ベルが本来、ヤマジの町を訪れたのは活火山、リバースマウンテンに生息すると言われている、この一帯で囁かれている伝説に出てくるポケモンの実地調査だ。
そのポケモンの伝説は、こうだ。
昔から、この辺では夜な夜な、マグマが動くという不思議な現象が頻発していたという。
ある時には砂嵐の中逞しく育った農作物を食い荒らし、ある時は湧き出る温泉を飲み干し、ある時は人様の家の前を平然と闊歩し、ある時は真顔を晒して人間を脅かす。
そのポケモンは火山の火口に住むと言われ、火山の洞窟の中を十字の爪で縦横無尽にはい回るという。
……伝説のポケモンを三体共にいるトウコは思う。
何ともショボイというか、スケールの小さい伝説のポケモンである。
というか、目撃者の調査もしてきたベルが、辟易した顔で帰ってきて、部屋で大人しくしていたトウコにシンプル且つ、分かりやすいたとえで教えてくれた。
「台所によく出る、ゴがつく黒い油虫的なポケモンみたい……」
「……」
最悪の喩えである。
概要を聞いてたトウコはある程度、過去の経験から何のポケモンか、見当がついているがだからといってこのたとえは酷すぎる。
しかし理不尽なのは、生態だけではない。その強さなのだ。
そのポケモンは、一匹が生息しているだけで100人のベテラントレーナーを返り討ちにし、我が物顔で縄張りをどんどん広げていく、世にも恐ろしい存在なのだという。
その強さは、生命力に限らず、機動力、火力、防御力、全てにおいてパーフェクト。
生半可な実力では、真顔で見つめられるだけで戦意を奪われる次元らしい。
ますます某G的な立場のようだが、強さは歷として本物である。
伝説に名を連ねるには相応しい実力者であることは間違いない。
酷いときは、天井から落ちてくるらしい。ひゅ~っと。
「な、なんて恐ろしいポケモンなんだろうねえ……。あたし、無事に帰ってこれる自信がないよお……」
タイプは「むし」と「ほのお」で決まりだよね、とそういう昆虫がダメで青ざめたベルは震えながら言った。
ちなみにそのタイプは前チャンピオン愛用のポケモンのタイプである。
「……ベル。確かに、あのポケモンの顔は怖いし、寝てる時も目を開けているらしいし、シャカシャカ動くのはアレっぽいけど……。そんな、あの黒い油虫とかいうのは失礼じゃないの?」
間違いない。奴だ。トウコは正体を知っている。
ギガスのように封印指定されるほどの強大なパワーを持ちながら、それを微塵も感じさせない生態。
それこそが奴の特徴であり、安易に触れようものなら腕を骨ごと肺にされる。
「油虫だよお!? カサカサ動いて、テカテカ光ってて、ツヤツヤしている……ひぃぃぃ!?」
ああ、実家で見たあの虫のこと思い出したんだろうとトウコは思う。
ベルが錯乱したかのようにゴールドスプレー買ってくると叫んで飛び出していった。
あんまり効果ないと思うのは気のせいか。
ムシ=薬剤じゃ、退治できないこともある。
ベルの気が気でないようだが、仕事は進まなければ意味がない。
翌日、ベルとトウコは重い足取りでリバースマウンテンに足を踏み入れた……。
「ふえええええーーーーー!!」
「なんでこうなるのよーー!?」
一時間もしないうちに、内部のポケモンに追い回される羽目になった。
二人の後ろには、怒った顔のバクーダやエアームドが群を成して追いかけてくる。
薄暗い洞窟内部を、懐中電灯片手に肝試し気分を味わいながら進んでいた二人。
ベルは生態などをチェックしながらメモを取り、トウコが先導するように闇を照らす。
で。
薄闇の中でも、好んで修行場にしている変わり者のトレーナーに道中挨拶しながら奥地を目指している時だった。
むぎゅっ、とベルの足が何かを踏んだ。
同時に、「ぐるるる……」という唸り声。
「……」
「……」
猛烈に嫌な予感がする。
トウコは懐中電灯を、声のする方に向ける。
すると。
照らし出された先でおっかない顔をしている、メスのバクーダが、背中のコブから煙を上げながら、怒っていた。
ベルが足の下にしているのは、彼女の紅い毛先だった。
トウコがまず何も言わずに回れ右、ベルもそれに倣う。
で、鬼ごっこ開始。逃げる二人、追う野性ポケモン。
火山の洞窟の中では、巨大な力を使うと物理的に崩落する可能性がある。
要はトウコの手持ちであるギガス(現在出せ出せとせがんでいる)では人間諸共死ぬ可能性大、先日メガシンカらしく進化できるココロ(温泉に置いて行かれたの一件で、未だに不機嫌な猫のような顔をしている)では狭い空間では本領発揮できず、ホルスも似たような理由で却下、シアは相性が悪い、アークは空腹でパワーが出ない、ゼクロムは石のまま。なので戦えるポケモンがディーしかいない。
が、肝心のディーもやりたくねえとそっぽをむいて拒否。眠いらしい。
主の何気ないピンチに、皆さん揃って役に立たなかった!
