弔詞の詠み手マージョリーは
平井ゆかりに突っかかって、
真っ白な塩になりました。
お兄様の探し物を見つけるために、私達は海を渡りました。どうやら、お兄様の求める物の「匂い」は、トーチでもフレイムヘイズでもなく、人間から漂っているようですわ。 贄殿遮那(にえとののしゃな)と言えば、今代の炎髪灼眼の代名詞と聞き及んでいたのですが……おかしいですわね?
「たしかに妙だな……罠かも知れん」
護衛の方も、そうおっしゃいます。なので念のために万全の準備を整えました。 私達は自在法「揺りかごの園」の中では無敵なのです。設置に時間が掛かるのが、たまに瑕(きず)ですけれど。とは言うものの、まったく邪魔が入る事なく順調に準備は終わり、私は「揺りかごの園」を広げました。
しかし人間に触れた瞬間、パリィンと今まで聞いた事のない異音が聞こえます。私の「揺りかごの園」が弾かれ、崩壊しました。「揺りかごの園」によって隠されていた紅世の徒としての気配が、止める間もなく広がってしまいます。そして標的だった「ただの人間」の視線が、露わになった私達を捉えました。
「ちぃ! やはり罠か!」
「撤退しますわ!」
「にえとののしゃな、欲しい」
「お待ちください! お兄様!」
「吸血鬼」という大剣型の宝具を掲げて、お兄様は人間の下へ向かいます。お兄様に向かって伸ばした手は宙を掻きました。私は慌てて、お兄様の後を追います。しかし、お兄様は人間の前で、潰れたトマトのようになりました。グチャグチャに潰されて、まるでミートボールのようです。
「いやぁぁあぁぁああああ!! おにぃさま!!」
瞬く間に肉塊と化したお兄様に、私は力を分け与えます。しかし、元に戻りません。存在の力を注いでも注いでも、底の抜けたバケツのように漏れてしまいます。やがて山吹色の炎を散らしながら、お兄様は燃え尽きてしまったのです。私もお兄様に存在の力を注ぎ過ぎて姿を保てません。
「吸血鬼か、いいものを手に入れた。あとで坂井悠二にプレゼントしよう」
まるで私の姿が見えていないかのように人間は言います。許せない。よくも私のお兄様を……殺してやる、殺してやる! 殺してやる!! そう思った瞬間、人間から飛んで来た力によって私はバラバラになりました。わずかに残った存在の力を保てず、私の意識は霧散します。お兄様のかたきを……
【裏】
愛染の兄妹の登場時間は、わずか30秒だった。 贄殿遮那(にえとののしゃな)の気配らしき物を追って来た結果、炎髪灼眼ではなくオレに来たのか。あの刀を消滅させたのは光の触手だから、どうなったのかなんてオレは知らない。もしかして贄殿遮那は、まだオレの中にあるのか?
それは兎も角、残った徒は紅世の王「千変シュドナイ」だ。愛染の兄弟の護衛だったけれど、何の役にも立っていない。おまけにオレを警戒して近寄ってこない。さっさと帰れば良いのに、帰ろうともしない……何しに来たんだ、お前は。カ・エ・レ! カ・エ・レ! 時間の無駄なので、オレは千変を無視して行く事にした。
「人間以外の何者にも見えないが、貴様……もしや天目一個か?」
「違うから、さっさと帰れ」
「天目一個」というのは、紅世の徒やフレイムヘイズを殺し回ったミステスだ。分かりやすく言うと、ハイパー化した坂井悠二のようなもの。その正体は贄殿遮那(にえとののしゃな)と思っていい。刀の贄殿遮那が自力で動き回る時の姿が「天目一個」だ。とは言っても「天目一個」=「贄殿遮那」という事実は知られていない。
「この借りは、いずれ返させてもらおう」
