「……?」
ゆっくりと、彼女は深い眠りから覚醒した。
霞み暈ける頭を徐々にクリアにしていき、重たい瞼を持ち上げた。
頭が斜めっている気がする。何処かに寄り掛かっているような。
トウコは、寝ぼけたままそこから頭をずらし、大口を開けて欠伸をした。
よく寝た気がする。
どうも、さっきまで妙な眠気のおかげで身体が重かったのだが、今はスッキリ消失している。
ベンチに座っていたらしいトウコは、空を見上げて晴れているのを確認して立ち上がった。
右肩に、妙な重さを感じたからだ。隣に何があるとか、特に見ていない。
どさっ、という音がした。
「いたっ」
変な声も聞こえた。
「……んっ?」
振り返る。
その瞬間、トウコの顔は稀に見せるような、唖然とした顔になった。
目を丸くして、口元を手で隠して見るからに狼狽している。
トウコが人前でオロオロしてるのを見せるのは片手で数えるほどしかない。
「あっ、うそっ……? やっ、ええっ……?」
見た先にいたのは、同じく眠っていたのだろうか、今目を擦って起き上がっているベルが、眠そうにしていた。
周囲をキョロキョロしている。
何を驚いたというのは、何故寄り掛かっていたと思われる場所から身を離したら、ベルがベンチの上に倒れるのかというコト。
それはつまり、ベルは支えを失って倒れたのだ。
能天気に欠伸なんてしているけれど、一緒になってどうやら寝ていたらしい。
纏めると、ベルは寝ている間にトウコに寄りかかって眠っていたってことになる。
で。要するに、不用意に近づかれたということかもしれない。
こっちからも近づいたかも。そしてその可能性を、否定しきれない。
途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。何をしていたんだ自分、という意味で。
ベルがメガネをかけて、寝起き特有の声色で「おはよう~トウコお~」なんて言ってきた。
「お、おはようベル……」
引き攣った顔で対応して、慌ててそっぽを向いてしまうトウコ。
まだ寝ぼけてる。大丈夫、悟られてはいないだろうと思いつつ。
『……ねぇ、お姉ちゃんどうしたの? 何か、さっきから天変地異起こってるみたいになってるけど』
ボールの中ではココロがトウコの心の中を覗いて言った。
『っつうか、すげえイメージだなこれ。精神状態だけ災害レベルかよ』
アークが呆れて言っている。
ココロを通じて、ほかのメンツにまでイメージが流れているようだ。
だが、当の本人は聞こえていない。
不意打ちの接近による動揺をひた隠しにするため必死だ。
バクバクいっている心臓を宥めつつ、微妙に逃げ腰である。
赤面中の顔も、明後日の方向に向けて冷却したいらしい。
『聞こえてないよね。こんなんじゃ』
『だろうなぁ。おーおー、動揺してる動揺してる』
二匹がコメントを残しても、やっぱり聞こえてない。
ベルの方は、意識がしっかりして、時刻を確認して、午後になっているのにお昼を食べていないことに気付き、トウコを誘って近くに食堂がないか探しに行くらしい。
トウコは微妙に視線を合わさず、ベルにまた手を繋がれて引っ張られていく。
『……色んな意味で驚いたみたいだね』
『バレバレじゃねえのトウコの場合?』
ぼそぼそと聞こえるように話していても、上機嫌なまま進むベルに引っ張られていくトウコはタジタジで、取り繕うのに精一杯であった。
『ん~……どうかなぁ……。っていうか、ちょっと人の常識から外れてないお姉ちゃん?』
ココロの指摘がもしもトウコに聞こえていたとしても、多分彼女は止まらない。
もうここまで感情が突っ走っている以上、止められないし止まる気もないのだろうが。
『細かいことは気にするな。トウコがよければ全て良し。俺達はそういうもんだろ』
アークは冷静に受け止めて、主が多少人と違っていても気にせず、何も言わない。
『そうだけど……。っていうか、前からそんなフシあったから、今更かな……』
