利用者がまばらになった頃を見計らい、簪は温泉を堪能した。比較的仲の良い4組の面々も居らず、望みどおり邪魔される事もなかった簪は、湯上りで少し上気した肌を浴衣に通し部屋への渡り廊下を歩いていく。
そういえば静穂は徹底して学園の大浴場を利用しようとしなかった事を簪はつい思い返していた。
(やっぱり、恥ずかしい?)
偶然にも彼女の素肌を見てしまった事を何度か経験している簪はそう考えて、
……はあ、と溜息を一つ、自己嫌悪に陥った。
今日だけで何度目だろうか。織斑先生が静穂の話などするから彼女の事ばかり考えてしまう。今日の夕食などとても美味だったもので、
(静穂だったら、ご飯だけで三杯は食べてそう……)
などとこの場に居ない彼女の行動を予想してしまうのだ。実際に静穂が居たら自分の方は食事が喉を通るか分からない。目線が合う度に逃げるだけで味など判別不可能だろう。
切り替えねばならない。幸か不幸か彼女はこの場に居ないのだ。一人心を落ち着けるには十分である筈の時間が、簪には与えられている事になる。
そんな彼女の進行方向、ふと人だかりが目に入った。
金髪が二人に黒髪が二人、銀髪が一人という構成だけでもう何事かの察しがついてしまった。
(また、織斑 一夏……?)
実際その通りなのだろう。表札部分に『織斑』と掲げられた部屋の襖に、五人は耳をそばだてている。
(…………)
彼女達の行動に半ば辟易しつつ通り過ぎようとした所で、
襖が突如開かれた。
『うわ!?』
「?」
襖を開けた人物、織斑先生の足元に体重を掛けていた五人が崩れて部屋に入り込む。
「ほう、いつもの連中だけでなく更識、貴様もか」
「え……?」
「まあ入れ」
そうとだけ言うと織斑先生はそのまま部屋の奥へ入って行ってしまう。
何処か諦めたような顔で部屋に入っていく五人の後ろで、簪は、
「ま、巻き込まれた……?」
出会ったばかりの頃の静穂がよくそんな事を言っていたと思い返しながら、簪も部屋への戸を潜った。
突然に自身の核心を突かれた人間が、自身に染み付いて決して落ちる事のない動作で、つい自分の得物で示威行為に走ってしまうのを、一体誰が責められようか。
「その銃。スミスちゃんの
彼が拡張領域からその得物を呼び出す、その速度に合わせてこちらも拡張領域からガトリングガン内蔵の槍を鼻先に向けてやる。たったそれだけで彼我の実力差を認識してくれる辺り、賢明ではある。
彼の身が竦んでいる。血が凍り、心臓をこの槍で打ち抜かれたように。喉奥が貼り付いて声が出せないでいるのか、表情は強張り目は大きく見開かれ、ギブスに覆われた右腕が震えている。
(当然か……)
自分が必死になって隠し通してきた、最も知られたくない事実を知られていた。それも自分の力を遥かに超える相手にだ。どれだけの衝撃か、当人以外に分かる筈もない。尤も、そんな体験を二度もするとは思ってもいなかったのが大きいか。
(――でも悪いとは思わない)
織斑 一夏以外に男性操縦者が存在していた事にも驚いたが、それがまさか女子として学園に入り込み、愛する妹の隣に並び立ち、更には同じ部屋で寝食を共にしていたのだ。これを大事とせずして何を大事とするのか。
そもそもの目的は何だ。性別を偽る目的は、妹に近づいた目的は何だ。
場合によっては、実力を行使しなければならない。懸念するのは妹の反応だろうか。
自分の事を更に嫌うだろうか。大丈夫、バレなければ問題にはならない。
『…………あ、』
(?)
再起動したのか彼が言葉を紡ぎ出そうとする。
身構えるでもなく、楯無は彼の言葉を待つ。実力行使も視野に入れて。
さあ、聞かせて貰おうか。
(貴方と簪ちゃんの関係を――!)