オレの頭の中で、ブチッと音がした。オレは何もしていない。愛染の兄妹が自動迎撃機能に引っかかって自滅しただけだ。オレを攻撃しなければ、こんな事にはならなかった。それを、まるでオレの責任のように千変は言う。オレの責任ではない。オレに襲いかかった、お前等の責任だ。
「オレが殺した訳じゃない。お前等が勝手に死んだだけだ」
思わず、言った。自動迎撃機能ではなく、自分の意思で殺意を放った。感情が漏れ出した。すると、ガクンと世界がズレる。辺りを見回しても、世界に目立った異常はない。ビルが倒壊した訳ではなく、車が横方向に吹っ飛んだ訳でもない。ズレたのは世界だ。紅世と呼ばれる世界と、この世界の繋がりが断ち切られた。こんなにも、あっさりと。
【表】
『坂井悠二。明日、そちらの家に行ってもいいか? いい物を拾った』
なんて電話があった翌日、平井さんは大きな剣を持ってやってきた。吸血鬼(ブルートザオガー)という宝具で、存在の力を込めると赤い波紋が現れるという。つまり存在の力を扱えているか否かが見て取れる。いまだ存在の力を扱えない僕にとって、とても助かる物だった。
「でも平井さん、これ凄く重いんだけど……」
「だからオレが持って来てやったんだ。存在の力を扱えるようになれば波紋が浮かんで持ち上がるから、それまで庭の隅にでも置いておけ」
「平井さんって存在の力を使えるの?」
「ぜんぜん。そこは自分で何とかしてくれ」
「だよね……」
こんなに重い物を素の力で、軽々と持ってきた平井さんにビックリだよ。平井さんが持ってた方が、この剣は役に立つんじゃないかな……いやいや、僕が存在の力を扱えるようになるために持って来てくれたんじゃないか。頑張らないと。そう思っていると平井さんは、キョロキョロと辺りを見回し始めた、
「あの子なら出かけてるよ。昨日の夕方に、すごく大きな地震があって。ニュースじゃ何も言ってなかったけど……」
「昨日、紅世との繋がりが切れたんだよ」
紅世? 紅世と言うと、紅蓮の少女と契約しているアラストールの故郷だ。こっちの世界で人を食ったりしている、紅世の徒の故郷でもある。その紅世との繋がりが切れた? それって大事なんじゃないかな。だって繋がりが切れたら、故郷に帰れなくなるじゃないか。
「ええっ!?」
「存在の力を感じ取れる連中は、地震のように感じたんだろ」
「あれ? でも平井さんって、存在の力を感じ取れないよね」
「まーな」
「それなのに地震の事を知ってるって事は……?」
「そこに辿りつくとは天才か」
「いったい何したの、平井さん!?」
「ムシャクシャしてやった。今は反省している」
まったく反省の色が見えない。
「まあ、目印となるベルペオルの右目があるから、蛇さんの帰還に問題はないんだがな。せいぜい新たな徒が来れなくなった程度の話だ。フレイムヘイズは喜ぶんじゃないか?」
僕を見ながら平井さんは言う。ベルペオルって誰だろう。誰かが、何処からか帰ってくる? 平井さんの言葉には謎が多い。そんな事を考えていると、平井さんは帰ろうとしていた。そんな平井さんを僕は慌てて呼び止める。もう用が終わったと思っている平井さんは不思議そうな顔をしていた。
「平井さん、今度ミサゴ祭りへ一緒に行かない?」
「行かない」
即答だった。僕の心は圧し折られそうになる。あれ? 僕って、平井さんの恋人じゃないの? もしかすると平井さんは祭りとか、そういう騒がしい場所へ行かない人なのかも知れない。でも、悩む様子もなく即答って如何なんだろう? 僕と一緒に行きたくないだけなんじゃないかな?
