アークが怪しいといった場所は、ヒウンのゲート近くにあった、下水施設への入口だった。
案内板に記された場所であっている。
しかし周囲にいた工事現場の関係者に聞いてみると、がらの悪いトレーナーが屯ってるということで、用心に越したことはないみたいだった。
「な、怪しいだろ?」
「ご尤もね……。まあ、どこにいようとも逃がしはしないし、手心も加えないけど」
今のトウコを見れば、誰だって分かる。
いきり立つトウコは、目を澱めたまま、敵を探すように周囲を見回している。
血迷ったポケモンのように、ナニカを探してウロウロしている、そんな印象。
「じゃあ、俺はここまでだな。ボールん中に戻るが、何かあったらすぐに呼べよ?」
アークは人気がないのを確認して、素早くボールの中に自ら戻っていった。
一人きりになったトウコの呟きは、爽やかな潮風に濁りを混ぜて消えていく。
「……見つけ出す。……消してやる。……滅ぼしてやる」
ゆらりと進み始め、トウコは幽鬼のような殺気と平常心のトレーナーとは思えない雰囲気のまま、下水道を目指していった……。
入口は、海に面した細長いコンクリートの通路の奥にあった。
鍵がかかってなかったが、潮風で錆び付いて上手く開かなかったので、病んだ目のトウコは無表情で女性らしからぬやり方をした。即ち、豪快に蹴り開けた。
金具ははじけ飛び、金属の悲鳴が聞こえる中、彼女は特に気にもせず中に進んでいく。
中はすぐにくだる階段、意外に臭いのしない薄暗い空間に過ぎなかった。
だが、気配からして野生のポケモンはいるらしい。しかし知ったことではない。
かかってくればいい。その時はトウコ自身が追っ払うのみ。
こう見えて、この二年間、トウコは喧嘩に
人間相手なら大抵の人間でもかなりの確率で互角やりあえる。
年齢差、体格差、武装など何ら問題などない。
もっと強い連中とやりあってきた経験がある。
しかもアークなどにふざけ半分とはいえ酷く痛み付けられた的な意味でも、強く鍛えられたおかげで多少ポケモンともやれるという、とんでもないことになっているのだ。
これも、ポケモンを使うぐらいなら自分で追っ払うという信念のもと。
こう聞くと彼女が怪物のように聞こえるが、小型のポケモンのみなのでそこまで万能というわけでもない。
鋼タイプや岩タイプみたいな奴は完全に無理だ。
「……」
普段のダウナーを通り越してメンタルがおかしくなっているトウコ。
言ってしまえばサイコパスにも見える血走った目で、周りを警戒していた。
一度プラズマ団をぶっ潰すと決めたら、心は面白いようにどんどん闇の方に転がっていく。
そうだ、自分の為だ。自分の為なら、手段なんて気にしない。する必要もない。
誰にも関係ないんだから口出しなんてさせない。
相手は人じゃない。万人が首を縦に振る、単なる『悪』だ。
そこに人間の尊厳なんて、在りはしない。
法律は「人」を守るためにあるのであって、外道――要は、道から外れた存在には適応されないと自己正当をするだけで、自分は何もしても良いという感覚が今のトウコにはあった。
自分の為に、あいつらを潰す。
正義とか、常識なんて関係ない。自分の為だ。自分の為だけに、今は行動する。
トウコの中で、ケリをつけたい過去の『忘れ物』の存在が、まるで今までの行動への八つ当たりのように彼らに対する根拠のない『憎悪』に変化し、もう彼女には『復讐』というふた文字が似合う。
それも、意味の無い復讐で、誰の特にもならない。
自分のため、自分のためと言い聞かせるだけで、自分は奴らに対しては何をしても許される、誰もトウコを糾弾できないと自分を奮い立たせ、それが結果的にこの惨状を生み出すこととなった。
運が悪かったのは、見張りを任されていたプラズマ団の男性団員二人だ。
いかにも悪党です、と言ったような見覚えのない制服姿の、暇だなぁとか呑気に雑談している団員の背後に、影から見つめて気配を殺してトウコは素早く近づき、
「退け」
「がぁっ!?」
一人はボールを使わせる前に、首に思いっきり拳を叩き込み、嫌な音をさせて倒れさせる。
「なっ――」
一人が驚き、反射的に腰のボールに手を伸ばそうとするが、落ちていた石ころを拾い上げると、コンパクトに投擲。
ボールを持とうとしていた手の甲をぶつける。
