――懐かしい、夢だ。
みんなと出会った頃の、思い出の中の自分を今と見比べる。
悲しいくらい、私は成長していない。
赤ん坊だって、ハイハイから歩けるようになるまでもう少し早く出来るだろう。
(でも……成長してなくても……。そんなことを嘆いている暇なんてない)
決めただろう。彼女と相棒達と共に、この先に進むと。
成長しているしていないの問題は、後回しにしてでも前にとにかく進むと。
それに、だ。
一人で成長できる限度なんてたかが知れている。
もう、一人では成長できない領域に自分は来ているんだろうと思う。
常に正しさだけを求めれば、それ以外を全て否定することになるのは必然。
トウコの復讐は、それに当て嵌る。トウコは自分が正しいとどこかでまだ思っている。
だがら、それ以外を考えや意見を無視して突っ走ろうとした。
それに歯止めをかけてくれたのがベルだった。
一人で考えず、二人で考えよう。頼ることを思い出そう。仲間を、信じよう。
逃げ出したあの時からだろう。信じるとか、頼るとかっていうことの大切さを忘れていたのは。
思い出せた今でも、まだ人を完全に信じるのは、嫌だ。
嘲笑されるかもしれないという被害妄想の考えがまだ脳裏に刻まれている。
でも、それでも。今は弱いままでもいい。今すぐ強くならなくてもいい。
一人じゃない。ベルがいる。大切な仲間たちがいる。
それだけで、少なくても現在の世界にいる価値はできた。
彼女が呼んでいる。私は、ベルと共にいると決めたんだ。
(……またベルを泣かせちゃったのかしら……。私って女は……)
こんなところでボケボケと思い出に浸ってないで、とっとと起きよう。
彼女の涙は見たくないと思っているんだろう。なら、泣かせるな。
一度は仮初でも偽物でも、英雄と呼ばれて、必要とされた存在だろう。
そういうやつは、大切な人を泣かせてはいけないのだ。
(さっさと起きよう……)
トウコは目を覚ます。
思い出の中の自分と比較して、情けない現実を見ても、逃げさない程度には、強くなって。
「……やれやれ……。調べることがあるからここにきたのに、君は毎回行く先々で何をしているんだ……」
「だから、それは悪かったって言ってるでしょ。しつこいわね……。将来ハゲるわよ。メガネを取ったら次はハゲ?」
「誰がハゲだ!! メガネも関係ないだろうっ!」
「ふ、二人とも……落ち着いて……店員さんの視線が痛いよお……」
あの日から、今日で三日ほど経過。
……彼女は、普通に大丈夫だった。
今は血で濡れたお気に入りだった黒のジャケットやジーンズを捨てて、違う格好をしている。
現在、トウコ達はホドモエのPWT近くのファミレスで食事中だった。
トウコはここ数日、まともなモノを食べてなかったので凄い勢いでバスラオの姿煮と刺身を貪り、味噌汁をすすっている。
トウコが某ルートで仕入れた方法で注文した、この店の裏メニューらしい。
トウコがPWTで倒れたあの日。
偶然にも、チェレンがPWTの会場を訪れていた。
何でも、この街のジムリーダーのヤーコンに無理やり連れてこられたと言う。
彼曰く「僕以外にも、ヤーコンさんに勝った女の子と男の子が来ていたよ」と言っていた。
あのあと、主催者であるヤーコンが血相を変えてすっ飛んできて、トウコを担架に乗っけて救急搬送した。ベルもその後をついていった。
チェレンは大騒ぎになってしまった会場に巻き込まれて出てくるのが遅れた。
医者に担ぎ込まれた意識のない呻くトウコが押さえる肩の傷を見て、医者は疑問符を浮かべた。
まず前提として、トウコは肩から大量の出血をして、血の池を足元に作っている。
それを目撃していたヤーコンやベルは、間違いないと証言している。
彼女が去ったあとでも、その残った血は溜まっていたという。
見逃せないが額からも、血が少し出ている。
背中からも、強い血の臭いがするとベルは言った。
