幼馴染がアイドルを始めたらしい   作:yskk

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ことりちゃんと境界線


境界線

 もしかして、ここは同じ日本じゃないのではないか。そんな錯覚に陥ってしまう。

 明らかにここは俺の知りうる領域の範囲外。境界線の外側のそのまた向こう側。

 一人で足を踏み入れろと言われたら、間違いなく躊躇してしまう。そんな所。

 

 今いるこの空間は何というかこう、物凄くファンシーなのだ。いや、特段そういった色使いや装飾をしているわけではないし、過剰に華やかさを演出しているわけでもない。空気感というか雰囲気というか、そんな目では見えない何かがこの場を支配していた。

 周りがほとんど女性ばかりというのが、特にそれを助長している気がする。何人かは男性の姿も目には入るのだが、それでもやはり居心地が良いものではなかった。

 

「や~ん。これも可愛い!」

 

 そんな肩身の狭い思いをしている俺なんかとはまるで対照的に、目の前に座った少女は最大限にこの状況を楽しんでいた。

 ずらり並べられたケーキを、端から一つずつ堪能し続けている。頬に手を当てて、正にほっぺたが落ちそうと言わんばかりに、美味しそうにそれらを食べていた。

 むさ苦しい野郎がそんな仕草をしていたら通報ものだけど、それが絵になっているのは、彼女がそれこそファンタジーの世界のお姫様みたいな少女だからだろうか。

 

「美味いか、ことり?」

「うん! 美味しいよ、コウちゃん。いくらでも食べられそうだね」

「……ああ、そりゃよかった」

 

 同意を求められるが、残念ながら大概の男は、というか少なくとも俺は甘いものをそんなには食べられない。

 確かに味に文句はなかったし、食べ放題のケーキとしては実に良くできていると思う。

 ただ、いかんせん甘いのだ。まぁ、ケーキだから甘いのは当たり前なのだけど、さすがにこれ程の量を食べると胸焼けしそうになってくる。

 

「それにしても、よくそんなに食べれるな」

「え~。だってこんなに美味しいんだよ?」

「まあ、それは分かるけど……」

「それに、甘いものは別腹なんだもん」

 

 甘いものは別腹。よく言うことだけど、少しとはいえ昼食を終えた後だ。俺には到底、真似出来そうもない。

 

 膨れた腹をさすりながら、そんなことりの様子を改めて眺めてみると、ニコニコと本当に嬉しそうにケーキを頬張っていた。

 そんな彼女を見て、さっきも感じたことだけど、やはりケーキと女の子という取り合わせはよく似合うものだ、そう思った。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでも。それより、満足したか?」

「うん! 美味しかった!」

 

 満面の笑みで喜びを表現することり。嬉しそうなのはいいことだ。幸せそうな彼女の顔を見てるだけでこっちまで嬉しくなってくる。

 それはまあ、いいのだけど。ただ、本来だったら立場が逆であるべきじゃないだろうか、そう内心思っていたりもする。

 

 というのも、そもそもがここに来たのだって、ことりがお詫びをしたいと言い出したのがきっかけだ。本人曰く、留学騒動で迷惑をかけたお詫びらしいが、そのお詫びをしている人間が、相手よりも楽しんでいるというのも変な話である。

 

 それはともかくとして、確か前にことりとふたりでメイド喫茶に行った時も、お礼か何かの為だったはずだ。

 そう考えてみると、こうして何かしらの理由がなければ、休日に女の子とお出掛けする機会もないということになる。

 不意にそんな現実を目の当たりにして、妙に悲しくなった。

 ましてや今回はお詫びの対象は俺だけじゃなかったはずだ。それにもかかわらず、ことりの方からふたりきりで出かけたいなんて言い出したのだ。必然、ほんのり淡い期待を抱いたりなんかしてしまうわけで。

 だがそんなものも、この店に入る前、店頭に掲げられた手書きの看板の

『本日、カップル様に限りケーキバイキング半額!』

 そんな文字列を目にした途端、あっさりと消し飛んでしまった。変に期待してしまった分、ガッカリ感も半端ではなかった。

 

 何というか、お詫びをされているはずなのに、要所で心に傷を負っていっている気がするのは気のせいなんだろうか。

 

 

 

 

「はぁー。美味しかったね、コウちゃん」

「……そうな」

 

 ことりとふたり、食後のティータイムを楽しんでいた。

 しかし、これほどまでに苦手なはずのブラックコーヒーがありがたいと思ったことはない。それぐらいに今日は甘いものを摂取した。

 最初は甘さの控えめそうなのを選んで注文していたのだが。途中から、いろんな種類を食べたいと言ったことりの残りを処理していたので、甘さの度合いなど関係なく、否応無しに食べることになっていた。

 

 当分はケーキなんか見たくもない。そんな俺とは裏腹に、ことりは心の底から満足そうな顔をして紅茶を口にしている。その上、そこにまたそれなりの砂糖を入れているというのだから、何をか言わんやである。

 

「ごめんね、コウちゃん」

「……何が?」

 

 今までのフワフワとした雰囲気から一転して、ことりはいつになく真剣な感じで口を開いた。

 

「ん~。色々、かな」

 

 ことりは苦笑いを浮かべる。今までのことが露骨に顔に出ていたのだろか。もしそれを気にしているのだとしたら、逆に申し訳ないことをしたと思う。

 なんだかんだいって、自分も結構楽しんではいたから。

 

「あのね。……もし、もしも、誰に相談するよりも先にコウちゃんに相談してたら。そうしていたら、コウちゃんはどうしてた?」

 

