「――なんて、事を……」
ソウリュウの惨事を見て、白き龍に跨る天空より見下げ、彼は思わず口走った。
眼下には、氷の廃墟と化した都市が広がっている。
凍り付けにされ、全てが壊されている別世界を。
『これが……人の業。自らを満たすために……人は過ちを繰り返すのです……』
急いでも、間に合わなかった。
むしろ、彼らをここに呼びつけるために、トップである彼は、この騒ぎの起こしたのだ。
人だろうがポケモンだろうが、もう関係などない。
彼にとってここは自らの植民地にするためだけの土地であり、地均しには丁度良いと両親の呵責さえ最早失われていた。
「父さん、あなたはそこまでして何が欲しいんですか……ッ!」
『愚かな男……。同じ事を繰り返し、何が満たされるというのです……』
父と彼を呼ぶ青年――N。彼を選んだ龍――レシラム。
眼下で起きている戦争とさえ呼べる悲しいだけの衝突。
何がそこまで彼を動かすのか。Nには、理解さえできない。
とうとう起きてしまった最悪の悲劇。
こうなる前に、あの人を止めたかったのに。
間に合わず、たくさんの人が犠牲になってしまった。
『……あの男と、決着をつける時が来たようだな、ハルモニア』
『あたし達は、準備できてるわよ』
『チールも、かくごきめたよ!』
『オラ、ぜってえあいつをゆるさねえだ!!』
『往きましょう、ハルモニア。全てを、終わらせるために』
彼女のトモダチたちは、広がっている凍てつく地獄に深い憤りを感じていた。
狂う感情が、Nには聞こえる。
それを抑えて、彼らはNに最後まで付き合ってくれるという。
かつては逃げてしまった相手ともう一度対峙する決意をして。
「……。ありがとう、みんな。行こう、レシラム。父さんは、きっとあの中だ……!」
――ンバーニガガァ!!
白い龍は吼えた。
それは正当な怒りであり、正当な嘆きであり、正当な哀しみであった。
どうして分かり合えない。どうして共に歩めない。
あの男には人の心があるのか。
ポケモンを道具にしようするあの男は、本当に人なのか。
人の皮を被った悪魔ではないのか。
『この悲劇を……終わらせましょう、N。これが、私達の最後の戦いです』
「覚悟はできてる。何も言わないでいい」
嘆きの白龍と英雄は、そのまま上空に浮いている駆逐艦目掛けて、突撃していった。
その先にあるのが無様な敗北であることを、彼女はまだ知らない……。
「今の声は……?」
彼は微かに聞こえたその聞き覚えのある声に、天空を見上げた。
空に広がるのはダイヤモンドダストだけ。
細かい氷が、不自然に下がった気温と共に戦場を支配する。
銃声が鳴り響くソウリュウの街の中。
テロリストとなったプラズマ団達は、ポケモン以外にも銃火器で武装し、徹底的に迫害を行なっていた。
そう、ポケモンという道具が使えないなら、本来の道具で奪えばいいと彼らも考えたのだ。
即ち、人間を狙って直接奪うという方法を。
何の罪もない一般人を無抵抗のままに撃ち、ポケモンだけを奪い、止められない怨嗟の鎖を作り出す。
これが、スマートな大人のやり方。
そう、戦争という名前の、テロ行為。
それを間近で見ていた彼らは、己の無力さに絶望した。
これが、大人の本気。これが、プラズマ団の全力。
その場で巻き込まれて怪我を負ったハリーセン似のツンツン頭、ヒュウとドーナツよろしくな髪型の少女、メイはオロオロとするばかりだった。
二人はこの街のジムに勝負を挑み、終了して次に行こうと朝早く起きた頃に、明け方に来襲してきたプラズマ団との大規模な戦闘に巻き込まれた。
そして、彼は独自に調査を続けて、嫌な予感がすると事前に掴んだ情報を元にこの街を訪れて、襲われた。
「二人とも、こっちだ!」
脇腹に血が滲むワイシャツに切れているスラックス、ネクタイはとうの昔に千切ている。
焦っている死人のような顔は、血の気を失いすぎて倒れていてもおかしくない身体を精神力だけで動かし続けているからだった。
そう、現在向かっている二人の少女の幼馴染のお隣さん――チェレン。
彼は、懸命に人命救助に勤しんでいた。
たまたま出会った顔見知りのメイとヒュウを庇うように、怒鳴る。
「早くッ!! 次が来る!!」
上の方で、風を斬る音。続いて、爆音。
「ひゃあああ!?」
「うわあぁぁ!?」
メイが半泣きで建物の軒下に避難し、頭に少し怪我を負っているヒュウもすっ転ぶように入る。先導するチェレン。
「くっ……!」
上空に浮かぶ、フリゲート艦。空を飛ぶなんて非常識すぎて、ついていけない。
とうとう、その銃口が街に向かって降りかかった。