ベルの方の手持ちであるムーランドが威嚇して追っ払おうとしたが、キレている相手の剣幕に負けて、ダイケンキは陸上では動きが鈍く的にされ、ムシャーナのムンちゃんはずっと寝ている。
「ほかの二匹、あたしの言うこと聞いてくれないから無理だよおー!」
「何が?」
逃げ回り、バタバタ走りながら、ベルは泣き言を言い出した。
トウコも隣で走り、背後で「ふんがーーーー!」とか「すあーーー!!」という雄叫びに命の危険を感じながら、先を促す。
ベル曰く、出会ったばかりで何を考えているか分からない子、甘えん坊で戦いを好まない子で、意思疎通が取れないという。
それどころか、ボケーっとしているか甘えて擦り寄ってくるかでバトルにすらならないとか。
ベルの手持ちも、この二年で変化していたらしく、今までの子達は研究所でのんびりしているらしい。
それはいいとして。
「ごぼ、ごぼぼぼぼぼ」
……何か、今。変な音が聞こえた気がする。
背後を振り返っても、薄闇の中でポケモン達の怒号と足音が聞こえるだけで、そんな音はもう聞こえない。
ここは活火山だ。マグマが湧き出るような音がしても変じゃない。
そう考えて、聞かなかったことにしようと思う。
ベルがまだ隣で騒ぐ。
言い訳っぽく聞こえてしまうが、切実な現状を。
「伝承のポケモンだから、あたしの言うこと聞いてくれないのお!」
「……は?」
今、ベルは、何といった?
聞き間違いではなければ、すごいことをサラっと言わなかったか?
今、この場でいうことか?
様々なことが脳裏を過ぎるが、
「ふええええええええーーーーー!! か、数が増えてるううううう!?」
「……は!?」
ベルの叫びに、我に帰ってもう一度背後を見る。
「ぶるぁぁぁぁぁあーーーーーーー!!」
地獄が広がっていた。
ブルトーザーのような声を出しているバクーダズが、噴煙を上げながらフガフガ叫んで追いかけてくる。
奴らの顔、雰囲気、空気、全てが超怖い。
追いつかれたら、多分死ぬ。
「ベル、もういいから逃げるわよ!」
右手でベルの腕を掴んで、急カーブ。
道なりを照らす懐中電灯をベルに押し付けて、彼女は直感で進み出した。
「ふえええええーーーーーー!?」
がくんがくんと揺さぶられながら、ベルはトウコに引っ張られ、共に奥底へと消えていく。
脇の、台座のような岩の上に、大きなマグマ色の石が鎮座しており、
そこが、何の場所かも、知らないで。
「はぁ……はぁ……」
「に、逃げ切れたあ……」
ポケモンレースは、トウコたちが撒いたので彼女たちの勝ちだった。
違う部屋に飛び込んで、息を殺して通り過ぎるのを待って、一息漸くつけた。
如何に体力が普通の女性よりも高いトウコでも、ここまで全力疾走したのは久しぶり。
まだ多少痛みが残る左肩を庇いつつ、室内を見上げて、壁に寄りかかる。
久々のフルダッシュのおかげで、体力が干上がった。
ベルも、息が上がってはいるが、まだ少し余裕がある。
「ったく……なんなのよ、もう……」
自分のポケモンが重要なときに助けてくれないという悲劇がまた起きたトウコ。
不貞腐れた猫フェイスのココロは『温泉に入りたいだけなのにおいてくお姉ちゃんが悪いんだもん』と拗ねて、『腹減ったぁ…………飯……』とぶっ倒れているリーダー、『いいじゃねえか生きているんだから』と逆ギレするディー、『役に立てなくて済まない』と謝るホルス、『今度こそはレジギガスが!』と火山崩壊に躍起になる破壊魔、『トウコ、だいじょうぶ?』と心配してくれるのはシアだけだった。
「……ああ、もう……」
統率なんてあったものじゃない。珍しくココロまですねているから後で連れていこうと思いつつ、トウコは先ほどの疑問を聞こうとして……やめた。
「ねえ……ベル。ここ、何か暑くない?」
違和感に気付いたのだ。
この室内、先程の場所よりも明らかに室温が高い。
まるで、マグマがすぐ近くに湧き出ているかのような、高温のサウナのような暑さだ。
ちょっといるだけで、汗が流れる程ジメジメしていて暑苦しい。
「ふええ……? あ、言われてみれば……」
息を整え、顔を上げた彼女は、トウコの指摘に頷いて、周囲を懐中電灯で見回す。
ベルに言われて、向かい合うように立会い、洞窟内部の地図を広げても、こんな不自然な部屋は見当たらない。
少なくても地図上は。
では。
二人は、今、何処に逃げ込んだのだろうか?
