心は、繋がることで強くなることだってある。
そう、トウコは改めて知った。
一人で殻にこもって。自分の世界だけで自分を正しいと自己暗示して。
そんなことをしていたって、人間は一人で生きていけない。
近くにいるあの子達を真の意味で護りたいなら、尚更。
この殻を打ち破って、外の世界を見なければいけない。
不用意にポケモンのことを傷つけたくない。それは、本音だ。
でも、自分だけでは限界があるし、護れないことだってある。
――どうして周りを頼らないの?
頼れる訳がないと思っていた。
だって自分は周囲の期待を一心に背負った、仮初でも英雄と言われている。
英雄は常に一人孤独に戦っているものと思っていた。
だってそうだろう?
英雄の心を分かってくれる人なんていない。仲間は、自分を見限った。
そして自分は、見捨てられるようなことばかりをしていた。
彼女の方から、彼らを裏切っていたんだから。
だから、頼っちゃいけないと思っていた。
また、見捨てられてしまう。失望されてしまう。
怖かった。そうやって、誰かの勝手で自分を傷つけられるのが。
必死にやっていたのに、結局誰も救えない。
トウコにとって、自分なんてそのくらいの価値しかない。
知らぬうちに彼らを苦しめていた。知っていれば、しなかった。
無知ゆえに、彼らを苦しめ、痛み付け、そして、殺そうとした。
そんな自分なんて、英雄じゃない。英雄にすらふわさしくない、ただのクズだ。
彼らの身のことを考えず、特攻のような命令を何度も叫んだあの時のことは、今でもハッキリ覚えている。
――みんな、早く戦ってよっ! じゃないとイッシュがあの人に奪われちゃうっ!!
――無様だ。レシラムを連れたNを倒しても、所詮この程度。私の敵ではない。
冷静に嘲笑う敵対者の声。無力を嗤い、力無き理想は絵空事だと言う。
そのとおりだった。無力は罪だった。理想を貫くなら、強くなければいけなかった。
でも、トウコは弱かった。心が、精神が、中身が。
本当に、幼子のようにただ自分の無力さに泣き叫んで、助けを乞いそうになった。
自分は英雄ではなかったのだ。黒い龍はやはり間違いを……。
――黙るがいい。
そう、脳裏に響く低い声。
あの男にも聞こえたのか、倒れ伏す黒い巨体を鋭く見下す。
――我の選んだ
――貴様は分からぬか。なぜ我らが貴様に力を貸さなかったか、まだ分からぬのか。
のっそりと、動けぬトレーナーから勝手に奪い取ったげんきのかけらで復活していた伝説の黒い龍が、起き上がる。
大きな影が、呆然として見上げる、腰を抜かして座っていた少女の影を、上書きする。
龍は男に告げていた。
――理想も真実も、千差万別あるのは貴様も知っているだろう。
――人の数だけ真実があるように、人の数だけ理想が無数に存在するのがこの世界だ。
――ならば、だ。
――貴様の息子が白き龍に選ばれているのに、それならば貴様はなぜ、我らに選ばれなかった?
――貴様だって、大層な理想や真実を持ち合わせているから、このようなことを仕出かした。
――つまり、我の選んだこの娘も、白い龍に選ばれた貴様の息子も、そして貴様自身も、我らに選ばれる条件は平等に満たしていたのだ。
――だが、貴様はこうして我と今、敵対している。その現実の意味にすら気付かぬのか。
――フッ。愚かだな、貴様というニンゲンは、何処までも。
――フフッ……ハッハッハッハッハッ!!
龍も、笑っていた。テレパシーで脳内に伝える声で、大きな笑い声を上げた。
途端、血相を変えて男は龍に怒鳴り散らす。
怒号に怯えて耳を塞ぐトウコを尻目に、男は龍を口汚く罵倒する。
所詮ポケモンは人の道具。道具の分際で人に意見し、剰え笑うなどふざけるなと。
だが、龍は笑い続けた。まるで答えを知らない子供を、大人が嘲るように。
――分からぬか。分からぬなら教えてやろう、愚かなニンゲンよ。
――白き龍も、我も、貴様のような下衆に付き添う程、馬鹿ではないということだ。
――貴様の中にあるそれは何だ?
――己以外の誰かの為の理想か?
――万物を見極める真実か?
――いいや、全く違うな。
――貴様を満たしているその感情は、野望と言うのだ。欲望というのだ。
――選ばれぬのは当然であろう。貴様の願いは貴様一人を満たすもの。
――そのような矮小なモノで、誰を従えるというのだ。
――そもそもが貴様は我らが求める一人の人間としての器もないのだ。
――貴様は過去も、
――独りで、孤独の世界を行くがいい。
――我らポケモンを道具と蔑み、利用した罪は重い。そして、よく覚えておけ。
――貴様は、その道具と言っている無数の存在たちの手により、願い続けた一つの望みを破壊され、潰えることになるのだからな!
