研究所の実験場へと向けました。

 精神世界から帰ってきて、混乱していたことから私は失念していたのです。この場所は何処で、何を目的として訪れ、現在どのような状況なのか。

 

『さっさとしろよ? でないと……お前が守りたかったはずの『真実』がぶっ壊れちまうかもしんねぇな! ぎゃっははははははははは!!!』

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

「ウコキャッ!!!」

 

 液体状になった、黒い獣たちの集合体の顔面へと拳で殴りつける。顔部分に装着された髑髏の仮面が割れる音が聞こえ、私は拳についた『黒い血』を振り払った。

 私の数メートル後ろには、被験者であった私が助けるべき人たちがいる。

 魔素で汚染されたのだろうか、三人とも髪の色は黒く、私の事を尋ねた一人以外は眼が虚ろで焦点が合っていない。

 早く助け出して治療を受けなければ危ういのは間違いない。幸いなことにここの警備はザルにもほどがある。いくら三人連れ出すといっても、片手さえ空いていれば助け出せるほどだと、自分の実力と摺合せそう判断できた。

 

「もう、早く助け出さなきゃならないのに、嫌になっちゃうよ」

 

 乾いた口の端を舌で舐め、再生された仮面からこちらを覗く目の前の黒い獣に小さくため息をつく。

 その黒いスライム状の獣は、命の集合体と言っても差し控えが無いようにも感じる。

 最初は人間からあの黒い獣へと変わったはずだが、その躰からは多数の魔獣の爪や牙、他にも槍のように鋭利な骨など、以前食った生物達の命の欠片を攻撃手段としているのだろう。

 その体積は私が攻撃するたびに減っていき、それは命の燃料を零しているようにも見える。

 一分と少し経ったけど、目の前の黒い獣を倒すにはあと十数秒かかるだろう。肩を軽く回して私は起き上がろうとしている黒い獣へ向かって駆けた。

 

『世界の智が満ちることなんて無い』

 

 小さな声が辺りに響く。後ろの女の子の声だと認識したから、戦闘には関係ないとそれを無視する。

 私を補足した黒い獣は無数の牙と爪を飛び道具として放ってきた。しかし速度も銃弾より遅く、威力さえも高くないそれらを、私は最低限トンファーで弾き、さらに黒い獣へと肉薄した。

 

『躰に蓄積されるのは叡智だけじゃない。存在っていうのはすべてが智だった』

 

 身体の中で気を練り、右の拳へと集中させる。

 柔らかい体に点で殴ったとしても、殆ど効果が無い。衝撃が加わりやすい固い場所を見つける必要がある。

だけど、そんなことは関係ない。それなら面で殴りつけるけだ。にぃ、と。口元だけでその黒い獣に向かって私は笑った

 

『だから――なきゃならない。『蒼』へとたどり着かなきゃいけない。だから…………』

 

 着地し、とびかかる黒い獣を完全にとらえた。

 腹が開き見えた、人体の背骨と胸骨で造られた口へと向かって、弓の弦を弾くかのように拳を後ろへと下げた。

 こいつを、この黒い獣を倒せばあの被験者たちは助かる。

 

「燃え上がれ! 私の魂(ソウル)!!」

 

 限界まで引き下げた拳を、踏み込みと当時に気を全て乗せて前に振りかぶった。

 

「これが、青春の一撃だァーッ!」

 

 放出された体中の気は拳の形となって黒い獣へと襲い掛かった。

 背骨と胸骨で作られた口はまず砕け、それでも止まらない勢いのまま、実験所の壁へと衝突する。

 気は衝突してもまだ止まらなかった。鋼鉄でできた壁を突き破ると、もともとあったらしき壁の奥の空間へと吸い込まれる。

 ただ、割れてその場に落ちた髑髏の仮面、穴が開いた壁を中心に試算した黒い血が、黒い獣は完全に擦り潰したことを現していた。

 それでも私は拳を下すことができなかった。理由は、私が砕いた壁の奥に居たそれが問題だった。

 

「……魔獣? そっか、そういえばさっきの黒い奴が食ったのはこいつらだったんだ」

 

 この研究所はもとより人工的な魔獣の製作といった、魔素に関する研究機関だったはずだ。だったら、私の眼前に見える黒く魔素に染まった魔獣の存在も頷ける。

 私が確認できたのは、暗闇の奥にぎらぎらと光る眼。それほど多い数ではなく、多くて五匹程度だと私は軽く息をついた。

 魔素に染められた黒い獣たちは、こちらを威嚇するように喉を鳴らしている。

 数はほんの数匹だ。多少魔素に汚染されている存在とはいえ、自分が勝てない道理は全くない。

 それよりも心配だったのは被験者たちが、恐慌状態に陥ってしまう事。だけど息の音さえも少なく、それほど静かならその心配も無―――――

 

