「断る」
男らしい一言だった。
「何故だ」
「理由がない」
「こちらにはある」
「俺が千冬姉の弟だからか?」
「教官の汚点だからだ」
その一言で一夏は身を強ばらせ鈴とセシリアは得物を構えデュノアは箒たちの前に出る。ボーデヴィッヒの背負った巨砲が一緒くたにこちらを捉えていた。
「ISに乗ってない奴もいるんだぞ!?」
「アリーナに出ている時点で戦場に立っているものと同じだ。流れ弾が当たらない確証がどこにある?」
箒は気付く。自分たちが枷となっているのを。ISに守られていないという事は例え小さな破片一つにしても負傷し、命の危険に晒されるという事だと。
彼我は4対1。だが4機の内、最低でも1機は生身の箒と静穂を護衛しなければならない。実際に今はデュノアが二人の前にいる。戦術に関して箒は疎いが数の有利が減少してしまうのは痛いものだと理解は出来る。相手はドイツの最新鋭機との噂、油断など出来ず相手の心変わりもなければ確実に戦闘となる。この場に於いて自分たちは異質、邪魔でしかない。
戦いたいと思う手前、力のない自分を叱責する。それでも箒は最善手を選ぶ為、静穂の手を掴もうとして、
――その手がするりと前に出た――
――自分のとった行動はその場全員の構えを一時は停止させたようだ。
後方からは驚きの声が上がり前方は「ほう」と眉を吊り上げる。
「何のつもりだ」と前方の彼女は言うが後方も言いたい言葉は一緒だろう。
対する静穂の回答は、
「…………何でだろう?」
後ろの全員が崩れ落ちた。
「シズ!? アンタ考えなしに突っ込むのは一夏だけでいいのよ!?」
「どういう意味だ鈴!?」
そうは言われても考えなしどころか気付くと矢面に立っていたのだから始末が悪い。
「いやぁ無意識って怖いよね、師匠?」
「同意を求められても困りますし無意識なら尚更に悪いですわ! 早くこちらへ!」
それもそうだと踵を返す静穂の足元に刃物が突き立つ。ボーデヴィッヒのワイヤーブレードが一本。
「丁度いい、聞く事がある」
わたし? と自分を指差し確認をとり、そうだと頷かれ少し悩む。最近は自分の知らぬところで接点が生まれているらしい。
後方では静穂の身を案じる声が聞こえてくる。そこまで心配するような事態なのか。
それにしても、と静穂は悩む。
聞かれるような事柄など自分には存在しない。少なくともそうだと自分は考えている。
だのに彼女は親の仇とばかりに恨んでいそうな織斑 一夏を前にして自分にも矛先を向けてきた。
無意識のうちに何かしたのか。逆鱗に触れたか単なる興味か。
(後者だといいなぁ)
身に覚えがない以上、理不尽に不快な目には逢いたくない。なによりボーデヴィッヒを昼時の女子と同じとは思いたくなかった。
それは単なる同族故に。
(……織斑先生に出席簿を受けた仲だしねぇ)
あの時の痛みを堪える彼女は演技などをなしに本当に痛そうだった。それも幾度と受けた形跡が見受けられるくらいに。
織斑先生は打ち方を毎回変えているのか受け止め切れないのだ。静穂は経験と彼女の悶え方からかなりの回数を受けたと推測する。
(というか昔から出席簿使っていたんですか)
出席簿教育は代表候補生を輩出するまでに確立しているらしい。
……と、静穂が妙な感慨に浸っていると懐から電子音が響く。
1組のお家芸を披露している後方を他所に前方には断りを入れて通話状態に。
