ARMORED CORE V ―OASIS WAR―(改訂版) 作:キサラギ職員
彼女が救出されて担ぎ込まれた先は医者だった。
ハイG機動に晒され続けた肉体は既に限界に達しており、放置すれば死亡する恐れがあったからだ。それなりの値段で雇っておいた回収班は直ちに腕利きの医者の元に搬送した。機体は半壊状態にあったがヘリで運び出した。
ACは単独では戦えない。支援があってこそ機能する兵器である。
人間も同じである。誰も一人では生きられない。
ふと目を覚ますと、知らない天井があった。消毒用アルコールのむせ返る臭いがしみついた壁に清潔なシーツ。心電図の規則正しい作動音。首や胸元に電極が治療用テープで張り付けられていた。痒い。爪で肌を擦る。肌色に薄いピンクが引かれる。
医者は大嫌いだった。その昔の記憶が蘇ってくるからである。もはや鮮明には再生できないが、自分自身を実験台として扱っていた連中がいたことを覚えている。その不愉快な連中は現状と同じように消毒用アルコールの臭いがする部屋で全身にコードを繋ぐ作業をしていた。
では彼女はどうしたのか? 答えは、ベッドの柔らかい枕に頭を置いただけである。彼女は傭兵であり、荒くれ者集団と大差ない存在であるが、理性と常識を弁えている。おそらくは己が雇ったであろう医者に対して喧嘩を吹っ掛けるほど阿呆ではなかった。
何気なく肌を触ってみた。お次は頭を。包帯が巻かれていた。どこかにぶつけたのだろうか。不思議なことに適当に放置しておいたはずの髪の毛が整髪料か何かでも塗布されたように柔らかく整っていたが気には留めない。まるで洗髪したようだった。
白い患者服の裾を捲って、お腹に手を突っ込む。包帯。キリリと痛む。包帯で強く圧迫されていた。開腹して外科手術を行ったか。猛禽類も真っ青なリミッター解除での超絶起動をとったのだ、内臓が損傷してもおかしなことではない。大けがをしたのは久しぶりで、痛みが懐かしくもある。
体がだるい。まるで拘束服を着せられているように手足が動作を拒絶していた。頭も麻酔が抜けきっていないのかぼんやりとして、意識の中核が定まらない。二日酔いに近い。
戦闘の疲れ。手術の疲れ。精神的疲労。疲労に疲労に疲労が積み重なって、あたり一面無残な焼野原と言ったところである。
機械が整備補修を欲するように、人間もまた休息は必要なのだ。
彼女は医者なり看護師なりが来るまでベッドの中で待機することにした。愛用のベッドとは異なる清潔で柔らかい布地の中で、ぬくぬくと過ごす。戦闘、そして戦闘尽くしだった彼女にとっての休暇であった。
……ただし、医者が己の体について話題にしているとも知らず。
「見たまえ」
「なんですかこれ」
白衣を着込んだ男が、書類を傍らの助手に手渡していた。そこに記されていた内容に目を通した助手は目を丸くした。
骨格――カーボン素材による強化。
神経――バイオ適応光ファイバー繊維置き換え手術済み。
筋肉――人工筋肉補助措置済み。
臓器――修復型ナノマシン生成プラントの存在アリ。
軽く検査しただけでこれほどの“異常”が見つかっていたのだから。
通常、人体を強化するというのは、ありえない。強化したところで使い道がないからである。強靭な筋力があろうが、驚異的な耐久性があろうが、普通に生活する分には無用の長物である。あるとすれば、一つしかない。戦闘用である。
助手は書類を信じられないという目で読むと、モニタを凝視した。小柄な、まるで子供のような女性がベッドですやすやと眠っている。美人という表現よりも、可愛らしい小動物という言葉が似合う女性が。
「実験体か何かですかね。彼女は」
「かもしれんな。ここまで改造してしまうと普通の人間とは思えんぞ」
人工物に置き換えてしまえば、元通りにするのは難しい。細胞を培養して移植すればなんとかなるかもしれないが。
助手が推測した。
「借金返済のために人体改造を受けて傭兵でもやってるとか。彼女、傭兵なんでしょう? 借金した傭兵が改造されるなんてありがちな都市伝説じゃないですか」
