目が覚めた途端に痛みが襲って来た。
(……私は?)
勝ったのか、負けたのか。
隣のベッドで戦っていた相手が眠っているという事は、自分は最低限の努めを果たしたという事だろうか。
……朝焼けがカーテンを揺らしていた。
結果を見るのはまだ先のようだ。
「さあ! とうのとう、遂に終焉の時がやってまいりました! 波乱に告ぐ驚嘆! 驚嘆に次ぐ狂乱! 入学時の熱もまだ冷め遣らぬ雛鳥達が、今、持てる全てを以て、巣の中で隣り合う同胞に嘴を向け喰らい合う! IS学年別タッグトーナメント1年の部、決勝戦!」
「その表現はちょっと意味不明じゃない?」
「実況は私IS学園2年、マイクは離してなるものか! 奪いたければ力ずくで来い! 黛 薫子と、いつもの解説役イリーナ・シャヘトは本日警備任務でお休みのため予定通りこの御仁にお願い致します!
現ロシア代表にしてIS学園にて最強! IS学園生徒会長、更識 楯無ぃッ!!」
「最強の解説をお見せするわね!」
誰に見せるでもなく立ち上がり扇子を開く。そこには『解説』の二文字。
「今日で1年生の頂点が決まる訳ですが、解説のたっちゃんはどうお考えですか?」
「公の場でも愛称呼びなのね、気楽でいいけど」楯無はスカートを押さえて席に着く。「まあ今日で頂点が決まるというのは早計かもしれないわね」
「なんと!」隣の薫子は演技力過多に驚いてみせた。「今回のトーナメントでは1年生の実力を測るには不足な点があると!?」
変わらないわね、と何処か安心しつつ楯無は説明に入る。
「今年の1年は専用機持ちの代表候補生が多すぎるもの。勝てて当然の選手が勝ちあがってもね」
扇子を開き直す。『勿論』の二文字。
薫子は反論する。
「それは汀選手もでしょうか?」
楯無は扇子の文字を薫子に向けた。
「――あれくらい私達もやったでしょ?」
それも更にえげつない方法で、とは公の場ゆえ口にしないが。
「でも試合自体は派手になりそうね。専用機が3機に候補生が二人も一堂に会するなんて見た事ない」
更に言えば登場する二人は世界でも稀有な男子操縦者だ。IS業界の華を詰め込んだような試合がこれから展開される事は請合いで、会場内の熱気も尋常でなくなっている。
「観客の皆さんは手に汗を握れるんじゃないかしら」
「生徒会長のお墨付きが出ました! この試合も波乱が巻き起こりそうです!」
そこまで言ってはいないが薫子は普段どおりなので問題ないとして、
(織斑先生は何を考えているのかしら?)
楯無が思うのは汀 静穂の選抜理由。
準決勝の顛末を見ていない訳がない。妹の方はその結果を見ただけで理解できたがもう一方は定かでなく。
原因がまるで分からない。あの時点では汀 静穂が勝利する流れだった、だのに煙幕が晴れるとギブアップ宣言をした後に倒れ対戦相手も気絶しておりダブルノックアウト。結果として試合は引き分け、織斑先生は負傷の少ない者同士を掛け合わせて今回の試合に臨ませた。
――ラウラ・ボーデヴィッヒが進むのは理解できる。彼女はドイツ代表候補生だ。外交的にも不満は少ないだろう。
では汀 静穂を出場させる理由は?
ボーデヴィッヒを出場させる理由が代表候補生にあるのなら、同じく候補生のティナ・ハミルトンを出場させればいい。
それをせず汀 静穂を選出する根拠が何処にあるのか。
彼女がこのトーナメントに於いて一番に衆目を集めていたからか。それだけで明らかに血溜まりができていた程の怪我人を続投させるだろうか。
それに衆目だけでなく敵意も集めている。観客の不平もハミルトンを出すより上だ。
(一般生徒代表のつもり? もっと別の理由があるの?)
