IS 灰色兎は高く飛ぶ   作:グラタンサイダー

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69.たまには猫を噛んでもいい

「嫌だ! なんで相川さんはそんなのばっかり選ぶ訳!?」

「いやいけるって静穂ちゃん!」

「行けるかぁ!」

「でしたらこちらなどいかがでしょう?」

「それだよ四十院さん! わたしが求めていたのはそれです!」

「却下ね」

「ないわー」

「二十世紀前半ですの?」

「あらあら」

「辛辣ぅ! 四十院さんもそこで諦めないで!」

「でしたらこちらなどいかがでしょう?」

「同じ台詞で対極のもの持ち出してきた! こっちが本命だね四十院さん!?」

「あらあら」

「ちょ、押し込まないで! 試着とかぜったいしないから!」

「さあ汀さんキリキリ選んじゃって! あ、逃げようとISを使えば織斑先生に密告するからね?」

「魔女裁判の裁判抜き!? 死ねと!?」

「静穂さん落ち着きになって。この国に来てわたくし、女は度胸と聞きました。今がその時かと思われますわ」

「少なくとも今じゃないよ師匠! せめてそこの布付き! 布付きをくださぁい!!」

 …………数時間前まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 快晴の海、砂浜に集まった一年生達を一瞥して、織斑先生は言った。

「カリキュラムに遅れが出ている。諸事情で更識の機体は修理中だ。よって一人増やす」

 

 

――増えるものなのか、専用機持ちって――

 

 

 生徒達は困惑しつつもそれを受け入れた。今回の授業は射撃訓練で、彼女達は専用機持ち達の受け持つ各班に宛がわれた練習機に搭乗、撃ち上げられた動体目標(クレー)を撃ち抜くという内容であった。

 本年度の一年生で専用機持ちは、最初は六機、箒が姉より賜って七、そして簪の機体が大破により運用不能となり、現時点の専用機体の総数は六機である筈だ。

 コロコロとその数字が変動している専用機とその搭乗者に感覚が麻痺しつつある一年生達だが、本来はそれだけで業界は大騒ぎとなるのが普通だ。

「各員。展開しろ」

 そんな一年生達に半ば諦観しつつも迎え入れられた静穂とグレイ・ラビットだが、最初はやはり当然、流石の一年生達も同クラスの面々以外は戸惑った。

 何しろその姿は一見、いつものダイビングスーツ状のISスーツにしか見えなかったからだ。着ている人間はどこか所在なさげ、というかそわそわと落ち着かない様子だったというのも大きい。明らかに今の自分に対する扱われ方に慣れていない。

 織斑先生の一言で専用機持ち達がそれぞれの機体を展開する。静穂も同様に展開するのだが、生徒達からは(なんだか、貧相?)という感想を浮かべる者もいた。

 何しろISを展開したと言って、その変化は推進器が増えたに留まっていたからだ。周囲の機体と比べてあまりにも部位(パーツ)が、外見の増加が少なすぎる。

 マニピュレーターもなく、防御の為の装甲も見受けられない。あるのは頭部非固定部位(アンロック・ユニット)に接続された左右各一基の垂れ耳型推進器と、脚部の推進器内蔵型装甲のみ。灰色の色合いと相まって派手さのないシュッとした印象を見る者に与えた。

「決して後方に銃口を向けるな。篠ノ之は補助の経験がないので十分注意するように。では始めろ」

 大丈夫だろうかと彼女たちは思った。失礼だが簪よりも頼りないとさえ思った。

 ――まあ、それは杞憂に終わったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休憩も終わり、後詰めのような最後の授業も終えて、皆が臨海学校最後の海に繰り出している中、一人練習機の後片付けをしていた時の事である。

 高圧洗浄機で打鉄についた数日分の砂を払う。常にラビットを着込んでいる静穂ならば水の反射もなんのその、気にせず思いっきりやれるというもので。

 並べられた練習機の、最後の一機から水滴を拭き取り、順次搭乗してトラックのコンテナに収納する。この車に自分が乗るという運びらしく、警護の意味もあるのだろうかと推測しながら山田先生にコンテナの鍵を預けると、

 

 

「汀さん、お疲れ様です」

 

 

