ヒカルの碁並行世界にて   作:A。

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第一話

進藤ヒカルは漸く念願の本因坊のタイトルを手に入れていた。塔矢アキラを差し置いて、これで七冠になる。息つく暇も無くカメラのフラッシュと記者達の聞きとり取材を受けながら、佐為への気持ちに浸っていた。

 

佐為と別れてからずっと、虚無感を抱きながら対局を続けていた。対局をする事によって、その中に佐為が居ると感じる事は出来たのだが、どうしても喪失感を拭えなかったのだ。

 

しかし、逆に僅かでも存在を感じる事が出来る囲碁にどこまでものめり込んでいった。ひたすら上に上にと、極めていったのだ。

 

(これで神の一手に近付けたのだろうか……)

 

目を伏せながら考えるも未だに答えは出なかった。そのまま、その日は深い眠りについた。どこまでも深い眠りに。

 

 

◇◆◆◇

 

 

「ヒカルー! 朝よ、起きなさい!」

 

「う……ぅう」

 

「ヒカルー! 降りてきなさいよ、いいわね」

 

誰かの大きな声で起こされる。意識を取り戻してベットで体を起こす。やけに見覚えのある場所だ。どこだっただろうか。まだ頭が回らない様だ。

そのままぼーっとしていると、階段を上ってくる音が聞こえ、ドアが開かれる。

 

「全く、降りてきなさいって言ったのに…朝ごはん、出来ていますからね!」

「えっ、母さん。若返ってる」

「何を言っているの、寝ぼけているのね、顔洗ってらっしゃいな」

「あ、あぁ、分かった……」

 

目の前に居たのはかつての母の姿だ。いや、でも最早、婆さんといっても過言ではない容姿になっていた筈なのにどうしてだろう。ヒカルの脳内は疑問符で一杯だ。取りあえず、言われるがままに顔を洗う事にする。一階へ移動し、洗面台を見て改めて驚愕の声をあげた。煩いと再度、母に窘められるもそれどころじゃなかった。

 

「俺も若返ってるの?! 何でっ!!」

 

鏡に映っている姿。それは、小学生の頃の進藤ヒカルの容姿そのものだったのだ。夢かと思い、頬を抓っても痛いだけ。無論、目を覚まそうと冷水で顔を洗うも、逆に頭がハッキリした位で現状に変化はみられない。

 

いつまでもリビングにやってこないヒカルに痺れを切らした母に再び呼ばれるまで、微動だに出来ないのであった。

 

朝食を食べ、家に迎えに来た藤崎あかりに連れられ学校へと向かう。

 

「でね、昨日の先生の宿題が難しくて、特に算数の問題がもう大変。すっごく時間がかかっちゃったんだから。ヒカルってば、ちゃんとやってきた?」

 

「んー」

 

間違いない。藤崎あかりも幼くなった頃そのものだ。完全に逆戻りをしている。自分が小学校へ向かっている事といい、信じられないが間違いない。余りの非常識な出来ごとに返事が自然と生返事になってしまう。

 

「ヒカルの事だから、どうせやってないんでしょう。先生に怒られても知らないんだから!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「ど、どうしちゃったのヒカル。普段なら、宿題見せろよとかって言うのに」

 

「そうだったっけか」

 

「そーよ。もう、変なヒカル」

 

信じられないという眼差しを受けるが、信じられないのはこちらの方だ。しかし、もしかしたら自分がタイムトリップをしてしまったというのなら佐為が、この時代に居るかもしれない!! ヒカルは高ぶる気持ちを必死で押さえつけていた。

 

本来ならば今すぐにでもじーちゃんのお蔵へ飛び込みたい。しかし、成長をした精神年齢が邪魔をする。碁盤は逃げない。そもそも気持ちの整理がついていない。しっかりと落ちついてから行くべきなのだと。

 

そのまま行っても学校をサボり叱られる事になるのだから、放課後に行けば済む話だと訴えるのだ。

 

叱られてもいい、今直ぐ行くべきだという気持ちと葛藤し、じりじりと胸を焦がす。終始、あかりの言葉など右から左に流す形となり、訝しげに思われるのであった。

 

 

◇◆◆◇

 

 

