ポケットモンスターW2 英雄の忘れ物   作:らむだぜろ

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黒と白、運命の再会

 

 

 

 

「一体何があったってんだ!?」

 街では早朝から大騒ぎだった。

 突如襲来したプラズマ団。

 それが町外れにある教会を襲撃し、まさかのプラズマ団同士の諍いを始めたのだ。

 内部事情を知らない街のジムリーダー、ヤーコンは困惑する。

 知っているのは元プラズマ団の連中が何かしていることだけ。

 それが現役の連中とどういう関係なのかまでは把握していないのだ。

 挙句には、何処から騒ぎを聞きつけたのか知らないが、雷鳴を轟かせて英雄様のご登場である。

 しかも何もせずに追っ払い、追撃もしなかったそうで。

 本格的に意味不明の状況だった。

 すっ飛んで駆けつけたはいいが、既に連中はいなかった。

 そこにいたのは、不機嫌そうな顔のいつかの子供とオロオロするいつかの子供、そして見知った二人の少女たち。

 その中で黒き龍と共にいる少女はヤーコンを見上げて言う。

「落ち着いてヤーコン。私が何とかする。あんたは街の人たちを早く呼び戻して。もう安全は確保できているわ。でも、私にはちょっと野暮用がある。だからごめんなさい、街の方は任せてもいいかしら?」

 以前あった時とは様変わりしていた黒の英雄は、冷静に状況を判断して告げた。

「トウコ……。お前さん、前みたいなことにならないだろうな?」

「ならないわ。断言できる。私はもう以前(まえ)の私じゃない」

 あの時のトウコの、復讐の鬼のような、ギラギラした殺気立つ彼女はいない。

 プラズマ団を殺すという病みの沼に沈んでいた暗い目ではない。

 目の前にいるのは、自らの意思で現実を直視する、一人の少女。

 目先の感情に、捕らわれてはいなかった。

 迷いのない瞳をしていた。

「任せて、ヤーコン。そして、街は任せる。あいつらの方は、私に解決させて欲しいの」

「……ふんっ。そうかよ。じゃあ、そっちの方はお前に頼むぞ」

 今の彼女なら大丈夫。

 前科持ちとはいえ、もうこの目をしているトウコならば。

 ヤーコンは真に信頼に値するトレーナーとして、そちらのことを託す。

「ええ、頼まれた。お互いに頑張りましょう、ヤーコン」

「おうっ」

 互いに背を向け、ヤーコンはトレードマークのテンガロンハットを直す。

 トウコは髪の毛を優雅に流して、確認せずに拳をぶつけ合う。

 ここから先は分かれ道。でも、志は同じ。

 互いのやるべきことをするために、一度ここで別れよう。

 二人は、自分の役目を果たしに駆け出していったのだった……。

 

 

 