「四十院さん?」

 四十院 神楽がそこに居た。

 おっとりとしていて、それでいてしっかりと芯が通っているような立ち姿の彼女が何故後片付け中の静穂に何か用事があるのか。静穂には判らない。

(何せなぁ)

 何せここ数週間はほぼ毎日のように汀組のトーナメント対策で一組にいる時間が無かったのだ。暇さえ在れば授業中にも関わらずメンバーに方策を授けたりスケジュール管理をしたりとてんやわんやだった。織斑先生には全て終わった後にしこたま叱られたのは当然と言える。出席簿が落ちなかったのはつい一日前までの静穂が怪我人だったからというだけだ。

「どしたの四十院さん」

「汀さん。お仕事が終わりであれば、旅館までついて来てはいただけませんか?」

 優雅な物腰でのお願いに静穂は首を傾げた。

「罰ゲームで何か飲み物を買いに行く事になったのですが、一人では持ちきれませんし、勿論一本おごりますよ?」

「――いいよ」

 深く考えずに静穂は了承した。今にして考えれば悪手以外の何者でもなく。

 言われるがまま静穂はついて行った。神楽は静穂の手を握り先導する。

 それだけで静穂は気が落ち着かずにいた。昨日の事もあって、女子と接触するという行為を妙に意識してしまう。

 浮ついた気持ちではない。それは緊張と恐怖から。昨晩の出来事がよみがえるのだ、一歩間違えれば己の素性を曝してしまうのではないかと。あともの凄く柔らかい。

「――――汀さんは固いですね」

「っ、何、四十院さん」

 静穂は彼女の顔を見た。簪の時とは違い、今回はちゃんと互いに服を着ている。自分はラビットで、神楽の方は水着だが、いざという場合のアクシデントが限りなく少ない分だけの、心の余裕というものがある。

「トーナメントで抱きついた時もそうでしたが、汀さんは芯があるというか、強ばっているというか」

 芯? どういう意味だろうか。

「私達が怖いですか?」

「ちょっとね」

「あら、てっきりはぐらかされるかと」

「わたしって人見知りするんだよ」

「あらあら一体どの口が」

「今サラッと毒吐かなかった?」

 いえいえ、と神楽は首を振った。本当だろうかこのお嬢様は。

「みんなして囲って脱がせてきたりするじゃない。四十院さんだってあの中にいたの覚えてるからね?」

「それはまあ、一組はチームワークが売りですから」

 それで人をひん剥かないで欲しいものだ。コンプレックス以前に性別の壁があるのだから。

 ――旅館の中へ。ロビーを通りすぐそこの売店へ向かう。

「汀さんはパーソナルスペースが広めなのですね」

「そうかな?」

「私達、それが不満です」

 達? と静穂が鸚鵡返しをしたその直後、

 神楽が動いた。ただ自然と繋いでいた手を離し、静穂の腕を抱き寄せるように巻きつく。

(?)

 今の自分はポーカーフェイスを貫けているだろうか。神楽の反対の手は静穂の指を絡め取り、静穂の二の腕を自身の女性的部分へ押し付けている。ラビット越しでも確かに判るその弾性と柔性。逃がしはしないという意思表示が感じられて、

 ……嫌な予感がしてきた。

「ドキドキしていますか?」

「顔が近いからね? 当然だよね?」

 この程度ならば問題ない筈だ。中学時代の女子からのスキンシップと昨晩の危険性を思い出せば何の事はないと言い聞かせる。それにこの動悸はそういうものではない気がする。

「女同士でこの程度は普通です」

「そうなの?」

 だとしたらかつての同級生女子達は自分を同性と見ていたのだろうか。

 神楽はここで一つ息を吐いて、「やはりここは私達が一肌脱ぐとしましょう」

「それ以上?」水着からさらに一肌脱いだら大変なことになるのではないかと。

 そんな思考を巡らせて、到着した売店では先客が既に水着姿でそこに居た。

 相川 清香、鷹月 静寐、そしてセシリア・オルコット。

 静穂の首筋に警鐘がビンビンと来ていた。

(これはまさか!?)