つまり、体内の物質である血液が一気に外に出るには、何かしらの出口――要は、それなりの大きさの外傷が必要になるのは想像できるだろう。
目に見えるような切り傷なりがなければ、肩や背中という場所から血の池を作るほどの大量の出血をするなど、まず常識的にありえない。
なのに。
トウコを診察した医者は、目を丸くした。
左肩には、大きな赤黒い痣が出来上がっていたのだ。
腫れ上がったその肩は、骨折でもしたかのように、痛々しかった。
全体的に拡散した痣は二の腕や左鎖骨にまで達して、見に耐えない皮膚の色を見せつけた。
だが、それだけだ。その痣には、目立った裂傷などは認められなかった。
色々な検査をしたが、骨折も認められず、内出血が起きているわけでもない。
ただ、腫れ上がっている。どす黒く変色して。
背中も検査されたが、大小様々な痣があるだけで、出血の元らしい切り傷は認められなかった。
その割に着ていたジャケットなどには血がこれでもか、と染み込んでいたのだが……。
結論。トウコは全身殴打されたような傷だけを負っていた。
腫れ止めの薬を塗られて、包帯で背中と左肩をグルグル巻きにされたトウコ。
数人の人間相手に袋叩きにされたような、背中と肩の傷痕。
血だらけの服はその場で処分され、病院の服を着込まされた。
また、大怪我を彼女は負ってしまった。
しかも今回は、原因がまるっきり不明で。
「……馬鹿な……」
ヤーコンがそう呟いた。
その頃ようやくトウコは意識を取り戻し、庇いながら起き上がり、自嘲的に笑って言った。
「……吃驚したでしょヤーコン。これね、一種の手品みたいなものよ。悪いけど、あんたには種明かしをするつもりないから……。もう、治療は終わりでしょう? 私は、帰るわ」
ノロノロと診察台から起き上がり、脂汗を滲ませながら歩こうとする。
謎の現象には、医者もお手上げだった。
取り敢えず、痛み止めぐらいは出しておくが、原因が分からないからこれしかできないので終わりだ、と告げた。
「チッ……まだ痛むわね……」
まともに歩ける訳もない。然し、トウコは無理にでも歩き出そうとする。
足早にそこから立ち去ろうと。
「おい待て、トウコ!」
呼び止める声にも、彼女は振り返らず言う。
「うっさいわねヤーコン。これ以上、私に関わらないで」
突き放すように、かつて乗り換えた壁を無視して、彼女はゆっくりと病室を後にした。
外で待っていた不安そうに泣き腫らしていた目のベルに、大丈夫よとだけ告げて、彼女は病院から去っていった。
チェレンが駆けつけたときには、二人ともホテルに戻ったあとだった。
三日後の今日の昼時。
未だに服の下にグルグル巻きの包帯をしているトウコは、左肩を押さえながらも二人を誘って外出していた。
三日経過しても肌の色は元に戻らず、腫れもあまり引いていない。
何よりも、トウコ自身が酷い痛みに襲われている日々だった。
それでも、トウコはどこか呆れるように自分で言った。
「まあ、早速ネタバレするとね。これ、ココロと一緒に戦って出来た一種の反動なの」
「反動……?」
左肩を右手で指差し苦笑いする。
あの変化を知らないチェレンが眉をひそめる。
頼んでいるコーヒーには手を付けず、やけ食いをしているトウコの言葉に耳を傾ける。
ベルだけは、あの虹色の瞳のことを言っているのだ、と理解して問う。
「あの宝石つけたネックレスのこと?」
トウコはあっけらかんと笑って言う。
「BINGO。ベルの言うとおり。アレが原因ね」
実物は見せられない、詳しいことも言えないと先んじて断られてしまい、チェレンもベルもそれには口を閉ざす。
トウコがダメと言ったら何が何でもダメだから。
上機嫌そうに見えるトウコの言うことを聞かないで不機嫌にすると、また厄介なことが起きる。
それでは本末転倒だ。
「……怖い、あの宝石……」
ベルが恐ろしいアイテムをトウコが持っている、と思って言うと、トウコは否定した。