「……話をつけてくれたのだな?」

「ええ。ヤーコンは街の人を誘導しに行ったわ。こっちは、私が何とかするからね」

 ロットは渋そうな顔をして、礼を言う。

 この街での彼らの立場は散々だ。今でも責められるべき立場にいる。

 そして来度の事で、更にその軋轢は強くなったと言ってもいいだろう。

 ロットは覚悟していた。これからの日々は、輪をかけて酷くなるだろうと。

 表情を見て考えを読んだのか、彼女は言う。

「あんた達には、もっと辛い現実になるわね。でも、仕方ないと思うわ。少しでも楽になるように、私も助力するけど……」

 弾圧のことは否定しない。

 過去は、変えられない。

 受け入れることしか出来ない事を知った。

 故に、トウコは責めない。

 連れの一人が厳しい視線で彼らを見ている。

 甘んじる覚悟のある彼らの意思を尊重する。

 でも、過剰な罰には至らないように尽力する。

 正当じゃない罰は、理想に反する。

 いつか、償いが終わったあとに、笑顔になって欲しいから。

「舞い戻ってくれたこと、そして窮地を救ってくれたことに感謝する、トウコよ。そして急で悪いのだが……実は、逢って欲しい人物がいるのだ」

 トウコにそう切り出したロット。

 彼らの顔色が変わる。驚きと、心配。

 それをしっかりと、トウコは見ていた。

「……そう」

 それだけで、大体の予想が付いた気がする。

 二年前に、命懸けで彼らと争いを起こしていない。

 その経験は確実に活かされていた。

 プラズマ団に関しての事だけは、トウコは予知めいた直感が働くようになった。

 彼女は最初、成長していないと自らを卑下していた。

 だが確実に二年という月日は、彼女を大人にしていた。

 成長していない、と思っているのは自分だけ。

 周りから見ればトウコは立派に前に進んでいる。

 チェレン譲りの冷静な判断力。

 いざというときのトウコ本来の行動力。

 ベル譲りの仲間を信じる強い思い。

 幼馴染は、伊達じゃない。

 二人の良い部分が、しっかりと共鳴しトウコを強くしていた。

 その部分に、まだ彼女は気付いていない。

 気付いているのは、二人への尽きない感謝だけだった。

「分かったわ。逢うだけ、逢ってみる。ロット、そこまで案内して」

「……そうか。逢ってくれるか……」

 嫌な予感を感じていたベルに振り返り、微笑むと案内するロットについて行く。

 相変わらずヒュウだけは、ロットを睨みつけている。

 まだ彼には彼で、許せないことがあった。

 メイはそれを本人から聞いている。

 だから彼を責めることはしたくない。

 トウコの意図が分からないヒュウは、徐々に苛立ちを隠しきれずにいた。

 

 

 

「……ここだ」

 ロットが連れてきたのは、教会にあるとある一室の前。

 古い木製のドアの前まで、トウコ達を連れてきた。

「この向こう側に、逢って欲しい人物がいる」

「……」

 何時の間にか、トウコの表情は変わっていた。

 手を伸ばし、ドアノブを掴むが施錠されていて回らない。

 なんと言えばいいのだろう? ベルには分からない。

 怒り? 憎しみ? 悲しみ? 焦燥? 

 少なくても、プラスの感情ではあるまい。

 まるで復讐を誓っていた頃のトウコに逆戻りしてしまったような。

 そんな心配が脳裏を過ぎる。

 ドアの前に立ち、ロットがはぐらかしていた、人物の名を告げようとした。

 

 

 その時だった。

 

 

 突然、トウコがキレた。

 尻尾の後ろ髪を逆立てて、犬歯を丸出しにし、鬼のような形相。

 あの頃のような激情を全面に解放する。

 嘗て、駆逐艦(フリゲート)のヴィオと対峙した時のように。

 

 

 

「ここで何してんのあんたはァーーーーーッ!!」

 

 

 思わずベルとメイが耳を塞ぐほどの怒鳴り声を出して、薄く虹色にコーティングをされていた右腕を大きく引いて、木製のドアを殴りつけた。

 あの虹色は、何時ぞやの。

 ベルが教えられていた、サイコキネシスの応用か。

 それでもって、ドアを殴る。

 ドア、凄まじい断末魔を上げて粉砕。

 文字通り、粉にして砕いた。

 盛大な音がする。ぶっ壊されるドア。

 苛立っていたヒュウの目が、点になり口を半開きにしていた。

 まさに唖然。言葉を失う。

 ズカズカとそのまま、トウコは室内に侵入。

 そして聞こえてくる誰かの、恐らくは男性の声。

 驚愕と痛みで何かを叫ぼうとするが、無視されているのかマンムーのようなトウコの荒い声でかき消されていく。

 ヒュウとメイの位置からは室内は見えない。

 が、トウコが誰かと取っ組み合いの喧嘩をおっぱじめたことだけは理解する。

 ロットも絶句して、制止するのを忘れて眺めている。

 ベルだけは、その声の持ち主を知っていて、別の意味で絶句していた。

(あの人が……ここに……)

