ボールから召喚された古の白い巨人は、着地する。
海に浮かぶ戦艦を大きく揺らしながら、主が望むがままに、その握った巨大な拳を振り上げる。
破壊のために。
「トウコッ! やめてえっ!」
ベルが叫ぶ。とうとう血迷ったか、と本気で疑った。
しかし。
トウコはイラついた表情から、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
なんだ、とベルが思った時に、彼女は言葉を続けた。
「――何時までもこそこそ隠れていると、この船ごとあんたたちを皆殺しにするッ!! 10秒以内に出てきなさいッ! じゃないと、この戦艦を私が破壊するッ!」
背後で、握った拳を寸止めした伝説のポケモンが、彼らを脅している。
「早く出てこいッ! ――ヒウンの時みたいに、仲間を半殺しにされたいわけッ!? 今度は全員、殺すわよッ!!」
素早く、地面に置いておき痛む左腕で拾い上げたバックから、右腕を突っ込み乱暴に取り出したネックレスを、もう一度首に引っ掛ける。
(行くわよッ! 手を貸して、ココロッ!!)
気持ちを伝え、困惑する彼女の声が聞こえる。
『ちょ、お姉ちゃん!? 連続は危ないよっ!? 今度は本当に身体が――』
(私が壊れたらそれまでよッ! 今戦わないで、何時戦うの!? お願い、手を貸してココロ!)
ココロの声がかき消された。
自分にできることは、何だ?
あの人の想いを知っている自分ができることは。
危険だと分かっても、決して保身には走らない人だ。
そんな人が主なら、自分にできることはなんだ?
ココロも、覚悟を決めた。
『……っ! お姉ちゃん、ちゃんとセーブしてよっ!? これ以上大怪我したら、回復が追いつけずにもたなくなって、死んじゃうかもしれないからっ!!』
(んなこと、言われなくてもわかってるっ!!)
連鎖するように、ベルトのボールが開いた。
「えっ……!? あれ、まさかこころのしずく!?」
ベルが見たのは先日、決勝戦で使ったあの宝石。
トウコが大怪我をおう理由になった、あのネックレス。
あの時は優しかった虹色の輝きが、今は禍々しい歪んだ七色になっていた。
一度目を閉じて、開けた瞳は虹色に変化し、彼女のボールから飛び出したもう一匹の伝説が、雄叫びを上げた。
「ひゅああっ!」
全身が、眩しいほど捻じ曲がった光を纏う、紅い伝説の龍がそこには浮かんでいる。
「ココロ、ギガス! 出てこなかったら奴らを全員殺すッ! いいわね!?」
虹色の瞳で周囲を一瞥した彼女は、どす黒く変色した殺意の色を声に混じえて怒鳴る。
痛みだす左肩と背中。この身体は、まだこの状態を続けられるほど回復していない。
なのに、使った。それを承知の上で。誰にも言っていない、死のリスクを追ってまで。
「ギ、ガ、ス……!」
「ひゅああああっ!!」
拳を振り上げる巨人、翼を広げて吼える龍。
周囲が慌ただしくなった。
今まで顰めていた人の気配が、急に浮き上がる。
騒めく甲板。この場を支配しているのは、トウコだ。
メイも、ヒュウも、その様変わりしたトウコに言葉を失う。
トウコは、本気だ。
「――アーク! ディー! シア! ホルス! みんな、やるわよ!! 私に力を貸してっ!!」
次々ボールが展開し、召喚されたポケモンたちがそれぞれ殺意満々に彼女を囲む。
唸り、牙を見せ、爪を立て、翼を広げ。彼女を中心とした、サークルが出来上がった。
「落ち着けトウコっ! 君は、今さっきのことをもう忘れたのか!? 反省したんじゃなかったのか!?」
チェレンが落ち着かせようと駆け寄るが、近衛兵のように護りを固めるディーがかえんほうしゃを空に向かって放つ。
「!?」
「ぐるるるる……」
トウコに近寄るな。そういう意味の威嚇攻撃。
足を止めるチェレン。
味方に対してさえ、彼女の相棒は刃を向ける。
今のトウコは……やっぱり、独りだった。
「チェレン……。あんた、何を寝ぼけているの? ここは戦場よ。殺すか殺されるかの、それだけしかない、ただの殺し合いの場所! 落ち着いて対処してて、巻き込まれて死んでも私は知らないからね!!」
ここにきて、仲間たちの間で致命的な差がやはり生まれていた。
彼女だけが、認識が違った。
ここにきた目的は、逃げないように押さえ込む時間稼ぎの為だ。
