IS 灰色兎は高く飛ぶ   作:グラタンサイダー

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 寒中お見舞い申し上げます。


71.外国に行こう ①

 ――セシリアの自家用ジェットでおよそ半日と少し。時差ボケも考えて夕方のうちに日本を出立したのだが、日付も変わらず朝となっているという時差の感覚に、静穂は過去に戻ったような感想を持っていた。

 窓の外、眼下にはミニチュアのように家屋建物が連立しており、それらはこの数百メートル上空から見ても日本のものとは異なる思想で建築されたものだと理解が及ぶ。

 セシリアが「似たような景色を福音との時に見たでしょうに」と溜息交じりに微笑んでくるが、それでも静穂は窓から離れられなかった。

 静穂は今、イギリスに降り立とうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期末考査(テスト)の結果も張り出され、自分がこの場では単なる学生の一人でしかないことを再確認したセシリア・オルコット。セシリアは一人、射撃場へと足を進めていた。自身を師と呼んでくれる大切な友人、汀 静穂を探す為だ。

 だがどうにも最近、彼女の居場所を掴みかねている。

 彼女の機動力が異様なまでに跳ね上がっているのだ。彼女の専用機が持つ能力だけでなく、更には当人の技量と目撃情報も相まって二箇所同時に存在している(ドッペルゲンガー)とごく一部で噂される程に、その居場所はあっちへぴょんぴょん、こっちへぴょんぴょん。一緒に居るのはアリーナでの自主訓練程度しかなく、彼女の大好きな食事の時間にしても、2年か3年の先輩方と一緒に済ませているらしく、居ない時も珍しくない。

 ふと視線を外の、ちょっとした建物の屋根や壁面に向けてみれば、僅かに埃や汚れが落ちて綺麗になっている箇所が見つけられる。その一部には彼女の踏み込んだ跡が混じっている。

 学園の規則として『無闇にISを展開、飛行してはならない』という趣旨の記載があり、彼女はそれを()()()()()()()()として罰則を免れている訳だ。まるでニンジャかパルクール、縦横無尽も程がある。

(本当に便利ですわね、あの単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)……)

 単一仕様能力“月下乱斧(げっからんぶ)”。模擬戦で短距離テレポートを使いこなす彼女に、どうしてそんなに忙しいのかと聞いた事がある。

 ――彼女は肩で息をしてこう答えた。

 

 

――織斑先生と汀組、かなぁ、大半はね――

 

 

 曰く織斑先生からはその機動性を買われて雑用に走り、その一方で彼女の周囲に集った先輩達、通称汀組の就職活動にも頭目として一役買わなければならないのだと言っていた。

 だとしても居場所が授業中の教室しか掴めないというのはどうだろうか。かつての自分並に忙しいのだろうとは思うが。汀組に至っては彼女の出る幕などないだろうに。

(っ、いけませんわね)

 つい文句が口から出そうになった。彼女に避けられていた訳ではないが、結果としてこうも師をないがしろにする弟子に対して言いたい事が蓄積している。それをセシリアは行きの飛行機まで溜め込むと決めたのだ。

 ――少し前、同郷の先輩から汀組の集会(たまり)場を聞き、その場に赴いて汀組の一部メンバーと会い、静穂の居場所を聞き出した。

「ボスですか? さっきまで夏休みの宿題片付けてたですよ、ここで」

「では今はどちらか聞いておられますか?」

「射撃場です。拳銃の相談ですって」

 ……彼女と拳銃の組み合わせは、タッグトーナメントの件であまり良い印象がなかった。

(……あんな代物を普段使い(メインアーム)に据えるつもりですの?)

 あまり、というか絶対にお勧めは出来ない。確かに彼女の機体には武装と呼べる初期装備が搭載されていない。それだけ彼女の機体は自由とも取れるが、彼女自身の採る選択肢はどうも過激が過ぎて気が気でない。