「ミサゴ祭りの日は「教授」が来るからな。オレは避難する」
「教授?」
「紅世の王「探耽求究ダンタリオン」だ。災害みたいな奴だよ」
「えっ、それって大変じゃないの?」
「放って置けば御崎市が消滅するな」
「そんなに!?」
「まあ、その頃には古参のフレイムヘイズが来てるから心配はいらない」
「そうなんだ」
「ああ、そうそう。そのフレイムヘイズが吉田一美に接触して「この世の本当のこと」を教える。止めるのなら早目にな」
「吉田さんが……」
吉田さんは平井さんとは違う。平井さんは「絶対に死なない不思議な安心感」があるけれど、吉田さんは普通の女の子だ。そんな吉田さんが「この世の本当のこと」を知る事に、僕は不安を覚えた……止めなくちゃ。吉田さんを危険に巻き込む訳にはいかない。フレイムヘイズと接触させちゃいけない。
「そのフレイムヘイズは子供で、傷痕を隠すためにフードを被っていて、布で覆われたデカい長物を持っている。まあ、そのフレイムヘイズを探すよりも、吉田一美を見張った方が早いだろう。ちなみに吉田一美が「この世の本当のこと」について知ると、お前がトーチだとバレる」
それは大問題だ。僕をトーチと知ってショックを受けるかも知れない。吉田さんまで非日常に踏み込んでしまう。それに僕を普通のトーチと思って、ショックを受けるかも知れない。普通のトーチは時間が経ったら消滅する。でも僕は「零時迷子」という宝具を宿しているから、消える事はないんだ。
「吉田一美を学校から自宅まで、送り迎えしたらどうだ? オレはやらないけど」
「平井さんは、いいの?」
「かまわん」
平井さんに許可をもらった翌日、登校した僕は吉田さんに送迎を申し出た。最近、街の一部が塩になる集団失踪事件や、人がミートボールになって見つかる猟奇殺人事件が起こっている……おそらく紅世の徒の仕業だ。徒を狩る紅蓮の少女も、見当たらない日が多かった。その事件を理由に使って僕は、吉田さんと一緒に登下校する事にする。
それにしても平井さんって、他人の目とか気にしないなぁ。授業を受ける時も登下校する時も、ずっとジャージのままだし……クラスの皆から「坂井とは別れたのか?」なんて言われても気にしない。一人で完成している。完結して、心を閉ざしている。でも僕には少し、心を許してくれているのかも知れない。
「坂井くん、明日のミサゴ祭り……一緒に行きませんか?」
「え? 吉田さん……でも僕には平井さんがいるし」
「坂井くんは平井さんと行くんですか?」
「いや、そうじゃないけど」
「じゃあ、私と一緒に行ってくれませんか? 一人じゃ寂しいと思います」
「うーん……返事は後でもいいかな?」
もしかして吉田さん、僕が「平井さんと別れた」って思ってるのかな。クラスメイトには、そう思われているのかも知れない。訂正しようと思った僕だけれど、それは出来なかった。その時、僕はフレイムヘイズを見つける。「子供」「傷痕を隠すためのフード」「布で覆われたデカい長物」という平井さんに教えてもらった容姿だった。遠く離れた場所から見ても分かるほど、存在感のある怪しい格好だ。
「貴方は知っているのですか?」
「彼女は知らない。話なら僕が聞く」
「そうですか。用があるのは彼女の方なのですが……貴方に話を通した方が良いのでしょう」
「ごめん、吉田さん。この子と話したい事があるから、今日は此所までで良いかな?」
戸惑う吉田さんを急がせる。そうして吉田さんが一人で帰って行く姿を見送り、僕は安心した。とりあえず吉田さんが、「この世の本当のこと」を知る事は防げた。でも、「とりあえず」だ。このフレイムヘイズは「吉田さんに用がある」と言った。これで終わりじゃない。
「あぁ、申し遅れました。私は儀装の駆り手、カムシン。これは……」
『わしは「不抜の尖嶺ベヘモット」じゃ』
「僕は坂井悠二です」
「この街を私が訪れた理由は、この街の歪みを直すためです」
( かくかくしかじか )
「つまり、吉田さん以外にも条件に合う人はいるんですね? 吉田さんじゃなくても」
「ええ、しかし出来る限り早く調律を行った方が良いでしょう。先日、空間震とも言える現象が起き、紅世との繋がりが断ち切られました。まあ、空間震というのは仮の名称ですが……震源地は、ここです。これ以上放って置けば、どのような異常が起こるのか予測すらできません。実際、空間震によって世界規模で「歪み」が増大しています」
「そんな事が……」
僕は、そっと目を逸らした。