「え?」

 

 私の、良すぎた耳が、たった『一人』ぶんの呼吸音しか聞こえない事を聞き分けた。

 だから、私は後ろを向いてしまった。

 

 

 

 

『だから食う、食う、食う!! 智のために! 蒼のために! わた のか だを治 ために! くけけけけけけけけけけけけけけけけけ!!!!』

 

 

 

 

 そしてその姿を視界に入れた。

 どこか音が遠くに聞こえ、カラーだったはずの世界がモノクロに変わった。

 被験者で、私が助けるはずだった子供達は三人とも居なかった。

 千切れた片足が遠くに見える。狂ったように叫んだその黒い人型のナニカは、よく見れば背格好が少し前に見ていた被験者に似ている。

 人間が身体の半分だけ酸で溶かされたように私は思え、顔の部分はどろどろの黒い液状となって滴を造り、頭部の骨を滴っている。

 魔素で真っ黒に染まった髪のようなものが地面へと流れ、人型の口を位置する場所からは、さっき見た被験者の顔が半分だけこちらに見えていて、やがて咀嚼されていた。

 

「あ……あぁ……!」

 

 その光景が意味するものを私は理解しようとはしなかった。いや、したくなかったのだと思う。

 助けられると思った、助けたいと思った。そのはずの被験者達は既にこの研究所の狂気の手に掛けられていて、助けることなんて不可能だった。

 自分に酔っていたのか。本当に私は助けられるとでも思っていたのか? ヒーローへの願望でも持っていたのではないか?

 えぐるような声が、私の中から聞こえてきた。先ほど黒い獣に食われた子供の目が、まるで私を責めているような声を思い浮かべさせた。

 混乱状態だった私は、威嚇するように喉を鳴らしていた魔獣たちの存在も忘れ、その黒い人型を見ていた。

 そしてそれを見計らったように飛び込んできた魔獣が、私の腹部へと突進して、私はその衝撃をうけきることさえもしていなかった。

 

「――がッッ!?」

 

 まともに受けた腹部への衝撃を殺し切れず、私は数メートルも吹き飛んで頭を強打していた。

 天井に見えるガラスと、警告音を鳴らす周りの赤いランプが火の玉のように見え、やがて起き上がろうとした視界に魔獣と黒い人型が入り込んだ。

 

「なっ!?」

 

 力が、入らない。

 立ち上がろうとして力を入れた手が動かず、がくんと体が沈んだ。

 いくら術式が作られたといっても、特定量の衝撃を食らえば脳震盪も起きるのだろう。

 脳震盪の特徴である意識喪失。ほんの数秒であるはずの混乱によって立ち上がる、という手段を失った私は、状況の整理を頭の中で完結することができず、ただ小さい悲鳴を上げることしかできなかった。

 

 視界に入りこんできたのは一匹の魔獣だった。

 文字通り、餓えた獣が私に覆い被さるように接近し、私の喉元へと食らいついた。

 噛みつかれる寸でのところで右腕を前にだし、トンファーが獣の牙が私の腕を引き千切ることだけは防げた。それでも無意識的な行動に術式で強化する暇もなく、下顎の牙が私の腕に突き刺さっている痛みはリアルに感じていた。

 

(……死…ぬ?)

 

 どこかその事実が遠いところのように聞こえる。

 腕に食らいつく獣の牙が深く突き刺さり、さらに痛みは現実となり此処にある。

 次に感じたのは足の焼けるような痛みだった。視界にはもはや人の形を失いどろどろの黒い塊が足に覆い被さり、足を溶かしているようだった。

 どうしてだろう。死ぬ、という事実はここまで景色をスローに見せるものなのだろうか。

 死ぬ前に見せる走馬灯とは、脳が生き残るための手段を過去の中から探すために起こる現象らしい。

 だけど私に見せた景色は、今/現実ではなく、とても明るいものだった。

 学生時代、ノエルやツバキと一緒に生徒会室で談笑していたシーン、私への侮蔑を向けていた生徒に対して凛とした態度で答えたツバキの姿、私の尻尾に向かってキラキラとした瞳を寄せるノエル、そんな私たちを見て苦笑するキサラギ先輩とカルルくん。

 そして最後に見えたのが…………

 

 