「まあ、と、いう訳で、」

 静穂の腕を抱く力が強まる。

「荒療治と参りましょう」

「ーーーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同級生の鏡 ナギから「ここで待つように」と言われて暫しの事。

「何があるんだろうな、シャルル」

「さぁ……?」

 ()()二人が手持ち無沙汰で立ち尽くす様を、周囲がチラチラと見てくるのでシャルルは臨海学校の間、ずっと気が気でなかった。自由時間がここまで苦痛だとは。本来ならまだ授業の時間である筈だが、補助の頭数が増えた結果、授業は前倒しで終わり早くに臨海学校最後の自由時間が延びる事態となってしまった。

 全部箒と静穂のせいだとシャルルは少しばかり二人を呪う。特に静穂の方を多めに。

(そう言えば、静穂は自分が止まっていれば命中率良かったんだっけ……)

 昨日の静穂からは接近戦のみを繰り広げていた印象しか出てこない。そんな事も忘れる程に。

 サクサクと授業が進んだのは()の影響もあるのだろう。ISに関しては元素人だが、サバイバルゲームの経験則から導かれるアドバイスは彼が担当する女子達にもすんなりと受け入れられていた気がする。

 溜息を一つ。周囲からの視線が痛い。

「大丈夫か?」一夏が気を遣ってくれるのが何よりの救いだが、それを見て姦しい声が上がる事にシャルルはもはや億劫気味だ。

「日差しが強いからかな。それと少し疲れ気味かも」

「昨日は大変だったしな」一夏が少し背筋を伸ばす。「何とかなって良かったよ」

「本当にね」静穂と一夏。二人がいなかったらどうなっていたか。考えるのが怖くなる。

 そんな静穂はどこに居るのだろうか。まあ海に来る事はないだろうが――――

「え?」思わず二度見した。

「何だ?」一夏も同じ方を見る。

 妙に騒がしい一団がこちらに向かっている。

 その中央には、この場に絶対来ない筈の人物がいた。

 

 

「こんなの聞いてない! よりにもよってあの二人に見せるとか何考えてるの!?」

「いいじゃん静穂ちゃん可愛いじゃん!」

「可愛いっていうなぁ!! 着るだけって言ったじゃないかさぁ!?」

「何考えてるのはこっちの台詞よ! こんなに似合ってるのに誰にも見せないなんて間違ってる!」

「鷹月さんだけじゃないけど皆して心的外傷(トラウマ)とか劣等感(コンプレックス)持ちの人間をいじめて楽しい訳!?」

「では汀さんはそのままで良いのですか? 誰にも肌を許す事なく終生を迎えると?」

「言いたいことは判るよ四十院さん!? でもそれで良いと本人が思っている訳で!」

「それはわたくしが許しませんわ」

「師匠!?」

「以前に言ったかもしれませんが、わたくし達は以前に誓いました。静穂さんにも人並みの女子としての自覚を持っていただくと」

「確かに言ってた覚えはあるけど何故今になってその話が!?」

「水着は女の勝負服が(ひとつ)。女は見られて綺麗になるものですわ!」

「今度は何の本読んだの師匠ー!?」

 

 

『えぇ……!?』一夏と二人、唖然とした。

 静穂だ。静穂が来る。似つかわしくないと言うつもりはないが、この場に絶対に来そうにない人物が、四人がかりで運ばれて。

 両腕を一人ずつに引かれその背中を二人がかりで押し出され、静穂は必死に両足で砂を突っぱねている。

 何よりシャルルと一夏を驚かせたのは、

「水着だね、一夏……」

「ああ、水着だ……」

 

 

――静穂が水着でやって来る――

 

 

「到着ー!」相川が静穂の右腕を引いてきた。

「お待たせ二人とも! どう!?」静穂の背を押してきた静寐が問い掛ける。

「どうって、」

 シャルルが言葉に詰まる一方で一夏が、

「なんだよ静穂! 似合うじゃないか!」

「似合っ!?」

 一夏の喝采に静穂は詰まった。シャルルもそれに同意した。

 その肢体は確かに傷跡、手術跡、火傷跡の引きつり等が目立つが、それは彼の努力の経緯だと知っている。そうでなければいきなり専用機を駆って自分達代表候補生と戦闘機動を同調させるなど出来はしない。