『そうそう。あの子が気になるお年頃、ってな。あんまり深くツッコむな』
アークが珍しく先輩面を晒してアドバイスをするのを、ココロは複雑そうに言う。
『う~ん……。人間って複雑なんだね』
『そういうものさ。お前もいい勉強になるから、見てるだけにしておきな』
『オッケー。うん、これはお姉ちゃんの問題だもんね』
『俺達は俺達のやることをやるだけさ』
彼らのやりとりを主は知らない。
取り敢えず、二人はお腹を満たすことにした。
食べられそうなところなかったので、コンビニで適当にお昼を購入して、道中で食べることにした。買い物の最中もやっぱり手を繋ぎっぱなし。
トウコの顔面から恥ずかしさで湯気が出始めたのは、店に入る直前。
それから、買い物中はコータスよろしく白い煙が顔から上がっていた。
店員さんに変な目で見られたときは、正直死にたいと思った。
ベルは全く気にしてないので余計に困る。
今も、そんな感じで一緒にちょっと遅めの昼食中。
彼女達のポケモンもそのへんに放して、みんなでランチタイムと洒落込む。
……ただ、ギガスだけは出すわけにもいかないのでボールの中でお留守番。
ココロは姿を消す能力を利用して、外に出ているが風景に溶け込んで隠れてお昼中。
見知ったベルのポケモンたちが、見知らぬトウコのポケモンと喧嘩を始める。
アークがそれを仲介して、逆切れされて殴られたのをきっかけに始まる乱闘騒ぎ。
頭に来たアークを筆頭に、リアルファイトに発展した。
ぼこすかと砂埃を上げてポケモン玉を作っている。
彼らなりに、分かち合うために遊んでいるのだろう。
……ダイケンキがアークを馬鹿を見る目で眺めているが……。
それを横目に二人も喋りながら食べていた。
「こうしてトウコと二人で旅っぽいことするの、随分と久々だねえ」
「そ、そうね……」
ずっと機嫌のいいまま、ベルが言うのだが。
トウコは、結構痩せ我慢している顔だった。
ちょっと顔が青い。血の気が引いている証拠だ。
「……ベル、ご飯中にごめんなさい。ちょっと、痛いんだけど……」
「ん? 何が?」
「肩……」
「ああ、ごめんごめん! 痛み止め痛み止め」
我慢していた痛みを訴えるトウコ。
ベルが慌てて、持っていたトウコの荷物をがさがさとあさり、錠剤を取り出すやトウコは右手でそれをひったくり、口に放り込む。
水で最後に流し込み、はぁ……と大きく息を吸う。
ズキズキと痛み出す左肩を心配そうに見られる中、
「こんなになるなら、もう少し自重しときゃよかったわ……」
トウコは軽く言った。
「トウコ、傷痛い?」
ベルがそう、聞くと。
「痛いわ。時々だけど。まあ、心配しなくても、詳細はアークから聞いてるでしょ? 私が負ったのはただの傷跡。ほっとけば治るわ」
「でも……」
ベルはまだ心配だった。
怪我はなくても痛みがすれば、それは誰だってそう感じる。
トウコはどこか余裕のある表情で、彼女に言う。
「いいのよ。痛ければ痛いって言う。薬飲んでればそこまで酷いものでもないのよ。ヒウンの時の傷も、まだ治ってないし。湯治しに行くのはこっちのはずだったのに、新しい怪我してるんじゃ、どうしようもないわね」
「トウコ……」
トウコは苦笑して、言った。
「そんな、心配そうな顔をしないで。私はもう無茶しないから。約束するし、誓ってもいいわ。私だってもう痛いのはゴメンだし、ベルにそんな顔させるのはもっと堪えるのよ? 私のこと心配してくれるのは嬉しいけど、あんまり干渉されると逆効果なんだから」
「うっ……」
自覚していた部分もあるので、思わずひるむベル。
「ベルに色々助けられたのはわかってるわ。だから、もう心配されるようなことはしたくない。自重するわね。今まで好き勝手やってきたものだし。やれやれ、我ながら情けない」
今日のトウコはかなり饒舌だ。自分が情けない、と笑いながら言っている。
でも、ベルには違うように見えた。少し前の過去を、こうして笑い話に出来る。