……扇子をたたむ。いずれにせよどうでもいい事柄だと断じて捨てる。これから何かしらの答えを見せてくれるのだから。
(……。じゃあおねーさんに見せてもらおうかしら)
自分の妹を踏み台にしてまでのし上がった決勝戦で何を為すのかを。
再び開く扇子には『検分』の二文字。
「やあ、ボーデヴィッヒさん」
「…………」目線だけくれてボーデヴィッヒは入室する。
その態度に静穂は集中しているのだろうと推測して機体の最終確認に戻っていく。
上級生達は朝方に解放した。仮眠も取って今頃少しは回復しているだろう。
「準備はいいようだな」不意に呼びかけられた。「教官には感謝しなければ」
目線を向けて直ぐに戻す。ボーデヴィッヒは制服をズボンから脱ぎだしていた。
「どうした」
「いやその、着替えを見るのは失礼かな、と」
その回答にボーデヴィッヒは鼻を鳴らす。「女同士で何を気にするか」
「あぁ、うん、そう……なのだけれどね」
静穂の女装はバレてはいない。いないのだが弊害として周囲は無防備が過ぎる訳で。
ボーデヴィッヒ程の美少女が下から脱いでいく様子は、中にISスーツを着用していると頭では理解していても健全な男子には毒な訳で。
静穂は目線を向けられないままに質問を投げた。
「織斑先生に感謝って、どういう事?」
「最初の希望の通りになったからだ」
彼女は嘗て静穂にペアを組むよう提案していた。今になって彼女の希望通りになったと言えばその通りだ。
「いいぞ」
「へ?」
「脱ぎ終わった」
「それは、どうも」
一応はこちらの意を汲んでくれる辺りに優しさがある。
最後の確認を終えて静穂が振り向くと授業でよく見た姿のラウラ・ボーデヴィッヒがそこに居た。
「聞いてもいいか」
彼女は順番のつもりか、静穂はどうぞと促した。
「貴様は何のためにこの試合に出る」
軍人から出るとは思えない質問だ。意外過ぎて驚いてすらいる。
軍人とは戦に命令と勝利以外の何も求めない存在ではないのか。
「――織斑先生に言われたからだよ」
それ以外に言える言葉がない。改めて静穂には誰にも言えない事柄が多すぎた。
一夏とシャルルのピット前は人だかりが溢れ通路を完全に塞いでいた。あの中を進むのは不可能、予め準備として入室していなければ不戦敗となっただろう。
「千冬姉の言うとおりにしておいて良かったな」
「うん、本当に」
マスコミ追っかけパパラッチ、一夏一人でシャルロットを庇いながら進める筈もなく、まず間違いなく彼女の秘密が明かされてしまう。
「大丈夫か?」
気づくと一夏が顔を覗き込んできていた。シャルロットは慌てて距離を取る。
「大丈夫、少し緊張してるだけだから」
異性の急接近には慣れていない。それも年の同じ、秘密を共有する男子と。
……ふと気になった。
「? どうかしたか?」
シャルロットは首を振る。「静穂はどうなんだろう、って考えちゃった」
「……また無理してるんだろ」
困ったような怒ったような、そんな一夏の言葉にはシャルロットも少し同感だった。
怪我をして、死んではいないが友人の仇とペアを組んで、その心の内はどうなっているのか。一夏なら即座に爆発しそうだ。
行動の指針に感情が全く伴っていない。理性のみ、大人の対応ではなくまるで機械のようで。
(我慢強いってレベルじゃないよ)
それともそうまでしなければ女の園に男が一人で、それも性別を偽って紛れ込む事はできないのか。
シャルロットも似たようなものだがこの短期間でもかなり堪えている。だのに静穂はその倍の月日を難なく過ごしているように見えてならない。彼に元から女装癖があった訳でもなし。
「シャルロット」
「! なに?」
また覗かれるような表情をしていたのか。
「……シャルロットが来る前にあいつと試合した事がある。その時は俺もまだISに乗るの2度目でさ」
今もそんなに進歩してないけど、と一夏は少し砕いて、
「その時は静穂もそんなに大差なかった筈なのに振り回されっぱなしで、最後の最後にまぐれで俺が勝った。それから静穂とは練習機でたまに模擬戦をやったけどどこか納得できなくて」