 一夏だって無理だった。トーナメントの時も必死に練習してようやく最低限の実用レベルに到達したのだ、それも専用機の白式ありきで。

 練習機で代表候補生(更識 簪)の機動に縋りつく、その努力を知らぬ者はその肌を見て血の気が引くだろう。だがシャルルや一組の面々はそうではなく、何の恥じることもない誇るべきものと思うだろう。いわばリトマス試験紙のような、そんな性質を持った肌を、惜しげも無く見せつけている。

 白のホルターネックにホットパンツ型の上下、黒地にクリームピンクのハイビスカス模様を散りばめたスリット入りパレオは臍の下で巻き、()()()()()()()()()()。上のホルターネックは恐らく背中も大きく開いているようだ。

 

 

――女の自分(シャルル)でも言える。似合っていると――

 

 

「ちょっと!」シャルルが静穂の手を取り引き寄せた。

 今この場で聞く事ではないのだろう、女子達が一気にざわめき立つ。

 ……だが気になる。シャルルは赤面しつつも切り出してしまった。

 努めて潜めた声で問う。「え、静穂。ど、()()()()()()()()()?」

 静穂は首を振りながら、「わかんない。わかんないけどすんなり入った」

「すんなりって! え、メーカーは? どこの水着?」

「…………でゅ、デュノア社……」

「お父さぁん…………!」

 まさかこんな所で父の収納技術、その恩恵を見てしまうとは。

 話が逸れるがラファール・リヴァイヴの使用率が世界三位を維持している理由の一つとして、その拡張領域の容量にある。

 門外不出、シャルルの父個人所有の特許によりその権利と秘匿性を護られている、デュノア社の根幹が一つを担う謎の技術。

 その恩恵をシャルルは()()受けている訳だが、それがまさかISだけに留まらずISスーツはともかく、果ては一般の水着にまで通用するとは、妾の子とはいえ娘のシャルルに理解出来る訳もなく。

「……?」何か、周囲の目線が気になって顔を上げた。

『…………』

 下卑てはいない。だが妙な気を回しているような目線をむけられている。

「あ、ち、違うからね? そういうのじゃないからね!?」

 必死になって否定するももう遅い。同性故に判る。

 こういうネタになる行動をした、自分が悪いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……受難は続くよ何処までも。

「静穂。大丈夫?」

「……死にたい……」

 日差しを避けるパラソルの下、レジャーシートの上に静穂がうつ伏せで寝かされている。

 隣に膝立ちのシャルルが、手に日焼け止めの液体をひり出していた。

 驚くべきは一組のチームワークか。気づけば静寐達だけでなく一組の有志が集まり、やいのやいのと囃し立てられ、あれよあれよとパラソルが、レジャーシートが、そして日焼け止めが用意され現在に至る。

 当然、二人とも不本意である。念の為。

「いやあシャルル君がそんなに静穂ちゃんの水着姿を気に入ったとは! じゃあもうシャルル君に塗って貰うしかないよね!」

「何がどうしてそうなるの相川さん!?」

「だって静穂ちゃん肌白いし、折角なら男子に塗って欲しいだろうし、シャルル君も静穂ちゃんの水着にドキドキしちゃったでしょ?」

「欲しくない……」

「ぼくは――そう水着! 静穂の水着がウチの系列の製品だったから気になったってだけで!」

 必死にそれっぽい理屈を立ててみるも逆効果で、

 静寐が更に気を回す。「成程、汀さんがその水着を選んだのはデュノア社製だって知ってたからなのね」

「完全な不可抗力ですぅ」静穂がうつ伏せでうなる。「布があるから隠れるかなぁと思って確かにカワイイかなぁとも思ったけれどわたしが着るなんて露程も思っていなかった訳で……」