 それ故も含めて少し、セシリアは早足で射撃場に進む。

 そして射撃場の扉を開くと、彼女は受付を挟んで先輩と共にいた。

『…………』

 二人が押し黙り見つめ合っているように見える。静穂は後ろ姿なので表情が読めない。盗み聞きではないが、二人の雰囲気にセシリアは息を潜めた。

 ……受付のカウンターに置かれた大型拳銃に触れて、静穂が切り出した。

「バリアクラッカー」

「…………」

「…………」

 暫し無言で見つめあう。セシリアは静穂が睨んでいると想像出来た。

 静穂が大型拳銃に手を当てて言った。「没収だそうです、これ」

「うあー、マジかー」

「ですぅ……」

「何がいけなかったんだよー。威力かー?」

「……人に向けようとしたからですかねぇ」

「それだろ原因ー。誰狙ったんだよこのバカー」

「…………生徒会長と副会長」

「ばっ」先輩が咳き込む。「死ぬ気か静穂ー」

「まともにぶつかっても勝てないと思って……」

「まず対IS用のものを生身でー、それも生身の相手に向けるなよー。でもその前にこれだけであの二人に勝てると思ったのかー?」

「スミス先輩の作ったこれならやれると思ったんですよぉ」

「っ、……なー」

「がー」

 ぼんやりと二人がにらみ合う。と言っても静穂の顔を覗くことは出来ないが。

 ……静穂がぐでりとカウンターにうつ伏せる。

「ホントに撃ったのかー?」

「永富先輩と重冨先輩の二人がかりで戦艦相手に撃ったそうです」

「凄い威力だったろー?」

「甲板から底部までくり貫いたとの事で。二人を後方に吹き飛ばして」

「……あー」

「わたし、あの時怪我人でした」

「そうだなー」

「腕だけじゃなく肋骨も罅が入ってました。鎮痛剤がないと呼吸も出来ないくらい痛かったんです」

「……そうだなー」

「…………」

「……ごめんてー」

 先輩がいたわるように静穂の頭を撫で、大型拳銃に添えられた静穂の手、その上にそっと彼女自身の手を乗せ、

 そしてそっと指を絡めた。

「怪我を忘れてた訳じゃないんだぞー?」

「スミ、もう……」

 静穂が頭髪を後方へ撫でつける先輩の手を取り、何かを諦めて顔を上げた。

「…………。先輩」

「ー?」

「次は普段から使えるものにして下さい」

「作って良いのかー? またお前の事を考えない、ろくなもんじゃないかもだぞー?」

「こういうのに関しちゃもう、スミス先輩以外に頼れませんから」

「! ……わかったよー」

 そう呟く先輩の目がとろんでいき、顔が静穂に近づいていく。

「でもー、」

「?」

「先にー、前払いが欲しいかなー……」

(こ、これは、)

 今まで傍観に努めていたセシリアが危機感を覚えた。

(流石に止めないとまずいのでは……!?)

「静穂さん!」

「? 師匠?」

「…………」

 既に先輩の手が静穂の耳にかかっていた。ばつが悪そうに先輩が離れていくのに対して静穂は飄々としていて、

「師匠? どうしたの射撃場(ここ)まで珍しい。また弾を曲げる練習?」

「い、いえ、ではなく、今日は静穂さんに用事ですわ」

 わたしに? と首を傾げる静穂の向こうをセシリアは見た。目が合った先輩は少し足早に、受付の奥へ入っていく。

「……静穂さん、あの先輩は()()()()()()がおありで?」

「? そちらてどちら?」

「……無知と取らせていただきますわ」

 聞くのが怖い。信じたいと言い換えておく。セシリアは本題に入る事で事をうやむやにしようとする。

「――では静穂さん。夏の長期休暇が始まりますが」

「そうだねぇ」

「その間の予定などはありますか?」

 その質問に静穂は再度首を傾げた。

「今の忙しさがなんとかなれば少しは身体が空くとは思うけど、どうして?」

「それは良い事を聞きました。ではわたくしと――」

 

 

――わたくしと、イギリスに行ってみませんか?――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッチに寄せられたタラップを下りる。初めてのイギリスだ。予習していた通りにその気候は日本の夏と比べて空気、肌にかかる感触が少ない気がする。気圧の問題ではなく空気中に漂う水分、湿度の事だ。日差しがすっと肌に届いて来るような、そんな感覚。

(何て名前だっけ、この空港)

 ヒースロー以外の名前を知らない静穂からすれば、イギリスの空港は皆ヒースローである。

「お嬢様!」

「チェルシー!」

(おぉ)

 タラップのすぐ側に停められた高級車、静穂の目でも専用に作られたであろうそれの前では、師と少女による感動の再会が行われていた。

 セシリアと抱き合う彼女を見て、静穂は足を止めて思う。

(メイド服。本物だ)

 偽物も見た事はないが。衣装は中学時代に着せられかけたが。

 二人の仲睦まじい姿を邪魔する気にはなれず、所在なさげに視線を動かして、つい空港の建物を見た。

(?)

 ハイパーセンサーで望遠するまでもなく、その窓越しにカメラがこちらに向いていた。三脚に乗せられた大型のビデオカメラも含まれている事から、この国のマスコミというやつだろう。

(……暇なのかな?)