「バカな。借金返済のためにカネを投じてどうする。第一、どんな技術なんだか。私の想像を絶する技術力だぞ」
「たしかに」
「いずれにせよ、彼女は依頼主だから丁重に扱うことだ。あんな可愛い顔して人殺しを生業にしてるから下手に逆らうのは得策じゃあない」
「私が行きますよ。退院までの日数を伝えないと」
「よろしく頼む」
退院が許され、無事帰宅できたのは二週間後だった。
―――――
泥沼にはまり込んだままにならないように わたしを助け出してください
わたしを憎む者から 大水の深い底から助け出してください
奔流がわたしを押し流すことのないように
深い沼がわたしをひと呑みにしないように
井戸がわたしの上に口を閉ざさないように
―――詩編69章15,16節
何かが浮かんでいた。
シナプスが複雑に折り重なって構築された生体計算機―――脳が。
脳は小さく、そして大きかった。ある部分は削られていた。ある部分は以上に肥大していた。ある部分は人工機械が補っていた。
脳は、人間の体液と同じ構成と温度を保った溶液の中に浮かんでおり、数百数千もの配線に繋がれていた。脳が揺れることを防ぎ衝撃から防御するバイオ膜が溶液の中にふわふわと漂っている。
脳が発する出力は機械を通してノイズが除去され情報に変換されたのちに1と0の単純な電子の配列へと置き換えられる。逆に機械が必要と思われる情報を脳に流し込む。知覚を削がれた脳は情報を真実と思い込むことしかできない。1と0だけが脳の全てだった。脳は計算機でしかなかった。必要な養分と酸素だけを管から与えられ、電子信号を処理する装置でしかなかった。
カプセルの隅の方にどうでもいい情報とばかりに貼り付けられた樹脂製のプレートには北極星を意味する文字列があった。
極めて硬く、弾力に富み、ありとあらゆる害から内部を遮断する機能を有する試験管型の容器が、今まさに機動兵器に搭載されようとしていた。
試験管型容器の大きさは機動兵器と比較して小さい。医療用のカプセルを引き延ばしたような形状であり、丁度赤子のゆりかご(クレイドル)ほどの大きさであった。それは高度な技術で製造された産物であり、もはや現在の人類には製造どころか理解することさえ難解な過去の技術の結晶である。外周をうっすらと溝が走っており、ところどころに記号や数字の刻まれたプレートが貼り付けられている。カプセルは独自の装置を内蔵しており、それが機能していることを示すランプが歩くような早さで点滅を繰り返していた。
―――機器には『バイタルサイン』の英字があった。
そのカプセルがすっぽり収まる固定器具が無数の指を備えたマミュピレータによって運搬され、機動兵器のハッチへと宛がわれた。機動兵器の内部構造は別の機種とは異なっていた。操縦席がない。HUDもなければ操縦桿さえなかった。あるべきものがなく、あってはならないものがあった。カプセルが慎重に操縦席に挿入されると内部の各コネクタへと接続された。幾重にも固定器具が巻き付く。ハッチが自動で閉まると後退していた機関部と頭部が前方へとスライドした。ハッチが閉鎖される。
赤と黒の二色で塗装されたその兵器のメインカメラに光が宿った。
整備作業に当たっていたマニュピレータやロボットたちが退いていく。がらんとしたドッグに人の姿は無い。アーマード・コアという人の形をした兵器だけが人間の名残を宿していた。
赤黒二色がドッグを移動していく。全自動運搬車により指定の位置まで運ばれていったそれは、武器を別のロボットから受け取ると、エレベータへ移動した。
エレベータが機体の搭乗を確認するとみるみる内に高度を上げていく。不気味なまでに音がなく、素早い。その間赤黒二色は身じろぎさえしなかった。
目的の地点に達した。機体がまるで大地を確かめるように一歩、また一歩を進めていけば、大型のシャッターにたどり着く。高い剛性と遮断性を持った合金で作り上げられた扉である。機体が歩くたびにシャッターが次々に開いていき進行を妨げない。そしてシャッターはまるで拒絶するように機体のすぐ背後で閉じるのであった。