「(織斑先生?)もしもし」
『汀、そこを動くな』
「?」
何故と聞くよりも早く。
――ボーデヴィッヒの頭が飛び、体ごと横に持って行った――
「ぼーで――びぃっ!?」
静穂の鼻先を掠めるように刀剣が落下、突き刺さる。
視界の端では投げつけた張本人がスマートフォンをしまいつつ近づいてきていた。
「みだりに武装を使うな、莫迦者」
そう言うと織斑先生は静穂の前に突き刺さった剣を軽く抜く。
「汀」
「はい」
「山田先生が待っている。この場はいいから行って手伝って来い」
「教官!そいつは今私と――」
出席簿の時と変わらない音が聞こえてくるアリーナを、静穂は一目散に逃げ出した。
「そう、そのままずいーっとゆっくり……はいストップ」
言われるがままに三角形を壁に嵌め込みそのままの姿勢で押さえる。
「…………、汀さん、離していいですよ」
隔壁の向こうで仮止めが終わったようだ。カンカンと響いていた音が途端に止んだ。
「ではそちらから溶接していきましょう。下手をすれば火傷どころではないので、絶対にISの展開は解除しないでください」
ここ数日は山田先生と同じ事を繰り返していた。三角形にくり貫かれた隔壁をラビットのパワーアシストで元の位置に戻し、溶接して元通りに戻す作業だ。
いくら溶接しても隔壁としてはその箇所が脆弱になるのではと静穂は以前に質問した事があるが、山田先生は側面から合金の芯棒を刺し込むから問題ないと答え、実際に静穂はバレーボールのポール程はある金属棒を押し込んでいった。
「汀さんのお陰で大助かりでした。本来ならISの使用許可を申請して、その許可が下りるまで何日も掛かります。それを待っていると到底トーナメントに間に合いませんでしたから」
山田先生は本当に嬉しそうだ。
(裏表がないっていうのはこういう事なのかな)と静穂は山田先生をまぶしく思う。
確かにISの力というのは素晴らしいのだろう。
重機の入り込めない閉所での作業も楽にこなし、操縦者を溶接で出る火花からも完璧に保護する安全性は、その恩恵を今受けている静穂にも理解できる。使い方を間違えなければと冠詞がつくが。
この素晴らしいであろう発明を世間は危険な兵器としてしか扱わず、女性しか扱えないと知った多数の人間は虎の首を狩ったように騒ぎ立てる連中に殺されかけた静穂としては、山田先生の言葉は複雑に捉えてしまう。
そもそもこうして三角形を固定し続けて十を超えるが、これらは全て自分を救助する為にくり貫かれたのだ。
(助けられたのはこっちなんだよねぇ)
それで助かると言われるのはどうなのだろうか。自分が原因なのだし、自身がこうして後始末を勤めるのは当然ではないかと静穂は思う。
……両側から溶接処理を施し、研磨して凹凸を無くし、予め空けておいた穴に芯棒を挿し入れて、細々とした施工を済ませていく。
今日で全ての隔壁を修理した。
「お疲れ様でした! 後はセキュリティの動作確認が残っていますが、私たちの仕事はもう終わったようなものです!」
お疲れ様でした、と挨拶をして、使った道具の後始末。
するとそれまで笑顔だった山田先生が顔を覗き込んでいた。
「なんでしょう?」
聞くと山田先生は眉根を寄せている。彼女の心配している時の表情だ。
「本当に何なんです?」
「いえ、困った事はありませんか?」
困った事?