それだけでも、彼女は変わった。確かに、過去に囚われた彼女から、殻を破って。
「なんか、トウコかわったね」
そう言うと、トウコはけろりと言った。
空白の二年間に関する、思いもよらない一言を。
「そうかもしれない。こっちに帰ってくるまで私、一人で特に目的もなくフラフラしていただけだから。ホウエンをふらついて、シンオウをふらついて。意味も無くジムを制覇して、無意味にバッジを重ねて……。そりゃ、非常識にも程があるわよね。違う地方だとはいえ、リーグを突破したチャンピオンがジムに挑むなんて。だからか、色々恨まれたりしてるし、あんまり褒められたことはしてないの」
「……そうなの?」
「ええ」
ベルの質問に、嫌な表情を見せずにトウコは答えた。
二年間の空白に関しては一句とも漏らさなかったトウコが、自らの口で二年間の簡単な経緯を語りだす。
「全部を捨てて逃げ出した私を助けてくれたアークと一緒にホルスに出会って、それから。イッシュを飛び出して、ホウエンに向かったの。宛もなく、ただ私以外にも伝説のポケモンを仲間にしているトレーナーがいるって噂聞いて。それで出会ったのがココロとディー。結局伝説のポケモンをもつトレーナーとは会えなかったわ。そのあとシンオウに行ったのは、ただの気紛れかしら。その時は確か、雪が見たくなったの。その時に、シアとギガスが私についてきてくれた。それからずっと適当に各地を回って、帰ってきたのよ」
「……そうだったんだあ」
相槌をうつと、トウコは更に道中の思い出を続けた。
「さっきも言ったけど、私は結構恨まれるタチらしくてね。道中、挑まれてもバトルとか拒否していたら、しびれを切らして相手と喧嘩になったこともあるわ。その時は私が相手を殴り飛ばして逃げたけど、今考えると立派な傷害罪よね」
「……えっ?」
――なんか、段々とツッコミを入れないといけない気がしてきた。雰囲気的に。
「あとは、ホウエンにそらのはしらっていうところがあるんだけど、そこは許可がないと入れない地域なのよ。私、無許可で侵入して天辺まで行ったの。その時も空から降ってきた緑色の蛇っぽいポケモン? みたいな奴に頭を食われそうになって逃げたのよね」
「……」
それはホウエンに伝わる伝説のポケモンじゃないの? と各地の伝承など調べたベルは言いたいが堪えた。
「これは驚いたんだけどね。シンオウには、色違いのポケモンを持つトレーナーがすごく多かったわ。何でも……ぽけとれ? とかいう道具を使って見つけたんですって。私は色違いなんて野生でも100回くらいしか見たことないけど……」
普通は一生かかっても出会えない確率なんだよトウコ、と言いたいがスルー。
「ホウエンでびっくりしたのが、残党だって話だけど、マグマ団だのアクア団っていう、こっちでいうプラズマ団的な組織が争い合ってたことかしら。邪魔だったし目障りだから、両方行ったついでに壊滅させてやったけど」
「……」
それはプラズマ団を壊滅させるのと同じぐらい過激なことだよ、と言いたいけどまだ我慢。
ついでで組織を破壊するなと言いたい。
「あとは……あ、そうね。シンオウで変なポケモンに出会ったの。黒くて、私と同じぐらいのサイズのポケモンだったんだけど、そいつを見たら凄く眠くなって……気が付いたら、夢の中でそいつが私に何かしようとしてたから、思いっきり蹴飛ばして殴ってボコボコにしたこともあるわ」
「……」
……夢の中でも過激なことするのはダメじゃないかな、とツッコミたい。
ベルは一言だけ、告げた。
「トウコ。これからは、あたしも一緒だから。そんな過激なこと、もうしないでね?」
「しないわ」
トウコはお昼を食べながら言った。ベルは理解する。
トウコの過激行動はどうやら元々だったらしい。これを修正するのは骨が折れそうだ。
覚悟して、彼女と接するようにすると決めた。
優雅なお昼を、トウコの思い出を聞いたベルは戦慄しながら流れていった。