最後の扉を機体が潜った。
外の世界は、まるで地獄のようだった。汚染物質を多量に孕んだ砂嵐が吹き荒れる果てしない荒野。人間の骸骨があちこちに散乱しており埋葬されることもなく風に晒されている。ここはごくありきたりな星の地表面であり、世界の現実である。
赤黒二色の機体は命じられるがままに歩いていくと、大型のトレーターに搭乗した。そのトレーラーにも人間の姿は無い。
『novem』という名称が小さくペイントされた機体はどこかへと消えた。
―――――――
結局、フレイムスクリームは限界だった。
連戦に次ぐ連戦。消耗。被弾。損傷。欠損。
取り換えればそれで済むのがアーマード・コアであるが、何事にも限度がある。腕が焼け、折れ、装甲を弾丸が貫き、機能が失われていた。無論、アクチュエータも動かず、銃を握ることさえ叶わない。ショルダーユニットのハッチは滑落しており、またレールが歪んだせいで弾が出ない。脚の装甲はなく、同じように折れている。頭部は膨大な熱と損傷で電装とセンサーが軒並みお亡くなり。接合部の据わりもよろしくない。コアは装甲が根こそぎ無くなっているばかりか熱で溶けて固まってしまっている部分もある。おまけに腕部と脚部が敵に殴打されたときか落下した時の衝撃でほとんどもげて歪んでしまっているせいでパーツを交換するという選択肢さえない。
更に同じくらい酷いのは内装である。
ジェネレータはOWとリミット解除の余波をもろに食らって長時間の過剰運転にあった影響で回路は全滅。生成装置は熱で使い物にならない。ラジエータも過剰運転で痛みが激しく、排熱しきれなかったせいで機能が損なわれていた。油圧もモーターも損傷しており総交換の必要あり。唯一無事なのが戦闘時の損傷とは関わり合いが少ない生命維持やコンピュータ回りだというのだから、戦いの激しさがわかるというものである。ジェネレータなどの機関部回りは製造できぬオーバーテクノロジーを含むので修理は論外である。
半日をかけて機体を解体した彼女は、自宅兼ガレージとして使っている拠点にて、ツナギを着て胡坐をかいていた。
ガレージにはパーツごとに分解され、装甲内部構造をさらけ出したフレイムスクリームの姿。赤黒い機体は煤と砂に塗れてこげ茶色の鉄肌をたたえていた。さしずめブラックスクリーム。笑えないジョーク。
ACは高価な精密機器である。よって高い。それはもうべらもうなお値段で取引されているのだ。整備修理ならまだしも、パーツごと交換するとなると話は別となる。引き金が折れ、グリップが曲がり、スプリングが溶けて、銃身が歪んだ銃を修理するのと、新しく購入するのとでは後者の方がコストが低いのは考えるまでもない。
こんなこともあろうかと保存していた予備パーツはチェスマークの連中との連戦で使い果たしてしまった。
傭兵の仕事はスマートでなければ報酬は出ない。情報料、ヘリの運搬費用、人件費、弾薬費、整備費、契約仲介料、修理費などを報酬から差し引くからだ。出撃して機体を全壊させれば借金になるのも道理。彼女のケースもこれに当てはまる。
だが傭兵稼業を廃業することはない。非常時のためにコツコツと貯めておいたお金があるからである。女遊びやら人狩りやらバカンスやら大規模拠点建設やら、およそ一般的な豪遊や浪費や投資とは縁がなかったから、貯蓄はたんまりとあった。
「ごめん、フレイムスクリーム」
胡坐を解いた彼女はフレイムスクリームの物言わぬ頭部に寄って硬質な肌を撫でて囁いた。保護シャッターが故障して開きっぱなしになっている。まるで、目があるようだ。その瞳を覗き込み、おでこをくっ付ける。
フレイムスクリームは半身のような機体である。ミグラントに拾われた時から乗り回してきたのだから。
戦いとは、命のやり取りである。殺して殺され壊して壊されの関係にある。殺すか、殺されるかの二択が戦争とあれば人間関係も必然的に常識とは外れてくる。親兄弟友人よりも深い間柄。命を預け合う仲である。その絆は愛よりも深いと戦士は言う。生命という生命が持つ唯一にして絶対なる財産を背中に託す相手がいかに大切で愛おしいことか。彼女にとって命を預けてきたフレイムスクリームは、戦友であり、親友であった。
