医務室は一学期始まって以来の盛況だった。
怪我人二名、見舞客二名、
……そして診察中が一名。
「去年よりかは天と地よ」
そう言いながらも保健の先生は眉根を寄せていた。診察中の一名を除き全員が似た表情で口を閉じている。
扉の向こうには静穂がいる。頑として担架を拒み搭乗するISで去ろうとしていた彼女は織斑先生の出席簿で眠らされ、いの一番に運ばれていった。
彼女の搭乗していたISのダメージ進度はE。動かすことは困難どころか不可能なレベルで何処へ飛んでいくつもりだったのか。
ダメージ進度Cの二名が肌の各所を無機的な白に覆われている。それでも骨折等の重傷ではないが、進度がEの彼女ならどうなのか。
嫌な想像が頭をよぎる。現に二人が担ぎこまれて治療も終わっているというのにその姿を現さない。
一夏が焦れてうろつきシャルルが心配そうに目線を追随させる。
そんなやり取りが何往復もされた後、
扉を開いて出てきた姿は、
「へ? 一夏くんはともかくシャルルくんまで、何で?」
汚れた制服の上着を腕に掛け、首から指先まで覆うISスーツを着込んだ彼女が平然と立っていた。
『何で!?』
「ええ!?」
逆に大勢から聞かれ静穂はたじろぐ。静穂の記憶ではシャルルを見た記憶がないから疑問に思っただけなのに何故質問で返されるのか。
「静穂、怪我しししたんじゃないの!?」
「とりあえずシャルルくんは落ち着いて。別に怪我するような事ないでしょ、あの程度で」
『あの程度!?』
「……みんなして練習とかしてない?」
演劇のような合わせ具合だった。
「シズ、アンタのISボロボロだったじゃない!」
「身代わりになってくれたのかな」
「聞いた限りではダメージレベルE。メーカー修理が必要な段階だったと聞きましたが」
「え、何それ」
静穂は聞いていない。気づけば医務室だった。
「そうだよ」とシャルル。「E段階までISが損傷した場合、搭乗者はまず負傷、生死に関わる深刻な事態は避けられない。C段階の二人がこれなのに、静穂がそんなに元気なのはおかしいよ!」
「……まさかお前、また無理してないよな?」
一夏の一言で、空気が張り詰める。静穂は空気に押されるように後退り。
……実の所。
静穂は本当に怪我などしていない。全てはISの
静穂がほぼ常に着込んでいるISスーツ、それは嘗て学園に突入したISの部分展開形態のそれだ。
要するにボーデヴィッヒの砲弾を2機分のシールドで受け止め、装甲の耐衝撃性能と上に着込まれた関係から、先にテンペスタの方が損傷したという訳だ。
それでも内側のラビットは無傷という訳にもいかなかったが進度はA。幸いにも生命活動に支障は出ていない。
だから楽観が強かった。それに圧されて気が回らなかった。
(まずいまずいまずいよこれどうするのどうしたらいいのバレるとまずいよまずい問題がいくつもあるよ最近になって一つ増えたよそのおかげで怪我はないけどそれを言っちゃあおしまいなんだよ色々と!)
目線が痛い。責めているのか案じているのかおまえはまたかと呆れているのか。静穂に分かりはしないのだけども。
そんな静穂を救うように、後ろから手が伸びてきた。
「はいはい、怪我人を責めるような事しない」
「先生?」
振り向くより先に静穂の額が冷たさを感じる。いつかお世話になった冷却シートが貼られていた。
「外傷はスーツのおかげで何ともないけど、軽い脳震盪を起こしてるんだから」
「やっぱり無理してたか」
全員から責める視線が飛んでくる。
(何? わたしが悪いの?)