そう、少なくてもチェレンは考えていた。
だが、トウコは違う。
トウコは完全に奴らをここで仕留めるつもりで赴いた。
結果、最初から殺すつもりで戦うのだ。
結果として、殺さなかったとしても。今殺すと脅し上げた。
彼女の言葉がブラフでないことは見ればわかる。怒り狂うポケモンたち。
後ろにいる、二つの伝説。彼女は、言葉を実行するだけの力がある。
「もう10秒経ったわ! 出てこないなら、全員纏めて死んでもらうッ!」
トウコが彼らに命令する。ベルが縋るように「トウコ!」と叫ぶ。
止まらないポケモン達。陰に隠れているであろう大人を燻り出すために、突っ込んでいく。
ヒウンの時の二の舞が、始まろうとしていた。
「――俺は今から、怒るぜッ! いけ、フタチマルッ!」
「ヒュウ!?」
適応が早かったのは、似た者同士のヒュウ。
ボールを投げ、飛び出したフタチマルが、貝殻の剣を両手に、駆け出した。
狙っているのは、ポケモンじゃない。隠れている団員だ。
彼も、トウコのやり方を理解した。
先手必勝。先んじて手を出すことを。
「シェルブレードで奴らをたたき出せ!」
「しゃぁー!」
物陰に走っていき、巧妙に隠れていた大人に飛び掛った。
「ナイスよヒュウ! 手を貸して頂戴!」
七色の瞳でついてくるヒュウを見て、笑ったトウコが声を大にして言う。
「ああ、了解だぜッ!!」
彼も、憎むべき対象はトウコと同じ。故についていける。
彼らの中で、二人だけは持っている感情が違いすぎる。
憎しみを持つものの感情は、同じモノしか理解し合えない。
「始めるわよ、ヒュウ!! 私達のやり方でね!!」
「任せてくれ、トウコさんッ!!」
二人に迷いはなかった。
地獄だ。駆逐艦の上は、今この世の地獄と化した。
呆然と立ち尽くすチェレン、メイ。
トウコをやめさせようと必死になるベル。
隠れていた団員たちに、襲いかかるポケモン達。
攻撃の隙を伺っていた団員たちが、悲鳴を上げて飛び出してきた。
道具として強いられていた
――こうみれば、憎悪に溺れたトウコとヒュウの独壇場になると思われるだろう。
だが、トウコもいい加減懲りていた。
殺す殺すと言い続け、殺せた試しが一度もない。
過激なことを言うのが最近の口癖になっていて、然もそれを行えるだけの力があるのがなまじ悪い。
ならもう殺すとか適当に言いつつ、何とかすりゃあいいだけの話じゃないかと。
そっちの方が簡単で手っ取り早く、自分の憂さも晴らせるので一石二鳥じゃないかと。
意外に聡かったヒュウは、そのことを理解して彼女に手を貸しただけだった。
ベルが気付いたのは、トウコが時折目配せで何かをベルに示していることだった。
派手なことを叫び、団員を本人も交えて追い掛け回し、乱闘騒ぎになった甲板。
ベルは、ヤケ糞になって近寄ってくる団員を落ちていた棒で顔を殴って自衛したりしているだけ。
ポケモンを出す暇すらない。今の甲板は超大乱闘の舞台になっているのだから。
チェレンも、展開の凄まじさについていこうとポケモンバトルらしきことをしようとしているが、乱入してくるトウコの相棒のおかげで成り立っていない。
トウコはといえば、肩を庇いながら蹴りと右手一本だけの拳で片っ端から団員にあらん限りの暴力を尽くし、ケガを負わせている。
そんな中、一度トウコが近寄ってきた。
彼女は、苦痛に顔を歪め、痛みに耐えながら戦っていた。
色の変わる不思議な瞳を揺らす彼女は、荒い息で片膝を付いた。
「トウコッ!? 大丈夫なの!?」
「……私は、平気よ。まだ動ける。それよりも、早く行って」
「えっ?」
トウコは、しっかりと理性のある表情で、ベルに言っていた。
怒りや憎悪で自分を無くしているのは違っていた。
「何の為に私がこんな馬鹿騒ぎを起こしていると思っているの!? 早くこの駆逐艦の中を調べて、何でもいいから情報を持ってきてと言っているのよ!!」
「……へっ?」
「いいから行きなさい、バカベル!」
トウコが怒った。凄い怖かった。
しかも近くによってきたキレている大の男を片腕で殴り飛ばしながら怒鳴られた。
ただ感情に任せて暴れているだけかと思ったら、しっかり考えていたのでびっくりしただけなのに。