『あの、どちら様ですか?』
1年1組以外の人間が行うズッコケ芸を、静穂は(痛そう)という感想で眺めていた。そんなつもりもないのだろう当人は勝手にダメージを受けて地に伏せ、起き上がろうと杖のように槍を持つ腕は、生まれたての四足歩行動物が如く震えている。
それにしても、彼女は一体何者なのか。
顔立ちや髪、印象など、所々が久しく顔を合わせていない同居人と似ている年上の少女だ。ここまで似ていると他人の空似というのはありえないだろう。縁者である事は間違いない。
だが簪からは何も聞いていない。天下のIS学園に姉妹で入学していたなど、自慢してもいい筈だ。そうなると簪は何か意図があって隠していたか、彼女の存在を知らないか。入学して間もない頃に姉の話を聞いた覚えがあるような、ないような。
まあ彼女の性格からして、
(単に恥ずかしいだけだね、きっと)
勝手にそんな結論を下し、静穂はPICで体を休めつつ彼女の再起動を待った。
やがて立ち上がった彼女は制服の埃を掃って取り繕い、
『ふ、ふふ、』と肩を震わせ始めた。
(怖い怖いこの人怖い!)
『い、いきなりかましてくれるじゃない? 命の恩人に向かって』
恩人? 誰の?
『覚えてない? 貴方を私、以前に助けた事があるのだけど』
そう言う彼女が扇子を開く。そこには『回顧』の二文字が記されていた。思い出してみろという事か。
そういえば、と。その扇子に静穂は見覚えがあるようなないような。
(扇子? 以前に……、!?)
「水飴の先輩!?」
『そこまで戻っちゃうの!?』
以前に静穂が空腹で困り、その場に居合わせた一夏の演説によって上級生達から大量の施しを受けたというよく分からない事があった。目の前の彼女はその時に水飴の瓶を静穂に手渡してくれた、正確には隣にいた箒にだが。
『改めて、私は更識 楯無。IS学園生徒会長よ』
やはり彼女が簪の姉で正しかった。学園最強、一人でISを完成させた、簪のコンプレックス、その源。
「汀 静穂です」勤めて丁寧に礼を返す。「それで、何の御用でしょうか?」
『お姉さん言ったわよね? 貴方が男の子かどうか、それが聞きたいの』
(……駄目か)
誤魔化せるかとも思ったがそうはいかないようだ。
……どうするか。シャルルの時と同じように穏便に、と運ぶような相手か、もしくは左手に握る頂き物の大型拳銃に早速の出番を与えるような事態になってしまうのか。
どちらにせよ後者を自分からは選べない。友人の姉は殺せないし、なによりあの銃で暗殺は不可能だ。
「……答える前に、聞いてもいいですか」
『どうぞ』
「どうして、そう思ったんです?」
それは一番の疑問だった。
どうしてバレたのか。静穂には全くの心当たりがない。何か間違い、勘違いだろうという希望をもって、静穂は彼女に問いかける。
完璧には遠いだろうが、これまで静穂は、以前から知っていた箒と直接陰部を蹴り込まれたシャルルを除き、他者へは一度たりとも自分の性別を明かしていない。見られているという事態もない筈だ。徹底して外気に肌を晒す事態を避けていたのは、体中に刻まれた傷痕を見せないという目的もあるが、主なそれは単に性別を隠す為だ。
周囲からは時に抱きついてくる相手もいて「細っ!?」と驚かれこそするが、性別がバレた訳ではないだろう。
彼女の場合はどうだろうかと、静穂は思い返して見る。
面識はほぼないと言っていい。最初に会った時点からたった一度、大会時の邂逅だけで彼女は静穂の性別を知るに至っている。何故だ。
――その答えは至極簡単なものだった。
『…………』
「? 先輩?」
凛とした佇まいを保っていた更識 楯無が、急にしおらしくなったと言うか、あからさまに目を背け、開いた扇子に文字はなく、目元から下を隠しだした。隠す前の頬も少し赤かった。心なしか槍の切っ先が地面に『の』の字を描いている気がする。
『…………見ちゃったの』
…………はい?
『あの試合の後、貴方の手術をする事になった。貴方は麻酔で眠っていたわ。私は保健の先生から手術の助手に駆り出された』
あの先生はそんな事をしていたのか。本職の医療従事者でない一生徒を手術という大一番に使うとは。
だがそんな事よりも。
(見たって、何を?)