「人間関係に悩んでいるとか」
「ないです」
「不安で眠れないとか」
「目覚めもばっちり」
「ご飯がのどを通らないとか」
「それをわたしに聞きますか」
べつの意味では困っているが。紙袋の中身は到底一両日程度ではなくならない量が詰まっている。賞味期限を考えて優先順位をつけてはいるが、当分は食堂で食事は摂れないだろう。
「なんと言えばいいか分からないですけど、とにかく心配なんです!」
「先生方を心配させるような事はもうないと思いますよ?」
「それは嘘ですね」
「ひどい!」
叩き斬るように否定された。
その場で山田先生と別れ、射撃場で後片付けを手伝い、紙袋を抱えて寮への帰路を行く。
歩きながら静穂は山田先生から言われた言葉を反芻していた。
―今の汀さんは気を遣い過ぎです! もっと本音でぶつかって来て下さい!――
(……本音ってどういう事だろう)
確かに静穂は人に言えない事柄が多い身の上だ。だが隠し事と本音に関係性は無い筈だ。
(同じクラスの本音さん……の訳ないだろ馬鹿かわたしは)
自己嫌悪。それもこれも山田先生の心配性のせいだと責任転嫁。
静穂の首にはISコアが埋まっている。そしてそのISによって静穂は今を生きていられる。
他人から見れば驚いて然るべきなのだろうが、
(それだけだよね)
静穂にとってはもう過ぎた事だった。
今更になって喚いてもどうしようもなく。出来たとしてもそれを可能な人物は行方不明。居たとしても施術してくれるかどうか分からない気まぐれ加減。
先程までの運用も、使えるのなら使うべきだとしか静穂は思っていない。
要するに周りが想う程も苦になど思ってはいないのだ。
悩みとか苦労とか、
(そんなものはとうに通り過ぎている訳で)
諦めを通り越して達観。苦悩を踏み越えて前傾思考。
(変に悩まずさっさと行動。結果が良ければなんとかなる)
愛する義姉の言葉だ。
だが、
(結果が良くなければ駄目って事だよね……)
義姉はそれで大丈夫だったのだろうか。
「いい筈がありません!」
「!?」
突然の声に顔を向ける。織斑姉弟とボーデヴィッヒがそこにいた。何故か弟の方は草叢に息を潜めているが。
「お前は……!」
「汀、帰っていなかったのか」
一夏と違い隠れてもいないのだからすぐに見つかる。
傍で睨むボーデヴィッヒを他所に織斑先生が話を振ってくる。
「汀」
「はい」
「貴様にとってISとは何だ」
「ISですか?」
「そのまま答えればいい」
状況も分からずの問いかけに正答は存在するのか。
とはいえあの織斑先生からの質問だ、その正答を引き当てなければ出席簿が待っている。……と、
(言ってもなぁ)
何々とは何か、哲学入門にありそうな問いかけだ。答えなど出題者の気分次第。せめて二人の会話が分かれば何とかなるがかもしれないが隠れている一夏に頼る訳にもいくまい。
なので織斑先生の言うまま、そのままの意見を述べるしかない。
静穂は紙袋を抱え直すと、
「ISがないと死にますね」
と答えた。
嘘ではない。静穂の命は首のそれで繋がっている。織斑先生には予約要らずの工作機械扱いされていたり静穂自身にもISスーツの代わりに着込まれたりと散々な扱いだがグレイ・ラビットは静穂を生かすという大きすぎる仕事を文句も言わずこなしている。
ISコアには心があると篠ノ之博士は言ったそうだ。そのうち自分に牙を剥くのではないかと静穂は肝を冷やしていたり。
さて置いて、静穂の答えは織斑先生の望むそれだったのか。先生の表情は変わらず、隣のボーデヴィッヒは苦虫を噛み潰したような表情。
(何故!?)
「彼女は例外です! 練度から観ても周囲と頭一つ抜けているではありませんか!」
「その例外もまたこの学園には居るという事だ。それに汀は入学前は素人だった」
その一言で、ボーデヴィッヒは一層機嫌を悪くしたのか、「私は諦めません!」と捨て台詞を残して立ち去っていった。
(一気に負け犬っぽく)
「隔壁の修繕は終わったようだな」
「へ? あ、はい」
「奴との会話が気になるのなら私に聞くな、そこの莫迦者にでも聞け」
「ひでえな千冬姉」
入れ替わるように織斑姉弟が静穂の前から去っていき、やって来る。
見送ってからやって来た方に目を向ける。邂逅一番に「凄いな静穂」と言って来る彼の目はどこか輝いているのは何だ。
何が凄いんだ、と返しつつ、
「それで、何があったの?」
「千冬姉は少し前にドイツで教官をやってたんだ」
一夏の部屋に移り静穂は椅子に座っている。一夏は勝手口でティータイムの準備中。いいと言ったのだが「日頃から千冬姉にこき使われてるから御礼させてくれ」と押し切られてしまった。
「ラウラはその時の教え子らしいんだ。千冬姉は1年間ドイツで教官をやってから
「?」
なってた?
