ゆっくりと
消耗していたトウコの体力が回復したのは、それから二日ほどかかった。
ようやく、ホドモエを発つ時が来た。
トウコはお気に入りの服を捨ててしまって、今は新しい服を着ていた。
青デニムのジャケットに白の薄い上着にジーンズ姿。
髪の毛は真っ直ぐ降ろして、ここ最近はベルに手入れされてある程度の艶は戻ってきていた。
本人は髪の毛をいじられるのを嫌がっていた。
「トウコ、しっかりついてくるんだよお」
いつもの格好にベレー帽をかぶったベルが機嫌よさそうに、トウコの手を引いて、六番道路に向かう道を進む。
まるで幼い子供同士のように、楽しそうに。トウコは眠そうだった。
正直、まだ眠い。体力は全快したはずだが、寝過ぎのせいで眠い。
「……」
あまりの眠気で返事をするのすら、億劫になる。
「ん? どうかしたトウコ?」
「……なんでもないわ」
「よおし! じゃあ、元気よく行こう!」
ピクニックに出かける訳でもないのにこのはしゃぎよう。
ベルはホテルを出てからというもの、ずっとこのテンションだった。
チェレンは引き続き、調べることがあるというので別行動だった。
ベルはこの先にある「電気石の洞穴」という場所で調査をする用事がある。
トウコは、ならついていかなくても、と言ったのが。
ベルがそれを却下した。
「トウコさ。もう、トウコを一人にするのあたしやめたんだ」
「えっ?」
出発する前、荷造りしながら清々しい笑顔で、ベルは続けた。
「トウコがヒウンといい、ここでのことといい。トウコ、一人にすると勝手にいなくなるよね? 居なくならないで、って約束しているのに。一応、それを守る気でいるのはわかってる。でも、瞬間的な行動でその戒めを自分で無視って動くから、結果的に破ってるのと同じことになるでしょお? なら、もういっそずっと一緒にいたほうがいいよね? 違う?」
「……それは、そうだけど……」
「ということで。トウコは、ずっとあたしといるの。これはトウコに拒否権はないよ。前向きになるなら、まずは自制ができるようにならないとねえ」
ベルの言うとおり、カッとなるその性格のおかげで一度は失敗している身だ。
我侭は言えないし、放置しておかれたらどかどかと突撃していくのが猪トウコだ。
ベルに逆らう気もないし、それはそれで構わない。
ただ、今まで一人でやってきたので他人のペースに合わせるのが面倒なだけだ。
「……あ、何かペース配分面倒くさそうな顔しているね」
「うっ」
思わず顔に出た本音を悟られて、動揺するトウコ。ベルはケラケラ笑った。
「わかりやすいよおトウコ。大丈夫、あたしも長年幼馴染やってるんだから。そのへんはちゃんと合わせるからさあ」
荷造りを終えたベルが、トウコが終わるまで待ってくれている。
そう。これからも、二人で。
二人で、旅を続けていくことに決めた。
最終的な目的地をすぎても。まだ、旅を続けることも。
ベルの仕事に付き合いつつ、トウコもトウコでやることを片付けるため。
未だに左肩を負傷しているトウコは多くの荷物を持てないため、ベルが半分ほど受け取ってくれた。
その時、トウコは俯いて、小さく、だけど聞こえるようにはっきりと言った。
「……こんな私に手を尽くしてくれて……ありがとう」
照れ臭くなるようなセリフ。
お礼なんて、面と向かって言うなんて出来やしない。ましてや相手はベルだ。
恥ずかしくて赤面する自信がある。ベルは答えなかったけど、聞こえていたはずだ。
何も言わずに、思いっきりトウコに抱きついてきたから。嬉しそうに。
現在、上機嫌のベルに手引きされて、ねむねむトウコは引き摺られていくように洞穴に向かっていく……。
洞穴に向かう道を、しょぼしょぼする目を擦りながら歩くトウコ。
ハイテンションで鼻歌まで歌っているベル。
周囲の草むらからポケモンが時々襲ってきたが、頭が半分寝ている割にトウコが機敏に反応して撃退用の携帯スプレーを噴霧して撃退。
ついでに、勝負を挑んできたトレーナーは研究に忙しいので丁重にお断りした。
実際路上のバトルなんかもしてもよかったのだが、まだ眠いらしいトウコはスプレーの噴射口をトレーナーにまで向け始めたので、慌てて連れていった。
『トウコ……何時まで寝てるんだ? いい加減起きねえとあぶねえぞ?』
ボールの中で
(ダメ……眠いの……。凄く、眠いの……)
トウコはしきりに目を擦って眠気覚ましをしようとしているが、睡魔の子守唄に船を漕ぎ始めそうになっている。
『んー。わたしが言うのもなんだけれど、多分後遺症じゃないかなぁ……。無理しすぎで』
ココロがでしゃばって『ならばレジギガスが目的地まで!』と申し出る懲りないアホに刺々しい思念を飛ばしつつ、告げる。
『あ~……。過去にここまで消耗したことねえから、身体の方は回復してもなんかしら、やっぱ影響でちまってるのな。そのうち、目が覚めるかね?』
ボリボリたてがみをかきながら腰をおろすアークに、トウコの中を覗き込んで判断しているココロは言った。