「ウロボロス!」

 

 

 ダークグレーのスーツに『真っ白』な髪を帽子で隠した、ハザマさんの姿だった。

 

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 駆け出し、マコトさんが飛び込んでしまったであろう部屋へとたどり着いたとき、それはすぐに私の視界に入っていました。

 魔獣に襲われるマコトさんと、さらにとびかかろうとしている半分スライムな人間の姿、確認したのはそれだけですが、私が動くには十分な理由でした。

 術式を構成し、アークエネミー・ウロボロスを起動させ……その瞬間意識が飛ぶかと思いました。

 それはおそらく一度に大量の魔素を体の中に蓄積したことから起きた魔素中毒の一種だったのでしょう。もしくは不安定な状態で使ったことが原因かもしれません。

黒いスライムへとウロボロスが突き刺さり吹き飛んだのを確認した私は、すぐに鎖を縮小させゴムに引っ張られたボールのごとく接近しました。

 そのさい張った障壁と合いあまって、魔獣数匹とぶつかり吹き飛んだのが分かりました。

 接近したのはかなりの速度です。弾丸のごとく飛んで行った私の突進はかなりの衝撃になったのでしょう。

 

「……まずい、ですね」

 

 辺りに群れる魔獣を散らし、マコトさんの状態を見た私の言葉がそれでした。足などにある火傷……まるで酸で溶かされたかのような肌は、皮膚が爛れかなり出血もしていました。

 私はポケットの中から緊急用の薬を取り出し、香水でも吹きかけるようにその薬を振りかけました。

 緊急用の止血作用と再生増強効果が含まれたそれに治療の術式を合わせて傷を治していきます。

 イカルガ戦役の最前線で使われた薬、使用後の気を失うほどの激痛を伴うことを抜けば万能であるその薬と術式ならば、十分なほどの応急処置です。

 数分あれば、傷痕一つ残らず復帰できるでしょう。

 そう、数分必要です。

 辺りには十匹弱程度の魔獣たちと、人型に形をとどめている黒いスライム。治療する時間も無ければ、そんな暇もない。薬だけでは、応急処置が十分とは言い難いです。

 正直に言えば、打つ手が在りません。

 私が精神世界に居た頃のように自由に力を使いこなせれば話は別ですが、今の私はウロボロス一発出すだけでもかなりの疲労となります。

 残る手段は……強行突破。

 

「(よう、苦労してんな。手を貸そうかハザマちゃん?)」

 

「…………」

 

「(お前の術式構成はクソだ。蒼から流れ込んでいた知識をバックにしねぇとウロボロス一発だって撃てやしねぇ。俺なら、こんな犬ッコロども苦労さえしねぇよ)」

 

「……対価は」

 

「(封印の解除、っつうのは虫が良するし、お前がやんねぇだろ? 封印を一部解除しろ、それだけでお前を助けてやんよ。大量出血大サービスじゃねぇか)」

 

「……」

 

 『彼』の言葉の意味を考えました。

彼 を拘束した封印術式は、1つの綿密な術式ではなく、幾重もの封印が成されている術式です。よって一部を解除することは難しくありません。

 ですが……『彼』の封印を解くということはどうでしょうか?

 『彼』という存在について私は蒼からもたらされた知識によって『理解』しています。そして危険性についても……

 思考したのは数秒、対峙していた魔獣を再度確認して、私は封印の一部を解除しました。

 瞬間、流れ込んでくる思考。『私』という思考の横に『彼』という思考が出現し、両方が頭の中に存在しているように感じました。

 同時に腕のウロボロスの刺青が鈍く翠色に輝き、鎖の一部が消滅したようです。

 

「へえ、物分かりがいいな。ちっとだけ評価をあげてやんよハザマちゃん?」

 

「……はぁ、私は治療に専念します。逃げ切れますか?」

 

「動けるのは五分、ってところか? そんだけあんなら全員ぶち殺すこともできる。お前は思考の一部を提供すりゃあいいんだよ」

 

 はたからみれば奇妙な光景でしょう。一人の人間が全く違う口調で一人で話しているのですから。

 脇にマコトさんを担ぎ、私は治療の術式を展開していきます。それを最後に私は体のコントロールを失いました。

 治療の術式は頭の中で展開し続けています。ですが、身体を動かす、という機能については『彼』が全てを持ったようでした。

 

「さぁて、来いよクソ犬ども。俺がちょびっとだけ遊んでやんよ!」

 

――――――――――

 