「今着てるじゃない」

「皆が選ぶのがほとんど紐で消去法だったからだよ! あぁもう無理帰るぅ!」

 静穂が立ち上がろうとした刹那、ラウラと鈴音がしがみついた。

『まあまあまあまあ』そのまま静穂を宥め再度シートに沈めに掛かる。

「お鈴にボーデヴィッヒさん!? なんで!?」

義妹(いもうと)よ。そんなに叫ぶと喉を痛めるぞ?」

「義妹じゃないって何度言えば、というかお鈴に至っては前にいじめとか言ってなかった!?」

「あの時とは状況が違うわよ。相手がシャルルだってんなら話は別。

 というかそれ覚えてるならアンタあたしが飛んでこない時点で気づきなさい」

「何を!?」

 そう言うと鈴音は静穂の上、尻の辺りに陣取り腕を組む。

「あたしと一夏、アンタとシャルル。つまりはそういう訳よ」

「ちょっと!?」

「なんでわたしとシャルルくん?」

「そうだぞ鈴音。そこは私と一夏(よめ)だろう」

「は?」

「何だ」

「わたしの上でISださないでよ?」

『…………』二名が待機形態のそれを収める。

「もうヤダ」

「あはは……」

 うな垂れる静穂を見て、乾いて笑うシャルル。その手に用意された日焼け止めはもう良い頃合いの温度にまで上がっている。

「ほらシャルル、さっさとやって遊ぶわよ」

「でも鳳さん。流石に静穂ももう限界だと……」

「限界なんてとっくに超えてるわよ、コイツ」

 え? シャルルは首を傾げた。

「コイツの単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)はテレポートよ? その気になればこの場だって逃げられるわ」

 言われてシャルルは気づいた。静穂の機体、その単一仕様能力に妨げられる物は何もなく、通常ならば専用機の持たない一般生徒が引きずって来られる訳がないのだ。

「やらなきゃ終わんないってシズも判ってんのよ」

 確かに、この手にあるこれを塗らなければ解放はないのだろう。周囲が()の自分に期待されているのが強く伝わってくる。

「それにシズもアンタならって覚悟決めてる。女の子にここまでさせてんのよ」

「…………」

 それは違うと言いたかった。男は静穂で女は自分だと。言ってしまうと終わりなのだが。

「……いいの?」所在なさげに聞いてみる。

「……やさしく塗ら()れると、逆にキツい気がする」

 見られるだけで消耗しているのは、今回ばかりはお互い様の様子だ。むしろ静穂の方がキツいのかもしれない。今まで守り抜いてきたものが今回露に――――何を考えているのだ自分(ぼく)は。

(覚悟を決めろ。今、男はぼくの方だ)

 頭が熱い。異性の肌に触れる機会が、これまでそれ程なかったからか。

「(集中しろ。周囲の声も届かないくらい)……いくよ」

 今、静穂は女の子だ。「ちょ、シャルルくん?」優しくいけ。優しく。「聞いてた? ガッといってさっさと――」

 

 

――指先が触れた――

 

 

『!!』

 静穂が声にならない悲鳴を、シャルルが指先の感触に驚愕を、周囲が「いった!」と歓声を、それぞれ喉の奥で押し殺した。

(うわぁ……)

 ゴツゴツとした感覚かと思えば一転、全体としては滑らか極まりない。

 確かに傷痕の盛り上がりや火傷跡の引きつりによる違和感こそあれど、それ以外は自分ら女子と何ら変わりのない、リゾットに使う生米を撫でているような、スベスベとした感触が日焼け止めのない箇所の皮膚越しに感じられる。

(……塗り広げないと)僅かに残った使命感が掌を腰に押し付けた。

 先程の表現を引き継ぐのなら、生米をなぞる感覚から、僅かな凹凸のついた地球儀を、シャンプー越しになで回すような感覚に変わる。

「…………、……ぁ、…………!」

 静穂が僅かに震えている。この位置からでは判らないが、涙目くらいにはなっていそうな程度だ。

(ちょっと、可愛い?)

 理性が溶けていく。どこまで広げれば良いのか思案するも、答えが出ない。

「……なんで師弟でおんなじ反応なのよ」尻に座り腕を組む鈴が独りごちる。下の静穂は嗚咽というかしゃっくりというか、とにかく脊髄反射の一種をこらえるのに必死だ。レジャーシートに顔を押し付け長髪を掻き上げた手をその位置で保持し、その表情が見られないようにしている。

(気持ちいいのかな? だったら良いな)

 腰から背中、水着の紐の結び目を超えて、その背中に手をやった。

 ――ここまで来ると暴走している。今のシャルルは熱に浮かされている。

 擦り込む手を沈めるように少し力を入れる。今迄のフェザータッチが良くなかったのか、静穂の体から震えが消えた。

「ぅぁ」静穂の口から吐息が漏れた。

(柔らかい……)

