IS 灰色兎は高く飛ぶ   作:グラタンサイダー

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75.身を振らされたなりの返し方 ②

「(躱された!)痛い!?」

「行きますわよ静穂さん!」

「!」

 PICとパワーアシストの出力を調整、壁面を手は掴み足は蹴る。静穂は身体を壁面の上部にスライドさせた。

 セシリアの狙撃が脇腹を掠め壁面を叩く。脚部推進器を収納し二発目より先に駆け出し、挌技場の壁面を疾駆する。

 その間も狙撃が止む事はなく、時折の予測射撃を織り交ぜられて静穂は壁面を鉤裂き状に走り回避に専念。推進器・PIC・パワーアシスト。三つの要素を最大限に作用させ挌技場の壁面を走り続ける。走り続ける最中に支柱がライフルの射線を遮るが、ティアーズがその穴を埋めるように回り込んでくる。

 全方位射撃。離陸させるまいと静穂を狙う射線が一から五に増え、いよいよ以て進退窮まるかという状況になったところで静穂が動く。

 拡張領域の発光、ラビットから。

 セシリアが警戒するでもなく包囲網を絞って来ているのが判る。呼び出した物が彼女にバレている、というより判りきっているからだ。

 呼び出したのは当然のハンドガン。

 走りつつの発砲。ティアーズの子機へ着弾、射線をずらして間隙を走り抜けた。

「そんな!?」

 セシリアが思わず声を上げる。何を驚いているのだろうか。静穂(わたし)は今、()に足をつけているというのに。

 ティアーズの包囲網を抜けて静穂は加速する。長円状の挌技場が競輪場に取って代わったかのようだ。独走する静穂、後を追うティアーズ。計器では時速50kmを越えた。競輪選手がバンクを駆け上がる際に必要な速度が平均時速60kmと聞くから、地の力で垂直の壁面を走るには遙かに足りていないのだろう。よってまだ伸ばす。

 足りないのだ、まだ、目的の為の手段まで――――と、次の瞬間。

 気づいた。一基違う。自分を追う子機が一基、レーザー基からミサイル基、セシリアの直掩基とすり替わっている。

 その回答とばかりに正面、静穂の進行方向上にそれがいた。

 簡単な話だ。挌技場は長円形、進行方向は大まかであれ一定。ならば待てば勝手にやってくるというもので。

 かつてIS学園入学当時、静穂が一夏と戦った時の、初めての模擬戦を思い返す。あの時もこうして一夏に待ち受けられた。

 ――後方のティアーズ三基が追いつき、親機のセシリアも加わり静穂の包囲を狭めその銃口を輝かせ、

 それを見るでもなく静穂は足を突き出し、

 

 

――セシリアの予測を追い抜かせた――

 

 

 PIC抜き、力任せの一零停止。時速100kmを越えた状態から踏みこみ壁面に亀裂を走らせてその場に留まる。ティアーズの射線が静穂の眼前で交差した。

 手段は為した。目的は今。静穂が漸く空を飛ぶ。

 ハンドガンを拡張領域に放り込み、次いで呼び出すは近接ブレード、インターセプターを二振り。

 それを重ねて握り込み、セシリアの懐へ目がけ呼び出した右脚部のみの瞬時加速。

 重心と推進器の位置から瞬時加速がうねりを打つ。ティアーズからの射撃をそれで躱し肉薄、浴びせるように重ね持ったブレードを流れに任せ振り下ろし、受け流される。

 同じくインターセプター。たった一振りのそれでセシリアは刃面で刀身を滑らせ回避して見せた。

 舌打ちも後悔も後回しにして静穂は本来の一零停止からその場で回旋(スピン)。袈裟を下から上がる軌道で斬りかかるも、既にセシリアはその場に居らず、

 ――視線を巡らす事数瞬、僅かに彼方、瞬時加速で距離を取りティアーズ子機を纏めて収納するセシリアの姿がそこにはあった。

 

 

――オートクチュール、ストライク・ガンナー・パッケージ――

 

 

 ティアーズ全子機を純粋なる推進力のみに転用、追加ハイパーセンサーをその美貌に落とし、普段使いのライフル片手にもう一丁、2メートルを超す銃身の一丁を抱えて彼女は加速した。