気付けば、ベルは兎に角中に入れそうな場所を探して、甲板中を走り回ることとなる。
ヒュウの方も、喧嘩殺法よろしく大人達相手に、ポケモンと協力して上手く立ち回っている。
よく見れば、メイがヒュウの思惑に気がついて、目立たたないように行動しているのも見えた。
多分、何もわかってないのはおいけきぼりにされたチェレンだけだ。
相も変わらず真面目すぎるその性格が災いし、彼に説明する時間が惜しいとトウコに省かれて、無視されていた。
伝説二匹は、しっかり働いている。
ココロはサイコキネシスで無駄な抵抗する団員を宙に浮かべては、ポイポイと海に放り投げて捨てている。
ギガスは顔と腹の目を点滅させながら、近寄ってくるポケモンや団員をちまちまと、あぐらをかいて指で摘んでは明後日の方向に放り投げている。
大変やる気のかけるポーズだが、力任せに暴れると本当に壊れてしまうので自重している方である。
規格外のパワーで放り出された団員の一部は蒼穹の彼方にまで吹っ飛ばされて昼間の一番星になっていくのは仕方ない。
でなければ封印なんてされてないのだから。
ホルスは低空飛行からのブレイブバードで、轢き逃げを行い、やはり海に叩き落としている。
シアはれいとうビームで次々人間の氷像を作り出し、「いやぁーやめてぇー!」と動けぬ団員に愛らしい顔でニコッと笑って、顔を爪で引っ掻いたり鼻に噛み付いたりして虐めている。
ディーはワイルドに、人の頭に噛み付いてガジガジしつつ、柱や床に叩きつけて気が済んだら適当に放る。そんでもって踏む。かなり重い体重で。
アークに至っては、トウコとの訓練で鍛えたカンフー風味のポケモン格闘術で時々カッコつけつつ、倒しているではないか。
団員の中には武術に精通する人間もおり、なかなかに見栄えのいい戦いをしていたが突然かえんほうしゃを吐き出して黒こげにしたところをローキックで転ばせてから股間をカカトで踏み潰したりした。
トウコの言うとおり「奴らは人として扱わなくてもいい」という命令を着実にこなしている。
「プラーズマー!!」
「プラーズマー!!」
あと、凄くプラズマプラズマ煩い。
某悪の組織みたいな掛け声なのだが、徹底されているのか気絶する時までこのセリフを言うのは見事である。ある意味で。
ポケモンのパワーでアレを踏まれればどうなるか、オスのアークには分かる気もするがあえて気にしない。
悪事を働こうとしているお前が悪いで正当化。
戦況は変化していった。
五人に加えて主にトウコのポケモンVSプラズマ団の戦艦と団員とそのポケモン。
甲板の上では、子供たちが有利になっていた。
というか、トウコの最初に与えたプレッシャーがかなり効果的だったらしく、大人たちは殺気立つトウコから逃げるように戦艦から自ら海に飛び降りる始末。
ギガスが脅すように軽めにどついて船体を揺らすと、ぎゃあぎゃあ声を上げて逃げ出す大人は最早滑稽である。
「逃すなぁーっ! 追ってみんなー!」
逃げ出していく大人達を追い回す完璧こっちの方が外道集団と思える彼らは、威嚇攻撃をしながら蹴飛ばして踏み潰して氷漬けにして弾き飛ばす。
ココロも今回はダメージらしいダメージを負わず、トウコに更なる傷を負わせることは回避できた。
ただ、トウコ自身の体力を酷く持っていき、彼女はへろへろになっている。
ベルに介抱されて、ようやく立っている状態にまで疲弊している。
それでもまだ、プラズマ団逃がすかとしつこく追う為、ベルの腕から逃げようとしているあたり大した根性である。
怒られておとなしくなる。
ベルがなかにはいる入口は、全部封鎖されていると告げると、不機嫌そうに露骨に舌打ちする。
これで、情報がこれ以上入らないことを意味する。
ヒュウは、倒れている団員の胸ぐらを掴み、ヒオウギがどうだか、チョロネコがどうだかと質問していた。トウコの耳にはそんな声も聞こえてきたが、知ったことではない。
これで、また足止めか。
そう諦めた時だった。
その頃に響いた声がトウコを凍結させた。
「――何事であるか?」
この状況でもぶれていない低い、男性の声だった。
瞬間、トウコの中で警鐘が鳴る。
感情が熱を帯びる。
それに精神がこころのしずくで繋がっているココロが、直ぐ様待ったをかける。
『お姉ちゃん、落ち着いて! これ以上暴れたらお姉ちゃんの身体がもたない!』