「違うわ。あの宝石は正しくは「こころのしずく」というの。ベルには言ったけど、ココロとの大切な絆の証」
「……絆の証で、トウコが大怪我するの?」
ベルの渋い顔の指摘に、トウコは試すように微笑んだ。
妙に今日はトウコの機嫌がいい。
明らかな不自然さがあるような感じがして、チェレンは警戒しているが、トウコの表情は自然体の笑顔でなにも変なことは考えていないように見える。
「こんなの、大怪我に入らないわ」
「包帯をそこらじゅうに巻いていれば、立派な大怪我だ」
何となく、その危険アイテムがあるということを知ったチェレンの苦言も、トウコは軽く流す。
「まっ、そうなるわよね。でも腕も痛いけど動くし、優勝したしそれでいいじゃない。別に死ぬわけじゃない」
と冗談を交えて言えるほど、軽く受け止めている。
「あんな風になっていれば、普通に死にかけていた気がするんだけど……」
「でも、現に私は死んでないわ」
即座に、切り返すトウコは心配する二人を、楽しんでいるようにも見える。
一体、今日のトウコはどうしたというのか。ベルとチェレンは困惑していた。
「トウコ。それは結果論だろう?」
「ジョウトの方じゃ、終わりよければ全て良しと言うわ。失ったものは何もないで勝てたんだから、万々歳でしょ。強いて言えば、私の治療費くらい?」
ああ言えばこう言う。切り返しが早くて、口喧嘩になる前に彼女が上手くひいている。
あの短気で激情家のトウコとは思えない穏やかさに、チェレンとベルは不信感だけを募らせていく……。
ニコニコしながらバスラオの刺身を喰うトウコ。やはり、今日のトウコはどこか変だった。
それもそのはずである。
あのトウコは、トウコではない。
某相棒が、イリュージョンを使って変身している偽トウコなのだ。
懐疑的な目で見られて内心冷や汗を流しまくっている相棒が、何とか取り繕っている頃。
本物のトウコはというと。
「……」
相棒こと、アークで二人の目を欺いて脱走していた。
鋭く痛む肩を押さえ、鈍痛のする背中を我慢してゆっくりと。
人混みの中を、進んでいく。
PWTを抜けて、南の方にある、波止場に向かって、確実に。
ボールの中から、心配の声が頭の中に直接聞こえてくる。
『トウコ? いたいの? いたいの? からだ、だいじょうぶ?』
この幼い感じの声は、シアだ。
純粋にトウコを心配してくれるのだろう。
『……本当に行くのか? 傷、まだ治ってないのに……』
この渋めの低い声はホルスのものだ。
おっさんみたいな声だが、一応まだ若い。
『馬鹿は死んでもなんとやらだ。前回ので懲りてねえ当たり、始末が悪いぜ』
皮肉げな若い男の声は、ディーだろう。
アークとは違う、どこか年下の子供のワガママを見るような兄のようなぬくもりを感じる声。
『レジギガスは、今度こそ貴殿の役に立とう』
自らをそう呼ぶのがギガスだ。今回、久々に力を借りる、かもしれない。
声が届いていれば、の話だが。
『……お姉ちゃん。せめて、みんなに一言教えても……』
ココロがそんなことを言うが、性懲りもなく一人で突っ走っている主はまたダメだった。
もう、手遅れの状態である。
(プラズマ団……殺す……。プラズマ団……殺す……。プラズマ団……殺す……。プラズマ団……殺す……)
ずっと彼女の中でリフレインされているセリフだ。
他者の言葉の一切を遮断し、彼女の知性を根刮ぎぶち壊す呪詛に支配されたトウコ。
今回は不意をつかれた形だった。真面目に運が悪かった。
最初は、アークがいったとおり二人と昼食に出かける予定だった。
なのに。トウコは聞いてしまった。
一人で二人を待っているとき、遠くの方で「ポケモン泥棒」と叫ぶ人の声を。
トウコは見てしまった。
人を掻き分けて、どこかに逃げていく怪しいマスクマンの姿を。
間違いない。あの制服は、ヒウンの時の奴と同じだった。
――プラズマ団ッ!! ようやく見つけたあッ!!
――殺してやるッ!! 見つけ出して巣穴ごと殺してやるッ!!
