咲-Saki- もし咲が家族麻雀で覚醒してたら 作:サイレン
「昨日は散々な目に逢いました……」
一夜明けた翌朝。
早朝ランニングを終えた後の和の第一声がそれだった。
どうやら、咲のいつも以上の全力オーラに部員全員がばたんきゅーした後、咲の奥の手である“癒”のオーラで復活させられたらしい。
らしいというのは、詳しくは覚えていなかったからである。気絶中、何処か心地よい旋律が響いてきて、暖かいものに包まれていた感じがあったのは微かに記憶にあるのだが所詮それだけで。気付いたら全員が目を覚ましていた状況だったのだ。
その後も夕食を食べたはいいが、尋常でない疲労のために咲以外がすぐに就寝してしまった。一日目の終わりは本当にいつの間にか訪れていたらしい。
合宿は二日目。今日は丸一日特打の予定である。
「部長、少しいいですか?」
「何かしら?」
許可を得た咲は何やらゴソゴソとバックを漁り、ルーズリーフを取り出した。
その用紙にはギッシリと文字が書き込まれている。
「はい。みんなが寝ちゃった昨日の内に、今の時点でのみんなの改善点をまとめてみたんですが……」
「何それ面白そう、ちょっと聞きたいわね。聞かせてちょうだい」
久を含めて、部員全員咲の観察眼の精度の高さについて知っている。
咲のそれは対局相手の技をコピー出来るような非常識で凄まじいものなのだ。
その観察眼から分かる改善点と言ったら、確実にためになるだろう。知っておいて損はない。
「では、まず部長から。部長は特に問題点らしいものはありません。あの悪待ちは十分武器として機能していて、地力も高いです。先日訪れた白糸台高校の全国レベルメンバーにも決して見劣りしません。改善点を挙げるとしたら、公式戦の経験不足とかそんなのではないかと思います」
「……聞き流そうかと思ったけど、咲、あなた白糸台高校に行ったの?」
「はい。言ってませんでしたっけ?」
「……えぇ、初耳よ」
飛び出てきた重大な出来事に頭を抱えそうになる久であったが、もう注意するのすら面倒である。
もうこの娘は放任形式にしようと決めた瞬間でもあった。
「まぁ、いいわ。ありがとう咲。じゃあ次、ドンドン言ってみて」
「では。次は染谷先輩です。染谷先輩は対局経験がこの中でズバ抜けているようなので、上手いだけのベテランプライヤーにはまず負けないかと思います。ただ、今まで対局したようなことがない相手、例としては二つです。私のような特殊な打ち手か、京ちゃんのような素人、このようなタイプには足下を掬われる可能性があります」
的を得た指摘にまこは感心したように声を漏らす。
咲の言う通り、この中で最も実際の対局経験が多いのはまこである。ネット麻雀という面では和の右に出る者はいないが、あれはあれでリアルとの差異がある。それを考慮しての咲の判断であった。
「なるほど、つまりわしはもっと多くのレパートリーを増やせばええんか?」
「はい。それで問題ないと思います」
部員数の少ない清澄では対応しにくい課題であるが、いざとなれば雀荘巡りで済む問題でもある。まこの強化もこれで解決されるだろう。
本題はここからであった。
「次は優希ちゃん。優希ちゃんは自分でも分かっているように東場では強いです。ただその東場でも、部長のようなアブノーマルな打ち手相手だと攻めきれていない場面が多いです。あと南場では失速するので、こっちは東場で得た点を守りきるスタイルがいいかと思います」
「つまり優希は東場での力の増強と、南場での守備力強化ということね?」
「そんな感じですね」
「それが簡単に出来たら苦労しないじぇ〜」
机に突っ伏してぶーたれる優希。最近中々勝てないことが続いている彼女はスランプ気味であった。
だが、咲の観察眼は何も実力を見極めるだけのものではない。優希の心情すら理解していた。
だからこそ、解決策も用意してある。
「大丈夫だよ、優希ちゃん」
「何か良い方法があるのか!?」
「うん! それはね──」
咲はニッコリ笑顔で言い放つ。
「私が魔改造するから問題ないよ!」
「誰か助けてぇぇぇ!!!」
今日が優希の命日になるかもしれなかった。