まるでバトルを自分で行なっているかのように無駄のない一連の動作。
思わず痛みで一瞬隙が出来た団員に、止めの飛膝蹴りを食らわせて、昏倒させた。
倒れる二人は、応援の連絡するまでもなく沈黙し、トウコは倒れる二人を容赦なく意識のないのを知っていて、下水の中に蹴り落とした。
どぼんっ! と音を立てて、団員二人は下水に流れていった。浮かんでいるから死にはしない。
一応、腰にしていたベルトからボールは剥ぎ取って、中身のポケモンを取り出してみた。
「シャーーー!」
チョロネコだ。小さな猫のようなポケモンで、気まぐれで手癖の悪いのが特徴のポケモン。
数匹、トウコを見上げて毛を逆立てて威嚇している。
トウコは冷たい目をしていたが、彼らに対してだけは優しい普段の目に戻る。
「……私は何もしないわ。とっとと捕まる前に帰りなさいな」
彼らの入っていたボールを、外壁が剥がれ落ちたときに出来たであろう大きめの瓦礫を両手に抱えて、警戒するポケモンが威嚇する中、ボールの上に叩き落とす。
大きな音がして、下敷きになったボールが爆ぜて煙を上げて壊れた。
それを見て、目を丸くしたチョロネコ達。理解できないように。
トウコは、完全にポケモンたちを縛り付けていたボールが壊れたのを確認して、もう一度微笑みかけた。
「ほらね。私は何もしないわ。それに、もうあんたらを縛るものはないわ。奴らの言うことを聞かなくてもいい。逃げたいなら逃げなさい。帰るなら、帰りなさい。それは、あんたらの自由よ」
トウコはそれだけ言うと、優しかった目がまた澱んだ目に逆戻り、そのままポケモンに背を向けて、奥に進んでいった。
団員を自分で叩きのめし、ポケモンを奪って解放する。
自分のやっていることは、かつてのプラズマ団と大して変わっていないことに、彼女はまだ気付いていない。
奥にはもっと多くの団員たちが屯っていた。
数が多すぎて、流石に対処できないかと一瞬だけトウコも迷ったが、気にせず実行した。
わざと怪しい音を立てて、様子を見に来た団員一人の影から飛び出し首を後ろから組み付き絞め上げて、体格差を物ともせずに酸欠で気絶させ、何時までも帰ってこない団員たちに騒めき始めたのを好機と見て、一気に制圧することにした。
人数的にも10名そこそこ。一々闇討ちしていたらきりがない。
武器になりそうなモノを探し、ぶっ倒れている団員がもっていた長い棒っぽいモノを奪って、気絶したそいつもボールだけ奪って下水に流す。
こんなことにポケモンは使いたくない。彼らに失望されたくない。
自分に出来ることは自分でする。当たり前のことだ。
兎に角、とトウコは闇にまぎれて行動開始。
一人になった奴らから、頭を殴りつけ、股座を蹴飛ばし、後ろから下水に突き飛ばし、ベルトで首を絞め、殺すつもりで行動する。
かなり時間は掛かったが、これといった反撃も受けずに全員を潰すことに成功した。
伊達に二年も鍛えていたわけではない。
私隠密行動にも意外にむいているのかも、壊れているくせに少し思った。
全員多分ケガは負っている。だがまあ死んではいまい。
死んでもいいと思っているので、ボールだけ剥ぎ取ってポケモンを解放し、あとは下水処理してもらおう。
意識のない団員達を次々汚水の中にぶち込んで流していく。
気分は家庭によくある、夏場の三角コーナーの生ごみ処理だ。
いい感じに腐っているのでニオイがするし、最悪な気分になる。そんな感じだ。
トウコは後処理をしながら、遠くで人の気配がするに気づいた。
複数の足音がする。足音を消そうともしない当たり、素人だと思われる。
嫌でもプラズマ団と関係を持つものは、自分のポケモンを取り戻しにノコノコきて、返り討ちにされる。数の暴力に素人が勝てるわけはないのだ。
団員たちはポケモンを道具として本部から支給されているらしく、その道具に使うことを前提として動いているため、常に複数で動いている。
そして、ポケモンバトルとも言えない集団リンチで相手を叩きのめしてポケモンを奪うのだ。
時にはポケモン自身に人間が暴力をすることだってある。
二年前、その光景を見たことがあるから。
悲しみ、泣き叫ぶベルの声を聞きながらその光景を黙って見つめていた自分が、今でも許せない。
だから、同じことを奴らにする場合、躊躇いなど沸き上がらない。
なによりも、奴らには弱点がある。
それは、