クールダウンするように、トウコは声の主を睨め上げる。
聞き覚えのある声だ。七賢人の一人が、この場に現れた。
この間のロットと同じ、かつてはトウコの敵。
そして、こいつは間違いなく今でも敵だと思うあいつの声だ。
のこのこと気絶をしている団員の山を見て、呆れたような表情を見せている男だった。
二年前と大差ない、紫の民族衣装のような服装の男。
一同気付いて、チェレンがやれやれという表情になった。
彼も覚えていた。あの情けない姿を晒している記憶が脳に刻まれている。
姿を目に入れる。その瞬間、トウコはありったけの声で叫んだ。
制止していたココロが、反射的に心の接続を切り離すほどの憎しみが、彼女の中から湧き上がっていた。
トウコを庇っていたベルが、息を呑み竦み上がる怨嗟の声だった。
「――ヴィイイイイイイイイオオオオオオオオオオオッッ!!!!!!!!」
「!」
ヴィオ、と呼ばれた男が驚愕に目を見開く。
ベルに肩を貸されている少女を見て。
対して。トウコは完全に取り乱していた。
明らかにこれまでとは違う態度だった。
ベルの見たことのないトウコだった。チェレンの見たことのないトウコだった。
ココロの見たことのないトウコだった。アークの見たことのないトウコだった。
トウコに言われていて、理解している相棒たちですら、怯える言葉と表情で。
仇敵を見つけ、今すぐに噛み付こうとして、秘められていた狂気を全面に押し出した復讐者。
ベルの腕を振り解いてでも、進もうとする人の身を捨てた少女がいた。
「まだ生きてたか、悪党めッ!! 殺す、殺してやるッ!! 離して!! あいつは、あいつだけはッ!! どの面下げて現れたこの腐れ外道がぁぁッ!! 私の前に顔を出してェッ!! ゲーチスの協力者は全員殺すッ!! あんたも元凶の一つでしょッ!!」
暴れる彼女は、血走った目、異常な雰囲気、唾を飛ばして狂って叫び、具現化した憎悪を体現していた。
「お前は……二年前の!」
ヴィオも、暴れる敵対者を見ると、侮蔑の言葉を投げる。
「またか……また貴様が我らの悲願を邪魔するというのか!? 小娘、貴様はまだ立ち塞がるのか!?」
「ほざけ!! 何が悲願よ、笑わせる!! ただの支配でしょうがクズのくせに!! あの男の下らない野望なんて私が打ち砕いてやるっ!! 私が、何が何でも絶対に止めてやる!! 何度でも敵になってやるッ!! 何度でも邪魔してやる!! お前らが生きてる限り、私がお前らの敵だッ!!」
吼えるトウコ。
もう、啖呵を切るなんてレベルじゃない。腐っていた感情のぶつけ合いだ。
この二年間、溜めに溜めていた憎悪をぶつけている。
「今すぐ消え失せろッ! そしてゲーチスに伝えろ!! あいつには二年前と同じ結末を味わわせてやる! 今度は復活なんてできると思うなってね!! 黒の英雄が、お前の最後の敵だって教えてやれッ!!」
ベルは、分かった。
本能的に、殺すという言葉から消え失せろと言う言葉にかえていることに。
彼女は、彼女なりに、変わろうとしていた。
殺す、という言葉を使ったのは、最初だけだった。
ヴィオも険しい顔で、その言葉を聞いた。
そして嫌悪感を出して、吐き捨てる。
「おのれ小娘、いや……ゼクロムに選ばれた英雄め! ……ダークトリニティ! こいつらをつまみ出せ!」
「な、なんだ!?」
ヒュウが我に帰り、メイを守ろうと立ち位置を変えた。
体力の限界だったトウコは、言い終えた反動で、急激に意識が遠のいていく。
ココロが心配する思念を飛ばしてくれた。アークが変身して駆け寄ってきてくれた。
ベルが耳元で、何か言ってくれた。ああ、そうか。今、ベルの腕の中にいるんだ。
(ありがとう、ベルのおかげで最後の一線で何とか我慢できた)
ゆっくりと、眠るように、トウコは意識が濁っていく。
周囲に、人の気配。ああ、あいつら……いたんだと思い出す。
あの影の三人衆まで敵らしい。
チェレンが何か叫ぶ。ごめん、聞こえにくいわと言いたいが口が開かない。
「……ベル……ありが……、とう……」
「えっ?」
辛うじてそれだけは言えた。よかった。
見下ろすベルを見上げる彼女は、口元だけは笑っていた。
トウコは、極度の疲労のせいで、眠るように意識が落ちていった。