光源が照らす地図から顔を上げ、互いに見つめ合った。
ベルの顔は明らかにビビっていた。トウコの顔は、引きつっていた。
恐怖でゆがむベル。
嫌な予感が的中し続けて本能の警鐘がやばいことになっているトウコ。
「ごぼ、ごぼぼぼぼぼぼ」
そして、何時の間にか隣には、一緒に覗き込むように、四足ポケモンが一緒に地図を見下ろしていた。
二人は無言で、そいつに顔を向ける。
バッチリ目線が合う。
「……」
「……」
真顔がドアップで迫っていた。
瞼もない目。不自然に大きな口元。
所々溶けている銀色の身体。鈍い光沢。
そのまま頭に直角が生えてきても何ら違和感がなさそうな外見。
成程、姿は確かに某Gを彷彿とさせても、おかしくは……ないのだろうか?
ただ言えることがある。
洞窟の中、ライトアップされた奴の顔は、怖いの次元を通り越している。
「ごぼぼぼぼ」
人すら丸呑みできそうな大口を開けて、水が湧き出すような音を出して、鳴いた。
「…………」
「…………」
ベルが、更に青くなって、大きく息を吸う。
トウコの顔が、本格的に見たことのない珍妙な表情になった。
体高は恐らく、トウコよりも少し大きいぐらいだ。
トウコの身長が現在160だから、少なくてもソレ以上はあるだろう。
「ごぼぼぼぼぼ」
また鳴いた。真顔で。表情一つ変えず。
もう、リアクションが枯渇したように、トウコは乾いた笑いで誤魔化す。
ある程度ホラー耐性があったトウコとは違う、もう一人は。
我慢の限界だったのだろう、むしろそこまで臆病な彼女にしてはよく耐えた。
「――ふえええええええええーーーーーーーーー!!」
ベルの大絶叫。
ベレー帽を押さえて、泣き出しそうになりながら、反射的だろうかバッグからハイパーボールを取り出して、見向きもしないで、恐ろしい顔のポケモンに投げつけた。
「ごぼぼ?」
首を傾げながら、飛来するボールを眺めているポケモン。
がつんっ! と真顔にあたって、ボールが捕獲モードに入り、そのポケモンを吸収して蓋をとじる。
普通なら、抵抗するポケモンがボールを揺らし、場合によっては破壊することもあるのに。
そいつは、一度も揺らすこともなく、カチッと捕獲を知らせる音と共に、簡単に捕獲されてしまった。
「ふえええええええええ……。怖いよお、怖いよお、油虫怖いよお……」
だから、そんな名前のポケモンはいない、と律儀にツッコミを入れる棒立ちトウコ。
かくいう彼女も、唖然としているしかなかった。なんだったんだ、今のアイツ。
野生のポケモンだろうが、何で人を襲わずにさり気無く混ざって真顔晒してくれた。
呆気なくゲットされて、地面に落ちるボール。
トウコが硬直から解放され、恐る恐るボールをつま先でつつき、無反応なのを見て、動かないので、拾って、ベルを呼ぶ。
「ベル、あんた……さっきのあいつ、捕まっちゃったわよ?」
「ふえ?」
帽子を深くまでかぶり、耳と目を塞いでいたベルは、怖々顔を上げて、彼女が見せるボールを見て、涙が浮かんでいる目を、点にした。
「あんたが投げたボール、顔に当たって捕獲しちゃったみたい。どうする? 持って帰る? 折角捕まえたんだし」
はい、と手渡しされたベルは、震える声でつぶやいた。
「……い、一体何を捕まえたのあたし……?」
「例の伝説のポケモンでしょ? 多分」
名をヒードランというポケモンであるそいつは、シンオウ地方のとある火山にも生息しており、トウコは過去に情報だけは図鑑で見たことがあった。
まさかイッシュの火山にまで生息しているとは思わなかったが、この火山はその火山と地形がよく似ているとかで、生態系も酷似しているのだそうだ。
「よかったわね。これでベルも、伝説のポケモンを持つトレーナーよ」
トウコは苦笑ともとれない微妙な笑顔で言った。
既にココロとギガス、ゼクロムという伝説のポケモンの仲間がいるトウコ。
ベルが、事故というか偶然というかの出来事でゲットするとは思ってなかった。
「へ? ひ、ヒードラン……あたしが、捕まえた?」
信じられないように、手の中のボールを見下ろすベル。
「ろくすっぽ抵抗もしなかったみたいだけどね。出会って早々に、認められたんじゃない?」
伝説のポケモンはプライドが高い奴が多いらしい。
ココロも最初はトウコとぶつかり合いが多かった。
ギガスは封印されていたので論外だが。ゼクロムも多分そのたぐい。
求められるハードルも高ければ、言うことを聞いてもらうにもそれ相応の時間がかかる。
「……あたしが……伝説のポケモンを……」
そうトウコが言うと、みるみる嬉しそうな顔になっていく。
「そうよ。これで、同じ舞台に立ったわね。これから大変になるだろうけど、頑張りましょ」
クスクス笑いながら、トウコは言ったのだった。
この日。
ベルは図鑑の一頁を埋めた。
伝説のポケモン、ヒードランの名を。