言い終えると、龍は咆哮した。
凄まじい音量で、声の音域を超えた周波数を挙げて、翔いた。
ふわりと持ち上がる体躯、怒り狂うように唸りを上げ、拳を握る。
もう一度雄叫びを上げ、黒い龍――ゼクロムは男の願った未来を、破壊する。
――この少女は、確かに我の選んだ英雄だ。
――虚空の心が、理想でまだ満たされなかったとしても。
――僅かにでも抱いていたその理想が、未来にまた蘇る事を、信じているぞ……。
理想を司る龍は、この後彼女に問うた。理想は何だと。
少女は、答えられなかった。龍は、だが彼女に失望したわけではなかった。
彼女の心の中に、しっかりと刻まれていた微かな理想の存在を知っていた。
しかしそれはまだ彼女自身のものでなかったから、姿を消した。
龍はずっと見守っていた。
彼女がポケモンと別れ、逃げるような生活を始めた時から。
大きな傷が、彼女を苦しめている事を知っていてなお、信じている。
彼女は決して消えることのない、自分だけの強い理想を持っていることを。
それが綺麗事だと罵られても、それが実現不可能と言われても。
彼女の理想は、決して無くならない。
彼女は、逃げる度に傷を増やしていった。痛みに悲鳴を上げていた。
ホウエン、シンオウと逃げ回り、舐め合うように同じような仲間を集めて、二年後イッシュに戻ってきた。
その頃には、歴とした彼女の心の中の理想が、出来上がっていた。
同時に、その純粋な理想の周りには、拭えない闇と耐えられない痛みに、消せない悲しみ、全てを嘆く諦めが分厚く包み、理想の実現を阻んでいたが。
彼女が、「忘れ物」と称している一連の行動。
それは、一度は抱き、しかし消えかけていた理想の体現。
本当はやり直したいと思っている、言葉のない叫びだった。
彼女は願っている。傷だらけの心で。痛みしかしない心で。
ポケモンと、人間が、平和に暮らせる、そんな世界を――。
翌日には、すぐに出発した。
ベルに捨て身で、あれだけのことをされたのだ。
トウコは目を覚ました。多少なりとも。
みんなに確認した。自分のワガママで戦ってもいいかと。
過去トウコ姿で現れ、みんなの代表してアークは「トウコの好きにしな。俺達はお前に従うだけだぜ」と笑顔で言ってくれた。
よかった。彼らがいいと言ってくれるなら、少し我侭を言おうと思う。
まあ、今まで好き勝手ワガママを言っていた自分だ。今更な気もして、ベルにしっかり謝った。
ベルも、ついでに話を隠れて聞いていたらしいチェレンも別にいいと言ってくれて、救われた気がした。
翌日の朝。
「じゃあ、行こう。トウコ」
「……ええ」
何か嬉しそうなベルに手を引かれ、前の時みたいに、一緒に旅に出る。
二年前のように、新しい旅へ。
母は「トウコのことよろしくね」とベルに言って、ベルは大丈夫ですよおと受け答えしていた。
トウコは今までの行動の恥ずかしさのあまり、知り合いとは顔合わせだってしたくない。
でも、それは逃げているだけだ。未来の先延ばしに過ぎない。
どうせ苦しいだけの未来なら、さっさと終わらせて楽しく過ごしたい。
そう思うことにして、トウコは逃げることをやめた。
根本的な解決などしていない。
でも、現状打破にはこのくらいしか情けないけど出来なかった。
ベルはまだフィールドワークの関係で、ホドモエについてから、少しすることがあるらしい。
トウコは先に、PWT――ポケモンワールドトーナメントに行っていることになった。
ヒウンの二の舞は絶対に演じない、と同時に固く約束した。
ベルはこんな自分を導いてくれた人だ。もう、裏切るなんてことはしなくない。
二年前のように、勝手に居なくなったり、一人で抱え込むようなことはしないと。
辛くなったら、打ち明ける。自分だけで抱え込まない。
そうすれば、後悔だけの過去だって、少しは楽になるかもしれない。
「一緒に、頑張ろうね。トウコ」
まだ少し怯えてるような彼女を連れて、一番道路を踏み出したベル。
「ええ。色々ありがとう、ベル」
その後ろを、トウコはついて行く。
「いいよお。トウコだってやれば出来るんだから」
「さり気無く子供扱いしてないかしら……?」
ニコニコしているベルに、控えめながら微笑むトウコ。
久しぶりに、人と一緒にいて本気で笑えた。ベルのおかげで。
久しく、徒歩で歩む一番道路。懐かしさで、少しくすぐったい感じがする。
でも、悪い気はしない。
つい先日の一人の時とは違う、苦しみだけのイッシュじゃない。
今は、ベルがいるから。少しは、変化を受け入れることができるイッシュになれればいい。
そう、思った。
……二人が歩んでいくその後を、隠れるようにして、こそこそとチェレンがついて行っているのは取り敢えずなんか事情があると思いたい。