英雄の旅立ち 二回目
ヒウンでの乱闘騒ぎから一週間とちょっと経過した。
また、家に引き篭るようになってしまったトウコは、身体の療養に入っていた。
なにせ、一つ一つが軽傷とはいえ、数多くのポケモンによって傷つけられた身体だ。
下手をすれば、感染症にかかってしまうかもしれない、と周囲の人間の過保護によって、彼女は事実上の軟禁状態に近かった。
今朝も、治りかけの傷に包帯とガーゼを張り替えて、顔の傷は何とか治癒して傷跡が目立たなくなってきので外す。
「ねえ、母さん。私何時まで家にいないといけないの?」
ボサボサになった髪の毛を梳きたいと言い出し、放置していた髪の毛を手入れされるようになってようやく、綺麗になったそれを櫛で撫でる母は言う。
「さあね? ベルちゃんとチェレン君がいいって言うまでかしら」
「……それじゃあ、まだ当分ダメじゃない。もう私は平気なのに」
「あんたの平気は大体強がりだってこと、二人にはバレてるから無駄」
「……アーク。助けて」
同じリビングで朝食中の手持ちの相棒に頼み込むが……。
「ママさーん、ご飯おかわりいただきます~」
「どんどん食べていいわよ~」
「……ウチの食費のエンゲル係数が……」
しかももう四杯目。どんだけ食うつもりなのだろうか。
ここのところ、袋単位で米だけが減っている気がする。
しかもオカズを食わない。セットなのは基本インスタントの味噌汁程度。
この間も、母は米袋を四つほどポケモンと一緒に買いにスーパーに出かけていた。
罰として、アークにも命令して手伝いをさせたが、あの野郎自分が消費してることに気付くや嬉々として手伝い始めた。
おおよそ、ここをおのれの第二の家にするつもりなのだろう。
慇懃無礼なやつである。
現在も笑顔で、母のお古だという小型の炊飯器を引っくり返して中身を取り出し、マックスに炊いたはずの米を食い尽くす。
あのシュールな光景を見ていると、旅の道中は結構食欲に関してはリミットしていたんだなと思う。
というか、あいつがあそこまで白米が好きだなんて知らなかった。
人型の時は基本何でも食っていたが、あんな中毒性のある行動はしていない。
確かに、一日にあいつが飯を食うのは朝の一度だが、一度で三食分は食っている。
一回につき、大体一人暮らし用の小型炊飯器マックス分。量にして換算したくない。
「いやぁ、人間社会も侮れねえなぁ。こんな美味いもんがあるなんて、世の中広いわ~」
「……」
アークは、勢い良くまたかきこんでいる……。
母、朗らかに微笑んでいるがあいつ今炊飯器を空にしたから。
迷いの森で暮らしている頃はきのみを主食にしていたとか聞いていたが、あいつ米の方が好きなのか。
イッシュ地方は基本主食はパンやフレークが多いけど、トウコ家は昔から米だった。
母は昔旅行で訪れたカントー地方なる所で、米の美味しさを知ったとかで。
それはいいとして。あいつのおかげで我が家の食費のエンゲル係数が跳ね上がっている。
近所で少ししか扱ってない米袋を全部買ってきても、わずか一週間で終わらせるとかどんだけハイペースなんだろうか。
戻ってきて早々に買いに行った奴は昨日終わった。
「ママさーん、今度お米買いに行くときは俺もまた付き合いますぜ~」
「あらあら。ありがとうね、アーくん」
「……」
トウコは考える。
アークのやつ、何とかしないといけないかもしれない。
綺麗に梳き終えた髪の毛を撫でながら遠い目をして、そう思った。
その日の午後。
やることもなく、自室でテレビを見ていたトウコ。
番組はバトルに関してのことを題材にした番組で、現在漫才のようにおねーさんとミルホッグが道具について説明している。
おねーさんはドジなのか、彼女は説明するハズの風船を派手な音をさせて割ってしまってあたふたし、相棒のミルホッグが呆れて肩をすくめるというシュールな光景が映っている。
そんな番組をぼーっと眺めているとき、派手に階段を駆け上がる音。
直したばかりのドアを勢いよく開かれて、飛び込んできたのは息を切らすベルだった。
「トウコ、一緒にホドモエまで行こうよお!」
唐突に、ベッドに腰掛けていたトウコにそう話を持ちかけた。
