――急がなければ。常にトウコは焦燥感にかられていた。
イッシュにはいい思い出はあまりない。だから、駆け足で物事を進めようとする節があった。
長居すると精神衛生上あまりよろしくない。多少の力ずくは仕方ない。
それをするだけの最低限のトレーナーとしての能力は二年前から持ち合わせている。
伊達にイッシュから逃げ出して、宛もなくホウエンとシンオウをさ迷ってはいない。
そして、二年間の逃亡の期間は決して無駄ではないことも、証明済みだ。
イッシュの冒険をしていた時に捕まえたポケモンたちは一匹足りとももう手元にはいない。
今彼女の手持ちにいるのは、冒険を一緒にしていた過去のポケモンたちではなく、その逃亡生活を始めた上で、道中出会った仲間たち。
リーグ制覇後、ボールを自分で破壊して、話し合って、みんなは満場一致で去った。
リーグまでむしろ一緒にいてくれたのが不思議なほど、彼女は彼らに嫌われていた。
何故だろうか? 酷いことをした覚えはない。そんな命令をした覚えなんてないのに。
旅の途中で出会ったポケモンの声がわかるといっていた彼が、忠告を言っていたではないか。
「――キミはポケモンに無理強いをさせすぎている」
その言葉の意味を当時はさっぱり分からなかった。
無理強い? どこが? ただ一緒に戦って、ポケセンにいって治療して、ただ一緒に旅をする。
変なことなんて何もしてない。
たまに、タブンネをみつけてはレベルアップするために狩りまくったりした程度だ。
でもそんなの、みんなしている。
それのどこが無理強いなのだろう?
プラズマ団みたいに理不尽な暴力を振るったり、殺してしまったりしたわけじゃないのに。
その考えが自分のエゴだと分かったのは、全ての元兇に追い詰められた時だった。
圧倒的脅威、圧倒的強者に太刀打ちできず、黒き龍すら敗れたプラズマ団総帥とのバトル。
馬鹿みたいに強かったあのサザンドラと戦った時に、トウコの手持ちは全滅しかけた。
一撃必殺。まさにそれを実体化したかのように、黒き伝説の龍すら初撃で葬り去った、あの怪物は最後の手持ちになったときに拍子抜けするように吼えた。
そのトレーナーである男は、弱い、弱すぎると嘲り、トウコの心も折れかけた。
最後の手持ちだった最初の相棒、ジャローダもまたひるむようにサザンドラから逃げようとした。
闘え、戦ってと言ってもジャローダは首を振って嫌がった。
何でこんな勝ち目のない戦いをしないといけないんだ、と。
あいつには勝てないんだから、さっさと逃げ帰るべきだろうと。
……あの子の言うとおりだった。
だって、伝説のポケモン、ゼクロムすら勝てなかったような相手だ。
ゼクロムはりゅうのはどうで一撃で敗北し、後ろに巨体を横たえていた。
――馬鹿な、このゼクロムを一撃だとッ……!?
本人すら目を見開いて驚愕していた。
そこは彼自身の油断大敵で片付けられるが、しかし不自然なほどあのサザンドラは強かった。
何をどう育てれば、あんな怪物じみたポケモンが生まれる。今でも疑問だ。
遺伝子操作でもされて、意図的に戦闘能力を跳ね上げたような、物理的におかしい強さだった。
彼女の当時の手持ちは、瀕死の状態で顔を上げ、敵ではなくトウコ自身をその時睨んでいた。
どうしてこんな理不尽な戦いをさせる。
どうしてこんな痛い思いをさせる。
どうしてお前は戦わない。
どうしてお前は見ているだけなんだ。
非難するような視線だった。みんな、トウコを恨めしい目で睨んでいた。
トウコはその目に困惑した。どうして、みんな私をそんな目で見るの?
私、そんな酷い事を言った? 酷いこと、したの? してないよ、私は普通にしていただけ。
最初から致命的なズレがあったのだ。トウコの普通と、彼らの普通は全く異なっていた。
そう、トウコは知らなかったのだ。彼らの苦悩、彼らの怒り、彼らの痛みを。
だから平然と死ねというような命令ができた。
次元違いの怪物に特攻して死んで来いというカミカゼのような命令を平気でする。
ポケモンたちは、少なくてもそう感じていたようだ。
結局、その場は散乱した道具の中から、げんきのかけらを錯乱するトウコから自らひったくって使い復活したゼクロムが、頭に血が登って怒り狂ったクロスサンダーで何とか辛くも勝利を奪ったのだ。
こんなことをしていれば、みんな愛想を尽かすだろう。それはそうだ。
トウコは、今でも分からない。冒険の日々は、無理難題を彼らに押し付けた覚えは未だにない。
なのに、彼らは彼女を嫌っていた。埋まらない溝が、確かに彼らとの間には存在していた。
でも、今は違う。トウコはそれ以来、ポケモンたちとの接し方を変えた。
一方的な命令系や、ボールを使った捕獲という事をやめた。
彼女はイッシュに出る前に出会った一匹の相棒によって、今までとは違ったポケモンとの向き合いに成功し、今の彼女の手持ちは確かな信頼で繋がることができた。
「……なぁ、トウコよ? お前さ、さっきから何難しい顔してるんだ?」
「……。ごめん、今話しかけないで」
「なんだよ、俺が心配してやってんのにその言い方は」
「悪いとは思ってんのよ。でもあんた、お喋りすぎ。うるさいから黙ってて」
「おいトウコ、お前自分のポケモンに何言ってくれてんの。俺から口先とったら残ってるのあんまねえじゃん」
「私そっくりな声でしゃべるなって言ってるの。独り言みたいでしょ」
「うわぁ素っ気ねえ。それが長年付き添ってきた相棒への態度かよ?」