 ことりは少し声のトーンを落として、さらに真剣味を増した口調でそう問いかけてくる。

 返答を待つことりは、その答えを聞いてみたいけど聞くのが何処か怖い、そんな複雑な表情をしていた。

 

「……応援したよ、ことりが留学することを」

「そっか……そうだよね」

 

 予想はしていたんだと思う。しかし、それはきっと、ことりの欲しかった答えとは違ったものだったのであろう。ことりは少し寂しそうに、力なく微笑んだ。

 俺だって、そんなことぐらい分からなかったわけじゃない。実際、彼女の望む答えを口にするべきなのかと迷った。けれどそれ以上に、ここで嘘をつくことにのも何か違う、そう思ったから。

 

「……あのさ。物事には境界線ってもんがあるんだと思うんだ」

「へ? ……うん」

 

 重苦しくなった空気を払うように俺は口を開く。考えがまとまっているわけでもないのに。

 

「それもいろんな種類があってさ。単純に越えちゃいけない場所の境目だったり。逆にその先に行ってみたいけど、中々越えられないところだったり」

「……」

「実際に目に見えるものから、もちろんそうじゃないものまで。そんなのがこの世の中には至る所にあってさ」

 

 ただそれでも、必死で言葉を紡いでいった。何とか気持ちを伝えたくて。

 そんなみっともない俺の話を、ことりは黙って真面目な表情で聞いていてくれていた。

 

「今回だってそうだよ。本音を言えば、行って欲しくなんてないって思ってた。でも、言えないんだよ。それは境界線の向こう、ことりの領域の話だから」

「でも!」

「分かるよ。ことり自身がそんなラインを引いたわけじゃないってことぐらい。だけど実際、その線が見えてしまったから。もし留学したら、ことりが夢を叶えられるかもとか考えてしまうから」

 

 ただ自分の中に在るものを形にして放出していく。時には、ことりの言葉さえ遮って。

 それはやはりまともな体を成してなくて、情けなくさえなるけれど。

 

「まあ、なんて小難しいこと言ってるけどさ。結局、覚悟が足りないだけだと思う」

「覚悟?」

「そう、覚悟。相手の境界線の内側に踏み込むっていう」

 

 ようするに、自分に言い訳しているだけなんだと思う。他人の内側に近寄っていく事が、自分の一言がその人に影響を与えてしまうかもしれないという事が、それが怖くて体のいい言い訳をしているだけ。

 まあ、それプラス、相手のことを応援している自分に酔っている、ってパターンもあるけれど。男の場合なんかは特に。

 

「そうなの?」

「多分ね。男なんてカッコつけたがりだから」

「……ふーん」

 

 行かないでくれと騒ぐよりも、黙ってその後押しをしてやる。そんな物分かりの良い自分に陶酔している、そんな感じ。

 

「でも、その線を越えるのってそんなに難しいことなのかな? 相手だって望んでるかもしれないんだよ?」

「どうだろ。やっぱり難しいんじゃないか。もちろん人にもよるだろうけど」

 

 他人が決めた境目と自分が見えるそれは、往々にして一致しない。仮に片方の人間がその領域を広げたとしても、もう片方の人からはそれははっきりとは見えないのだ。

 だから難しい。そのギリギリまで近づくことが。そして勇気がいる。

 もし、それよりももっと近づきたいと思うのなら尚の事。

 

「そうだなぁ。今日は俺たち恋人って設定で入店してるけどさ、それなんていい例なんじゃないか?」

「恋人?」

「うん。友情と愛情の境界線なんて、それこそはっきりとしないしさ。それに、お互い好意を持っていたとしても、それが目に見える訳じゃない」

「……」

「だから、基本的にどちらかが一歩踏み出さなきゃいけない。でも、やっぱりそれは怖いんだ。どのタイミングで何処まで踏み込んでいいのか、その匙加減が分からないから」

 

 彼女の一人も出来たことのない奴が何を言っているんだ。そんなことを言われてしまいそうだけど。それでも、その一歩の重みぐらいは俺にでも想像できる。

 少なくとも俺は、容易にその足を前に進めることは出来ないと思う。

 

 もし例えば、今目の前にいることりにそんな感情を抱いたとして。向こうも運良く俺のことを好きになってくれて。そして何となくそれを察することが出来たとしても、きっと悩んで悩んで、それでも一歩を踏み出せるかどうかは分からない。例えどんなにヘタレといわれようとも。

 それくらい難しいことだと俺は思っている。

 

 俺の話を聞いていたことりは、うーんと首を捻って考える。そして、それがまとまったのか、ことりは静かに口を開いた。

 

「……あのね、コウちゃん」

「ん?」

「鳥さんには羽があるんだよ」

「は? あ、うん」

 

 そりゃあ、鳥だしな。基本的にはそうだろう。

 

「大きな鳥も小鳥もみんな羽があります」

「うん」

「それで、大抵の鳥は空を飛べます」

「……うん」

「だからね。多分、大丈夫だよ」

 

 何が大丈夫なのかは俺には分からないが、ことりはしたり顔でそう言った後、照れくさそうに、えへへと笑う。

 彼女の顔に笑みが戻ったことは、純粋に嬉しかった。

 ただ、そんな彼女の言葉と笑顔の意味は、今の俺には理解することが出来なかった。

 

 




足が踏み出せないなら、空を飛べばいいじゃない
そんなアントワネット的な感じ

というかあれ、実際はマリー・アントワネットが言ったわけじゃないらしいですけどね

まあ、それはともかく、ことりちゃんとケーキ食べに行きたい

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