追って逃げて
人を殺してはいけない、というのはどうしてだと思う?
殺される相手が、じゃあそのへんで生きていた普通の人間だったとしたら、誰だって殺した奴を糾弾するだろう。
だとしても。
もしも、もしもだ。
その殺される奴が、とんでもない奴だったとすれば。
人から大切なものを奪い続け、人から大事な家族を掠め取り、剰えそのことに微塵の後悔も呵責もないような人間だったら。
――それなら、殺したところでその殺した奴を、誰が責めることができる?
そいつが死ねば、間違いなく被害に遭った人が救われる。多くの人が、悲しみから救済される。
綺麗事の建前だけではどうしても抑えきれない被害者の激情が、そのことによってのみ救われるとしたら。
本当の意味で、被害者の為に出来ることがあるとしたら。
殺人。その行為を認める人間だって、出てきてしまうかもしれない。
それは、人殺しという方法が肯定される瞬間。
秩序の崩壊のきっかけになる。
大きな悪に、大きな悪で立ち向かう事を支持される世界。
まるで世界の終わりのような倫理観が、覚悟をもって進む人の中には誕生する。
多くはそれを禁忌として封じ込めているのが人間の世界だ。
でも、それじゃあ腑に落ちないのも、納得できないのも人間の世界だ。
誰かが言っていた。
――真っ白な正義じゃ、被害人を真なる意味では救えない。
――真っ黒な悪で立ち向かうことで、救われることもある。
彼女のしていることを正しいと言っているわけではない。
だが、彼女と違う方法を探そうとしている少女が言うような、一概に間違っているとも言えないのが彼女の言動。
(私は、私は奴らを殺したいッ!!)
彼女にとっては個人的な復讐でも、結局それは周囲には伝わらない。
所詮、彼女は周りからは英雄として祀られる運命だ。人ではない、英雄というカテゴライズで。
そして、自分たちを護ってくれるように動いて、その通りの結果を出すだけの傀儡として求められている。
そこに、英雄の意思なんて最初から必要ない。望まれた通りに動けば誰だっていいのだ。
運悪く、彼女はその誰でもいいお人形さんの役目を背負う羽目になった不幸な子供。
多くの彼らの都合の良いだけの、恨み返しの代行者として彼女は知らぬ間に使われている。
人々にその意識はなくても、傍から見ればそういう未来につながっていく。
(殺してやるッ! 殺し尽くしてやるッ!)
悪には悪の制裁を。法では不可能な、行動での報復を。
多くの人が望む理想は、今ここに実現されようとしている。
誰も支えてくれる近しい人がいないこの状況で、精神が既におかしくなりつつある、一人の少女の手によって。
ファミレスで食事中だった偽トウコは、ずっとヒヤヒヤしていた。
「トウコ……変なことを聞くんだが、肩の傷は痛まないのか?」
先程から試すような質問ばかりをしてくる疑いの眼差しのチェレンに問われて、ぴんときた。
普段のトウコらしく気だるそうに態度を何とか修正しつつ、答える。
「……痛いわよ。でも、痛がってばかりでも周囲には見苦しいだけでしょう。庇ったって痛いの変わらないし、だったら痩せ我慢するわ」
「……」
チェレンがまだ疑っていた。最初の上機嫌版トウコの態度が思いっきり怪しかったようだ。
(失敗したな……。あと胃が痛い。バスラオ料理、クソマズイじゃねえか! こんなもん食ってたのかよバカトウコ!)