下方に大砲クラスの主砲を完備しており、そこからよく原理は分からないが巨大な氷塊を弾丸として何発も打ち込んできているのだ。
連射はある程度可能で、破壊力は抜群。
そんな戦争の道具を、ただ古いだけの街に向かって容赦なく使った。
地上ではプラズマ団員達が狂ったように銃を乱射し、人々を威嚇してボールを奪う。
抵抗するものは銃で脅して、それでもダメなら普通に撃つ。
殺しこそしないが、怪我人は続出している。その大体が、大怪我だ。
現にチェレンも激しい痛みに襲われている。右脇腹を、銃弾が貫いたのだ。
止血もろくにできないこの状況ではやがて自分は死ぬだろうという予測はついている。
傷を見たメイがますます怯えたような鳴き声を出して、ヒュウはクソッタレと天を見て叫ぶ。
勝ち目なんて、子供である彼らには最初からなかったのだ。
フリゲート艦はかれこれ数時間、上空に浮遊して攻撃を続けている。
近くを飛ぶ報道などのヘリコプターも容赦なく撃墜し、まさに無差別攻撃と言ったふうに振舞っていた。
もう、この街は終わりなのかもしれない。
地上には無数の武装した団員。上には巨大な駆逐艦。
こちらには有効打になるカードは一枚も存在しない。
もう、何もかも終わりだ。死を覚悟するしか、ない。
その現実に、誰もが屈しようとした。その時だった。
天より舞い降りし、世界を焼き尽くすことさえできる、ドラゴンの響き渡る咆哮が聞こえたのは。
――――ギギャアアアアアアアアアアーーーーーーー!!
チェレンの生涯で、一度も聞いたこともない怒りに満ちたドラゴンの雄叫びだった。
「な、何だアレ!?」
ヒュウの戸惑った声。チェレンとメイも顔を上げる。
目に映るそれを見て、チェレンは絶句した。
そこにいたのは、二年もの間沈黙を守っていた、あの伝説の龍が、怒りの蒼白い炎を連続で吐き出しながら、フリゲート艦に突貫していく姿。
「ば、バカな……!?」
それは二年前、幼馴染が戦ったという、伝説がいた。
真実を見出すものに、力を貸すと呼ばれている、彼の龍の姿。
「白い……龍……!? あれ、レシラム!?」
「嘘だろ……俺、夢でも見てんのかよ……」
メイが縋るようにヒュウを見て、白い龍を指さす。
ヒュウは脱力したように見上げているだけ。
レシラムは本気で怒っていた。
二年前見たような、尾から出すのは紅蓮ではない。蒼白い焔。
あまりの温度に色が変わったそれを、フリゲートに容赦なく浴びせていく。
フリゲートも待ってましたと言わんばかりに方向転換し、重火器で応戦して、そのまま膠着状態で空中戦を始めていた。
「き、きてくれたのか……N。あなたは……」
チェレンは気がつかない間に、そんなことを呟いていた。
それは神々しさえさえあった。
目線の先で激しく争う伝説と科学の結晶。
一進一退の戦いが続く。
やがてゆっくりとだが、駆逐艦は移動しながら炎を放つレシラムを追いかけて、街から離れていく。
「ねぇ見て! あの船、離れていくよ!」
メイの言うとおり、本当に微弱だが、街から遠ざかっていく駆逐艦。
まるで率先して囮となって、少しでも被害を少なくしようと龍が人を守るようにしているかの如く。
「本当だ……」
ヒュウが呆然と言う。
一定の距離を開て、レシラムは背を向けて今度は一目散に逃げ出した。
ついてこいと挑発するような態度。
駆逐艦は、その後をエンジンを吹かせて追いかけていった。
まだ地上部隊は残っているのに、だ。
しつこく地上戦を続け、チェレンたち民間人には手も足も出ない状況を強いてくる。
チェレンは傷痕を手で押さえ、片膝を付きながらも、助けられる人がいるならと、止める二人に避難するように逆に言って、また戦場へと戻っていった。
戦いは苛烈を極める。
プラズマ団に対抗して、市長である屈強な初老の男性、シャガ率いる警察官や警邏隊が迎撃し、プラズマ団も数と室の暴力で対抗する。
拮抗する戦場となった街。
駆逐艦という最大の攻撃手段が飛来した伝説の龍が引き受けてくれた今が反撃のとき。
シャガが叫ぶ。
「怯むな!! この街は私達の街だ。私達の手で護るのだ!」
その言葉は、消えかけていた抵抗の意思に喝を入れた。
街の人々に反撃の意思が宿る。
シャガの戦闘能力も、ぶっちゃけた話、武装したプラズマ団より遥かに強い。
なにせこの爺様、ドラゴンタイプ相手に生身でスパーリングをよく行なっていることで有名で、化け物みたいなセンスを持っているのである。
素手が一番強い爺様は躊躇などしない。
プラズマ団員たちをを片っ端から片手でぶん殴ってぶっ飛ばし、銃を撃つ暇さえ与えず叩きのめしていく。