「だから、女の声で男言葉やめて。なんか気持ち悪い」
「なんかってなんだよ」
「いいから黙る、他の連中にみつかるでしょ?」
「ちぇー」
そらをとぶでポケモンリーグの山頂に到着し、リーグの門番に見つかり不法侵入で撃墜されそうになったが、顔を見たら彼らも思い出したようで失礼しましたと言って、念の為にバッジ新旧合わせて一応8つみせて、現在チャンピオンロードを下っている。
で、その隣で相棒がボールの外から出て一方的に話しかけてきている。非常に喧しい。
イラついている訳じゃないが、騒がしいのは勘弁願いたい。
別に元気付けようとしているのではなく、あの子の場合は単に口数が多いだけだ。
その姿は、ポケモンではなく、人間そのものだ。
トウコそっくり、というか今のトウコよりも少し幼くした感じの顔立ちに、帽子を被って茶髪をポニーテールにしている、双子のように良く似ている少女が、若い女の子のソプラノの声で、雑な男言葉を喋っているのである。
普段、人前に出るときは無言かあるいはカタコトな言葉遣いなのに、トウコと一緒にいるときはまあ、遠慮せずに喋りたい放題喋る。うるさいことこの上ない時が多い。
「トウコー。俺腹減った~」
頭の後ろで手を組んで、やる気なさそうに歩くこいつは一応、相棒である。
今の生活を支えてくれる、大切な。
「さっき私の朝飯勝手に食べたくせに……しれっとこいつ……」
しかし時々殴りたくなる。無性に。
子供のように人の飯を盗み食いしたり、勝手にトウコの財布から小銭をパクっては知らないところで買い食いしているし。
本当に人知れず森の中で暮らしていたのかと思うほどの適応能力である。
「アーク、あんたそろそろいい加減にしないと、ハッ倒すわよ?」
何時までも黙らない相棒に、とうとう堪忍袋の緒が切れそうなトウコはギロッと睨む。
しかし、しゃあしゃあと相棒は肩をすくめるだけ。
「俺のかえんほうしゃで丸こげにされてえのか? だったらやってもいいぜ?」
「ねぇ、あんたそろそろボールの中にぶち込まれたいの?」
「あっれぇ~? そういうのはやめたんじゃないのかなぁ~? そこんとこどうなんしょ~ねぇ~トウコすゎ~ん?」
「あんた、私のことバカにしてるでしょッ!! いい加減にしないとぶっ殺すわよ!?」
口喧嘩をするその光景はまるで仲の良い姉妹だ。だが、その実態はトレーナーとポケモン。
男言葉を使っている方は、ゾロアークというポケモンだった。
二年前、イッシュにある迷いの森という場所でトウコが出会った、逃亡を図ろうとした最初の時の相棒である。
ゾロアークには彼らにしかない、イリュージョンという特性が備わっている。
これは簡単に言ってしまえば高度な変身能力で、他のポケモンにだって化けることができる、あるいは人間にだって化けられる。
昔話によくある人を小馬鹿にする化けギツネ、そんなイメージであっている。
事実彼らは人間に変身している時は人間の言葉を喋ることだって出来る。
そんなポケモンは世界的にも稀で、よく彼らは研究者たちから血眼になって探されている。
だが、見つけるのは非常に困難だ。
彼らの変身のメカニズムはまだ完全に解明されておらず、一度変身されてしまえば見分けるのは非常に難しい。
トウコからすれば、長年付き添っているゾロアークにつけた
彼とのやりとりはだいたいいつもこう。アークが小馬鹿にして、トウコで遊ぶ。
「アーク、あんたって奴は……私をバカにして楽しいのっ!?」
つい素の感情が彼との会話で露呈してしまうトウコ。
これが実は彼女の一種の救いになっているのだが、認めたくないのである。
だって相手は……。
「ああ、とってもとっても楽しいサ!!」
笑顔でサムズアップするようなやつである。しかも超楽しそうに。
キラキラするエフェクトすら見えたような気がしたトウコ。
あっさりキレた。
「アアアアアアアアアアアクウウウウウウウウ!!!!」
人気のない道の真ん中で、ポケモンとのじゃれ合い開始。
ぱっと見、仲の良い姉妹喧嘩。なお、アークの一人称は俺、立派なオスである。
「だははははははは!! バカトウコバカトウコ! やれるもんならやってみやがれ~!」
「ぶっ殺したらぁーーーーー!!」
拳骨を振り上げて殴りかかるトウコを、ひょいっと回避して逃げ出すアーク。
見事な逃げ足だ。トウコは意味不明な内容を叫びながら追いかける。
大体、こんな感じでいつも終わる。三十六計逃げるに如かず、勝つのはいつもアークである。
追記だが、ゾロアークというポケモンは、変身する対象を何もかも完璧にコピーする。
それは二年前のトウコの姿を模した今のアークは、成長して多少なりとも外見に変化してきたトウコにだって変身できるということ。
アークなりに、色々考えて今のトウコには変身する気はない。
二年前の姿をアークが模写することで、お前は少しでも前に進んでいる、ということをトウコに示すために彼が行なっている行為だから。
しかし今んところ、短気なトウコはそれに気付く様子はない。
「アアアアアアアアアアクウウウウウウウウ!!! 待ちなさいよコラーーーー!」
「待てと言われて待つ奴がいるわけねえだろうバーカ!」
「絶対ぶっ殺すうううううううう!!」
いつになったら終わるかというと、トウコの燃料切れを起こすまでである。
アークはそれまで、たっぷりと相棒を小馬鹿にして楽しむのであった。