『多分大丈夫。自覚症状で悪いんだけど、身体はもう何ともないみたい。傷跡くらいかな、痛みがあるのは』
『じゃあほっとけば目ぇ覚めるか』
『うん』
リーダーと副リーダーの指示で、彼らは大人しくしていることに決めた。
一方、主はというと。
「う~っ…………」
唸っていた。
不自然な眠気が、激しい消耗を急速回復させたことによる後遺症とは露知らず、ホドモエを出てくるときに購入した、カフェインの錠剤を口の中に放り込んでボリボリ食べている。
ベルが声をかけつつ進み、洞穴までもう少しまで、というところで一度足を止めてベルが問う。
「トウコ、あんまり眠いなら少し休む?」
ベルも流石にトウコのその眠そうな感じを心配して、問うと。
「……ぐぅ……」
うつらうつらとしていたはずのトウコは、鼻提灯を出しながら眠っていた。
幸せそうに笑みを浮かべたまま、器用に歩いて、というかベルに引っ張られながら。
漫画のように伸縮する鼻提灯がなんともコミカルである。
これがあのトウコだと言うから、これまでの彼女を知るベルには何とも言えない。
「……あ~あ……。こんな顔しちゃってえ……」
無防備な寝顔を愛おしそうに見つめて、ベルは頬を突っつく。
トウコは全然起きる気配がない。
こういう場合、鼻提灯を割ると飛び起きると相場が決まっている。
折角寝ちゃってるのを起こすのも可哀想かな、とトウコを連れてベルは近場の背凭れ付きの歩行者用の木製ベンチに腰掛けるように誘導する。
ふらりふらりとついてくるトウコは、先導されるがままにベンチに導かれ、隣に腰掛けたベルの肩に、こつんと頭を乗せてきた。
「うわあ……」
ぐうすか寝ているトウコは、そんなベルの声にも気付かず眠り続ける。
この場所が、安心出来る自分の居場所であるかのように。
イッシュに帰ってきてから、ベルはトウコの様々な
久しぶりに出逢ったときに見た、何もかもに絶望して、逃げ出そうとしていたトウコ。
過去のことに踏み込まれて、弱さと哀しみを見せていたトウコ。
立ち直ったと思ったら、プラズマ団への自分の憎悪を気付いてしまったトウコ。
無理矢理に連れ出して、ベルという頼っていい人を見つけ出せたトウコ。
ちょっとしたすれ違いで、考えかたが全く違うと喧嘩になったトウコ。
それで仲違いするのがどうしても嫌で、歩み寄ると困惑していたトウコ。
フリゲートの戦いのとき、旧敵に向かって憎悪を吐いていたトウコ。
彼女の中で何かを振り切り、こんな無防備な寝顔を見せてくれるトウコ。
みんな、同じトウコだ。ベルには、大切な人。
トウコはスヤスヤと眠っている。やはり、何だかんだでまだ全調子じゃないみたいだった。
「ちょっとあたしも焦りすぎたのかな……」
そう、ベルは思うことがあった。
トウコに焦るように干渉しすぎたのかもしれないと。
最初は内罰的な発言が多かったトウコは、プラズマ団が関わってくると今度は外罰的な発言が多くなった。
自分が全て悪いと思い込んでいたのが、プラズマ団という攻撃対象が見つかって、奴らが全部悪いと攻撃する姿勢が強くなった。
だけど、あのフリゲートの戦いを経た今。
トウコに、少し余裕が見えるようになったのは気のせいか。
いいや、気のせいじゃない。彼女は間違いなく、少しだけだが余裕が出来ている。
自分が全て悪くて周囲が全て敵、という考えから変わって、自分が悪いとかあいつらが悪いと極端な思考も減ってきた気がする。
今は、ようやく普通の考え方が出来るようになってきたというか。
こうして今、平穏の中、眠るトウコが寄りかかってきてくれる現実が、何だか信じられない。
「……トウコ……。ずっと一人で、今まで頑張ったんだね。いいんだよ、今はあたしがいるから。トウコの隣にはあたしがいるんだから。疲れたときとか、辛いときはこうして寄りかかってきて」
ベルが眠るトウコに言う。
トウコは、肩に頭を預けて眠るだけ。当然返答はない。
こうして寄りかかってきて欲しかったという素直な気持ちもあった。
トウコは、いつも一人で問題を抱えすぎている。それが、ベルはどうしても悲しかった。
一言くらい、相談して欲しかった。力になりたいと思っていた。
その願いが、ようやく叶いそうになっている。トウコは、ベルによりかかることを覚えつつある。
それでいいのだ。
一人では、最終的に人間は頑張れない。
二人いれば、頑張れることも決して出来なくなる。
トウコは、人の頼り方を知らなかったのだ。
周りの期待を背負わされて、英雄という役目を押し付けられて、それを全うできずに逃げ出して。
ベルが同じことを仮にされたら、多分おなじふうに逃げると思う。
いや、その前に壊れてしまうかもしれない。トウコ程、ベルは心が強くない。
彼女は、彼女なりに必死に使命を全うした。その結果が、伴わなかっただけのこと。
英雄の重荷。その呪縛も、トウコから感じることも少なくなればいい。
それが、今のベルの願い。
(ゆっくり行こうねトウコ。あたしもついて行くから……)
ベルは、眠るトウコの頭を撫でながら、彼女が自然に目を覚ますのをずっと待つ……。