「一夏! 久しぶり!」
「鈴!? 本当にお前か!?」
一組の扉付近では感動の再会が行われ、
「どういう事だ静穂……!」
「静穂さんのお知り合いですの……?」
「あー、あー」
静穂の周囲では魔女裁判が始まっていた。
あの鈴という少女は箒も昨日見ている。だが見たというだけなので、彼女については静穂の方が詳しい。確かにそうなのだが、
「昨日お前を連れて行った女だな? その時点で何もなかったのか」
「あー」
「盗み聞きは貴族にあるまじき行為とは承知していますが、聞く限りでは随分と親しく、以前からのお知り合いの様ですわね」
「あー」
返答に困る。というか何を話せば静穂は助かるのだろうか。
阿形吽形揃い踏み。前と後ろと修羅が居る。
箒よりも詳しいとはいえ、一夏と親しい間柄など聞いてもいない。ただ振り回されて駆け抜けていった印象しかないのだから。
だがそれを弁明したところで二人が納得するかどうか。
「あーあー言うだけでは分からんぞ」
「静穂さん、落ち着いてよく思い出してくださいな」
……あー、と言っておくしかないだろう。他の理由が主だったが。
(あつい……)
実のところ風邪を引いていた。38度2分。それでも起きて動けるのは男子故の体力か。
昨日、シャワーから出て櫛を通したのはいいが完全に乾いてはいなかったらしい。そこに春先の気温変化と野ざらしでの睡眠、更に最近のストレスからの解放が決め手となり、その結果が、
「体調管理は基本だ、寝ていろ」
せめて失神する前に言うべきだとクラスの思いは一致した。
静穂は安堵していた。肌を見せずに済むと。
一年生は今日からISの実習に入る。その際には勿論着替えなければならない。風邪っぴきの静穂は見学か早退の二択を強いられているので今回は着替えなくて済む。先延ばしになっただけだが。
静穂は焦っていた。躊躇いがない周囲の脱ぎっぷりに。
いくら悲しいかな女性に慣れているとはいえそれは平常時に限った場合である。平常時とは当然、服を着た状態。下着からは免疫がない。
ISスーツを着るという事は必ず下着姿かそれ以下になる訳で、
(あー、あー、あー、あー、あー)
一夏が宛がわれたロッカー室に向かい、角を曲がって見えなくなったのを静穂を除く全員が確認すると一気に騒々しくなった。
「よかったー、織斑君と一緒に着替えるのかと思った」
「いっそ見せつけて悩殺しちゃうとか」
「逆セク……?」
「ちょ、
「大胆すぎ!」
「ニップレス貼ればいける!!」
「今日に限って……」
「重いの?」
「かなり」
一言でいえば生々しい。女子高のノリである。
ここでショーツや生理用品の一枚や二枚飛んでいれば立派な底辺校だが、そこは天下のIS学園。世界中からエリートを集めたこの場所は辛うじてお嬢様学校に近い。
女子ならば簡単に迎合できる環境。ならば静穂はどうか。
「あーうー、うー…………」
当然戸惑っていた。
目線はとにかく下に向け、視界から肌色を可能な限り遠ざける。
静穂とて興味がない訳ではない。それよりも羞恥心と恐怖心が勝っただけで。
「静穂さん、大丈夫ですの?」
「あー、うん」
悪化したとセシリアに勘違いされる程真っ赤らしい。「熱は大丈夫だから」と修正しておく。
するとセシリアは、
「成程」
「?」
「次までになにか羽織るものを用意しますわね」
「へ? え?」
「……おい」
いつの間にか箒がいた。セシリア含む周囲の女子がまだ半脱ぎ状態なのに対し箒は既に着替え終わっている。
「見学くらいなら出られるのか?」
「そのつもりだよ」
「ならせめてジャージを着ておいた方がいい。土埃で汚れるかもしれない」
そういう事かと納得しかけ、戦慄した。
「…………脱げと」
自ら人食い鮫の群れに飛び込めと?