 スピード勝負。静穂は乗った。

 拡張領域から銃器を呼びだしブレードと急ぎ入れ替える。銃身だけならばセシリアのそれに張り合える重機関銃を二丁、拳銃のように容易く構え突撃する。

 銃火が瞬く。射線と射線、方や光条、方や硝煙。

 空気に混ざる火薬燃焼の匂いとBTが空気を灼いた後の熱が挌技場に薄く広がっていく。

 柱を避けるでもなく軌道を変え、銃身で鍔迫り合いが出来る距離、最小半径の円状制御飛翔(サークル・ロンド)で挌技場内を蛇の如く駆け巡る。

 互いに全力、制約は今はほんの少し。

 普段の模擬戦よりも此処は戦場に近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」エッタが目を覚ました時、その一室に普段の静謐さは感じられなかった。野戦病院の如く死屍累々とした医務室、目立った外傷を持つ者こそ少ないものの一様にその気分は晴れたものではない。

 頭痛、吐き気、脳震盪、一部に打撲や擦過傷。シズホ・ミギワによる徹底された打撃の後遺症が彼女ら訓練生の身体を苛んでいた。いや口を塞ぐ理由としてはそれだけではないのだが。

「エッタ様」普段より彼女を気遣う下流階級の面々がベッドから起き上がろうとするエッタに手を差し伸べた。「脳震盪だそうです。あまり動かない方が」

「……みたいね。酷く気持ち悪い。誰か、水は何処か教えて」

 自分の足でベッドから抜け出そうとするエッタ。周囲は彼女に自身を起き上がらせるのみに留めさせ、代わりに水を紙コップで手渡す。

 上流階級らしからぬ態度、下流の彼女らに本心から礼を言ってエッタは水を飲み干すと、「ラビットは?」

『…………』

 その質問に面々は押し黙る。それを見てエッタは周囲を見渡し、「そう、()()()()()()()()()()()

「いえ、そうではなく」

「え?」

「……ミス・オルコットが出撃されました」

 下流階級の一人が携帯端末で、それまでエッタが戦っていた筈の挌技場を映し出す。

「…………」それに映し出される映像を、エッタはさもありなんといった感想で受け止めた。

 ――長い得物で交わされる近接銃撃戦。多少の被弾すらもなく、遮二無二にシールドを削り合う為の攻防が続く。

 時に銃口より内側に身を置く事で射線を躱し、背中合わせとなれば互いにハイパーセンサーの全天周視界に身を任せその背後を狙い打つ。

 水平方向に上昇する円状制御飛翔。それでいて壁面はおろか柱に触れもせず軌道を変え、回避する。否、うねる螺旋を描く彼女らにとっては回避するという思考はないのだろう。唯単純に、車で緩やかなカーブを曲がるような気持ちですらないのだろう。

 彼女らの世界には三次元という概念すらないようだ。()()高さ()の三本の軸、うちZ軸が彼女らは常に変動し、回転している。

 彼女らの世界に天地はなく、床はおろか天井も壁も全てが足場であり檻でしかない。

(格が、違いすぎる、……)

 紙コップを握り潰し、シーツを握りこむ。悔しいと思う事すら許されない程の格差が画面に映っている。

 これは演舞だ。見せつけであり、見せしめだ。

(あんな機動、私にはまだ……!)

「エッタ様だけではありません。皆が同じ気持ちです」

「……だといいけれど」

 上流階級としては新参のセシリア・オルコットと、何処の馬の骨とも知れないシズホ・ミギワ。

 この二人に、たった二人に、彼女らのほぼ全てが打ち砕かれ続けていく。砕かれていないのは実際に相対していない面々のみで、相対した者の中にはもう飛べない、飛びたくないという者も出てくるだろう。

 言い過ぎかもしれないがそうとも言えない。今回で良く判った。この場の面子は皆、その階級に甘えていて打たれ弱すぎる。

(私は、違う……!)

