完璧とはプラスとマイナスが芸術的均衡を取っている状態を指す。
不足しているのならば問題外。かといって多すぎていてもそれを完璧と呼ぶ事はない。
蛇に生えた足、ゲルニカに色彩、ヴィーナスに両腕。
――だが、
持たずに生まれてきたものはあっても、持ちすぎて生まれてきたものは、この世に存在するのだろうか。
持っていたものを奪われ生まれてきたものは、この世に存在するのだろうか。
――汝は十全なりや?――
一夏から静穂の事件を聞いて飛び出した。
死んだように眠る奴の顔を見て、寝息が確かめられなければどうしていたことか。
保健の先生からはただの過労だと聞かされた。
それを聞いて私は安堵してしまった。
あのISのせいではないと思ってしまったのだ。
……あれを造ったのは姉さんだと思うから。
だが疑問は拭いきれなかった。
なぜ静穂は倒れるに至ったのか。
オルコットに師事していた時などはギリギリの位置で、倒れるなどはなかった。
中学の時分から周囲の目を気にする性分に見えた。だからだろう。
なまじ女子ばかりの空間に自分も女子として入り込まなければならない状況、自分に置き換えてみれば簡単に想像がついた。
……かなりきつい。
そんな精神状態で今までにはない事柄が続けば、爆発するのは自明の理だ。
実際、静穂は熱を出していた時も気を配ってくれていた。そして倒れた。
契約などと言って静穂を張りつめさせた自分を叱りたい。
……私だけでも頑張ってみよう。
本来これは、私の戦いなのだ。
「一夏!」
「どうした箒?」
「今度のトーナメントなのだが!」
「トーナメントがどうした?」
――私が優勝したら、付き合ってもらう!――
つながっている? 命が?
(というか本来の首はどこ?)
とりあえず首筋に触れてみる。確かな感触がそこにあった。つねっても痛い。痛覚、おそらくそれ以外の四感もある。首で味覚は知りたくないので三感? いや触覚だけでいいのか? むしろ20以上の感覚器官を試すべきなのか?
「汀、明後日までは
はっと雑念から戻って来る。
「この事を知っているのは他に誰が?」
静穂の質問に織斑先生は、ふ、と一度切って、
「いない。更識もオルコットも代表候補生、言ってしまえば国と繋がりのある人間だ。貴様の状態を知れば本人はともかく国がやたら接触するように働きかけてくる可能性がある」
「大丈夫です。私たちは汀さんの味方です!」
そう言って山田先生は静穂の肩をさらに強く抱く。別に卒倒したりしないのに。
「山田先生は心配なのよ」保健の先生は笑いを噛み殺す。「ISコアが人体に与える影響は未知数。しかも男性操縦者で体内に取り込んだ状態なんて誰もどうしようもないんだから」
確かに前例などある筈もない。静穂自身が稀有な例だ。
「対処方などたかが知れている」
「織斑先生!?」
「分かるんですか!?」
耳元で叫ばないでほしい。鼓膜が痛いから。
「慣れろ」
……ズッコケ芸にも巻き込まないでほしい。痛いから。
――あれだけの事が起こっても一向に眠れる気がしなかった。むしろだからこそなのかもしれない。
目も冴え頭は澄み渡っている。興奮とは違う、清涼感にも似た何かだ。
なんというか、こう、
(……よくわかんないけど)
表現するには語彙が足りなかった。
あてがわれたベッドに横たわり、天井に向かい両手を伸ばす。
久しぶりに泣いた。あの人の事を想った。
完全に忘れかけて思い出すことも難しかったあの人の顔も、今ははっきりと思い出せる。
まるで昨日の出来事のよう。破損したデータが補われ修復されたようだ。
(……よくわかんないけど)
嬉しい筈だ。懐かしく、今も自分の礎となる記憶。
忘れたかったなどと口が裂けても言わないが、これほど
上げた掌を
「どうなっちゃったのかなぁ」
それは何に対しての問いかけなのか。
加畑ではない。殺されかけた相手の事を心配するほど静穂はお人好しではない。クラスがどう思っているかなど本人は知らず。
簪かもしれない。部屋を出る前の彼女の表情を静穂は覚えている。呼び止めようとして間に合わず少し眉の下がった表情。女子力。
「――あぁ、もう!」
静穂も十代。八つ当たりしたくなる時もある。
しかし本人の性かその相手がベッドの手すり、それも金属製だと理性が働くのか力は加減される。
無意識に自身への戒めを求めた静穂の腕が振り落とされ、
――ぐしゃりとひしゃげて湾曲した――
「ホントにどうなってんのこれぇ!?」
サーバーからコーヒーを2つ、一方を山田先生に手渡し、席に着く。