(終わった。長い、長すぎる。これなら本当にサボって行けばよかった)

 

久しぶりに受けた学校の授業はこれほどまでに長かったのかと思う。時間が過ぎるのが兎に角遅く感じられたのだ。

 

ちなみに理科の問題を答えたら先生やクラスメイトに驚愕された事も、昼休みにドッチボールに誘われたのを断ったら、頭でも打ったのかと言われた事も、どれもが些細なことだ。

 

放課後のHRが終わった途端、ダッシュで教室を後にする。あかりが帰りも一緒に行こうと誘ってくれる気はしたのだが、どうしても待っていられなかった。後日の埋め合わせで許してもらおうと思う。

 

ランドセルのまま只管道をかけていく。じいちゃんの家に到着した時には既に息絶え絶えだ。

 

「どうかしたのか? そんなに慌てて一体どうした」

 

「げほっ……く、蔵」

 

「蔵?」

 

「げほっげほっ、お蔵の中、見せて!」

 

「まぁ、いいいが…おい、ヒカル」

 

許可を得ると、もどかしさをそのままに言葉の途中で蔵まで駆け込む。やっぱり何もかもを後回しにして真っ先にここへ来ればよかったと後悔をしながら。

 

「佐為! 佐為! いるんだろ」

 

蔵の奥へと声を運ぶが返答はない。木製の梯子を登る。一段一段足を運べば運ぶほどに期待が高まる。

 

片隅に碁盤を見つけた途端、胸が震えた。ずっと失っていたものが戻ってくる感覚。一歩一歩を踏みしめ、確実に向かっていく。

 

「俺、お前と話したい事が沢山あるんだ。というか、そもそも説明が必要だよな。っつっても、俺も良く分かっていないんだけど奇跡が起きたのかもな。あ。勿論、沢山打たせてやるさ。安心してくれよ」

 

呼びかけながらも返答は無い。ただ、それは碁盤を見ていないからだと言い聞かせて。

 

「佐為?」

 

しかし、無情にも目にしたものが現実を突き付けてくる。

 

―――碁盤にシミが存在しなかった。

 

慌てて駆け寄り四方八方から確認するも間違いではない。シミの痕一つ見つからないのだ。

 

「は、ははは。冗談だよな。お前に会えないなら何で、戻ったんだよ。そんな意味、まるでないじゃないか」

 

その場にへたり込む。幾度も碁盤をなぞるも、シミが浮かび上がる事は無かった。

 

「ちくしょう。お前の存在だけがなくなっちまうなんて、そんな事があっていいのかよ……」

 

「おーい、ヒカル。おまえ来て早々、蔵に何があるっていうんだ。せめて挨拶位していけ。せっかく久しぶりに来たんだからな」

 

下からじーちゃんが声をかけてくるも、とある決心をしたヒカルには届かない。両手の拳を握りしめて、決意が口から零れ落ちる。

 

「認めねぇ。佐為の存在がこの時代の世界に欠片もいないだなんて、絶対に嫌だ。俺の手で、いや、俺の影から感じとってくれるだけでもいい。佐為の痕跡を残して見せるんだ!」

 

その目に、最早悲壮心は残っていなかった。虚無感や喪失感を持った少年の姿はどこにもない。目標に向けて野心を燃やすそんな人物が俯いて座り込んでいた。

 

 

◇◆◆◇

 

 

(まずは確か碁会所だっけか。塔矢アキラに会わないとな)

 

佐為の存在を一番最初に体感した人物だ。佐為ではなく自分だと力不足かもしれない。が、間違いなく誰よりも佐為の力を受け継いでいると自信を持って言える。

 

目指すは塔矢行洋が経営する碁会所だ。しかし、その前に日本棋院会館へ向かう。売店で扇子を買いたかったからだ。夢の中で一度だけ再会した佐為から扇子を渡された思い出は今でも鮮明に覚えている。この時代の世界でもそれを再現するのに変わりはない。

 

(えっと…確かこの辺の……あった。この場所のを買ったんだった)

 