奴らはポケモンをただ使うことにしか脳みそがいってないので、自分自身のスペックはガタ落ちだ。
奴らの能力は凡人とさしたる違いはない。あるのは頭の悪さがひどいぐらい。
口では偉そうなことを言うが、実際には弱者を虐げることしか能のない無能の集まり。
道具さえ奪ってしまえば、烏合の衆以下なのである。
ポケモンとと共に武道に励むからておうなどの方が絶対に人間的には強い。
道具を使う前に強襲してしまえば、これといった反撃は出来ないのだ。
トウコの場合、手段を選ばないコトで一気に殲滅に成功したということもある。
そういう意味では、今のトウコには敵はいない。
この足音の相手が奴らの増援とも限らない。
こんな素人臭い相手がそうなのかはさて置き、攻撃する理由にはなる。
足音が近づいてくるのを確認し、息を殺して陰に隠れ先手必勝。
その足音が無警戒で近づいてくるのを確認し、
「――ッ!」
影から飛び出して、足払いをかけた。
「うわッ!?」
足を払われた男と思われる相手は、情けない声を上げて仰向けになるようにすっ転んだ。
「えっ!?」
若い女の声もした。
連れがいたか、と舌打ちしつつ、すっ転んだ男の鳩尾に体勢を立て直し、軽めだが踵をぶち込む。
「がはっ……!」
空気の抜ける悲鳴を上げて、腹を押さえて悶える男。
これで気絶まではいかなくても時間は稼げる。
トウコは棒立ちしている女の胸ぐらに手を伸ばす。
「ひゃっ……!?」
可愛らしい声を上げて怯える女だが、トウコは止まらない。
服をしっかり五本の指で掴んで、そのまま思い切り手前に引いて、女の身体をこっちに引き寄せ、空いた手で首を掴む。
「!?」
恐怖で強ばる女は、トウコよりも少し小さい程度の身長だった。
「黙って」
顔が近いほどに引き寄せて、睨む。
「あんた達も、プラズマ団?」
女は薄暗い空間の中でもハッキリと顔に恐怖を浮かべて、首を横に必死で振る。
暴れて抵抗するので、強く身体を一度揺さぶると強ばったように大人しくなった。
女の目には涙を浮かんでおり、まだ年下の子供であることは見て取れた。
理解できない敵の襲来に、頭がパニックを起こしてついていってないようだ。
こんな子供がプラズマ団に関係しているのかとも思うが、容赦なく突き飛ばす。
女は咳き込み、苦しそうに呻いている。
腹を押さえて、トウコを睨むツンツン頭の男は、前屈みになったまま、聞いた。
「なんだ、お前……突然、何しやがるッ……?」
苦しかろうに、しかしその精神には確実に怒りの炎が燃え上がっていた。
「
トウコは特に悪びれず、殴った男を睨み返して言い放つ。
「ガキはガキらしく、表で大人しく遊んでればいいのよ。なんでこう、厄介なことに首を突っ込みたがるのかしらね」
ため息をつき、見れば怒った男がふらふらと掴み掛るが、
「バカ」
まだやる気らしいその闘志は賞賛に値するが、トウコは中指を引き絞ったデコピンを食らわせた。
「いだぁッ!?」
乾いた良い音と共に見事に命中し、今度は額を押さえる。
「勝ち目がないの時は大人しく引っ込んでなさい。利口じゃない子は長生き出来ないわよ」
妙に年寄り臭いことを言ってる気がするが、気にしないとして。
「ヒュウ……大丈夫?」
脅されていた、女の方が痛い思いをした男に駆け寄る。ヒュウ、とかいう名前らしい。
「いってえ……腹になんか食らったの、チョロネコに頭突きされたとき以来だ……」
男は呻いていたようだが、数分もすると白い顔をしたが、自力で立ち上がった。
「クソッ……いきなり出会い頭に蹴りやがって。お前、本当になにものだよ!?」
食ってかかるのだが、トウコが拳を作ってやんの? と脅すと少しビビって腰が引けていた。
トウコは少しばかり、悪いことをしたかなと今更思った。少しだけ。
「五月蝿いわね。単なる通りすがりのトレーナーよ」
「……」
懐疑心に塗れた視線を二人から受ける。
あっちからすれば、突然暴力を振るって脅してきたプラズマ団はお前なんじゃないかと思われても仕方ない。
トウコはやれやれ、と澱んだ瞳が何時の間にか通常通りになっていたのに気付かず、彼らに説明した。
「私ね、過去にちょっと奴らと因縁があって、奴らが何かしてるって言うから、探りに来たのよ。で、案の定何かやってるぽかったから、見かけた連中全員叩きのめしてきただけ」