 決して学園の入試倍率に気圧されたのではない。自分でこの道を選び、勝ち取り、そして選ばれたという自負がエッタの身体を無理にでも動かす。

「肩を貸して。直に見ないと意味がない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――駆け巡る銃撃戦、飛翔(ロンド)が続く。

 互いに被弾なく駆けるというのは、その実にある程度の技量と()()、そして根気と継続する為の集中力が必要となる。

「――暖まった?」静穂が不意に聞いてきた。ライフルで鍔迫り合いの最中である。

「ええ。お待たせしましたわ」セシリアがそう返す。

 そう、ここまでがセシリアの準備運動。静穂が訓練生を殴り抜いたように、セシリアは静穂と、これまでの円状制御飛翔で漸く一人と一機の暖機運転が完了した。

 つまりはここから。ここからが二人の、IS学園の模擬戦、その本領。

「――いつでも」

 セシリアがそう言うと、それを聞いた静穂の義眼が潤んだ気がした。「だったら!」

 義眼が輝いた直後、静穂が消える。

(月下乱斧! 距離を?)

 ではないと確信しバレルロール。寸前までの位置に静穂が近接ブレードで斬りかかり下方へ抜けた。

「!?」

 思わず虚を突いた形となる。無防備な背中へライフルの一撃。命中した直後に静穂が再度の跳躍。

(今度こそ距離を取る、ではありませんわね!)

 二度目のバレルロール。流石に合わせてきた静穂にこちらも合わせてくる。打ち下ろされる脚部装甲の浴びせ蹴りをブレードで受け止め、そのまま挌技場の床面へ追いやられる。

 激突の寸前で一零停止。逆手に握られたブレードがセシリアを突き刺しに掛かり、それを瞬時加速で回避すると、足下で静穂の持つブレードが床に突き刺さりラビットの膂力(パワーアシスト)に負けて砕けるのが見えた。

 静穂がブレードの破片を掴み手裏剣のように投擲。何の事はなく腕部装甲で弾くと月下乱斧で肉薄され、その脚部装甲を突き込まれる。

 セシリアが地を蹴った。続いて静穂の伸びた脚に着地、回旋。

 捻りの入ったブルー・ティアーズの装甲が急ぎ仰け反る静穂の顎を掠めた。

 その隙に通常加速、熱で静穂を退けつつ距離を取り、セシリアが得意とする狙撃の距離へ。

 躊躇わず連射。弾着を無視して撃ち続ける。まあ外しはしないのだが。

 静穂が応射するまでに四発の着弾を確認し移動する。急ぎすぎたかと反省しつつ、重機関銃の弾幕から逃れ周囲の柱を盾にしてシールド残量を確認する。――危険域にはまだ遠い。彼女を相手にして油断は決してできない数値ではあるが。

「!」

 首を捻り曲げる。シールドを削りブレードが柱に突き立つ。月下乱舞斧による奇襲。

 ブレードに罅が入る。避けた首へ向けて柱を削る。

 セシリアは天地逆様に回る事で躱し、勢いそのままの回し蹴りを避けさせる。

(!?)

 奇妙な事が起こった。避けられる事前提の蹴りがまともに静穂の頬を打ち据える。普段ならば月下乱斧で避けるものを。

 この期を逃がす訳にはいかない。咄嗟に両手のライフルがBTを放つ。直撃弾が数発、それで漸く静穂は月下乱斧で回避、挌技場の床面へ逃げる。

 ここでセシリアは自分の距離を捨て、ブレード片手に突撃した。

 軟着陸の為に推進器を噴かす静穂に対して上から得物を振り下ろす。

 静穂にブレードで受け止められるも罅目がけ正確に撃ち込んだ一閃により砕き、足下まで一気に斬り下ろし著しくシールドを削る。

 返す刀で胴への横薙ぎ。拡張領域の発光、その中身により防がれる。オートマチックのハンドガン。

 ブレードを弾くと同時に静穂が発砲、正確な狙い故に避けやすく、僅かに首を傾げて避ける。

 ストライク・ガンナーに火を入れ回旋、勢いを付けた回転斬りでハンドガンを輪切りにし、後ろ回し蹴り。

 月下乱斧。ハンドガンだった金属を残し静穂が僅かに後方へ跳躍、これは回避ではないと気づくも遅く、瞬時加速込みの中段回し蹴りが間一髪間に合ったブレードに着弾する。

 セシリアのブレード、インターセプターに亀裂が走る。

「蹴球ラビットキック、」

「――――!」

「――飛んでいけぇっ!!」

 振り抜かれた右脚、折れたインターセプター、彼方へ追いやられるブルー・ティアーズ。

 自分の距離を捨てた代償を手痛く受けたセシリアが姿勢制御に躍起になり、静穂は拡張領域から重機関銃を取り出し発砲。銃種故に有効打こそ少ないが一発一発が強くセシリアのシールドを損耗させる。