「ほら、治療の済んだ人は帰った帰った」
「先生、静穂さんも今晩こちらに泊めていただく事は……」
「その必要はないわ」保健の先生はすっぱりと否定。「ボーデヴィッヒさんの手心もあって汀さんはほぼ無傷、明日の朝一番に検査には来てもらうけど」
「手心?」シャルルが口を出す。
「ええ、軽量のテンペスタだけ破壊するなんて上級技術よ。理由は当事者にしか分からないけど」
と言って先生は静穂にしか分からぬようウインクした。
(大人の対応だなぁ)
ただただ感謝。黙っていてくれて。
「だから汀さんは早く行きなさい。行く所があるんでしょ?」
言われて漸く思い出す。
爆発した爆弾の後始末が待っている事に。
途中で生徒の大移動とすれ違い、静穂は戻ってきた道を戻る。
相川 清香にあちらの現状を確認して静穂は携帯電話を折りたたんだ。
行きと比べて鈍行なのは仕方ないと事前に言い訳を考えておく。
(ISも持っていかれたし頭も痛いしクラクラするし……よし)
意を決してピットの中へ入っていくと、
「相川さん、わたし帰っていい?」
「そんな!?」
決意も押し流してしまう程の重い空気がピット内を固めていた。静穂が出て行った時とほぼ変わっていない。相川 清香が涙目なのも理由は違うが変わっていない。
(あ、でも簪ちゃんはIS弄ってる)
こちらを見るや否や相川がすがり付いて来た。
「お願い開放して! 二人とも黙ったままで居心地悪すぎる!」
「でもわたし脳震盪の怪我人だしなぁ」
「鬼! 悪魔! ISキチ! いつもの気遣いはどうした!」
「普段のわたしって何者!?」
ちらり、と二人は箒と簪を見る。
「……変化ないね」
「ずっとこのまま。二人とも黙ったまま」
事前に聞いた通りだった。
「アリーナの結末も話した?」
「言ってない。静寐から口止めされてたから」
鷹月 静寐は無用な心配を掛けまいと考えたらしい。壁役の相川には相当の負担だったようだが。
「他に話していない話題は?」
「ちょっと待って……」
言うと相川はスマートフォンを操作する。
僅かに時間を費やして、「あ!」
「お?」
「ねえ皆!」
相川の問いかけに二人も反応、冷徹が過ぎて針のような視線を向けてきた。
「相川さん、逃げていいと思う」
「頑張る……」
明らかな拒絶に負けそうだ。そもそも相川は関わる必要がなかった。
「あのね! 今度のトーナメントがタッグ戦になるんだって!」
「タッグ戦だと?」
箒が食いついた。
「そう! この前のクラスマッチが中止になっちゃったから、同じような事があった場合を考えてアリーナの中に居る人数を増やすんだって!」
「同じような事……」
今度は簪が反応、手が止まり明らかに気が消沈していく。
「もうどうしたらいいの!?」
「あー、うん、後でなんとかする」
嘆く相川を宥めつつ静穂は反応に困ってしまう。
簪はクラスマッチの時に酷い目に遭ってしまった。それらも全て簪に責任はなく静穂に原因があるのだが、彼女は静穂を守れなかったと今でも感じているようで。
責任感が強いというか強情というか。
(別に大丈夫なのになぁ、……ん?)
タッグトーナメント、タッグマッチ、タッグ、二人組、ペア。
「箒ちゃん」
「なんだ」
「まずいかも」
今度は静穂に目線が集う。その中で静穂は女子の群れとすれ違った事を話す。
あの群れは静穂が来た道をそのままゴールから辿っていった。つまり彼女達の目的地は医務室、その時、医務室には一夏とシャルル。表向きIS学園たった二人の男子がいる。
そして今回優勝商品にはその男子と付き合える権利。勝つ為の手っ取り早い手段は専用機持ちとペアを組む事。
優勝商品が専用機持ち。鴨が葱持ち。
「一夏くん、今頃誰かとペアを組んでいるかもしれない」
その一言に相川も呼応する。「篠ノ之さん行かなきゃ!」
「……いや、いい」
『へ!?』
静穂と相川が驚きの声を上げると箒は出口に向かい歩き出す。
「箒ちゃん、どうするつもり?」
「私の力で勝って見せる。誰の力も借りない」
お前の力もだ、と。
そう言って箒はピットを出てしまった。
「篠ノ之さん何考えてるの? いつもあんなに織斑君のこと……」
「わたしも分からない。けど」
一つだけ。
「中学の時に戻ったみたいだ」
「大丈夫?」
「わたしはね」
そう言う彼女は座り込んだまま動かない。脳震盪だというが、4組のクラスメートがその場に居て拡散した情報ではその程度で済んだのは奇跡に近い状況だったらしい。
ピットには簪と静穂しかいない。相川という少女はシズネという少女の許へと事態の相談に走っていった。
……簪は思う。そこまで深刻になる事柄なのかと。
静穂はもう仕方ない。そういう性分だとは分かっている。一度巻き込まれてしまえば自身の能力を最大まで酷使する。そうしなければならないと、
(まるで呪いみたいに)
……だが相川の取り乱し方は変だ。元の彼女の性分みたいなものはつい先ほどまでの当人を見て分かっていた。それでも彼女の普段と慌て具合も違うように見えた。
篠ノ之 箒が織斑から離れるような行動が、1組ではどれだけの大事なのか。
(分からない)
近しい人間に変えれば分かるのだろうか。
(……本音がしっかり者になる)
考えておいて気持ち悪くなってくる。ありえないなんて次元じゃない。姉妹揃ってパーフェクトな人間などと傍にいれば自分が自分でなくなる。自分と重ねてしまうのは必然だろう。
他の人物の場合。
(なら……もしも静穂が)
もしも静穂が、もしも彼女が、
――もしも。
(思いつかない)
彼女ならどんなシチュエーションでもこなしてしまいそうで。
まるで女優。サイドキックな名脇役。
彼女の当たり役、はまり役を考えているうちに考えてしまう。
(私、これだけ一緒に居て)
共に死の憂き目にも遭ったというのに、
(静穂の事、ちょっとしか知らない……?)