 嫌な予感が的中した。そう、あの人は。

 トウコの因縁の一人といっても過言ではない人。

 対の英雄にして、対の存在。

 黒の反対、理想の反対、立場も反対。

 その男もまた、ここにいた。

 話し合いの席を作ろうと相手は必死になっているようだが。

 メーターを振り切っているトウコには届かない。

 フェアリー技のじゃれつくのようなものだ、トウコからすれば。

 十分、手加減している。

 が、彼からすればそもそも喧嘩するような存在もいた試しもなく。

 要するに、喧嘩慣れしていない。されるがまま、ボコボコにされていく。

 一応年上、体格も彼に分があるのだが……。如何せん、相手が悪かった。

 ロットがこのまま、彼女に任せて暫く放置しようと提案して、ベルたちは別室に案内されていった。

 最後まで、ベルは心配そうにどっすんばったんと派手な音をさせる部屋を振り返っていた。

 

 

 

 

 

「……取り敢えず、今ので済ませてあげる。色々言いたいこととかあったけど、もう忘れた。私には今までの私じゃないから、これでいいわ。で……改めて、ね。確か、最後に顔を見たのは……二年前のあの時以来か……。久しぶりね、本当に」

「……久しぶり……だね……っ。いたたた……」

「ごめん、あんた喧嘩慣れてなかったの忘れてたわ。鳩尾にぶち込んじゃったけど、大丈夫?」

「平気さ……。これぐらい、僕の仕出かしたことからすれば、当然の仕打ち」

「いい加減に、しなさいっ!」

「痛っ!?」

 取っ組み合いは、数分で収まった。

 互いにベッドの上で、荒い息をしている。

 元々は、予感が現実になる事を察したトウコの、今までの思っていたこと、感じていたこと、様々な鬱憤を言おうとしてそこはトウコらしく、その前に感情の制御を振り切り、大体の流れでこうだよね、とココロが諦めて合わせてやった結果がこれだ。

 ココロ達はこの人が例の人、ということで今回は静観を決め込んでいた。

 相手は理不尽な仕打ちを受けた。

 本人はこれは当然の報いだというと、帽子の上から拳骨を振りおろされて、更に理不尽なことをされた。トウコ、やりすぎである。

「っていうかあんた、いつからこっちに戻ってきていたの?」

「それなりに……前だよ。丁度、君が戻ってきたという話を風の噂で聞いていたから」

「……そう。懸命な判断じゃない。そういうところは、前と変わらないわね」

 ロットが逢って欲しいと言っていた人物。

 それは、彼女の二年前に壮絶な戦いを繰り広げている人物だった。

 彼は今でも世間から、いや世界から悪者として認識されている。

 むしろ、諸悪の根源とさえ信じられている存在だった。

 

 

 

 ――名を、ナチュラル。

 ナチュラル・ハルモニア・グロピウス。

 略して、N。

 

 