今までこの時代のヒカルが貯めて来た貯金を全て持って来たので何とか買えるだろう。本当ならばしっかりとした碁盤も買いたかったのだが、許されなかった。所持金全部でも購入は不可能なため、母にお願いをしてみたのだが、どうせ直ぐ飽きるのにそんな高い物をだなんて駄目と全く信用されなかったためだ。

 

「おねーさん。これ下さい。あ、タグを取ってそのままくれたら嬉しいな」

 

「あら、おねーさんだなんて。うふふ、ありがとう」

 

売店の販売員が上機嫌で扇子とお金を受け取った。子供は正直だ。そんな子供からおねーさんと若くみられた事が気持ちを浮かれさせるのに一役買った。

 

「ありがとうございました」

 

満面の笑みで見送られ、ヒカルはこれで準備万端だと意気込んだ。

 

(よぅし、いっちょやりますか)

 

容姿に引っ張られる様にこの時ばかりは腕まくりもして、子供力全開だ。足取り荒く日本棋院会館を後にしようとロビーへ差しかかった時、背後から声がした。

 

「ふぉっふぉっ、やけに世辞が上手い小僧じゃな」

 

「く、桑原本因坊?!」

 

「あの販売員はな。実は長年勤めているベテランなんじゃ。一柳の奴のあの喋りを上手くかわすことの出来るトークスキルと愛想笑いの鉄壁さを兼ね備えておる。にも関わらず、初対面で気に入られるとは中々やるのぅ」

 

恐らく、偶然なのだろう。桑原がヒカルにわざわざ話かけに来たのは。今日は偶々機嫌が良い日だったのかもしれない。しかし、ヒカルはこのチャンスを逃すつもりはなかった。

 

(もし、佐為だったら強い人と対局する機会を逃すなんて絶対にしない筈だ)

 

買ったばかりの扇子を握りしめる。自分で決めた事だが、佐為の代わりになれるかどうかという重圧がのしかかる。

 

「あのっ、俺と対局してくれませんか?」

 

直球で切り込む。何故なら遠まわしに「お時間ありますか?」なんて聞いた所ではぐらかされるに決まっているからだ。からかわれるだけに終わるなんて事も大いにありうる相手だ。

 

「ふむ、どうしようかの」

 

即答で拒否はされなかったものの、思案している様子だ。このままだと断られるかもしれない。ヒカルは勢い込んで言った。

 

「損はさせません」

「ほほう、得をすると。得をするなら、見逃すのも惜しいの。ならば、どうじゃ。そこのソファに腰かけて目隠し碁をするというのは」

「目隠し碁、ですか?」

「左様。わしに損はさせないんじゃろう?」

 

桑原本因坊の目にはからかいの色が浮かんでいる。どっちに転んでも面白いから良いというスタンスに違いない。

 

目隠し碁をする実力がないのなら、怖気づくに決まっており本因坊に損をさせないといった発言は即子供の戯言で片付けられる。盛大に言葉で遊んでもらえるだろう。

 

もしも、目隠し碁が可能であるなら、そこそこの打ち手という事になる。それならば、得かどうか蓋を開けてみなければ分からないがその棋力で楽しい碁が打てる。

 

しかし、本因坊のタイトルを持っている桑原相手に、大言を吐くのだ。受けた場合には、からかいの気持ちは消え、逆の期待に相当するかもしれない。

 

つまり、目隠し碁は一種のボーダーラインと言えよう。

 

問われている中、ヒカルの答えは勿論「YES」だ。あっさりとそのボーダーラインを飛び越える。

 

「うん。損なんてさせたりしません。よろしくお願いします」

 

間など必要ない。瞬く間に返答をしていた。それに桑原の目が見開かれる。何の躊躇もなかったからだ。

 

「ならばよかろう。小僧、座るといい」

「はい」

 

二人はそのまま移動する。四人掛けのソファに向き合って座る。その間に碁盤は無い。

 

「お願いします」

「お願いします」

 

未だ対局は開始されていないにも関わらず、ヒカルは桑原の気迫につつまれる。しかし、どこか佐為の存在をこれから刻みつける事が出来ると思うと自然と体の強張りはない。寧ろ、ワクワクとした気持ちになる。

 

それが表情に表れていたのか桑原は、こやつ只者ではなかったのかもしれん……と評価を改めていたのだった。

 

 

 


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