「なんて格好つけてたのはどこのどいつです!!? 何が全員ぶち殺すですか!? なんで私がまた魔獣と徒競走しなきゃなんないんですか!?」

 

「(あぁ!? お前が治療如きに思考を割り削ぎすぎなんだよヘタクソがッ! ハードがクソであそこまで戦えたことに感謝しろや!)」

 

 なんやかんやで、冒頭数分前に戻りました。かっこつけて私の体を動かす『彼』ここで重大なことが発覚。

 『蒼』の力が 使 え ま せ ん。

 本来彼の知識では蒼からもたらす大量の力を使って相手を倒すというのが戦闘方法。ですが一部だけ封印を解除されていない彼が、蒼にアクセスすることすらできません。頼みの蒼の魔導書の後ろには(笑)とついてもいいでしょう。

 あと治療中の私の残った思考回路では、ウロボロスすら展開できません。というか、したら情報の速さと量で頭の血管が吹き飛びます。魂の状態もまだ不安定ですから。

 幸い私の術式適正は素晴らしいです。体を強化して戦うには限界もあり、さらに見えたのはまだまだ沸いてくる魔獣の影。なるほど、これはもう逃げるしかありません。

 幸い、マコトさんの治療は終了しました。本格的な治療をすれば、すぐ前線復帰もできるでしょう。いまだに私に担がれたままですけど!

 私の移動手段であるナイフと糸の伸縮による移動、新しく手にしたウロボロスとかなんの役にも立ちません。

 

「はぁ……あなたがこんなにも使えない人だとは思いませんでした」

 

「(そいつはお前にそっくりそのまま返してやんよハザマちゃん)」

 

 どうやら『彼』という存在を封じ込めることはできるようです。それが確認できただけでも一安心といったところですか?

 そしてここまでやってきた追いかけっこもようやく振り切れそうです。壁につけられた赤く光るランプを見つけた瞬間、その下にあるスイッチを叩き壊しました。

 そして私が通った瞬間、鋼鉄の壁が背後に落ち、魔獣たちが激突する音が聞こえました。

 侵入者、災害、魔獣の脱走などの緊急用シャッターでしょう、回り道をすれば私のいるところに来れなくもありませんが、一息つけたところです。

 それに、……私の目の前にはさんさんと輝く月の光が!

 どうやら外へと続く扉へと戻ったようです。時計を見ればまだ集合時刻には余裕があります。

 偵察任務も完了……というか、失敗ですけど、本来『彼』の体を定着させるという意味で見ても失敗です。なんか良いところが皆無な任務でした。

 とはいえ、生き残れたには生き残れました。気分はマジヒャッハーです。私もはやく帰ろうと足を外へと向け……

 

「止まりなさい」

 

 突きつけられたのは刀でした、あれ?コレドッキリですか? 本当にそう思ってしまったのも仕方ありません。

 辺りに見えるのは数人単位の人々、どうやらここから逃げ出そうとした科学者もいたのかもしれません、ですがそんな白衣をきた方々は、気絶して簀巻きになって見張りをしている方の足元に転がっていました。

 どうやら一小隊がこの場所に派遣され、待機状態であるということでしょうか?

 

「統制機構の者です。研究場関係者の拘束、拿捕を命じられています。抵抗は交戦意志があると見なし、強制拘束に移らせていただきます」

 

「ちょ、ちょちょちょっと待ってください!」

 

 いやまあ確かに出てきた私は不審者ですよ? 黒いコートは魔獣の血でさらに真っ黒になって、肩には血だらけ埃だらけの女性が居て、外から見える右手には刺青まみれですし……。

 しかし、この衛士は本当に統制機構の者ですか?

 クリーム色に近い白に、顔も姿を見せないフードとコート。顔には白く眼の文様がつけられたお面があり、表情は見えませんが硬い女性の声であることは分かります。

 もしも私がふざけたら実力行使で拘束されそうなのは眼に見えていますね。そしてそんな状態が普通の制服な統制機構の部署といえば……

 

「……『審判の羽根』、統制機構第零師団の方でしたか」

 

「ご存知でしたか。では、その役目も知っているでしょう、ただちに……え?」

 

 奇妙なところで言葉を切った零師団の衛士さんは、私の肩を見て少しだけ感情を出したように疑問符が言葉に表れました。

 

 というか、えってなんですか? こっちが驚きたいですよもう。

 

「……マコ…ト?」

 

「ひょえ?」

 

 そのマスクの下からも風景、見えるんですね、と。私のどうでもいい疑問が吹き飛ぶほど、その仮面の下から漏れた単語は以外でした。

 

 


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