 嘗てプラズマ団を率いて、ポケモンを人の手から解放しようとしていたプラズマ団の王であり、もう一人の英雄。

 白き龍と共にいる『真実の英雄』。

 そしてその野望を、トウコによって打ち砕かれ、行方が分からなかったトウコと同じ立場にいる、数少ない存在。

 それでいて敵同士で、争った。トウコは勝ち、Nは負けた。

 そして、そこでゲーチスが本性を現して……。

「あー、もう前のことはいいわ。今更蒸し返してもどうにもならないし」

 受け入れたとはいえ、積極的に思い出したいことじゃない。

 トウコは頭を振って、目の前で頭を抱えて痛そうにしているNに問う。

「先ずは、お礼を言わなくちゃ。ありがとう、N。あんたのおかげで、間に合いそうになかった私は、ソウリュウを何とか守ることができたわ」

 言うべきことは、お礼。

 あの時、ソウリュウでの決戦のとき、彼がフリゲートを遠ざけてくれなかったら。

 もっと多くの人が、傷ついていたことだろう。

 彼の英断が、人を救ったのだ。それは、間違いない事実。

「……僕は……」

 礼を言われて、俯くN。

 それは無力さを嘆いてる、二年前の自分自身がデジャヴした。

 これで、予感は半分ぐらいは正しいかもしれない。

 トウコは、辛いことだろうと思いながらも、予想の付いた理由を先んじて言う。

「礼を言われる筋合いはないの? 戦いを挑んはいいけれど無様に負けて、とっ捕まっていたのを誰かに助けられ、自分だけがおめおめと逃げ帰ってきたから?」

「!!」

 トウコが言うと、ハッとしてNは顔を上げる。

 トウコは腕を組んで、渋い顔で説明する。

「そりゃあ、私だってそれぐらい思いつくわよ。ゼクロムに聞いたら、最近いるはずのレシラムの気配を感じないって警告されたわ。あいつからも事前に情報は聞いているし、あんたがどういうふうにしていたかは、シャガから聞いた。だから私なりに考えた一種の推理。どう、あってる?」

 この推理が導く答えは、非常に不味い。

 現状、トウコはとてつもなく不利になる。

 答えを促すと、Nは消沈しながら、肯定する。

「…………あぁ。その通りだよ、トウコ……」

 大体の流れは理解する。

 互いに手札を知っているから、連中のやりそうなことを考えるからに、現状は最悪だった。

 Nはまだ切り出せていない、強い罪悪感を感じていた。

 自分は、トウコを裏切った。

 まだ言えない言葉と共に、もう一つ言わないといけない言葉が増えた。

「はぁ……。やっぱりねぇ……。N、あんたはとことん私にそっくり……」

「えっ?」

 呆れたような、それでいて表情は柔らかかった。

 Nが見る先で、Nの予想を裏切る反応をしていた対の英雄。

 彼女は、苦く微笑んでいた。

 Nはてっきりもっと過激なことをされるかと思っていた。

 過激といっても噂で聞いていたほとじゃない。

 団員半殺しの復讐者の姿はなく、二年前よりも大人っぽくなった彼女だった。

「どうせ、話は聞いているんでしょう? 私がプラズマ団相手にやりたい放題していた時のこと。だからもっと酷いことされると思っていた?」

「……それは……」

 否定できないので、答えに困るN。

 項垂れそうになるのを、トウコはデコピンをして阻止。

「うわっ!」

「はいはい、俯いてるんじゃないの」

 しっかり自分の顔を見ろ、とトウコはNに言う。

 二年ぶりにみた彼女の顔は、二年前よりも遥かに優しく、強く、美しくなっていた。

 生気の乏しいNの目には、トウコは輝いていた。

「顔を上げて前を見なさい、N」

 トウコは表情を引き締めて、挫折しそうなNを励まそうとしていた。

 言葉は得意じゃない。舌戦できるほど語彙は豊富じゃない。

 だけど、人の想いを託された者同士として。

 彼が挫けそうならば、それを支えることも大切だと知った。

「あんたと私は良く似てる。二年前、ゲーチスの操り人形だったあんたと、理想の偶像を押し付けられた私。お互い、自我が無かったわ。あんたはゲーチスの思惑通りに、私は人々の思うがままに動いて、戦って。あんたは真実を見つけるために旅に出るって言ったわね。私はそのあと、何もかも絶望して、全部投げ出して、逃げ出したわ」

 本人の口から語られる、Nの知らない彼女の真実。

 それは、背負いきれない重荷を背負わされて、壊れてしまった英雄の器。

 その成れの果てだった。

 ベルにだって、詳しくは教えていない。

 彼女は言わなくても、分かってくれているだけだ。

 ハッキリと、自分の口で詳細を誰かに説明するのは、初めてだった。

「私は、二年前のパートナー達と話し合って、そして別れた。あの子達を酷いことをしてしまった私自身が許せなくて、そこらじゅうに逃げ回って。最初は死のうと思っていたわ。でも怖くて死ねなかった。それで、逃げることにしたの。辛かっただけのイッシュから」