まさかポケモンが調理されたポケモンを食うと言うリアル食物連鎖を経験した偽トウコこと、アークは内心で毒ついていた。
「……なによ?」
半眼で睨むと、チェレンは黙ってコーヒーを飲んで視線を逃がした。
「トウコ、痩せ我慢はよくないよお?」
「……」
もっと怖いのがもう一人。ベルの方だった。
もう、懐疑的視線はしなくなったが、今度は何か悟ったらしい怖い目で時々こっちをみる。
普段らしい態度を取っているが、アークはわかる。こいつ、もう気づいていると。
(流石にバレるよなぁ……。っつうか、どこまで行ったんだトウコの奴……)
トウコは先ほど、急に低い声で「やることができたわ、アーク。私の代理をしておいて」とだけ告げて何処かに行ってしまった。詳しいことは聞いてない。
(嫌な予感するんだよな。またあいつ、一人で飛び出していったし……)
長年相棒をしているアークは知っている。あいつはまた、復讐関係の行動を始めたと。
あの底の見えない病みの瞳をしている時は、絶対に妄執にとらわれている。
止めるまもなく、人ごみに消えてしまったトウコを追いかけることもできた。
だが、アークはそうしなかった。トウコに頼まれたから。
代理をしておいて、と。その願いが、あの瞬間のトウコの心からの願いだと思ったから。
間違っていると知った上で、トウコの為なら地獄の底でもついていくと決めている。
だから、今回も従った。
ココロやシアは何か、今にも倒れそうなトウコを見て心配していたが、アークは違う。
心配なんてしない。トウコは、そんなことじゃ倒れないと分かっている。
あいつが倒れるのは、全部を越えて、全てを薙ぎ払ったあとだ。
目的を終えたとき、達成してしまった瞬間、トウコは人間として恐らく壊れるだろう。
自分が壊れるまで奴らを壊す、という覚悟の上で生きているような女だ。
周囲にも少なくても破滅を撒き散らす彼女だからこそ、自分の身なんて案じない。
支える人間がいなければ、どんどんドツボにハマって倫理が崩壊していく。
今、支える人間がこちらにいる。故に、トウコはヒトリだ。
(……。そろそろ、頃合か。どっちか連れていくか。トウコの奴、また暴走しているだろうし)
トウコの暴走を止める気はない。
彼女の意思で行なっていることだ。自分たちポケモンは従うのみ。アークはそう思っている。
ココロは最近、周りに合わせて少し心変わりをしているようだが、アークは決してぶれる気はない。
全てはトウコのため。
ディーも、ギガスも、それだけは譲れない。
「……」
偽トウコは考える。そのタイミングを。
チェレンは、適当に雑談しながらこっちの様子を見ている。
ベルは、どこか非難するような目でこっちを見た。
(早く居場所を吐け、って目だな……。なら、連れていくのはやっぱこの女か……)
アークは決め、そのまま言葉にしようとしたとき。
――遠くで、白い大巨人が暴れているという話が、ファミレス内にも飛び込んできたのだった。
PWT、海岸沿い。
波止場に向かう大きめの遊歩道の上で。
一人の新人プラズマ団にトラウマが発生中。
「逃げるな、逃げるな、プラズマ団がぁぁッ!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
――どかんどかんっ!
全力で逃げる団員を追いかける、謎の大型ポケモン。
二足方向であの巨体にも関わらず、かなりの速さで追いかけてくる。
団員とて、かつては某悪の組織の浙江として仕事をしてきた身。
この程度の追いかけっこは、慣れているつもりだった。
訂正しようと思う。あの化け物には勝てる気がしない。
白くて苔むしているそのポケモンの肩の上で、狂ったように叫ぶ女が、そのポケモンの持ち主だろうか。
しかし、あんなポケモンは見たことがない。
何処の世界に、歩くだけで遊歩道が陥没して、大穴を拵えるポケモンがいるというのか。
真後ろにいた。
周囲を無差別にぶち壊しながら追いかけてくる怪物たちが、自分を捕まえようと。
ムショにぶち込まれる前に、ガチな死の匂いがして団員は鍛えた足をフルに使う。
「うおおおおおおおっ!?」
「待ちなさいよ盗人があーっ! 私が殺してやるーッ!!」
追われる盗人。追いかける人殺し予備軍。
どっちもどっちだ。
何がそのへんのトレーナーからポケモンを奪うだけの簡単なお仕事だよ!?