 噛みつきたくなる弾力だ。それでいて芯に鍛えられた筋肉がある。

「待って、ちょっ、まずぃ…………!」

 静穂の上体が僅かに浮いた。日焼け止めを伸ばす手が止まらない。

 背骨の辺りから僧帽筋、広背筋に触れて水着の紐の結び目、()()()()()()()()()。脇腹、水着の布地のその端に親指が掛かったところで、

『わー! わーっ!』

「ちょっとシャルル!」

「ふぇ、え? ――あっ!?」

 周囲が騒ぎ鈴が制止しシャルルが我を取り戻す。

 急ぎ離れ尻餅をついてシャルルは、

「ごめん静穂! 大丈夫!?」

 何が大丈夫かは知らないが、危うくセクハラを超えて痴漢の域に届きかけた事にシャルルは恐怖した。

「シャルル。アンタ、」

「違うんだ! なんて言うかのぼせてポヤーっとなってたっていうか!」

「行く時は行くのね……」

「話を聞いて鳳さん!?」

 シャルルが鈴の誤解を解こうとしている間、静穂が周囲に介抱される。

「汀さん大丈夫!?」

「はいタオル! 体巻いて!」

「デュノア君積極的過ぎ!」

「見てるだけなのに鼻血出そう……」

「うぅ、……」

 赤面で真っ赤になった静穂が体を起こす。気のせいだろうか。いつも見ている涙目がやけに魅力的だ。

「本当にごめん静穂! 何でか判らないけど大丈夫!?」

 鈴にチョークスリーパーホールドを掛けられながらシャルルは静穂を案じる。

「……なんて言うか、」静穂は羽織ったタオルの中から日焼け止めの容器を拾い上げる。「色々、失った気分だ…………」

『…………』

 その場にいた全員が口を閉じた。囃し立てた罪悪感が今更になってというのもあるが、静穂のその必死に涙をこらえる表情と、羽織られたタオルとパレオから覗く投げ出された素足、そのくねらされた肢体を見て、

「なんかちょっとえろ――」清香の口を静寐が押さえ込む。そんな事を言われても静穂の気は晴れないだろうと。

 

 

「――ええと、良くわからないけど終わったのか?」

 箒とセシリアに目を塞がれていた一夏が問い掛けた。

 

 

「え、ああ」代表してか静寐が答え静穂を見る。その肢体に日焼け止めを乱雑に塗りたくり最後にぬべーっと顔を上から下に終わらせていた。「もう大丈夫。二人ともいいわよ」

 箒とセシリアから解放された一夏。何故目を隠されたのか良く判っていない。

「? どうした皆。顔赤いぞ?」

『知らないでいい!』

「そうか? まあ良いけど」あっけらかんとした表情で一夏が言う。「じゃあ何する?」

「何って?」と静穂が涙を拭いながら聞く。静穂としてはもう放っておいて欲しいだろうと、その一因たるシャルルは思う。

「といってもスイカはないから泳ぐかビーチバレーしかないけどな」

「砂風呂」

「大丈夫か静穂!?」

「わたしを何だと思ってるの!? 普段からさぁ!!」

 一夏が静穂の手を掴んだ。

「へ、何この手」

 静穂が一夏の顔を見て、手を見て、また顔を見る。

「ほら行こうぜ。な!?」

「ちょっ――」

 タオルが翻り、パラソルの影から引きずり出されていく。

 そのまま二人で走り出した。

 

 

「ちょっと織斑君!? それじゃまるで愛の逃避行なんだけど!?」

「愛!?」

「今度は織斑君まで暴走しちゃったの!?」

「男子二人を独り占め!?」

「汀さんずるい!」

「えぇ!?」

 

 