「その件で他のフレイムヘイズや、興味を引かれた紅世の徒が、この街を訪れるでしょう。何か気付いた事があれば、私に相談する事をオススメします。フレイムヘイズには過激な手段を取る者も少なからずいますから」
「分かりました。それで吉田さんには――」
「あぁ……貴方を説得するよりも、別の方を当たった方が早いでしょう」
フレイムヘイズは吉田さんの事を諦めたらしい。その翌日、平井さんは市外へ避難した。フレイムヘイズと会って忘れていたけれど僕は、吉田さんと祭りへ行く約束をしている。フレイムヘイズの接触を防ぐためもあって僕は、吉田と一緒に祭りを見て回る。すると、どこかで存在の力が揺れ動いた。
【裏】
御崎市から避難したオレは、隣町の漫画喫茶にいる。祭りが終わる時間になったら帰る予定だ。両親には「ミサゴ祭りに行っている」と伝えてある。ここにオレが居るなんて誰も知らないはずだった……しかし、なぜか「千変シュドナイ」がいる。少し前に討滅された、愛染の兄妹と一緒にいた紅世の王だ。
「ここは御崎市じゃないぞ」
「知っている。今日は貴様に会いにきた」
「意味が分からん」
「貴様の能力は厄介だからな」
ふむ……なんの事だ? 愛染の兄妹の「揺りかごの園」を弾いた事か? それとも自動迎撃能力の事か? それとも紅世との繋がりが切れた事か? そもそも、なぜ千変がいる。御崎市で仕事している教授の手伝いへ行けよ。千変は戦闘能力が高く、オレに割り振られるような相手じゃない。
「それで、何のようだ?」
「貴様には御崎市から離れてもらう」
「星黎殿(せいれいでん)に連れて行く気か?」
「貴様のような奴を俺達の本拠地に連れて行けば、どうなるか分かったものではないな」
「……質問したオレが悪かった。お前が何をしたいのか聞かせてくれ」
「貴様が自在法を無効化するのは分かっている。貴様が居ると封絶を張れん。封絶を張らなければ俺達も行動が制限される。だからと言って下手に触れば、愛染の兄妹の二の舞だ。貴様は俺達からの連絡があった場合、御崎市から離れろ。貴様も戦いに巻き込まれたくはないのだろう?」
「つまり襲撃する時期を事前に教えてくれるのか。だがなぁ……お前達の行動は、だいたい分かるんだ。今日だって教授の起こす騒動から避難している訳だしな」
「ほぅ。その割には、俺が来ると分かっていなかったようだが」
「むぅ……できれば避難費用は出してもらいたい」
「教えてもらえるだけ有り難いと思え。さっそくだが、明後日まで御崎市に近付くな」
「明日じゃなくて、明後日までか」
本来ならば今日の夜、教授が撃退されて終了だ。しかしアニメ版は第一期の終盤で、翌日に敵の本拠地が転移してくる。あの戦いで封絶を張れなければ、フレイムヘイズにとっても紅世の徒にとっても大迷惑だろう。もちろんオレも、そんな危険な場所に居たくない。
「まぁ、いいか。上手く行けば、坂井悠二の望みも適う。でも親を説得したいから協力してくれ」
「断る」
「親を説得できなければ、外泊は不可能だ」
「自分で何とかしろ」
千変は帰ろうとする。その千変のスーツをオレは掴んで引き止めた。親を説得しなければ無理だと言っているだろう。避難費用を出せないのなら、そのくらいは協力してほしい。こんな事をしたら攻撃されるかも知れないけれど、それならば最初から攻撃を仕掛けていたはずだ。
「オレの考えたセリフを棒読みするだけでもいい。やってくれたら天目一個の正体を教えよう」
「……まあ、その程度ならば良いだろう」
やってくれるらしい。オレは自宅に電話をかける。坂井悠二の家に泊まるという設定だ。坂井悠二の父親は海外で仕事をしている。オレの両親も、坂井父と会った事はないはずだ。なので千変は、坂井悠二の父親という設定にする。千変シュドナイは電話を片手に、オレの書いたメモの内容を棒読みした。
「坂井悠二の父親だ。平井ゆかりは預かる。俺の息子には指一本触らせない」
「敬語で書いてあるだろ。ちゃんと読めよバカやろう」
【表】
「教授が来る」とミステスが騒いでいる。また、あの人間から聞いたらしい。他の奴ならば兎も角、あの人間が言った事だから判断に困った。狩人の宝具に関するヒントでウソは言っていない。あのヒントが無ければ、より苦戦していただろう。でも、あの人間にはフレイムヘイズを殺した疑いが掛かっていた。
「どうするの、アラストール」
『実際に事が起こらなければ対処は出来ぬ。どこに頭があるのかも知れぬ情報に踊らされるべきではない』