 弾切れまで撃ち続けられた重機関銃がスナップにより銃身を握られ鈍器と化す。フェイントの入った月下乱斧で接近され、重機関銃が大上段から振り下ろされる。

 だが届かない。光学ライフルが至近で放たれ重機関銃が砕け散り、静穂は新しいハンドガンに切り替える。

 拳銃の距離。ライフルは嵩が張り過ぎる。()()()()()()()()()()

 月下乱斧の事は考えずライフルの柄で静穂の顎を打ち抜いた。

 空中でたたらを踏む静穂に、今度はセシリアが脳天にライフルを振り下ろし、墜落させる。

「踊りなさい! ワルツを!」

 全ティアーズ子機が閃く。墜落寸前で踏みとどまった静穂が回避に掛かる。ティアーズによるBTの射線が地に線を描き、身を捩り躱し推進器の装甲を盾に逃げる静穂を責め立て、その装甲を灼く。四の熱線と一の銃撃が描くラインと装甲の擦れた火花、光学ライフルの点描とミサイルの爆発痕が地面へ断続的に刻まれていく。

 対して静穂の対応は実に素早かった。拡張領域から取り出したるは円筒形、握ったまま親指でピンを抜き床面に叩きつける。

 着火と同時に爆風、白煙が吹き出した。

(煙幕! 拙い!)

 彼女を危険域の状態で思考させてしまう。許した場合は彼女の脅威が跳ね上がる。

 煙幕が濃く広く、爆発音が続く。スモークグレネードを幾つも作動させているらしい。煙幕の中を探るようにティアーズ子機でちょっかいを掛けるかの如く撃ち込むが、着弾の手応えは見受けられない。

 完全に後手に回った。せめて煙幕との距離を取り、静穂お得意の距離から離れ警戒する。彼女本来の距離はハンドガン、拳銃の距離。その間合いを月下乱斧は自由に往き来を可能とする。それも転移(テレポート)由来、瞬時加速もかくやという速度で実質の小回りも利くという利便性の良さだ。

 対してこちらは不利。彼女の速度に追いつく、否、引き離してこちらの、ライフルの距離に持ち込むにはストライク・ガンナーを常時使用せざるを得ず、ブルー・ティアーズお得意の全方位攻撃と手数を駆使する事が叶わない。ひょっとすればもう煙幕の後ろを通って肉薄しているかもしれない。それはないと考えるのはこれまでの経験と傾向の予測、ある種の信頼によるものだ。

 煙幕の向こう、静穂の様子は見られないが彼女の事、こちらのシールド消費量も計算して策を練っているだろう。

 静穂の取るであろう手段としてはやはり近接、格闘戦。それも一撃で勝利を掴むような大振りの右ストレート。つい最近まで折れていたというのに随分な頼りようだ。おかげで読みやすいが心配でもある。

(推進器は取り外して単独飛行が可能……)

 となれば最大五つの方向から煙幕を突き出して彼女は迫ってくると考えられる。こちらは数を揃えて命中精度を上げ、迎撃して撃ち落とした後に掃射を加え、この勝負を終わらせる。

 そうと決め、推進器の出力を絞り、ティアーズを自己の周囲に滞空させて迎撃の態勢を整える。

 ライフルを正しく構え、スコープ越しに煙幕の向こうを睨んだ。

 

 

(あぁもう。あぁ、もう、……)

 煙幕の中、床に片膝をつき、肩で息をしている。前後不覚まではいかいないが頭を揺さぶられ続けた影響が諸に出ている。銃撃を貰いすぎた。シールドにより致命傷こそないものの、その衝撃はある程度静穂に届く。通常ならば打撃銃撃に絶対的な防御力を誇るはずの流体装甲がティアーズの射撃を緩和できていない。

(BTは、ラビットの装甲を無効化する)

 判っていた事だが貰いすぎた。月下乱斧を下手に温存した結果がこれだ、機体(ラビット)が如何に優秀でも搭乗者(しずほ)の能力が低すぎる。

 ブルー・ティアーズの光学ライフルは便宜上光学と呼称しているだけで、発射されるものは通常に出回っているそれらとは異なると聞いた覚えがある。いわばBTライフル。それはイギリスが心血を注ぎ、弾道を曲げるという銃器使いの一部が思い描く軌道の為に生み出された第三世代兵装は、グレイ・ラビットにとって天敵とも言える効果を生み出している。