「実はここにいたなんて知らなくてな」
実の弟がそれでいいのかとも思ったが、まあそういうものなのだと静穂は理解があった。静穂にしても言われるまで義姉の国家代表入りを知らなかったのだから、同じといえば同じだ。
「確かに言われなきゃ分からないよね」
「だよな!? 俺は間違ってないよな!?」
「仕草で理解しろとか言われても無理なものは無理だし」
「いやあ分かってくれる女子がいてほっとした! シャルルも俺の方に問題があるとか言い出すから味方はいないと思ってたからな」
(すいませんわたしも男子です!)
言えないが故のジレンマ。
「――でも凄いよな」
「凄い?」
「ISがないと死ぬ、なんて。そこまで熱中できるんだから」
いつの間にか話題が変わっていた。
(というか熱中?)
「束さんが聞いたらどう思うかな」
「あぁ」と静穂は思い出す。「箒ちゃんのお姉さんだっけ?」
「昔から楽しそうな人だったよ」
何を以て楽しそうと表現しているのかは分からないが、彼の話し方は近所で仲の良かったお姉さん程度の立ち位置だ。
彼が軽く語るその人を世界中が血眼になって探しているのだが。
「俺にはないな、そんなに熱中できるものは」
「そうなの」
「中学の頃からバイトばっかりだったからかな。家計を助けたくてさ」
家計、と聞いて静穂は躊躇う。まずい事を聞いてしまったのかと。その素振りを見て一夏は紅茶を持って来つつ、
「そういえば静穂はどうなんだ?」
「わたし?」
「さっきから俺ばっかり喋ってるからな」
そうは言っても話せる事柄が圧倒的に少ない。要人保護プログラムに触れる内容が多すぎる。
(でも箒ちゃんの中学時代なら?)
少し考えて、止めた。この場に他人を出すべきではないとも思ったのもあるが、
……何よりあまり変化がなかった。幾分かは会話というか共謀する仲にはなったが中学の頃と比べてみるとよく喋るようになっただけだった。
差し出された紅茶は良くある大量生産品。カップを受け取ろうとして、
「昼間の事が気になってた」
「昼間の?」
相槌を打ったのが間違いだった。
――受け取り損ねた。
「熱いっ!?」
「静穂!?」
淹れたばかりの紅茶はほぼ熱湯。零れて掛かり痛みを誘う。
「すまん! 今タオル持ってくる!」
一夏が急ぎ洗面所へ向かってくれるのを見つつ、
(ラビットを展開しておけば良かった)
と後悔する。展開さえしていれば精密動作で取り落とす事もなく熱湯程度の熱さも難ではない。
――そしてこれから先の事態にも即応できただろうに――
「シャぐぅ!?」
一夏が驚きの声を上げた途端、洗面所の扉ごと吹き飛ばされた。
「一夏くん!?」
椅子から跳ね上げられるように飛び出し一夏に駆け寄る。
完全に目を回している。絵に描いたような気絶状態。
飛んできた先にはISの拳以外一糸纏わぬ女子の姿。
「ラファール!?」
橙色の拳が次は静穂を狙って振り下ろされる。
頭を下げて回避。もたつきながら後退。投げ出された一夏の腕に躓く。
後ろから倒れこむ最中、空を切った腕を掴まれ拘束、
「ーーーーーーーーーー!?」
声にならない。下腹部の内臓を内側から荒縄で絞めて捻じ切られるような感覚が襲ってくる。
軟い内臓器官が硬い膝の皿に瞬間圧迫され行き場を失った。
「!?」
相手も膝の感覚に戸惑った。掴んだまま静穂の腕に導かれ、静穂の上に倒れこんだ。
濡れそぼった柔肌が押し付けられる。一般男子なら喜ぶだろうか、金的に一撃を受けていても。静穂には無理だった。
「え、汀さん? どうして、
「(その髪、その声、)そのIS、デュノア君?」
紅潮と蒼白、対比する顔色が見つめ合う。
『どういう事!?』