「落ち着きなさい篠ノ之さん!」
「離してください、試合に出ないと……!」
医務室では篠ノ之 箒を保健の先生がベッドに押し留めていた。
「私が出ないと、勝たないといけないんです!」
「見て分かるでしょう!? もう始まるの! 決まった事なのよ!」
……そう、この後すぐ試合が始まるのだ。
互いのパートナーが自分達を置き去りにして。
医務室のテレビにはアリーナが映し出され、出場選手がそこにいた。
織斑 一夏、シャルル・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ、そして、
(静穂、)
「っ――!」
隣が急に大人しくなった。傷口でも開いたのか。それでも簪がテレビから目を離す事はなかったが。
「……痛み止めを服用してのIS搭乗は認められないわ。何より貴女が心配だから」
武装を施し空を飛ぶという点ではISと戦闘機は同じだ。体調管理が完璧でなければ命に関わる大事故を引き起こす可能性が存在する点も。
同じ目に遭う可能性はゼロではないのだ。薬物の効能が切れてどのような事態が起こるかなど想像に難くない。次はお互いにこの程度では済まないだろう。
簪も同じだ。何を言って、騒いだところで出場は不可能なのだから。
あの場所、彼女の隣には、もう立てない。
篠ノ之の布団を整えて、保健の先生は言った。「準決勝まで行った、これだけでも十分に誇れる事よ」
篠ノ之 箒にその言葉は何の慰めにもならない。
彼女には優勝しかなかった。その理由が邪と言われようと、彼女にとっては何よりも大切な誓約だった。
「私は……、私は、」
篠ノ之がテレビを見るでもなく、呻きだす。
その一方で簪は解説の声に囚われていた。
「なんという重量級! 本戦のダークホース、汀選手が往年の
「打鉄、なのかしら? 肩部装甲が4枚、あんな事をすれば通常の打鉄でも機動性が落ちると思うのだけど」
汀 静穂のISは打鉄の非固定部位、防盾が全身像を覆い隠すように周囲を取り囲んでいる。これまでの経緯からも本当に打鉄かどうか怪しいものだ。
――打鉄が生徒間で人気がある理由は柔軟で扱いやすいOSと肩部の防盾に裏打ちされた防御性能、そこから来る安定性にある。多少の被弾を物ともしない安心感は戦闘に於いて大きなアドバンテージとなる。
確かに打鉄の防盾は絶大な防御力を誇る。だが態々枚数を倍にする意味がない。視界も塞がる上に非固定部位として宙に浮いているとはいえ質量の概念は存在し、倍の数となれば機動性に影響が出る。
「よっぽど織斑くんの単一仕様能力が怖いのかしら」
ラウラ・ボーデヴィッヒの第3世代兵装と戦った経験がそうさせるのだろうかと楯無は告げた。
「あの盾で織斑選手の必殺技を封じる事ができると?」
「実体の盾でも織斑くんのシールド消滅攻撃が完全に防げる訳じゃない。発動時の切れ味は取って付けたような盾じゃ真っ二つよ」
楯無が扇子を開く。『業物』の二文字。
「まあ始まる前からあれこれ言っても分からないわね」
そして何より面白くない。
後輩が必死になって考えた策を、当人が披露する前に看破してしまうのは大人気ないと楯無は思う。
「あれで勝てるって言うのなら、見せてもらいましょ?」
いつも見ていた筈の表情が、今回はまるで違って見えた。
「それじゃあ、やろうか」
「やろうかって、静穂」
シャルロットが戸惑う。一夏も同じ心境だ。
「お前、やれるのかよ」
「やるさ」
「――自分の顔、触ってみろよ」
顔? と一夏の言葉に不思議そうな反応をして、静穂は言われた通りにマニピュレーターを顔に持っていく。
額、頬、鼻の下と来て、彼女は漸く気づいた。
――口元まで一筋、太く歪んだ赤い線が、鼻から走っている――
それを静穂は「んぐ、」と、さも何事でもないように拭い去った。そしていつもの表情に戻る。
血には観客の誰も気づいていない。隣に立つラウラも同じ様子だ。
打鉄の盾が視界を遮り、位置の関係上から二人のみに見えている。
それとも見せているのか。だとしたら効果は絶大だ。ピットでの決意が揺らぎそうになっている。
「一夏」
「!」
肩に手が、マニピュレーターの冷たく力強い感触が乗せられた。
「シャルろ」ット、と言いかけてなんとか留まった。今の彼女は彼女ではない、シャルル・デュノア、男子だ。
「……もういいか?」
意識から外れていた方向から声が飛んでくる。静穂に引かれて忘れていた、一夏がここまで来た理由を。
「いくら貴様でも無視されるというのは腹が立つのだな」
「ラウラ……!」
肩に乗せられた手を優しく下ろす。「シャルル。大丈夫だ」
改めて確認させられる。ここまで来た意味、戦う理由。
自分の実力でないのは分かっている。だがここまで来た事に意味はあると信じている。
相手が静穂に交代したというだけだ。むしろ好都合。
……雪片弐型を呼び出し、構えた。それを皮切りに三人も。
実況が試合開始を告げる。
『開始、5秒前! 4! 3!』