「打鉄は進んだ?」
今、気を遣ってくれるのは、嬉しいどころか不快に思えてしまう。
自分の方が大変だろうに。
(痛い目を見て、友達も傷つけられて)
彼女の方が辛いだろうに。
「うん。大分」
「……ごめんね」
それは一番聞きたくない言葉だった。
「何が」
「へ?」
「何が悪いの? 何がいけないの? 静穂が一体何をしたの?」
立ち上がろうとする彼女を押さえつけた。
「何もしてない。頑張ってるだけ。それで静穂が謝るの?」
「……」
「おかしいよ、そんなの」
この問答には結末も意味も進展もない。
ただ言ってしまったというだけ。
彼女の場合は『ごめん』と言う。それに簪はまた怒る。
そのやりとりまで彼女は見透かしている。
静穂は冷却シートの貼られた顔を綻ばせ、簪の手に自分の手を重ね、
「うん、ありがとう」
……だから返ってくる返事は最善の選択。
本当に気を遣える人間とはこういう者だ。
自身は常に下。たとえ相手を不愉快にしてもその立ち位置を貫き通す。
そして相手は不愉快になりながらも最善の一手を行動できるようになる。
そのお膳立ては多分に洩れず簪にも最善を行動させた。
「じゃあ、手伝って」
「へ?」
「作業。トーナメントまで一人で
そして、何よりも。
「完成しても勝てるわけじゃない。試合中にも問題が起こるだろうから」
簪がそれを求めていた。
「トーナメント、一緒に出て」
彼女の事だ。また篠ノ之を止めろとか、ペアを組んでくれとか言われたら断る選択をとらないだろう。
その前に選択肢を狭めてしまえ。その未来を潰してしまえ。
理由などどうでもいい。見知らぬ某より気の置ける友人の方がいいのは事実。
気圧されたように彼女は頷く。
「わたしで良けれ――」
「静穂じゃなきゃ嫌」
「――よろしくお願いします」
後ろ向きな発言を食い気味に潰す。
まずはここから。彼女の意見を前に押し出す事から。
彼女の本心が知りたかった。
「よろしくお願いします。それで、どうしようか?」
「どうって?」
「何から始めるか」
そこから!? と聞く彼女を目で黙らせる。
「簪ちゃん、怒ってる?」
怒っている。理由は彼女にある。彼女が悪い。
無言で先を促すと溜息を一つ吐いて彼女は切り替えた。
簪が見た事のない表情だった。
「なら……、うん。武装は捨てよう」
「捨てる?」
「開発は一時中止、既存のもので補う。飛べないと話にならないから、PICと推進機関の制御機能を最優先」
「推進器も開発が止まってるけど」
「推進器も練習機から持ってこよう。倉持技研の目があるって言うなら打鉄のものを使えばいい。簪ちゃんの専用機は高機動型だからラファールかシュトロの物を使いたいけど」
「そこまで気にしなくていいと思う」
「なら打鉄は外す。敏捷性ならシュトロ、ある程度重いものを使いたいならトルクのあるラファール」
「テンペスタは?」
「あのスピードを出すには武装も制限されるからお勧めはしない。まあ簪ちゃんの体に合ったものが一番だから…………そうだよね」
「?」と簪が首を傾げると、
「わたし、簪ちゃんのこと何も分かってないや」
……つい手が伸びた。
「ふぇ!?」
「…………」
まずは彼女の頬がどれだけ伸びるか調べよう。
「ふぁー!」