 ――もう何が何やらである。急ぎ後を追う者、写真に収めようと躍起になる者、ただ呆然と眺めるしかないシャルル。

 そんな面々を置き去りにして一夏は波打際まで一直線に走り抜けると、

「のわっ――!」

「ちょー!」

 転んだ。静穂を道連れに。

 波を砕いて飛沫に変えて、海へ頭から突っ込んだ。

「――あっはっは! 大丈夫か静穂!?」

「うぅ、初めてなのに…………」

 随分と対極な表情で二人が浮上した。一夏が髪を掻き上げて大型犬のように雫を払うのに対し、静穂は濡れそぼった状態で滴るがままに髪と海水をそのままにしている。

「海初めてとかホントか? まあ静穂なら有り得るか」

「だからわたしを何だとおもってるのさ、皆さぁ」

「ISにしか興味ないんだろ? そんなの勿体ないぞ?」

「だからそれも違うってば…………」

 その誤解から推測するに、皆は静穂にその他の娯楽を知ってもらいたいとの事の様だが、

 静穂からすれば押しかけ迷惑である。これがイタズラ心よりも好意の方が強いというのが実に(タチ)が悪い。

 今迄守り抜いてきたものが、この数十分で一気に瓦解した。今更新しく傷つく場所がある訳ではないが、それでも思う所があるにはある。

(これが、女子校……!)隣で笑うのは男子だが。

「…………でも良かったよ」一頻り笑った一夏が言う。

「何がさ」

「元気で」

「はい?」

「怪我の様子聞いて、心配だったんだ」

「! …………」

 医療用眼帯の上から、静穂は義眼(ラビット)に触れた。防水処置の施されたそれを伝う海水は、体温で少し温い。

「まさかISひっさげて()()に喧嘩売りに行くとは思わなかったけどさ」

 一夏が海水をすくって静穂に払うように引っ掛けた。

「ちょ、なに!?」腕で顔を防御する。

「俺、もっと強くなる! 白式も先に強くなったしな!」

「冷たい! 冷たいから!」

 頻りに海水を引っ掛ける一夏に対して、静穂も対抗した。

 指を組み両手を俵型に成形。両の掌に海水を溜めて手を持ち上げ、小指の下辺りから噴出させた。

「お返しだこのぉっ!」

「わぷ!」

 一夏が顔に直撃を受け、仰け反って海に沈んだ。

「待った静穂! 目に! 目に入った!」

「地に足ついてれば大抵は的に当たるんだよぉ!」

「精度高すぎだろ! 待ってくれホントに痛い!」

「私がそう言って皆は待ってくれたかなぁ!?」

「俺は関係ないだろそれぇ!?」

 

 

「――――デュノア君、GO!」

「うわぁあああっ!!」

『!?』

 

 

 二人の水掛けにシャルルが突撃した。正確にはさせられた。

 女子生徒達に腕を掴まれ、勢いを付けられて静穂へ向けられて放られたのだ。

 さながらプロレスのロープアクション。勢いのついたシャルルは一直線に静穂へ。

 激突。飛沫を上げて静穂を巻き込んだ。

「――――ぷぁっ! ごめん静穂大丈夫!?」

「――シャルル。シャルル」

 何!? とシャルルが一夏に向いた。

「下だ」

「下?」

 言われるがまま下を見る。

 

 

――沈んでいる。ぶくぶくしている――

 

 

 シャルルが馬乗りになっているので顔も上げられない。

「うわぁごめん静穂!!」

「……っばああぁあああっ!!」

 静穂がシャルルを押し上げ海面を爆発させた。

 急ぎ一夏がシャルルを救助すると、静穂が右腕の肘から先だけ流体装甲を展開して立ち上がる。

 海水を機体のパワーアシストでぶん殴ったのだ。次いで静穂からは拡張領域の発光。

 背中から前に引き出すように展開されたのは、一丁の水鉄砲。

 

 

――但し異様に大きい――

 

 

「なんだそれ!」

「水鉄砲じゃないよね!? もうそれ大砲だよね!?」

 ゆらり、ゆらりと静穂が進む。肩で担ぐ水大砲の、レバーでタンクの水を圧縮させながら。

「…………ねぇ、皆」

『!』女子生徒達が背筋を伸ばす。『な、何?』

「スイカ割り、ビーチバレー、砂風呂、砂の城建築もあるけどさ、」

『けど、何……?』

 

 

 水も滴る笑みで言った。

「ウォーターサバゲーって知ってる?」

 

 

『ーーーーーーーーーー!!』

「怒ってないけどお返しだ――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を見て織斑 千冬は言った。

「まあ、人並みにはなったか」


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