「貴様を倒し、教官を取り戻す」
「……やってみろ」
『1! 試合開始!!』
――推進器を噴かす。一夏が瞬時加速で肉薄するはラウラではなく静穂。
「貴――」
ラウラは無視。耳でシャルルの援護射撃を確認し、静穂に打ち込んだ。
雪片による不意打ちにもならない横一閃は難なく防盾で止められる。
盾に隠れる直前の表情は嘗て見たあの顔、初めて相対した時の顔だった。
対して一夏は頬が緩んでいそうだ。
身体の一部が疼いている。左手首は危険のサイン。
無理せず距離を取れば、静穂が盾越しにハンドガンの銃口を向けていた。
引金を引かれるより早く回避運動。一夏と静穂の間を縫うようにワイヤーブレードが射出される。
「一夏ごめん!」
シャルルのマークを振り払いラウラが来た。
雪片でシュヴァルツェア・レーゲンのプラズマ手刀を受け止める。刀身の半ば、厚い部分で。
「貴様の相手は私だ!」
「これはタッグマッチだぞ? 連携するのは当たり前だろ?」
これまでの経験が一夏にそう言わせた。伊達に決勝まで勝ち上がってはいないのだ。
対戦相手の少女達はかなりの数に上り、彼女らの多くは真っ先に一夏を狙って来た。近接武器の刀が一振りしかない白式は一見して倒し易いのだから当然ではある。
一夏の言葉にラウラは鼻を鳴らし、「怖気づいたか?」
「まさか!」
雪片を押し込んで迫り合いを解く。距離が離れラウラが肩のレールカノンを此方に向けるのを目視して一夏は突っ込んだ。
レーゲンの砲撃を掠めさせて、飛び込む先はラウラの死角。その巨大な砲身の、
(その砲身の影――!)
「!?」
空を蹴り上げるような動作で半回転、天地をひっくり返した逆胴の動作がレーゲンの右腕を削り一夏はラウラの後方へ抜ける。
シールドを消耗して振り返るラウラを見て一夏はしたり顔で。
「一夏お願い!」
「おお!」
シャルルに呼ばれるがままアリーナを飛ぶ。
ラウラに軽くあしらわれたシャルルは、
「堅い……!」
――静穂の持ち込んだ城壁に苦戦を強いられていた。
足を止めた彼にアサルトライフルの正射はまるで意味がない。傾けて角度をつけた防盾に身を隠され、銃弾の尽くを弾かれる。
回り込んでも同じ事だ。死角を探してみれば後方にも防盾が2枚。全周に於いて鉄壁を誇っている。間隙を狙おうにも防盾の上からひょっこりと顔を出すハンドガンの正確な射撃が邪魔をする。
的確に頭のみを狙ってくる、当ててくる。お陰でどちらか一方の腕は常に防御に割かなければならない。
「本当に厄介だね……」とつい毒づいてしまう程に、シャルルは苛立ちを覚えていた。
これまでの対戦相手とは別物だ。こんな相手と戦った経験は学園に来る以前から照らし合わせても存在しない。
機動性を殺してまで防御を固め、まるで篭城、消耗戦。
トーナメントは時間無制限。この場に判定勝ちはない。倒すか、倒されるか。
(このままじゃ負ける?)
弾薬を無駄にしている。
(……なら!)
防盾のない頭を押さえればいい。シャルルは迷わず踏み込んだ。
ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡがあのような魔改造トーチカもどきを振り切れない訳がない。
流れるような軌道を描きライフル射撃で揺さぶりを掛けて静穂の照準をずらす。静穂の放った銃弾が頭部から逸れた事で釣れたと確信。防御に割り振っていた腕でショットガンを呼び出し、発砲。
防がれるのは計算の内。面倒なのは静穂が防盾の位置と角度を調節する事だ。間隙を補われ擲弾でさえも有効打にならない。
防がせた散弾の衝撃で防盾の動きを固定、正面の防御状態を維持させたまま、その表面を駆け上がり頭上を抑える。
ライフルを向けた先は横向きに掲げられ視界を覆う防盾。
シャルルはその盾を踏みつけて叫んだ。
「一夏お願い!」
「おお!」
掲げられた盾一枚分の大きな穴に一夏が邁進する。
一夏の後方からレーゲンのワイヤーブレードが通り過ぎ静穂の元へ飛んでいった。
『!?』
シャルルと一夏が目を見開いた瞬間、シャルルの足元が揺れた。
「何!?」シャルルが上空へ逃れると何をしても動かなかった静穂の身体が宙に浮く。
静穂が鋼線を纏めて鷲掴み、ラウラが引き寄せたのだ。
静穂は引き寄せられるまま一夏と激突した。
「そうだな」ラウラはシャルルに目線を向けた、一夏ではなく、シャルルに。「連携するのは当然だ」
ラウラは叫ぶ。「汀 静穂! 暫く任せる!」
レーゲンの主砲がシャルルに向いた。
「先に邪魔者を片付ける」
すると主砲からではない轟音が響いた。
「一夏!?」
シャルルが轟音の先に振り向いた。一夏は無事だ、だが表情が強張っている。
「……なら早くしてね」
静穂が一枚の防盾、その切っ先を一夏に向けていた。防盾の内側からは煙が吹いている。
……硝煙だ。今の今まで一夏が居たであろう地面に弾痕が刻まれている。
(でもあの範囲は何!?)
「余裕はないから加減もできないよ」