これでいい? と視線で問うと、男の方が怖々聞いた。
「……ちょっと待て。まさか、入口付近の下水溝に流れていたあいつらをやったの、あんたか?」
「見たの? まあ、そうね。ポケモンを出させる前に殴り倒したの。素手で」
実際はもっと外道な方法を行なったが、そのへんは言わなくても良い、と判断した。
「……。あんた、からておうかよ……」
酷いことを言われた。確かにやってることは似たようなものだが。
「失礼ねあんたも。こんな華奢な腕でどうやって空手しろってのよ?」
「……」
実際蹴られた身なので畏怖の対象になったのはしょうがないのか。
はぁ、と溜息をついてとにかくとトウコは切り出す。
「私はまだ奥にいるであろう奴らを潰しに行くわ。あんた達はおイタする前に帰りなさい。じゃないと下水に叩き落とすわよ」
身の安全を確保できない足でまといは邪魔だと言ったのだが、彼らは反論してきた。
「待てよ。俺だって、そういう意味じゃ因縁があるんだ。お子様扱いして勝手に置いて行くんじゃねえ。お前だって俺達と年齢は変わらないだろ」
「わ、わたしも……逃げたくない……」
……そう言われると、自分の意思が過去になかったトウコとしては、渋々でも聞くしかない。
自分の意思で誰かに反抗したことのなかったトウコには。
それに言われるまでもなく、少し年上なだけでこんな扱いをされれば誰だって怒る。
「私のほうが事実年上よ。大体そんな隙だらけで、どうやってあいつらと戦うつもり? こんな地下でポケモンバトルなんてしようものなら、万が一下水施設に影響がでて、バレたらヒウンシティからあんたの実家に賠償金が請求されるわよ? 言っとくと、億単位でね」
「うっ……!」
リアリティのある事を言われて、ビビる男、ではなく少年。
女ではなく、少女もついていけない金の話になると、頭を抱えた。
トウコは更に追い打ちをかける。
「ここ、ヒウンシティの真下の地下だからね? バトルして衝撃で地盤沈下とかありえる話よ? あんた達、そこまで考えて行動してなかったの?」
「……してなかった……」
呆れた子たちだ。もしも大型のポケモンを出したりすれば、暴れただけで街が崩壊する。
ボールの中にはどんな大きなポケモンだって入る。
出してバトル=地下なら生き埋めだってありえる。
それを分かった上で行動しなければ、後々泣くのは金を払う家族なのである。
下手すれば事故死でくたばるのは自分。
「アホらしい。もういいわ、ついてくるのは止めやしないけど、間違ってもバトルするんじゃないわよ。上手く立ち回る自信があればいいけど、なければ特に。後で高額の金を要求されたくなければね」
トウコは追い返しても、帰り途中で変なことされて巻き込まれるのは嫌なので連れていくことにした。
「お金……マネー……賠償金……高額……」
女の子はお小遣いじゃ足りないよね……と言っているが、脅しすぎたか。
トウコは取り敢えず、金の驚異にすくみ上がる二人に名を訊ねる。
その時、
「私は……ベル。あんた達、名前は?」
――名を偽った。黒き英雄のトウコの名は、知れ渡っている。
その名を使うのは、なんとしてでも避けたかった。
だから、あの子の名を借りた。
「ベル?」
「ベルさん?」
その名を口にした途端、二人の顔がキョトンとした。
「えっ?」
何か、まずいことを言っただろうか。動揺を悟られないようにしつつ、なにか? と問う。
「あっ……ごめんなさい。わたしにポケモンと図鑑をくれた研究者の助手の女の人も、ベルって名前だったから」
女の子の方が、よくある名前だから偶然だよね、と納得したように言った。
ツンツン頭の男の子も、俺に図鑑くれた人と同じ名前だなと女の子に言っている。
「!!」
――やばい、地雷を踏んだと思った。
この子達、まさかとは思うがベルが用事を果たしていた相手ってこの二人か。
話には聞いていたが、なぜこんなところに。
凄まじい偶然だ。
イタズラが過ぎる運命の女神にこの時ばかりはトウコは呪いたかった。
「えーと、わたしはメイっていうの」
「俺はヒュウ。えーと、ベル。よろしく」
「そ、そう……。あんた、邪魔したらまた蹴るからね」
「分かったよッ!」
女の子はメイ、男の子がヒュウ。
この最悪な出会いがのちのち、事あるごとに面倒なことを引き起こすとは、この時トウコは露にも思ってなかった。