「良い天気じゃな」
緑色の着物を着た女性は、俺を見ながらそう言った。
良い天気も何も、この空間には太陽や雲など見当たらないし、風すらも感じない。この女性は何を言っているのだろうか。
「そうなのか? 俺には、此処の天気がどうなのかわからないが。それで、貴女は何者なのかな?」
聞きたいことが沢山ある。目の前の可愛らしい女性は誰で、此処は何処なのか。俺の記憶の中では死ぬのがこれで初めて。わからないことだらけだ。
「わしは生き場所を失った、ただの妖怪じゃよ」
生き場所を失った、ねぇ。意味がわからん。
「この場所は何なんだ? 死後の世界って奴には見えないが」
「さあな。わしも良くはわからん。気がついたら此処にいて、それから長い間ずっと閉じ込められている。たぶん、お前さんの心の中なんじゃろうな、此処は」
俺の心の中? そんな彼女の言葉を聞き、余計にわからなくなった。じゃあ何故そんな場所にこの女性はいるのだ? そんなことあの手紙にも書いていなかったし、グラマラスな天使さんからも聞いていない。そして長い間閉じ込められているとか、色々と引っかかる言葉がある。
どういうことでしょうね。
「貴女の名前は?」
「ないよ、捨ててきた。あの相棒が拾ってくるまで名無しの妖怪じゃ」
いかん、ますますわからなくなってきた。だいたい名前を捨てるってなんだよ。厨二病も良いところだ。ちょっとだけカッコイイとか思ったが。
今度、俺も言ってみようかな。
「空を飛ぶというのはじゃな」
彼女の声がした。
「縛られなくなるということじゃ。常識や重力みたいな奴らから、身を浮かせ空を飛ぶ。理屈で考えるな。物理法則など忘れてしまえ。此処はお前さんの生きていた世界とは違うのだから……さて、そろそろ時間じゃ。まぁお前さんなら、どうせまた直ぐに会えるよ。それじゃ、がんばー」
色々とツッコミたかったけれど、彼女の言葉を聞き俺に向かって手を振る姿を見て、その気は失せた。可愛らしいことで。
そして、また意識の飛ぶ感覚がした。
目を覚ます。微かに見える見慣れた天井と柔らかい布団の感触。どうやら生きて帰ってくることができたらしい。いや、死んで帰ってきたのか。どうにも実感が湧かないが。
時刻は夜。障子越しに届いた僅かな月明かりだけが部屋を明るくしていた。
どうやら俺が落ちた場所からは、ちゃんと神社まで運んでもらえたらしい。まぁ、あの場所に放置されていたら流石に泣く。
布団から手を出し、動かしてみる。嬉しいことに動いてくれた。ホント、どういう体になってしまったのだろうか。きっと地面にぶつかった後はモザイクが必要なレベルになっていただろうに。
布団から起き上がり、いつもの縁側へ向かう。
五体満足。それはきっときっと幸せなこと。
冷え切った廊下を進み、いつもの縁側に腰掛ける。ホッと一息。吐き出す息は今日も白かった。身体が冷える。
どうしてそんなことを思ったのかはわからないが、縁側から立ち上がり、雪で覆われた真っ白な大地に足を踏み出した。
裸足のまま踏みつけた雪はやはり冷たく、不死の身体になった影響で感覚が鈍くなったと思われる俺ですら痛みを感じた。
重力や常識から浮く――だったかな。
常識を捨て、理屈で考えず、物理法則なんて忘れる。ただただ、空を飛んでみたいと願ってみる。
そして、体が浮いた。
なんだよ、こんな簡単なことだったのか。難しくなんて考えず、飛びたいと願う。たったそれだけのことが俺にはできなかった。
地に足をつけず、何者にも縛られていないと感じるこの感覚はなかなかに気分が良い。
ただアレだ。これ滅茶苦茶疲れるわ。浮いているだけなのに息は上がるし、頭痛もする。とてもじゃないが、今の俺には飛んで移動したりするのは逆に疲れるだろう。
再び地面へ降りて縁側に腰掛ける。疲れました。
「おめでとう青。飛べるようになったんだね」
諏訪子の声がした。
「お陰様でね」
諏訪子の方へ向き、返事をする。
昨日に続いて今日も夜ふかしですか? 夜ふかしはお肌に悪いよ。
「むぅ、何それ。嫌味?」
まさか。きっかけを与えてくれたのは諏訪子なのだし、恨んでなんかいない。そのきっかけの与え方はちょっとアレだったが。それなりに感謝もしている。厨二病の混じったあの彼女に会うこともできたのだし。
ホント、何者なのだろうか、あの緑色の彼女は。もしかして俺のヒロイン候補ですか? それなら今度会ったら抱きついてみよう。
「それにしても、青が崖から飛び降りたときは焦ったよ。突き落とす予定ではあったけど、まさか自分から飛び降りるとは思っていなかったもん」
ああ、落とすことは決まっていたのか。冗談じゃなかったのか。