『私がやったのは血流操作なのだけど。……知ってる? 麻酔がかかると血管が拡張されて、その……、そ、
――そういう事――
それはつまり、
(…………まさか、)
静穂は目線を自身の
その反応に楯無は顔を赤らめて、
…………頷いた。
「----------!!」
言葉に鳴らない叫び声を上げて、静穂は半身を切り腕やら手やらで体の要所を隠す仕草を取る。傍から見れば見事な女子のそれだった。
「なんて事をしてくれるんですかぁ!? 親にだって、お姉ちゃんくらいにしか見られた事ないのに!」
『仕方ないじゃない! まさか男の子だなんて思わなかったんだから!』
「だからって見る事ないじゃないですか!
『不可抗力よ! そんな事言ったって突然見せ付けられたこっちが謝ってほしいくらいよ!?』
「そんなの無茶苦茶だぁ!? というか見ちゃったんなら男かどうかなんて確認する必要ないじゃないですか! わざわざ呼ばないで心に秘めておいてくださいよ!!」
『貴方がどう見ても女の子だからよ! 幻覚かと思いたくもなるじゃない!? 私だってその、見るのなんて――』
「分かった分かりましたもうそれ以上は言わないで!?」
――一頻り大声を出して落ち着いたのか、静穂も楯無も肩で息こそすれどそれでも頭は冷えたようで。
『――私は知りたいの、返答次第によっては力に訴える事になるかもしれないけれど』
「それは止めませんか? 怪我人を更に傷つける意味はないでしょうに」
『なら答えて』
と、言われてもだ。
「わたしはわたしですよ。そうとしか答えられません」
『それは誤魔化しているつもり?』
「そんなつもりではないですけれど」
言っていい事柄は少なく、言ってはいけない事柄が多すぎる。それが汀 静穂という人間だ。
「わたしは国の要人保護プログラムを受けています。伝えていい情報はほとんどないと言っていい」
なんとか取り繕った楯無が聞いてくる。
『貴方が女装してIS学園に潜り込んだのはその為?』
もう明かしてしまい、その程度ならばいいだろうと観念した静穂は答える事にした。
「そうしろと言われたからです。わたしだって好きでこんな、女子の格好をする趣味はありませんよ」
『そうなの? どうみても女の子よ? いまの貴方』
「……でしょうね」
つい目頭を押さえたくなる。中学の時代に幾度となく同級生の女子達からオモチャにされた経験がこんな形で活きるとは思わなかった。
中学時代を思い返すと浮かんでくる思い出といえば碌なものが少ないような気がする。事ある毎に女子からは女物の服を強要されたり、なにをどう間違えたのか男子から告白されたり。そのお陰か逃げ足は速くなった。
思わず溜息が漏れ出した。眼前の美人に今の格好が似合っていると言われても、それが女装とくれば素直には喜べない。
(あぁ、本当に)
何がどうしてこうなったのか。それ程努力をせずともバレなかったが故の慢心か、目の前で扇子を握る彼女にははっきりとその証拠を、不可抗力にも見せ付けてしまった。
これからどうすればいいのか、誰かに聞きたい気分だった。
……何時の間にか本筋からずれていると思い、静穂はこう切り出した。
「聞きたい事って何です? わたしが男かどうか、それだけですか?」
用事がそれだけならもう帰らせて欲しかった。いずれにせよ静穂が女子として入学している現実は変えられる訳でもなし。もう諦めが入っている。
『あら、まだまだこれからって時間にもうおねむ?』
「わたしが怪我人だって事を忘れてません?」