「最後に和ちゃん。和ちゃんはデジタルにしてはミスが多いです。きっと本来の実力の半分も出せていないでしょう。それさえなくなれば下手なプロになら勝てるくらい強いはずです。何故そうなのかはよく分かりませんが、おそらくは集中力が足りないのではないかと思います」
「そんなことはないと思うのですが……」
「でも、手応えを感じてないときあるでしょ?」
「……確かにあります」
でしょ? と、咲が確認する。
和も思い当たる節があるのだろう。勿論、普段の対局で手を抜いたことなど一度もないが、どうにも違和感が残っていたのもまた事実だった。
「分かりました。少し意識してみたいと思います」
「うん、私もそれがいいと思うよ」
これで確認が終わった。
かに見えた。
「……あれ、俺は?」
「京ちゃんは経験不足過ぎ。せめて自分のスタイルを獲得してないと、私としても助言できない」
「……そんなぁ〜」
咲は容赦無かった。
「ありがとう。とても参考になったわ」
この短時間で各メンバーの問題点を把握し、なおかつ解決案まで考えられている。やや無理やりな解決策もあったが、やはり咲の観察眼は並大抵のものではない。
「咲の言ったことも参考にしながら、今日のメニューを考えているわ。元々この合宿のメインテーマは部員の実力の底上げが目的だからね」
(まぁ、咲が更に強くなるとは思ってなかったけど)
思わぬ収穫ではあったが、棚ぼたには違いなかった。
「じゃあ、まず優希。あなたはこれ」
「ふぇ? なんだじぇこれ?」
「算数のドリル」
「えぇぇー⁉」
優希は単刀直入に言ってバカなので、点数移動計算が雑だった。団体戦においては互いの点数の把握は最低条件なので、この欠点は致命的である。麻雀の実力とか言う以前の問題であり、絶対に身につけなければいけない類いの改善点であった。
久のこの判断は至極妥当なものだろう。この辺りは咲には思い付けない。
「次に咲」
「はい」
「咲はもう、今の段階でも最強と言ってもいいわ。でも少し能力? に頼り過ぎている面がある。だからあなたにはネット麻雀を打ってもらうわ」
「ネット?」
(パソコンとか触れたことすら無いんですが……)
久曰く、牌の情報以外なにもない状態で打ってみれば、今まで意識したことのないものが見えてくるかもしれない、とのこと。
確かに白糸台に行って姉の照と対局したときも、同じことを咲は言われていた。
「でも私、パソコンとか持ってませんよ?」
「だいじょーぶ! ほら須賀くん」
「フフフフ……やっと俺の出番ですね!」
京太郎は行きで持って来ていた、無駄にデカイ荷物の中身を披露する。そこにはなんと、部室に備えてあったデスクトップ型のパソコンが入っていたのだ。
ノートパソコンがないからと、久にお願いされてわざわざ持ってきたらしい。
その努力は認めよう。献身的な彼はこの部に無くてはならない存在である。
凄い、本当に凄い。だがアホであった。
(よくそんな重いものを……すっかりパシリだな京ちゃん)
可哀想なことに、京太郎の苦労は本人からは感謝すらされないのだった。
「最後に和。和は咲が言った通りミスの多さが目立つわ。あなたはネット麻雀ではそれこそプロ顔負けの力があるわ。でもリアルの対局ではネット麻雀ほどの成績が出せていない」
「やはりそうなのでしょうか……?」
和はリアルの麻雀では、周りの情報量の多さに惑わされて普段の実力が出せていないのでは? とは久の推測だ。
そのためそれらを気にせずに打てるようになれば、ミスも減るはずとの考えだった。
「あっ、それなら私に一つ提案が」
「なになに?」
「和ちゃん。昨日から気になったんだけど、あのペンギンなに?」
「あ……あれはエトペンです」
エトペンとは、要はペンギンのぬいぐるみである。
和はそのぬいぐるみがあると、気持ちが落ち着くらしく、更に言うとこれがないと夜も眠れないらしい。
優希とまこにはお子様だとバカにされているが、咲は全く違うことを思っていた。
(てか、和ちゃん。キャラ付け豪華過ぎじゃない? 美少女、ツインテール、巨乳にぬいぐるみ? 私なんて麻雀抜いたら文学少女に貧乳に角だよ、角……何、角ってホント……」
「咲さん? 何をブツブツいっているんですか?」