もし、俺が不死じゃなかったら本当に死んでいたのにね。神様の考えることはやはりよくわからん。俺ももう少しくらい怒って良い気もするが……まぁ、怒る気はない。
「下で受け止めるとかは考えていなかったのか?」
「考えていなかったよ。だって、青って不死じゃん。なんとなくだけど、最初にあった時からわかってた。普通の人間ではないって」
わかるものなんだな。流石は神様とでも言ったところか。まぁ、諏訪の神社と言えば、俺の生きていた時代でもかなり大きな神社らしいし力はあるのだろう。諏訪子の見た目はただの可愛い少女だが。
俺の目が覚めたのが明け方近くだったせいか、諏訪子と少し会話をしただけでその日は朝になってしまった。どうして諏訪子がこんな時間に起きていたのかと言うと、俺を心配して……とかではなく、昼まで寝ていて、さらにお昼寝までしたせいで寝付けられなかったらしい。そんな割りと仕様も無い理由。完全に昼夜逆転している。これじゃあダメ生活待った無しだ。
明るくなり始めた東の空。どうやらまた今日も一日が始まったらしい。だから今日も俺は声に出した。一日が始まったことを伝えるために。
「おはよう。諏訪子」
「ふふっ。おはよう青」
そう言って、笑いながら諏訪子は答えてくれた。良い笑顔だ。
きっと今なら良いタイミング。太陽に照らされた雪が眩しく光る。昨日は確かにダメだった。でも今日はいける気がする。
「なあ、諏訪子」
「ぶっ飛ばすよ?」
ダメでした。
ぶっ飛ばされました。
「そう言えば、青って今はどんな課題が出されているんだい?」
久しぶりに三人揃って朝食を食べていると、神奈子が聞いてきた。諏訪子からくらった暴力的な右ストレートのせいで、料理の味はよくわからない。鉄っぽい味しかしない。
どうして神奈子が課題のことを知っているのかと思ったが、たぶん諏訪子が俺の寝ている間に教えたのだろう。手間が省けた。その諏訪子の様子は、目は虚ろで今にも寝そうだ。今日は頑張って夜まで起きていると言っていたが、この様子ではダメだろう。
「あ~、忘れていたわ。ちょっと待って聞いてみる」
「聞くって何よ……」
飛ぶことで精一杯だったせいか、課題のことをすっかり忘れていた。すまんな昔の俺。
頭の中で課題について聞いてみた。そして聞こえてくるあの無機質な声。
『課題2,「月の姫に求婚しろ」』
うん? 月の姫? 誰だよそれ。月の姫とか言われても、竹取物語のかぐや姫くらいしか知らないのだが……
しかしねぇ、輝夜姫なんてこの世界にいるのか? もしいたとしたら、月にも人がいると言うことになるが。
「どう? わかった?」
「うん、月の姫様に求婚しろだと。正直、さっぱりわからん。だいたい月って人が住んでいるのか?」
これで住んでいるとか言われたら、神様向けの授業計画を変えなければいけない。教育者が嘘を教えてはいけないのだ。
「ああ、いるらしいね。私も詳しくは知らないけれど、大昔にこの地上から月へ移った奴らがいるはず。月夜見様が頑張ったとか言っていたし」
ホントかよ……大気とかどうしているんだろうか。それに、この時代よりも昔に月へ移れるだけの技術があるとも思えない。俺の生きていた時代だって無理だったのだし。
「えー、なに? 青、結婚するの?」
眠そうな声で諏訪子が言った。もう寝なさいよ。それに求婚するだけで、籍は入れないと思う。そりゃあできたら嬉しいが、人生そう上手くはいかないことくらいわかっている。
朝食を食べ終わった後、久しぶりに俺の残してくれた手紙を取り出し読んでみた。月の姫様とやらがどんな人物か確認するため。
そして見つかったそれらしい一文。
『蓬莱山輝夜』
月人。ぐーや。かぐや姫。不老不死。ヒロイン候補。
どうやら、本当にかぐや姫らしい。『ぐーや』はよくわからないが、月人とあるし当たりだと思う。
そして――不老不死。
どうしても、この文に目がいってしまう。竹取物語の詳しい内容は知らない。不老不死の薬は出てきた気もするが、かぐや姫が不老不死だとは聞いたことがない。まぁ、その記憶も消えているだけかもしれないが。
むぅ、いきなり課題の難易度が上がった。奈良か京都だとは思うが、姫様の場所はわからないし、もたもたしていれば月へ帰ってしまう。だいたい今って何時代で西暦何年だよ。
信州諏訪から都まではかなりの距離がある。あまりのんびりしている時間はなさそうだ。新幹線とか用意して欲しかった。
はぁ、先が思いやられる。けれども、自分のために少しばかり頑張る必要がありそうだ。
はい、更新です
他の作品と書き方を変えているため、どうにも難しいです
皆様のおかげで通算UA数が1000を超えることができました
嬉しい限りです
次話は漸く諏訪から出てくれそうです
お話も進めなきゃね
では、次話でお会いしましょう