会話の間に調子を取り戻した楯無が、本来からこれなのだろうというそれで笑みを浮かべてくる。
術後の人間はその規模の大小に関わらず体力が著しく低下するのだ。自分の大事な事柄ながら飽きが、というか本当に眠気が来ている静穂にはどうでも良くなっていた。
『――簪ちゃんは貴方の事を知ってるの?』
故にそんな事を聞かれた時、静穂は欠伸を噛み殺して、
(まぁ、ですよね)
と、そんな感想を抱いていた。
どうすれば穏便に話が進むかなどは考えない。ただ正直に、言いたいように。
「言える訳がないでしょう」
『そうよね。あの子、こんなの知ったら失神しちゃう』
慌てふためく彼女の姿は静穂も簡単に想像できた。あの女子力の塊にバレようものならどうなるか。自分よりも彼女の方が心配になる。
『言うつもりはないの?』
(…………)
「何て言えば、いいんですかね?」
……いや違うか、と静穂は首を振る。
「どう伝えたら、許されますかね?」
『全部を自分の言葉で話せばいいと思うわよ?』
「全部?」
『そう』
「――はは」
静穂は思わず笑っていた。楯無が首を傾げるのも当然だろう。
全部明かせと言う楯無を笑う、何も知らないからそんな事が言えるのだと。感情のままにそれを言いかけて、静穂は押し止めた。楯無は何も知らないのだからその辺りを突いた所で意味はないのだと自分を説得した。
……それにしても、
(どうしたんだろうなぁ、わたしは)
これまでの自分ならば今の楯無の言葉をそういう風には受け取らなかっただろう。今の静穂にはそれだけ余裕がないという事か、それとも別方向から物を感じ取る、言葉の裏を勘ぐる余裕ができたという事か。
大型拳銃の銃口で頭を掻き、静穂は言葉を選んでいく。
勤めて平静、これまで通りに。
「――そんな事、伝えたとしても
『あくまでも隠し続けるつもり?』
「わたし一人の問題ではないんです。わたしが男だと打ち明けるという事は、必然的に彼女を巻き込んだあの事件についても話さないといけなくなりそうで」
――日本代表候補生・加畑の起こした殺人未遂事件――
「妹さんに助けてもらった手前、言えない事があるんですよねぇ」
あの日に起こった事件の顛末は簪には酷すぎると考えて、
「言ってしまって傷つけるくらいなら、このまま自然と離れてしまった方がいいと思います」
『――それはただの逃げだと理解してる? そんな事を言って、本当に苦しむのは貴方の方じゃないの?』
「妹さんは、
そこで静穂は言葉を一度切り、息を吐いて整えて、……言った。
「それに、わたしが傷つく事はありえない」
その笑みは、眼前の彼女にはどう映っただろうか。
静穂が初めて他者に見せる、自嘲の笑みを。
「言ったように、わたしは要人保護プログラムの対象者です。名前も生い立ちも、何度変えた事か」
『貴方……』
「今更友達の一人と疎遠になったところで、何も変わりませんよ」
と、其処まで言い切って静穂は、「あ、そうか」と何かに気付いた。
「同じ学校に居るまま疎遠になるのは初めてかな?」
「要人保護プログラムの弊害、なのかしら」
閉じた扇子にどのような文字を記せばいいか悩みながらも玩び、楯無はラファールの消えていったピットを見やる。
「淡白、冷淡……」
どれも違う。あの時の彼を表現するにはどのような言葉が相応しいのだろうか。別に二文字縛りという訳ではないのだけれど。
文字を扇子を開いては閉じ、うってつけの単語を引き当てた。
「観念、ね」
観念、往生、……難渋?