わなわなと震えている静穂に箒が耳打ちする。
「ちょっとだけで済む」
「へ……?」
「今後の理由がないと怪しまれる」
肌を隠すために肌を見せろと彼女は言う。
毎度の事ながら性別がバレる危険性もある。男子と女子では骨格から異なるのだ。
それに静穂自身、素肌にはコンプレックスがある。ハイソウデスカと見せたくはない。化粧道具で少し誤魔化せはするが、今日は体まで手を掛けていない。
「あー、う」
「篠ノ之さん、静穂さんにはわたくしが手配を致しますから」
「ガードを固めてからでは悪化する。油断して捲られるというのは避けたい」
「……静穂さん、そこまでですの?」
中学からの友人である箒の言を聞きセシリアは心配になったようだ。
箒を見れば少し不安げに眉を寄せている。
(あー)
静穂の為に考えたはいいが結局静穂のコンプレックスを刺激する手段しか思いつかなかったようだ。
静穂は覚悟を決めようとする。自分の為に考えてくれたのだ、男が廃る前に行動せねばなるまい。女装しておいて廃るものが残っているのかは知らないが。
「……よし」
静穂が制服のジッパーに手を掛ける。熱のせいかたどたどしい。
風邪に体力を奪われていた彼にとって制服の上着は、固く、重苦しいものだった。「う……ん……」と小さく唸りながら身体を捩り肩を出す。ワイシャツの肩が出て、袖から手を抜き出す。薄い布越しに伝わる外気が熱を少し奪う。
ふう、と息を整える。ワイシャツのボタンは小さい。確実性を求めゆっくりと、下から外していく。静穂は中にTシャツを着ていた。色は黒。僅かに汗ばんで紅色した首筋が露わになる。黒のTシャツと肌が対比して色白を強調している。
周囲の会話も途切れ息を呑む者もいるが気付いたのは箒だけで、(マズイか……?)などと後悔していた。だが今更になって止めるというのも出来ない空気が漂っている。
それというのも、
――静穂の仕草に艶めかしさを感じる――
熱っぽい吐息も、紅潮した頬も、風邪から来るものだとは分かっている。
それなのに、
(何故私はドキドキしているんだ)
箒だけではないらしい。向かいのセシリアも頬を赤らめているし、周囲もどこか落ち着きがない。チラチラと静穂に目を向けている。
目論見は成功、と言ってもいいのかもしれない。静穂が肌を見せないというのはクラスでも少し気になるという者が出始めていた。箒こそ知っているが他の女子としては同性ばかりのここでそこまでガードが堅いのは一夏を意識し過ぎではないか、それとも他の理由があるのか、と。
箒は以前の契約を履行すべきと考えた。静穂としてもバレたくはない様で、箒も協力者の必要性を痛感したからだ。セシリアの豹変が証左である。
箒としては嘘は良くないだろうと考えた。女装も嘘ではあるがさて置き、肌に関しては静穂にしっかりとした理由がある。箒は意識してこそいないが、嘘を隠すには真実を織り交ぜるのが一番だ。
だがこれはやりすぎではないだろうか。
一挙一動が完璧な少女のそれなのだ。演技派とは知らなかったがここまでとも思わないだろう。
風邪の熱から来る表情は、まるで恋愛小説の主人公。恋に焦がれ、成就して、想い人と真に番いとなるための、必要不可避な一連の所作――
ちょっと待て。
(私は何を考えている!?)
これでは静穂が本当に女子のようではないか。
何度も言おう、静穂は男だ。
でも、それでは、
(まるで静穂にこ、興奮しているようではないか!)
しかしそれなら周りの反応も理解はいく。同性に惹かれるというのはフィクションだけだと箒は断言する。根拠はない。思い当たる節はこの際無視して。
だとするとこの状況は拙い。ただ正体を明かすだけになる。
箒は制止しようとした。だが、
――誰もが悲鳴を飲み込んだ――
Tシャツから伸びる両の腕。それは夥しい数の手術痕で固められていた。
かなり昔、それも幼少期かさらに前と箒は思っている。成長に準じて肌の面積は広がり痕も大きく薄く、目立たなくなるだろう。
それでも静穂の場合は多すぎて更に存在を大きく主張している。
(久しぶりに見たが、これは)
何度見ても、慣れるものではない。周囲と大差ない位の回数だが。
セシリアも口を押さえている。周囲も吐き気こそ襲っていないが血の気は引いているだろう。女性にとって肌に残る傷跡とはかなり上位に位置するコンプレックスのひとつだ。
(私はなにをしている)
下手すれば今までの、静穂の努力を無駄にするのではないか。箒は遅すぎる後悔の念に苛まれた。
もっと思慮すべきではなかったのか。一夏の事で焦るばかり静穂をどう考えていたのか。
「箒ちゃーん……」
呼ばれてみれば静穂がシャツを捲し上げ始めていた。
腕も苛烈なら胴はさらに苛烈。少しだけ捲くられた先に見える腹部は極めて大きな切り傷が――
「っ!」
直ぐに裾を掴み力任せに引き下ろす。首からつんのめった静穂にジャージとおまけにISスーツも突き渡して手を引く。
教室から逃げ出した。
謝罪と悔悟と憤怒のうち、どの顔をしているのか判らない。とにかく手を引かれるままの静穂に今の顔は見せられないだろう。
「箒ちゃんってば攻めるねぇ」静穂が口を開く。「ヒヤヒヤしたよ」
「……何とも思わないのか」
自分の気にしている事柄をやり玉に挙げられて。
「別に」
軽く返された。
「傷は男の勲章なわけですよ」
そういうものか。
「肌はいつかバレると思ってたし、これで皆に見られることもなくなるんじゃない?」
楽観的すぎやしないか。悪化するのではないか。
何を言ったらいいかわからない箒。それを知ってか知らずか静穂が、
「でも好都合だねぇ」
「え?」
「わたしはまだ着替えてない。でも教室にはもう戻れない、傷跡が見えるから。じゃあどこか別の場所で着替えないといけない。問題はどこで着替えるか」
「まさか」
静穂を見る。にやりと笑う静穂がいた。
「今ならまだ一夏くんの着替えに間に合うかもね」
「な!?」
なにを馬鹿な事を言うのかこの男は! それでは箒が、
「それでは私がお前をダシに使ったみたいではな――」
「さぁ行こうそれ行こうぱっと行こう! 一夏くんの場所は遠いよ!?」
引かれていた手が逆になる。
「待っ、離せ!」
「実は結構気にしてたんだから意趣返し!」
「それを言うのか!?」
そう言われると抵抗しにくい。
結果、一夏の着替えには間に合い、箒は一夏の成長を一部分見ることに成功した。
静穂は倒れた。