その姿を脳が認識した瞬間、トウコの中で今までの反省と教訓と葛藤が粉々に吹き飛んだ。
その時彼女独りだったのが、最大の原因である。
ベルかチェレンがいればまだ、協力できたかもしれない。
ベルの言葉と涙と想いの全てが、トウコの中の奈落の闇に落ちていく。
死んだ闇色を宿らせて、復讐に取り憑かれた英雄の亡霊が一人、その時に産声を上げたのだ。
トウコはそのあとを追っている。止めようとするアークに全部を押し付けて。
方角的に、間違いなくこの波止場に向かったのは間違いない。
人混みの中で、囁き声などの音を情報源に、追いかける復讐の鬼。
今回は仲間たちの声すら届いておらず、肩と背中の痛みすらプラズマ団のせいにして、突き進んでいく。
(殺す、殺す、ころす、コロス、コロす、ころス、コろス……)
思考が一つだけに染まっていくトウコ。
もう一つの不安事項があった。
ギガスが、何やら不穏な準備をしているのに心配そうにトウコを見ていたココロは気が付いた。
声をかける。
『ギガス……? な、なにしてるの?』
『……レジギガスの足を使えば、あの程度の距離、すぐに追いつける。故に、レジギガスはボールから出て彼女を連れていく』
ギガスはしれっと答えてボールから出ようとしている。
これまでないほど、ギガスはやる気だった。何がどうしてそうなったのか。
恐らく怪我の原因になったココロのバトルが羨ましくて、自分も出番が欲しいだけだろう。
あの時も、立候補していたが却下されていたし。
それはそれで、非常に困る。
『ちょ、やめてっ!! 人前でそんなことしちゃ!!』
『おい、やめろバカッ!! 大事になるぞ!?』
『おじちゃんそれはダメーッ!!』
『馬鹿野郎、トウコを世間的に殺す気かテメェ!!』
ココロ、ホルス、シア、ディーも止めるが……。
『いつも貴殿たちはレジギガスを除け者にしていた。此の度はそうはさせない。故に、レジギガスは外に出る。役に立つために』
放置プレイをされまくった長年の鬱憤がたまってるんだろう。
悪意じゃないのが非常に残念だ。
全力全壊の善意の大大迷惑、それがギガス。
ギガスさんは全く聞く耳を持たなかった。
歩くトウコの腰で、一人でに展開するボール。飛び出す中身。飛び出したのは、白い巨人。
阿鼻叫喚のボールに残された四匹。
――いやーーーーーーっ!! アーーークーーーッ!!
――トウコおおおおお、はよ止めろおおおおおおっ!!
――おじちゃんでちゃだめーーーーーーーー!!
――やああああめえええええろおおおおおおおおおおお!!
その叫びは意味を持たない。
時、既にもう遅かった。
ドシーンッ! と現れ着地する数メートルもある白いポケモン。
周囲の石畳がそれだけで凄い音を立てて膝あたりまで陥没した。
……言うまでもない。阿鼻叫喚の地獄が現実でもスタート。
悲鳴の宴が始まった。
ギガスはまるで特撮の超人のように降り立ち、よろけていたトウコを掬い上げてコケの生えた肩に乗っけて、歩き出す。
トウコはリミッターの外れたギガスの暴挙にも気付かず、真っ直ぐ指をさして指示を飛ばす始末。
ボール内で『お姉ちゃん我に帰ってええええええっ!!』というココロの切実な絶叫も届かない。
近くを歩いてた人間を数人衝撃で吹っ飛ばし、PWTの金属製の旗が立っただけへし折れ、海の方では陸から大きな波が発生した。
更に巨人は、点滅する目と腹の目玉模様をビカビカさせる。
昼下がりのPWTに現れた怪物。異常に怖い。
周りは怪獣が暴れ出したかのように我先にと一斉に逃げ出した!
『時間は』
「急ぎ」
ココロを通じて二人は短く話し合い、ココロがいっそと精神を繋ぐ回線をぶっちぎったがまた遅い。
ふんっ! とポーズを決めたレジギガスさん、半分精神が死んでいるトウコに命ずるままに、アスリートのように腕を前に、足腰に力を込めて、準備万端。
『ちょ、二人ともやめてえええええええええっ!!』
普段はこんなに叫ばないハズのココロですら、キャラ崩壊を起こしてでも止めようとして、無駄だった。
『レジギガスは疾走する』
「行って」
――ドガアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!
爆弾でも爆発したかのように、その場は轟音と石畳の砂煙を上げて、PWTの敷地内は爆ぜた。
ギガスは全力疾走(まだ半分ほどしかチカラが出ていないのに)とんでもない地響きと衝撃を波紋状に起こし、地面に設置されていた自販機から軽トラック、逃げ遅れたポケモンから人間まで面白いように宙を舞う。
そんでもってそこら中に爆撃跡のような大惨事を量産しながら走っていく。
宛ら、等身大の超人がリアルに走ればこんな感じになりそうな、それぐらいの被害が出た。
向こうでは白い巨人がとうっ! と飛び込み台から飛び込むようなポーズでジャンプしながら着地のコンボで、石畳にクレーターを作成して被害を増大させていた……。
これが最終兵器、レジギガスの現実。歩く天災。移動する震源地は伊達じゃなかった。
『きゃああああああああッ!!!!』
シェイクされるボールの中。
ジェットコースターにシートベルト無しで乗ったような衝撃が四方八方から襲う。
ココロは後悔した。
この時ばかりは、トウコではなくあの伝説級のマイペース馬鹿に。
『いやあああああーーーーーっ!!』
悲鳴を上げるしかできない自分に。
ほんの少しだけ、トウコの気持ちが分かったココロだった。