 日本人が珍しいのか。ピースサインでも送ってやろうか。

「静穂さん!」

 本当にすべきか迷っていると下からセシリアが手招きしていた。

 急ぎタラップを下り、そのまま高級車の中へ。

 静穂が後部座席、セシリアの隣に座ると、普通自動車などではあり得ない体面座席にメイドの少女が腰掛けた。

「あまり刺激しない事ですわ。馴れ馴れしくされても困るだけですから」

「何だったのあの人達?」

「日本で言うマスコミで間違いはありません」と、対面からメイド服の少女が流暢な日本語で説明する。「高級紙と大衆紙の双方が入り乱れて、暇なようですね」

「紹介いたしますわ静穂さん。こちらはチェルシー・ブランケット。チェルシー。彼女がシズホ・ミギワ」

「ご紹介に与りました、チェルシー・ブランケットでございます。ようこそイギリスへ、ミギワ様。一同、心より歓待させていただきます」

 恭しく礼をされ、静穂も極力落ち着いて礼を返す。

「どうも、よろしくお願いします」

「ミギワ様については常々お嬢様から聞き及んでおります。そう固くならずとも大丈夫ですよ」

「……え? 日本語?」

「今気付きましたの?」

「わたしが無意識に英語話してるものかと」

「しっかり日本語ですわね」

「イギリスだよね? 日本じゃないよね?」

「なんて警戒をしてますの」

「一組の皆ならやりそうで」

「随分大がかりですわね!?」

 このやりとりを見てチェルシーが笑みをたたえていた。二人はそこで互いを見合わせ、顔を赤く染めた。

 ――それにしてもと、

「――本当に来れちゃったんだねぇ」

 車に乗ったまま税関を抜け、空港を出た。

 日本ではまだ普及しきれていないラウンドアバウトに読み方が判らない標識の数々。そんな窓の外を見ながら、本当に日本ではないと知った静穂はしみじみとそう言った。高級車の中が大きく揺れるような事は決して無く、むしろ揺れが少なすぎて酔いそうだった。

「大変でしたわね、本当に」

「そうなのですか?」

 他人事のようにチェルシーが尋ねる。

「実はわたし、国の保護を受けていて」

「? 生活保護でしょうか?」

「働こうにも身体がねぇ……」

「要人保護プログラムですわ。静穂さんも健康体でしょうに」

 呆れたようにセシリアが訂正し、それを成程、とチェルシーが合点のいったように頷いた。

 要人保護プログラム。対象者である汀 静穂という人間は本来、日本を出てはいけなかったのだ。

 それをIS学園特記事項の二十一を初めとしてセシリアの家系説明、滞在日程の提出、いざという場合に備えての保険・警護体制等々、多々の障害をクリアして、

 セシリアはちょっとした感慨、静穂は期待と不安の半々といった心持ちで現在に至る。

 それでも僅かながらの制約があるのだが、それも些細な物だ。今後ろにぴったりとつけてくる日本大使館の車が精々なもので、何かあれば静穂はそれに飛び込めば良い。そう考えれば制約は、その目的とは逆にプラスへ働く。ちなみに結局のところ汀 静穂という人間が要人保護プログラムとは無関係という処に落ち着いた筈で、彼らが後ろについてくるという事自体がおかしいのだ。あれは静穂がIS、グレイ・ラビットを他者へ譲渡しないようにするお目付役という立ち位置である。

 ラビットは箒と紅椿の関係と同じく、個人所有の筈だ。それを日本という国は、もう既に自分の所有であるかのように振る舞っている。

 傲慢と思えなくもないが仕方ない一面もある。それだけISの存在は重要である訳で。

「前に話しませんでした? チェルシー」

「以前に一度だけ。最初に伺った時はなんの冗談かと思いました」

 セシリアが言葉に詰まる。

「あの当時高飛車だったお嬢様がご友人を作ったかと思えば、そのご友人にはご自分を師匠(マスター)と呼ばせているとか」

「ん?」

「ちぇ、チェルシー?」

 雲行きが怪しい。

「しかもそのお弟子様が国家の要人だったと判った時は、使用人一同が肝を潰しましたわ」

「チェルシー?」

 必死にチェルシーの口を塞ぎに掴みかかるセシリア。学園でもたまに見るがこんなにも早く採られたそれを、チェルシーは取っ組み合いの形で迎えつつ静穂に語りかける。

「挙げ句の果てにはそんな事どうでも良いかのように、殿方を振り向かせるにはどうしたら良いかなどと、それもわざわざ国際電話で聞いてくるという。ちなみにこちら、真夜中でした」

「チェルシー。そろそろいい加減になさい、この……!」

「と、このように私の前ではアレなのですが、ミギワ様の前ではしっかりしておられるのでしょうか?」

「へ? はあ、はい。そうですね、うん」

 他にどう答えろと言うのか。未だ使用人の良いようにされているセシリアの体面も考慮して。

(言ってもいいのだろうか。一夏くんと一緒に居る時のとろけ具合を)