「……。ベル。あんた、突然押しかけてきて、なにいっているの?」
「だってだってだってえ!!」
「落ち着いて。話が見えないわ、何があったの?」
落ち着きのない彼女が、順々に説明する。
ホドモエ。
一度、トウコは一人で訪れて、その様変わりした風景に時間の流れを感じてしまったあの場所だ。 そこにもう一度、ベルは一緒に行こうと言う。
何故と問うと。
「あたし、やっぱり思うんだ。ここで引き篭って一人でいるよりも、色々外に出て、二年の間に変わったイッシュをトウコに見て欲しい! トウコに今必要なのは、心身の療養だよ。あたしもいるから、大丈夫でしょ? でね、湯治が出来るっていう山間部の街の話も聞いてきたんだ。丁度あたし、そこに調査しにいく用事も出来てるし、一緒にいこうよ、トウコ!」
ベルはもう家から出ようよ、最低限の治癒は終わったみたいだしと言う。
……どうやら、トウコには拒否権がないらしい。
NOと言えない、拒否ったらベルは多分、強引にトウコを連れていくだろう。
というか、行かないとか絶対認めないからね、と怖い笑顔で脅された。
何でとトウコが言う前に、ニコッとされただけで背筋に怖いものが走る。
従うしかあるまい。一度は勝手に逃げ出して、先日は黙って騒ぎを起こして迷惑をかけた身だ。
負い目があるのは事実。
彼女には沢山の借りがある。故に、拒否する考えは無くす。
二年間で随分と逞しくなった。この有無を言わせない強引さは昔のトウコに似たんだろうが。
異様に距離が近く真剣な表情で詰め寄ってくるベルに、微妙に逃げ腰になりつつ理由を問う。
「……で、なぜホドモエ?」
「あ、それはね。あたしと一緒に、PWTに一緒に出たいからなんだあ」
「なによ、それ?」
「要は世界中の強い人と戦う施設。ヤーコンさんが作ったんだってえ」
例の冷凍コンテナがあった場所に作られた施設だという。
そういえば、
協力したヒウンのあれは、バトルですらないただの襲撃。
そんなことにポケモンを使ったトウコは、普通からすれば立派な異常者だ。
相手があのプラズマ団だから成り立つ、ギリギリの常識。
そんなことをしていると、いずれ常識を見失う。
それを心配した、近所の博士がベルに頼み込んだみたいだ。
二人でエントリーしたいとベルは説明した。
対してトウコは。
「……いやよ。どうしてそんなことしないといけないの?」
渋い顔で、頑なに嫌がった。
前なら、笑っていいよと言ってくれたのに。
ベルは困惑して、どうしてと聞くと。
「……あの子達は、私にとって、大切な仲間よ。そして、同時に家族だと思っているわ。ならベル、あんたはどうしてそんな大切なあの子達を、娯楽の道具にしようと思うの? それは非道の考えることよ」
「……?」
娯楽の道具? トウコの言っていることが、ベルにはよく分からない。
これは決して見下すような遊びではない。
ポケモンとトレーナーが心を通じ合わせること、その一番シンプルで手っ取り早い方法。
かつて、同じことを言っていた青年とあったことがあると思い出すベル。
一瞬、脳裏をデジャブが駆け抜けた。視界にノイズが入り、トウコの姿が彼に被った。
「私は絶対に、そんな意味の伴わない戦いはしない。ポケモンバトルは、私にとってもう、遊びじゃないのよ。娯楽のためだけにあの子達を辛い目に合わせるなんて、冗談じゃない。だったら私は弱いままでいい。意味のある戦い以外は、決してしない。そう心に誓っているし、あの子達との約束だもの、破りたくない」
同じだ。あの時のあの人と、同じことを言っている。
何度も、嫌だと拒否する。
彼女の価値観が変わったのか、あるいはベルの言い分が変わったのか。
どちらが変化したのかは不明だが、少なくても今の二人は平行線だった。
「……トウコ、あたしにはそういうのって、よくわかんないよ」
「……私だって、ベルの言ってることが理解できないわ」
「何で? 何で理解できないの?」
「どうして? どうしてわからないの?」
「……」
「……」
何が違うのだろう。
何がおかしいのだろう。
すれ違う価値観、ベルとトウコは互いの顔を見やる。