 実体、半非実体、そしてBT。大まかに三種の飛び道具の内前二つをラビットの流体装甲は無効化するが、最後のBTエネルギーは確実にシールドを削り、その衝撃を静穂に与えてくるのだ。堪ったものではなく、要するに勝てない。

(どうする?)「――――、」(どうする)

 思考がまとまらない。いくら呼吸しても酸素が足りない。酸素の欠乏が今まで溜め込んだ自制心に()()()使()()と言ってくる。

(…………)

 ここは師の母国、ホームグラウンドだ。彼女に花を持たせるという思考があるにはある。

 しかし勝てる時に勝っておきたいと思うのは、果たして悪い事だろうかと。

 

 

「…………」セシリアがハイパーセンサーよる広範囲の視界で月下乱斧を警戒していると、「!」

 煙幕の帳を機影が突き破った。数は五。

「(予想通り!)ティアーズッ!!」

 ティアーズ各基がそれぞれ四方の機影を打ち据える。グレイ・ラビットの両足両耳、推進器のみがあらぬ方向へ弾かれる。

「ならば最後が!」

 一丁のBTライフルをしっかりと構え、寸分違わず撃ち抜いた。

 

 

――五基目の推進器を――

 

 

(五基目!?)

 驚愕するセシリア。その表情を僅か下から覗き込むように静穂が月下乱斧の連続使用で肉薄。あろう事か更なる()()()を足場に、その表面装甲が凹みひび割れる程に踏み込み、右の拳を後方に振りかぶっている。

 義眼と目が合う。引き絞られた右腕がこちらに向けて、砲弾のように飛んでくるのが判る。

 咄嗟の事だった。ティアーズ全基を楯に並べ立て、ラビットの拳を受けさせる。

「ティアーズ!!」

 拮抗する。ほんの数秒。

「……ラビットパンチは、」

 ラビットの装甲に(ライン)が走る。パワーアシストがその謳い文句を実現すべく稼働する。

「30トン!!」

 ティアーズ子機が、拳との接点を持った基がくの字に折れ曲がり一撃を通す。

 セシリアを突き飛ばす打撃。彼女の思考を読むなら本命はこの後。

(わたくしを壁に、退路を断った後!)

 壁ではないが柱に激突、圧迫された胸部から息が吐き出される。ラビットの推進器が陽炎の如く周囲を歪め、その圧を解放した。

 瞬時加速。最後の右ストレート。自己を仕留める最後の一撃。

 それを見たセシリアの身体は脳内物質が時間を引き延ばし、生存本能がかき立てられ、ブルー・ティアーズはそれに応える。

 

 

 ――瞬時加速(イグニッション・ブースト)。静穂の足下を掬い抜けた――

 

 

 

 

 

「(避けられた)――――」

 渾身の一打、その筈だった。それをあろう事かイナバウアー、仰け反った瞬時加速で足下をくぐり抜けて行かれた。実際、セシリアのいた場所では柱が砕け、皆既月食の始まりのように体積を減らしている。

 瞬時加速の直後に最低限の部分のみを残して収納し、ISの表面積を削減してすり抜けるという、シールドなしで地に激突すれば紅葉おろしどころではない所業。まるでお株を奪われたような気分だ。別に自分が自殺行為を得意としている訳ではないのだが。

 足下を抜けていったセシリアをハイパーセンサーで捉えつつ、静穂は驚愕もそこそこに彼女が瞬時加速で抜けていったまま、まるで曲芸のような姿勢でこちらに銃口を向けた事を確認し、

 月下乱斧を行使しようとして、拳を振り抜いた右腕がまるで電流が走ったかのように痙攣したのを感じると、

「あ、駄目だこれ」

 諦め努めて冷静に、背に最後の一射を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――更衣室、備え付けのソファに腰掛けた膝の上に頭を乗せて眠る、静穂のその細く長い髪を指で梳くセシリアに知る由はないが、事実エッタの推測は当たっていた。見せつけであり見せしめ、IS学園の現状(レベル)を知らしめ、この自己存在証明によってセシリアと静穂の格を位置付けるという推測は。