「…………!」

 セシリアが無言で何かを訴えてきている。

「――普段は優雅ですよ、はい」

 静穂は何かを飲み込んだ。静穂の言葉を聞いたチェルシーの微笑みは母性を放つもので、

(成程、この二人は――)

 主従を超えて家族なのだと、部外者ながらに理解できた。

 

 

「――ご一緒されなくてよろしかったので?」

「ええ、まぁ。…………」

 車内での取っ組み合いが一段落して、静穂は一人、車外に出ていた。恐れ多くも高級車のボンネットに手を乗せて呆けている。側には運転手の御老体が申し訳なさそうに同じく立っていた。

 大きな門を通り抜け暫くしてから停車した高級車。セシリアが自己の邸宅に行くよりも先に済ませておく用事があるとの事で、こうして静穂は待っている訳だが、

 セシリアとチェルシーの歩いて行った方向を見る。ここからでは彼女たちの姿は見えない。

(お墓、か……)

 ……この向こう、石畳の車道から脇へ逸れるように敷かれた、これまた石畳の通路の先に、彼女の両親が眠っている。

 一緒に来ても良いとは言われた。静穂はそれを断った。折角の家族水入らずに、縁もゆかりもない自分が側にいるというのは違う気がした。

 事の次第はいつかに聞いた。それで十分だと思っているし、これ以上深入りするには、静穂はまだ幼かった。

 ――静穂は、義姉の墓を知らないでいる。

(…………)

 それがどうしたかと言えば、こうして死後も会いに来られるという彼女に、嫉妬まで行かずとも羨望している自分がいて、それを恥じている自分がいる。

 死者とは弔うものであって、羨むものとは少し違う気がして。

 うまく言葉に出来ない。とにかく一緒には行けなかった。

 頭を掻いて撫でつける。別に同行したからといって彼女のご両親に掛ける言葉など“安らかにお眠り下さい”といった類のものしかない。

 間を埋めたいのか御老体が話し出した。

「普段のセシリア様はどのようにお過ごしですか?」

 また流暢な日本語だった。

「えぇと、まあ、友達は多いかと」

 静穂はセシリアの普段を伝えた。最大限、プライバシーに考慮して。

 それを聞いて御老体は目尻に涙を浮かべた。

(ちょ、そこまで?)

 どれだけ心配されているのだろうか彼女は。

「失礼いたします」そう言って御老体は顔を背け、ハンカチで涙を拭う。「歳のようです。大事ないと聞いただけで感極まってしまうとは」

「はぁ……」

 御老体と呼んでいるものの、白髪交じりに少し背が前に来ているというだけで、まだまだ現役のように思えるが。

(この人も家族の括りなのかな)

 静穂は少し安堵した。以前に聞いた限りではイギリスにて彼女の周囲は敵しかいなかったという印象を受けていたからだ。静穂がイギリスに来た一因がそこにある。

「それは良かった……」

 それまで聞いていた御老体が突然頭を下げた。

「どうかこれからも、セシリア様をよろしくお願い致します」

「はい、それはもう」静穂も頭を下げる。

 二人互いに頭を下げたまま、そこにセシリア達が戻って来た。

「お待たせしました。――何をしてますの?」

「えぇと、頼まれた」

「何をですの?」

「――内緒?」

「? まあ良いですわ」

 何とはなしにはぐらかし、静穂はセシリアとチェルシーに問うた。

「そう言えばあとどれくらいで師匠のお(うち)なの? なんだか同じ風景で感覚がなんともかんとも」

 左も右も木々ばかり。いくら共同墓地とはいえ広すぎる。

 すると「あらあら」とチェルシーがセシリアに目配せする。

「ふふ、」とセシリアが微笑む。

「?」

「静穂さん。()()()()()()()()()()

「玄関? お家の? ――墓地の入り口じゃなくて!?」

 静穂の驚愕を見た二人はしたり顔で頷いた。

「行きますわよ静穂さん。家まではあと10分程の辛抱ですわ」

「まさか徒歩でじゃなく車で!?」

「? それが何か?」

「…………広ぉいなぁ」

 呆然とする静穂を余所にセシリアはさっさと車内へ。静穂も置いて行かれまいと急ぎ後を追う。

「ようこそオルコット家へ、静穂さん」

「改めて一同、心より歓待させていただきます」

 そう言われて静穂はとりあえず頭を下げるしか出来ず、

 車が進むその少し彼方には僅かにその邸宅の屋根が見えた。




 静穂の長い夏休みが始まります。

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