彼が拳を握る。でも、と。
「前と同じで今日なら」
「一夏……」
……一体何の話をしているのか。
「ここに静穂はいないんだよ?」
昨日の通訳家は今日の敵だった。
「えと、嬉しいんだよ! あいつと戦うのが!」
勢いだけで励ますのはやめて欲しい。
だがそれでも効果がある、それが彼の凄い所で。
「……ありがとう」
シャルロットは一夏の拳を両手で包む。意図だけはどうにか汲み取れていた。
「もう大丈夫だから」
一夏も緊張していたようで、力の入った拳が緩んでいくのを感じるのは同時に緊張も解れたという事だろう。
「じゃあ、作戦どおりに、ね?」
「ああ、任せろ」
相手が怪我人だからというのは、手を抜く理由にはならない。
アリーナに出ている時点で戦場に立っているものと同じとはボーデヴィッヒの言葉だ。
怪我人とて脅威の一つには変わらない。むしろ静穂は怪我をしている時こそ怖そうな相手だ。何をしてくるか分からないという点で。
さらに、あのボーデヴィッヒともすら連携を組んで来るだろう。
全力で臨む以外の策はないのだ。
「――行くぞシャルロット!」
「うん!」
試合を目前に二人の戦意は高揚していく。
『さあそれでは! 選手入場です!!』
『来なさい!』
――実況に導かれてカタパルトが一夏とデュノアを撃ち出した。ここ数日は幾度と受けた歓声が今日はさらに大きく、二人を包み込む。
『先に入場したのは織斑・デュノアの男性ペア! 多彩な火器を魔法の如く使い分けるシャルル・デュノアと一撃必殺の高速戦闘に特化した織斑 一夏! 対照的な二人の魅力は勝手に悩自殺する生徒を数え切れません!』
『織斑くんの単一仕様能力に目が行きがちなのだけれど、連携もしっかりと出来ているわ。相手が普段通りに単独プレーをするつもりなら止めておいた方が賢明よ』
「良かったですね、織斑先生」
「当人には聞かせたくありませんがね」
連携が出来ている事と実力が伴っている事は別物なのだが、隣の山田先生は自分の事のように嬉しそうなので黙っておく。昨日のうちに吹っ切れたのか彼女は今朝から興奮気味だ。
まあ汀が出てしまえばそれも落ち着くだろうと千冬は思う。
彼女がまともに、副担任とはいえクラスを担当するのは今年が初めてで、そのような心境の中で一夏と汀の存在はかなりの占有率を持っているのだろう。
千冬からすれば不出来な弟と無鉄砲な生徒でしかないのだが。もしも連中が男子でなく女子だったなら山田先生の反応も違っただろうか。片方は条件が変わったとて何の変化もなさそうだが。
(本当に男か? ――む)
「山田先生。来ますよ」
「! 汀さーん!」
千冬はコンソール越しに身を乗り出す彼女を支えつつアリーナの生徒達に目を遣った。
願わくば何事もなく終わってくれと。
『少し遅れましたがボーデヴィッヒ・汀ペアが入場! 昨日の敵は今日の
『…………墜落した?』
一夏の頭は理解力が働かなかった。
最初に出てきたのはラウラだ。それは分かる。銀の髪と黒の装甲を見間違う筈がない。
消去法で次は静穂の筈だ。
その静穂がピットから撃ち出され、
――地面に激突した――
それでも推力は殺せず地面を削り減速。砂煙を撒き散らし突き進んでくる。
道半ばで完全に止まり煙が晴れて、機体の異形が顕著になる。
……静穂が歩き出した。歩く姿は鉄の塊。それが開始位置、こちらに向かい動いている。あの外見は見た事があった。打鉄の盾だ。
打鉄の防盾が2枚、前面を覆い隠すように設置されている。歩を進める足は明らかな重量過多。
月面のような足跡を幾つも刻み、開始位置に静穂が到着した。2枚の防盾が手で押し退けられて見えるのはいつも見ていたあの顔。
相手を安心させるための笑みを浮かべる静穂の顔だった。
「いやぁ恥ずかしい。着地失敗だよ、まったく」
「静穂……」
「それじゃあ、やろうか」
頭が働かなかった。
彼女が恐ろしく見えたから。