 そこから語る、逃避の二年間。

 今の仲間に会い、そして『忘れ物』を解消しに戻ってきたところを、ベルたちと再会して、ここまで至る、と。

 その過程で様々なことを知り、思い出し、狂い、病み、壊れそうになりながら、今日まで進んできた。

 過去を否定するのではなく、受け入れることで未来を創る。

 みんなの笑顔になれる世界。それが、トウコの見つけた『理想』。

「N。あんたはこの二年で、世界で何を見た? 何を感じた? 何を『真実』だと思った? この二年で得たものは、こんなところで腐っている程度の意味しかなかったの?」

「……」

 トウコは分かっていたのだ。

 Nが、敗北を経験し今まで経験したことのないほど絶望に堕ちて、自分だけの世界に逃げ込んでいることが。部屋に引き篭って、諦めて。

 トウコも痛いほどよく知っている、あの孤独の世界に。

 Nは何も言わない。言えない。

 彼女の傷を抉るようなマネをしておいて、何を言えばいいのだろうか。

 Nは、人とのつながり方を未だによく知らなかった。

「それともあんたは、過ちの償いをするつもりだったのかしら。だったら不十分よ。あんたの罪はこの程度で無くなるものじゃないわ。見たでしょう、ここでの彼らへの現実。厳しいことを言うようだけど、あんたが二年前に行なったことは筆舌に尽くしがたいわ。これ以上、下らない理由を付けて部屋に閉じこもってみなさい。それこそ、あんたを半殺しにしてでも連れ出して、警察に突き出すわよ。自分がどんな立場にいるか、思い出すことね」

 彼女は不器用だと自覚している。

 気の利いた優しい言い方とか、言えなかった。

 結局励ましにまさか脅し文句を使うとは自分でも自分に呆れる。

 Nはそれでも構わない、みたいな視線でトウコを見る。

 それで償いになるなら、とか考えているのだろう。

 巫山戯るな、と内心悪態を付く。

 折角顔を見せたと思ったらこれか。

 そんなこと、させる訳がない。

 その前にするべきことがある。

「あんたが今感じている絶望は、私が独りきりで突っ走った結果感じるものだったかもしれない。支える誰かがいなくなって、自分じゃどうすればいいかわからない。ポケモンしか居なかった人間は、そういう風になる」

「……」

 トウコの指摘は間違っていない。

 事実Nは、どうすればいいかわからない。

 自分にできることも、自分がしたいことも、何もかも。

 言葉を貸してくれるトモダチはもういない。

 二度と、逢えないかもしれない。

 体験したことのない未知の恐怖が、見えていたはずの真実を曇らせる。

 人間として、Nはまだ弱かった。

 トウコだって偉そうに説教するほど強くない。

 こんなことはあの新米ジムリーダーに頼めばいい。

 でも、彼の痛みや苦しみを知れる人間が、トウコしかいない。

 だから、トウコはNにこの言葉を言う。

 ベルがトウコにそうしてくれたように。

 今度は、トウコが、Nに。

 

 

 

「N、私を頼りなさい」

 

 

 上から目線で偉そうになってしまった。

 Nは怪訝そうに見つめる。人を頼るということを知らない目。

 今まで彼は祭り上げられた操り人形だった。

 トウコと同じで、誰かの意思を代行していただけ。

 こんなことを言ってくれる人なんて、居なかった。

 分からない、知らない。だから、やらない。

 だったら分かってもらう。知ってもらう。やってもらう。

 それだけだ。

「自分の中に逃げてんじゃないわよ。私だって言いたくないわ。言える権利もないけど。敢えて言わせてもらうけど、それは逃げているだけ。私もそうやったけど、そんなふうになっていて何ができるの? 私は暴走しただけだったわよ。あんたはどうなの、N」