できることなら修理したかったが、損傷が激しすぎて直すのは難しい。捨てるしかないのだ。
だけど。
彼女はクレーンを操作しながらフレイムスクリームを見つめて思った。
パーツはどっかに保管しておこう。
「感傷だけど……もっと戦いたかったよ」
そう、呟いて。
――――――――
アーマード・コアは、コアという概念を持つ兵器である。コアとは人間でいうところの胴体であり、そこに頭と腕と足をつけて完成する、機動兵器である。パーツは無数に存在していることから、アーマード・コアはパーツの組み合わせによって無限の可能性を実現しているのである。砂漠で、水辺で、市街地で、活躍できる機動兵器。比類なき汎用性と機動性を持った最強の陸の王者。
というのが一般的な常識であるが、イメージとは裏腹にアーマード・コアは狙われやすく死にやすい。パーツをぶんどって売りさばいてやろうという邪な考えの者がいるのも一因であるが、高性能であるがゆえに敵が集中してしまうのだ。そしてこの世の理と同じくして、最強の機動兵器は無敵の機動兵器と同意義ではない。傭兵(ハウンド)が死にやすい職業なのは、高性能が災いしているといえる。
さて話を戻すと、無限の組み合わせがあるからこそ、悩んでしまうのである。
頭部にしても、装甲を重視するのか? カメラ性能か? 機体安定性能か?
腕部にしても、照準精度か? ショルダーユニットの数か?
コアにしても、エネルギー伝達率か? 生存性能か? リコン搭載数か?
脚部はさらに複雑で、どのタイプにするかである。それぞれの脚部にしても特徴がある。速度をとるか、跳躍か、格闘に適合しているのかなど。構えが必要な銃器を構え無しで放てるタンクなどの癖や特徴を熟知しておく必要がある。
ここに武器が組み合わさる。遠距離用か? 近距離用か? 中距離で弾幕を張るのか? 実弾か? 熱量か? 欺瞞するのか?
これは通常の兵器ではありえないバリエーションである。戦闘ヘリなどもミサイルやロケットの種類を変える程度であり、機体自体をモジュール化して組み合わせを変えることはしない。
では彼女はどのような機体が適性なのか? フレイムスクリームの構成は装甲と機動性の充実とOW運用である。すなわち前線で殴り合う機体である。となれば構成と武装はおのずと決まってくる。
だが彼女はフレイムスクリームの猿真似はしたくないと考えていた。より適切で、より使いやすく、より強い機体にしたい。
とりあえずウィスキーをちびちびとやりながら端末を弄って、パーツのスペックデータを呼び出す。椅子にお尻と腰を乗せて両足を机に投げ出すというどこの酒狂いかというスタイルで。
腹の縫い目が痛むので、麻酔薬を分量通りに飲む。ウィスキーで。
どうせ欲しいものなんて酒くらいしかないので、高級パーツなども選択肢に入れる。端末を操作してパーツ一覧から頭部だけを選出した。
頭部パーツにも、多くの電子機器と同じように、耐熱限界という数値が決められている。センサー類を内蔵した頭部は熱に弱いため冷却機能を内蔵しているのだが、一定の数値を超えると外部装甲を強制排除したり、メインカメラのハッチを開くことで排熱するタイプがある。変形(もしくは強制排除)をするタイプは戦闘中に元の形に戻せず防御力が下がったままということも多いので、考えなくてはいけない。
もしくは、冷却装置を後付けするか、冷却板を追加するという案もある。傭兵たちは購入した機体に独自の改造を施すことが多い。冷却装置や通信用アンテナはもちろん、砂を詰めた袋を成形炸薬弾対策としてぶら下げたり、脚部を保護する追加装甲をスカートに見立てたり、盾持ちの盾を持ってみたりである。中には翼を付けるものもいたが、そもそもACは優れた推力重量比で無理矢理飛ばす兵器である。空力を考慮するのは阿呆の所業。
「ふーむ」
設計には、まだまだ時間がかかりそうだった。
彼女は顎を撫でるとウィスキーを呷った。
何かされ過ぎたようだ