自重していたはずだったが、どうやら文句が口から出ていたようだ。何でもないよー、と咄嗟に誤魔化す。
女性的な魅力で和に勝てる気がしない。唯一勝てるのなら女子力くらいだろうか。
料理の腕ならそこそこ自信を持っている咲であった。
咳払い一つで話しを戻す。
「それで、そのエトペンがあると家でネット麻雀をやっているような感じになるんじゃないかと思うんですが」
論理もへったくれもない意見だったが、
「なるほど、一理あるわね」
と久も乗ってきた。
「というわけで、和。今日はそのペンギンを抱いて打ってちょうだい」
「……えぇっ⁉」
……数分後。
「くっ……ヤバイ、くくっ、和ちゃん、ちょー可愛いよ……」
「……咲さん、建前はいいですから本音は?」
「いや……ぷっ、くく……可愛いのは、くっ、ホントだけど……やっぱダメだ。アハハハハハ! いやホント可愛いすぎだよ和ちゃん! アハハハハハ! あーお腹痛い……アハハハ!」
(この娘、最低だわ……)
自分で提案したくせに、ここまで笑うとは。まさに悪魔の所業である。
久ですら、からかわずにスルーしてるというのに、咲は問答無用で腹を抱えて爆笑してた。客観的に見て今の咲は相当に酷い。
大人しめの文学少女のキャラが最早壊れてきていた。
「うぅ〜、やっぱりこんなの恥ずかしくて無理です!」
「……それはダメだよ和ちゃん」
「咲さん?」
駄々をこね始めた和に、さっきまで爆笑してた咲が、急に真面目な顔になり和に待ったをかけた。
和は和で、咲の急な態度の変化についていけていない。
その状況の中で、咲は語り始めた。
「和ちゃん。私はね、お姉ちゃんに会って、それで勝つために全国へ行きたいの。和ちゃんは?」
「わ、私も全国に行きたいです」
「そうだよね。それで和ちゃんに聞きたいんだけど、全国には個人戦だけで行ければいいの?」
「そんなことありません! 私はみんなで全国に行きたいです!」
思わず叫ぶように否定する和。
咲もそれが分かっていたかのように、柔らかい微笑みを浮かべる。
「うん、私もそうだよ。ここにいるみんなで全国に行きたい。京ちゃんと、優希ちゃんと、染谷先輩と、部長と、そして和ちゃんと」
「咲さん……」
和は若干の驚きと感動に包まれていた。
最近自由奔放だと分かってきた咲が、まさか自分と同じ気持ちを持っていたなんて、と。
「でも、それにはみんなで強くならないといけないの。私一人の力ではみんなで全国には行けないの。みんなの力が必要なの! なのに! それなのに和ちゃんは、恥ずかしいからって理由で、強くなる可能性を放棄するの?」
「そ、それは……」
痛いところを突かれた。
和はその問に対する明確な答えを持ち合わせていなかったのだ。だからこうして狼狽えてしまっていた。
咲の追撃は止まらない。
「みんなで全国に行きたいと、強く思ってたのは私だけだったの? 和ちゃんの思いはその程度だったの?」
「……そんなことありません! 私も絶対、全国に行きたいです!」
売り言葉に買い言葉。
気付けば和は、反射的にそう言ってしまっていた。
「なら、和ちゃんなら分かるよね? 和ちゃんがどうすればいいか……」
咲は和の両手を束ねて握り締める。
想いの篭もった熱意ある言葉と、暖かく心地の良いその感触に、和の迷いは溶かされてしまった。
それが、悪魔の囁きであることに気付かずに。
「……分かりました。私、エトペンを抱いて打ってみます!」
「──ありがとう和ちゃん。絶対に全国に行こうね!」
「はい!」
笑顔で誓い合う美少女二人。
(……この娘、ホントに恐ろしいわね。あの状態から和を丸め込んだわ。手口が詐欺師同然だったけどね)
『全国』と『みんな』と『思い』という言葉を強調して、和を見事説得してみせた咲。
一時のテンションに身を任せた和は、きっとこれからずっと羞恥心と闘う羽目になるだろう。全ては何食わぬ顔でそこにいる悪魔の所為である。
その悪魔である咲は、
(こんな面白いもの、やめさせたらもったいないよね! うん! あー、笑い堪えるの大変だったー)
確信犯であった。
「さぁ、それじゃ始めるわよ!」
二日目も、波乱万丈な気配を漂わせていた。