山田先生の顔は浮かない。
「汀はそれほどでしたか」
「はい……」
今朝の汀は半狂乱だったと聞いたがそれほど大変だったかと千冬は紙コップに口をつける。
保健医の先生が朝見た光景は呼吸の止まった汀の姿だったそうだ。
彼女は迅速にAEDを使用、汀に電気ショックを処方した。
実際は無呼吸症候群か仮死状態に陥っていたようで事なきを得たのだが、
ISにとってはたまったものではなかったらしい。
電気ショックを外的攻撃と見做したであろう首のISが暴走。手当たり次第に静穂の腕を振り回した。
朝の見舞いに到着した山田先生が二人がかりで事態の収拾に乗り出したが千鳥足でうろつきパワーアシストの剛力が加わった静穂は医務室の一部を損壊させ山田先生の膝下タックルで後頭部を強打。今頃は何があったか知らず痛む頭を抱えながら朝食を摂っていることだろう。
「織斑先生なら汀さんに怪我させる事もなかったでしょうに……」
教職の鑑がここにいた。
当の千冬は見舞いに行きたいと言う彼女の思いを酌み早朝から事務仕事だった。感想としては山田先生、貴女は優しすぎる。電話の相手先は山田先生と勘違いして舐めてかかってきたので一喝しておいた。全部。しばらく山田先生の業務に滞りはなくなるだろう。
それにしても、と千冬は考える。
汀の生命を維持しているISが当の汀本人の身体を動かす。
これでは立場が逆転している。
今朝の彼女たちに怪我はなかったが3日経った今でも勝手に身体が動くようでは汀も生活に戻りづらいだろう。周囲の危険もある。当人もストレスが溜まっている筈だ。
ストレスが溜まればISが誤作動を起こす可能性は上がる。大元は静穂自身なのだから悪循環は止まらない。
(制御か、最悪は封印)
汀には何としても前者を取らせたい。後者の場合は本人も眠りにつくことになる、
永遠に。
(放課後にでも手は打つとして、まず)
「……山田先生で助かりました」
「織斑先生?」
「私では首を刈り落としています」
「ーーーーーーーーー!」
戦慄する山田先生を見て千冬はコーヒーを飲み干す。
これでしばらくは任せられるだろう。
ここ数日は散々だった。
朝起きれば頭に鈍痛。シャーペンは握り潰しおにぎりは鮭が空を飛びトイレのドアノブは消失した。
たたらを踏めば靴跡が刻まれ踏み込むと世界記録を優に跳び越え足を挫けば凄く痛い。
「本当……どうなってんのこれ……」
すべて人目がなくて幸いだった。一般人の動作を練習しなければならないとはどんな非常識人だ。
静穂は知らないが織斑先生の予測は大当たりだ。
手当たり次第に握り潰すものだから最後は米粒を羽毛で掴むような集中力を要した。
そうするとISのハイパーセンサーが誤作動を引き起こす。
誰がノートの繊維質を見たいと言ったのか。出席簿の初速を計りたいと言ったのか。山田先生のスリーサイズを知りたいと言ったのか。最後は本当にごめんなさい。でも嘘でしょあの速度。
とにかくこのIS、やたらと神経過敏になっているようで。
(やりすぎなんだよなぁ)
部分展開もなにもしていないのにこの有様だ。完全展開などしてみたらゴリラのような怪力になってもおかしくはない。禁じられた力を持つとはこういうものか。
遅い中二病の到来にわなわなと震えていると、
「汀」
「ッ!?」
バトミントン選手を軽く超える速度で振りぬく出席簿が落ちた。
「っぁあああ…………」
「ふむ、耐えたか」
いつもは失神していたのと首の心配もあって肩に落としたのは正解だったようだ。
「ようやく学園の生徒にふさわしくなってきたな」
「要求スペックが高すぎませんか!?」
「加減はした」
「鎖骨と肝臓がくっつくかと思いました!」
うるさいのでもう一度。
小さくなって震えているが問題はないようだ。
後は山田先生に丸投げ、失礼、任せるとしよう。
「では行け」
「……はい、行きます」
肩を振りながら汀はラファールを駆ってアリーナに飛び込んでいく。
千冬は通信を入れた。
「山田先生」
『はい』
「だいぶ参っているうえに
『わかりました』
通信を切る。彼女も今の汀を理解している。汀は今ある程度ほぐしたが山田先生は余裕がなさそうだ。
おぼろげで危険極まりない。定着しつつある膨大な知識に比べてちぐはぐな搭乗時間と実戦経験。そして操縦しきれない四肢、余裕のない心境。
今の汀に資格はない。
「ではこれより」
だから試す。示して見せろ。
――汀 静穂のIS学園入学試験を開始する――
バトミントン選手のラケットを振る初速は平均で時速360kmだそうです。