多少怪我を負っているものの、むしろそれがビジュアル的に恐怖を煽る風貌となった。
まさに手負いのドラゴン。龍の逆鱗にプラズマ団は触れていた。
それでも、後から後から出てくるプラズマ団員。
足手纏いになるのは、何もできない女子供。
それを標的にして人質を取る連中も出てきた。
「下衆なマネを……」
チェレンは悔しそうに舌打ちした。
眼前でどや顔で勝利を勝ち取ったと思っている、団員が泣き叫ぶ子供を盾にチェレンを殺そうとしていた。
黒光りする銃口がチェレンの頭を狙っている。
助けてお兄さんと子供に叫ばれる。
助けてあげたい、死なせたくない。
そう心から思う。だけど、彼はやはり無力だった。
ニヤリと笑う団員。死ねと罵られ、引き金にかかる指に力を込める。
不格好だった。チェレンは血を失いすぎて視界がぼやけており、あまり見えていない。
それでも気力だけで動いて、守って、傷ついて。
満身創痍でまだ立ち上がる。まだ諦めない。
ここまでされても、彼の心は折れなかった。
「大丈夫……。僕が、何とかするよ……」
強がりだった。諦めないと思っていても、絶望に勝てないとしても。
負けを認めたくなかった。
二年前までただの理屈っぽいだけのモヤシだった少年。
今は、身体を張って、小さな生命を理不尽から守ろうとする、一人の男にまで成長していた。
「ハッ、ただの子供が、大人に刃向かうからこうなるんだよ」
邪悪に笑い、吐き捨てる男。手に握られた銃。
血塗れの、ボロボロの青年。子供を取り返そうと、立ち塞がる。
子供が泣き叫ぶ。嫌だ嫌だと助けを求める。
子供にだってわかった。あのお兄さんが死にそうになっているのを。
暴れても力ずくで押さえられて、逃げ出せない。
誰でもいい。あの、倒れそうなお兄さんを助けて。
そう願いのは仕方のないこと。
イッシュには英雄がいる。
人々が苦しんでいる時に、救ってくれたという伝説の英雄が。
何で助けてくれないの。どうして守ってくれないの。
何でみんな、護ってくれないの。
助けてよ、英雄さんがいるのなら、あのお兄さんを助けて。
そう真摯に願った。
「死ねええええええ!」
「いやあああああああーーーーーー!!」
男の処刑の声と、子供の悲痛な叫び。
チェレンは、力なく笑った。
僕も、これで最後かと。
ごめん、トウコ、ベル。
二人の幼馴染の顔を思い出す。
僕は、カッコ悪く、ここで終わりそうだ。
とうとうその心が絶望に負けそうになった。
引き金が引かれる。
その動作が、スローモーションのように、ゆっくり流れる。
死に間際にはこんなことがあるんだな、と彼はどこか冷静に感想を思い。
彼は、目を、閉じた。
男の背後で、雷鳴が轟いた。
蒼い鮮烈な光が、閉じゆく目を焼いた。
そんな、蒼真等さえ見た気がした。
「――お疲れ様。後は、私が引き受けるわチェレン。頑張ってくれて、ありがとう。私が、全てを、護る」
最初、彼は空耳かと思った。
その声は、ここにあるはずのない声で。
決して、いるはずのない人物の声で。
「よくも私の大切な人達を傷つけてくれたわね、プラズマ団。覚悟は……出来てるんでしょうねェッ!?」
怒る彼女は、あの猪のような突撃思考の幼馴染の声。
「チェレン……ッ! ひ、酷い怪我だよお!? い、今病院に連れてくからね!?」
焦る彼女は、限界がきて倒れかけた自分を支えてくれる、優しい幼馴染の声。
「な、なんだお前は……!? 何処から現れた!?」
「ゼクロム……こいつらを、追い出すわ。ココロ、いい?」
男の疑問を無視して殺気を纏い歩くその後ろ姿は、
「とう、こ……?」
自分を助ける、この少女は、
「べる……?」
いないはずの二人が、ここに……?
チェレンの意識は、名を呼ぶだけで途切れてしまった。
焦る彼女に、英雄は早く連れて行けと自分のポケモンたちにも手伝いを命じて、行かせた。
『よかろう。悪党には相応の罰を与えねばな』
『いいよお姉ちゃん。やろう、わたしも久々に本気で怒ったよ!!』
二疋の龍を連れ、戻ってきた黒い英雄の姿が、プラズマ団員たちの目に映る。
黒い龍は、凄まじい怒気を放ち、地に降り立った。
紅い龍は、虹色の光を放ち、その姿を変えた。
どちらも、前を歩く主に想いを託して。
「私の名を教えてあげる。私はトウコ――二年前、彼らと共にお前らを潰した、ただのトレーナーよ。そして今も、お前らを止めるためにここにきた、ただのトレーナー」
龍が吼える。英雄は歩みを止める。
「今ここに、宣戦布告するわ。プラズマ団、私はお前達をぶっ潰してでも止めてやる」
再び、プラズマ団に悪夢が甦る。
冷たい怒りをその身に宿らせた