 だが流石に二人の心の内までは読めない事だろう。本来ならば怒りに委せこのような茶番に興じなくともそれはそれで許される筈だ。それだけの事をこの研究所の大人達は行った訳で、その行動を若さと断じ叱咤する権利を彼・彼女らは放棄していると同じだからだ。

 では何故セシリアはあの時、静穂と訓練生らのぶつかり稽古の時点で止めず、自己との模擬戦を始めたのか。

 

 

――それは終始彼女の矜持(プライド)に尽きる――

 

 

 セシリアと静穂の関係に複雑さはない。友人であり、師弟。その師弟という関係の方に、彼女の矜持はいささか過敏に反応していた。

 それは専用機、グレイ・ラビットとその単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)の発現に原因がある。その能力により近時、二人の師弟という関係の方に僅かな綻びをセシリアは一方的に感じ、

 ――セシリアは今回の模擬戦を画策した。丁度良く、都合もつき、一石にて二鳥も三鳥もと静穂の模擬戦の結果を見て思い付き、実行し、成功させた。

 静穂には悪い事をしたと、セシリアは彼女の髪を梳きながらに思う。

 今彼女の首にはシールドエネルギー供給の為の装置と接続する為の、決して細くないケーブルが繋がり延びている。休眠状態(セーフモード)に緊急移行したラビットを再起動させる為だ。

(やはり、やり過ぎてしまいましたわね)

 長い髪を掻き分けて延びるケーブルを見て、模擬戦後に向けられた視線を思い返しての感想だ。判っていた筈なのだが止めるに止められなかった。それ程に白熱していたし、そう言えば聞こえは良いのかもしれないが、それで彼女の心肺を停止させかねない事態に迄持っていくのは当然、問題がある。彼女の身体に悪い事は確かだろう。今回は心肺に影響の出ない寸前で留まれたから良いものの、このような練習の形態を見直すべきは必至だ。勧んで人殺しになりたい人間などいない。少なくとも自分は。何よりも彼女は弟子であり、大切な友人なのだから。

 だがそれでもセシリアはハッキリさせておきたかったのだ。これからもこの少女の師で在り続けられるかどうかを。

 ……静穂に地の力があると知る事が出来たのはいつの事だっただろうか。それは彼女が望まない形式の戦法を採らざるをえない機体を、これまた駆らざるをえなくなった現状において一際異彩を放っている。

 彼女お得意の銃撃戦を考慮されていない専用機。武装はなく、その身を守る装甲も強固ではあるが特殊過ぎるときたそれを、彼女はぶっつけ本番、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)戦で使いこなして見せた。

 驚愕に足るというか、その順応性に呆れるというか、とにかくそんな静穂と、あの場にて一瞬で墜ちた自分とをつい比べてしまっていた。

 ――自分(セシリア)は、簡単に墜とされたというのに。彼女は最後まで、一夏が辿り着く寸前まで戦っていたと聞く。

 機体性能だけでない地の実力を、セシリアは羨ましいではなく悔しいと考えてしまった。眩しい迄の光に手を翳して避けるでもなく、その光源よりも輝きたいと思ってしまった。

 これでは師として失格である。弟子とは師より輝いて然るべきものなのだから。そこにおいてこの関係は師弟関係としては破綻していて、また正しく友情、ライバル関係と言えた。

「……んぅ」

「あら」

 脈打つように身じろぎして膝から落ちそうになる静穂をそっと押さえて呼びかける。

「静穂さん、起きて」赤子をあやすように優しく叩く。「死ぬにしては長過ぎましてよ」

「やぁ……」

 肘膝手足を身体の中央に寄せてうずくまる。これでは本当に赤子だ。

「……お姉ちゃ」

「ー?」頭を撫でる。「誰と間違えていますのー?」

 二人は同学年の同い年である。姉と呼ばれる程老けてはいない。

「――ん?」そこでようやく目を覚ました。「え、柔らか、へ?」

「おはようございます、静穂さん」

「師しょ、ーーーーーーーーーー!?」

「あら、」

 膝上の彼女と目が合った瞬間、静穂がケーブルを残して消えた。重力がケーブルを地に落とすより速く連続した月下乱斧で距離を取り、部屋の角、天井と二枚の壁の角に貼り付く。