「……僕は……」

 漸く喋るN。本当は分かっているくせに。

 こんなところで落ち込んでいる前に、出来ることがあることを。

 トウコは間違えた。その経験で言える。

 こんなふうになって、良いことはひとつもない。

「私は、支えてもらえたわ。それは何よりも幸運だったと、はっきり言える。私は、だから間違いに気付けた。破滅しないで済んだ。N、自分じゃどうしようもないなら誰でもいいから、助けてというのよ。自分で何もかも背負って、どうにかできると思っているのなら傲慢な考え。私達は、ただの人間じゃない」

 トウコは、Nの肩を力強く握って彼に言った。

「私達は自分の意思がある、ただの人間よ。私は一人の母から生まれた娘。あんたはポケモンの声が聞こえるだけの、ただの人間。私達は伝承に選ばれているだけの、ちっぽけな存在なのよ。化け物? 英雄? そう呼ばれているわ。でも、元を正せばあんたのいうヒトに過ぎないのよ!」

「……トウコ……」

「ヒトは助け合って生きていくわ。それはポケモンだけじゃない。ヒト同士だって助け合うもんでしょ。あんたは今まで、ポケモンを助ける立場ばかりになっていて、忘れていたようね。そんな簡単なことも、レシラムは言われないとわからないの?」

 彼女は徐々にいきり立っていく。

 沸点の低いトウコは、この自分そっくりの男が落ち込む姿が、復讐者の頃だった自分を見ているようで気分が悪い。

 分かっているのだ。

 自分がこんな簡単なことすら忘れていたことを。諦めていたことを。

 まさか、賢いと思っていたNまでこんなふうになるとは思ってなかったけど。

 ……くり返し言うが、この英雄様は言葉で言うのはとても苦手だ。

 追記すると、感情の沸点も低いのも素の性格である。

 これ以上の言葉を持ち合わせていない黒の英雄様は、またブチッとキレた。

 トウコの限界だった。

 まだるっこい、面倒臭い、もう嫌だ。

 肩から、今度は胸ぐらをつかんで前後に激しく揺さぶる。

「あああああああッッッ!! もう、うざったい!! あんたは私よりも頭がいいんでしょ!! ゴチャゴチャ理屈だ数式だ言ってないで、早く行動しなさいッ! 今度は私がNの味方なのよッ!? それの何が不満があンのよッ!?」

 ガクガク揺さぶり、実力行使で説得する。

 ……短気すぎてお話にならない。

「ちょ、僕は、何も、言ってな」

「喧しいのよッ!! 前から小難しいことばっか言って、私を混乱させて! あんたは一々細かいことを考えすぎ! いいからゲーチスぶちのめして捕まえるのに協力しなさいッ! 答えははいかイエスのどっちかァッ!! どっち!?」

 凄い剣幕だった。

 Nはその剣幕に気圧されて、タダでさえ精神的に落ち込んでいたところに強烈な一撃をお見舞いされて、ガタガタしながら頷くしか出来なかった。

「分かったっ!? N、ああだこうだ言わないで私に手を貸しなさい! あんたには私がいるッ! 分かればいいのはそこだけッ! いい、独りじゃないのよ!? 私が手を貸しているんだから、辛かったら私に泣き言を言いなさいッ!! 私に寄りかかりなさいッ! たとえあんたが私をどう思っていようが、私はあんたのことを人間だと思っているからね!?」

 最後は怒鳴り散らして、励ましているのか怒っているのか、よく分からない状況だった。

 前にベルに言われたこと。何としてでもそれだけは言いたかった。

 勢いだけで言ってしまったが、これだけハッキリ言えばきっと理解してくれる。

 そう信じて、トウコは立ち上がる。

 手を離すと、呆然としているNの首根っこを掴まれて、そのままズルズルと引きずり出す。

「さぁ、手を貸しなさい、N! 御托はいいから、今すぐに!!」

「……」

 色々な意味で、トウコは怖かった。

 父よりも、別ベクトルで恐ろしい。

 Nは初めて、異性に対して恐怖感を抱いた。

 こうして、二年の間交差しなかった『理想』と『真実』は、今度こそ目的を同じとして、共に歩む。

 目指すは、プラズマ団の悪行の阻止だ。


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