思いっきり危険な奴に追われてるじゃないか!
しかも乗ってる女は人をマジで殺すつもりじゃん!?
脳裏に過ぎる、新人への通過儀礼的なミッションで、この団員ははずれくじを引いた。
引っ張ったら出てきたのはバケモノでした。というオチ。
「ぶち殺ああああああああ!!」
とうとう、白いポケモンはキレた女に呼応するように、追いかけながらそのへんにあった道路標識を三本の指で引っ掴む。そんでもって持ち上げた。
面白いように、軽々と地面から抜かれる標識。
根っこにコンクリートブロックがついている重いやつなのに。
それを投擲用の槍のようにぶんぶん振り回して、
「死ねええええええええッ!」
――巨人が、団員目掛けて投げつけてきた。
長年鍛えたこそ泥の悲しい性、あるいは反射だろう。
団員はすっ転んだように倒れた。
その上を、ぶぅんっ! という風を斬る音と共に、高速で飛来した標識が通り過ぎていった。
あのまま立っていたら、間違いなく串刺しになっていた。
団員は遠くにすっ飛び、本物の槍よろしくクレーターのど真ん中の地面にぶっ刺さるそれを見上げてますます青くなり、悲鳴を上げた。
「ぎゃあああーーーーすっ!?」
どこぞの海の神様みたいな声だ。何をもってしてぎゃーす、なのか。
嵐になったりしないことを祈ろう。こいつ出身はちなみにジョウト地方だ。
そんな事情を知らない後ろの人は待ったをかけない。
「逃げるなぁーッ!」
今度は駐車してあった作業用の人が乗るような大型芝刈り機を白い巨人は片手で掴む。
やっぱり軽々持ち上げた。
展開の読めた団員は死の危険を感じてまた逃げる。
それをみて狂う女の言うとおり、巨人が投げる。
避ける。着弾する。紅蓮の炎で爆発する。悲鳴を上げて団員は一目散に走り去る。
「こおおおおおおろおおおおおおすうううううう!!」
「うわああああああああ!!」
大量破壊魔とポケモン盗人団の一員。
どっちが悪者なのかというと、繰り返すが大体どっちもどっちである。
白い巨人は手加減を知らない。
手当り次第、使えそうな機械から突っ立っている標識から取り乱したように引っこ抜いて、持ち上げて、そのまま投げつけてくる。
その一発一発がグレネードのような破壊力のある一撃で、当たれば確実に死ぬ。
団員は神業のように全部避けて走る。体力の限界? そんなものは忘れた。
後ろの巨人に握り潰される未来が脳裏を過ぎれば誰だってこれぐらいはできる。
ポケモンの技を使わないだけ、まだ無意識の中でもリミットをかけているのだろう。
半分ほどしか元来のパワーが出ていないとはいえ、今の白い巨人の対広範囲技「じしん」を使えば、PWT程の敷地を瓦礫にできる威力がある。
下手すればヤーコンが高い金をかけて作った施設が海の底だ。最新の海底遺跡の仲間入りになる。
ギガインパクトなぞを使えば、イッシュで一番の頑丈な建築物が並ぶ、ヒオウシティのビルを一撃で粉砕するだろう。
今はまだ可愛い方だ。近くにある投げられるものを投げつけているだけだから。
そんな埒外を操る女も現在、倫理観の消失により暴走中。
PWT、及び周辺地域に絶大な被害を出しつつ、プラズマ団を追い詰めていく。
「まあああああああてええええええええええッ!!」
狂乱する女、トウコはギガスと共に追う。
彼らの逃げる先――黒い船「プラズマフリゲート」に。
「ぎゃあああああああああああ!!」
追われるこの男が、無事にアジトにたどり着ければの話だが。
多分、無理だ。
既に彼は死亡フラグが立ちました。
次回、生きていたら会える。多分。きっと。おそらく……。