本当の問題は「教授」を倒した後に起こった。零時迷子を宿したミステスが、徒の集団である「仮装舞踏会」に奪われる。その前にミステスを破壊しようと試みた私だったけれど、あと一歩届かず怪我を負う。私の炎の剣はミステスが持っていた「火除けの指輪」で防がれた。贄殿遮那(にえとののしゃな)があれば届いていたのに……贄殿遮那を奪った、あの人間の顔を思い出して気分が悪くなった。
今この街には、私を育てたヴィルヘルミナがいる。街の一部が塩化して、フレイムヘイズが殺された事件。その後片付けをするために来たからだ。それと調律のために訪れた「儀装の駆り手」もいる。それと少し前の地震に引かれてやってきたフレイムヘイズもいた。
フレイムヘイズは一つの街に1人が居れば良い方だ。こんな風に、1つの街に4人も集まるなんて異常事態だった。でも、それ以上に異常な事が起こっている。空に浮かぶ「仮装舞踏会」の本拠地から、存在の力が尽きる事なく溢れ出ていた。早く止めなければ、この地が存在の力で溢れてしまう。
でも、私は素手だった。武器がなかった。贄殿遮那は人間に奪われた。炎の剣は使えるけれど、やはり実体が無いのは厳しい。贄殿遮那さえあれば、ミステスに届いていたのに……! そう思っていた私は屋根の上から、庭に落ちている物を見つける。拾ってみると、それは大剣型の宝具だった。存在の力を流すと、赤い波紋が浮かび上がる。
「これって……? なんで、こんな所に?」
『我等のいぬ間にミステスが拾ったのであろう。狩人の住処から持ってきたのやも知れぬ』
ちょうどいい。これを使おう。贄殿遮那には劣るけれど、無いよりはマシだ。それを持って他のフレイムヘイズと合流した私は、敵の本拠地へ向かう——なんやかんやあってミステスを取り戻した私は、封絶内に溜まった存在の力を消費するためにアラストールを顕現させた。
【表】
紅世の徒に誘拐された時は紅蓮の少女に殺されるかと思い、アラストールが顕現した時は死ぬかと思った。でも、「火除けの指輪」のおかげで助かった。今、僕の中には膨大な存在の力がある。でも、「転生の自在式」の起動条件が分からなかった。なんやかんやあって存在の力を扱えるようになったけれど起動しない。どうやら条件を満たさなければ起動しないように改変されているらしい。屍拾いラミーさんが言ってたっけ。
その翌日、平井さんが避難先から帰ってきた。平井さんを見ると、日常に帰ってきた気がする。吉田さんも紅世に関わる事はなかった。そういえば紅世の徒のせいで、祭りの途中で逸れてしまったから後で謝らないと……ああ、僕は守れたんだ。もう吉田さんの送迎をする必要もないだろう。その旨を僕は吉田さんに伝えた。
「坂井君……もしかして坂井君が私の送り迎えをしてくれていたのは、ゆかりちゃんに言われたからなんですか?」
「うん、そうだよ。最近あぶないから送り迎えしてやれって」
そう言うと、吉田さんの様子がオカシクなった。青白い顔になって、ガタガタと震える。僕が声をかけると泣き出して、僕から逃げて行く。その尋常ではない様子に、僕は訳が分からず驚いた。本当に、どうしたんだろう? クラスメイトにも「吉田さんに近付くな」と言われて拒絶される。その放課後、僕は平井さんと一緒に下校していた。
「そうだ。平井さん、転生の自在式の起動条件が分からなかったんだけど……」
「ああ、それか」
平井さんは僕に顔を寄せる。そして何気ない仕草のまま、僕に唇を付けた。僕の唇に、平井さんは口を付けた。掠るように、触れた。突然キスされた僕はパニックに陥る。すると僕の体は光に包まれた。一瞬の後、いつもと変わらない姿に戻る。胸に見えていた灯火(トーチ)も、そのままだ。なにも変わっていない。
「え? え?」
「おめでとう、坂井悠二。これで、お前は人間だ。まあ正確に言うと、人間に戻ったのではなく、この世にトーチとして定着したのだがな。これで零時迷子に頼らずとも存在を維持できるぞ」
無表情の平井さんが、やる気なそうにパチパチと手を叩く。それでも嬉しかった。人間に戻れた僕は涙を流し、平井さんが祝福する。嬉しくて、嬉しくて、僕は平井さんを抱き締めた。平井さんが僕の腕から脱出しようとジタバタと暴れるけれど、本気で逃れようとはしていない。やがて諦めたのか平井さんは大人しくなって、僕の背中をポンポンと叩きながら側にいてくれた。ずっと側にいてくれた。
▼『八鍵 嘯』さんの感想を受けて、『吸血鬼の能力が「血色の波紋が刃に揺れる」がメインではない件』を修正しました。
「だからオレが持って来てやったんだ。庭の隅にでも置いておけ」→「だからオレが持って来てやったんだ。存在の力を扱えるようになれば波紋が浮かんで持ち上がるから、それまで庭の隅にでも置いておけ」