別れる事が必定の出会いを幾度も繰り返してきた、それが今の彼を作り上げたという事か。
「たとえそれが、大切な友達でも……?」
大切な妹の友人、それが男子という事ではあるが、その真意さえ確かに出来れば別に、離別を促すような、こんな結果を望んでいた訳ではない。
こんなつもりではなかった。妹は悲しむだろう。顛末を知れば恨むだろう。
彼の言い淀む理由が、少し理解できた気がする。
「駄目なお姉ちゃんね……」
「お嬢様!」
楯無が呼ばれた方向に振り向くと、自嘲する駄目なお嬢様に仕える友人がこちらへ走ってきていた。
「虚ちゃん? どうかしたの?」
まさか彼が学園から去ってしまったのか。
だがその予想に反して虚は携帯端末をこちらに差し出して途轍もない事を言い出した。
「更識家からです。日本海から国籍不明機が領海内に侵入、上陸したとの連絡が」
「――なんですって?」
結局、楯無が何を聞きたいのか、布仏家がどうのという話も分からずじまいで静穂は、自身の病室ではなく学生寮の一室に足を運んでいた。
ポケットから鍵を取り出し、扉を開けて中へ。
(変わってないなぁ……)
それ程の時間が経ってはいないのだが随分と空けてしまったかのような感覚に囚われつつ、静穂は先日まで眠っていた自分のベッドに腰掛けた。
明かりは点けない。ハイパーセンサーが光源もない室内にて視界を暗視モードへと切り替えてその内装を映し出していた。
並んだ学習机。雑多に表面積を増やすコルクボード。特撮かロボットアニメ、トーナメント中は対戦相手の試合内容しか映した覚えのない薄型テレビ。
ふと静穂は腰掛けたまま後ろに倒れ込み、首を横、主のいないベッドへと目線を向けた。
其処に居た嘗ての同居人は、今頃ならば海の見える旅館で眠りについている事だろう。自分と離れてゆっくりと羽を伸ばしているかもしれない。気の合う友人達とガールズトークに花を咲かせているかもしれない。
そんな事を考えながら、静穂は楯無に言われた言葉を反芻する。
――苦しむのは貴方の方じゃないの?――
――楯無に対して言った言葉に嘘はない。あの場を切り抜ける為に言葉を選びこそしたが、自分の意に反するものは使っていない。
静穂はこれまで幾度と名前を変え身の上を変え、その都度別れをくり返してきた。そうして築いては崩してきた交友関係だが、大抵は知っていて相手が近づいてくるか、何も知らずに交友関係を築き、要人保護プログラムによって引き裂かれるかのどちらかだった。自分から袂を分かつという選択をした記憶はないが、それでも自分はいつも通りの自分で居られるという、経験から来る自信があるにはある。
だが実際にその通りかもしれないと考える自分がいるのも事実で、また初めての事だった。静穂の短い人生の中でも自分の秘密を明かすなど一度としてなかったからだろうか。
まして袂を分かつ相手と同じ場所に居続けるという経験も、静穂のこれまでの経験にはなかった訳で。
(彼女が傷つくくらいなら、わたしは離れた方がいい)
その言葉に嘘はない。友人を守るに至る行動原理を静穂は遂行したに過ぎない。だのにその言葉が、言い切った後、今になって次善の言葉を組み立てようとしている自分がいる。その足が思わず嘗ての自分の部屋、友人と過ごした場所に向いてしまう事を、静穂はどうしても止められなかった。
(あぁ、そうか)
そうして静穂は漸く気付いた。
これまで良くも悪くも人間関係を築けた相手との別れとは即ち今生の別れ以外にはありえなかった。だが今回は違う。
決して彼女と喧嘩などをした訳でもない。むしろ結果に目を瞑れば命を救われ、目標を見出す手助けまでされている。だが結果として静穂は彼女の厚意を無にし、文字通り傷つけ、そしてそれ以降はすれ違い、今の今まで顔を合わせて会話すらしていない。
(寂しいんだ、わたしは)
更識 簪との別れが、寂しい。
(…………変なの。わたしは、)
投げ出した手足を胸に寄せる。自分以外に何もない事を確かめるように、自分だけを抱き寄せた。
(お姉ちゃんと違って、今までとも違って)
もう二度と、彼女に会えない訳でもないのに。
(馬鹿か、わたしは)
もう二度と、自分から彼女に近づく事はないのに。
……まだこの空間に残る自分の私物、それらを片付ける算段を立てながら、静穂は疲労に身を委ねていった。
少し欠けた月を見て、簪は溜息を一つ。
先程まで騒がしかった同じ部屋のクラスメイト達は、全員がもう静かに眠っている。
窓際の椅子に腰掛けて浴衣の裾をはだけさせ、露わになった
プルタブを開けられていない炭酸飲料の缶が結露で簪の細い指を濡らす。1組の専用機持ち達と並んで織斑先生から口止め料として押し付けられたものだ。
……彼女も普段はこんな気持ちで巻き込まれ、嘆きながらも自分の立ち位置を見出していたのだろうか。
(…………)
この臨海学校が終わって、また彼女の前に立てるようになるだろうか。
その時にならないと分からないだろうと今は思う。今は、彼女と一緒に作り上げた全てを駆使して、明日の仕事をやり遂げてみせよう。
そうすれば、画面に映るヒーローのように、勇気を出せる気がするから。