「……ねえ、これで分かったでしょう? 私は、今はこういう考え方なの。もう、誰かの都合で支配されたくない。これは私の意思。自分の意思で嫌なの。戦いたくないのよ。分かって、ベル」
トウコは懇願するように、ベルに言った。
「……トウコ、それは自分の都合の悪いことから逃げているだけじゃないの?」
その姿は、明らかに現実から目を逸らして逃げようとしているだけ。
ベルには、そう見えてしまった。
思わず、言ってはいけないことを言ってしまったベル。
言葉にしてしまってから、慌てて口を塞ぐが遅かった。
トウコは然し、大したダメージもなく言い返す。
「逃げることの何が悪いの? 忘れようとするどこが悪いの? 何でもかんでも受け入れて前に進めるって理屈はね、挫折しても起き上がれる人間の暴論よ。世の中、全員が強者になれるわけじゃない。たとえ負け犬の遠吠え、安易な責任逃れだと糾弾されても、私はそんなこともう知ったことじゃない。言いたければ言ってればいいわ。私はこの二年間で弱くなった。そんなもん、見ればわかるわよ。過去に残されているって、わかってるわよ。だけど、立ち止まることが悪だって勝手に決め付けないで。ベルだって身に覚えがあるでしょう? 『誰しもが、強くなれるわけじゃない』。二年前、Nがベルに告げた言葉よ」
「っ!」
――誰しもが強くなれるわけじゃない。その真実を、ベルはしっていた。
直向きに強さの意味を求めて冒険したチェレン。
意思の抜けていたとはいえ、誰かの為にただ進んだトウコ。
その背中を、羨ましいと思いつつも、必死に追いかけていた、ベル。
一人だけ取り残された気がしていた、二年前。
あの頃は、自分だけが三人の中で弱いと思っていた。
バトルの実力では負け越しで、トウコにもチェレンにも勝てたことのない弱い自分。
チェレンは行くところで無敗、トウコはただ言われるがままにバトルして勝利をもぎ取った。
でも、自分はどうだ。惨めに敗北を重ね、無様にポケモンに苦痛を与え、結局勝つまで遠回り。
そんな回り道が嫌になって、一時ヤケクソになっていた時だってあった。
そんな時に、出会ったポケモンの声が聞こえるという青年に言われたのがあの言葉。
心がへし折れるかと思った。もう、冒険をやめようとすら思った。
でも、ベルは立ち直った。逃げ出さずに冒険を続けて、自分なりの意味を見つけ出した。
全てが終わり、魂の消えた抜け殻になってしまったトウコに、そのことを伝えようとしたときには、トウコの姿はイッシュには無かった。
――ベルだって、後悔がないわけじゃない。悔いなんて、いくらでもある。
でもそれを受け入れて、前に進んでいるのだ。
ポケモンバトルとは、ポケモンと人を繋ぐ架け橋にして手段。そう、彼女なりに結論を出した。
自分でも、答えを出すことができた。
それを、トウコに伝えたかった。
……今のトウコは、全てから逃げている。
自分が傷つくのが嫌で、ポケモンに裏切られるのが嫌で、そんな自分がまた破滅の道に向かうのを嫌がっている。
だから、保身の為にバトルを拒否し、ポケモンと日常を過ごすことだけを考え、表面上の関係を必死に守ろうとしている。
――それが間違っているとは言わない。そういう関係で、成り立っている人もいる。
だけれど、トウコはもっと違う関係を築き上げることだってできるはずだ。
過去に、彼女にはそれが出来ていたのだから。
そんな考えの読んだかのごとく、トウコは自嘲的に笑って言った。
「私は二年前、失敗したわ。ただ一緒にいればいい。そんな風に安易に思っていたから、愛想を尽かされた。私が、ダメなトレーナーだったから。私が、弱かったから。あの子達の気持ちを考えずに、無闇に命令して、戦えと言って、裏切って、傷つけて。私はもうそんな間違いは犯さない。もう、道を踏み外さない。あの子達が望むことだけをする。私がそうしたいから。言っちゃえば結局、二年前の私がしたことは、全部無駄だった訳ね。ほんと、クダラナイ……。バカみたいね、今からすれば」
トウコも、もういいでしょと顔を背けた。
背けたときに、目から光の粒が飛び散ったのをベルは、見逃さなかった。
傷つけている。トウコを、追い詰めている。その自覚は、ちゃんとあった。