「――ニンジャかクモ男、どちらですの?」

「えぇと糸は出せないからニンジャの方でって違くて! ごめん師匠どのくらい死んでた!?」

「供給機ありでほんの三十分程ですわ」

「随分と死んでたなぁ……」

 静穂が天井から飛び降りる。それを見る限り後遺症はなさそうでセシリアは安心した。彼女の場合やせ我慢を始め演技力が高すぎるがそれはそれ。信じるのも友の勤めである。

「まったく、あんな隠し球を持っていたなんて聞いていませんわよ」

「何、推進器の事? 言ったら隠し球にならないじゃない」

「それはそうですが。あと何基ありますの?」

「耳の予備が六基だけだよ」

 となると脚部を含めて計十基、それだけの数を今まで隠していたとは。下手をすれば負けていたのだからセシリアもあれは肝が冷えた。

「この際全部を吐露する気にはなりません?」

「隠すもなにももうネタ切れだよ」静穂は頭を掻きながらごちる。「勝てると思ったんだけどなぁ」

「まだまだ甘いですわね」

 ちぇ、と静穂が口を尖らせる。模擬戦の時とは違いそこには年相応か僅かに下の、彼女らしい表情があった。

「もっと月下乱斧を使われていれば勝敗は変わっていたでしょうに」

「あー、それは確かに」静穂が頭を掻く手を強める。

「何か理由があって?」

「使用回数に限界が見えちゃってどうにも最後は頻度がなぁ」

「回数に限度が?」

「実は使う度に身体の何処かしらにガタが来て、回数を重ねるとそれが酷くなる。体調やシールド残量によるけど一度の戦闘で耐えられるのは平均八十回前後、インターバルは六時間弱」

「――身体に悪影響は?」

「今のところはないし、その都度に回数も増えてきてるよ」

 果たして本当に大丈夫だろうか。隠し事を徹底して隠す彼女はポーカーフェイスにも年季が入っている。

 それでも素直に悔しがる彼女を見て微笑ましさと勝利した優越感を得ていると、

 

 

「なんでかなぁ。負けるんだよなぁ。二次移行(セカンドシフト)してるのになぁ……」

 

 

 ――ふざけた事を言い出した。

「――――静穂さん、今何と?」

「へ? 何?」

「二次移行と言いました?」

 もう一度、へ? という顔をして静穂は首を傾げ、

「言ってなかったっけ?」

「聞いてはいませんわね」

「ラビットは二次移行して単一仕様能力が発現したんだよ。グレイ・ラビット二次移行形態(セカンドシフト・フォルム)、“ストレイ・ラビット”」

 呼び方はグレイのままだけどね、気分で。と静穂があっけらかんとした口調で告げるのを耳にしてセシリアは、

「…………」

「? 師匠? どうしたの近い近い」

 近づいてその耳を引っ張った。

「そろそろいい加減にしないと本気で怒りますわよ……!」

「これは本気じゃないんですね痛い痛い痛いって!」

「他に隠し事は、失礼、それは沢山あるのでしたね」

「精神攻撃まで足さないでよ! エルフになる! 物理的に半分(ハーフ)エルフになる!」

「聞き方を変えましょう。他に言い忘れている事は?」

「そんなのその時にならないと分からないよ! それに普通は単一仕様能力の発現ってば二次移行してからが普通でしょ!?」

 その普通をどれだけの人間が望んでいるというのか。

 だがまあその理屈だとおかしいのが身の周りには一人、例外中の例外が居る訳で。

「それでは一夏さんと白式はどうなりますの」

「だから後から二次移行したんじゃないの!?」

「? そういうもの?」

「だと思うよ、あぁもうちょっと限界……!」

 まったく……。セシリアはそこで静穂の耳から手を放した。すかさず耳を覆い蹲る彼女を見て、一体どちらが彼女の本心なのだろうかと考える。

 この無邪気さと、模擬戦の時の殺意と。

(……どうでも良いのでしょうね)

 切って捨てた。どちらも彼女で、どちらなりとも。

 普段は気の置けない友人で、一度戦闘となれば頼れる前衛、相棒と変わる。

 それは素晴らしい事だし、そうで在るようにしたい。

「早くそうしたいところですわね」

「何が?」

 独り言です、と静穂に告げて、手を取り立ち上がらせる。

「さ、手早くシャワーを浴びて帰りましょう。チェルシーが夕食をたんと作って待っていますわ」


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