あの頃の自分を全否定し、これ以上ないほど自分を貶めて、傷つけて、嘲笑って。
もう、ここから先は踏み込んでくるなと壁をつくる。
でも、今度はベルも怯まない。
幼馴染の、大切なトウコのためになけなしの勇気をだして、彼女に真実を告げる。
後悔と懺悔に塗れたイッシュの思い出を、上書きしたいから。
トウコにこの想い、今度こそ届けてみせる。
「違うよ。それだけは絶対に、違う。トウコがあの時してきたことは、決して無駄じゃない。事実、二年前のあたしは、トウコに救われた。トウコのおかげで、自分の結論を、出せた」
「……」
「トウコがあたしの前を行ってくれたから。あたしは何があっても諦めずに進めた。トウコが自分の意思がなかったとしても、トウコのやったことが、誰かの理想を代行するだけのことだったとしても。トウコがしたことまでが、意味の無い日々だったなんて、それこそトウコの暴論だよ。トウコの自暴自棄が生み出した、下らない妄言じゃない」
「……なんですって?」
トウコの声に、怒気が混じった。顔を背けたまま、震える声を出す。
ああ、やはり予想していたとおり。
これは、確実に彼女の一線に触れた。堪忍袋がキレる寸前の、そんな雰囲気になった。
「トウコ、過去を否定しないで。そんな悲しいこと、しないでよ。どうして、あの頃が無駄なんてハッキリ簡単に言っちゃえるの? あたし達と一緒に冒険してきたあの日々は、たった一回の失敗くらいで、意味がないって言えるくらいの価値しかないの? ふざけないで。あたし達には、凄く大切な時間なのに。そんなの、ただ駄々をこねているだけの子供の言い分じゃない。あたしのこと、バカにしてるのはトウコでしょ」
「……なによ、偉そうに……。上から目線で言ってくれて。そうやって、優越感に浸って私を追い詰めて、何が楽しいの?」
キッ、と睨んだトウコの目には、涙が浮かんでいる。
怒っている。そして、同時に悲しんでいる。
トウコの中で必死に、自分を正当化出来る言い分を探している。
だけど、そんなことさせない。
逃がさない、今度は絶対に。
トウコを追い詰めてでも現実を見させて、トウコの殻を粉々にぶっ壊すと決めたから。
「楽しくなんてない。むしろ辛い。あたしだって泣きたい。どうしてトウコの言い分はいつも無駄と後悔から始まるの? あたし達のこと成長しているとか、してないとか。あたしだってね、してないところはしてないんだから。トウコわかってるの? 自分を見つめなおして、やり直したいと思って帰ってきたくせに、諦めるの早すぎ。何でみんなを頼らないの? そんなに絶望されるのが怖いの? 失望されて、見捨てられるかもしれないから、だから逃げてるの?」
図星の指摘をされて、怯むトウコ。
ぐうの音も出ない正論に、早速逃げようとする。
「……どうせ……私の言い分なんて、下らないの一言で片付けるくせに。聞いてくれやしないくせに……。知ったようなことを、言わないで――」
簡単に逃げ道を封じられることを知らずに。
「あたしは少なくても、片付けてない。ちゃんと聴いてるよ。話してるでしょ。一方的に終わらせようとしてないで。目の前にいるあたしをしっかり見て」
顔を、視線をまた、何処かにやろうとする。
手を伸ばし、顔を固定し、視線を逃げさない。
暴れることだって出来る。でも、トウコはそうはしなかった。
「……前にも言ったよね? あたしは、トウコをトウコとしか見てないって。英雄とか、理想とか、そんな
「っ……」
驚いたように、トウコはベルを見た。
信じる。たったそれだけの事を、見失いかけていた自分を言われて、我に帰ったように。
「……トウコ。これ以上、一人で思いつめなくてもいいの。トウコは、もう立派に一人前なんだよ。あたしたちと、一緒。ね? またさ、一緒に旅にでて、一緒に強くなって、一緒に新しい冒険を始めよう? あたしも一緒に、行くから」
「……」
トウコは一人だと弱いかもしれない。
でも、二人なら強くなれる。
今度は、ベルがトウコと共に行く。
ベルがトウコを支える。そうすれば、トウコだって答えを見つけられるはずだ。
かつて、ベルがそう出来たように。
だって、彼女は本当は強い人だから。
ベルは、そう信じている。